#26 2013年05月23日 01:20:25
- tetu
- ゲストユーザー
Re: 司会者を変更することについて
...自由意志には責任が伴います。
撒くものを人は刈り取ります。
自ら原因を作り、その結果を刈り取るという原則の下に全ては展開してゆきます。
これだけは言わせてください。
この原理があてはまらないことが多いと
思います。
私の周りにも本当に純朴な方が、不当にも
騙されたりして小さなお子さんをつれて
夜逃げ同然に出ていかれました。
その方たちに、
あなたはまいたものをかりとったなど、とても言えません。
#27 2013年05月23日 01:29:44
- iris
- ゲストユーザー
Re: 司会者を変更することについて
こんばんは。skさんの心がパウロのように燃えているのが見えるようです。
決して揶揄ではありません。
わたしも同じように、エホバの証人として熱心でした。
エホバ神、イエスキリスト、復活、裁きをエホバの証人の兄弟姉妹たちと同じように信じています。
それを変える必要はありませんし、ものみの塔がバビロンだからといって、それが自分の信仰の破船のいい訳にはなりません。以前は、皆さんと同じようにものみの塔協会の伝統(インチキ)により、忠実で思慮深い奴隷級をイエスが用いていると信じていました。
しかし、それはそれ以外を考えない洗脳の結果でした。
神さまの恵みによって覚醒されおめでとうございます。
私はskさんのキリストへの信仰は、エホバの証人の兄弟姉妹たちとはまったく違うと思います。キリストについてのskさんの理解は
聖書にある通りでキリスト教ですが、エホバの証人の理解はものみの塔が考え出したものでキリスト教ではありません。
もしかするとskさん自身も、その違いに気づいておられないのかもしれませんが。
大いなるバビロンについて
JW研究さんは啓示の書を神からの啓示という観点でみることができない、あるいはしたくない、するつもりもないようですね。
神からの啓示という観点でみようが、そうでない観点でみようが、「大いなるバビロン」が何を指すか検討するには影響はないと思いますが。
初めから信仰がなくては理解できないのであれば、聖書をまったく知らない人はどうやって正しい理解に達するのですか。
skさんも、エホバの証人としてキリスト教の一部(核心以外)を学んだからこそ、現在のような自分なりの信仰を確立することができたのでしょう。
サタンが最初に生み出した偽キリスト教のローマカトリック教会から今日のプロテスタント教会、またものみの塔協会、
モルモン教会などの多くの宗教組織が生まれてきました。それらの組織は真理を餌に人々を取り込むサタンの罠です。
これらのすべてに共通する点は、そのすべてが国家の承認を受けた宗教法人であることです。(中略)
また、キリスト教だけでなく、仏教、ヒンズー教、神道、イスラム教、ユダヤ教、またそれらから派生した宗教法人はすべて
国家への登記と承認により組織活動(宗教活動)を行っています。これらもまた全て大いなるバビロンのパーツです。。
以前もお尋ねしたことがありましたが、国家の承認を受けていれば大いなるバビロンのパーツであるという理屈は聖書の裏付けがありますか。
国家の承認を受けていても、迫害を受けることはありますよね。
それでもなお、神とキリストの導きにより、数万もの聖書写本が今日まで継承され、その写本を比較研究することでサタンの偽りの排除が可能です。
キリスト教が組織的に広まり、ヨーロッパで社会的に重要視されてきたからこそ、古典の中でも聖書が特別に重要視され、多くの写本が保存され、正文批判(原文の確定)も発達したのです。
その積み重ねがあるからこそ、skさんも比較研究ができるのでしょう。要するにカトリックに始まる大いなるバビロンのおかげです。
都合のいいことは神とキリストの導きといい、都合の悪いことはサタンの策略であるというのはものみの塔に特徴的な考え方です。
クリスチャンの一致について、
クリスチャンの一致は以下の3つの条件において達成されます。
条件1 イエスのことばのうちにとどまる
条件2 書かれていることを超えない
条件3 他人を自分の基準で裁かない以上のことを実践するなら、神とキリストの是認が得られるでしょう。
そのようにするクリスチャンたちは、確実に信仰の一致に導かれるでしょう。
skさんはこの3つの条件を満たしていると思っておられることでしょう。
けれども私の意見では、skさんは3つとも満たしているとは思えません。
skさんの信仰は、エホバの証人時代の経験に基づくskさん自身の信仰であって、
ほかの誰の信仰とも一致はしないと思います。
私の信仰が、キリストの存在を知った幼いころからの経験に基づく私自身の信仰であって、
カトリックの信仰そのものではなく、ほかの誰の信仰とも一致しないのと同じです。
信仰の完全な一致という幻想は組織を重んじる宗教(たとえばものみの塔)の産物です。
完全に一致していれば、まとめるのが簡単だからです。異端を排除するのはそのためです。
もし聖書だけで完全に一致できるのであれば、skさんの理想通りまとめ役も要らないでしょう。
けれども実際にはそうはなりません。神がそのように聖書を備えられたからです。
skさんも、tetuさんの御指摘のように御自分の理解と異なる見解を許さないのであれば、
(御自分の理解が聖書の真理であり、誰もがブレなく一致するはずだと主張されていますね)
異端を排除しようとする組織宗教と同じ穴のムジナということになりませんか?
