#1 2013年03月07日 10:04:24
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ノアの洪水
このトピックではノアの洪水についての状況証拠(地質学、化石)、証言による証拠を提供します。
英語サイトからの情報ですのでゆっくり進みます。
元記事
http://www.noahsarksearch.com/elfred.htm
エルフレッド・リー (Elfred Lee) は1960年代の終わりごろからノアの箱舟の調査に関わってきました。彼は独自の調査隊とは別にフェルナンド・ナバラ (Fernand Navarra) と共にアララト山へ向かいました。そして米国に木片をもって帰りました。エルフレッドはその探検の写真やビデオを撮り、それはその調査組織に所蔵されています。彼はまた箱舟の目撃証人と言われるジョージ・ハゴーピアン (George Hagopian) とエド・ディヴィス (Ed Davis) にインタビューしています。
ジョージ・ハゴーピアン (George Hagopian)
エルフレッドは主に自称目撃証人ジョージ・ハゴーピアンについて調査しています。エルフレッドはハゴーピアンが亡くなる前多くの時間を彼と共に過ごしました。ハゴーピアンの証言は今日に至るまで最も興味深く真実味のあるものだと思います。わたしはハゴーピアンの証言によりエルフレッド・リーが描いた2つの絵を持っています。
Hagopian #1
Hagopian #2
エド・ディヴィス (Ed Davis)
エルフレッドはまた別のノアの箱舟の目撃証人エド・ディヴィスとも多くの時間を過ごしています。ハゴーピアンは1905年に10歳の時完全な形の箱舟を見たと証言していますが、ディヴィスは1943年軍隊にいた時2つの切り離された箱舟の部分を目撃したと述べています。
Davis #1
つづく
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#3 2013年03月10日 18:05:12
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Re: ノアの洪水
ノアの箱舟の目撃証人
http://www.noahsark.it/eyewitnesses.htm
ジョージ・ハゴーピアン George Hagopian
アルメニア人ジョージ・ハゴーピアンは彼が子供のころ1900年と1905年の2回ノアの箱舟を見たと述べています。ハゴーピアンと彼の叔父は8日かけてバン市 (city of Van) から高地にある牧草地とアララト山の氷河につきました。アララト山に行った主な理由は、4年に及ぶ干ばつのおかげでバン湖 (Lake Van) 地域の羊が死にかけていたからです。長引く無降雨(無降雪)のせいで箱舟は完全に露出していました。彼らは箱舟に至り、叔父の助けでハゴーピアンは人工の小さな階段を箱舟の屋根の上まで登りました。
1916-1917年 ロシア人による探検
Armais Arutunoff 1893 (see his history リンク)
彼は、1916年の探検の際撮られたあるノアの箱舟の最後の白黒写真の所有者です。
上のスケッチは彼の指示により描かれたものです。
原本の写真の行方は不明です。彼はアルメニア(ロシア)生まれです。
Read recent interview to a grand niece of a member of Russians Expedition
Read the interview to a grand niece in the original Russian language
Read interview in Franch language published by C.E.S.H.E. Magazine
Read the Entire Russian Account
エド・デイヴィス Ed Davis
エド・デイヴィスは1943年当時ハマダン (Hamadan) の米陸軍技術部隊の若い軍曹でした。彼はアッバス (Abas) という名のあるイスラム教徒のグループと親しくなりました。彼はこの家族にある好意的な扱いをしました。それでアッバス家の人々はエドに恩義を感じました。それで彼らはディヴィスをアララト山の聖なる箱舟に案内することにしました。エルフレッド・リー (Elfred Lee) はハゴーピアンをインタビューしてから15年後にエド・デイヴィスを数日にわたりインタビューしています。エド・デイヴィスの説明もまた信頼できるもので、箱舟にいたる道はハゴーピアンによる描写と完全に一致していました。両方ともアバス-アバス村 (Abas-Abas village)、ヤコブの井戸 (Jacob's Well)、などつまり同じ場所を通り同じ方向から到着しています。
エド・デイヴィスは嘘発見装置によるテストも受けました。そしてその結果は彼の証言は偽りのない正確のものでした。
デイヴィスは「世の終わりの岩」(Doomsday Rock) と「らくだの背」(Camel's Back) について言及しています。他の探検家よりアララト山について多分良く知っているアメット・アスラン (Ahmet Arslan) は「世の終わりの岩」は「らくだの背」道 (trail) の終わりにあると述べています。そしてそれはアホラ・ゴージ (Ahora Gorge) の西壁に面するハゴーピアンが用いた道でもあります。デイヴィスはまた「世の終わりの岩」を巡った後渓谷の中の箱舟の破片を見るのに急勾配を数キロ登ったと述べています。 エドの写真リンク
ビンス・ウィル Vince Will
アララト探検家たち (The Explorers of Ararat, B.J. Corbin) から
ビンス・ウィル 米空軍軍曹、1943-1945年星条旗紙
ビンス・ウィルが箱舟の開口部から中を覗き込む写真が星条旗紙の第一面に載りました。これが彼が見たものです。箱舟の一部が、その下が岩礁だけの上に雪と氷から40-50フィート(12-15m)突き出していました。木材は周囲の岩よりも黒く、とてもよい状態でした。屋根には穴はなく、異なる高さから見ると右側に穴と船梁がありました。その穴を通して2つの甲板が見えました。
ウィル氏のスケッチ
ハーブ・ニー Herb Knee
米空軍退役軍人
テネシー州マーフリーズボロー(Murfreesboro-Tennesse) の退役軍人で不動産業者であるハーブ・ニーは、ウィンチェスターで1950年代の白黒ニュース映画を見ました。その映画はアララト山上のノアの箱舟によじ登る老人と子供を映していました。ハーブは箱舟のほとんどは雪で覆われていたと述べています。その物体は長い長方形の形をしていました。それが雪で覆われていたためハーブはその長さを見積もれませんでしたが、幅が多分50フィート(15m) で高さが多分40フィート (12m) と概算しています。その物体の色は暗い灰色または黒味がかっていました。物体の近くには岩礁がありました。ハーブはその物体は100% 人工物で、100% 船で、100% ノアの箱舟であるとしています。
ハーブ・ニーのスケッチ
グレガー・シュウィンハンマー Gregor Schwinghammer
グレガー・シュウィンハンマー1959年にF100でアララト山付近を飛行した元米空軍キャプテンで戦闘機パイロットは、山の側面から突き出している大きな長方形の艀(はしけ)のような形に見える物体を目撃しています。(p.421 The Explorers of Ararat by Corbin) 彼は私や同僚にパロット氷河の地域 (Parrot glacier zone) は、彼が目撃したその物体が山の側面にあったことを思い起こさせると述べていました。それで、それは氷の台地の上ではなく、およそ3,900m の頂上から約1,300m下の蹄鉄型の窪地(または渓谷)の中にありました。
Email from Schwinghammer
Look interview Schwinghammer (wmv format)
ラルフ・ヘイブンス Ralph Havens
米空軍司令官
1985年、ノアの箱舟についてエルフレッド・リー (Elfred Lee) との会話の際にヘイブンス司令官は、
「私たちはそれを見ました。私はパイロットによって撮られた2つのスライドを見ました。彼らは同じような構造物をアララト山の北側で目撃しています。」
と宣言しています。
エド・ベリング Ed Belhing
1973年に23才の米海軍兵エド・ベリングはトルコとイランの国境付近で軍務を展開していました。彼はムスタファ (Mustafa) という名のクルド人の兵士と友達になりました。5ヶ月の交友の後ムスタファはベリングにノアの箱舟の場所を知っている自分の叔父について話しました。ムスタファは滅多に同胞のクルド人を箱舟に案内しませんが彼はベリングを尊敬していました。ベリングによると村の年長者たちは箱舟の場所を知っていて、若者たちは彼らの許可なしにそこへ行くことはありません。その長い登山でベリングは寒さや痛みに苦しみました。彼は体力を消耗し彼の友人の叔父が引き返すことを願いました。彼の友人のムスタファが指差して指摘した時ベリングは疲労し、懐疑的になり、多分意気消沈していました。その身振りでベリングを最後の力を振り絞りました。彼は渓谷の下を覗き込みました。そしてそれは僅か20m 位下にありました。彼はある種の巨大な黒い建造物をそこに見ました。それは平行六面体の形に壊れていました。船の竜骨のように丸ではなく方形でした。
ケビン・ハーリー Kevin Hurley
Article from Kevin Hurley
星条旗紙の読者によるノアの箱舟の記事
ハーリー氏のスケッチ
ケビン氏は次のように述べています。
