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#51 2014年07月24日 19:00:55

隠れんぼ
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

#52 2014年07月24日 22:46:41

カレブ
Administrator

Re: 輸血拒否に関する議論

オフライン

#53 2014年07月25日 00:10:41

通りすがりの信者A
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

#54 2014年07月25日 06:35:39

sk
メンバー

Re: 輸血拒否に関する議論

おはようございます。



代替血液の開発の功績はエホバの証人あるという主張について、

これは、医療リスクの改善問題と、エホバの証人の信仰のがたまたま重なったからに過ぎません。


エホバの証人たちがいなくても、つまりものみの塔インチキ「神の代理店」が輸血拒否キャンペーンの音頭をとらなくても、いずれ医学会は輸血忌避の方向へ進まざる得ない状況に直面することになったでしょう。

その場合、輸血に代わる代替療法の開発の功績は、エイズや肝炎その他の感染症により苦しむ宗教と関係のない犠牲者たちといういつものパターンとなります。

科学技術の進歩は、多くの人々の犠牲の上になされます。
ある技術の安全性が担保されるまで、多くの人々が命を落とします。
人間の知力の限界がそのような犠牲を伴う改善を余儀なくしています。

公害病の除去、車や電気器具の安全性の向上などは全て誰かの犠牲の上に成り立っています。

医療分野についても同じです。
歯科で使用されていたアマルガムの危険性、その他多くの薬剤の危険性の除去とおなじで、輸血の危険性もやはり多くの犠牲者が出てから改善が始まります。

この物事の進展に普通宗教は関わりません。
たまたま、ものみの塔JWの教理がそこに関わったという理由で、輸血に代わる代替療法の開発は、唯一この宗教組織の働きかけのおかげであると結論づけることはできません。

ものみの塔協会の働きかけがなくても、輸血のもたらす医療リスクの否めない増加に、誰かが声を上げるでしょう。

どちらの過程を経たとしても、輸血排除の歩みは、聖書の「血を避けなさい」の助言の知恵をの立証となります。

輸血によるリスクが極めて甚大であることが明らかな現在では、宗教に関係なく輸血を避ける人がいるでしょう。


ものみの塔インチキ「神の代理店」の血の問題の扱い方は、#52でカレブさんが指摘しているように極めてパリサイ人的です。

編集者 sk (2014年07月25日 06:53:15)

オフライン

#55 2014年07月25日 07:30:11

信者B
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

#56 2014年07月25日 19:14:28

sk
メンバー

Re: 輸血拒否に関する議論

編集者 sk (2014年07月25日 20:04:29)

オフライン

#57 2014年07月25日 20:01:00

通りすがりの信者A
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

#58 2014年07月25日 20:06:14

通りすがりの信者A
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

#59 2014年07月25日 20:43:17

sk
メンバー

Re: 輸血拒否に関する議論

編集者 sk (2014年07月25日 20:48:32)

オフライン

#60 2014年07月25日 21:23:40

信者B
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

> 信者Aさん

誤解なさらないでください。
重ねて申し上げますが、私は信者Aさんの信念を尊重したいと思っています。
理由が何であろうと、成人した大人に輸血拒否の権利が基本的に認められている
ことも知っています。そこは議論していません。

ただ、カレブさんのご指摘にお答えになっておられないように思います。

聖書によれば「地面に注ぐ」のは屠殺された動物の血です。

①    自己血使用が「循環系の一部」とみなせるか

②    成分が「主要」か「分画」であるか

という聖書に書いていない線引きで信者の選択を限定し、その時点の解釈に異を唱える人を
宗教裁判で除き去るものみの塔協会のやり方についてどうお考えですか。

おそらく、信者Aさん個人の信仰とは全く関係のないことで、回答の必要さえ感じない愚かしい
レベルの低い質問かもしれませんが、ここは「エホバの証人研究」サイトの掲示板なので、純粋な
聖書解釈や、信仰の自由と医療がどう関わるべきかの一般論、また一個人信者の私的信念の是非を
問う、よりもエホバの証人組織の問題点を考察することで、この組織を本当に神の唯一の経路として
認めるべきかについて訪れる人に参考となる情報や観点を提供する場ではないかと思います。

