#76 2017年04月05日 01:30:53
- カレブ
- Administrator

Re: 聖書と誕生日について
>鬼の首を取ったかのように607年、607年と繰り返しますが、考古学的なものは判断に幅が出て当然です。
>あなたが引用していない、JW側を裏付ける研究者も世界には多数います。
「あなたが引用していない、JW側を裏付ける研究者も世界には多数います」
具体的に誰ですか?
わたしが知る限りJWの”研究者”以外は皆無です。
誕生日の話題からはそれますが、
別スレッドでも良いのではっきりさせましょう。
恐らくその討議によって Soraさんの目が開けるかもしれないですし
閲覧しているエホバの証人の方々もとても関心あると思いますので
ぜひ一緒に考えてみましょう。
オフライン
#77 2017年04月05日 09:57:36
- ワーゲン
- ゲストユーザー
Re: 聖書と誕生日について
607年に関する考古学的証拠、私も関心があります。
もしこのサイトで提示されている以外の有力な証拠があるならご教示いただけないでしょうか。
これは決して冷やかしではなく、先入観のない客観的な情報を欲するが故のお願いです。
少し話がそれますが、私は現在仕事でアジアの某国にいるので、中国や韓国の方と接する機会が多くあります。
実際に接してみると、多くの方々に対して、日本のメディアが報じるようなネガティブな印象は持ちません。しかし、それと同時に、日本=悪者ということを「真理」だと信じる人が一部にいることも事実です。
彼らにとって、日本=悪者という先入観は絶対的なものであり、それを支持する証拠には非常に精通しているものの、自身の主張と相いれない証拠には頑なに目を瞑ります。
確かに、日本がかつて行った歴史的暴挙は否定できない事実ですが、これをもって日本の、ひいては日本人のすべてを否定されるということのやるせなさは、日本人であればお分かりいただけると思います。
話を戻しますが、古代エルサレムが滅びたのがいつなのか、考古学的証拠はその多くが客観的なものであり、(607年を信じる信じないにかかわりなく)先入観に左右されないものです。
そういう意味を込めて、考古学的証拠や研究発表の提示を頂ければ助かります。
#78 2017年04月05日 10:43:47
- つぶやき次郎
- ゲストユーザー
Re: 聖書と誕生日について
つぶやきシローだと芸人さんと同じ名前だから変えます。だれも見てないと思うけど。
この方は、jwの教えは絶対的な真理ではないと認めていますね。
絶対的な真理ではない教義、あるいは組織に命をかけるなんて自分にはできないなー。
#79 2017年04月05日 11:26:38
- ラッピー
- ゲストユーザー
Re: 聖書と誕生日について
Soraさんへ
お疲れ様です。
もう、議論は終わりましたか?
私も現役です。
Soraさんも熱心 に活動されている事と思います。
Soraさんのような方は会衆に時々います。
よく調査し、考え抜かれた注解を必ずする姉妹です。
長老よりも一目置かれます。
残念ながら、会衆の大半の人はSoraさんほどよく調査し考え抜いてはいません。
とりあえず、やってはいけ無いことを固く守り、集会に出席して一回は注解し、最低週一奉仕に出る。
それだけやってれば、楽園に行ける。という程度です。
非信者と議論する能力ないです。
だいたい奉仕に出ても、議論吹っ掛けられることほとんどないです。
私も「論じる」の本から随分割り当てを作りましたが、現場で論じあったことはほとんどありませんでした。(皆無ではありませんが) 27年になり、開拓もやりましたが。
もちろん、何十年も開拓やっている人は別でしょうが。
Soraさんはその能力のゆえに議論したい気持ちはわかりますが、背教者との議論は無駄ですし勧められていませんので、おやめになった方がいいです。
それよりもあなたが仰る、「一部の狂信的」エホバの証人の家族と論じあって、それは狂信的だから止めるように、諭してください。世の人の誤解を招くと。
私の経験から結論するとエホバの証人はほとんど狂信的ですし、狂信的に形作られていきます。
そして「人生を搾取され」「不幸の押し売り」になります。
ほんと、良く言ったものです。
#80 2017年04月05日 11:30:50
- mm
- ゲストユーザー
Re: 聖書と誕生日について
恐れ入りますが、わたくしも、607年を支持する公的な資料を知りたいと切に願う一人です。
忠実で思慮深い奴隷である統治体を統治体たるものとしている、1919年の起点となる暦と認識しているゆえです。
#83 2017年04月06日 16:12:13
- つぶやき次郎
- ゲストユーザー
Re: 聖書と誕生日について
組織やレイモンド・フランズが血眼になって探しても見つからなかった証拠があるのかなぁ。そのような証拠があるんだとしたら、WTとしても願ったり叶ったりだよね。ぜひ、教えてほしいな。
#84 2017年04月06日 18:12:01
- モトシモベ
- ゲストユーザー
Re: 聖書と誕生日について
