#701 2017年11月20日 17:13:20
- 聖書についての質問
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Re: アブラハムの神の限界
#702 2017年11月27日 17:20:53
- 聖書についての質問
- ゲストユーザー
Re: アブラハムの神の限界
いつものJW少年が夕方ごろやってきた。
「今週のものみの塔は“勇気を出し・・・行いなさい”というもので、勇気づけられる話でした。」
「どんな内容?」
「いつものとおり旧約聖書の人物紹介が半分くらいでしょうか。ヨセフはまた登場しています。人気者ですね。簡単にいうと、若い人は、高等教育を受けない勇気を持とう、大人は残業を断る勇気を持とう、会衆では、他の人の生活に厚かましく干渉する勇気を持とう、そんな内容でしょうか。」
「ものみの塔らしい記事だね。こういうのを毎週してほしいよね。しかし、それと旧約聖書の人物がどう関係するのか疑問だね。特にモーセの例は笑ってしまうよ。」
「11節の<多くの国の若い人たちは,高等教育を受けて高収入の仕事に就くようにという圧力を受けます。>の後の部分ですか?
<いずれの場合もモーセの手本は助けになります。ファラオの娘に育てられたモーセは,名声や経済的安定を求める生き方もできました。エジプト人の家族,教師,助言者から相当大きな圧力を受けたでしょう。でもモーセは圧力に負けず,勇気を出して清い崇拝を支持しました。>」
「モーセは何歳までファラオの所にいたか知っている?」
「使徒7:23によれば、40歳です。若くしてエホバに見出されたわけじゃないです。」
「40歳といえば、古代では初老の男だよ。若者向けの手本にはならないよ。その前の使徒7:22にはこうあるよ。
<モーセはエジプト人の知恵をことごとく教授されたのです。事実,彼は言葉にも行ないにも強力な者でした。>
つまり、モーセはエジプトの宮廷でその当時の高等教育を受けたエリートなんだ。それでエジプトの王や高官とも対等に渡り合えた。いまの統治体のメンバーとは大違いだね。」
「モーセを見習うなら、最高の教育を受けて、この世の指導者と対等に渡り合え、ですね。今の統治体は逃げ隠れしているだけですよ。」
「使徒7章は、ステェファノの最後の大演説だよ。この後石打の刑で死ぬわけだけど、ものみの塔の執筆者はこの使徒7章の内容をたぶん知らないね。だからこんな笑えるような記事を書けるんだよ。」
「出エジプト記に書いてあることしか、モーセのことは知らないのかもしれませんね。」
「それも疑わしいよ。出エジプト記7:7にはこうある。
<そして,ふたりがファラオに話した時,モーセは八十歳,アロンは八十三歳であった。>」
「スゴーイ老人ですね。ということは、ファラオのところから逃げて、40年間、もたもたしていたわけなんですね。」
「モーセがファラオのところから逃げた理由を知っているかな?」
「知っていますよ。モーセがエジプト人を殺し、砂に埋めたのですが、
<後にファラオはその事について聞き及び,モーセを殺そうと図った。しかしモーセはファラオのもとから逃げて行き,ミディアの地に住もうとした。>出エジプト2:15 」
「モーセは、勇気を出したのか、頭に血が上っただけなのかわからないけど、人を殺してしまい、今度は自分が殺されそうになったので逃げました、という話だね。名声や経済的安定なんか無理な逃亡者だよ。」
「でも、ものみの塔の記事では“モーセの手本は助けになります。”なんですから、確かに笑えますね。ブラックジョークですね。」
「挿絵は、ひょっとしてラハブなの?赤いドレスなのね。」
「そうです。ラハブって、勇気ある人なんですか?戦いで勝ちそうな方についただけじゃないですか。」
「そうだね。ラハブ自身もそんなことを言っているよ。でも聖書の中では信仰の人になっているけど。」
「ヨシュアは斥候2人をエリコの町に派遣しますけど、この斥候はまっすぐ遊女の家に行ってます。これはいいのでしょうか?」
「まあ、いいんじゃないの。ラハブの話は、二人の男がある町を訪ねて、ある家に泊まる。すると、2人の男を出せと要求される。その町は破壊されるが、2人を泊めた家のものだけは救われるという話。どこかで聞いた話と似ていない?」
「ロトの話ですね。ロトの家に来たのは、御使いですが。似ているのは偶然ですか?」
「ラハブは2人を逃がすとき“山地に行ってください”ヨシュア2:16という。御使いはロトに“あなたは山地に逃れよ!”創世19:17と言っている。」
「わかりました。同じようなせりふをわざわざ使うことによって、ラハブの話はロトの話と関連している、とほのめかしているのですね。」
