#576 2017年04月27日 18:03:34
- ラハム
- メンバー
Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~
わたしは「組織」より「聖書」が上だとずっと思ってきました。
組織の聖書解釈が正しいと考えることができればです。
最終的にはネットを見るまで
組織の聖書解釈が正しいと思っていたのですが、
組織からもたらされる情報以外は取り入れる
チャンスが無きに等しかったようです。
もう30年近く前、東京は神田にあるキリスト教関連の
ブックセンターで排斥だったか断絶だったかした兄弟の
経験した記録をこっそり読みました…。
目がくらくらしてしばらく自分がおかしくなった覚えがあります。
現役さんには禁書ですからね…。
でも、わたしはずっと思っていたんです。
こんなにすばらしい真理をどうして捨てて、
組織を離れていくんだろうって。
まさか、直接聞くことはできないし、
ちょうど目の前にあったんですね…。誘惑に負けたんです。
これから20年近くなって脱塔です。
今になると、その記録の意味がよくわかりますね…。
オフライン
#577 2017年04月27日 22:32:25
#578 2017年05月01日 19:16:22
- ラハム
- メンバー
Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~
きょうであれから40年がたちました。
大会ホールで正式にバプテスマを受けた日なんです。
当時は一度の巡回大会で、20,30人ぐらいはいました。
いまは、まったくいない大会もあるそうだから、
話し手は自分を励ますのに大きな信仰がいりそうです。
喜びに満たされ、人生において最良で最高の決定を
下した日になるはずでした。
しかし、振り返ると最悪で最も愚かな決定を実行したのです。
最初の二年間ぐらいは高揚したハイな気持ちが維持できました。
それ以後は自分の置かれている立場の処遇の理由も
教えてもらえずもんもんとした歳月を
費やすことになったのです。25年以上は続いたでしょう。
だが、そのような立場にならなければ、
障害の身で独立した生活に挑戦せず、
ずっと実家にいることになったので人生を歩む
厳しさを知ることはなかったと思いますから
それなりに有益なところも認めることができます。
ただ、偽りにまみれた
宗教に関わってしまったことを悔やみます。
最近知り合うことになった覚醒した一兄弟も
バプテスマを受けることがなければ、
これほど複雑な事情を抱えることはなかったと
後悔の念を話していました。
悪いことばかりではありませんでしたが、
罪な宗教と関わってしまったものです…。
編集者 ラハム (2017年05月01日 19:18:00)
オフライン
#579 2017年05月02日 16:58:26
- ボブno1
- ゲストユーザー
Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~
2017年2月研究第四記事26ページ12,13節の記事で統治体は霊感を受けているわけでも、完全であるわけでもありません。………13節で聖霊を受けている証拠について、書かれていますが、霊感は聖霊のなかの一つの働きで有るにも係わらず、霊感を受けていないと述べて統治体自体が自分達が聖霊が注がれていないことを暴露していることになります。でも、誰も会衆の人々は気付きません。若い兄弟に 使徒の聖句とぺテロ第二1:20,21を調べる様に勧めましたがなにも疑問をいだきませんでした。本当に聖書を調べていない事が解ります、組織崇拝者に成ってしまっている、鵜呑み集団ですね。
#580 2017年05月02日 17:18:34
- 1,000時間奉仕者
- ゲストユーザー
Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~
>ラハムさん
そうでしたかー、Happy Baptism! と言ってあげることもできず、無念です。
巡回大会の出席規模だとそんな感じで、私のように ‘80年代の地域大会だと地方の一大会でも100人越えなんてザラでしたね。順番が後のほうの姉妹たちとか(昼食休憩が短くなるので)観客の人数が少なくなっちゃって可哀想(笑)。大会後の会衆の奉仕会では新人のインタビュー。私の同期は5人でした。
おっしゃるとおり、「話が始まりますよー、バプテスマ希望者の皆さんは最前列にいらっしゃーい」と繰り返しアナウンスされても結局ゼロ、という大会が珍しくありません。世も末。
でもその2、3人しか行進しない希望者の列を目で追いながら、私は不思議と頼もしい気分も感じていたりします。彼らは我々の時のような、熱に浮かされたような一時の感情でジャブンするのではないに違いない。自分と同期でバプテスマを希望する「仲良し」がいなくても、少子高齢化で活気がなくなった集会にも出席し続け、追い立てられるように数ヶ月や1、2年で決定を下したわけでもあるまい。会衆内の汚点もそれなりに見た上でそれでも献身に踏み切った人々。
少なくとも「自分で下した自分の決定」と、後で振り返ったとき言えるのであれば妙な後悔はしないですむのでは、と。それがたとえ「しまった、ここは盲点だった!」と気づくことがあったとしても。
>ボブさん
ほんと、あの研究記事は意味不明でした。私は絶対「塔」研究に出席できない世俗の仕事なので、毎回後ろめたさを感じつつ働いていましたが、読めば読むほどあの記事の討議には出席しなくてよかったと思ってます。もし注解すればするほど自己矛盾と闘わなければならなくなるから。
#581 2017年05月05日 17:46:23
#582 2017年05月08日 16:46:03
- ラハム
- メンバー
Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~
#581の続きです。
-18 (2)-
第二章 聖書について 私たちにとっての各幕の読み方と意味
