#626 2017年08月10日 08:28:57
#627 2017年08月10日 08:30:05
#628 2017年08月10日 08:31:24
#629 2017年08月11日 15:39:07
#630 2017年08月12日 15:59:42
#631 2017年08月13日 19:06:16
- iris
- メンバー
Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~
ラハムさん、お返事ありがとうございました。
また、興味深い記事もありがとうございます。
おそらく、カレブさんをはじめとして、ここでキリスト教のことを悪い宗教だと思っている方々は、キリスト教というのは不寛容な宗教だと思っているのではないかと思います。
最近までの多くのキリスト教の態度は、まさに不寛容なものでしたから、それも仕方のないことです。
しかし本来のキリスト教は、不寛容になってしまったユダヤ教を厳しく批判したイエスの精神を受け継ぎ、「愛は寛容にして慈悲あり(一コリント13章4節)」と教えているはずです。
自分はクリスチャンであるとお考えの証人の皆さん、このことを忘れないようにしましょう。
ちなみに私は高校を卒業するときに、この13章4〜7節(文語訳)を学校の文集に書きました。
その頃はキリスト教のことなどほとんど何も知りませんでしたが、これこそが神の愛であり、私たちの目標とする姿勢であると思う気持ちは今も変わりません。
オフライン
#632 2017年08月13日 22:35:23
- 1,000時間奉仕者
- ゲストユーザー
Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~
(#633~)
わ~アーカイブだ、バッジが黄ばんでるのも時代を感じさせますね~。
あったあった、30円✕10枚のチケットシート。あれ、運営資金の前借りでしたね。
私も1976年からのプログラムとバッジ、ファイルブックに入れてずっと持ってます。
が、一昨年でファイルがいっぱいになったのを機に、保管するのをやめました。分厚くなったその束をしげしげと見て、「こんなに時間が経っちゃったんだなぁ、新しいファイル買って、それもいっぱいになるまで待ち続けるのかなぁ」と思ったらゲンナリしてしまったのです。その直後の引越のときにどこにしまったか分からなくなってしまいました。この自宅のどこかにはあるはずですが……
もう収集の意欲は湧きません。20年いや、もっと前くらいから会場名と講演者名が載らなくなり、全国どこの大会もまったく同じことしか書いてませんから。ってことは、昔は大会ごとにちがうレイアウトのプログラムが刷られていたんですね。古いプログラムに載っている講演者名を眺めていると、「この兄弟、早くから出てたな」「あの人もこの人ももう死んじゃったな」みたいな “追悼” の気分になったものです。
「大会プログラムもPDFで手に入ります、会場に紙製のもありますが、できるだけ電子版をご利用ください」と発表されています。会場入口で案内部門がプログラムを手に「おはようございます、ようこそ」とにこやかに出迎える光景は、省かれるべき「ムダ」とみなされたのでしょうか。まぁエントランスをできるだけ閉じて冷房をよく利かすためには有効であるのは確かですが(笑)
>宣伝用シール
これを私は覚えていないのですが、「ポスター」なら受け取りました。自宅が持ち家や自分の自由になるところに住んでいる成員に勧められていたのですが、例えばウチはちょうど住宅街のブロックの角っこで、通るクルマや歩行者からよく見えるいい感じのブロック塀に囲まれていたので、未信者の父にOKをもらって大会ポスター(選挙ポスターサイズ)を大会前2週間くらい貼ったのです。あまり何年もは続きませんでしたが、何かトラブルでもあったのかな?
#633 2017年08月14日 16:29:15
#634 2017年08月18日 13:56:09
#635 2017年08月19日 15:11:18
#636 2017年08月19日 15:19:30
#637 2017年08月19日 15:24:15
#638 2017年08月19日 15:48:46
#639 2017年08月20日 19:58:17
#640 2017年08月22日 16:50:10
#641 2017年08月29日 11:42:36
- 鬼太郎
- メンバー
Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~
NTライトも中澤先生も、学者として最高の謙虚さを持たれていますね。
ラハム兄弟 是非引き続き投稿されて下さい。
反響が少ないのは、投稿しようがないからです。
あまりにも正論のため、また自身のJW時代の解釈や学びの無意味さを実感するためです。
振り返れば、研究生時代からJW現役時代まで、二十年以上に渡って、
旧約聖書の物語にJW流の予言解釈をこじつけて、それを真に受けて聖書に書き込んだものです。
なんだか、、、自分がアホに見えてしまいます。
反論すれば自身が恥をかくだけですから、、、。
さらに、中澤先生がご自身の教派を批判し、NTライトを勧めているため、文句をつけようがないのです。
オフライン
#642 2017年09月03日 07:40:26
#643 2017年09月03日 09:28:33
#644 2017年09月03日 09:50:45
#645 2017年09月04日 09:42:51
#646 2017年09月04日 13:11:44
#647 2017年09月08日 16:00:54
- ラハム
- メンバー
Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~
聖書を物語として読むことを知り、
しばらくしてからすべての記録が物語であり、
歴史を正確に記述して記録することが
不可能であることに気づきました。
一例として自分史があります。
わたしは40歳を過ぎてから30年以上前、
施設で生活していた7年近くのことを
原稿用紙で320枚以上書いたことがあります。
誠実さを込めて正確な記述になるよう挑戦したのです。
それから10年以上経過して、
当時の事情を知っている関係者と話し合うチャンスがあり、
確認してみるとわたしの思い込みや
間違いも多々記述されていたことがわかりました。
7歳からの記憶をたどったのですが、
幼いこともあって、名称が不明のことや、
起きた出来事の意味もわからないことがありました。
重要だと思うことは、その施設でわたしの身に
起きていたことと同時進行で生じた出来事は多くあり、
ひとりの人間の能力では把握しきれないということです。
だから、自分に起きた出来事を思い出し、
何を記述するのか取捨選択する必要がどうしてもあります。
個人に関することでも正確に記録することは
不可能なのですから、まして世界の歴史などは
とうてい不可能なことでしょう。
ですから、伝えたいということを
物語にして残すほうが優れていると思いました。
最近のわたしは、ニュースでも報道番組でも、
伝達者が伝えたいという情報を取捨選択して、
物語風に伝えていると考えるようになりました。
けっきょく出来事のすべては伝えられないので、
それぞれの人が必要だと判断したことを
情報媒体を用いて記録する以外にないのだろうと思います。
たぶん、聖書もそのようなものでしょう…。
実に、イエスの行われた事はほかにも多くあるが、
仮にそれが事細かに記されたとすれば、
世界そのものといえども、その書かれた巻き物を
収めることはできないであろうと思う。
-ヨハネ21:35
オフライン