輸血拒否はそのためのトピックの1つであり、上記の点について信者Aさんの考えをお尋ねする
ことには意義があると自分は考えています。

#61 2014年07月26日 00:41:12

通りすがりの信者A
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

> ①    自己血使用が「循環系の一部」とみなせるか

これはおかしな質問です。この点に関しては自己裁量のはずで、文字通り、
あなた方が求めている個人の自由裁量が保障されているではありませんか。
一方では個人の自由がないと避難し、その同じ舌が個人裁量である事をも避難する。
そんな言葉遊びには付き合ってられんのですよ。


> ②    成分が「主要」か「分画」であるか

まず、はじめは全血輸血しか存在しませんでした。
エホバの証人が輸血拒否の教理を取り入れたのはこの時代の事です。
「血を避けなさい」を意味するところは1つの理解しか無かったと言えます。

後になって血液の分画利用という手法が登場しました。
全血は論外として、それぞれの分画について検討する必要が生じたと言えます。
「血は命だからである」という言葉を根拠に、生命維持に直結すると考えられる部分
(エホバの証人が便宜上「主要分画」と定義)だけを避ければそれで良いとの理解で
良心が傷まない人はそれを受け入れればいいし、
やはり全て受け入れられないという人は全て受け入れなければいいのです。
「主要」か「分画」か、などと言ってる時点で、
あなたはこうした基本ですらまるで理解していないようにも感じます。
主要もまた「分画」であることは、まぎれもない事実なのですから。

これもやはり自由裁量なので、ここを避難される事自体が無意味と言えます。
分画方法は増え続けてきた経緯があり、全てを説明し理解せよ、というのは酷というものです。
最新の医療ばかりに目が向かい、こうした歴史的背景が完全に忘れ去られているようにも感じます。


で、こうした個人裁量であるはずの隅々の是非について論じる行為それ自体が、
他人を裁く行為そのものである事に、そろそろ気づいてください。

#62 2014年07月26日 02:26:08

iris
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

こんばんは。急に議論が活発になっていますね。

私の以前のコメントについては、カレブさんの解説どおりです。

信者Aさんがそうかどうかは存じませんが、多くのエホバの証人の方々の輸血拒否の理由は「神を愛しているから」です。
けれども、医療機関と議論するときには、「輸血よりも医学的に優れた方法がある」と説得しようとします。
これはおかしいですよね。

『エホバの証人の家族の世話と医療』については、専門色の強い内容などではありません。
一般のエホバの証人の方々にとっては、医学用語が書いてあって専門的に見えるかもしれませんが、
ほかの出版物と同様に、ものみの塔の思い込みを主張してあるにすぎません。


エホバの証人であるかどうかに関わらず、輸血を受け入れるかどうかは個人的な問題です。
確かに輸血は危険性の高い治療法です。ですから、今ほどインフォームド・コンセントについてうるさくなかった頃から、
詳細に説明をして、書面で同意を得てからでなければ輸血は行えませんでした。

私がエホバの証人の方々を気の毒に思うのは、輸血に関する教義も今までコロコロ変わっており、これからも変わる可能性が
十分あるのに、現時点での教義に縛られて命にかかわる決断をしなくてはならない状況におかれているためです。
さらに、不正確な医療情報を与えられて、誤解に基づく判断を迫られています。

特に小児科は、子どもに害を与えないために、必要のない投薬や処置を嫌います。(だから儲からず不採算でつぶれやすい)
それでも、命を救うために輸血を選択するしかない場面は少なくありません。
転院すれば大丈夫と思っている方、小児専門病院(ほかの病院で手に負えない児が運ばれるところ)の中には、
輸血拒否には応じないとはっきり宣言しているところもあるのですよ。
輸血はできる限り避けるべきですが、救命を目的とした場合に必ず避けることができるものではありません。

#63 2014年07月26日 06:49:38

信者B
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

#64 2014年07月26日 15:16:58

sk
メンバー

Re: 輸血拒否に関する議論

編集者 sk (2014年07月29日 17:43:23)