3. 物語におけるクリスチャンの位置
第四幕(新約聖書の福音書)は、イエスの活動を明らかにしています。
イエスは「イスラエルのクライマックス」として、
さらに第五幕の「贖いの基礎」として行動されました。
贖われたクリスチャンは、イエスが語られたメッセージを
直接そのまま行動のモデルにすべきではありません。
現代の私たちは、パレスチナの地に住んでいるわけでも、
イエスの直接の弟子でもありません。
例えばイエスは、「異邦人の道に行ってはいけません。
サマリア人の街に入ってはいけません」(マタイ10:5)と、
十二弟子に命じられました。しかし、イエスの命令だからといって
それを守る必要はありません。復活されたイエスは、
「あらゆる国の人々を弟子としなさい」(マタイ28:19)と、
その命令を打ち消されたのですから。
イエスが語られた「神の国」の譬え話は、
第五幕の舞台を予告したものであり、
第五幕のクリスチャンが聞くべきメッセージでした。
第五幕(新約聖書の手紙など)は、私たちに向けて語られたものです。
むろん、一世紀のクリスチャンに語られたことも事実ですので、
その脈絡の中で有効なものとそうでないものとを見分ける必要があります。
またクリスチャンが新約聖書と旧約聖書の扱い方を違えるのは当然のことです。
第五幕の最後の場面、週末の世界を見据えながら歩んでいきます。
そこに神殿はなく、神からの直接の御声を聞くことでしょう。
もはや聖礼典はなく、聖書さえ読まれることはない世界です。
クリスチャンは、
第一幕の創造から第五幕の教会に至るまでの出来事を的確に把握し、
その展開に沿いながら自らの歩みを正していくことが大切です。
聖霊の導きと祈りの助けを神からいただきながら、
仲間の中で調和を保ち、自由かつ創造的に、
自ら与えられた使命を果たしていくことを求められています。
オフライン
#583 2017年05月11日 15:59:52
#584 2017年05月11日 16:48:54
- ラハム
- メンバー
Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~
これまで何回かに分けNTライトの聖書説明を投稿させていただきました。
それは原稿となるコピー文書から文字入力したのもでした。
テキストデータを手に入れられなかったのです。
でも、それは時間的、体力的に無理だったようです。
そこで、ファイルをネット上に置き、
どなたにでも見ていただけるようにしました。
著作者の中澤氏からはどのような方法で広めてもよいと
許可をいただいています。
長い文章を一度に読むことはたいへんな努力が必要です。
JWで長いこと生活されてきた方は、大いなるバビロンと教えられてきた
教会のホームページを見ることには躊躇もあると思いました。
一ページずつURLを表記しますので、じっくりご覧ください…。
#597表記のリンクは#596の続きで、19ページ目です。
ちょっと重いファイルで表示されるのに時間が必要かもしれません。
わたしのパソコンでははっきり表示できましたが、
閲覧できなかったら、ご連絡ください。
オフライン
#585 2017年05月13日 16:55:14
#586 2017年05月13日 19:18:51
#587 2017年05月16日 14:35:19
#588 2017年05月20日 16:55:10
#589 2017年05月22日 12:30:38
#590 2017年05月22日 18:10:29
#591 2017年05月22日 21:44:29
#592 2017年05月26日 13:52:49
#593 2017年05月26日 14:33:28
#594 2017年05月27日 02:51:35
#595 2017年06月03日 17:32:36
#596 2017年06月05日 15:33:58
#597 2017年06月08日 17:09:50
#598 2017年06月08日 17:11:19
#599 2017年06月09日 14:27:11
- 三太郎
- ゲストユーザー
Re: 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~
「生きている者は自分が死ぬことを知っている。しかし,死んだ者には何の意識もなく、彼らはもはや報いを受けることもない。なぜなら、彼らの記憶は忘れ去られたからである。」(伝道の書9章5節)
この聖句を事実と捉えてしまうと、JW教義のような害毒の強い教義に発展し、恐怖に煽られ、それに振り回されることになります。
今では個人的には、この聖句にはかなりやられたなあ、という思いしかありません。
聖書というフィルターを通して全てを見てしまうと、現実世界が歪められて映るということに、脱党後はっきりと気が付きました。
我々は現実の世界に生きているのであって、聖書の中で生きているわけではない。
こうしている間にも、人間活動や自然界の営みは粛々と続けられています。
現実世界における事象をよくよく考察すると、聖書では説明がつかないことが多々あります。
また今の科学でも説明がつかない事象も現実としてあります。
一方、森羅万象の中には明らかに摂理が感じられます。
聖書が古くからこれほど広く世界中で読まれているのは、背後に何か特別な力が働いていると考える人が多いようですが、これは錯覚に過ぎないと思います。キリスト教社会の宣伝活動の成果であり、車や携帯電話が世界中で使われているのと大して変わりません。
聖書は世の中にたくさんある人生の指南書の一つにすぎません。発行部数が多いことが唯一無二の真実の書の証明にはなりません。
しかし、長年JW活動に携わってきた人にとって、組織を出ることはできても、頭から聖書を完全に切り離すことは容易なことではないでしょうね。事実、私がそうでしたから。
私は世の中に見られる明らかな不公平については昔から甚だ疑問に感じていましたが、JWや聖書の頭をリセットし、切り口を変えて考察することにより、今では一定の結論に至っています。