#3 2013年08月18日 09:02:14
- もんもん
- メンバー
Re: 冊子「ものみの塔」について
>その攻撃の際、エホバの組織から与えられる指示は、奇妙で異例なものに思えるかもしれない。しかし、私たちは皆、同意できるかどうかにかかわらず。どんな指示にもすぐ従うべきである。それらに従うことは命を意味するからである。
これは、僕も非常に怖い記事だと思いました。良心的な判断ではなくって、それがどんなに奇妙で異例であっても従わせるということは、つまり、ものみの塔協会は、奇妙で異例なことを計画しているということを示しているからです。奇妙で異例な計画を発表したときに、長老たちを従わせて、従うことが命への道であると主張することは、非常に悪質だと思いました。犯罪とまではいかないでしょうけれど、排斥の基準を変えて、大量排斥を行うということなんかを、やってくるかもしれませんね。
長老たちが排斥マシーンにならないことを祈ります。
編集者 もんもん (2013年08月18日 09:03:34)
オフライン
#6 2013年08月18日 11:53:22
- 黒河内隆
- ゲストユーザー
Re: 冊子「ものみの塔」について
これほど情報網が発達した時代ですから組織も相当あせりが見えていると思われますね、逃げ道の無い
袋小路に追い込まれたような感じでもう最後の手段しかないって感じなのでしょう。ものみの塔組織内部のハルマゲドンの終わりが近い
しるしが見え始めているのではないのかな? どう見てもまともな記事ではありませんね
#7 2013年08月20日 17:49:58
- 鬼太郎
- ゲストユーザー
Re: 冊子「ものみの塔」について
これは、いわば最後の悪あがきとしか思えません。
つまり、最後の終わりの時 どんな奇異な指示であっても従えるように、今現在の少しましな指示には絶対に従え、
この程度( ネットの背教的な情報収集の禁止等 )の指示に従うことに疑問を持つ奴はハルマゲドンを生き残れない
仮に会衆内にそんな奴がいたら危険分子として長老に報告しろ
恐らく、以上のような脅しを表現を変えたものと思います。
同時に盲目的な古い信者は『やはり統治体はハルマゲドンが近いことを知っている 恐らくその際の指示もある程度想定しているから、
今現在はねそのための警告として 奇妙な指示 といった表現を使っているのでは?』
いわば一種の攪乱作戦でもあったりして、、。
#8 2013年08月21日 22:56:42
- 黒河内 隆
- ゲストユーザー
Re: 冊子「ものみの塔」について
少しでも異議を唱えるやつがいれば徹底的に潰せと言う考え方は、ものみの塔の正体見たり、と言っても過言ではありません
信者には道徳的にも家族生活という面でも敬虔に振舞うように聖書から教えることにより一般の人々には怪しげの無い宗教だと言う
印象をあたえて実は指導部は腹のどす黒いものがうずめいているかのような感じですね
私が思うのはマタイ24:24の偽キリストや偽預言者がおこり出来れば選ばれた者たちをさえ惑わそうとして大きなしるしや
不思議を行うからです、という言葉を思い出しました。カルト宗教その行いが一般の人々にも容易に理解できますが
それとは見分けの付かないものもあります。あの宗教は殺人鬼の団体とか異質の宗教とかあの人達と話してみると決して悪い人達ではない
とか思いは様々ですが、心に銘記しておくことはサタン自身がいつも光の使いに変容させていると言うことかもしれません
なるほど表面的には問題の無い良い人たちかもしれません、もし一般の人々でも見分けられる変な人達だったら信者は集められませんからね
つまり選ばれた者たちをも惑わそうとする偽預言者の正体は実はものみの塔だったりして 、 間違っているとは思いますがね
#10 2013年08月23日 20:57:47
- 黒河内隆
- ゲストユーザー
Re: 冊子「ものみの塔」について
まず長老たちに忠誠心を促して信者が疑問を感じたり不信に感じた場合説得に当らせる腹ではないかと思うのですが
組織の状態を客観的に見る人が大勢いてくれたらと思います。交わっていた会衆の方々は良い方々でしたから
#11 2013年08月25日 15:52:50
- 鬼太郎
- ゲストユーザー
Re: 冊子「ものみの塔」について
長老達にとっては大助かりの記事でもあります。
不平不満 会衆内でのトラブル不一致 組織への疑念等 この記事を強調すれば全て解決ですから、、。
それでも疑問や不平を言えば、、、霊的に弱い人 最悪で危険人物扱いできます。
#12 2013年08月25日 17:57:16
- 黒河内
- ゲストユーザー
Re: 冊子「ものみの塔」について
何かに対して疑問、不平、不満を抱く人がいた場合、内気な人は心に思っているだけで誰にも話さないかもしれません
しかしそのうちに野外奉仕の時間が徐々に減り、集会出席が減って来るかもしれません
当然長老たちは面接します。そしてその理由を話すかもしれません。考えられることは霊的に弱いものつまり聖書の真理にではなく