#28 2013年05月23日 19:52:12
- sk
- メンバー
Re: 司会者を変更することについて
こんばんは、
tetu さん
偽りはサタンから始まりました。
エバそれに欺かれました。
アダムは結果を知りつつ偽りを選びました。
同じことが今日まで続いています。
真理に快く反応するか、偽りを好むかは各自の問題です。
真理は神の側にあり、聖書により知ることができます。
真理を愛する人たちはキリストを聖書にあるとおり受け入れるでしょう。
真理を愛する人たちは真理を求める努力を惜しみませんし、確信した真理を売ることはありません。
真理への信仰は聞く(見る、読む、経験する)ことから生じます。
キリストは地上で真理を宣べ伝え、その弟子たちもそのようにしました。現在その記録は聖書の中に記録されていますので誰でも望むなら聖書を読み、調べ信仰を築くことができます。
無視論者でも、また神を求めている人も聖書を調べ神への偽善のない信仰を発展させることができます。
各々は最終的に真理の神に自分の言い開きをすることになります。
カトリック教会について
カトリック教会が聖書の普及に反対していたことは歴然としています。
聖書の幾万もの写本が残された功績はカトリック教会にはありません。
それは、カトリック教会の中で真理を優先させて犠牲になった人々や、カトリック教会外の多くのグループによるものです。
カトリック教会はそれらのいわゆる異端者たちを拷問してきました。
また、カトリック教会は三位一体の偽りの教理のために聖句を改竄した前科者です。
わたしは、彼らが行った蛮行を正当化することはできません。
皆さん、聖書そのものと宗教組織の歴史を自分で調査して真理を見出してください。インターネットは皆さんがそうするの容易にしています。そうすれば、何が真実か自分で判断できるでしょう。
国家登記宗教法人について
初期クリスチャン会衆がローマ帝国で広まった西暦1世紀の終わりごろには少なくとも40万人ほどのクリスチャンと称するキリストの弟子たちがいたと思われます。
パウロはそれらのクリスチャンに宛てて、上なる権威に従うように霊感による助言を与えています。それは各地のクリスチャンたちがローマ政府に宗教法人登記をして免税を申請することを勧めるものでしょか。そのようなことはないでしょう。
イエスは、「カエサルのものはカエサルに返しなさい」と明確に教えており、パウロ自身も「税を要求するものには、税を」と教えています。
クリスチャン会衆と国家の間に相互依存関係はありません。
そのような国家と宗教の相互依存関係を作ったのはサタンの支配下にあるローマ帝国でした。
その筆頭がローマ・カトリック教会です。
そして啓示の書は大いなるバビロンを野獣で表されている人間の政治体制の上に座す娼婦と描いています。
ですからクリスチャンのグループが免税等の特権を求めて国家登記法人になり宗教活動を拡大展開することが聖書的な裏づけを持つかどうか自分で判断してください。
もし全ての宗教法人が免税を取り消されたらおそらくそのほとんどは潰れるでしょう。
信仰の一致について
信仰の一致は幻想などではありません。
サタンの世における「唯一真の神の組織」は幻想です。
神はそのような目に見える組織を西暦1世紀にキリストの犠牲とともに捨て去りました。
各地にいる王国の子たちは聖書により同じ思いで結ばれています。
そして神はそれらの個々の人々をご存知です。
いつの時代でも、どこに住んでいてもキリストのことばにとどまっている人たちがいました。そのような人たちこそ真のキリストの弟子たちです。それらの人々の間に信仰の不一致などありません。
ヨハネ 8:31
31 そこでイエスは,自分を信じたユダヤ人たちにさらにこう言われた。「わたしの言葉のうちにとどまっているなら,あなた方はほんとうにわたしの弟子であり,32 また,真理を知り,真理はあなた方を自由にするでしょう」。
また神はいつの時代でも、どこに住んでいてもご自分に属する者たちをご存知です。
彼らこそアブラハムの胤であり信仰の不一致などありません。
テモテ第二 2:19
19 しかしながら,神の堅固な土台は不動であり,それにはこの証印が付いています。すなわち,「エホバはご自分に属する者たちを知っておられる」,また,「すべてエホバのみ名を唱える者は不義を捨てよ」。
ガラテア 3:29
29 さらに,キリストに属しているのであれば,あなた方はまさにアブラハムの胤であり,約束に関連した相続人です。
キリストの時代から今日に至るまで信仰の一致が存在します。