1991年の湾岸戦争 (Gulf War) の間、私はある新聞の写真のコピーを見ました。新聞の上部が無いため記事のタイトルと発行日付は分かりません。写真は白黒で質の良くないものでした。それは渓谷の氷と雪から突き出た艀(はしけ)のように見えました。その物体の屋根の氷は輝く白色で、その物体の側面と崖は黒っぽいものでした。多分その幅を75フィートとするとその幅の2倍の100-150 フィート (30-45m) 位突き出ており、屋根の下に黒い点または窓のように見えるものがありました。屋根は暗い背景に対して真っ直ぐに立ち上がっており、それは人工物であると思いました。なぜなら自然界には直線はほとんど無いからです。箱舟の屋根の端や屋根にある窓を表すその線は全て直線でした。. . . 私は有名になることやお金ではなく、箱舟を見つけてそれを世の中に示すことを望んでいる人を探しているだけです。
sk の感想
米軍の星条旗紙を検索するとその種の記事を見出せるかも知れませんね。
またジャベル・アル・ローの場合と同じように地元の人たちは真実を知っているようですね。
本物のシナイ山は、紅海(スエズ湾の方ではなく、アカバ湾の方)に面するアラビア半島にある ジャベル・アル・ロー (Jebel al Lawz) です。現地のベドウィン族は、その山を「モーセの山」と呼んでいます。
http://www.jwstudy.com/jwbbs/viewtopic.php?pid=49#p49
つづく
編集者 sk (2013年03月10日 18:35:28)
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#4 2013年03月11日 08:40:20
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Re: ノアの洪水
ノアの箱舟の新聞、メディア報道
中国
スロバキア
イタリア
アララト山
http://es.wikipedia.org/wiki/Monte_Ararat
トルコの首都はアンカラといいます。
それは船の錨 (anchor) に由来します。
漢字の「船」 (ship or vessel) は「ボート」と「八つの口」から成っています。
漢字の「共」は(total、全て) は「八人」が「地」と「連合」するから成っています。
漢字の「洪」(flood or deluge) は「共」と「水」から成っています。
漢字の「諾亞」(Nuoya ノア) は「是認された」と「第二」から成り「是認された2番目の者」を意味します。
聖書中、最初に神からの是認の表明が与えられたものはノアの曽祖父のエノクで、ノアは2番目に神の是認を得た者でした。
創世記 5:24, 6:8-9
24 こうしてエノクは[まことの]神と共に歩みつづけ,
6: 8しかし,ノアはエホバの目に恵みを得た。9これがノアの歴史である。ノアは義にかなった人であり,同時代の人々の中にあってとがのない者となった。ノアは[まことの]神と共に歩んだ。
ノアの名前は古代中国人の知られていました。
彼らはヘブライ語聖書が書かれる前からその名前を知っていました。
その他
漢字の「義」 (righteousness) は「我」と「羊」から成っています。
漢字の「塔」 (tower) は「草」、「土」、「人」、「ひとつ」、「口」か成っています。
つづく
編集者 sk (2013年03月11日 17:51:10)
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#5 2013年03月11日 17:39:33
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Re: ノアの洪水
ノアの箱舟の造り
創世記の箱舟は「キュビット」単位で測れています。その尺度は肘から人差し指の先端までの長さのことです。(申命記 3:11)事実「キュビット」はラテン語の肘を意味する「キュビットム」(cubitum) に由来します。聖書は2つのキュビットの長さを指摘しています。エゼキエルの幻の中の神殿の計測の際の44.4cm の短いものと手のひら (7.4cm) を加えたより長いもので51.8cm に相当する長いものです。(エゼキエル 40:5)多分3番目の最も短い基準は肘からげん骨までの約38cm です。ノアの箱舟の場合長いキュビットが用いられたように見えます。その範囲においてその基準で下の絵が描かれています。今日およそ17,000種の哺乳類、両生類、爬虫類、そして鳥類、それらの平均の大きさを羊くらいとして計算すると全ての種類から2匹づつではなく千匹のスペースがあります。
つづく
編集者 sk (2013年03月11日 17:42:58)
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#6 2013年03月12日 07:39:10
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Re: ノアの洪水
ウォルト・ブラウン博士のハイドロ・プレート説
Hydroplate Theory by Ph.D. Walt Brown
ウォルト・ブラウン博士
マサチューセッツ工科大学機械工学
物理、数学、コンピュータサイエンス元教授
元米空軍大佐
科学的創造論者でノアの時の世界的な規模の洪水をハイドロ・プレート説で解説している。
ハイドロ・プレート説 Hydroplate Theory
洪水の水はどこから来たか。
創世記 7:11
11 ノアの生涯の六百年目,第二の月,その月の十七日,その日に広大な水の深みのすべての泉が破られ,天の水門が開かれた。
「広大な水の深みのすべての泉」とは何のことでしょうか。
ペテロ第二 3:5
5 . . . 神の言葉によって,昔から天があり,地は水の中から,そして水の中に引き締まったかたちで立っていました。
創世記 1:9
9 次いで神は言われた,「天の下の水は一つの場所に集められて乾いた陸地が現われるように」。するとそのようになった。
詩篇 136:6
6 地を水の上に張り広げられる方に。その愛ある親切は定めのない時にまで及ぶからである。
詩篇 24:2
2 [神]ご自身が海の上にそれ(地)を固く定め,川の上にそれ(地)を堅く据えて保っておられるからだ。
上記の聖句から地は地表の下の水、地下水脈の上に乗っていることが分かります。
それでノアの洪水の時、この地表下10マイル (16km) の水脈が地表のひび割れから泉のごとくに吹き上がりました。
ハイドロ・プレート説の各段階
Phases of the Hydroplate Theory: Rupture, Flood, Drift, and Recovery
http://www.creationscience.com/onlinebo … view7.html
地表亀裂、地下泉の破裂段階
地表全体を取り巻く規模での地面の亀裂により、地下16km の圧力水が地表に向かって破裂し大量の水を噴き上げる。
泉の噴水の高さは24マイル (39km) まで及びその宇宙空間飛散により地球生成流星となり起動により地球に再び戻って来る。
その理由でで流星の隕石成分に氷や水分、又はバクテリア(細菌)、その他地球と同じ成分が発見されています。
Figure 56: 洪水の破裂段階。現在大洋中央海嶺付近を取り巻く46,000マイル (74,030km) の破裂
地下の水の圧力を上げる要因は科学的な説明と聖書的な説明の双方を考慮して各自が自分の納得すればよいと思います。聖書は神が洪水をもたらしたと述べていますので、それには神の関与があります。
内部の圧力の増加による地表面への亀裂の速度を物理的に計算すると、亀裂の速度は 3mil/sec (4.8km/sec) で約 2h で地球を1週することになるとされています。そしてそのスピードで地下の泉の破裂が起きます。
月の地球側の面にクレータが多い一因はこの地球の破裂によるとみなされています。
上記のように膨大な地下水脈の泉が世界規模の破裂の影響は地形の大変化をもたらしました。
洪水前の地球は大陸がひとつにまとまっていて海はその巨大なひとつの大陸の内部に湖のような規模で存在していた見られています。また高い山や深い海溝は存在しておらず、地球全体が極地方も含め温暖な気候であったとみなされています。ノアの時の世界的な大洪水で、現在の大洋中央海嶺 (the Mid-Oceanic Ridge) に沿って大量の水が地下から吹き上がり、その水圧で大陸の分離が生じプレートの隆起と沈下をもたらし、現在のような山岳地帯や海溝を形成しました。
世界的な洪水は気候の世界的な激変をもたらし、太陽から一番遠い極地方が瞬時に極寒地帯となり、そこで生活していた生物が濁流の中に生きたまま凍結されました。その証拠も無数に存在しています。それについては次回の化石の証拠で説明します。
ビデオ(英語)
つづく
編集者 sk (2013年03月12日 07:45:48)
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#7 2013年03月13日 15:47:29
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Re: ノアの洪水
補足 神の裁き
ある人たちが言うようにエホバ神は邪悪な者ではありません。
神は「邪悪な者たち」を滅ぼされます。滅ぼされるのは普通の謙遜な人たちではありません。
ノアの時代に起きた裁きは、当時救出された僅か8人を除いて全てが邪悪であったことを意味しています。
その救出がなければその8人も犠牲者となったでしょう。
創世記 6:11
11 そして,地は[まことの]神の前に損なわれ,地は暴虐で満ちるようになった。12 それで,神が地をご覧になると,見よ,それは損なわれていた。肉なるものがみな地でその道を損なっていたからである。
現在もノアの当時と同じように全てが邪悪に向かい再び地が暴虐で満ちるようになりつつあります。
誰が公正と憐れみをもって悪の犠牲者を救うのでしょうか。
神を戒める者はどのような公正で憐れみのある実際的な解決策を示せるでしょうか。
神を批判する者はどのように暴虐による犠牲者を救出するつもりでしょうか。
