ログインしていません。

#1 2012年10月24日 13:12:41

sk
メンバー

聖書予言

編集者 sk (2012年10月25日 07:16:08)

オフライン

#2 2012年10月24日 18:33:14

カレブ
Administrator

Re: 聖書予言

オフライン

#3 2012年10月24日 19:36:11

sk
メンバー

Re: 聖書予言

jw研究さん


同感です。

悪者にとってもインターネットは両刃の剣ですね。
技術を監視や統制に利用できますが、彼らにとって都合の悪い面もまた強力に働きますね。

ネットのおかげでルカ 12:2節の実現が加速されていると思いませんか。

ルカ 12:2
2 しかし,注意深く秘められているもので表わし示されないものはなく,知られないで終わる秘密はありません。


ものみの塔協会だけでなくサタンの世全体が暴露されていますね。

jw研究さんはこの悪い世の中が裁かれる必要があると思いませんか。

編集者 sk (2012年10月25日 07:44:09)

オフライン

#4 2012年10月24日 23:01:39

カレブ
Administrator

Re: 聖書予言

>jw研究さんはこの悪い世の中が裁かれる必要があると思いませんか

世の中の不公正を見て 正しい裁きを願うのは自然かと思います。

初期のキリスト教を発展させた原動力もそのようなものだったのだと思います。

オフライン

#5 2012年10月25日 07:24:27

sk
メンバー

Re: 聖書予言

jw研究さん

返答ありがとうございます。

おっしゃるとおりですね。

いつかjw研究さんが自然界の背後に存在していると思われる公正の原因あるいは源について考えて頂けたら嬉しく思います。
もちろん私が持っている結論と異なる見方をお持ちだと思いますが、もし良ければ試してみてください。

ではまた wink

編集者 sk (2012年10月25日 20:22:41)

オフライン

#6 2012年10月27日 01:42:05

カレブ
Administrator

Re: 聖書予言

オフライン

#7 2012年10月27日 08:07:10

sk
メンバー

Re: 聖書予言

jw研究さん

良いお返事ありがとうございます。

自然界のすばらしい発見をわしたちと分け合ってください。

神を信じている者たちにとって、また異なった受け取り方があると思います。


楽しみにしています。 wink

オフライン

#8 2012年11月02日 21:59:16

sk
メンバー

Re: 聖書予言

編集者 sk (2012年11月03日 14:03:22)

オフライン

#9 2012年11月03日 12:51:26

カレブ
Administrator

Re: 聖書予言

skさん
世代という表現を クリスチャン各人の人生に当てはめた斬新な観点ですね。

わたしの信仰とは別に、skさんの理解と関連して一つの考え方を提示したいと思います。

わたしはこれが書かれた当時はエルサレムの滅びとイエスの再臨は
「複合的」なものではなく、「一連の出来事」と受け止められていた
と考えています。

ただ分離することは可能ではあると思います(多少無理がありますが)
以下は考え方の一つの例にすぎませんが、提示します。

マタイ24:33 の「これらのすべてのこと」と
マタイ24:34 の「これらのすべての事」という言葉は
両方とも「パンタ・タウタ」というギリシャ語が使われています。

そして24:33のほうでは「すべての事」の中にキリストの再臨は含めて
いません。ですからエルサレムの滅びまでを一区切りにして、それ以降は
単に「彼が戸口にいる」という状態であると解釈することは可能だとは
思います。

ヤコブでも戸口の前に立っているという表現を比ゆ的に使っています。

(ヤコブ 5:9) 兄弟たち,互いに対して溜め息をついてはなりません。
それは,あなた方が裁かれないためです。ご覧なさい,
裁き主が戸口の前に立っておられます。


以上 参考までに記載しました。

オフライン

#10 2012年11月03日 14:37:16

sk
メンバー

Re: 聖書予言

jw研究さん


コメントありがとうございます。

了解です。

ご指摘のように西暦1世紀の弟子たちはエルサレムの滅びと臨在を分けて考えていたのではありませんね。
とはいえ、「臨在」つまりサタンの世全体の裁きのためのキリストの帰還は、西暦1世紀には生じませんでした。

西暦98年にヨハネによって書かれた啓示の最後でヨハネは啓示の書を次のように締めくくっています。

啓示 22: 20
『しかり,わたしは速やかに来る』
「アーメン! 主イエスよ,来てください」

それで、AD70 以降はキリストの臨在だけが残されたことになります。
西暦2012年の終わりの今でさえ、キリストの臨在は将来のことで、クリスチャンはその到来に備えて目覚めているように励まされています。

