#5 2017年09月12日 20:46:24
- さやか666
- ゲストユーザー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
#7 2017年09月12日 23:57:08
- さやか666
- ゲストユーザー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
サンタクロースについてさらに書き込みますけれど
毎週人を集めて大真面目にサンタクロースの話をする男は世界で何人いるでしょうか
その点カトリックの神父は違いますよね、現時点でも世界中に大勢いるはずです
いろんな職業があるとはいえ、自身が信じてもいないことを大真面目な顔で皆に伝え続けるのって辛いと思いますけど
少なくとも教会では大切な教えを知っているかの如くそれらしくふるまうのではないでしょうか
そういえば懺悔室って今でもあるのかな・・・
#12 2017年09月14日 01:07:56
- さやか666
- ゲストユーザー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
(ひとりひとりの「素朴な宗教心」を大切に包み込んで守るのが本来の宗教組織のあり方)
美しいフレーズですね
今の時代だから思いつくフレーズかもしれませんが
#16 2017年09月14日 20:46:36
- ガリレオくん
- メンバー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
ささらさん
しばらくおられなかったので心配してましたが・・
大変でしたね、私も以前に事故で突然に祖父を亡くした経験があって、現役時代でしたが
ニュースで知って現実を受け入れるのに時間がかかりました。
突然いなくなるとまだどこかしらに生きてるんじゃないかって感覚になります。
生きてる以上、年を重ねるごとに避けられない現実に向き合わなければならないのは残酷ですが
これが現実なんですね・・
心の空白を宗教が埋めてくれるなら(救い?)それはそれで存在する価値はあると思います。
Jの経験上、ウソの上に成り立つものであるなら断じて受け入れることはありませんが・・
どうお声掛けしたものか迷いますが、ささらさん頑張って下さい。
オフライン
#19 2017年09月17日 00:48:50
- iris
- メンバー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
皆さまこんばんは。
先日、宗教の質や付き合い方について書き込んだのですが、翌朝になって読んでみたら、自分の言いたいことがうまく伝わらない気がしたので、一旦削除しました。
さて、宗教の教義の本来の役割は具体的な行動の善し悪し(道徳)を決めることではなくて、世界や人間をどのようなものと考えるか、よい生き方とはどのようなものか(思想)を示すことだと思います。
道徳(行動規範)は時代や地域によって変わるものです。しかし、宗教を支える思想は、それほど変わるものではありません。
ものみの塔が証人たちに押し付けている行動規範のほとんどは、反社会的なものではありません。ですから、道徳という面ではあまり問題がないように見えます。
しかし、そのような行動規範をハルマゲドンや排斥で脅すことによって守らせようとしているところに、大きな問題があります。
子どもをしつけるのに、「怒られるからやめなさい」というのは、子どもが肝心なことは何も学ぶことができない、いちばんまずいやり方です。
ものみの塔は大人に対してもそのまずいやり方を押し付けています。つまり、「滅ぼされたくなかったら統治体の命じるとおりに行動せよ」というわけです。宗教としての質が悪くてまともな思想がないから、そうするしかないのだと思います。
編集者 iris (2017年09月17日 01:05:43)
オフライン
#21 2017年09月17日 17:15:18
- ユーリ
- メンバー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
ささらさん、irisさんこんにちは。
私は別の角度から、考えてみました。
孤独に子育てをしている人に必要なのは「宗教」ではないというのは、この掲示板を見ている人だれもが同意されるでしょう。
この場合、救いとなるのは専門機関です。
それぞれ個別の問題にはそれの専門家、研究機関からの情報や助けが得られるのがベストでしょう。
もちろん現在すべての人がその助けを得られるわけではありません。ですが筋違いな受け皿である宗教の存続に払う努力をするよりも、正しい知識を得られるようにする方がよりよい対策なのではないでしょうか?
