#101 2020年05月08日 23:07:14
- アノニマス
- ゲストユーザー
Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ
jwの聖書ではヨハネ8章の1〜11まで付録の扱いですが新改訳では姦通の女が石打ちから助けられた話が出てます。死ぬ寸前で救われたのですから、涙でイエスの足に口付けするのもわかります。また不快に思われるのは誰も彼女に石を投げられなかった、自分の罪を自覚させられたからと推察できると。
#102 2020年05月09日 17:08:16
- ガッツだぜpart2
- ゲストユーザー
Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ
マグダラのマリアとベタニアのマリア。よくわからないですが、ベタニアのマリアが
姦通罪により石打の刑に処せられるところを救ったとしたら、イエスを憎む人も
多いことは容易に想像できます。”こんな事を続けていたら他人の罪を背負って
この人は今にも殺される”と思って、心から改心した涙だったのでしょう。そして
自分は卑しい人間なのだと示すために髪の毛で拭いたのでしょう。
姦通罪に処せられる人間にしては純真です。通常不倫する女の根性は腐り果てていますから。
もしかしたら、裏に深い気の毒な理由があったのかもしれません。
#103 2020年05月10日 02:49:40
- 匿名
- ゲストユーザー
Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ
通常不倫する女の根性は腐り果てていますから。
不倫する男の方の根性も腐り果てていると思います。
もしかしたら、裏に深い気の毒な理由があったのかもしれません。
騙されやすい脳を持っていた、という気の毒な理由はあると思います。
騙す男は自分に同情をさせるのが上手いらしいです。
女の同情を買うような男はロクでもないですね。
#104 2020年05月10日 18:18:53
- ガッツだぜpart2
- ゲストユーザー
Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ
アノニマスさん、最近のコロナ騒動で思ったのですが、創世記の知恵の木が指し示すものは
「自制」ではないでしょうか?克己心は、知恵の無い人には(買い占めや行列、不要不急
の外出が止めらない人が大勢いる状況)を見れば、ラクダが針の穴を通る
ように難しいようです。自制がテーマになっているから、その後の展開に続くのでは・・・
砂漠という気候条件の中、貴重な水資源、緑を守るには強い自制心が必要となるという戒め
だったのでは?
#105 2020年05月13日 15:03:05
- ガッツだぜpart2
- ゲストユーザー
Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ
アノニマスさん、遅ればせながらありがとうございます。アノニマスさんが注目しておられた
「イエス=命のパン=神の言葉」の重要性に改めて気づきました。イエス=命のパンに注意すると
ひとつ疑問が解消されました。以下私の見解になります。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
イエスは命のパンで、完成された犠牲でした。死の直前、最後の晩餐で、葡萄酒を私の血、パンを私の
身体と呼び祝福に預かるよう説きました。また、神は荒野でモーセたちに、天から麦ではなく恵みのパン
を降らせました。天からの恵み=命のパン=来るべき救世主=イエス・キリストとして連想して
考える事もできます。ここでパンが重要である事の確認ができます。
そして、話が創世記に戻り、ラハムさんが紹介された「ライトの神学」より、アベルとカインの捧げものに
優劣の差は無かった事がわかりました。アベルは肥えた初子を連れてきて捌いて調理しました。
一方、カインは初物の麦の束を持ってきましたが、パンにして調理しませんでした。
アベルが捧げた羊の血がイエスの血の雛型とすると、カインの捧げるパンがイエスの身体の雛型になり
アベルとカイン、2人の捧げものが揃って、初めて犠牲は完成するはずだったと考えられます。
だから神はカインの捧げものの前を素通りし、アベルを祝福しました。
これは兄弟差別ではなく2人に与えた仕事に対する正当な評価であったと考えるべきでした。
仮に、2人が同じ酪農業で両者とも努力したにも関わらず、片方だけが恵まれていたならばそれは
差別ですが、互いに違うフィールドだったので、それぞれが各自のフィールドでベストを尽くすべきでした。
イエスは主人に仕える下僕の譬えで与えられた仕事に対する姿勢について説いています。