人の語る無益なことばは裁きの日に公正の神により言い開きを求められるでしょう。
マタイ 12:36
36 あなた方に言いますが,人が語るすべての無益なことば,それについて人は裁きの日に言い開きをすることになります。
公正な神はどのように義なる者を邪悪な者たちから救出するかご存知です。
そのための時があり、適切な方法があります。
神の行動により義なる者たち、温和なものたちの救出がもたらされるでしょう。
創世記 18:32
32 最後に彼は言った,「どうかエホバがお怒りにならないで,いま一度だけお話しさせてくださいますように。もしそこに十人が見いだされるとしたら」。それに対してこう言われた。「その十人のゆえに,それを滅びに至らせることはしない」。
ペテロ第二 2:9-10
9 当然エホバは,敬虔な専心を保つ人々をどのように試練から救い出すか,一方,不義の人々,10 わけても,肉を汚そうとの欲望を抱いてそれに従い,主たる者の地位を見下す者を,切り断つ目的で裁きの日のためにどのように留め置くかを知っておられるのです。
箴言 21:18
18 邪悪な者は義なる者のための贖いである。不実な行ないをしている者は廉直な者たちの代わりとなる。
邪悪な者と義なる者の共存はあり得ません。狼は羊をすべて食べつくすでしょう。
義なる者たちのは邪悪な者たちの暴虐から救われる必要があります。
神はその方法をご存知です。
暴虐の犠牲者には復活による救出が準備されています。
神は死からさえ人々を救出されるでしょう。
人が被るあらゆる害は取除かれ、それをはるかに上回る慰めを受けるでしょう。
神の処遇や備えの全ては人間が達成し得ない最善の解決をもたらすでしょう。
エホバ神の公正、正義、憐れみ、寛大さ、知恵、力を疑う理由は全くありません。
現在の人間社会の哀れな現状はすべて神を知らない、又は退けた人間たちに責任があります。
人間は自らの心が悪に傾くことを変えることができません。
この哀れな状態から自らを救い出すことすらできません。
神の助けなしに人間は永続する良いものを達成できないでしょう。
科学技術によって人間は自らの邪悪さ、貪欲、利己心を無くすことができません。
むしろそれを助長さえしています。
科学技術の発展により破壊の規模や速度が飛躍的に増大し地を荒廃させ自らの自滅を早めています。
人類の救出のために神は再び介入を余儀なくされるでしょう。
啓示 11:18
18 しかし,諸国民は憤り,あなたご自身の憤りも到来しました。また,死んだ者たちを裁き,預言者なるあなたの奴隷たちと聖なる者たちに,そして,あなたのみ名を恐れる者たち,小なる者にも大なる者にも[その]報いを与え,地を破滅させている者たちを破滅に至らせる定められた時が[到来しました]」。
現実を直視してください。
「神の公正は人間より劣る」との主張は根拠の無い偽りです。それは偽りの父の推論です。
自らを自分の罪(利己心、貪欲、誇りなど)と死から救い得ない人間の限られた推論に頼る妥当性はありません。
人間の知恵は発展途上であり知識と知恵の全き方と比べものになりません。
サタンの体制の不完全な人間は自らの招いた不公正と暴虐により同胞を苦しめ、また自らの抱える問題を解決する知恵も能力もその気すら持っていません。神を無視するその歩みは自らを害することでありその哀れな状態からの救いも持っていません。そして愚かにも神を呪うことまでします。
箴言 19:3
3 地の人の愚かさがその道をゆがめる。そのためにその心はエホバご自身に向かって激怒するのである。
コリント第一 3:20
20 また,「エホバは,賢い人たちの論議が無駄 (futile) なことを知っておられる」とあります。
詩篇 146:3-4
3 高貴な者にも,地の人の子にも信頼を置いてはならない。彼らに救いはない。4 その霊は出て行き,彼は自分の地面に帰る。その日に彼の考えは滅びうせる。
次回は化石の記録
編集者 sk (2013年03月18日 22:28:25)
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#8 2013年03月14日 08:14:16
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Re: ノアの洪水
化石の証拠
急激な埋葬
http://www.creationscience.com/onlinebo … ces25.html
世界中の化石の記録は急激な埋葬を物語っています。クラゲの化石化のような多くの化石は、やわらかい肉の部分が腐ってしまう前に埋葬されたことを示しています。(普通は死んだ動物や植物は速やかに分解します)他の動物の化石化した遺体が埋葬された多数の墓場や、ひねられ、ねじ曲げられた状態であることは広範な地域における猛烈で急激な埋葬を示唆しています。それらの観察に加えて、加圧された化石の発生や堆積岩の2つ、またはそれ以上の層を横切って存在する化石は、それらの化石を含む堆積層が、何億年もかけてではなく急に堆積した事の強力な証拠です。さらに、今日の岩を造るほとんど全ての堆積物は水によってより分けられます。それで、世界中の化石の記録は世界規模の大洪水による動物や植物の生命の急激な死と埋葬の証拠です。 [See "A Whale of a Tale" on page 133.]
Figure 7: 魚を飲み込む魚の化石。ある魚が他の魚を呑み込む行為を保存するには埋葬と化石化は極めて急激であったに違いありません。何千ものそのような化石が発見されています。
Figure 8: 長い魚の中の魚。約14フィート (4.3m) の魚の胃のなかにひとつの魚がいます。多分大きな魚の朝食でしょう。消化は急速なので、その化石化はそれよりさらに急速でしょう。
Figure 9: 曲がった魚。背中の曲がりはこの魚が圧力の下で死んだことを示しています。
Figure 10: トンボの羽。この繊細な1.5フィート (46cm) の羽は急激に埋葬され、また均一にその細部が保存されたに違いありません。トンボの全体の大きさを想像してみてください。
sk 追加 1: 出産(誕生)のときの化石化
sk 追加 2
sk 追加 3 クラゲ
sk 追加 4 アンデス山上の標高3,000mの500を超える化石化した巨大牡蠣
(photo from AP/Wide World Photos)
何層もお地層を貫く木の化石 Polystrate Fossil
Poly (man) strate (strata) : 複数の地層
直立、逆さまの木の化石が世界各地で発見されています。石炭田は世界各地に存在しています。
これらは植物(大木)が生きている状態でそのまま化石化していますので、何億年の地層の形成という考えと調和しません。これらの化石の証拠は世界的な大洪水による大規模で急激な化石化を物語っています。
凍結マンモスについて
かつて地球は極地方も含めて温暖であった証拠はふんだんにあり、極地方の石炭層は現在雪と氷の世界がかっては豊かな森で覆われていたことを物語っています。熟した実と緑の葉をその枝にいまだにつけた 90フィート (27.4m) の倒れた果樹が、現在僅か1インチ (2.5cm) の柳が育つ新しいシベリアの島の凍土の中から発見されています。ヤシの木の化石がアラスカで発見されています。食べた日と同じほど新鮮な草、つりがね水仙 (bluebells)、キンポウゲ (butter-cups)、アメリカホドイモ (wild beans) が冷凍マンモスの口と胃の中から見つかっています。
最も有名で見に行け、研究されたマンモスは1900年にシベリアのベラザカ川 (Berezovka River) の100フィート (30m) 上の新たに侵食された土手で発見された50才のオスです。展示の1年後オットー・F・ハーツ博士を団長とするチームは労を惜しまずその凍結した体を掘り出し、そしてロシアのセント・ピーターズバーグ (St. Petersburg) の動物学博物館に運びました。
凍土から突き出していた頭部のほとんどは地元の狼や他の動物により骨のところまで食べられていました。しかし残りのほとんどは完全な状態でした。最も重要な点は、唇、口の内面と舌が保存されていたことです。最後に、もちろん歯と歯の間にその最後の食事が残っていて、何らかの理解できない理由でそれを呑み込む暇はありませんでした。その食事は繊細なスゲ (sedges) と芝草であると証明されています。
他の記事は、「マンモスの口は収穫された草で満たされていましたが、噛まれても呑み込まれていなかった」と述べています。 (A. S. W., Nature, Vol. 68, July 30, 1903, p. 297)
草は急激に凍結したため動物の臼歯の跡が付いてた。(Lister & Bahn, Mammoths: Giants of the Ice Age, p. 74)
ハップグッドのロシア語の翻訳は「8つの良く保存された豆のサヤと5つの豆が口中で見つかった」と伝えています。 (Charles H. Hapgood, The Path of the Pole, 1970, p. 267)
24ポンド (10.89kg) の未消化の野菜がベラザカ (Berezovka) のマンモスから取られロシア人の科学者 スカッケブ (V.N. Sukachev) により調査されました。彼は、ハーブ、草、こけ、低木、そして木の葉など40種以上の植物を識別しています。多くは極北ではもはや成長しないもので、他はシベリやメキシコの両方で育ちます。ディロー (Dillow) はそれらの遺物から幾らかの結論を出しています。
一般的にほどんど南部で育つそれ程多くの種類の植物の存在は、その地域の気候が今日より温暖であったことを示している。スゲの完熟実、芝草、またその他の植物のが見つかったことは、マンモスは7月の後半から8月の始めにかけて死んだことを示唆している。(Joseph C. Dillow, The Waters Above: Earth's Pre-Flood Canopy, 1981, pp. 371-377)