ものみの塔の作り上げた教理や出来事に対して不満を抱くものは審理工程無しに首切りにするつまり排斥にするという
極端な行動に出るかもしれません。これが奇妙で異例な指示に含まれるかもしれないですね
私個人の憶測ですが
#13 2013年08月26日 21:23:01
- もんもん
- メンバー
Re: 冊子「ものみの塔」について
こんな表現をよくものみの塔に掲載してきたなぁと思います。「理由が理解できない場合でも従いましょう」みたいな遠まわしの記事はありましたが、ここまで露骨に表現した記事はなかったように思います。
「エホバの組織から与えられる指示は、奇妙で異例なものに思えるかもしれない。しかし、私たちは皆、同意できるかどうかにかかわらず。どんな指示にもすぐ従うべきである。」
執筆部門が書いた記事は、法律部門に渡されて、直接指示を与えているような表現は、校正されると僕は推測しているのですが、本部でも分裂が生じたり、法律部門が最近のいろいろな事件で圧迫されて、うまく連携がとれなくなっているのかもしれませんね。ものみの塔協会の本部の情報をリークしてくれる人なんかが登場すると、また面白い展開になるかもしれませんね。
オフライン
#16 2013年08月27日 19:04:08
- 黒河内隆
- ゲストユーザー
Re: 冊子「ものみの塔」について
ある方にメールしたところその方がウェーブサイトを見たらそのような言葉はどこにありますかと質問されました。私も現物の雑誌を持っていないので
分からないのですが? その人も調べたようなのですが 奇妙で異例と思える指示と言う言葉ですが
他の人の不完全さを見過ごすという言葉はあったようなのですが?
#18 2013年08月27日 22:03:24
- もんもん
- メンバー
Re: 冊子「ものみの塔」について
ニュアンスがだいぶ違いますね。
「その攻撃の際、エホバの組織から与えられる指示は、奇妙で異例なものに思えるかもしれない。しかし、私たちは皆、同意できるかどうかにかかわらず。どんな指示にもすぐ従うべきである。」
「戦略的な見地あるいは人間の見地から健全とは思えない指示を受けたとしても,いつでも従う心づもりでいるように」
趣旨としては、神権的な戦いをするように、励ましているのかな。神権的戦術を思い出しますね。
>もんもんさん 法律部門が校正を行うことはあると思いますが,それは法律上問題あるような場合だけだと思います。
>今回の記事は”常識的に”問題はありますが法律上は問題ないですので。
研究用ものみの塔に直接指示を命じるような表現があれば、それは、責任を問われたときに、言い逃れができなくなるので、あいまいな表現にするように心がけている感じを僕は感じ取ります。兄弟・姉妹の心に強い圧迫をかけるような表現で、かつ法律的には問題のない表現を使うという方法を使っているように思えてなりません。だから、執筆部門と法律部門は連携プレーしてるのかなと思っているのですが、法律部門はほとんど関係ないのでしょうか?
編集者 もんもん (2013年08月27日 22:09:06)
オフライン
#23 2013年08月29日 20:05:09
- 黒河内隆
- ゲストユーザー
Re: 冊子「ものみの塔」について
もんもんさん、ずるい組織になっちゃったのは前からだと思います。偽予言を何度も行ってそのたんび言い訳じみた論評を行ってある時は
あなた方は徳をしたなとどといってますから、少しそれますが1975年に終わりが来ると言っていたときに年金を解約した兄弟姉妹が
いましたが予言が外れてその後の生活でろとうに迷った人もいるのではないでしょうか
聖なるものも、組織の取り決めも区別がなく一色単ですからそれ以外のものは悪と言う考えなのでしょう。
ところでskさんの言っていたエゼキエル22:26節の聖句の詳細な説明が2010年のものみの塔ライブラリーの聖句索引に
載っていないのですがなぜなんでしょうか? それ以降の出版物に載ってましたかね?
#24 2013年09月06日 08:23:54
- 黒河内 隆
- ゲストユーザー
Re: 冊子「ものみの塔」について
同意出来ない事に従わせると言うことは明らかにコリント第二9:7の原則に反しています。
各自いやいやながらでも強いられてでもなく、ただその心の決めたとおりに行いなさい。神は快く与える人を愛されるのです。
とありますから神にではなく組織にさえ従っていれば救われると言うものみの塔の考え方は、組織崇拝の何者でもありません
エレミヤ11:20ではむらとと心を調べておられる神ですから是認されない態度で崇拝することは神のご意志ではないのではないでしょうか?
現役の頃よく、今は従うことに疑問を感じていても後にその指示が正しかったと証明される時が必ず来ると言う論議で
やはりこの組織のみに神の聖霊の導きがあるんだ、と言う時が必ず来ると言い聞かされていましたが、来るんでしょうか。?
アカンやゲハジが受けたような結末しかないような感じがしますが?