#2 2012年12月27日 22:48:28
- akame
- ゲストユーザー
Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)
新しいのを立ててくださり感謝します。
下のスレでskさんの立場が少しわかりました。ありがとうございました。
SKさんはエホバ神は主にどのような方(御性質)だと理解しておられますか?
聖句を多く述べていただくよりも、SKご自身の感じ方を知りたいのです。
。。。とかいてあるが具体的にはこのようなことがそれを示しているとか経験したとか
生の声が聞きたいのです。
ぜいたくかもしれませんけど。しかし
その前に私よりも先に出ていた「亡くなった子供たちの救い」について述べていただけますか?
#3 2012年12月27日 23:04:40
- akame
- ゲストユーザー
Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)
それと「救い」に関することですが、
時々SKさんは神が人類を義を持って裁く日云々
述べておられますが、真の崇拝者だけが救われるとお考えですか?
連続ですみません。
#4 2012年12月28日 23:27:32
- sk
- メンバー
Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)
こんばんは、
救いと新しい契約について
アダムの罪以来、人類はサタンと悪霊たちの支配を受け自らの受け継いだ不完全さと罪のために貪欲で、不公平な社会を築いてきました。その中で無数の弱者が犠牲になって苦しんできました。その状況は今に至るまで変わっておらず、科学技術の発達した現在、その規模と邪悪さのにおいてより早く、またより広範囲に悲哀と憎しみを拡大しています。
このよいうに人類は、一方で良いものを独占して楽しむ一部の人々と、他方で物のように扱われる大多数の弱者という極めてアンバランスで不公平な世をつくり出してきました。
この悲惨な状態の解決は、サタンと悪霊の排除及び裁き、また受け継いだ罪と不完全さの除去なくしてもたらされません。これを達成することは、サタンの世に生きる不完全で罪深いどんな人間の指導者、科学者にとっても不可能なことです。
神の解決策について考える前に、今述べた現状を聖書中の表現で確認してみましょう。
ローマ 8:22
22 わたしたちが知るとおり,創造物すべては今に至るまで共にうめき,共に苦痛を抱いているのです。
伝道 4:1-3
1 そして,わたしは日の下で行なわれているすべての虐げの行為を見ようとして自ら引き返した。すると,見よ,虐げられている者たちの涙がある。しかし,彼らには慰めてくれる者がいなかった。彼らを虐げる者たちの側には力があった。それで彼らには慰めてくれる者がいなかったのである。2 そしてわたしは,なお生き長らえている生きている者よりも,既に死んでしまった死者に祝いを述べた。3 したがって,その両者よりも勝っている者は,まだ存在していない者,日の下で行なわれている,災いの多い業を見ていない者なのである。
現在のサタンの世の命の質は最低です。
それで、まだ生まれていないものは幸いです。
聖書は、死を深い眠りにたとえています。
つまり、神のご予定のときにその眠りから目覚める希望があるということです。
(死の状態、復活の希望は聖書の真理のミルクです)
そのことから、判断するとこの世における死は安らぎをもたらす休息と見なせます。
伝道 6:3-6
3 たとえ人が百回父となり,長年生き,その年の日数が多くなったとしても,その魂が良いものに満ち足りておらず,墓さえもその人のものになっていないのなら,わたしは言わなければならない,月足らずで生まれた者のほうが彼よりもましである,と。4 彼はむなしく来て,闇のうちに去って行き,その名も闇に覆われる。5 彼は太陽をさえ見ることなく,知ることもなかった。先の者より,この者のほうが休みを得る。6 仮に彼が千年の倍生きたとしても,良いことを見なかったのであれば,すべての者はただ一つの場所に行くのではないか。
罪とその影響に苦しみながら何年も生きることよりも、神がパラダイスを回復なさるまで死の眠りにある方が勝っています。
このサタンの世においては死者より遺族の方に、癒えるとはいえしばらくのあいだ苦しみと悲しみが残されます。
人は死ぬと安らかな眠りにたとえられるように、復活の時まで意識がありません。
痛みも、苦しみも、悲しみもなく、愛ある神により復活の希望が与えられその時を待つことになります。
それで、死は罪の報いとはいえ、残酷な処置ではありません。
この神の刑罰には公正、愛、憐れみの神の性質が反映されています。
どんな犯罪の犠牲者の方々も静かに眠り、命の回復の時を待っています。
それでサタンの世で経験する苦しみや悲しみ、不公平は、誰でもその人の死ぬまでの一世代、長くても80年くらいと言うことです。では、ここで、サタンの世の惨めな状況が神の心に与える痛みについて考えてください。愛ある神はその痛みを何年耐えなければなりませんか。何世代にもわたり、搾取される犠牲者の何人の苦しみの叫びを神は聞くように強いられていますか。いくらか神の気持ちを感情移入できたでしょうか。
