#101 2016年06月15日 18:02:39
- ジョエル
- ゲストユーザー
Re: 聖書のみで607年は覆る
詩編91編 七十年は平均的な人の生涯...ひと世代を表すのに使われている
イザヤ23章 ティルスは「一人の王の日数と同じく」、必ず七十年間忘れられる
ティルスが攻囲されたのはエルサレム陥落後、しかも何年にも及びました。も塔はこの七十年は厳密な長さではなく、新バビロニア王朝の最盛期を大まかに示す...1914が絡まなければ歴史と照らし合わせて無理のない説明をします。
エレミヤ29章 バビロンで?バビロンに対する?七十年が満ちるにつれて注意を向ける...これは第二次捕囚より前にバビロンに移された者たちに対する言葉です。ダニエルのような第一次流刑者の捕囚期間と「バビロン最盛期の七十年」はほぼ重なるようですが、第二次捕囚を前607年にするとおかしなことになりますね。
エレミヤ27章 エレミヤはバビロン側への従属を勧告した預言者です。この七十年は「神の僕」であるバビロンに諸国が仕えるべく与えられた期間、それが満ちるまではバビロンのくびきを負いなさい、反抗すれば攻めてくるよ...初めから荒廃ありきの、しかも厳密な七十年ではありません。事実、バビロンに仕える期間の長さ、その度合いは民族によってまちまちで(も塔も認めている)、被征服諸民族に寛容だったキュロスが解放したのもユダヤ人だけではありません。
ダニエル9章 彼はエレミヤを基に語っているのですから、そこの一節だけでなく↑のような流れを考慮すべきです。ゼデキヤがエジプト側と組んでバビロンに反抗して起きた第二次捕囚は大規模だったとはいえ、それが最後の流刑ではありません(エレミヤ52章)。
ゼカリヤ1章と7章 ゼカリヤはゼルバベルとヨシュアによるユダヤ新時代への期待を鼓舞した預言者です。この書での七十年はエルサレムとユダの諸都市が糾弾された期間、そのことで民が断食を続けた期間とされています。
どこをどうとっても、厳密にきっかり70年でないと気が済まないような次元で書かれているものではないですね
#102 2016年06月15日 21:16:17
- yangmask
- ゲストユーザー
Re: 聖書のみで607年は覆る
#103 2016年06月16日 14:44:26
#104 2016年06月16日 17:42:28
- ジョエル
- ゲストユーザー
Re: 聖書のみで607年は覆る
あ、訂正します。
エホヤキム王政第3年(BC605)にバビロンに移されたダニエルを第一次捕囚とするなら、BC587は第三次です。BC597のエルサレム侵攻を第一次捕囚とする場合が多いようです。
BC587以前にバビロンに大人しく連行された流刑者は「早なりの良いいちじく」(エレミヤ24章)で、彼らに対しては時(七十年)が満ちるまでそこに平安に住むように、と書き送っています(エレミヤ29章)。そして25章でも「七十年が満ちた時にバビロンに言い開きを求める」と言っています。
元のエレミヤを読めば荒廃ありきの従属ではないのは明白です。といっても完全に別物、というよりユダの荒廃はバビロンの七十年に含まれている、と自分は考えます。それぞれの被征服民族が新バビロニア王朝に支配される実際の期間はまちまち(ユダヤ人が流刑にされたタイミングもまちまち)ですから、その七十年にはバビロンへの従属のくびきを断ち切ったことによるエルサレムと諸都市の荒廃も含まれています。
エレミヤのメッセージは周辺諸民族に誘われてバビロンに逆らうな、この七十年はあいつらもまとめて従属することになる、というものです。そのバビロンの七十年が満ちるとき、諸民族の流刑(ユダヤ人含む)と荒廃も満了、というか終了する(解放に付随していずれ生じる)ことになります。
後代のダニエルやエズラの関心は自民族のことですから、荒廃の間は安息を守って「エレミヤの七十年」を満了=バビロンの言い開きとそれほどタイミングを違えずに終了する(した)、とするのはごく自然です。