別の例で言いかえると、モンドセレクションで金賞を受賞した黒毛和牛農家を稲作農家が妬んで殺害した
と考えると分かりやすいと思います。カインの怒りは筋違いなのですが、これは兄弟差別であると論点を
ずらす事により混乱する原因になります。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
アノニマスさんが書かれたとおりイエスは命のパンで、尊い犠牲の羊であり、完成された完全な犠牲と考える事で
創世記の謎の神の態度の意味がわかり疑問が解消されました。ありがとうございます。気になる聖句があったら
お願いいたします。
#106 2020年05月14日 00:01:16
- ガッツだぜpart2
- ゲストユーザー
Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ
上記 あったら訂正 ありましたら
#107 2020年05月14日 23:19:05
- アノニマス
- ゲストユーザー
Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ
ガッツだぜpart2さん、わたしの個人的意見に目を留めてくれてありがとうございます。
カインとアベルの話でわたしはこう考えました。アダムも地を耕す人なので、職業の代表として神の前に立つべきは父親のアダムなのにカインは僭越になって神の前に行ったのではということです
わたしの意見が正しいとは思わないでください。でも神の言葉=イエス=命のパンは重要なヒントだと思います。
#108 2020年05月15日 00:02:32
- ガッツだぜpart2
- ゲストユーザー
Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ
色んな見方がありますね。私も命のパンは重要なヒントだと
思います。イエスは神の言葉である、この言葉に注目して今後も
反芻するように考えたいと思います^^
#109 2020年05月26日 14:01:22
- ガッツだぜpart2
- ゲストユーザー
Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ
アノニマスさん、髪は女の命と言いますから、とても貴重な物でイエスの足をぬぐったの
ですね。現代人の感覚からすれば奇妙な感じもしますが、当時とすれば大変献身的行為だった
のですが、イメージに起こすとより鮮明に理解できそうです。
ある尊い客人がいた
客人の足の裏が真っ黒に汚れていた
その事に誰も気づかなかった
女が涙を流しながら財産とも言える非常に高価な香油で客人の足を洗い、拭きとる物が無かったので
自分の中で最も価値のある物で客人の足の裏を拭いた
譬えがなんですが、昔、小学校の国語の教科書で習った仏とうさぎの話のようです。
お釈迦様が死にそうな旅人に化けて、焚火をしているウサギたち(もう片方の動物が何であったかは忘れました)
のところにやってきてどうか一晩休ませてくださいと頼んだ。
ウサギたちはもてなすものも無かったので
「何もありませんが、焚火にあたってください」と言い、途中のいきさつは忘れましたが(ここが本当は重要な
話なのですが、忘れました)死にそうな旅人が今にも飢えて死んでしまいそうだったので、逡巡の末
「私を食べて飢えを満たしてください」と言って焚火に飛び込み献身した。
それを見たお釈迦様が「なんと尊い犠牲の精神か」と感銘を受け、うさぎの魂を極楽に連れて行ったという
話があったと思いますが、女が自分の髪で一番汚れている足の裏を拭く話とも共通の流れがあると思います。
#110 2020年05月26日 14:05:41
- ガッツだぜpart2
- ゲストユーザー
Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ
女(ベタニアのマリア)がそのように行動したのなら、自分の持ち得る最大の財産をイエスのために捧げた事から
石打の刑を免れた姦通罪の女であっても不思議ではないと思います。
#111 2020年05月28日 07:34:20
- アノニマス
- ゲストユーザー
Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ
ガッツだぜ2さん、考え続けてくれてありがとうございます。
求め続けなさい、たたき続けなさいはそういう事ですよね。
4福音書は4人の目撃証言ですから、名探偵コナンのように冷静に、証言を繋いだり、重ねたりして推理するのが大事だと思うのです。
私は香油を持つ女がなぜパリサイ人シモンの家
に来たのか?気になって聖書を調べました。
私の意見が正しいかどうかは律法にあるように