特にサタンは、神を愛する人々をヨブと同じように攻撃の的とします。
そのため、多くのクリスチャンが苦しみ殺害されてきましたし今後も裁きの日に至るまでその状況は変わりません。
しかし、クリスチャンは復活の希望により悲しみに沈んで打ち負かされることなく、また恐れることもなく神とともに歩むことができます。
マタイ 24:9
9 その時,人々はあなた方を患難に渡し,あなた方を殺すでしょう。またあなた方は,わたしの名のゆえにあらゆる国民の憎しみの的となるでしょう。
ヨハネ 16:2
2 人々はあなた方を会堂から追放するでしょう。事実,あなた方を殺す者がみな,自分は神に神聖な奉仕をささげたのだと思う時が来ようとしています。
ローマ 6:3
3 それともあなた方は知らないのですか。キリスト・イエスへのバプテスマを受けたわたしたちすべては,その死へのバプテスマを受けたのです。
コリント第一 4:9
9 というのは,神はわたしたち使徒を,死に定められた者として,出し物の最後に置かれたように思えるのです。なぜなら,わたしたちは,世に対し,み使いたちに対し,また人々に対して,劇場の見せ物のようになっているからです。
ルカ 12:4-7
4 さらに,わたしの友であるあなた方に言いますが,体を殺しても,その後もう何もできない者たちを恐れてはなりません。5 しかし,だれを恐れるべきかをあなた方に示しましょう。殺したあとにゲヘナに投げ込む権威のある方を恐れなさい。そうです,あなた方に言いますが,この方をこそ恐れなさい。6 すずめ五羽はわずかな価の硬貨二つで売っているではありませんか。それでも,その一羽といえども神のみ前で忘れられることはありません。7 ところが,あなた方の髪の毛までがすべて数えられているのです。恐れることはありません。あなた方はたくさんのすずめより価値があるのです。
ルカ 18:7-8
7 では,神は,日夜ご自分に向かって叫ぶその選ばれた者たちのためには,たとえ彼らに対して長く忍んでおられるとしても,必ず公正が行なわれるようにしてくださらないでしょうか。8 あなた方に言いますが,彼らのため速やかに公正が行なわれるようにしてくださるのです。とはいえ,人の子が到来する時,地上にほんとうに信仰を見いだすでしょうか。
神が備えられた救いについて
イエスキリストによる永遠の命が約束されています。
ヨハネ3:16
16 「というのは,神は世を深く愛してご自分の独り子を与え,だれでも彼に信仰を働かせる者が滅ぼされないで,永遠の命を持てるようにされたからです。
ローマ 6:23
23 罪の報いは死ですが,神の賜物は,わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命だからです。
コリント第一 15:22
22 アダムにあってすべての人が死んでゆくのと同じように,キリストにあってすべての人が生かされるのです。
永遠の命をどこで享受するのでしょうか。
アダムの子孫のほとんどの人は地上でそれを享受します。
選ばれたキリストの追随者たちは天で享受します。
贖われた人類に永遠の命の祝福をもたらす取決めを聖書は王国と教えています。
そして、その王国は、キリストの、御子の、神の、天の王国と表現されています。
それは、神から離反した人類をキリストの下に再びひとつに集める管理機関となります。
その取決めの中で、天にあるものと、地にあるものが存在しています。
エフェソス 1:10
10 定められた時の満了したときにおける管理のためにご自身のうちに意図された意向によるものであり,すなわちそれは,すべてのもの,天にあるものと地にあるものを,キリストにおいて再び集めることです。
天にあるものは、永遠の命を天で享受します。
地にあるものは、それを地上で享受します。
コロサイ1:20
20 また,苦しみの杭の上で[彼の流した]血を通して平和を作ることにより, 地上のものであれ天にあるものであれ,[他の]すべてのものを彼を通して再びご自分と和解させることを[よしとされた]からです。
地上での命の希望をもつものも、天での命の希望をもつものも、両方とも神と和解する必要があります。
そして、和解が必要な天的クラスと地的クラスを合わせて、コリント第一 5:18-19 は「世」と表現しています。
コリント第二 5:18-19
18 . . . [神]はキリストを通してわたしたちをご自分と和解させ,また,和解の奉仕の務めをわたしたちに与えてくださいました。19すなわち,神はキリストによって世をご自分と和解させて,その罪過を彼らに帰さず,わたしたちに和解の言葉をゆだねてくださったのです。
これは何を意味しますか。
天的希望、地的希望に関わらず、「世」で表されている全ての人はキリストの犠牲の価値に預かり神と和解する必要があることを示しています。
つまり、キリストの犠牲により有効になった新しい契約へ入る必要があるということです。
過去の律法契約は生来のイスラエル国民が対象でした。
では、キリストの犠牲により発効した新しい契約は誰が対象でしょうか。
キリストの犠牲は誰のためのものですか。
ヨハネ 1:29
29 次の日,彼は,イエスが自分のほうに来るのに目を留めて,こう言った。見なさい,世の罪を取り去る,神の子羊です!