「こういうのを引喩というのね。聖書にはこのような引喩がたくさんあるんだ、それに気づくと話の理解も深くなる。この場合は、ラハブはロトと比較され、ロトの決断力に欠けたぐずぐずした態度に比べて、ラハブの積極果敢な態度が際立つというわけだね。また、エリコの町がソドムの町と同じように罪深い町で、滅ぼされて当然ということをほのめかす効果もある。」
「エリコの住人はラハブ一家を除いて皆殺しですものね。ソドムと同じように悪い町なんですかね。」
「2人の斥候は、
<緋糸でできたこの綱を,わたしたちを降りさせたこの窓に結んでおき,あなたの父と母と兄弟たち,あなたの父の家のすべての者を,この家の中のあなたのところに集めておくようにしてください。>
といっているけど、これは何の引喩かわかる?」
「緋糸とは赤い糸ですよね。それでできた赤い綱を窓に結んで、家族の者はその中にいて、それ以外の人間は死ぬ。これは、エジプトの初子が殺された夜と似ていますね。戸口に子羊の血で印をつけた家にとどまっていれば安全だったという夜です。」
「そうだね。そのため綱は絶対に赤くなくてはいけなかったのさ。赤というのは血のほのめかしだね。どうやって赤く染めたか知っている?」
「赤い花か葉をつかったんじゃないですか?」
「虫の卵だよ。カイガラムシ科の木に寄生する昆虫の卵。赤い染料はとても貴重なものなの。アラブ名はケルメズで,英語の“crimson”(紅)はそこからきたんだ。英語の聖書ではscarletかred という語が使われているけど、crimsonにしてほしいね。暗い紫に近い赤ね。」
「ということは、ラハブが赤い服を着ていたということはありそうもないですね。ものみの塔の挿絵では赤い服を着ていますけど。」
#703 2017年11月28日 18:34:04
- 通りすがり
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Re: アブラハムの神の限界
聖書についての質問さん、いつも思考を刺激する記事をありがとうございます。
これらの記事は、正しい心を持つ証人に対しては力を及ぼすのではないかと考えます。
#704 2017年12月01日 21:05:13
- マタイ7:7
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Re: アブラハムの神の限界
聖書についての質問さんへ
死にたいと思っている人が死ねなくて、行きたいと思っている人が死んでいくのはなぜなのかな?
#705 2017年12月04日 17:12:20
- 聖書についての質問
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Re: アブラハムの神の限界
JW少年が、日曜の夕方にまたやってきた。
「今週のものみの塔は、“行いと真実をもって愛し合いましょう”というもので、感動しました。愛は行為で示さないといけないということですよ。」
「愛の行為といっても、使われている写真は、王国会館の清掃と建設作業だね。ものみの塔が求める仕事を、文句も言わずに無給でやりなさいということかな。」
「愛を示すというのはつらいですね。ところで、10節には
<イエスのように他の人を敬うには謙遜さが必要です。>
とありますが、“謙虚さ”のほうが適切じゃないですか?以前、ある人に、謙遜な方ですねと言ったら、そういう時は、謙虚な方と言うんだよ、といわれた事があるのです。」
「どちらかと言えば、謙虚のほうがよいと思うよ。自分の能力・地位などにおごることなく、素直な態度で人に接する人を、謙虚な人と呼ぶけど、謙遜な人とは言わない。謙遜って、卑下するという意味で、テストで100点取ったときに、“まぐれです”、というような態度のことだね。ある意味、嫌な態度だよ。謙遜は必ずしも美徳とはかぎらない。」
「なるほど。エホバの証人は謙遜な人を目指し、普通の人は謙虚な人を目指すわけですね。」
「それより、最初の節の愛についての説明がへんだよ。こうある。
<正しい原則に基づく愛(アガペー)はエホバからの贈り物です。エホバは愛の源だからです。(ヨハ一 4:7)これは最高の形態の愛です。>」
「どこがへんなのですか?」
「アガペーは新約聖書の中で143回出てくる。その使い方を見れば、正しい原則に基づく愛なんていう解釈は出てこない。アガペーはこんなふうにも使われている。
<世も世にあるものをも愛していてはなりません。>ヨハネ一2:15
<彼は悪行の報いを愛しましたが,>ペテロ二2:15
