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#1 2014年03月24日 21:50:16

sk
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主の晩餐

編集者 sk (2014年03月25日 06:25:45)

オフライン

#2 2014年03月25日 23:05:57

もんもん
メンバー

Re: 主の晩餐

skさん

よい考察をありがとうございます。
僕も今は同じように考えていて、記念を特別の日に行うかどうかを、他の人が裁くべきことではないと思います。
キリストの死を思い出すという役割が果たせていれば、方法はそれほど大事だとは思いません。

オフライン

#3 2014年04月14日 22:42:34

sk
メンバー

Re: 主の晩餐

編集者 sk (2014年04月14日 22:43:09)

オフライン

#4 2014年04月15日 13:30:59

ダメ人間
ゲストユーザー

Re: 主の晩餐

今年の記念式の話はこんな感じでした

・例年前半で扱う、記念式を祝う日付(今夜4/14(月)がニサン14日である)の言及がなかった
→ 今年はおかしい事を自覚してるんでしょうね

・表象物に与らない予防線が随所に張られ、多く時間配分された
→ 天的な希望を抱く人の自覚に関する内容がなかった
   イザヤ書各所から楽園での祝福を多数挙げ「これら喜びを感じるなら地的な級だ」
   何度も「この会場にいる人は地的希望を抱く人ばかり」と言及

聞いてはいましたが、例年と結構異なる筋書きだった模様です。
何としても表象物に与る人を減らしたい意図に満ちた内容に感じました。
でも周囲では、内容が変わったとかそういう感想は会場では聞かれず、
今後、個人的な会話の中で聞かれるか注目してみたいと思います。


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