ヨハネ 6:33, 51
33 天から下って来て世に命を与える者,それが神のパンだからです。
51 わたしは天から下って来た生きたパンです。だれでもこのパンを食べるなら,その人は永久に生きます。そして,本当のことですが,わたしが与えるパンとは,世の命のためのわたしの肉なのです。
世の罪を取り去る
世に命を与える
世の命のため
と述べられています。
それで、キリストの犠牲は、天的クラスのためだけのものではありません。
それはつまり新しい契約は、天的クラスだけのものではないということです。
新しい契約の目的
エレミヤ 31:31-34
31 「見よ,日がやって来る」と,エホバはお告げになる,「わたしはイスラエルの家およびユダの家と新しい契約を結ぶ。32 それは,わたしが彼らの父祖たちの手を取ってエジプトから連れ出した日に彼らと結んだ契約のようなものではない。『わたしが彼らの夫としての所有権を持っていたにもかかわらず,彼らはわたしのその契約を破った』と,エホバはお告げになる」。
33 「これこそ,わたしがそれらの日の後にイスラエルの家と結ぶ契約だからである」と,エホバはお告げになる。「わたしは彼らの内にわたしの律法を置き,彼らの心の中にそれを書き記す。そして,わたしは彼らの神となり,彼らはわたしの民となるであろう」。
34 「そして,彼らはもはや各々その友を,各々その兄弟を教えて,『エホバを知れ!』とは言わない。彼らはその最も小なる者からその最も大なる者に至るまで,皆わたしを知るからである」と,エホバはお告げになる。「わたしは彼らのとがを許し,彼らの罪をもはや思い出さないからである」。
イスラエルの12部族と結ぶ新しい契約の目的は罪の許しであることが分かります。
では契約の対象であるイスラエルの12部族は誰でしょうか。
それは、生来のイスラエルの12部族ではありえません。
なぜなら、生来のイスラエルはメシアを退けたために神の目的の成就における立場を失ったからです。
聖書は、2種類のイスラエルについて述べています。
ローマ 9:6-8
6 しかし,これは神の言葉がついえたというようなことではありません。イスラエルから[出る]者がみな真に「イスラエル」なのではないからです。7 また,アブラハムの胤だからといって,彼らがみな子供なのでもありません。むしろ,「『あなたの胤』と呼ばれるものはイサクを通してであろう」とあります。8 つまり,肉による子供が真に神の子供なのではなく,約束による子供が胤とみなされるのです。
肉による子供: 生来のイスラエル
約束による子供: 約束の胤
この約束の胤は生来のイスラエルと異邦人(諸国民)の両方から取られます。
ガラテア 3:27-29
26 現にあなた方は皆,キリスト・イエスに対する信仰によって神の子なのです。27 キリストへのバプテスマを受けたあなた方は皆キリストを身に着けたからです。28 ユダヤ人もギリシャ人もなく,奴隷も自由人もなく,男性も女性もありません。あなた方は皆キリスト・イエスと結ばれて一人の[人]となっているからです。29 さらに,キリストに属しているのであれば,あなた方はまさにアブラハムの胤であり,約束に関連した相続人です。
それらのアブラハムの胤は啓示によると地から買い取られた144,000人と表現されています。
啓示 5:9-10
9 そして彼らは新しい歌を歌って言う,「あなたは巻き物を受け取ってその封印を開くにふさわしい方です。あなたはほふられ,自分の血をもって,あらゆる部族と国語と民と国民の中から神のために人々を買い取ったからです。10 そして,彼らをわたしたちの神に対して王国また祭司とし,彼らは地に対し王として支配するのです」。
啓示 14:3
3 そして彼らは,み座の前および四つの生き物と長老たちの前で,新しい歌であるかのような[歌]を歌っている。地から買い取られた十四万四千人の者でなければ,だれもその歌を学び取ることができなかった。
そしてこれらの地から買い取られたアブラハムの胤である144,000人は啓示 7 章で象徴的なイスラエルの12部族から12,000人ずつ均等に取られることが示されています。
啓示 7:4-8
4 そしてわたしは,証印を押された者たちの数を聞いたが,それは十四万四千であり,イスラエルの子らのすべての部族の者たちが証印を押された。
5 ユダの部族の中から一万二千人が証印を押され,
ルベンの部族の中から一万二千人,
ガドの部族の中から一万二千人,
6 アシェルの部族の中から一万二千人,
