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トピックレビュー(最新表示)

もんもん
2014年12月07日 22:05:33

心にしみる、よい訳ですね。

possible
2014年12月07日 19:39:56
sk
2014年12月07日 07:20:40

おはようございます。


possibleさん、

へ~、驚きました。
ギリシャ語には語順が無いんですね。

リンクも読みました。

すごいですね。
ギリシャ語やヘブライ語の流れに慣れる必要がありますね。


ギリシャ語に関しては、教えていただいたギリシャ語の特徴、つまり「著者が大切に思ってる事柄(伝えたいこと)を「最初」に持ってきたり、「最後」に持ってきたりする。」を意識して意味をつかむようにしたいと思います。

ことばについての興味深い解説ありがとうございました。

possible
2014年12月07日 02:39:13
sk
2014年12月03日 06:44:17
possible
2014年12月03日 04:16:13
possible
2014年12月03日 04:01:10
possible
2014年12月03日 03:15:46
u-chan
2014年12月03日 02:08:55

書き込んだあとでなんですが。

このスレッドって、訳の是非に対するものでしたっけ?

それとも、コリントの該当箇所の「主」が、どちらの解釈であるか、でしたっけ?

possibleさんのものみのだけが批判されるべきではないという意見について。
理解はできますが洗脳という実態と強く結び付きかつ、盲信という有害さに導く点を考慮すれば、ものみの塔のみが批判されても仕方ないと思います。

u-chan
2014年12月03日 01:48:08

翻訳者(個人であれ団体であれ)の見解を訳文の中に表すことは、原典に対する冒涜だと思います。

田川建三さんの新約聖書には、岩波書店訳、新改訳、口語訳等の日本語訳に対して、「そんな無茶な訳があるか!」と、手厳しく批判されています。
田川さんは、ルターの偉業には敬意を払いつつ、その訳の不正確な部分を正されていらっしゃるので、宗教家であればこそ言語学者の訳とは異なる解釈によって訳語を選択しがちであることを指摘されています。

小説の日本語訳では、直訳では本来の作品からかけ離れてしまう(と訳者が感じる)場合に、違う言葉を選択することもあるでしょう。
しかし、その場合でも原作者の了解のもとで、なされるべきでしょう。

しかし、もはや執筆者に意見を聞くこともかなわぬ聖書に対して、また正確に伝えることを願って書かれた聖書の言葉に対して、見解を訳に紛れ込ませることは、冒涜と批判されても仕方ないでしょう。

私には、田川さんの訳が正しいかの判断はできませんが、その姿勢は見習うべきだと思います。

カレブ
2014年12月02日 11:09:24

新約聖書のヘブライ語版を作る際に キュリオスをYHWH(ユダヤ人はアドナイと発音)と訳出するのは間違っています。

新世界訳であれ、他のヘブライ語訳であれ 問題は同じです。

ただ ものみの塔と 他の訳者の目的は同じものではないように思います。
ヘブライ語訳の訳者は三位一体の考えを基にしてユダヤ人福音宣教に有利になると
考えた人もいるのではないかと思います。

YHWHと訳した翻訳者の中で パウロがその著作の中で神の名前としてのYHWHを
実際に記述したと本気で信じている人がどれだけいるのか疑問です。

オーシャンQ
2014年12月02日 07:20:45

sspossibleさん 深夜にもかかわらずご親切な指導ありがとうございました。
ケレブさん、項目分けありがとうございました。投稿掲載場所のルールを十分理解せず指導していただき、助かります。それに聖書の理解の基本原則を教えていただきありがとうございました。
更にskさんの理解しやすい説明、誠にありがとうございました。十分に理解します。
さて、聖書の理解度を増すためには、日本語訳のほか「ギリシャ語やヘブライ語の聖書を見ればと」の指摘は十分理解します。
今回、1つの聖句の表記だけでなく、その章の意味することが理解できないと文脈が混乱するとの思いで投稿しました。
神とイエスの関係を十分に認識すると「イエスが、人と神とが和解できるようにしている(新しい契約)。コリント会衆の信徒にイエスキリストの力をパウロが説明している。」ことを踏まえて、聖書に記されたパウロの説明したかったことが理解できないと神のおしえの土台がおかしくなるのではないでしょうか?
(神エホバ⇔イエスキリスト⇔人)これが一体となれる。
コリント第二 3章の意味合い及び3章14節後段に記された
「・・・それはキリストによって除き去られるものだからです。」(新世界訳)を基本にすると3章16節~18節にエホバとした場合には、3章全体とが文脈になじまないし、ギリシャ語聖書におけるパウロの得た・理解したイエスキリストの役割が説明できないようにしてしまうのではないでしょうか?(イエスキリストが救世主と理解すればとの思い)
「主(イエスキリスト)によりベールは取り除かれる」と。

「イエスを見た者は神をも見ている。イエスは神と一体だから」の理解からエホバでもイエスでもどちらでも可とすると個人の判断や思いで聖書を理解することもありと思います。最終的に 神と個人の在り方 でしょうが・・・・。
皆様に聖書の知識不足を補っていただき、ありがとうございます。
skさん、早朝からの御指導ありがとうございました。
神と主イエスキリストから過分な親切と愛を受けて、聖書の理解を助けていただきました。感謝します。皆様にも神の聖霊がとどまりますように!

sk
2014年12月02日 06:19:52
possible
2014年12月02日 04:04:25
カレブ
2014年12月02日 02:16:00

オーシャンQさん トピックを分割しました。

現役エホバの証人の人も この翻訳の問題点については
考える良い機会だと思います。

この部分のギリシャ語写本のどれを見ても「キュリオス(主)」となっているのですから
それは そのまま「主」と訳すべきだと思います。

推測に基づき「エホバ」と置き換える行為は やってはならない行為です。

エホバの証人は一般キリスト教会が 旧約聖書中のYHWHを主と訳出していることを
非難していますが、 主流教会と ものみの塔 のどちらが問題ありかと言えば
断然 ものみの塔のやっていることのほうが問題です。

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