オフライン

#65 2014年07月26日 15:42:58

通りすがりの信者A
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

irisさんへ

変な言い回しが無くなり安心しました。先の発言の非礼をお許し下さい。

> 信者Aさんがそうかどうかは存じませんが、多くのエホバの証人の方々の輸血拒否の理由は「神を愛しているから」です。
> けれども、医療機関と議論するときには、「輸血よりも医学的に優れた方法がある」と説得しようとします。
> これはおかしいですよね。

その動機を「協会への愛」ではなく「神への愛」と評して下さった事に感謝致します。
そうですね、おかしな姿勢だと思います。

一応、聖書には、「希望の理由を問う人に対し、しっかり弁明できるよう常に備えておきなさい」とありまして、
その観点からするならば、いざ患者となり、自分の立場を表明する時になっておかしな発言をしないよう、
前々からどのように話せばよいかを考えて、常に備えておくべきなのですが、
その聖書の言葉を「家々を訪問する宣教の場面ででどのように話すか」でしか当てはめておらず、
仕方がないのでその場で無い知恵を絞って、その時の本心の言葉を語っているのが実情なんじゃないかと思います。
(その辺はご愛嬌という感じで受け流していただければと、基本的には連絡委員ですら医学知識が無さそうなので…)


> 輸血に関する教義も今までコロコロ変わっており

私の1つ前の投稿で説明したように、「分画」という概念が取り入れられたのは、
医学の発展に伴ってその必要性が必然的に生じたからであって、要約するとこうなります。

・エホバの証人が輸血拒否を導入した当時、全血輸血しか手段は無かった。
・分画技術の登場。「血は命だからである」とする聖書の言葉を根拠に、
生命維持と直結すると思われる4つの分画のみを「主要分画」と便宜上定義した。
・主要分画の定義(赤血球、白血球、血小板、血漿)は今日まで変化無し。

これが真相のはずなのですが、それでも「コロコロ」という表現が妥当でしょうか?
カレブさんのHPを調べてみても、これに反する歴史的な変化を認めることはできないように思います。
というか、こと、輸血拒否に関していえば、長文である事で満足してしまい、
一番重要な証明の部分が完全に抜け落ちているようにも思うのです。
あるいは上記の説明が真実ではないと、信ずるべき別の証拠が確かに存在するのであれば、
可能な限りの情報を、まずご提示いただけたらと思います。
(定義すら存在しない批判には、反証すらできないのです)

なお、分画とは、限りある資源である血液を有効活用するために、
特定の因子のみを取り出して、残りを別の用途に使うために、
1970年代ごろ確立された技術であろうと認識しております。
エホバの証人の輸血拒否の導入は、それよりずっと前です。

先にも述べた通り、私はエホバの証人になる前から、命が惜しいと思ったことなどありません。
神の存在についても、「いるかどうかわからない」という当初の漠然とした考えから、
神は確かに存在すると考えたほうがいろいろと辻褄が合うようだ、と考えるようになりました。
だから輸血拒否の教理自体はなんの問題も無く受け入れられました。
しかし、学ぶにつれ、この団体は救いを安売りしているようにも感じました。
救い目的で入信して、それが自分にどんな意味があるというのだろう、という事です。
動機がそんなものであっては、それは浅ましい以外の何物でもない、と考えたわけです。

そんな時、なんの気無しに手に取ったのが、『20世紀におけるエホバの証人』という、
私たちがブロシュアーと呼ぶ形態の小冊子です。主に一般人向けに書かれた、
エホバの証人の信条を簡単にまとめた程度の内容なので、
普通のエホバの証人なら通常は見向きもしません。
ところがそんなところに私の疑問に対する答えが書いてありました。
あまりにも短い文なので、私なりの解説も加えると、その理由とはこうなります。

永遠の命の見込みとは元々、神がアダムに対してお与えになったものであって、
アダムは永遠に生きる見込みのある者として誕生した。
その永遠の命の見込みは当然ながらその子供たちにも受け継がれるはずであったが、
アダムは最初の子供をもうける以前に不従順という大罪を犯してしまい、
結果として全人類が死ぬようになってしまったのである。
従って、人間が永遠に生きるというのは神の当初の目的であって、
これを求めるのはけっして浅ましい行為などではない、となります。