このサイト含め、エレミヤとゼカリヤの七十年を別物とするのは解釈の1つと思います(書かれた時代も異なるし、ゼカリヤからエレミヤへの言及はない)。いずれにしても、イザヤ、エレミヤ、ゼカリヤなど、七十年、という表現は幾つもの箇所で、一人の王の日数のように、ひとつの世代(時代)、大まかな期間を示唆するものとして使われています。ユダヤ人の第二次捕囚だけ引っ張り出して、それが歴史年表上、厳密にきっかり70年だとは聖書からも読み取れません。
#105 2016年06月17日 00:04:33
- キーボード
- ゲストユーザー
Re: 聖書のみで607年は覆る
キーボードです。
お返事がいつも遅くて申し訳ありません。
いつの間にか一気に書き込みが増え、情報量も雪だるま式に増加しているように感じています。
特に、エルサレムの荒廃に関連する「70年」が時間的厳密性を問うべきものではないとして、それを説明するための聖句・資料等を豊富に例示していただきました。ありがとうございます。いずれも大変参考になるものだと思います。
yangmaskさんのコメント中にあるリンク先にもデータバンクのように資料がよく整理されているようですので、後ほど目を通させていただきます。
エルサレムの荒廃に関連する預言を考察するとき、キーとなる聖句はやはりダニエル書の第9章だと思います。
(ダニエル9:2)
その統治の第一年に,わたしダニエルは,エルサレムの荒廃が満了するまでの年の数を幾つかの書によって知った。
ここでダニエルは、「~までの年の数」と述べています。この「~までの年の数」という語句からは、10年ぐらいのうちのどこかで起きるだろうという時間的に曖昧な意図は感じられず、むしろ具体的に「年の数」すなわち年単位で厳密に知ったということを強く示唆しているように思います。
さらに、同じ第9章はその後、メシアの到来に関する預言へと連続的につながっているわけですが、それは主イエス・キリストに関連して年単位で厳密に説明がついていたと記憶しています。
ダニエル書の預言で、かたや時間的厳密性は無視してもよく、一方では厳密性が担保されているというのは預言の解釈として一貫性に欠けるのではないでしょうか。
本トピックの主はガリレオさんですが、ガリレオさんの身内の方は、こういった随所に曖昧さの残る説明で本当に納得されたのでしょうか?気になるところであります。
#106 2016年06月17日 01:01:36
#107 2016年06月17日 14:01:36
- yangmask
- ゲストユーザー
Re: 聖書のみで607年は覆る
先に挙げたリンク先でも述べていますが、エレミヤ書を、ダニエル自身が「エルサレムの荒廃の時が終わるまで」という期間と関連付けているのですから、後代の私たちが改めて「七十年はバビロンの王に与えられた年数」という新解釈を述べても仕方がありませんね。聖書そのもの(ダニエル書)が、そういう意味だと言っているわけですから。
それに、ダニエルの祈りを読んでも、その主な関心がエルサレムにおける神殿の状態にこそあったことは明白です。彼はバビロンの支配の存続云々を気にかけていたのではありません。それは歴代第二を書いたエズラも同様です。
その点を踏まえると、「エレミヤの70年」は、エルサレムの神殿における神への崇拝が中断された期間であると判断できます。その中断からの回復こそが、ダニエルとエズラの関心事であり、それゆえに、彼らの指す「70年」とはその期間のことであるはずです。それは、エルサレム消失で始まり、ユダヤ人帰還により崇拝が再開された時までの期間です。
★ダニエルはなぜ預言を調べていたのか? 彼の関心事、知りたかったことは何か?
★上記より、ダニエルの指す「70年」とはどの期間のことだと言えるのか?
★本当に、ダニエルとは異なるエレミヤ書についての新解釈を立てる必要があるのか?