ナフタリの部族の中から一万二千人,
マナセの部族の中から一万二千人,
7 シメオンの部族の中から一万二千人,
レビの部族の中から一万二千人,
イッサカルの部族の中から一万二千人,
8 ゼブルンの部族の中から一万二千人,
ヨセフの部族の中から一万二千人,
ベニヤミンの部族の中から一万二千人が証印を押された。
地から買い取られたアブラハムの胤である144,000人は、
あらゆる部族と国語と民と国民の中から
イスラエルの子らのすべての部族から
いわば均等に、つまり公平に取られていることが分かります。
それで、
あらゆる部族と国語と民と国民 = イスラエルの子ら
と理解できます。
また、この象徴的なイスラエルの各部族から均等に取られるとされる人数の12,000は文字どおりの数とは理解できません。なぜならあらゆる部族と国語と民と国民の数は12部族ではないからです。それで、イスラエルの12部族も、12,000人も象徴的な数であることが分かります。では象徴的な12部族から来る象徴的な12,000人の合計の144,000人を文字どおりの数と主張できすか。それは、アブラハムの胤の天的クラスが地のあらゆる民族から、つまり人類の「世」から公平に取られることを象徴している数です。
しかし、ものみの塔は、それを文字どおりの数であると主張し、アブラハムの胤、新しい契約、天的クラス、地的クラスに関する正しい理解の欠如を露呈しています。
では、話を元に戻して、
象徴的なイスラエルの12部族は、144,000人ではありません。
144,000人がそれから取られる「世」つまりあらゆる部族と国語と民と国民を表しています。
イスラエルの12部族 = 世
以下の聖句もこの理解の正しさを示しています。
マタイ 19:28
28 イエスは彼らに言われた,「あなた方に真実に言いますが,再創造のさい,人の子が自分の栄光の座に座るときには,わたしに従ってきたあなた方自身も十二の座に座り,イスラエルの十二の部族を裁くでしょう。
コリント第一 6:2
2 . . . あなた方は,聖なる者たちが世を裁くことを知らないのでしょうか。
イスラエルの12部族とは人類の「世」であることが示されています。
それで、エレミヤで予言されている、神が新しい契約を結ぶイスラエルの12部族は、人類の「世」のことです。
神は、イエスの犠牲に基づく新しい契約に従って人類の世の罪を許すと約束されています。
エレミヤ 31:31-34
31 「見よ,日がやって来る」と,エホバはお告げになる,「わたしはイスラエルの家およびユダの家と新しい契約を結ぶ。32 それは,わたしが彼らの父祖たちの手を取ってエジプトから連れ出した日に彼らと結んだ契約のようなものではない。『わたしが彼らの夫としての所有権を持っていたにもかかわらず,彼らはわたしのその契約を破った』と,エホバはお告げになる」。
33 「これこそ,わたしがそれらの日の後にイスラエルの家と結ぶ契約だからである」と,エホバはお告げになる。「わたしは彼らの内にわたしの律法を置き,彼らの心の中にそれを書き記す。そして,わたしは彼らの神となり,彼らはわたしの民となるであろう」。
34 「そして,彼らはもはや各々その友を,各々その兄弟を教えて,『エホバを知れ!』とは言わない。彼らはその最も小なる者からその最も大なる者に至るまで,皆わたしを知るからである」と,エホバはお告げになる。「わたしは彼らのとがを許し,彼らの罪をもはや思い出さないからである」。
テモテ第一 2:5-6
5 神はただひとりであり,また神と人間との間の仲介者もただひとり,人間キリスト・イエスであって,6 この方は,すべての人のための対応する贖いとしてご自身を与えてくださったのです
ヘブライ 12:24
24 新しい契約の仲介者であるイエス,そして,アベル[の血]よりさらに勝った仕方で語る振り注ぎの血に近づいたのです。
マタイ 26:27-28
27 また,杯を取り,感謝をささげてからそれを彼らに与え,こう言われた。「あなた方はみな,それから飲みなさい。28 これはわたしの『契約の血』を表わしており,それは,罪の許しのため,多くの人のために注ぎ出されることになっているのです。
ルカ 22:20
20 また,晩さんがすんでから,杯をも同じようにして,こう言われた。「この杯は,わたしの血による新しい契約を表わしています。それはあなた方のために注ぎ出されることになっています。
コリント第一 11:25