<デマスは今の事物の体制を愛してわたしを見捨て>テモテ二4:9 」
「悪いことを愛するときも、アガペーが使われているわけですから、アガペーは正しい原則に基づく愛とか最高の形態の愛だとはいえませんね。」
「近くの書店でキリスト教関係の本を立ち読みしたら、そう書いてあったので、ものみの塔にもそう書きました、という感じかな。大学生のレポートレベルだね。」
「絶対、立ち読みですね。それから、4節に、
<アベルは自分の持つ一番良いものをささげて,神への愛を示しました。(創 4:3,4)>
とありますが、創世記4:4には、<自分の羊の群れの初子の中から,その脂ののったところを携えて来た。>とあるだけで、一番良いものとは書いてないのですが?」
「そうだね。しかし、後の時代になると、初子というのが一番良いものという考えが出てくる。でも、人類2代目のアベルの時代にはそのような発想はないはずでしょう。」
「ものみの塔の表現は時代錯誤ということですね。エホバはなぜアベルの捧げ物を良いとし、カインの捧げ物は良いとしなかったのですか。聖書には理由を書いていませんね。」
「書いていないのは、カインとアベルの物語の本文がかなり失われたためというのが1つの説だね。理由が書いてあったけれども、何らかの理由で削除されたのではないかと言う推測だ。後の人からみると不都合なので削除したのかもしれない。」
「そんなことで削除しませんよ。」
「また、もともとは捧げ物に関する規則に関する話があって、アベルはそれに従ったが、カインは従わなかったという内容の部分があったが、その部分が失われたという説だ。捧げものの規則がないとしたら、なぜアベルが、わざわざ初子と脂肪を選んで捧げたのかわからないからね。」
「創世記4:8に、カインがアベルを殺そうとして<さあ野に行こう>というのですが、僕はこのせりふが好きなんですよ。嫌な奴がいると、“さあ野に行こう”と言うんです。でも、これは70人訳にからのもので、ヘブライ語の本文にはないのです。失われてしまったのですか?」
「なんともいえないね。その前の4:7は訳するのが非常に難しい部分として有名なんだけど、それは単語の幾つかが消えてしまったからと考えられている。アベルとカインの物語の元の文章は、かなり失われたと考える方が適切じゃないかな。」
「この部分ですか?
<善いことを行なうようになれば,高められるのではないか。しかし,善いことを行なうようにならなければ,罪が入口にうずくまっており,それが慕い求めているのはあなたである。あなたはそれを制するだろうか>
新世界訳だと意味がわかりませんね。」
「そうだね。」
「また4節で、ノアは、<義の伝道者>だったとペテロ二2:5の聖句を引用しているのですが、ノアがエホバの証人みたいな伝道をしたと思えないのですが、いかがですか?」
「新共同訳では、“義を説いていた”となっている。英語ではpreacherと訳すことが多い。新世界訳でも英語版はそうなっている。preacherは家から家の伝道はしないね。伝道者と訳すのは誤訳でしょう。元のギリシア語も伝令とかメッセンジャと言う意味で、王の命令を家臣や一般の人に知らせる人を指す。同じ単語はテモテ一と二に1回ずつ出てくるけど、新世界訳ではともに<宣べ伝える者>と訳している。それなのに、ノアの部分だけ<伝道者>と訳すのは、ノアをエホバの証人の先駆者に仕立て上げるためだね。」
「となると、ノアの場合だと、大勢の人が集まる場所に行って、時々洪水が来るぞと叫んでいたというイメージでしょうか。箱舟作りも忙しそうですし。」
「ディスプレイかもよ。洪水の絵が描かれているんだ。」
「次にアブラハムの例が出てきて、
<アブラハムは息子イサクをささげるよう命じられた時,強い葛藤があったはずですが,神への不動の愛を示しました。(ヤコ 2:21)>
とあるのですが、引用されているヤコブ2:21には愛という単語はでてこないんです。インチキ引用でしょうか?」
「イサクの犠牲の話は、信仰の話でしょう。愛に強引に結びつけちゃったんだ。」
「アベル、ノア、アブラハムを、愛の例として出すのはあまり適切じゃなかったと言うことですね。」
#706 2017年12月11日 17:02:22
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Re: アブラハムの神の限界
#707 2017年12月11日 19:05:19
- またい7:7
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Re: アブラハムの神の限界
献体する人送った。ちょっと淋しかった。神は見ているのかな?