500万頭のマンモスが北極地方の土地に埋葬されていると推測されています。
シベリアの土地はマンモスの骨であふれています。それで象牙採掘が何年も行われています。ひとつの採掘所だけで少なくとも20,000本の牙を採掘しています。マンモスの他にも北極の土地は、多毛のサイ、ラクダ、馬、トラ、そしてアンティロープを含め60種類以上の動物の遺体を含んでいます。それらのほとんどは凍結した沈泥の中で岩石や木の根と混ざって存在しています。
もし我々が保存された肉だけではなくマンモスの骨と象牙を探すなら、特にシベリアとアラスカで発見の数は莫大になります。ロシア学術マンモス研究科学委員会の委員長ニコライ・ベラシチジン (Nikolai Vereshchagin) は、50万トンを上回るマンモスの象牙が600マイル (965.6km) に伸びた北極地方の沿岸に埋葬されていると見積もっています。(John Massey Stewart, "Frozen mammoths from Siberia Bring Ice Ages to Vivid Life," Smithsonian, 1977, p. 68) 一般に象牙は100ポンド (45.36kg) ありますので、これは500万頭を上回る数のマンモスがその小さな地域で生きていたことを示しています。この見積もりが高く、また数千年の遺体の蓄積であるとしても、大きなマンモスの群れが北極地方の沿岸に沿って繁栄していたことが分かります。より多くは他のところで存在しました。マンモスの骨や象牙はヨーロッパ中、北および中央アジア、北アメリカ、南はメキシコシティに及ぶまで発見されています。この北極地方の沿岸地域は、肥沃なノヴォシビルスク諸島 (New Siberian Islands) が沖合いにあるので、マンモスの遺体の密集度がもっとも高いといえます。ベラシチジン (Vereshchagin) の推測の西側を地域を含むラプチェフ海 (Laptev Sea) 沿岸地帯は、世界でマンモスの最も大きな墓場のひとつとみなされています。
ノヴォシビルスク諸島 (New Siberian Islands)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E% … 8%E5%B3%B6
マンモスの骨、象牙、また歯の密集が辺ぴな北極地方の島々でも見つかっています。今日の海による障壁はいつもそこにあったのではないことは明らかです。多くの人がそれらのマンモスの遺体を島々の主な物質であると述べています。それらの報告が大げさとしても、何がそれらの北極圏の中の不毛の島々にある密集し保存された骨や象牙の説明となるでしょうか。200を上回るマンモスの歯が牡蠣 (oysters) と一緒に北海のドッガーバンク (Dogger Bank) の海から引き上げられています。
ドッガーバンク (Dogger Bank)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89% … 3%E3%82%AF
石油採掘者たちはアラスカのマック (muck 極地方の黒い腐葉土) を試掘し18インチ (46cm) のかなり大きな木の幹を地下約1000フィート (304.8m) から引き上げました。それは化石化しておらず単に凍っていました。(Anonymous, "Much About Muck," Pursuit, Vol. 2, pp. 68-69) 近くの森は数百マイルも離れていました。ウィリアムズ (Williams) はアラスカで同じような発見を「いたるところです」と述べています。
アラスカのプラドー湾 (Prudhoe Bay) の地表から1,900フィート (580m)下は土が凍っていますが、その付近のいたるところを石油会社は掘削し古代の熱帯森林を発見しています。それは、凍結状態で化石化していません。それは地下1,100フィートから 1,700フィート (335m-518m) の間にあります。そこにはヤシの木、松ノ木、熱帯群葉が極めておびただしくあります。事実それらは互いに重なってあたかもその場で倒れたかのように見えました。(Lindsey Williams, The Energy Non-Crisis, 2nd. Edition, 1980, p. 54)
プラドー湾 (Prudhoe Bay)
http://en.wikipedia.org/wiki/Prudhoe_Bay,_Alaska
シベリアの北海岸のコリマ川 (Kolyma river) 河口の流木。
今日このサイズの木はコリマ沿いで生育しません。葉や、果実(プラム)でさえその流木の中に見つかっています。川によって遠くから運ばれてこない限り、誰もそこでそれらの葉や果実を見ることなど思いもよらないことです。またなぜそれらの木は腐っていないのでしょうか。
コリマ川 (Kolyma River)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3% … E%E5%B7%9D
銘柄の象牙の取引の設立は広範に及ぶ凍結と急激な埋葬を示しています。象牙、牙は凍結されて外気から保護されない限り、乾燥し動物質と弾性力をを失い崩れ、ひび割れ彫刻に適さなくなります。象牙の取引は少なくとも1611以来広範な地理的地域で栄えてきました。そこから96,000ものマンモスの牙が輸出されてきました。ですから、凍結と埋葬の規模は多くの人々が想像する以上に広範囲です。
1846年5月に測量士ベンケンドルフ (Benkendorf) とその仲間はシベリアのインディギルカ川 (Indigirka River) のほとりでキャンプしていました。春の雪解けと異常な豪雨により水嵩(かさ)が増した川は浸食して新たな水路を創っていました。ベンケンドルフは大きな物体が水の中にゆっくりと上下に動いているのに気付きました。黒くて恐ろしい巨大な塊は水の中から突き出し、巨大な牙とあたかもそこで何か無くした物を探すかのように不気味にうごめく長い鼻のある素晴らしい像の頭を見ました。彼らはそのマンモスをロープと鎖で岸に引寄せようとしました。しかしすぐにその後部の脚が固定されていることが分かりました。それは立ったまま川底で凍っていました。
24時間後、川は解凍し川底を浸食しマンモスを開放しました。50人の男たちと彼らの馬によりそのマンモスを12フィート (3.7m) 陸地に引き上げました。高さ13フィート (3.96m)、長さ15フィート (4.57m) のその獣は良く肥えており、完全に保存されていました。その大きく見開いた目は、その生き物がまるで生きているように見え、あたかもすぐに動き出し、うなり声を上げて彼らに襲い掛かるかのようでした。(William T. Hornaday, Tales from Nature's Wonderlands, 1926. Translated from the Russian report) 彼らは牙を取りはずし、若いモミと松の芽、また沢山のモミの実が入っているいっぱいの胃袋を開け、また咀嚼の状態 . . . (ibid.) 数時間後、川がゆっくりと土手を削り取っていたため突然に川土手が崩れました。そのマンモスは北極海の方へ運ばれて行き再び見ることはありませんでした。
マンモスは広範囲の地理的地域に広がっています。
これらの奇妙な出来事が広範な地理的な広さで起きたこのに気付くべきです。それらは多分無関係な別々の出来事では無いでしょう。ヘンリー・ハワース卿 (Sir Henry Howorth) が述べているとおりです。
厚皮動物のやわらかい部分の保存の実例は単なる地域的、散発的なものでは無く、ウラル (Urals) からベーリング海峡 (Bering Strait) のチュクチ (Chukchis) に至るシベリアの全長(端からは端まで)に沿う一連の例を形成している。それでここで我々は広くいきわたる状況や大陸全体の気象条件を扱わねばならない。
同じような完全な仕方で、連続的にそれ程広範囲に保存されているものを発見する時、またその全ての形跡が比較的に穏やかなものから極寒へ突然の気候変動を証拠付ける時、我々はそれらの全てが共通の出来事を証明していると結論せざる得ません。我々は、個々のケースまた個々の地域の別々の気候大変動を仮定することはできません。しかし我々は現在永久に凍結しているアジアの地帯は、同じ原因で同時に凍結したとの結論に達さざる得ません。(Henry H. Howorth, The Mammoth and the Flood, 1887, p. 96)
事実、アジア、ヨーロッパの北部また北アメリカは馬、野牛、鹿、や他の大きな四足獣のと一緒に象(マンモス)やサイの絶滅した種のを含んでいます。(A. G. Maddren, "Smithsonian Exploration in Alaska in Search of Mammoth and Other Fossil Remains," Smithsonian Miscellaneous Collections, Vol. 49, 1905, p. 87) それでその出来事(気候激変大災害)はハワースが考えるよりも広範囲に及んでいたと思われます。
地下氷内の凍結した魚
あいにく科学者を当惑させる死んだ哺乳類だけでなく魚も発見も幾つかあります。1942年コリマ盆地 (Kolyma Basin) のリグリクハタカ川渓谷 (Liglikhtakha River valley) の道路工事で、ある発破が、ある大きな魚の凍結標本を含む透明な氷の地下の通路を開きました。明らかにその爆破は古代の魚類学動物相(魚)とともに太古の川の経路を公開しました。工事の監督は「魚は驚くほど新鮮で、爆破で投げ出された塊の肉はその場にいた者たちが食た」と報告しています。(Y. N. Popov, “New Finds of Pleistocene Animals in Northern USSR,” Nature, No. 3, 1948, p. 76)
1846年にチベットで発見された凍結野牛