今宗教が実際に存在してしまっているので、それから利益を得ている人がいる限り、あらゆる努力を払って信者を増やしていくでしょう。
しかし研究者の努力によって、宗教に頼らなくてもよくなってきつつあるのが現状です。
カレブさんの言うように宗教離れも進んでいます。よい傾向だとおもいます。。
気をつけなくてはいけないのが、irisさんがおっしゃるように宗教に関しての知識がないことです。
次に最近読んだ本から、興味深い点を一部抜粋します。省略はしておりますが内容は変えていません。
著者は、エリエザー・J・スタンバーグ イエール・ニューヘイブン病院神経科医。
編集者 ユーリ (2017年09月17日 17:20:31)
オフライン
#22 2017年09月17日 17:19:11
- ユーリ
- メンバー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
ロバートは47歳の時に交通事故にあい一命を取り留めたが、右側頭葉の頭蓋骨骨折と頭蓋内損傷により後遺症が出るようになった。家族の説明によると、まず空虚を見つめ表情がうつろになり、そのあと突然体をよじり頭を激しく左にひねる。その後、床に転がって痙攣し始め、背中をそらし、手足を激しく振り回す。やがて発作がおさまると普通に戻るという。
しかし、本人が発作の体験を説明すると、まず、どこまでも広がる天国の”美しい光”が左側から差す。穏やかで安らかな気持ちになり、「悪いことは起こらない」とわかっている。まもなく光が形をとりはじめ、空へ続くトンネルをなす。
魂はそのトンネルに入り、上へ上へと進んでいくと、天使のような姿が見える。
その天使が「ロバートあなたが来る時ではありません!」と声をかける。突然、炎の槍が胸に突き刺さる。だが、驚くことに痛みはなく「無条件の愛」だけを感じる。一連の”体験”から「神は私を愛していることを確信した、ロバートはそういっている。
いうまでもなく、これは神との邂逅である。とほうもない話に感じられるかもしれないが、奇妙なことにこうした話を最初にしたのはロバートではない。のちに研究者は、ロバートの見たものがローマカトリックの教会の聖人・神学者であるアヴィラのテレサによる1595年の記述と類似していることを発見した。
「私は左側のすぐ近くに肉体をもった天使の姿を見た。その天使は大きくはなく、背が低くて、最高に美しかった。最上位の天使であるかのように顔が燃えていた。手に長い金の槍を持っていて、鉄製の先端が小さな炎のように見えた。その槍をときおり私の心臓や腸に突き刺した。そして、槍と一緒に内臓も引き抜くと、私は神の大きな愛で燃えていた。」
ロバートの体験は、アヴィラのテレサtの体験とほぼ一致する。どちらも左側に光を見て、天使に会う。そして、炎の槍で胸を疲れているのに、痛みではなく神の深い愛を感じる。
ロバートはローマカトリック教徒として育ち、ハイスクールで宗教教育を受けたとはいえ、アヴィラのテレサについては聖人だということくらいしか知らなかった。精神疾患の既往もない。最近受けた心理評価の結果も正常だった。しかし、MRIの結果では、炎症のため右側頭部に軟化が見られた。さらに、脳波も同じ領域に異常波が出現した。脳の右側で発作が起きたため、左側に幻覚が現れたのだ。かくして、ロバートが”神の啓示”だと感じた出来事は、側頭葉の異常活動に過ぎないと、精神科医は結論を下した。
神経学では、「ハイパーリリジアシティー」という言葉は、側頭葉てんかんの患者に発言しうる症状を表す。側頭葉てんかん患者の1~4%が、たいていロバートがみた幻覚と似たような宗教的出来事や目覚めを体験する。発作の影響が前頭葉にまで及び、行動に持続的な影響を与え、教義を実践する敬虔な信者になる場合もあるようだ。
たとえば、フィンセント・ファン・ゴッホは側頭葉てんかんのすべての症状を有し、キリストの復活など多くの宗教的な幻覚を見ていた。
側頭葉のそれらの脳領域に電気パルスを送ることで、霊的体験を誘発することに成功している。
編集者 ユーリ (2017年09月17日 17:40:41)
オフライン
#23 2017年09月17日 17:24:02
- ユーリ
- メンバー
Re: 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか
次にアリソンの症例です。
超自然的なものを信じていない、ごくふつうのアリソンという22歳の女性は7歳のときからこの側頭葉てんかんをわずらっていて、その治療(神経科医の治療が効かなかったため、外科治療が検討された)上の研究実験で(本人の許可を得て)、発作活動の測定をするため、100個以上の電極を頭皮に装着し、過度に活発なニューロン活動を誘発した。
アリソンは、電気パルスを受けた直後、それまでいなかったはずの”誰か”が部屋にいるような気がした。彼女はその存在を「影」と表現した。性別はわからないという。
「その影はどこにいますか?」研究者が尋ねた。
「私の後ろにいます。すぐ近くにいるけれど、体は触れていません」彼女は答えた。
ふたたび電気パルスを送ると、アリソンは身震いした。今度は影が隣に座っていて、彼女の腕をつかんでいるという。
次に、研究者はアリソンに課題を与える。単語をの書かれたカードをいくつか読ませた。その間に、みたび電気パルスを送った。すると、影が戻ってきて、またアリソンの隣に座った。「カードを取り上げようとしています」アリソンはいった。「私に読ませたくないみたいです。」
これらの実験から、側頭葉を正確に刺激すると、すぐ近くに他者の存在を知覚する。この奇妙な感覚に直面すると、脳は説明を求める。アリソンは自分が実験中であることを知っていたために、影に神秘的・超自然的な意味を与えなかったが、「影が側にいて、カードを読ませたくない」というストーリーを作ってしまった。
同じ刺激が自然に発生したら、同様に影を知覚すると、脳はやはり説明を求めるが、はっきりしたものはない。ロバートは、子供のころにカトリックに通っていたために、脳はそこに答えを求めたのかもしれない。無意識に幼少期に学んでいた聖テレサの物語に飛びつくかもしれない。そして気配の正体は、神の愛を教えに来た天使となる。一方、宗教心がなければ、アリソンのように単なる影だと感じるだろう。
脳内の無意識のシステムは、単純かつ論理的なシステムである。誰もいない部屋で誰かの気配を感じるというような、表面上、矛盾する刺激を感知すると、手元にある情報でできる限り最高の物語を作る。
私たちが見たり感じたりしたものの顕著な特徴を識別し、奥深くにある記憶や信念、希望、不安を探ってパターンを見つけ、満足のいく説明を考え出そうとする。意味を捜し求めるのだ。
そうして、知覚をひとつの物語にすることで、脳は人生経験を構成する。
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