キリストを受け入れた多くの人々、つまりアブラハムの胤、約束に関連した相続人にとって信仰における不一致はありません。
しかし、多くの偽クリスチャンたちの間に一致はありません。
なぜならそれらの人々は、キリストのことばに精通しておらず自らの希望を聖書から立証することすらできないからです。
しかし、王国を相続する小さな群れに属する者たちは、パウロや他の使徒たちがしたように自らの希望の理由を聖書から論じるでしょう。そしてそれらの人々の間に信仰の不一致はありません。彼らこそ真実の小麦級です。それらの王国の相続者たちはやがて全員、み使いたちにより天に収穫されるでしょう。
彼らにとって自分の希望に不明な点はありません。
もしあなたが聖書、神、キリスト、王国、復活を信じているというなら自分の信仰を聖書から裏付けてください。
パウロや他の使徒たちがしたように聖書から論じてください。
自分の確信を恥じる人がいるでしょうか。
それを聖書から示して公にすれば、あざける者いるでしょうが、益を受ける人たちもいるでしょう。
真理は、キリストのことばのうちにとどまる者にとって、簡単であり、誰でも理解できるものです。
ヨハネ 8:31
31 そこでイエスは,自分を信じたユダヤ人たちにさらにこう言われた。「わたしの言葉のうちにとどまっているなら,あなた方はほんとうにわたしの弟子であり,32 また,真理を知り,真理はあなた方を自由にするでしょう」。
真理を知っている者たちの間に真理における不一致などあり得ません。
この掲示板では、信仰の表明より、不満、不信、批判が多いと思います。
聖書の真理を擁護する信仰の表明が余りありません。多分 0
神の公正さを疑う発言ばかりしている人たちは、サタンと同じ霊を示していると思います。
神の愛や公正さに疑いを抱くことはサタンとなったみ使いから始まりました。
もしあなたが聖書の神を信じて愛しているというのならその神を擁護してください。
社会全体の不公正について
信仰のない人が述べるようにそれは、神が存在しないからではありません。
また、それは神が公正に無関心であるのでもなく、神に残忍性があるからなのでもありません。
原因と結果の原則は普遍であり、やはり全てはこの原則によって展開しています。
また原因となるものは単にひとつではありません。それはいわば無限であり、結果もまたそれに応じて様々であるということです。それを簡単に「偶然」と表現します。
神以外の誰も、ある結果を招いた関係する全ての原因を知ることなどできないでしょう。
今日生じている世界的規模の不公正、暴虐、破壊など発端は、サタンの偽り(幻想)にあります。
その極めて深刻な影響ゆえに神は公正な裁きを約束しました。
アダムとエバがサタンの偽りの犠牲となった時、神はアダムとエバを含め人類に希望の約束をしました。
創世記 3:15
15 そしてわたしは,お前と女との間,またお前の胤と女の胤との間に敵意を置く。彼はお前の頭を砕き,お前は彼のかかとを砕くであろう」。
これは、全ての悪の原因が除去されるという約束であり、女の胤によって果たされるでしょう。
クリスチャンは、この希望について確固とした主張をする人々です。
これがキリスト教であり、王国の音信です。
神、キリスト、復活、裁き、悔改めの音信を調べてください。
皆さんがキリストによる救いの音信により慰められ、神を擁護するものとなることを希望します。
編集者 sk (2015年01月21日 20:08:18)
オフライン
#29 2013年05月23日 20:57:39
- tetu
- ゲストユーザー
Re: 司会者を変更することについて
分からない方ですね。
なぜすぐ不信仰やら神への非難やらと決めつけるのかな?
SKさんがいくら聖書の考えとか
神の考えとして述べたとしても
絶対正しい解釈など分からないのですから
他の人からすれば、それはあくまでも
「あなたの考え」なのですよ。
#30 2013年05月23日 21:24:40
- tetu
- ゲストユーザー
Re: 司会者を変更することについて
まいたものをかりとる、だけでは説明できない
被害者の立場を
原因と結果にすり替えましたね。
...もしあなたが聖書、神、キリスト、王国、復活を信じているというなら自分の信仰を聖書から裏付けてください。
順が逆ですよね。でないとそれは盲信の典型です。
神への疑問ではなく、こうしたあなたの考え方に
疑問を呈しているのです。
そして、あなたの考えに疑問を述べることが、神への
非難になる、というあなたの考え方に疑問をなげかけて
いるのです。
お分かりになりますか?
