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#1 2017年05月16日 15:34:50
- soukun
- メンバー
部分輸血の「良心の選択」の実情はどうですか?
エホバの証人の組織は、血液を加工した製品を使うかどうかが「良心の選択」であると理解しています。しかし、組織にルールがあっても、違う方向に実行(あるいは理解)されるかもしれない。ので、具体的に、今のエホバの証人は実際に部分輸血に対してどんな態度を持つのかを知りたいと思います。皆の意見が聞きたい。
1,今のエホバの証人は、もし自分の命がかかっている場合、何割が部分輸血を受け入れると思われますか?
2,今のエホバの証人は皆、部分輸血についてどう思いますか?しないほうが最善と思われますか?適当にしてもいいと思われますか?
3,今のエホバの証人は、実際に部分輸血を受け入れた人、また、「そうする」と名言したメンバーに対して、どんな態度を持ちますか?病気で同情されますか?信仰が弱いから嫌われますか?
4,今のエホバの証人は、「部分輸血だとしても、献血者の血液を使わないといけない」と明らかに認識していますか?
ありがとございます。
オフライン
#2 2017年05月20日 06:52:11
- ワーゲン
- ゲストユーザー
Re: 部分輸血の「良心の選択」の実情はどうですか?
部分輸血とおっしゃっているのは、血液分画のことでしょうか?
すでにご存知かもしれませんが、エホバの証人の教理では、全血、及び血液の四つの主要成分だとしている赤血球、白血球、血小板、血漿の輸血を受け入れません。
これらをさらに分解した血液分画は、良心に基づき個人的に決定する事柄である、というのが今の教えです。
部分輸血が血液分画を指していると仮定したうえで、それぞれの質問に対する私の主観を書きます。
>1,今のエホバの証人は、もし自分の命がかかっている場合、何割が部分輸血を受け入れると思われますか?
あくまでも私がこれまでに接したことがある範囲での体感ですが、8割方の人が血液分画を受け入れていると思います。
>2,今のエホバの証人は皆、部分輸血についてどう思いますか?しないほうが最善と思われますか?適当にしてもいいと思われますか?
上述の通り、一般的な感覚だと、禁止されていないのなら受け入れるとなるのかと思います。血液分画を拒否すると、実際に治療できない(≒死の危険がある)病気もありますので。
>3,今のエホバの証人は、実際に部分輸血を受け入れた人、また、「そうする」と名言したメンバーに対して、どんな態度を持ちますか?病気で同情されますか?信仰が弱いから嫌われますか?
これも一般論ですが、公式には、個人の良心の決定に他の人が口を出すなら、口を出した方が円熟していない(≒信仰が弱い)となります。とはいえ、ローカルでは変な人や自分の主張を他の人に押し付ける人が少なからずいることは否定しません。
>4,今のエホバの証人は、「部分輸血だとしても、献血者の血液を使わないといけない」と明らかに認識していますか?
エホバの証人の発行した文書の中でそのことに言及されたことはないと記憶しているので、物事を深く考えないタイプの人は認識していないでしょうね。実際、主要成分と血液分画に分けて考える今の教理は医学的にも色々と無理がありますが、そのことに疑問を持たずに輸血拒否を受け入れている人は、それ以上のことをあまり考えていないと思います。
ちなみに、部分輸血が血液の四つの主要成分のいずれかを受け入れる、ということを指しているならばこれらの答えは全て変わってきます。
たとえ全血でなくても主要成分のいずれかを受け入れたならば、それは輸血を受け入れたとみなされ、悔い改めなければ断絶(≒排斥)扱いになります。
#4 2017年06月19日 22:08:47
- キーボード
- ゲストユーザー
Re: 部分輸血の「良心の選択」の実情はどうですか?
ワーゲン様
こんにちは、キーボードと申します。
>4,今のエホバの証人は、「部分輸血だとしても、献血者の血液を使わないといけない」と明らかに認識していますか?
この点について私も興味があり、久しぶりに書き込みをさせていただきました。
随分前の情報で恐縮ですが、「わたしたちの王国宣教2004年12月号」の「神権宣教学校の復習」11節で、
"11. イスラエル人は、血の抜かれていない死んだ動物を食べませんでしたが、それを外人居留者に与えたり異国の者に売ったりしてもよかったのはなぜですか。(申14:21)"
という討議がなされています。
その王国宣教では無輸血医療に関する記事が隣り合うように大きく扱われており、この記事がリアルタイムで扱われた集会に出席していた当時、これは献血については良心上の決定事項であるということの示唆ではなかろうかと感じさせられたものでした。
それで、この記事について同じ会衆の人たちに「献血は良心的に決めて良いということではないか」とあちこちで会話のトピックにしておりましたところ、危険な考えをふれまわっている、などと会衆内で非常に厳しい視線にさらされるところとなりました。私個人としては聖書に関連したまじめな会話の一環として捉えていたものですから、この思いがけない反応に大変戸惑ったことを記憶しています。
ただ、気心の知れた他の会衆の長老に上記の件について相談してみたところ、もらうものはもらっておいて自分たちはなにもあげないという態度は如何なものかという言い分は良く分かるとのお返事で(献血の制約がなくなったとは言っていなかったが)、心の(内面の?)センサーが敏感に働いたという信者は少なからずいたのではないかと推測しています。
もっとも、この記事が発端となりその後何らかの波動が形成されたというようなことは私の近辺では何一つ観察されず、例えば「わたしたちの王国宣教2006年11月号」の折り込み「血液分画、および自己血の関係する医療処置をどのようにみなしますか(保存版)」によると
「今日、医療目的のために提供された血液から多くの血液分画が取り出されています。クリスチャン各自は、これらの物質の医療上の使用を受け入れるかどうかに関して、良心上の決定を下さなければなりません。・・・」
と書いておきながら、その同じ記事で、
「エホバの証人は、輸血のために自分の血を提供したり貯蔵したりすることもしません。・・・」
と主張していて、何とも支離滅裂な論理ではないかと感じたものです。
むしろ上層部もどのように判断したら良いのか分からず混乱しているのではないかとさえ思いました。
針のむしろになることを恐れて口に出す人は少ないけれど、本心としては矛盾していることに気付いている人は意外と多いのではないかと思うのですが、如何でしょうか?