二番目の報告は1846年にチベットの宣教者 M. ユック (M. Huc) からのものです。チャールズ・ライエル卿 (Sir Charles Lyell) はしばしば地質学の父と呼ばれいます。またこの同じ話を「地質学の原則」 (Principles of Geology) の11版でも引用しています。ユックの一行の多くの者が凍死した後、生存者たちはモロウイ・オウソウ (Mouroui-Oussou それより下ると有名なブルーリバーとなります。) の土手にテントを張りました。
ユックはこう報告しています。
モロウイ・オウソウを渡る時、ひとつの光景が現れました。まだ野営している間、我々は少し距離をおいて、ある黒い形のはっきりしない物体が幅のある列でその大河を横切っているのを観察しました。我々が近づくにつれその形態と距離のどちらも変わらないのは明らかでした。十分に近づいて初めてそれが野生の野牛の群れであることが分かりました。50頭を超える野牛が氷の中に固まっていました。
間違いなく、彼らは凍結の瞬間泳ぎ渡ろうとしていたに違いありませんが、自らを解放すことができませんでした。巨大な角のある美しい頭はまだ氷面の上にあり、体は無分別な獣の位置が簡単に識別できるほど透明な氷の中に固まっていました。彼らはまるでまだ泳いでいるかのよに見えました。しかし鷲やカラスが彼らの目をつつき出していました。(M. Huc, Recollections of a Journey through Tartary, Thibet [Tibet], and China, During the Years 1844, 1845, and 1846. Vol. 2 (New York: D. Appleton & Co., 1852), pp. 130-131)
sk の感想
これほど大きな川が50頭以上の野牛の群れや魚を含め凍結する気候の激変は氷河期によって説明することには無理があります。さらに広大な極地方の急激な凍結の証拠は世界的な洪水以外に妥当な説明はありません。
人間とマンモスは共存していました。
人類は毛深いマンモスや大洪水前の他の居住者たちと共存していました。
ジョージ・E・ランクフォード (George E. Lankford) はこう書いています。
数千年前北アメリカでマンモスと人類は一緒に生きていました。ある人はマンモスの姿をデルウェアー川の渓谷の貝の上に彫っています。ある考古学者は、例えば口伝のマンモスの保有に関するアメリカ原住民の伝説の調査に駆り立てられています。("Pleistocene Animals in Folk Memory," Journal of American Folklore, Vol. 93, Issue 369. 1980, page 293)
1998年化石収集家ネビル・ホリングワース (Neville Hollingworth) はマンモスの骨と火打石斧を英国のウィルトシャーのラトオンの墓穴の中で発見しました。 (Latton, Wiltshire, England) 幾らかの骨は、多分マンモスの骨のそばで発見された火打石斧によってなされた切跡の証拠を示していました。次の年の間、チェルトナム (Cheltenham) とグロスター (Gloucester) 大学の氷砂利専門家ダリル・マディ (Daryl Maddy) とサイモン・ルイス (Simon Lewis) は、その時代にマンモスと人間が共存していたことを再び示すもっと多くの骨とさらに幾つかの手斧を発掘しました。
マンモスと初期の人類は一緒に存在していました。考古学上の証拠は毛深いマンモスは屠殺され、人はその肉を食べ、住まいの骨組みのため、またその耐久性と堅牢さのために道具とするためその象牙を切り落としました。
毛深いマンモスの洞窟芸術 フランスのドルドーニュ県 (Dordogne, France)
それが宗教的なものか趣味なのかは不明の初期人類が作った動物と人間の多くの像があります。それから前の地球の地下の泉と天蓋が破れ莫大な数の洪水前の生き物が死にました。洪水前の水蒸気の天蓋が除かれ、地球の気候は最早前と同じではなくなりました。
つづく
編集者 sk (2014年08月23日 18:43:38)
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#9 2013年03月15日 09:12:52
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Re: ノアの洪水
恐竜 (dinosaurs) は人間と共存していた。
アナサジインディアン (Anasazi Indians) アメリカユタ州の岩壁 1300年ごろ
恐竜の陶器 メキシコ、アカンバロ (Acambaro) 渓谷出土 4000年前
ペルー パチャクテク (Pachakutiq) 族 500-1500 AD.
アンコールワットの恐竜彫刻(カンボジア、クメール王朝、8-14世紀)
アボリジニーのクク・ヤランジ (KuKu Yalanji) 族の描いたヤルー (Yarru) オーストラリア、クィーンズランドの極北
1977年4月25日、ニュージーランド沖で日本の遠洋トロール船「瑞洋丸(ずいようまる)」が操業中に引き上げられた10m ほどの正体不明の腐乱死骸。アボリジニーの描いたヤルーと思われる。
安田教授の説明(瑞洋丸の怪物)
古代エジプトのタイル板の恐竜のリリーフ Nar-mer (first Pharaoh of a united Egypt)
マルコ・ポーロ (Marco Polo) の報告によると中国の皇帝は沢山の恐竜 (dragons) を飼っており、パレードで皇帝の戦車を引くのに用いていたといわれています。1611年ごろ
恐竜は現在でも生きている。
アフリカ、コンゴ、リクアラ湿地帯 (Likouala swamp) のモケレ・ムベンベ (Mokele-mbembe)
原住民の描いたモケレ・ムベンベ
宣教師ユージン・トマス (Eugene Thomas) は、2人のピグミーが1959年にモケレ・ムベンベを殺したと報告している。
1925年にカリフォルニアの海岸にに打ち上げられた首の長さが20フィート (6m) の生き物
多くの人が目撃している翼竜 2001年 6/13, 7/6, 9/25 ペンシルベニア州で目撃されている。アメリカインディアンはサンダーバード (Thunderbirds) と呼んでいる。アフリカの未開地では日常的に目撃されている。
1860年、合衆国連合軍 (union) の兵士により打ち落とされたサンダーバード
国 呼び名
ザンビア コンガマト (kongamato)
ガーナ ササボンサム (Sasabonsam)
カメルーン オリティアウ (Olitiau)
パプアニューギニア、ランブンゾ島 ロペン (Ropen) 飛ぶ悪魔
パプアニューギニア本島 ドゥア (Duah) 飛ぶ悪魔
インドネシア オラング・バティ (Orang-Bati) 翼のある人
北アメリカ サンダーバード (Thunderbird)
中央アメリカ ケツァルコアトルス (Quetzalcoatlus)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1% … B%E3%82%B9
ヨブ記 40:15-19
15 さあ,見よ,わたしがあなたと同様に造ったベヘモトがいる。これは青草を雄牛のように食べる。16 さあ,見よ,その力はその腰にあり,その活動力はその腹の腱に[ある]。17 これはその尾を杉のように垂れる。その股の筋は絡み合っている。18 その骨は銅の管であり,その強い骨は打って造った鉄の棒のようである。19 これは神の道の始まりであり,その造り主は自分の剣をそばに持って来ることができる。
ベヘモトはものみの塔が教えているカバではありません。17節によるとその尾は杉のようであると述べられています。
ヨブ記の描写はそれが恐竜であることを物語っています。そして神が最初に意図されたとおり恐竜は草食です。その鋭い牙は本来堅い木の繊維を砕くためのものです。
カバの尾 恐竜の尾
ヨブ記 41:1-34、詩篇 104:26 のレビヤタンはワニではなく首長竜 (Plesiosaurs) でしょう。
爬虫類は生きている限り成長を続けるので大きいものほど長く生きていることになります。
ノアの洪水の前は生き物は今と比べて巨大であったことが化石から分かります。
現在の教育制度は前提を進化論に置いていますので、現実に存在する証拠と調和できず、いわゆる大衆を喜ばせるミステリーを生み出していますが、化石や現実の証拠にあわせて正しい推論をすれば聖書の記録の真実性がより一層明らかになるでしょう。
ビデオ(英語)
http://archive.org/details/KentHovind_P … ndTheBible
つづく
編集者 sk (2013年03月18日 14:33:46)
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#10 2013年03月18日 10:11:42
- sk
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Re: ノアの洪水
凍結マンモス
(frozen mammoth)
シベリアの永久凍土で凍りついたマンモス 2011/1/24
科学者たちは遺伝物質を取り出し像の卵子に移しマンモスの再生を期待しています。
http://www.haveeru.com.mv/english/details/33895
神は本来肉食を意図していません。
創世記 1:29-30
29 次いで神は言われた,「さあ,わたしは,全地の表にあって種を結ぶすべての草木と,種を結ぶ木の実のあるあらゆる木をあなた方に与えた。あなた方のためにそれが食物となるように。30 そして,地のあらゆる野獣と,天のあらゆる飛ぶ生き物と,地の上を動き,その内に魂としての命を持つすべてのものに,あらゆる緑の草木を食物として与えた」。そしてそのようになった。
動物の歯は肉食のためのものではありません。