soraさん、音沙汰がありませんね。
重箱の隅つつきや揚げ足取りではなく、みんな真面目にBC607の根拠を知りたがっていると思います。
やりとりは楽しかったですし、熱量が高いsoraさんの投稿は貴重なので、また登場していただきたいものです。
#86 2017年04月07日 08:56:40
- yangmask
- ゲストユーザー
Re: 聖書と誕生日について
#87 2017年04月07日 10:12:07
- 現役僕
- ゲストユーザー
Re: 聖書と誕生日について
お久しぶりです。いろいろと整理が付きもう現役僕ではありません。
開拓もおりましたし、集会にも行っていません。
私が、こうした決定をしたのも西暦前607年問題についてこのサイト、また他の資料を研究した後、やはり教えられてきたことは間違っていた(自分がこの組織を信じて費やしてきた人生を考えると受け入れがたい事実ではありましたが)と確信したからです。
家族はまだ組織にとどまって(組織を信じているわけではない)います。親族とのつながりもあり私自身は幽霊部員のような形です。
西暦前607年はエホバの証人の教理の根幹と言って間違いないものです。
そこを覆されて(もちろん他のおかしな教理についても考えたうえで)組織にとどまり続ける必要はないと判断しました。
しかしながらsoraさんは、JW側を裏付ける研究者も世界には多数いますと言われた、、、
私も、そんな証拠や権威者、また考古学上の証拠があるならぜひ知りたいです。
少なくとも、私の周りにいる巡回監督、長老達に答えはありませんでした。
soraさん、ぜひ教えてください。お願いします。
#91 2017年04月08日 00:55:47
- 1,000時間奉仕者
- ゲストユーザー
Re: 聖書と誕生日について
1914年や1919年や西暦前607年などの深い考察については、怠惰な単なる一読者の私がどうのこうの言う立場にはおりません(ただ、あんな危なっかしい資料を2号に渡って掲載した「塔」2011/10~11月号のあの連載には素人の私にも穴だらけであることがバレバレで、“なんでこんな疑惑の記事を協会はわざわざ記事にしたんだろう?” という思いが拭えませんでした)。あまりに抜けが多くて、不信感を募らせる効果しか及ぼさないんじゃないか、と。あれを読んで信仰と組織への信頼が強まったという現役さんに今まで会ったことがない。
それよりなにより、イエスの生誕年です。
日本の世界史の圧倒的大多数は、イエスの生誕を「西暦前4~6年」としている教科書が多いのです。それを前提としてすべての出来事が解説されています。
これでは、学校で “証言する” ときに「12月25日はキリストの正確な誕生日ではないんです」みたいな論理は通用しません。学校の図書館には西暦前4~6年説をベースにした資料しかありませんから、「あなたの言う西暦前2年とやらを裏付ける根拠を示しなさい」と先生に言われたら、協会の出版物を見せるしかないわけです。当然、却下。イエスの宣教期間も没年もすべて狂ってきます。説得力はありません。
困った私は、巡回訪問中の監督に「学校の教科書はそもそもイエスの生誕年を西暦前2年にしてないので困っているんですよね~」とため息を漏らしたら、にこやかに「よく調べてるね、そうなんだよね~」でおしまい! 何の追加資料もフォローも励ましもありませんでした。
いま想像するに、あの時点で巡回監督は20年以上先に記事になる可能性のある “穴” に薄々気づいていたんじゃないでしょうか。
小難しいことは何も必要ない。手元にある日本語の資料(協会製であれ世俗のものであれ)だけでもコツコツ当たれば、K・O・ジョンソン兄弟が進言した「1914年はヘン!」という結論を導き出すには十分だったのかもしれません……
>Soraさん
いずれにしてもここまで大風呂敷を広げたからには何らかの投稿があって然るべきだと思いますよ。前607年を支持する数多くの考古学者の実名のリストが。そして彼らが協会のご用学者でないことを証明する何らかの裏付けが。
最後に誕生日:
幼少期に母親から教わった身としては、バースデーケーキがなかったりプレゼントがなかったことは始めっからのことでしたので、苦痛でも何でもありませんでした。ま、どんちゃん騒ぎは別として、ささやかにキャンドルを吹き消すことに神経質になる必要があるんでしょうか(Make a wish! はヤバいかも)。もうすでに「過去の風習の意味合いが忘れ去られてしまった乾杯や婚約指輪」と何ら違いはなくなってしまった、と考えるのが妥当と思います。
#92 2017年04月08日 22:36:02
- 1,000時間奉仕者
- ゲストユーザー
Re: 聖書と誕生日について
ぐさっ! >ささらさん
過去、したことのないアプローチとかを試みてはいるんですけどね~、こればっかりはなかなか……
「ホステスさんのいるようなお店に絶対行っておくべきだ!」という地元の友人に引っ張られて、足を運んだりしたことはあるものの、「婚」を意識した目で会話をするとどうしても会話が「弾む」ものではない、ということが分かったところで「お時間でーす」の声が。やっぱこの手のアプローチは向いてませんね、私 (^^;)。やめやめ。