2人か3人の同意があればそうなるかもしれませんし、やはり私の思い過ごしかも知れません。
#112 2020年06月20日 23:15:09
- アノニマス
- ゲストユーザー
Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ
ヨハネ8;1~12
ルカ7;36~50
ルカ10;38~41
ヨハネ11
ヨハネ12;1~8
マタイ26;6~13
マルコ14;3~9
この順で読むとつながりがあります。(個人の意見)
マリアの家族の構成や経済状況が思い測られなぜ姦淫の場にいたのか推測できるのではないでしょうか。
#113 2020年06月21日 01:36:40
- ガッツだぜpart2
- ゲストユーザー
Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ
wikisource マルコ書より引用
14:3
イエスがベタニヤで、らい病人シモンの家にいて、食卓についておられたとき、ひとりの女が、非常に高価で純粋なナルドの香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、それをこわし、香油をイエスの頭に注ぎかけた。
当時らい病は特効薬が無い上に人々が無知ゆえに、現在と異なり、神に撃たれたために掛かる病と思われていて、マリヤとマルタは姉妹だったため、マリヤに姦淫の疑いが掛かったか、もしくはその家の主人が重病だったため、マリヤが娼婦として働かなければならなかったのかなと想像しました。
#114 2020年06月24日 06:10:30
- アノニマス
- ゲストユーザー
Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ
ガッツだぜpart 2さん、ありがとうございます。
Wikipedia で(罪の女)を調べたら、娼婦を指す言い回しとあったのですが次の日にコピペしようとwikiを開いたら消えてしまっていて、証明できないのです。娼婦は十戒と律法で禁じる姦淫の行為を重ねる仕事なので罪が多いと言えます。
石打から救われた女と罪の女が同一人物なら誰も石を投げられなかったのはそこにいたパリサイ人や書士達が彼女の客であったからと想像します。
#115 2020年06月24日 22:41:50
- アノニマス
- ゲストユーザー
Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ
罪の女とマリアの共通点はイエスの足元で身を低くしていること、高価な香油をイエスに塗ったこと、パリサイ人シモンの家でも、らい病人シモンの家でも彼女を不快に思う人がいたことです。
#116 2020年06月26日 14:54:26
- アノニマス
- ゲストユーザー
Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ
罪の女とマリアの共通点はイエスの足元で身を低くしていること、高価な香油をイエスに塗ったこと、パリサイ人シモンの家でも、らい病人シモンの家でも彼女を不快に思う人がいたことです。
すみません。パリサイ人シモンの家では不快に思う人はいませんでした。間違いました。ごめんなさい。
#117 2020年06月28日 16:59:02
- ガッツだぜpart2
- ゲストユーザー
Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ
大丈夫ですよ。
私も今、イエスについてもう一度検証しています。イエスという救世主がなぜ必要だったのか
それは楽園から追放したアダムの子孫を再び楽園に戻すためだとして、イエスが人間の罪を背負って死んだ理由を深く再考しても良いと思いました。
wikisourceゼカリヤ書口語訳より引用
“
第11章
12 わたしは彼らに向かって、「あなたがたがもし、よいと思うならば、わたしに賃銀を払いなさい。もし、いけなければやめなさい」と言ったので、彼らはわたしの賃銀として、銀三十シケルを量った。
13 主はわたしに言われた、「彼らによって、わたしが値積られたその尊い価を、宮のさいせん箱に投げ入れよ」。わたしは銀三十シケルを取って、これを主の宮のさいせん箱に投げ入れた。
14 そしてわたしは結びという第二のつえを折った。これはユダとイスラエルの間の、兄弟関係を廃するためであった。
15 主はわたしに言われた、「おまえはまた愚かな牧者の器を取れ。
解りにくい訳ですが、神自ら値積もられた、つまり贖うための代償となったという事かと思います。この日本語訳ですと、わたしがヨシュアなのか神なのか混乱します。
値積られたのがヨシュアなら、お前が値積られたと訳すべきです。
#118 2020年06月28日 17:41:38