植物の繊維や堅い殻を砕いたり裂いたりするためのものです。
タンパク質合成は腸内細菌が行います。
菜食の象、カバ、サイ、牛、馬、その他は肉を食べなくても巨大になります。
フルーツこうもりの頭蓋骨 (fruit bat skull) 草食(フルーツを食べる)
パンダの頭蓋骨 草食(笹を食べる)
犬の頭蓋骨 雑食
アメリカ黒熊の頭蓋骨 基本的に草食(木の実や新芽を好む)
灰色熊の頭蓋骨 基本的に草食(木の実や新芽を好む)
白熊の頭蓋骨
ライオンの頭蓋骨
恐竜の頭蓋骨 (本来椰子の実などの堅い植物を食べる)
カバの頭蓋骨 草食
肉を食べないライオン、タイクの記事(英語)
http://www.veggieinfo.net/si-lang/dejstva/tyke.htm
その子は1946年に生まれました
ジョージとマーガレット・ウェストボー (Georges and Margaret Westbeau) は自分の出産した子を殺す癖のある母ライオンから生まれたばかりの子供を救出します。突然その母ライオンは出産したばかりの子を銜(くわ)えて放り投げました。ジョージは柵ごしに素早くその子をつかみ一命を取り留めました。母ライオンの粗暴な扱いのためにその右前足は力なくぶら下がっていました。母親ライオンのそのような激怒の仕打ちに面して「ああ、かわいそうな子 (Tyke)」としか言いようがありませんでした。
ウェストボーは3ポンド (1.36kg) の小さな子 (Little Tyke) をシアトルの近くの彼らの隠れ谷飼育所 (Hidden Valley Ranch) に連れて行き他の動物たちと一緒に育てることにしました。暖かいミルクを飲ませ、その小さな子は回復に向かいました。
やがて、ウェストボー家は専門家の指導の下にリトル・タイクを固形食物に向けて乳離れさせることに取り掛かます。お気に入りの人形を除いて、彼女のゴムのおもちゃをすべて屠殺された牛の骨に取り替えました。彼らは骨をその小さな子に運びました。思いもよらないことに、彼女はそれを激しき吐き出しました。
専門家は「ライオンは肉なしには生きられない」とはっきりと彼らに告げました。野生ではライオンは魚だけでも、雌の成獣で1日に11ポンド (5kg) 食べます。リトル・タイクの奇妙な振る舞いを心配して、どのように肉を彼女の食事に導入するかを思いめぐらしました。当分彼らはミルクとシリアルを混ぜて与えることにします。それから、「牛の血をミルクに混ぜて与える」というある友人の善意から出た提案があります。まず、10滴の血を混ぜて与えてみました。タイクは全く振り向きもしませんでした。それで5滴にひらして、そのボトルを隠し、タイクに血の入っていないミルクを飲ませながら、途中でボトルを入替て与えることを試みました。再びタイクはその5滴の血の混ざったミルクを退けました。仕方なく彼らは1滴の血を入れたミルクボトルで試みます。リトル・タイクはそれも同じように拒みました。彼らはただあっけにとられて見つめているだけでした。
次はミルクとハンバーガーで試みます。ジョージは片手にミルクボトル、他方の手にミートバーガー、ミルクを与えながら途中でミートバーガーを差し出します。タイクは直ちに顔を背けます。タイクのストレスを察してジョージはミートバーガーをあきらめ近くのタオルで手を拭き、タイクを抱きかかえました。ところがタイクは恐れからシュートというねこ科特有の音を発しすくんでしまいました。彼女はジョージの手からの肉の臭いにより気分が悪そうに見えます。タイクは肉の臭いの無い洗った手で持ったミルクボトルから与えられるときのみ落ち着きました。
9ヶ月で65ポンド (30kg) のリトル・タイクは最後に添え木と包帯を脚から外してもらいました。彼女は徐々に自分の治った足により頼むことを学び、飼育所の他の動物たちと一緒に交わるようになりました。飼育所の収入が十分でなかったので、ウェストボー家は町で小さな冷蔵貯蔵工場を営んでいました。リトル・タイクは彼らろと一緒に仕事場に行き、そしてこの菜食主義雌ライオンは町でうわさになりました。彼女が4才のときウェストボー家は、誰でもリトル・タイクを誘って肉を食べさせる方法を工夫できるなら1000ドルの報酬を支払うと宣伝しました。リトル・タイクは肉に見向きもしなかったために多くのプランが失敗に終わりました。
このやさしい動物の世話をしているウェストボーさんたちは動物専門家を探し、いつもタイクの食事について尋ねていました。ついに、ある若い訪問客が彼らの心配を取除きました。その若者はまじめな目で彼らを見つめ「あなたは聖書を読んだことがないのですか」と尋ね、「創世記の1章30節を読んでください、そうすれば答えが分かるでしょう」と述べました。ジョージは驚きのうちに始めてそこを読みました。「地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」そのようになった。 」 4年後のその時点からウェストボー家はついに心配するのを止めました。
タイクの代表的な食事はタンパク質、カルシウム、脂肪を含む多種の穀物、また食用ぬかで成っていました。マーガレットはいつも数日分の保存食を事前に作りました。食事の時は二重の手のひらいっぱいの調理された穀物と1.5ガロン (5.7L) のミルクと2個の卵がタイクのおいしいご馳走でした。彼女は食べる前にひとつの条件が必要でした。彼女のお気に入りのゴムの人形が横にいる必要がありました。
歯や歯茎のためにウェストボーさんたちは、タイクが骨を拒むのでゴムブーツを与えました。彼らはそのブーツにタイクを引寄せるために香水をかけていました。片方のブーツは約1ヶ月持ちました。リトル・タイクには多くの動物の友達がいました。彼女のお好みはピンキー(子猫)、インプ(子猫)、ベッキー(子羊)、ベイビー(子じか)でした。しかしながら、彼女の大好きな親しい友達はベッキー(子羊)でした。そしてベッキーも他の動物よりもタイクとの交友を好んでいました。
アート・ベイカー (Art Baker) の司会のテレビ番組「あなたがそれを求めた」 (You Asked For It) ショーは一度リトル・タイクを取上げたことがあります。プロデューサーは鶏と一緒のシーンを望んでいました。それはジョージを困らせる注文ではありませんでした。なぜならリトル・タイクは隠れ谷飼育所 (Hidden Valley Ranch) で鶏の中を容易に歩き回っていたからです。撮影班が鶏を持ち込んだときそれらは4匹の雛であることが判明しました。
リトル・タイクの雛との過去の経験は、飼育所の巣の周りの芝を歩き回る雌鳥とその雛についてです。こそこそ家に逃げ込み、開けているあごのうえに唇をしっかり閉めてバツが悪そうなリトル・タイクの奇妙な振る舞いにジョージは気付き、「タイク、何を持っている(食べた)」と叫びました。即座に彼女の口が開き雛が無傷で飛び出てきました。綿毛に覆われた羽を羽ばたかせて動転している母鳥のところまで飛んで行きました。明らかにいつもの様にリトル・タイクは愛情をこめてその小さな雛をなめていました。その舌の大きなひとなめで、その小さな雛が彼女の口の中に飛び込んでしまいました。それでタイクはそれ以上さらにどうすべきか分からなくなっていました。驚く撮影班の前で、リトル・タイクはその雛たちのところへひとまたぎで行きしばらくためらってから舌の先端で注意深く優しく雛たちをなめ、そしてあくびをして立ち去りました。それからちょっとして戻ってきて雛たちの中に横たわりました。雛たちはタイクの首もとに行き自分たちの素晴らしい保護者の避難所から覗いていました。
他のシーンは新しい子猫が、紹介の後、リトル・タイクの大きな前脚のところへ歩いて行きそこに座るのを見ました。リトル・タイクはひとつの前脚をその小さな創造物のまわりに曲げてより親密に抱いてかわいがりました。カメラの前でアート・ベイカー (Art Baker) は聖書を取上げて、そして読みました。「そして,おおかみはしばらくの間,雄の子羊と共に実際に住み,ひょうも子やぎと共に伏し,子牛,たてがみのある若いライオン,肥え太った動物もみな一緒にいて,ほんの小さな少年がそれらを導く者となる。」(イザヤ 11:6)
番組製作者に手紙が殺到しました。そしてこのエピソードは番組の歴史の中で最も人気のあるもののひとつとしました。
残念なことに番組のために3週間ハリウッドで過ごした後リトル・タイクは肺炎のウィルスに感染し、その病気は彼女の命を数週間後に奪いました。突然の気候の変動が原因となったかも知れません。彼女はテレビを見た後引退し静かに眠りました。
(sk の妄想 チャベツやカダフィのように暗殺されたかも)
彼女の命は終わりましたが、彼女が教えるものは行き続けています。彼女が教える多くの教訓の中でも「愛は恐れと凶暴性を除く」は大切なものです。リトル・タイクは彼女の危険な誕生の最初の数分後に自分に示された愛と気遣いを反映しました。何千人もの人々が、子羊の友達のベッキー (Becky) と一緒に横たわる彼女の写真を見ました。それは世界を新鮮仕方で見るように多くの人々を感動させました。
sk の感想
このようなケースはリトル・タイクが唯一ではありません。
ネットのおかげで世界各地のこの種の話を見ることができます。
ご自分で調査なさってみてください。聖書の真理に対する確信が深まるでしょう。
無心論者によって支配されているこの世の教育、メディアは進化論にとって都合の悪い事実を知らせないようにしています。
とはいえインターネットはその情報統制をなし崩しにしました。
それで体制側はネットによる真実の情報拡散を恐れていまし、やがて規制を強めてくるでしょう。
彼らにとってそれはコントロールに役立つ一方自らの隠し事を暴露する道具ともなり「両刃の剣」となっています。
また動物は愛情を持って優しく扱いましょう。そうすれば彼らは必ず答え応じます。
わたしはラプラドル・リトリバーを飼っていました。タイクのように他の生き物を決して傷つけないとても愛情深いいい子でした。ですから本来凶暴性、または共食いは意図されていなかったことが良く分かります。
最近はのら猫がよく来ます。優しく接するとなついてきます。とても、すばらしい!