件の記事から10年以上が経過し、構成員の新陳代謝もあったことでしょう。献血の捉え方に関する信者の平均値も多少の変化があるのではないかと思い、お尋ねしてみました。
先ほどウェブサイトを確認したところ、JW.ORGでは2010年より前の王国宣教は閲覧できないようですね。
#5 2017年06月20日 05:04:33
- ワーゲン
- ゲストユーザー
Re: 部分輸血の「良心の選択」の実情はどうですか?
#6 2017年06月22日 08:44:44
- レイ
- ゲストユーザー
Re: 部分輸血の「良心の選択」の実情はどうですか?
ほとんどの人は輸血、血液問題に関して詳しいことは理解していないと思います。
組織がダメというならダメ、でも分画を受け入れていいなら、そうします、という単純な思考です。
疑問を提起したらいけないから、それに慣れてしまっているのです。
もらうだけもらって、自分はあげない、というのは年金や生活保護など社会のシステムに関してもそうですから、全く悪いとは思っていないのでしょう。
思考停止していますから。
#7 2017年06月22日 21:47:02
- キーボード
- ゲストユーザー
Re: 部分輸血の「良心の選択」の実情はどうですか?
#8 2017年06月22日 23:41:43
- MN
- ゲストユーザー
Re: 部分輸血の「良心の選択」の実情はどうですか?
#9 2017年06月23日 12:16:39
- ワーゲン
- ゲストユーザー
Re: 部分輸血の「良心の選択」の実情はどうですか?
#10 2017年06月27日 22:33:04
- キーボード
- ゲストユーザー
Re: 部分輸血の「良心の選択」の実情はどうですか?
MNさま、ワーゲンさま
長老マニュアルとは大変貴重な情報ありがとうございます。一般信徒が知り得ない基準で既にマニュアル化されているとのこと、なかなかナイーブな問題をはらんでいることがうかがえます。また、審理委員会で極秘裏に処理というくだりは本当であれば薄気味悪い話ですね。「献血は故意に血を取り入れる輸血に加担することだ」とされる可能性、献血が発覚して断絶の扱いにされる可能性があるとのことですが、その可能性の具体的な程度は判りますでしょうか?
出版物に書かれている内容はどうにも一貫性に欠けているように映ります。ときに献血は聖書的に良心上の問題であるかのような余地を見せたり、他の場面では輸血と同列に扱ったり、その一方で審理問題の対象外のようでもあります。執筆グループがどのように組織されているのか存じませんが、いくつものグループが存在していて、見解の相違があるグループ間でお互いに綱引きをしているようにさえ思えてきます。さらに監督宛てに来る通知内容はこれらとはまた趣が異なっているとなると、これでは翻弄されても仕方ないかもしれません。
信者の多くはワーゲンさんのように様々な出版物を網羅し精通しているわけではないと思います。医療技術の一つとして輸血が広く認知されるようになった現在では、出版物中の具体的記述の存在に気付かず善意の気持ちから自発的に献血している信者も少なからずいらしゃるのではないかと推測しているのですが、いかかでしょうか?古参信者に比べ、とりわけ過去の研究記事に触れる機会も無い最近入信した人たちにとっては組織の献血に関する見解についても不案内なのではと思うのですが。
#11 2017年06月28日 09:46:47
- ワーゲン
- ゲストユーザー
Re: 部分輸血の「良心の選択」の実情はどうですか?
#12 2017年07月09日 21:25:42
- キーボード
- ゲストユーザー
Re: 部分輸血の「良心の選択」の実情はどうですか?
#13 2017年07月10日 19:53:53
- MN
- ゲストユーザー
Re: 部分輸血の「良心の選択」の実情はどうですか?
#14 2017年07月14日 22:56:22
- ワーゲン
- ゲストユーザー
Re: 部分輸血の「良心の選択」の実情はどうですか?
#15 2017年07月14日 23:14:01
- ワーゲン
- ゲストユーザー
Re: 部分輸血の「良心の選択」の実情はどうですか?
本題から少しずれてしまうかもしれませんが、ちょっと独り言。
そもそもエホバの証人が輸血を拒むのは、「血を食べてはならない」という聖書の命令を根拠としています。
なぜ神が血を食べることを禁じたのかというと、それは血が命を象徴するものであり、そのゆえに敬意を表さなければいけないと聖書で説明されています。
では、命の”象徴”である血に敬意を示す(輸血を拒否する)がために、”実際の”命を失ってしまうというのは、本当に命に敬意を示しているのでしょうか。本末転倒の様な気がするのですが…。
非常に基本的なことのように思うのですが、エホバの証人内でこのような疑問の声を聞いたことがなく、今でも不思議に思っています。
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