誕生日祝いの男女別反応の違いですか……考えたこともありませんでした。さすが親経験者は違うゎ……。
「孤高の信者」がときに高く評価される大人の世界と違って、女子たちは「つるんでナンボ」の世界でしたね、確かに。対抗して会衆内によっぽど仲良くいつもいつもつるんでいる同世代の成員が多くいない限り、(誕生日であれ何であれ)世間のイベントに無関心でいられる女の子は珍しいと思います。本当に長く付き合える親交関係はそういうものだけでつながってはいないとはいえ、すでに十代でそれが分かる学生は少数派です。
誕生日問題は今、本当に当落線上にあるんじゃないかと思います。いま晩の集会で討議している「支配」の本でも最近、「クリスマス、十字架、誕生日、イースター、バレンタイン、年末年始の行事をJWたちがいかに暴いて避けてきたか」を強調した部分が扱われましたが、「また余計なことを……」と呪わしく読んでいました。
バビロン的な慣行からいかにして逃れてきたかを際立たせる節の数々なのですが、雑誌の一記事ならともかく、集会のプログラムで討議してしまってから「すいませーん、◯◯と△△については問題ないってことが新たな理解によって明らかになりましたから、ここんとこ削除!ってことでどうかヨロシク!」みたいな訂正がオンライン更新で追加として載るのはマズくね?と個人的に踏んでいます。いやぁ、ネットって便利ですね (^^♪)
#93 2017年04月10日 17:13:13
- 聖書についての質問
- ゲストユーザー
Re: 聖書と誕生日について
#94 2017年04月10日 17:40:40
- SMG
- ゲストユーザー
Re: 聖書と誕生日について
昔、
ドキドキプリキュアで学びました。
この台詞は忘れられません。
「一つの命が生まれてくるのは『奇跡』なんだよ。あなたも 私も 亜久理ちゃんもその節目の日をお祝いしたいと思うのは 至極当然のことなんだよ!」
実の親がテメェかわいさにそれを否定するということは ただただ得体のしれない人間にいいように吹き込まれて自分勝手に思い込むだけ思い込んで漠然と信じてるあったこともないわけのわからないやつのために 我が子の存在を否定するということなんだよ。
それはいいことだと思うか?
「命日の方を大事にしろ」なんて 先祖崇拝を否定する教理からも明らかに矛盾していると言わざるを得ない。
#96 2017年04月10日 21:43:28
- ジョエル
- ゲストユーザー
Re: 聖書と誕生日について
#97 2017年04月11日 14:31:42
- 1,000時間奉仕者
- ゲストユーザー
Re: 聖書と誕生日について
ここのトピックを立ててくださった「クリスチャンのりんご」さん、
盛り上がってますよ、ご意見をどうぞ。
#98 2017年04月11日 16:20:15
- ラハム
- メンバー
Re: 聖書と誕生日について
JWを何十年も続けていると必然的に
非JWの人々とも人間関係を持つようになります。
それで何かの拍子に自分の誕生日を知られてしまい、
親切な人は「誕生日をお祝いしよう」などと
申し出てくれることもありました。
わたしは30代中ごろまで命を保ち生き続けていることの
困難さの意味がよくわからなかったのです。
というのか、自分のうちに命のあることの意味を
感覚として感じることがありませんでした。
でも、あるとき自分には体内時計があって、
それはさらさらと音もなく落ち続けるような
命の持ち時間の砂時計があることに気づかされたのです。
聖書には「人は自分の死ぬことを知っている」
と書かれていますが、若くて元気だったわたしは
なんて当たり前のことが書いてあるんだろう、
当たり前すぎてばかばかしいと思っていました。
ところが、命の砂時計が減り続けているのを
感じるようになった途端、その聖句の真実味が
わたしに迫ってくるようになったのです。
それ以来、脳裏から自分の死が迫っているんだという
意識が芽生えて消えることはなくなってしまいました。
寿命というのか命の持ち時間というのか、
日を追って少なくなるつつあるのです。
それで、JWとして誕生日を祝うことはできませんので、
誕生日まで生き続けることができたことを祝う、
あるいは喜ぶ日にしようと決めたのです。
誕生日を祝ってはいけないとする
聖書解釈にはそうとう無理があります。
でも、おおやけに誕生祝をしていることを
仲間に知られるわけにもいかないと考えていました。
だから、自分の誕生日になるとおいしいものと
ちょっと贅沢なお酒を買ってきて、
一人で生き延びたことを祝って喜んでいました。
こんなことをこっそりしていたのを思い出しました。
きょう、実は誕生日です。
きのうは、友人たちが大勢祝ってくれました。
プレゼントもあったのです。
JWを離れて自由を謳歌できるのは素晴らしいです…。
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