#1 2017年04月03日 16:29:31
- クリスチャンのりんご
- ゲストユーザー
聖書と誕生日について
エホバの証人は誕生日を祝いません。聖書の誕生日の記述は2つしかなく、どちらも殺人が関係するといいます。しかしヨブ記の記述をよく調べるならば、ヨブと子供たちは確かに誕生日を祝っています。そしてもう一つ、イエス様がお生まれになった時、お生まれになったイエス様の元に天使や羊飼いまで来て、イエス様と神様を讃えています。これはどう考えても、イエス様の誕生をお祝いしているとしか思えないのですが、皆さんはどう思われますか?
#2 2017年04月03日 21:11:03
- sora
- ゲストユーザー
Re: 聖書と誕生日について
誕生そのものは祝いますよ。子供が生まれたら嬉しいの当然です。
生まれた日を行事として祝うかどうかですよね。イエスもそれ以降、誕生日を祝った記述は無いはずです。
#4 2017年04月03日 22:50:38
- Sora
- ゲストユーザー
Re: 聖書と誕生日について
#6 2017年04月03日 23:52:35
- Sora
- ゲストユーザー
Re: 聖書と誕生日について
#8 2017年04月04日 00:26:09
- Sora
- ゲストユーザー
Re: 聖書と誕生日について
#9 2017年04月04日 00:30:54
- Sora
- ゲストユーザー
Re: 聖書と誕生日について
#10 2017年04月04日 00:39:44
- カレブ
- Administrator

Re: 聖書と誕生日について
それで結局
>ただ誕生日をそれ以降毎年祝い続けるのは守護神などの他の宗教的な考えと結び付けられたイベントも多いのでそれは避けます。
これは誕生日そのものが多くの場合宗教的なイベントになっているという主張なんですね?
わたしは日本で子供のころ過ごして誕生日会に出たりプレゼントもらったりしていましたが
誕生日に関して一度も宗教的な考えを持ったことはありませんでした。
あなたが誕生日を「守護神などの他の宗教的な考えと結び付けられたイベント」と定義したのは
わたしにとってはとても極端な主張に思ったのですが
Soraさんが誕生日をそのように定義するに至ったきっかけはなんでしょうか?
これはシンプルな質問なので、伝わりますよね。
オフライン
#11 2017年04月04日 00:43:22
- 荊軻
- ゲストユーザー
Re: 聖書と誕生日について
誕生日を祝うことは、特段何か功績があったとかに関係なく主役の人を称賛したり、「よいしょ」したり、その人に注目を集めることになって、人物崇拝になる、みたいな論議をどっかで聞いた(読んだ?)ことあるけど、この論理ってすごく恐ろしいと思った。
人って、無条件で自己の存在を承認してもらえてるって実感できないと生きていけないと思う。「また1つ歳を重ねたね。それだけのことだけど、それが嬉しいからお祝いしよう!」って言われて嬉しくない人はいないと思うし、愛にあふれる神様の温かなご性格を反映した自然な欲求だと思う。
「何も立派なことしてないし、祝う理由がないから祝うべきではない」という考え方は、それと真っ向から対立する冷酷な考え方だと思う。
#12 2017年04月04日 00:47:23
- Sora
- ゲストユーザー
Re: 聖書と誕生日について
#13 2017年04月04日 00:51:11
- Sora
- ゲストユーザー
Re: 聖書と誕生日について
#15 2017年04月04日 01:12:09
- Sora
- ゲストユーザー
Re: 聖書と誕生日について
#16 2017年04月04日 01:12:24
- 荊軻
- ゲストユーザー
Re: 聖書と誕生日について
#17 2017年04月04日 01:25:50
- Sora
- ゲストユーザー
Re: 聖書と誕生日について
「また1つ歳を重ねたね。それだけのことだけど、それが嬉しいからお祝いしよう!」
これと
「今週の土曜日◯◯姉妹の誕生日だから、群れでお祝いの "交わり" しましょう。ケーキとロウソク無しなら大丈夫よ〜」
は開きがだいぶありますね。
良心上の幅がある分野で、嫌がる人を巻き込む必要ないでしょ。
家族や夫婦だけで、
また一年おおきくなったね、今年もお疲れ様でした。あなたが生まれてきてくれてよかった。
はJWでも全然ありますよ。
私の家族はいつもそうです。
掲示板などでよく目にしますが
狂信的な家に育った人はそれをエホバの証人のせいにしますが、その家の問題なのでは?
例えば野球などを、虐待かというほど厳しく仕込む親がいますがそれは野球が悪いのですか?親ですか?
狂信的な親は他のどんな団体に属してもやはり問題のある教育を子供にするのではないかと思いますよ。
#18 2017年04月04日 01:38:14
- Sora
- ゲストユーザー
Re: 聖書と誕生日について
>わたしは一般の人に対してエホバの証人について書くことはほとんどありません。
ということは、あなたはエホバの証人に対してこのサイトや記事を書いているんですね。
エホバの証人は良心を制限していると言いながら
人が自分の意思で信じていることに立ち入って、間違っているとメッセージを送り続けるんですね。
#20 2017年04月04日 01:49:01
- Sora
- ゲストユーザー
Re: 聖書と誕生日について
最初から一貫して
行事としては祝わないと言ってますよ。
でも狂信的ではありません。
荊軻さんの人を慈しむ行為としての誕生日の向き合い方はOKだと言っているのです。
#22 2017年04月04日 02:03:39
- Sora
- ゲストユーザー
Re: 聖書と誕生日について
そんな宣教の仕方絶対にしませんよ。
一部の狂信的な人はするかもしれませんが。
悪い動機の人ばかりでは無い事も知っていますよ。一般の友達や同僚もいますから。
返答がずっとその流れ?
誕生日の議論じゃないんですか?
わたしはあなたが「組織が良心を制限している」と言ったことについて書いているのです。
いろんな組織が世の中に存在しルールのもとに成り立っているんですよ。そのルールが嫌なら避ればいいだけです。
ルールを学んで、その後自分の意思で浸礼受けてでしかエホバの証人になれないんですから。
そしてそのルールがいやならやめればいいだけ。良心が制限されてますか?
丸刈りにしないといけない野球部は?
重量制限のある団体は?
恋愛禁止のアイドルグループは?
良心の侵害ですか?
みんなルール理解した上で自分の意思でそこに入るんでしょ。辞めたきゃやめますよね。
#23 2017年04月04日 02:06:22
- 荊軻
- ゲストユーザー
Re: 聖書と誕生日について
#24 2017年04月04日 02:10:29
- Sora
- ゲストユーザー
Re: 聖書と誕生日について
例えはそんなに細かく言い出したら、例えになんないよ。一面をわかりやすくするのが例えなんだから。
しないと滅ぼされる、の時点で狂信的でしょ。
わたしは狂信的な家庭に問題があると言ってるでしょ。
エホバの証人のケースは両方悪い、の根拠が全く提示されてませんね。
きっちり当てはまる例えで教えてみてください。
#25 2017年04月04日 02:43:29
- 荊軻
- ゲストユーザー