23 わたしは,自分が主から受けたこと,それをあなた方に伝えたのです。すなわち,主イエスは,渡されようとしていた夜,ひとつのパンを取り,24 感謝をささげてからそれを割き,こう言われました。「これはあなた方のためのわたしの体を表わしています。わたしの記念としてこれを行なってゆきなさい」。25 晩さんをすませた後,杯についても同じようにして,こう言われました。「この杯はわたしの血による新しい契約を表わしています。それを飲むたびに,わたしの記念としてこれを行なってゆきなさい」。26 このパンを食べ,この杯を飲むたびに,あなた方は主の死をふれ告げてゆくのであり,それは彼が到来する時にまで及ぶのです。
キリストの犠牲の血による新しい契約の目的が全人類の罪の許しであることが分かります。
それで、全人類が新しい契約に預かるように招かれています。
ですから、キリストを受け入れた人は皆、罪の許しと神との和解のため新しい契約に預かる必要があります。
そして主の晩餐の際の表象物に与かることによってキリストの死の意義をふれ告げるよう命じられています。
また象徴的なイスラエルの12部族から公平に天の王国のために小さな群れが取られます。
別の表現では、新しい契約に入っている人の中から小さな群れに天の王国が与えられるとなります。
それで、新しい契約は天に召されている人だけのものではなく全人類のためのものです。
ヨハネ第一 2:2
2 そして彼はわたしたちの罪のためのなだめの犠牲です。ただし,わたしたちの[罪]のためだけではなく,全世界の[罪]のためでもあります。
ものみの塔協会の間違った教え
新しい契約は天的クラスだけのもの
天的クラスの数は文字どおりの144,000人
144,000人は王国契約にも入っている
ものみの塔協会の意図的な誤訳
新しい契約と王国契約
ものみの塔協会は、ルカ 22章に基づいて新しい契約契約に入っている者は同時に王国契約にも与かっていると主張しています。
ルカ 22:20
20 また,晩さんがすんでから,杯をも同じようにして,こう言われた。「この杯は,わたしの血による新しい契約を表わしています。それはあなた方のために注ぎ出されることになっています。
ルカ 22:29-30
29 それでわたしは,ちょうどわたしの父がわたしと契約を結ばれたように,あなた方と王国のための契約を結び,30 あなた方がわたしの王国でわたしの食卓について食べたり飲んだりし,また座に着いてイスラエルの十二部族を裁くようにします。
この29節の訳し方によってJWは、天的クラスは、神との新しい契約と、キリストとの王国契約に入っていると教えられます。ものみの塔は、この王国契約は天の王国に預かる契約なので新しい契約は天的クラスのものであると教えています。
しかし、これは誤訳で原文には契約という言葉はありません。
http://www.blueletterbible.org/Bible.cf … JV#vrsn/29
29 "And I bestow upon you a kingdom, just as My Father bestowed one upon Me, (NKJV)
ちょうどわたしの父がわたしに授けたように、わたしもあなた方に王国を与えます。
29 so I'm making this promise to you as my Father made a promise to me, for a Kingdom: (2001TAE)
父がわたしに約束したように、わたしもあなた方に王国の約束をします。
(新共同訳)
29 だから、わたしの父がわたしに支配権をゆだねてくださったように、わたしもあなたがたにそれをゆだねる。
新しい契約契約に入っている者は同時に王国契約に与かるという主張は成り立ちません。
王国のための契約という言葉は聖書中にありません。
それは、ものみの塔協会が作り出した誤訳です。
ルカ 22:29 は、ルカ 12:32と同じ約束のことです。そこでイエスは王国を与えると小さな群れに約束されています。
ルカ 12:32
32 恐れることはありません,小さな群れよ。あなた方の父は,あなた方に王国を与えることをよしとされたからです。
この天の王国の約束は、ヨハネ 14:2-3 にあるようにイエスの弟子たちを天の迎えるとの約束のことです。
ヨハネ 14:2