#31 2013年05月24日 03:05:31
- iris
- ゲストユーザー
Re: 司会者を変更することについて
skさん
私はあなたの信仰を否定はしません。誰も他人の信仰を否定することはできません。
あなたがキリスト教の核心部分を聖書から正確に理解されていることは確かです。
けれども、あなたの信仰のすべてが唯一の聖書の真理であるわけではありません。
私が手間をかけてあなたの持論にいちいち文句をつけるのは、あなたの信仰を否定するためではなく、
聖書についてよく知らない方々が、あなたの信仰が聖書の信仰そのものだと思い込むのを防ぐためです。
tetuさんも指摘されている通り、自分の信仰を聖書から裏付けるというのは順序が逆です。
まずは自分の信仰があり、その根拠を聖書から書き出すことができれば、それは真理であるというのが
skさんの理屈ですが、それはものみの塔が組織の教えを正当化する手法そのものです。
「わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。」(マルコ9・40)という主の御言葉を、
skさんは無にしています。その自覚もないままに。
他人を自分の基準で裁かないのが、クリスチャンの条件ではないのですか。skさんは主を仰いで誠実に
生きようとしている多くの人々を、神の基準を装った自分の基準で裁き、躓かせようとしています。
「自分自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに平和に過ごしなさい。(マルコ9:50)」という主の御言葉を
よくよく味わうようにお勧めします。
#32 2013年05月24日 03:12:16
- iris
- ゲストユーザー
Re: 司会者を変更することについて
補足です。
パウロはキリスト・イエスへの信仰を旧約聖書から論じました。
真理を教えたのはイエスであって、パウロが旧約聖書を読んで真理を得たのではありません。
#33 2013年05月24日 05:31:24
- tetu
- ゲストユーザー
Re: 司会者を変更することについて
わが神
わが神
なぜ私を見捨てたのですか
私はキリスト教の本質
イエスの生き方の根幹は
白馬に乗って地を裁く姿ではなく
生涯最後のこうした場面にあると思っています。
個人的な神との出会いのヒントがあると
しかしこのことばがイエスから発せられたから
その深さを探ろうとすると思います。
ものみの塔などは、これは主に
預言の成就だ、といった解釈ですが
もしいちクリスチャンから発せられたなら
どうでしょう?そのことばだけ切り取るなら
不信仰な者の神への愚痴になります。
しかし私はものみの塔から去り
こうしたことばに感動するようになりました。
それはごく個人的なものです。
しかし、今のSKさんには話しにくく感じます。
なぜなのか?少し立ち止まり考えていただきたいのです。
#34 2013年05月24日 06:31:42
- sk
- メンバー
Re: 司会者を変更することについて
tetu さん
神への不信仰はやはり神の否定でしかありません。
問題は私が聖書から説明している神を、あなたが信じていないというだけです。
あなたは、ご自分も認めるとおり、私が信じているエホバ(Yahweh)神の信じていません。あるいは、私が聖書によって信じている(解釈している)ように信じていません。
それで結構です。
それは、わたしの問題ではなく個々の人のそれぞれの選択、信仰、解釈の自由だからです。
何もむきになる問題ではありません。
私が求めている要点は、神を信じているというなら、しかも聖書の神を信じているというなら、自分の信じていることを裏付けなさいということです。
そうすることで、他の人がその信仰の根拠を吟味することができます。
その根拠に共鳴するかどうかは個人の問題です。
だれも、その個人の自由を操作できないでしょう。
自分の確信を聖書から裏付けることは、そうしている人が教祖となるわけではありません。
その信仰に共鳴する人たちは信仰において結ばれるでしょう。
この掲示板では、そのような信仰の表明がなく、神の目的、神の愛、キリストの役割、救い、裁きについての聖書からの論議が欠けています。
大体が、強い聖書的な意見、信仰を表明する人に対し、「なぜ自分だけが真理と言い張るのですか」調の答えばかりです。
また聖書の神の公正さについてもそれを擁護する意見が極めて少ないと思います。
編集者 sk (2013年05月24日 06:39:22)
オフライン
#35 2013年05月24日 06:51:07
- tetu
- ゲストユーザー
Re: 司会者を変更することについて
あなたはから感じられる霊は
自分はひたすら正しいと考える
それに反したらサタンだ、などと
かって出会ったものみの塔の
幹部から発せられるものと似ています。
このサイトの悪口の前にご自分を振り返っては
どうでしょう?