神との関係を発展されるために私たちに残されてい時間は、自分の命の終わりか、臨在の到来ということは、西暦1世から変わっていないことになります。


また注解、書き込みよろしくお願いします。


傍観者の皆さんの参加もお願いします。

オフライン

#11 2012年11月04日 23:41:47

SHOGO
ゲストユーザー

Re: 聖書予言

「キリストの臨在がいつ始まるかは誰にも分からないわけですから、それが自分の生きているうちに来る可能性は、いつの時代のクリスチャンにもあることになります」

skさんの言葉は、私が、うまく表現できなかったことを言葉にしてくれているような気がしました。
それは、エホバの証人研究さんが書かれていた、以下の言葉について考えていたことに対して考えていたことです。

クリスチャンはこれらの預言の成就について思いを巡らせることになる。そして、どの時代にも考え方に共通点がある。それは:
「それは我々の時代に成就する」
というものだ。人は自分のまわりの世界が一番重要であり、常に興奮を誘うものを求めているのだ。謎めいた預言の言葉を見れば、それを自分の時代に当てはめたくなるのであろう。

#12 2012年11月06日 22:23:46

sk
メンバー

Re: 聖書予言

編集者 sk (2012年11月07日 07:37:28)

オフライン

#13 2012年11月30日 20:55:16

sk
メンバー

Re: 聖書予言

編集者 sk (2013年04月13日 21:15:50)

オフライン

#14 2012年11月30日 22:25:52

カレブ
Administrator

Re: 聖書予言

THE TIME IS AT HAND 「時は近づけり」

ずばり、そのままですね。気がつきませんでした。
当時は恐らくKJVが主流でしたが、1901年のアメリカ標準訳を
見てみたら、こちらもずばり「THE TIME IS AT HAND」でした、
後に協会がこのアメリカ標準訳を使うようになったとき
気まずかったかもしれないですね。

こうなると逆にラッセルのほうが予言されていたみたいになっちゃいますね。

オフライン

#15 2012年12月01日 14:56:44

sk
メンバー

Re: 聖書予言

jw研究さん

イャ~、全く滑稽ですね。
私もうまく乗せられました。 tongue

でも今では、インターネットのおかげで最早「バレバレ」ですね。



エホバの証人の兄弟・姉妹たち、

神とキリストへの自分の信仰で歩んでください。

神 -- キリスト -- 人

神と人との仲介としてキリストを代表する人、または組織は意図されていません。
皆さんが冷静に物事を判断なさることを心から願います。

編集者 sk (2012年12月01日 14:58:24)

オフライン

#16 2012年12月16日 18:29:26

sk
メンバー

Re: 聖書予言

編集者 sk (2012年12月24日 23:04:16)

オフライン

#17 2012年12月17日 19:34:28

もんもん
メンバー

Re: 聖書予言

skさん

わたしも同じようなことを考えていたので、skさんがこのようなことを書かれてびっくりです。ぜひエホバの証人の兄弟・姉妹にも読んでいただきたい文章だと思いました。skさんは英語が得意のようですが、英語の掲示板などでも、投稿しておられるのですか。

オフライン

#18 2012年12月17日 23:15:34

sk
メンバー

Re: 聖書予言

編集者 sk (2012年12月18日 17:46:22)

オフライン

#19 2012年12月18日 21:50:12

もんもん
メンバー

Re: 聖書予言

skさん
お返事ありがとうございます。英語もできるんですね。お互いがんばっていきましょうね。

オフライン

#20 2012年12月19日 18:11:16

sk
メンバー

Re: 聖書予言

もんもん さん


了解です。 smile

編集者 sk (2012年12月19日 18:11:36)

オフライン

#21 2012年12月19日 22:38:43

カレブ
Administrator

Re: 聖書予言

皆さん 投稿ありがとうございます。 お知らせですが、以前にヨーロッパ圏からの宣伝用スパムが横行したために、入力文字に厳しいチェックを加えていました。そのため通常の投稿でも「スパムと判断されました」というメッセージが表示されてしまうという報告がありましたので、今から少し文字チェックの制限解除を進めてみます。それでも「スパムと判断されました」というメッセージが表示されて投稿できないような場合がござましたらお手数ですが、お知らせください。

現在以下のような対策を施しています

1.極端に日本語文字数が少ない場合=>スパムと判断
2.ロシア語文字などが含まれている=>スパムと判断=>現在解除中
3.以前にスパムがあった特定の文字とURLを含むもの=>スパムと判断