#108 2016年06月17日 14:55:54
- takkun
- ゲストユーザー
Re: 聖書のみで607年は覆る
#109 2016年06月17日 14:57:29
- ジョエル
- ゲストユーザー
Re: 聖書のみで607年は覆る
新解釈ではなくて、エレミヤがそうはっきり言っているんですが(汗
「諸国の民」が七十年仕えることになる、その七十年が満ちたとき「バビロン」に言い開きを求めると(25章)
荒廃は警告で、その勧告(エレミヤ27章)に従わずにバビロンのくびきを断ったから予告通り攻めてきた
エレミヤ29章の七十年はまだ始まっていないのに初期の流刑者たちに語ったんでしょうか。これから始まる「エルサレム荒廃」のきっかり70年後に連れ戻すとは言っていません。
曖昧な点はどこにもありません
「エルサレムが荒廃している期間」がきっかり70年だと、ダニエルはエレミヤのどこからどうやって読み取ったのでしょうか
彼の関心はエルサレムの復興なので、エレミヤの七十年(バビロン支配)が満ちることをエルサレムの荒廃が終了することに適用した、のはごく自然です
その七十年が満ちるなら祖国に連れ戻す、とエレミヤに書いてありますから
一心にわたしを尋ね求めるなら(29章口語訳)、だからあなたを求めます、遅れずに行動してください(バビロンが陥落したのだから復興も近いはず)と祈っているんですよね
ダニエル9:2の言葉遣いだけにとらわれずに、文脈や背景、他の聖句との関連を見ることは大切です
#110 2016年06月17日 15:15:45
#111 2016年06月17日 15:19:39
- 閲覧者
- ゲストユーザー
Re: 聖書のみで607年は覆る
ヤンマス師 結論ありきで屁理屈こね回し
#112 2016年06月17日 15:59:27
- yangmask
- ゲストユーザー
Re: 聖書のみで607年は覆る
>新解釈ではなくて、エレミヤがそうはっきり言っているんですが(汗
はい。ですから、そのエレミヤの記述をダニエルがどう解釈したのか?ということが重要な点ですね。つまり、エレミヤ書を読んだ結果、ダニエルが出した解釈と同じように、私たちも解釈するべきだということです。
ダニエルにしても、エズラにしても、バビロンの支配期間のことなどには全く触れておらず、むしろ、エルサレムでの崇拝の回復にこそ注意を向けていますね。ですから、カール・オルフ・ジョンソン氏のように、エレミヤの70年をバビロンの支配期間と結びつけるのは、ダニエル・エズラとは異なる「新解釈」だと言えるわけです。
ーーーーー
結局、この問題は、聖書が70年と述べているのに、考古学が50年と主張しているところから始まっていますね。考古学の現在の理解が未来永劫決して変わることのない絶対的な真理であるかのように考えるから、カール・オルフ・ジョンソン氏のように、日和って聖書の解釈を曲げようとするのだと思います。
聖書を素直に読めば、「エルサレムの回復までに70年」というのが普通に出せる結論だと思いますよ。ただ考古学と辻褄を合わせようとするから、新解釈を持ち出しているというだけで・・・。
#113 2016年06月17日 16:26:48
- digipino2
- ゲストユーザー
Re: 聖書のみで607年は覆る
ヤンマス、
逝ってよしw
てか、まだ生きてたのか。
#114 2016年06月17日 17:31:27
#115 2016年06月17日 17:31:56
- takkun
- ゲストユーザー
Re: 聖書のみで607年は覆る
ヤングマスクさん
おっしゃるとおり、ダニエルを素直に読めば「エルサレムの回復までに70年」と読めますよ。
そして、エレミヤを素直に読めば「諸国民がバビロンに従属する70年」と読めます。
この違いをどのように判断するかだと思います。
この掲示板を活用される大多数の方は、ダニエルが読んだ元を見ればわかると言われますし、
ヤングマスクさんは、新しい(啓発を受けたダニエルが書いた)方を見るべきだ、と言われるのだと思います。
どちらにも理があり、どっちをとったとしても聖書の解釈を曲げたことにならないと思います。
まずこのことに対して意見をいただけますか?
どちらでも聖書と整合がとれるとなれば、あとは何を助けとするかです。
圧倒的な考古学(歴史学、天文学)の証拠 →BC587滅び →エレミヤの70年解釈
エホバの証人の統治体 →BC607滅び →ダニエルの70年解釈
統治体は(正しいかは置いといて)BC587にすると聖書と整合性がとれないと言いますがそういうことはないのです。
つまり、聖書を信じるか考古学を信じるかではなく、統治体を信じるか考古学を信じるかです。
違いますか?
#116 2016年06月17日 18:36:54
- ジョエル
- ゲストユーザー
Re: 聖書のみで607年は覆る
本題からそれますが、ダニエル七十週のWT解釈変更について
(カレブさん引用のも2014年2月15日より)
それを基にメシア到来を期待したユダヤ人もいなかった、そして事後にも、それを「イエスが地上に来られたこと」(生誕や洗礼のタイミング)に適用した新約筆者は一人もいないと、さらりと認めています
その記事にあるように、キリスト直近に存在し、大量のユダヤ教文献を保管・研究しつつメシアを期待した敬虔な一派も七十週に言及していないという、死海文書の発見、公開、研究が進んだ影響もあるのかもしれません
起点をBC457に置いたり、年数ではなく日数計算したり、何とか何かに近づけようとする人もいますが、も塔の年代を使っている人は確かに見つかりませんでした
も塔が今後、日和るのか(笑)どうするか知りませんが、七十週の「現在の理解」を知りたい方は~、といずれ調整する可能性も含ませてトーンダウンしてますね
#117 2016年06月17日 18:39:32
- yangmask
- ゲストユーザー
Re: 聖書のみで607年は覆る
#118 2016年06月17日 19:54:04
#119 2016年06月17日 20:41:56
#120 2016年06月17日 21:14:27
- あのう
- ゲストユーザー
Re: 聖書のみで607年は覆る
あのう〜。
ヤングさんとは、
まともな話し合いができないかと思われます。
せっかくの会議も、
無駄になるような気が。
できるだけスタディを
有意義にしてほしいのですが。
てか、ヤングさん、
何故くるのですか。
自分の掲示板があるのですから、そこに行かれては?