2 わたしの父の家には住むところがたくさんあります。そうでなかったなら,わたしはあなた方に告げたことでしょう。わたしはあなた方のために場所を準備しに行こうとしているのですから。3 そしてまた,わたしが行ってあなた方のために場所を準備したなら,わたしは再び来て,あなた方をわたしのところに迎えます。わたしのいる所にあなた方もまたいるためです。
これらの聖句は、限られた数の小さな群れに天への召し、王国の約束が与えられることを示しています。
その小さな群れは新しい契約に入っている人々から選ばれます。
それで、新しい契約に入っている人全てが天に召されているのではありません。
では、全人類をキリストにおいてひとつに集める管理において現在は特にどちらを集める時期でしょうか。
天にあるもの、または地にあるものどちらでしょうか。
次は、その点を扱いたいと思います。
読んで頂きありがとうございました。
編集者 sk (2014年06月30日 20:10:19)
オフライン
#5 2012年12月29日 01:12:21
- akame
- ゲストユーザー
Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)
誠に失礼とは思いますが、SKさんの聖書解釈はものみの塔と殆ど同じだとわかりました。
部分的に異なる解釈を試みておられますが、教理的には殆どそのままで
元在籍した組織否定という定番の分派ともいえます。
それが悪いとか良いとかは関係ありません。しかしその解釈自体が
物事の道理、現実に合致しているかは別問題だと思います。
SKさんの人の死に関係した理解についても
人間の視点からそう見える聖句だけを引用されています。
そこで先ずは死や苦しみが生じた創世記などに的をしぼってみたいと思います。
>アダムの罪以来、人類はサタンと悪霊たちの支配を受け自らの受け継いだ不完全さと罪のために貪欲で、不公平な社会を築いてきました。その中で無数の弱者が犠牲になって苦しんできました。
サタンという存在について再確認の意味でお尋ねしますが、神の創造した天使(御使い)がサタンに成った原因は
どこにあると理解しておられますか?
やはり「宇宙論争を聖書の主軸とする」JWと同じような自由意志の行使と神の権威への妬み(傲慢など)でしょうか?
#6 2012年12月29日 10:44:15
- iris
- ゲストユーザー
Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)
skさんの説明についての感想です。
1.新しい契約について
>キリストの犠牲の血による新しい契約の目的が全人類の罪の許しであることが分かります。
>それで、全人類が新しい契約に預かるように招かれています。
>ですから、キリストを受け入れた人は皆、罪の許しと神との和解のため新しい契約に預かる必要があります。
これは聖書に書かれている新しい契約の内容と言ってよいと思います。
キリスト教会が受け継いできた信仰の内容とほぼ同じです。キリスト教ではこれがすなわち救いであると考えます。
2.王国について
>贖われた人類に永遠の命の祝福をもたらす取決めを聖書は王国と教えています。
>そして、その王国は、キリストの、御子の、神の、天の王国と表現されています。
>それは、神から離反した人類をキリストの下に再びひとつに集める管理機関となります。
>その取決めの中で、天にあるものと、地にあるものが存在しています。
>天にあるものは、永遠の命を天で享受します。地にあるものは、それを地上で享受します。
これはものみの塔の聖書解釈を受け継いだものです。
聖書にある神の国とは、神の愛が支配する状態を言います。
神の愛がすべてを支配するようになるときが、神の国の完成のときです。
3.サタンの世について
>アダムの罪以来、人類はサタンと悪霊たちの支配を受け自らの受け継いだ不完全さと罪のために貪欲で、不公平な社会を築いてきました。
>その中で無数の弱者が犠牲になって苦しんできました。
>この悲惨な状態の解決は、サタンと悪霊の排除及び裁き、また受け継いだ罪と不完全さの除去なくしてもたらされません。
>罪とその影響に苦しみながら何年も生きることよりも、神がパラダイスを回復なさるまで死の眠りにある方が勝っています。
これも、ものみの塔の世界観を反映したものといえます。旧約聖書の世界観に近いと言えるかもしれません。
ものみの塔が教えるように、この世の苦しみの責任をすべてサタンに押し付けて辛い現実から目を背け、
「世」から離れることだけを考えて人生をやり過ごそうという姿勢では、生まれてきたことの意味が見出せません。
誕生日を祝いたくないのも道理というものです。