口を開けば神の裁きだ公正だで、神の愛が述べられていますか?
皆無に近いではありませんか?
#36 2013年05月24日 07:09:50
- tetu
- ゲストユーザー
Re: 司会者を変更することについて
ここに来るかたは大半がすでに心が折れた方です。
とくに日本人は、過小評価されそのようになる場合が
少なくありません。
疑問や愚痴は本当の気持ちではありません。
それをあなたは理解しようとされない。
消えかかった亜麻の灯芯を吹き消そうするかの
ような同じような書き込みの繰り返し。
もっと現実の人間の姿を学んでください。
#37 2013年05月25日 07:54:50
- sk
- メンバー
Re: 司会者を変更することについて
おはようございます。
tetu さん
公正な裁きは愛の証拠です。
虐げられている人々への救いの音信です。
イエスは奇跡を用いて人々の病気を癒し、悪霊を追い払いました。
また、彼の音信は慰めに満ちています。
そのキリストに人々を導くためにわたしは投稿しています。
私がものみの塔協会の実体、実態を暴くのは、人々を無神論者や不可知論者にするためではありません。
失いかけている神とキリストへの信仰を再構築するためです。
あなたはその努力をしていますか。
聖書からの慰めを提供していますか。
そのような文章を見たことがありません。
単にものみの塔への不平を述べるだけが心癒すわけではありません。
ほとんどの人は、神がいながらの悪の存在理由や、神がそれを許される妥当性への確信を失っているか、失いかけているように見えます。
それは、自分が神の組織と思い込んでいたものみの塔協会、エホバの証人から嫌な経験を強いられたからでしょう。
それによって神の存在や神の愛ある関心を疑うようになったのなら、ものみの塔協会がその始まりから聖書を騙る(かたる)インチキであることに気づいてください。そしてサタンの息のかかった組織宗教の教理を離れて、自分で神を求めてください。もしその少しの力があなたにあるのなら。
まず、神を疑うことから始める思考パターンはサタンと同じです。
これまでのこのサイトにおける投稿を読んでいる皆さん個人個人が良い判断ができますように。
編集者 sk (2015年01月21日 20:29:14)
オフライン
#38 2013年05月25日 08:35:34
- tetu
- ゲストユーザー
Re: 司会者を変更することについて
...そのキリストに人々を導くためにわたしは投稿しています。
SKさん
今のあなたの精神では逆効果になっていることに
まだ気づかれないようですね。
信仰は個人的なものです。その自由な信仰の発露を
あなたが妨げていることがどうしてもわからない
ようですね。
...まず、神を疑うことから始める思考パターンはサタンと同じです。
またサタンですか?
不可知論者になるために疑問を述べているわけではありません。
ものみの塔解釈の二番煎じを投稿し、聖書を盲信するあなたの固定化された思考パターンに
疑問を述べているだけです。
何度言ってもだめなようですね。聞く耳持たず。
あなたのここでの存在は誰かさんのハイセンスな
ジョークだと理解しました。
少し遅かったですが(笑)
#39 2013年05月25日 11:01:15
- sk
- メンバー
Re: 司会者を変更することについて
tetu さん
わたしは、あなたを攻撃しているわけでもなく、わたしと異なる意見、信仰をを持つ人を裁いているのでもありません。
神の言葉が全ての人々(もちろん私も含みます)を裁くでしょう。
マタイ 12:36-37
36 あなた方に言いますが,人が語るすべての無益なことば,それについて人は裁きの日に言い開きをすることになります。37 あなたは自分の言葉によって義と宣せられ,また自分の言葉によって有罪とされるのです」。
あなたが、「sk のようなものみの塔バージョンでない聖書を信じている」というのなら、自分の信仰を聖書から立証してください。
人々はあなたの推論、思考パーターン、信仰を吟味できるでしょう。
他の人がそれに同調するかどうかをあなたは制御できないでしょう。
そういうものです。
それで、私の推論、思考パタンー、信仰に同調しないあなたについて私は何の責任も義務もありません。
自分が聖書と調和する信仰にあるかどうか、自分の信仰が神の是認を得られるかどうかを絶えず吟味しながら、ご自分の確信のうちに自己満足を見出してください。
それが、わたしたち各自にできることです。
コリント第二 13:5
5 自分が信仰にあるかどうかを絶えず試しなさい。自分自身がどんなものであるかを絶えず吟味しなさい。
ヘブライ 3:14
14 初めに抱いた確信を終わりまでしっかりと堅く保ってはじめて,わたしたちは本当にキリストにあずかる者となるのです。
ヘブライ 10:35