動物に優しく接する気持ちを神が人間に与えたことに疑問の余地はありません。
暴虐や共食いは神からのもではありません。
神はご自分の基準からの離脱、堕落をやがて全て正されるでしょう。
その時、全ての生き物が益を受けるでしょう。
トピック「聖書の教え」の #50 を参照
http://www.jwstudy.com/jwbbs/viewtopic.php?pid=387#p387
トピック「聖書の教え」の #45 を参照
http://www.jwstudy.com/jwbbs/viewtopic.php?pid=382#p382
ビデオ(英語)
肉を食べないやさしい雌ライオン、タイク
愛らしいタイクの素晴らしい話
カヌンニャック (Kamuniak) オリックスの子を連れ添う雌ライオン
神の愛ある目的は必ず果たされます。
本来神が意図しておられた秩序が回復されるでしょう。
イザヤ書 11:6-9
6 そして,おおかみはしばらくの間,雄の子羊と共に実際に住み,ひょうも子やぎと共に伏し,子牛,たてがみのある若いライオン,肥え太った動物もみな一緒にいて,ほんの小さな少年がそれらを導く者となる。7 また,雌牛と熊も食べ,その若子らは共に伏す。そしてライオンでさえ,雄牛のようにわらを食べる。8 そして乳飲み子は必ずコブラの穴の上で戯れ,乳離れした子は毒へびの光り穴の上にその手を実際に置くであろう。9 それらはわたしの聖なる山のどこにおいても,害することも損なうこともしない。水が海を覆っているように,地は必ずエホバについての知識で満ちるからである。
啓示 21:3-4
3 それと共に,わたしはみ座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ! 神の天幕が人と共にあり,[神]は彼らと共に住み,彼らはその民となるであろう。そして神みずから彼らと共におられるであろう。4 また[神]は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死はなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである」。
使徒 3:21
21 まさに,天はこの方を,神が昔のご自分の聖なる預言者たちの口を通して語られたすべての事柄の回復の時まで,その内にとどめておかなければなりません。
すべてての事柄の回復の時は、キリストが王なる権威を持って天から表し示される時から始まるでしょう。
その時がわたしたちが生きているうちに到来することを願います。
ローマ 8:19-21
19 創造物は切なる期待を抱いて神の子たちの表わし示されることを待っているのです。20 創造物は虚無に服させられましたが,それは自らの意志によるのではなく,服させた方によるのであり,それはこの希望に基づいていたからです。21 すなわち,創造物そのものが腐朽への奴隷状態から自由にされ,神の子供の栄光ある自由を持つようになることです。
その時は、不完全な人間だけではなく動植物を含むすべての創造物にとって祝福となるでしょう。
そして全ての理知ある被造物は「ハレルヤ」(ヤハを賛美せよ)に和するでしょう。
つづく
編集者 sk (2014年01月27日 23:29:18)
オフライン
#11 2013年04月27日 07:03:21
- 伝書鳩
- ゲストユーザー
Re: ノアの洪水
https://mobile.twitter.com/toyodatv
ノアの大洪水についてのキリスト教原理主義者との対話も含まれています。古典的なやり取りかもしれませんが
skさんならばどう反論されるのでしょう❓、
#13 2013年12月04日 16:06:28
- キャラメル
- ゲストユーザー
Re: ノアの洪水
>このようなケースはリトル・タイクが唯一ではありません。
ネットのおかげで世界各地のこの種の話を見ることができます。
インターネットで探していますが、見つけることができません。
他にも例があるのでしょうか?
もうひとつ、
ノアの時代は、日本では安定した縄文時代で、どこにも洪水の跡は見つかりません。日本史に誤りがあるのでしょうか。
聖書が成立する1000年以上前に書かれた『ギルガメシュ叙事詩』が、ノアの方舟の元の話で、メソポタミア地方の神話だと言われています。私は事実ではないけれど『神話』はとても大事だと思っています。
日本に伝わる古事記がそうです。伝説もあれば、史実も含まれています。どちらも重要で、そこから当時のいろいろなことが見えてきます。
聖書もそのようなものだと思います。
それを科学的に事実だと主張すると、矛盾が出てきたりしませんか。
#14 2013年12月04日 19:11:10
- 鬼太郎
- ゲストユーザー
Re: ノアの洪水
僕はどうもJW教理の重要な柱にあたる教え(ノアの洪水も含めて)には懐疑的になってしまいます。
JW教理の血の教えも ハルマゲドンの警告も バプテスマも このノアの洪水が基盤となっています。
ところで、全ての動物を方舟に収容した というのは少し無理 というか矛盾を感じます
四千年余り昔では、トラ ライオン 豹 象 牛 馬 ゴリラ 、、、、
はたして収容可能だったのか?
カンガルーがオーストラリア大陸しか生息していなかったこと等です
#15 2013年12月04日 20:10:27
- sk
- メンバー
Re: ノアの洪水
こんばんは、
聖書の物語をなかなか信じられないみたいですね。
わたしにとっては、聖書と、自然界の人知を超えた仕組み、調和、美など、また世界的な大洪水でしか説明のつかない地殻変動の世界的な証拠だけで十分としか言えません。
つまり、このようなことで証拠探しばかりをする価値を疑います。
信じられない人は、そのままで良いと思います。
信じているから、何か得をしているのでもなく、信じないからといって何か得損なっているのでもありませんし、もちろんその逆でもないからです。
人はおのおの自分の荷を負うことになるだけです。
また、人は知識によって神から裁かれるのでもありませんので、この種の見解の違いは重要な問題ではないと思います。
神はご自分の像に造られた人間としての良心の働きによって、世を裁かれますので、正直さ、思いやり、憐れみのある人になることが重要であり、持論を証明しなければならない学者になることではありませんよね。
おまけ、
ネットの検索では英語を用いたほうが良いかもしれません。
日本語だけでは、探し物は見つからないかもしれません。
検索の技術を向上させて見つけてください。
スパゲティライオン、りー
http://creation.com/lea-the-spaghetti-lioness
豚とトラの仲良し
http://creation.com/tigers-and-pigs-together
肉を食べない猫(リトル・タイクと似ていますね)
http://creation.com/the-cat-who-refuses-to-eat-meat
この種の例は、創造者の存在を信じている人たちのサイトに多く見出すことができます。
証拠が無いわけでも、足りないわけでもありません。
心が受け入れないだけです。
ルカ 16:29-31
29 しかしアブラハムは言いました,『彼らにはモーセ+と預言者たちがある。それに聴き従えばよい』。 30 すると彼は言いました,『いいえ,そうではありません,父アブラハムよ,だれかが死人の中から行けば,彼らは悔い改めることでしょう』。 31 しかし[アブラハム]は彼に言いました,『モーセや預言者たちに聴き従わないなら,だれかが死人の中からよみがえっても,やはり説得に応じないであろう』」。
編集者 sk (2013年12月04日 20:35:23)
オフライン
#16 2013年12月04日 21:20:50
- ちりん
- ゲストユーザー
Re: ノアの洪水
skさんが写真で示された、"瑞陽丸が引き揚げた腐乱した生物"の正体は、サメの一種だとすでに判明しています。
それ以外の写真も聖書原理主義者の捏造だというものばかりです。
たくさんのそれらしい写真や図をアップしているようですが、見る側も鵜呑みにせずに注意することが必要ですね。
人の検索能力を責める前に、自分の発するものをキチンと責任もって検証してください。
#18 2013年12月06日 09:17:11
- ちりん
- ゲストユーザー
Re: ノアの洪水
お返事感謝します。
»瑞陽丸の乗組員たちには、そのようには見えていないようですね。
=推論、と言うことですね。
科学的根拠はない=宗教
ですので、信仰心で信じきっている人とは議論にはならないということがわかりました。
先日エホバの訪問を受けて、聖書は科学的だとしきりに言われたもので、ここにたどり着き質問させていただきました。
おかしな指摘をしてしまい、大変失礼をしました。
(私事ですが、神様は信じていますし、神様は大好きです)
#19 2015年06月07日 19:33:50
- 鬼太郎
- ゲストユーザー
Re: ノアの洪水
ここで再度、蛇足的な質問を提起しますが、、、。
ノアの箱舟が存在したことと、ノアの日の洪水が全地を覆った それも文字通り地球が水球となったことは
別の問題です。つまり、ノアの箱舟の記述は地域的な洪水伝説だった、それを当時の人達が全地を覆ったと
記述した、と解釈するほうが無理がないと思います。
カンガルーの存在は、全地を覆う洪水は無かったと考えるほうが説明できます。
またノアの時代に全地球的な大変動があったことを示す物理的な証拠はあるでしょうか?