#708 2017年12月11日 22:01:22
#709 2017年12月11日 22:46:27
#710 2017年12月13日 15:16:15
#711 2017年12月13日 16:06:51
#712 2017年12月18日 13:41:42
#713 2017年12月18日 16:23:49
- ゾンビー・チョッパー
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Re: アブラハムの神の限界
#714 2017年12月18日 17:07:53
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Re: アブラハムの神の限界
#715 2017年12月22日 11:31:28
- ジョエル
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Re: アブラハムの神の限界
#716 2017年12月25日 17:05:05
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Re: アブラハムの神の限界
近所のJW少年が、マスクをして、夕方にまたやってきた。
「今週のものみの塔は、“兵車と冠はあなたを守る”で、先週よりはトンデモ解釈が出てきて、多少面白かったです。」
「クリスマスイブなのに風邪をひいたの?ケーキでも食べたら。どんな内容?」
「ゼカリヤの8番目の幻の解説です。二つの山の間から4台の兵車が出てくる幻です。その前に、まず、ゼカリヤ6:15を引用しまして、<必ずそうなるのである ― あなた方があなた方の神エホバの声に確かに聴き従うならば>と力強く始まります。感動的ですね。」
「なんかへんだな。新共同訳をみてみると、こうなっているよ。
<あなたたちがひたすらあなたたちの神である主の声に聞き従うなら、万軍の主がわたしをあなたたちに遣わされたことを知るようになる。 > 」
「“必ずそうなる”という力強い言葉がないですね。どうしてですか?」
「そんな言葉は元の文にはないからさ。6:15は文としては途中で終わっている。それで意味が通るように、訳する人が言葉を補ってきたわけ。英語圏では昔から、this shall come to passとか this will happen と付け加えてきたの。新世界訳を作った人の中には特別な学識経験者は1人もいないので、昔からある英語の聖書をみて、真似したんだろう。新世界訳の英語版では、“it will occur”だね。それを日本語で“必ずそうなる”と誤訳したわけだ。」
「正しく訳せば、“そうなるだろう”くらいですか。日本語に翻訳した人って本当に無能ですね。となると、ものみの塔19節にある、<清い崇拝に関するエホバの目的は「必ずそうなる」のです。>という力強い宣言は日本語版だけなのですね。」
「英語版では、<Jehovah’s purpose regarding pure worship “will occur.”>。」
「聖書の中に未完成の文ってあるんですか?」
「よくあるよ。翻訳の際に不十分な部分を補うので気づかないだけさ。1つの文が丸ごと消えていると思われるところもある。今週のものみの塔で取り上げられているゼカリヤの6章にもあるよ。」
「わかります。6:6ですよね。赤い馬がどこに行ったのか書いてないです。黒は北、白は西、ブチは南とありますから、赤は東に行くはずなのに、書いてないですね。」
「元は、赤い馬は東に行ったという文があったのでは、と推測されている。でも白馬は西に行ったかどうかはわからない。“それらの後に”行ったとしか書いていないからね。」
「新世界訳では、“海の後ろに向かって”としていますが、意味が通るように本文を変えて訳しているわけですか?」
「そのとおり。海の後ろとは地中海方面のことで、エルサレムから見たら西と解釈できるだろう。聖書は神の言葉と言っているけど、ものみの塔も勝手に本文を変えていることがわかるね。」
「第8の幻に二つの山が出てくるのですが、ものみの塔によると、<1つはエホバの永続する宇宙的な支配権を表わし,もう1つはイエスを王とするメシア王国を表わしています。> 期待どおりのぶっ飛んだ解説です。うれしいです。」
「確かに、何の根拠もない、トンデモ解釈だね。山は山なんじゃないの。元のヘブライ語では山と言う単語に定冠詞がついている。英語で言えばtheね。だから特定の山を指しているという解釈が昔からあるよ。ゼカリヤはエルサレムにいるみたいだから、シオンとオリーブ山を指しているという解釈だ。ゼカリヤの2:10には、
<シオンの娘よ,声高らかに叫び,また歓べ。今わたしは来て,あなたのうちに住むからである」と,エホバはお告げになる。>
とあって、神様はシオンにいることになっているからね。その辺から4つの兵車が出てくるという設定なのかも。」
「そうですか。その山は銅でできているのですが、それは<エホバの宇宙主権とメシア王国の卓越性を際立たせています。>と解説しています。」