35 それゆえあなた方は,はばかりのないことば[で語る態度]を捨ててはなりません。それには当然与えられる大きな報いがあります。
ローマ 1:16
16 わたしは良いたよりを恥じてはいないからです。実際それは,信仰を持つすべての人にとって,すなわちユダヤ人を初めギリシャ人にとっても,救いのための神の力なのです。
それで、キリストの良いたよりにふさわしい確信をことばで表現することは聖書のことばと使徒たちの先例に従うものです。
それは、クリスチャンの神から与えられた仕事です。
それによって、人々は聖書の内容とキリスト教が何であるかを知るでしょう。
あなたがクリスチャンであると思っているなら聖書からご自分の信仰の表明をしてください。
よろしくお願いします。
編集者 sk (2013年05月25日 11:13:24)
オフライン
#40 2013年05月25日 12:25:40
- tetu
- ゲストユーザー
Re: 司会者を変更することについて
...自分が聖書と調和する信仰にあるかどうか、自分の信仰が神の是認を得られるかどうかを絶えず吟味しながら、ご自分の確信のうちに自己満足を見出してください。
それが、わたしたち各自にできることです。
それは聖書には間違いがないという信念がある方を前提にした、
ごく限られた方たちの論理です。
私のようにそう思わない者に、それを押し付けても無理というもの。
この道理がお分かりにならない。
その人の自由だ、責任だといいながら
異なれば不信仰だ、サタン的だで
実際には自由にさせない、があなたの方法。
病気ですか?
#42 2013年05月25日 13:48:06
- tetu
- ゲストユーザー
Re: 司会者を変更することについて
...あなたは、聖書を信じていないことが分かりました。
聖書には真実の痕跡があり、役立つ面もあり、
神からのものも含まれている可能性は否定しません。
しかし間違いもありますし、全部信じろ
でなければクリスチャンではないなどは
古典的な盲信の部類ですよ、
実際には自分が他の信仰をあざけっているのに
自分が否定されるとふて腐れたような態度。
ものみの塔で甘やかされた立場にあって、
排斥にでもあっての憎しみが原点になってる
人に似てるよ。
#44 2013年05月25日 15:08:06
- tetu
- ゲストユーザー
Re: 司会者を変更することについて
子どもじみた応酬が
続いてます。(汗
ルカ18:9〜
自分を義人だと自任して他人を見下げている人たちに対して、イエスはまたこの譬をお話になった。
「ふたりの人が祈るために宮に上った。そのひとりはパリサイ人(びと)であり、もうひとりは取税人であった。
パリサイ人は立って、ひとりでこう祈った、『神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲(どんよく)な者、不正な者、姦淫(かんいん)をする者ではなく、また、この取税人のような人間でもないことを感謝します。
わたしは一週に二度断食しており、全収入の十分の一をささげています』。
ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った、『神様、罪人(つみびと)のわたしをおゆるしください』と。
ものみの塔の教えに疑問が生じた皆さん。(すみません)
あなたを狙う二元論的教えに注意してください。その信奉者にも
こっちの水は甘いよー
彼らはより優れた自由や公正や義のような道に誘いますが
その実は古代の異端審問と変わらない、人を盲信的で一層排外主義に陥らせるものなのです。
そのような者になるぐらいなら、
無信仰の方がまだ神様に近いのです。
信仰にハマり過ぎるなら下記の
ようになる危険があります。
よくよく吟味なさってください。
「精神的なレベルの傲慢さは、自分はすべてを知っていると考える人を特徴づける傲慢さです。
誰かがその人の知識を疑おうものなら、さっそく傲慢さが浮かび上がってくるでしょう。
傲慢な人を見分けるのは簡単です。
傲慢な人は、押し付けがましい感じで、早口に、そして声高に語ります。
傲慢な人ほど、自分が傲慢であることを知りません。
うぬぼれがはなはだしいため、傲慢な人に傲慢であることを教えようとする試みは、ことごとく失敗するでしょう。
また、傲慢な人は、自分を変えることができません。
傲慢な人は、1人ひとりの中に神がいるのを認めようとしません。
傲慢な人は、絶対、自分の傲慢さを認めようとしません。
自分に異議を唱える人ではなく、自分におもねる人だけをそばに置きたがります。」
#46 2013年05月26日 01:28:02
- その後
- ゲストユーザー
Re: 司会者を変更することについて
あれから司会者側から主催長老に、私との研究司会をやめさせてほしいということになりました。
もうすぐ、巡回訪問です。巡回監督が来られたときや会衆内で、その司会者は私との研究司会をやめたと言えば