たぶんこの発見が私の人生のターニングポイントとなったのだろうと思います。
だから、私自身にとっては、輸血拒否にまつわる問題なんていうのは、
信仰という側面からのみ考慮するならば、
考慮するに値しないほどちっぽけな問題なんですよ。

こんな話があります。海で4人の人が遭難しました。
救援が来る気配はなく、やがて1人が死亡しました。
2人の人は、死亡した人の肉を食べましたが、1人は食べなかったそうです。
なぜなら、彼はプロテスタントの牧師で、人肉嗜食に相当するそのような行為は
とても耐えられないと考えたから…のようです
(本人そう語ったのか定かではありませんし、作り話かもしれません。
エホバの証人とは無関係の情報源なので)。
しばらくすると、その牧師も死亡しました。残った2人はその肉も食べたそうです。

ここでもし、2人が無理やりにでも死亡した人の肉を牧師に食べさせて、
その牧師が確かに生還したとしましょう。その牧師は幸せでしょうか?
食べさせた2人は良心が傷まなかったのでしょうか?
私が輸血拒否をする理由は、この牧師が人肉を食べるのを拒んだのと
動機の点では全く同一であろうと思っています。





信者Bさんへ

先にリンクで示したアベルとカインの解説文には目を通したのでしょうか?そこには

アダムの罪=神への不従順

という事がはっきりと書かれています。
ところが、私が血を避ける理由を神への従順(愛)という言葉で示したところ、
それは危険な考えだとカレブさんから指摘されたのです。
もちろんカレブさんに悪意は無かったのでしょう。
ただ、そうしたもっともらしい人間的な思考に、
あなたは完全に毒されてしまっているようにも感じます。

放任主義の親に育てられたある人は、親のことを悪し様に言うかもしれません。
あの人達は私に対して何もしてくれなかった、と。
一方で同様に、放任主義の親に育てられた別の人は、
私の両親は何もしてくれなかったが、体罰をしたわけでもなければ
食べるのにも困るようなひもじい思いをしたわけではない。
として、親に服することを受け入れています。
両者の違いがわかりますか?全ては受け止め手の心次第なんですよ。

相手の悪い所ばかりに目を向けて批判の言葉を並べ立てるのは、
愛ある行動ではありません。これは肉の業です。
一方で、霊の実を示す人は、相手の良い所を探し出し、
立て起こし、築き上げ、励ますような言葉を使うよう心がけます。
全く無関係の第三者からすれば、どちらに好感を持つかは自明ではありませんか?
エホバの証人の信条に同意しないまでも、
その信念を自ら進んで尊重してくれる医療関係者がいるのは、
そのように霊の実を示し続ける実績を積んできたからなのです。

あなたに対してはもうこれで十分でしょう。
あとはあなたの信ずるところに従って行動されると良いと思います。

#66 2014年07月26日 16:37:05

通りすがりの信者A
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

あー、すまん、よく読んでなかったので
信者Bさんが何を問題視してるのかよくわかってなかったよ。
ちょっと論点を整理するので時間をくださいね。

#67 2014年07月26日 17:45:15

通りすがりの信者A
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

1.エホバの証人が輸血を避けるのは、輸血という医療行為については、
使徒15章の聖句「血を避けなさい」という
クリスチャンが守るべき掟を踏み越えている可能性があるように見えるからです。
つまり、安全側に倒していると言い換えてもいい。

この主張に異議のある人は、この件に関して
使徒15章の適用についてのみ論じるべきなのです。
ここまでは受け入れていい、という人は次へ進みます。



2.エホバの証人が赤血球・白血球・血小板・血漿の4つを避けるのは、
「魂は血」「血は魂」のような意味を伝える数多くの聖句の言葉からして、
生命維持に直結すると考えられるこの4種類については
掟を踏み越える可能性があるように見えるからです。
これもまた、安全側に倒しているのです。

この主張に異議のある人は、この件に関して
関連聖句のみで論じるべきなのです。
ここまでは受け入れていい、という人は次へ進みます。



3.エホバの証人が自己血保存血の使用を避けるのは、
「血を地面に注ぎ出しなさい」としたレビ記の聖句や、
聖書全体を通して、血の使用が神聖な目的のみに限って許される事実、
などによって、自己血保存の精神そのものが、
血に対する神の目的から逸脱しているとの解釈であろうと推察されます。