#20 2015年06月07日 19:52:04
- sk
- メンバー
Re: ノアの洪水
こんばんは、
鬼太郎さん
ここに挙げた強力な情況証拠(物理的な証拠)を支持する人は全世界にたくさんいます。
もちろん支持しない人もたくさんいます。
各自は自分の頭で判断してください。
世界的な大洪水の証拠が不十分ではなく、ある人々はそれを退けていると言うのが真実だと思います。
それは、イエスの奇跡を見ても、神のキリストを退けた人々がいたのと同じです。
ルカ 16:29-30
29 しかしアブラハムは言いました,『彼らにはモーセと預言者たちがある。それに聴き従えばよい』。30 すると彼は言いました,『いいえ,そうではありません,父アブラハムよ,だれかが死人の中から行けば,彼らは悔い改めることでしょう』。31 しかし[アブラハム]は彼に言いました,『モーセや預言者たちに聴き従わないなら,だれかが死人の中からよみがえっても,やはり説得に応じないであろう』」。
鬼太郎さんも、単に主張するだけでなく、その根拠をあげてください。
吟味します。
オフライン
#21 2015年06月07日 20:56:39
- カレブ
- Administrator
Re: ノアの洪水
創造物博物館のケン・ハムとビル・ナイ(通称科学お兄さん)の討論会が行われました。
創造物博物館側の主催で、科学者側のビル・ナイにとってはアウェイの状況でしたが
アンケートでは科学者側の勝ちと判定されました。
(アンケートは確か Christian Today か何かのキリスト教系のサイトだったと思います)
その中でビル・ナイがノアの洪水があり得ないという点を主に3点の証拠を上げました。
★世界中に樹齢4000年以上の樹木が存在する。
これは「年輪」と呼ばれ木の特徴的なパターンを調べることによって確定しているものです。
ビル・ナイはカリフォルニアには6000年以上のブリストルコーン松がごろごろしてることを指摘します。
そしてスウェーデンには なんと9550年の木が発見されています!
★グリーンランドには氷の層が680,000年分存在している
ビル・ナイは自分の同僚がグリーンランドで行った調査について話します。
「氷の層」というのは夏と冬を繰り返すときに生じる薄い層のことで
氷を円筒状にくりぬき、その層がどのくらいあるかを調べることができます。
氷の層は非常に綺麗に保存されていて、何万年前の「大気」を氷の層の中から
取り出すこともできます。(顕微鏡レベルでしょうが)
グリーンランドでは680,000の氷の層まで確認できています。
これはつまり68万回、夏と冬を繰り返したことを示しています。
4000年前に大洪水があったとすると最大でも4000年分しか層が
できないはずですが、見事に680,000年分までさかのぼれています。
ちなみにこれに対してケン・ハムは「何万年も前の出来事をその目で見たのか?」
というお決まりの返しをしていました。
ケン・ハムはアメリカの子供たちに
友達から何万年も前の「証拠」を出されたら
「君はその時、そこにいたのか?」と答えて論議から逃れるように
教えています。
そして彼自身が討論会で実践していました。
★オーストラリア大陸のカンガルーなどの存在
ビル・ナイはカンガルーなどオーストラリア特有の動物について指摘します。
マダガスカル島のように動物が「流れ着いて」繁殖するが可能な島とは異なり
オーストラリア大陸は完全に太平洋の中の孤立した大陸なので
中東からたどり着くのは不可能な位置にあります。
ビル・ナイはオーストラリア大陸が他の大陸から離れたのは数万年どころの時期ではないので
4000年前の世界的規模の洪水はあり得ないことを指摘します。
ざっと3点だけですが 以上です。
この3点だけでも 根拠がかなりしっかりしているものなので
覆すのは相当大変だと思います。
ケン・ハムVSビル・ナイの討論は結構話題になりましたが
日本ではほとんど記事にもなってないです(たぶん)
オフライン
#22 2015年06月07日 22:37:16
- sk
- メンバー
Re: ノアの洪水
これはおもしろくなってきたね
世界中に見られる森林全体が化石化した地方、木立が直立のまま石化している森林、シベリア地方の無数の瞬間冷凍生物の遺体、また極地方が温暖であった証拠、各地の地層中に見られる化石の記録、また中国、ギリシャ、アメリカ、その他各地の渓谷の存在などからするとこの氷層学者の説明は説得力に欠きます。
この学者も氷層学からのみ見るのではなくもっと広く調べるべきと思います。
また氷層の通常と異なる出来方がある可能性を否定はできないと思います。
地球規模の大洪水が及ぼす影響を正確に理解している人はいないでしょう。
洪水の水は海水の塩分濃度を薄くし、洪水の水流による地域的な濃度格差が生じた可能性は否定できないと思います。
また、植物が水の中で1年ほど生きられる可能性も否定できないと思います。
さらに、有袋類などの特定の生き物が特定の地域に住んでいる事実は、箱舟を出たそれらの生き物が陸路で各地は渡ったと見ることができます。
洪水直後は海底は今ほど深くなく、高い山脈はなかったとみなせます。
証拠としては、最近世界各地で発見されている海底遺跡は、かって海底が浅かったことを物語っています。
沖縄の与那国海底遺跡もその証拠のひとつです。
この遺跡世界から注目されていて多くの学者が調査に来ています。
洪水は神がもたらしました、そうであれば、その後始末も神が見届けるでしょう。
ノアの洪水の後、洪水をもたらした神がその後の生態系に無関心で何の関与もしなかったと思う方がどうかしています。
自然界を見ても、そこに神の知恵や働きが見えない無神論者は、神が洪水後の生態系を導いたことなど考えが及ばないだろうなぁ~。
神は、特定の生き物が保護されるように動物たちを特定の場所に導くことができないとは言えません。
動物たちの渡りの仕組みを作られた方にとってそのくらいお茶の子さいさいでしょう。
大洪水という一大イベントの始まりからその後始末まで神は責任を持って物事を成し遂げられた考える方が自然です。
ここまでは、無神論者向け、
ここからは、聖書を信じている人向け。
イエスキリストや使徒たちは、ノアの洪水をどう見ていましたか。
ある人たちのように寓話と見ていましたか。
マタイ 24:37-39
37 人の子の到来はちょうどノアの日のようだからです。38 洪水前のそれらの日,ノアが箱船に入る日まで,人々は食べたり飲んだり,めとったり嫁いだりしていました。39 そして,洪水が来て彼らすべてを流し去るまで注意しませんでしたが,人の子の到来[の時]もそのようになるのです。
ペテロ第二 2:4-
4 まさに神が,罪をおかしたみ使いたちを罰することを差し控えず,彼らをタルタロスに投げ込んで,裁きのために留め置かれた者として濃密な闇の坑に引き渡されたのであれば,5 また,古代の世を罰することを差し控えず,不敬虔な人々の世に大洪水をもたらした時に義の伝道者ノアをほかの七人と共に安全に守られた[のであれば],
ペテロ第二 3:5-7
5 それは,彼らの望みのままに,このことが見過ごされているからです。つまり,神の言葉によって,昔から天があり,地は水の中から,そして水の中に引き締まったかたちで立っていました。6 そして,それによってその時の世は,大洪水に覆われた時に滅びを被ったのです。7 しかし,その同じみ言葉によって,今ある天と地は火のために蓄え置かれており,不敬虔な人々の裁きと滅びの日まで留め置かれているのです。
へぇ~
ノアの洪水は寓話ですか。
キリストの到来も寓話ですか。
あなたは、本当にクリスチャンですか。
世界の畑は雑草でいっぱいだね。
第一ラウンドおわり、
編集者 sk (2015年06月07日 23:14:36)
オフライン
#23 2015年06月08日 00:07:57
- 鬼太郎
- ゲストユーザー
Re: ノアの洪水
SKさん 質問がありますが、、、、、
エジプトの最古のピラミッドはノアの洪水後に作られたのでしょうか?
それとも洪水前でしょうか?
#24 2015年06月08日 01:36:25
- 鬼太郎
- ゲストユーザー
Re: ノアの洪水
SKさん 追加の質問です 貴方もJWと同様に洪水の水は古代の地球を覆っていた厚い水蒸気の
層とお考えですか?
#25 2015年06月08日 03:17:16
- 2丁目
- ゲストユーザー
Re: ノアの洪水
>skさん
「可能性は否定できない」という言葉を使われていますけど、それを言い出したら何でも有りになりませんか。
skさんが必死になって立証しようとしているのは、神は不在であるという(極端な書き方しましたが、私は無神論者ではありません)「可能性を否定できない」からではないですか?
ちょっとわかりにくい言い回しですみません。
でも、神が存在するという可能性も否定できない。
だからこその信仰なのではないでしょうか?
それで、skさんは科学的に洪水は実際にあったのだ!神が居るからだ!と主張したいのでしょうけど…
信仰心と科学をごちゃまぜにするのはいかがなものでしょう。
科学的知識を根拠に使いたいのであれば、まずは科学哲学の本でも読んでみたらどうです?
パラダイムに対する認識は信仰心と似ている部分もあってなかなか興味深いですよ。科学は絶対ではないですからね。
エビデンスを語る上で、科学哲学を理解することは重要だと思います。
科学的根拠とは何なのか、skさんは頭が良いので、僕以上に深く理解できるんじゃないですかね。