その研究生に問題があるからと言えるからだと思いました。
そして、休んでいる間に、他会衆に見学に行きました。
1世の研究生はいませんでした。
成員の家族と来られた2世の研究生や未信者の夫でした。
会衆内、集会では成員の家族の方と来られているので、集会後、成員は2世の研究生にいろいろと話しかけ気をつかっていました。
春の記念式のときは、司会者は私の横に座りましたが終わったらすぐ、別の方と話し、私は一人になりました。
私から話しかけないと成員はなかなか話してくれません。司会者の家族からも一人で来ている研究生に話しかけません。
私から講演者にお礼を述べてすぐ帰りました。
2世の研究生は親や信者の妻がいて、支えになってくれます。1世の研究生は家族と来ていなく、本当に一人です。
司会者に悪く言われると、家族も成員でないので、1世の研究生は会衆内で誰も庇う人もいません。孤立します。
そして、神権宣教学校に聖書研究生を組織に導くための新しいブロシュアーと題するプログラムがありました。
聖書研究生を組織に導くという内容でしたが、
ものみの塔協会は一人でも多く、伝道者、パブテスマへと願っていますが、
私が経験した、長老や司会者側の好き嫌いと言えるべき感情を教えも理解できていない研究生に矛先を向けてくる。
長老や司会者に気持ちに余裕がなく、統治体なのか、ものみの塔協会なのか、長老の権威なのか、エホバの証人の全体の制度なのか、
とにかく長老や司会者は正しい。従順であれ、不完全な両親に従ったイエスのように。
長老が聖霊に導かれていているから指導の任に当たっている人に従順になりなさい。と聖句にもあります。
聖霊に導かれているなら長老はもっと愛にあふれているのではないでしょうか?
権威は感じましたが、残念ながら、愛のある長老が多いとは思えませんでした。
年鑑を読むと、海外のエホバの証人は1世の研究生も2世の研究生もそんなに大差がないように感じました。
日本の場合は、研究生と司会者、異様な縦社会を感じます。
ただ、世の人の中に、悪人も善人もいるように、エホバの証人の中にも悪人も善人もいます。
そのことに関しては、すべてのエホバの証人の会衆、証人の方がそうではないとは思っています。
そして、個人個人が良い判断ができますように、skさん、irisさん、tetuさんが
それぞれの聖書の教義を教えていただきありがとうございます。
それぞれの聖句を引用された見解は聖書を学び始めた私にとって参考になりました。
#47 2013年05月26日 09:34:10
- sk
- メンバー
Re: 司会者を変更することについて
おはようございます。
研究生の「その後」さん、
その後を書いてくださりありがとうございます。
興味深く読みました。
日本のJWの霊は、師匠と弟子の関係であり、「あなた方は皆兄弟です」でないことは問題であり、キリスト教の紛い物(偽もの)ですね。
クリスチャンの頭、師、はキリストであり、互いは兄弟関係にあるべきですね。
研究司会者や長老が「頭」や「師」になるべきではありません。
当然親と子の関係でもありません。
時々、沢山の研究生を持つ人が、それらの研究生のことを「霊的な子」と呼んだりしていますが、研究生との親子のような親しい関係の反映なら、その表現は理解できますけど、上下関係の象徴として用いられているのなら聖書的とはいえませんね。
真理の経路になる人をどう見るべきか
コリント第一 3:5-7
5 では,アポロは何者ですか。そうです,パウロは何者ですか。奉仕者であり,あなた方はその人々を通して信者となりましたが,それは主が各々に授けられたところによりました。6 わたしは植え,アポロは水を注ぎました。しかし,神が[それを]ずっと成長させてくださったのです。7 ですから,大切なのは,植える者でも水を注ぐ者でもなく,成長させてくださる神なのです。
アポロ、パウロは、神とキリストから用いられた有能なキリストの弟子でした。
しかし、クリスチャンの信仰はそのような経路によりません。
聖句にあるとおり、神により成長がもたらされます。ですから、大切なのは、成長させてくださる神です。
それで私たちの信仰は神のことばの理解をもたらす神の霊によります。
神のことばとその理解が重要であり、その機会を提供した人ではありません。
ですから、聖書の理解をシェアーする者、またグループは、誰でも(sk も含む)は、他人の信仰の成長を自分が達成したかのようにその人の信仰の主人のように振舞うことはできませんね。
信仰は神によります。
真理の経路となった人も、神のことばに信仰を持つようになった人も、同じレベルの兄弟関係にあります。
コリント第二 1:24
24 わたしたちがあなた方の信仰に対する主人であるというのではありません。わたしたちはあなた方の喜びのための同労者です。あなた方が立っているのは[自分の]信仰によるのです。