この主張に異議のある人は、この件に関して
レビ記等、関連聖句のみで論じるべきなのです。
ここまでは受け入れていい、という人は次へ進みます。

※あまり考えた事はなかったのですが、
この部分については考慮する価値があるかもしれません。



4.エホバの証人がセルセーバーを個人の良心の問題としているのは、
バイパス手術における小さな管を大規模にしたものとの解釈も可能であり、
このあたりになると、個人裁量で決めるべき事柄と判断したのであろう。

となります。個人裁量の部分なので、このあたりまで来ると、
批判それ自体が無意味などころか、他人を裁く行為そのものになりかねないのです。




で、3のレビ記の聖句の解釈をもって、
1の輸血の是非そのものを論じるから話がややこしくなる。
つまりはそういう事なんだと思います。

全員が守るべき命令としている事が問題だ、という(神権統治への)批判は、
ちょっと輸血とは別問題になってくるので、
このトピックで扱っていいのかどうなのか…という事になります。
当然ながら、議論すべき関連聖句も全く異なってくるのです。

#68 2014年07月26日 18:21:51

sk
メンバー

Re: 輸血拒否に関する議論

編集者 sk (2014年07月26日 18:57:20)

オフライン

#69 2014年07月27日 18:58:08

通りすがりの信者A
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

信者Bさんへ

自己血保存血については、塔89年3月1日号が初出のようで、
細部を検証してみましたが、そこに論点の不備はないように思います。
#67の、1,2,3の件ですが、1,2が心情的に受け入れられるのに、
神聖さについて語る3だけはどうしても受け入れられないというのは通常は考えにくく、
あなたの発言が、なにか実際にあった具体的なケースというよりも、
ありもしない仮定の話でつつく事によってボロが出るのを待っているようにすら見えます。
そこであなたに質問します。

あなたご自身は、1,2,3どこまで受け入れられているのですか?

例えば、1すら受け入れられない人が3について受け入れられないのは当たり前なので、
そうした人が3についての主観的議論しかしないような人であると、
いくら議論を重ねても着地点など見出せるはずがないのです。
言い方を変えると、回答するだけ時間の無駄、不毛でしかないのですよ。





それとは別に

> 全員が守るべき命令としている事が問題だ、という(神権統治への)批判は、

自分の発言ですが、神権統治の是非を検討するまでもない事に気づいてしまったのでこちらに投稿。
過去にも散々言われているように、現在エホバの証人の組織に所属している人は、
エホバの証人が輸血拒否を信条としている事を知りながら、これに加入しています。
というか、あまりにも有名な話なので、
エホバの証人でない人ですら輸血拒否については知らない事の方が稀なんです。

・いい教えだと思うんですけどね~、輸血拒否を除いては
・輸血拒否が無かったら喜んでエホバの証人になるんですけどね~

エホバの証人やってれば、こうした意見なんてそれこそ数多く耳にする機会があります。
研究生を10年やってます、なんて人の多くが特に、このパターンに当てはまります。
では、エホバの証人の場合、輸血拒否をするかどうかを
自己決定する権利自体が制限されているのでしょうか?違うんですよ、
受け入れられない人は自己決定権を行使して最初から加入なんてしていないんです。
だからこの点に関してまで「自己決定」うんぬんで論じようとする事自体が
ナンセンスである、と結論せざるを得ませんね、論点が170°ほどずれていると感じます。

#70 2014年07月27日 22:38:28

seiei00r
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

「そもそも、キリストが現世に生きていたとして、輸血を推奨するとお思いですか?
どんな病もたちどころに癒し、死者でさえ蘇らせる事ができるほどの力をお持ちであったというのに。」

上記の記述は、信者A自身が書き込んだものだ。わずか10日前に。
信者Aに関しては、123とか書く前に、まず、自分の発言に責任をもてよ。

信者Aの(「どんな病もたちどころに癒し、死者でさえ蘇らせる事ができるほどの力をお持ちであ」る)イエス・キリストが、
「赤血球の輸血は推奨できないが、血液分画製剤の輸血なら推奨できる」と、ほんとうに言うと思っているのか?