- ガッツだぜpart2
- ゲストユーザー
Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ
神が30シケルで買われたのなら、人間の罪を贖ったのは神であり、銀30シケルで買われたのはイエスなのでイエスは神です。この聖句があるので三位一体が主張されるのでしょう。
問題は、神が罪を贖った事です。神が罪を贖うという事は、神が自分の非を認めた事になる
もしくは弁済人になり、罪を請け負った事になります。
楽園追放劇の責任者として落ち度を認め贖ったとも考えられます。その罪の重さが神が人間になって拷問の末、肉体の死を味わうという事だったのかもしれません。
これは私の私見に過ぎないのですが、少し考えてみました。
#119 2020年07月02日 15:01:27
- アノニマス
- ゲストユーザー
Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ
イエスの足元にいるマリア
マタイ18章 その時、弟子たちがイエスの近くに来て、「天の王国ではいったいだれが一番偉いのですか」と言った。2 そこでイエスは、一人の幼子を自分のもとに呼び、彼らの真ん中に立たせて、3 こう言われた。「あなた方に真実に言いますが、身を転じて幼子のようにならなければ、あなた方は決して天の王国に入れません。4それゆえ、誰でもこの幼子のように謙遜になる者が、天の王国において最も偉大な者なのです」jw訳
まことに、あなたがたに告げます。あなた方も悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には入れません。だから、この子どものように自分を低くするものが、天の御国で一番偉いのです。新改訳
罪の女とマリアは、イエス(神の言葉)に謙遜な態度をとっていたのです。個人的感想です。
#120 2020年07月03日 22:51:31
- アノニマス
- ゲストユーザー
Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ
それゆえ、真理を帯として腰に巻き、義の胸当てを着け、15 平和の良いたよりの装備を足にはき、こうしてしっかりと立ちなさい。
エフェソス6;14-15
#121 2020年07月03日 23:11:04
- アノニマス
- ゲストユーザー
Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ
ガッツだぜパート2さんがイエスの足の汚れに着目しておられました。神の言葉の足は平和の良いたより、福音のことではないかと思うのです。
#122 2020年07月04日 13:49:06
- ガッツだぜpart2
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Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ
wikisource イザヤ書口語訳より
第51章
7 よきおとずれを伝え、平和を告げ、よきおとずれを伝え、救を告げ、シオンにむかって「あなたの神は王となられた」と言う者の足は山の上にあって、なんと麗しいことだろう。
そうだと思います。
#123 2020年07月09日 21:25:10
- ガッツだぜpart2
- ゲストユーザー
Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ
本当に、アノニマスさん、素晴らしいです!アノニマスさんが書かれたようにイエスは神の言葉。
イエスは多くの譬えを用いて人々に話された。聖書は神の言葉、ならば聖書には多くの譬えが用いら
れているはず。だから、聖句にはたとえ話のように様々な比喩表現や情報が書かれていると思います。
聖句を読み取りながら理由を考えることはまさに間違いではないと思います。
#124 2020年07月09日 22:31:22
- アノニマス
- ゲストユーザー
Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ
ガッツだぜpart 2さん、稲妻のひらめきがあったのですか?イエス=聖書と気付かれましたか?
#125 2020年07月10日 00:07:27
- ガッツだぜpart2
- ゲストユーザー
Re: 聖書その他関連冊子のレビューをどうぞ
wikisourceヨハネによる福音書
"第1章
1:1
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。"
聖書は神の言葉で、全てイエスを通して明かされ、語られたのでイエス=聖書であると
思います。
違っていたらすみません^^;