それで、自分の信仰に関して誰も、ものみの塔協会に恩義など感じる必要はありません。
私たちの信仰は聖書のことばと、その理解を導く神の霊によります。
そして、聖書はものみの塔協会のものではありません。
それは、神から全人類に宛てられた手紙です。
全ての人はそれを読む権利があります。
ものみの塔協会、カトリック教会、その他の組織宗教は、全ての人が必要な「水」をもちいて水商売をしているだけです。
それで、研究生の「その後」さんが、神のことばへのご自分の信仰のうちにしっかりと立ち神との個人的な関係を発展させ楽しめますように。
海外のJWの社会でも、やはり日本と同じような状況が見られます。
アメリカやヨーロッパは数世代(4-5世)のJW社会で、個人主義の国民性もあり、JW親族の輪が存在しその谷間に新しい人々がいます。
スペイン系中南米においては、比較的新しい人々が家族単位でJWになっており、その開放的な国民性により、孤立JWはあまり見られないようです。とはいえ、排斥によるそのような親しい親族の拒絶が社会問題となっています。この問題は別に投稿したいと思います。
どこのJWも、ものみの塔のピラミッド構造の犠牲となっています。
政府からの免税特権とピラミッド構造でしか存在し得ない組織宗教は本物ではありません。
それはサタンの作品の大いなるバビロンのパーツです。
これは、sk の確信。
聴く耳のある人は聴いてください。(共鳴できる人は、共鳴してください)
編集者 sk (2013年05月26日 09:47:12)
オフライン
#48 2013年05月26日 11:22:25
- その後
- ゲストユーザー
Re: 司会者を変更することについて
skさん
お返事ありがとうございます。
来月に、私の会衆は巡回訪問で、巡回監督夫妻が来られます。
私の司会者が夕方に巡回監督夫婦を食事招待されています。
そのときに、1世の私の研究を聞かれる前に、研究司会者を降ろさせてもらった。
と言えば、研究生に問題があったと逃げるためです。卑怯な司会者です。
自己保身のためです。真実を巡回監督は研究生に問いただそうとしない。長老や無論、司会者を養護します。
会衆でも、司会者を降ろさせてもらったといえば研究生が悪くとらわれがちです。
巡回監督の方は、巡回訪問中に、1世の研究生がどれだけ会衆にいるか。尋ねて調べたことはあるのでしょうか。
巡回監督は訪問中に、長老以外や開拓者以外の会衆の方に聞いて、実情を知ってほしいです。
1世の研究生が多い会衆を励ましてほしいです。2世の研究生はどの会衆にもたくさんいます
主催長老は、巡回訪問前に小学生の2世の娘を伝道者にさせ、秋には、2世の息子を1世の研究生にさせ
会衆報告書に、活発ある会衆とみせたいのでしょう。
なぜ、1世の研究生はいないのか、長老に"渇"を入れないのか。
これから、高齢化する、少子化である時代で、エホバの会衆も1世の信者を必要とします。
駅でのプラカードもその一環をなすと思っています。
しかし、実際の会衆は長老の権威、司会者の権威、研究生のときから、見せつけています。
そして、私は1世の研究生が多い会衆がどれだけいるか、巡回監督は巡回訪問中にみていただき、
巡回監督には1世の研究生が多い会衆、長老を励まして、そのような会衆や長老を評価してほしいです。
そして、skさんの説明、興味深く読ませていただき、納得、共感できました。
海外のJWの社会でも、やはり日本と同じような状況が見られるようですね。
skさんの投稿はいつも、励みになります。ありがとうございます。
#49 2013年05月26日 20:49:03
- info
- ゲストユーザー
Re: 司会者を変更することについて
駅前の雑誌提供、プラカード等、一般の人に広く知ってもらうため、会衆でも、多くの方が奉仕しています。
1世の研究生は一人で来られているので何かあるとふと来なくなりがちです。
2世の研究生や未信者の方が家族にいれば否応なく集会来られますが…
私の会衆に1世の研究生がいないです。1世の研究生が増えれば会衆の雰囲気も変わり、一般の方も来られやすくなるのでは…
#50 2013年05月28日 21:43:21
- カレブ
- Administrator
Re: 司会者を変更することについて
日本のバプテスマ一人に対する費やされる奉仕時間の推移
統計 – 信者が増えない国ランキング
http://www.jwstudy.com/docs/study_hours_per_baptism/
とうとう日本は一人のバプテスマあたり約3万時間の奉仕時間が費やされるようになりました。
3万時間は時給800円で換算しても2400万円の経済的な労働(損出?)を意味します。
会衆によっては研究生に対してそれほど親切が示されないということは,
これだけの時間が費やされていることと矛盾するように思います。
オフライン