「それなら、その卓越性は金や銀には及ばないので銅になった、とからかわれちゃうよ。初歩的なことだけど“銅”という訳はおかしいよ。新共同訳では“青銅”。英語の聖書ではbronze(青銅)かbrass(真鍮)だね。青銅は銅と錫などの合金のことで、こちらの方が適切。銅100%だとやわらかすぎるよ。新世界訳を作った人はその程度の知識もないのだろうね。10円硬貨でも銅95%の青銅だからね。それにしても、宇宙主権という奇想天外な言葉が好きだね。」
「銅の山は何を意味しているのでしょうか?」
「長くなるから、次に行こう。」
「その続きとしては、冠を作って、大祭司ヨシュアにかぶせろと言われるのですが、ものみの塔によると、そのヨシュアは、<将来,永遠の王また祭司となる者を預言的に表わしていました。王とされる大祭司の名は「新芽」です。聖書によれば,新芽とはイエス・キリストのことです。(イザ 11:1。マタ 2:23,脚注)> そして、<キリストは間もなく,神の主権を支持してエホバの民を守るため,諸国家を征服します> エホバが大好きな大虐殺ですね。」
「もういいよ。まず“新芽”とはなにか。引用されているイザヤ11:1はこうだね。
<そして,エッサイの切り株から必ず小枝が出る。その根から出る新芽はよく実を結ぶであろう。>」
「エッサイはダビデの父で、エッサイの切り株とは、切り倒されたダビデ王朝のことで、将来枝が出て新芽を結ぶというのは、ダビデ王朝が復興すると言っているわけですよね。」
「新芽はダビデの血を引くものというだけで、イエス・キリストとは限らない。それがイエス・キリストのことだと言うのはキリスト教的偏向だね。ゼカリヤの言う新芽とは、ダビデの子孫である総督ゼルバベルだ。ゼルバベルという名の意味は“バビロンの種”。種から芽が出るというわけだね。一種の言葉遊び。ところが、ゼルバベルは消えてしまう。どうなったかわからない。ペルシャ側によって辞めさせられたんじゃないかな。」
「それで、後で、ゼカリヤ書からゼルバベルの部分を削除した、ということですか?」
「ゼカリヤと同じ時代に活躍したハガイは、ハガイ書2:21、22の中でこう書いている。
<ユダの総督ゼルバベルにこう言うように。『わたしは天と地を激動させようとしている。 また,わたしは必ずもろもろの王国の王座を覆し,諸国民の王国の力を滅ぼし尽くす。>
そして、2:23では、
<『その日に』と,万軍のエホバはお告げになる,『わたしはあなたを召す,わたしの僕,シャルテルの子ゼルバベルよ』と,エホバはお告げになる。『わたしは必ずあなたを印章指輪として据える。>
つまり、これはペルシャ帝国が崩壊し、その過程で、ゼルバベルが王になると言う預言なんだ。ダビデの血を引くゼルバベルに対する期待が相当あったことがわかるよね。」
「当然、ペルシャ帝国としては、ゼルバベルを危険人物と見なして、暗殺あるいはどこか遠くに飛ばすことぐらいしますよね。それでゼルバベルは突然消えしまう。ハガイの預言は大はずれになったわけですね。」
#717 2018年01月01日 17:11:24
- 聖書についての質問
- ゲストユーザー
Re: アブラハムの神の限界
#718 2018年01月03日 15:58:04
- ニューリッチ
- ゲストユーザー
Re: アブラハムの神の限界
いつもながらすごい知識量に驚かされます。オズの魔法使いの主題歌までカバーしているとは! 今後ともよろしくおねがいします。
#719 2018年01月03日 17:34:36
#720 2018年01月03日 21:37:05
- 恐怖独裁体制
- ゲストユーザー
Re: アブラハムの神の限界
#721 2018年01月03日 21:39:48
#722 2018年01月03日 22:29:50
#723 2018年01月03日 22:40:41
- 恐怖独裁体制
- ゲストユーザー
Re: アブラハムの神の限界
irisさん
組織というより、上司に対する完全な従順と言った方が的確かもしれませんね。
日本支部の成員は支部内の権力者には提言なんてできず、はたまた日本支部のトップも米国の世界本部には頭が上がりません。
変なことしてるとときどき本部から問題是正を命じられたり、人事を変更されたりはしますが。
ブラック企業も顔負けの縦社会ですので、下の者から上の人への提言なんて恐ろしくて誰もできません。
まあ、組織自体も「神権統治」という名のもとに縦社会であることは公認ですけどね。
エホバ > イエス > 統治体 > 支部委員 > 支部の奉仕部門 > 巡回監督 > 会衆の長老 > その他の成員
この逆で組織のやり方に意見を述べるなんて、排除の対象になりかねないので基本あり得ません。
#724 2018年01月03日 22:52:55
#725 2018年01月03日 23:01:03
- 恐怖独裁体制
- ゲストユーザー
Re: アブラハムの神の限界
エホバもイエスも誰の目にも明らかな発言なんてないですもんね(統治体は霊感による導きを受けていると言っていますが…)。
このあたりも、天皇陛下の名を騙って自分の意見を押し通した旧日本軍を彷彿とさせます。
本当は天皇陛下は何も言っていないのに、その名を騙って出された指示が独り歩きし、末端の国民は盲目に従うのみ…。
いや、ホント笑えません…。