以上です。

オフライン

#22 2012年12月20日 15:09:35

iris
ゲストユーザー

Re: 聖書予言

skさん、興味深い記事をありがとうございます。
ものみの塔の教義のポイントとなる語句についてわかりやすく整理されており、非常に勉強になりました。


「この世代」について

「預言者たちの血の責任が問われる」=「エルサレムの滅び」を指すと言えるのはなぜでしょうか?
文脈からは読み取れないと思うのですが。

この部分は律法学者たちとファリサイ派の人々に向けて語られています。
マタイ書の記事によると、この前の部分でイエスは、彼らが「もし先祖の時代に生きていても、
預言者の血を流す側にはつかなかったであろう」などと言う、と指摘しています(マタイ23:30)。
このように先祖と同じ過ちを犯していながら、その自覚がなく、他人事と考えている者たちに対して、
「他人事ではないのだ。時代の違いの問題ではないのだ」と主張しているのが、
「これらのことの結果はすべて、今の時代の者たちにふりかかってくる(マタイ23:36)」という聖句の意味だと思います。
さらに、21世紀の現在に生きている私たちも、律法学者やファリサイ派のような態度をとるならば、
同じように責任を問われると考えるべきです。私たちにとっては「今の時代」とは21世紀の現在です。


「キリストの再臨」について

まず、聖書学ではマタイによる福音書は使徒マタイの著作ではありえないとされています。
90年頃までに、マルコによる福音書とイエス語録資料をつなぎ合わせ、さらに独自資料を加えて編集されたもので、
初めからギリシャ語で書かれています。この福音書は当時の正統派教会にとって都合が良かったため最も尊重され、
権威ある福音書とみなされていたため、マタイの著作であるという名目で流布したのです。
もちろん資料の一部はアラム語からギリシャ語に翻訳されています。

問題のマタイ24:3の後半は、Today's English Versionでは
"and what will happen to show that it is the time for your coming and the end of the age."
と訳されています。
skさんの指摘されている臨在(presence)は、このcomingにあたる部分ではないでしょうか。
coming はご指摘の appearance, arrival と類義の語ですから、通常の英訳ではそのように解釈されていると考えられます。

ものみの塔の聖書翻訳では、この例のようにわずか一語を追加したり削除したり差し替えたりするだけで、
原文ではありえない解釈を可能にしている例がいくつもあります。英語ならではの芸当かもしれません。
これをさらに日本語に訳すとかなり悲惨なことになります。


みなさまからのコメントをお待ちしています。

#23 2012年12月22日 16:35:29

sk
メンバー

Re: 聖書予言

編集者 sk (2012年12月26日 21:58:32)

オフライン

#24 2012年12月24日 22:55:07

sk
メンバー

Re: 聖書予言

編集者 sk (2012年12月25日 18:24:40)

オフライン

#25 2012年12月25日 00:10:02

iris
ゲストユーザー

Re: 聖書予言

skさん お返事ありがとうございます。

聖書の言語について

1世紀のパレスチナでは、ヘブライ語は文章語であったそうです。
特に聖書はヘブライ語で書かれていましたから、それに関連する宗教文書はヘブライ語で書かれていました。
しかし、日常語はアラム語で、礼拝ではヘブライ語からアラム語への通訳がいたそうです。
(ヘブライ語では一般人が理解できないため)

イエスの言葉にもアラム語が伝えられています。
「エロイ・エロイ・ラマ・サバクタニ(マルコ15:34)」「タリタ・クミ(マルコ5:41)」「エッパタ(マルコ7:34)」
などです。マルコ福音書は、日常語としてアラム語が使われていたことを正直に記しています。

「エロイ・エロイ・ラマ・サバクタニ(マルコ15:34)」はヘブライ語で書かれた詩編の引用であるにもかかわらず、
イエスはアラム語で叫んだと伝えられていることに注目してください。
しかしマタイ福音書は、マルコ福音書を資料として用いているにもかかわらず、ヘブライ語の
「エリ・エリ・レマ・サバクタニ(マタイ27:46)」に変えています。
これはユダヤ教やヘブライ語に精通していた著者が、日常語のアラム語で書くのは野暮だと考えて、
ヘブライ語に変えてしまったのだそうです。

私は聖書が専門ではないので、信頼できそうな説を受け入れているだけで、本当かどうかは知りません。
参考までに提示しておきます。


カトリック教会では、伝統的にこの夜イエスさまの御降誕を祝います。
聖書の記事からは、イエスさまが真冬に生まれたのではないことがわかります。
けれども、闇の中に住む人に光であるキリストが与えられたことを象徴して、一年でいちばん夜の長い
この時期にイエスさまの御降誕を記念するのです。
イエスさまはあらゆる立場の人に与えられ、すべての人が大切な存在であることを教えています。
skさんも、エホバの証人研究さんも、不安の中におられるもんもんさんも、どんな状況の人でも、誰もが
神さまにとっては大切な大切な人です。みなさまおめでとうございます。


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