いい加減、自分の額の聖句箱をでかくすることは止めたらどうだ。

いったい、肘の何ミリ上まで洗えば、「食事の前には手を洗いなさい」と言った神のご意志に沿っていて、それ以下なら永遠の滅びに至るんだ。
答えてみろよ。

#71 2014年07月27日 23:32:05

seiei00r
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

使徒15章には、こう書かれている。
「そこで、私の判断では、神に立ち返る異邦人を悩ませてはいけません。ただ、偶像に供えて汚れた物と不品行と絞め殺した物と血とを避けるように書き送るべきだと思います。」

まず、
「神に立ち返る異邦人を悩ませてはいけません。」という部分にも注目したいが、それはとりあえず置いておく。

問題は、「偶像に供えて汚れた物」に関してだ。
パウロは、偶像に備えられたものを食べても(それ自体は)罪を犯したことにならないと書いている。
罪になるとしたら、それによって信仰の弱い人間を信仰から外れさせてしまったときだと。

では、なぜ、「血」に関しては、血液分画製剤のような細かいところまで議論しなくてはならないのか。
血液分画製剤のような細かい規則を守ることは、神への信仰を守ることを意味しない。
(この点に関しては、前の書き込みに書いた)
それは単に、ものみの塔聖書冊子協会への忠誠を証しているにすぎないのである。

だが、このことは議論の蒸し返しに過ぎないだろう。
ただ、ここで言えることは、輸血の問題を考えるときには、使徒15章の「避けるように」という、言葉の問題だけでは解決しないということだ。

当然ながら、創世記やレビ記の記述を考慮しなければ、真実の答えはでない。

一つ思うことがある。
人間は、「肉を血のままで食べてはいけない」と神に言われた。
では、「肉を血のままで食べている」のは誰か?

それは、野獣だ。
ライオンがシマウマを食べる映像を、多くの人が見たことがあるだろう。
肉食の動物たちは、肉を血のままで食べている。

言いたいことが、わかるだろうか?
輸血をしながら懸命に救命が行なわれている手術現場を想像して欲しい。
それは、野獣が肉を食らう光景に似ているだろうか?
あるいは、赤血球を輸血する現場は野獣のそれに似ていても、ヘモグロビンを輸血する現場は似て非なるものだろうか?

……

どこの病院に行けば「絶対的輸血」を認め、自らの信仰を貫けるか、それさえ知らない人間が輸血拒否を唱える。

さて、無輸血手術には、健康保険がきかない。
(健康保険適用と自由診療の)混合診療を限定的にしか認めない日本の医療界にあって、無輸血手術を選択することは、(ほとんどの場合)すべての医療費を自分で支払うことを意味する。
その金を、あなたはもっているのか? ないとしたら、その金はどこからでるのか?
そもそも、無輸血手術を選択することは、(健康保険のきかない)自由診療を選択することだとわかっているのか。
実際に、救急で病院に運ばれて無輸血手術を選択したエホバの証人が、1週間にわたり集中治療室で施術を受けながら、その高額な医療費を支払えないと言ったという事例だってあるのだ。

輸血拒否を実践しているとは、いったい何を実践しているのだろう?

輸血拒否とは、それほど厳密な決まりではないと言ったエホバの証人もいた。
では、なぜ、そんなことで人間は死んでいくのか。

輸血拒否を声高に唱える人間は、まったくのところ無責任な態度を取り続け、恥を知ることがない。

#72 2014年07月28日 17:52:59

通りすがりの信者A
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

#73 2014年07月28日 18:06:25

通りすがりの信者A
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論

#74 2014年07月28日 20:33:44

もんもん
メンバー

Re: 輸血拒否に関する議論

こんばんは、通りすがりの信者Aさん。通りすがりの信者Aさんは、輸血拒否の方針や裁判についてなど、非常にお詳しいようですが、どのような立場の方なのですか。

>判決文には含まれていない事実が1つあります。
>患者が後から輸血の事実を知ったとありますが、実はこれ、内部リークによるもの
>らしいんですよ

どうして、こんな内容を知っておられますか。この事件についての、何らかの関係者なのですか。

オフライン

#75 2014年07月28日 22:52:01

隠れんぼ
ゲストユーザー

Re: 輸血拒否に関する議論


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