スタディではあなたは決して歓迎されていないのですから。
はっきり言って、目くそ鼻くそですよ。
#121 2016年06月17日 22:22:59
#122 2016年06月17日 22:29:19
- あのう
- ゲストユーザー
Re: 聖書のみで607年は覆る
ガリレオさん。
はい、できるだけ有意義に。
でも、会話にならないなら、無視のほうがいいと思われます。
ヤングさんの一連のやり取りの場合、
情報の正確性がはっきりしない、または、あてにならないことも多数ありましたので、あまり信頼しないほうがいいです。
でも、ガリレオさんにお任せします。
できるだけ有意義になりますよう、願っています。
#123 2016年06月18日 01:38:46
- yangmask
- ゲストユーザー
Re: 聖書のみで607年は覆る
ガリレオくん。
公平な対応をうれしく思います。
ーーーーー
>では帰還した民はその後20年間無駄な断食をしたということになるのでしょうか?エホバもそれを20年も放置して?
はい。ですから民も「もうそろそろ止めましょうか?」という意味で「(これ以後も)泣き悲しむべきでしょうか」と尋ねに来たのだと思いますよ。つまり、帰還民は、解放と帰還により自由と自分たちの住まいとを取り戻したので、喜びと活気を取り戻していたようですね。エズラ記には神殿の土台を据えた際に、民が大いに喜んだことがエズラ3章に記録されています。
例えると、戦後すぐの日本のような感じですね。1945年に終戦で、早くも1964年には東京オリンピックが開かれるほどに復興していました。そして、高度成長の波に乗って猛烈社員たちが栄養ドリンクを飲みつつ24時間戦っているような、そういう爆発的に活気のある時代でした。とはいえ、日本でも毎年毎年、原爆記念日や終戦記念日には、やはり涙を流してもきました。
ユダヤの帰還民たちの場合、都市の破壊と多くの人たちの死という経験は、もう90年も昔の話であり、その場にいたほとんどの新しい世代の知らない、そういう時期でした。ですから、そうですね、この日本が今後もう何十年も平和が続いたとして、例えば、終戦後100年以上も経って、戦争に行った世代がいなくなるころ、「そろそろ区切りもよいし、これをもって毎年恒例の記念日はおしまいにしましょうか?」と言い出すようなものかと思います。たとえそうなったとしても、これまでの記念日が無駄だったというわけではありませんよね?
ーーーーー
>しかもエホバに対してはとりわけ意味のなかった20年間の断食については触れることさえなく、過去の70年の断食が不誠実だったと突っ込まれる始末。20年以上前の出来事を蒸し返して。
ゼカリヤ7:5の「しかもそれは七十年に及んだが」については、上記で述べたように、帰還民は帰還によりエホバ神の許し、解放、自由、土地の再取得、復興、そして喜びとを経験していたので、それ以前のバビロンに幽閉され、捕囚民・奴隷扱いをされていた卑しい身分の頃とは環境が全く異なるという点に注目してください。
つまり、解放後の断食は、いわば記念日的なものとなっていたということです。だから、「もう止めましょうか?」と言い出したわけですよね。
ですから、本当の意味で嘆き悲しみつつ断食をし、エホバに切に許しを乞うていたのは、バビロンにいた70年間の時期だけです。ところが、その70年間の断食でさえも心構えとしてはエホバの目には不十分で、そのような形式崇拝ではなく、預言者を通して語られるエホバの言葉にこそ従うべきであることを諭しているのだと思います。
ーーーーー
★つまり、解放前と解放後のユダヤ人の身分や心境には、明らかにとても大きな変化があり、ゆえに、それらを連続的なものとみなすのは不自然だということですね。それは、日本でも戦前・戦中と戦後とでは時代が異なると認識されているのと同じことだと思います。
①バビロンでの捕囚期間。悲嘆しつつ断食。70年。
②解放、帰還後。記念日的な断食。20年。
ということですね。
#124 2016年06月18日 06:45:33
#125 2016年06月18日 07:16:23
- あのう
- ゲストユーザー
Re: 聖書のみで607年は覆る
やっぱヤンマスの見解はどこかおかしいね。
あまりあてにならないから用心深く読むべきだね。