4.キリスト教の理想
神の愛に支配されている人の心には、神と隣人への愛があります。サタンに支配されている人の心には、神と隣人への愛がありません。
人を神の愛から引き離す力こそがサタンの働きなのです。神の働き(聖霊)は人をサタンから守り、神の愛にとどまらせてくださいます。
神の愛を忘れた人々の国は、人々の心がサタンによって支配されていますから、サタンの支配下にあるといえます。
すべての人の心が神の愛に支配され、神の愛によってすべてが支配されるようになれば、神の国が完成します。これがキリスト教の理想です。
(神の愛=イエス と置き換えてみてください。イエスが人々の支配者となり、神の国を支配することになりますね)
ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。
「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるのもでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」
(ルカ17:20-21)
神の国はあなたがたの間に「ある」とイエスは教えています。
私たちが神の愛に満たされて隣人と接するとき、そこに神の国が「ある」のです。
ものみの塔が教える「王国」とは別のものです。
#7 2012年12月29日 11:31:39
- iris
- ゲストユーザー
Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)
聖書予言のトピックに書いたことを、こちらにも書きます。上の投稿と合わせて考えていただきたいからです。
キリスト教で最も大切なメッセージは、「神はあなたを愛している」ということです。
人間の目から見るとどんなに極悪に見える人でも、神はその人を愛しておられます。
けれども、神が愛であるのに対し、人間は愛そのものではありません。
神のように隣人を愛することもできないし、自分を愛することさえできないかもしれません。
神から離れ、隣人(や自分)を愛せない状態を、罪といいます。
神は罪とはかかわりのない方です。ですから人間が神と親しく交わるには、罪のない状態でなければなりません。
しかし人間は自分の力で罪をなくしたり、ゆるしたりすることはできません。
神の恵みによって、キリストを信じることで罪をゆるされ、神との親しい関係に戻ることができる、というのが新しい契約でありキリスト教の教えです。
そして、二度と神から離れることのないように、神を愛し隣人を愛しなさいと勧められているのです。
「神の国」は、イエスの教えのポイントとなる言葉ですが、聖書の中でイエスが神の国について説明している部分はたとえが多く、
非常にわかりにくい表現になっています。私は、当時のパレスチナがローマ帝国の植民地であったという事情によると思います。
実際、イエスの弟子たちもイエスが殺されるまで、神の国とは何かを理解できていませんでした。
そのわかりにくさが、ものみの塔の独自の「王国」の解釈に繋がっているのではないでしょうか。
もんもんさん、ものみの塔の解釈を離れて、私の説明を当てはめながら、聖書を読んでみてください。
今までとはまったく違う世界が見えると思います。
その結果、キリスト教の教えも捨てたもんじゃないと思うか、ものみの塔の教えの方が正しいと思うかは自由です。
エホバの証人研究さんにも、通常キリスト教とよばれる宗教の教えと、ものみの塔の教えとの違いを考えていただきたいと思います。
#8 2012年12月29日 17:01:08
- sk
- メンバー
Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)
akame さん、iris さん
注解ありがとうございます。
ものみの塔の教えの全てが間違いではありません。
人は何よってだまされるでしょうか。
それは、
似て非なるものによってです。
嘘とわかるものにだまされる人はいません。
毒りんごの99%は毒ではありません。
偽物が本物に酷似していればいるほど、多くの人がだまされますし、その違いを識別することは難しいでしょう。
しかし、偽りの影響はいずれ無視できない結果をもたらします。
1度の角度のずれが無視できない結果をもたらすことがあります。
自分の推論に偽りがあれば自分を欺くことになります。
それで、神の言葉にしっかり従うことの大切さが良く分かります。
ヨハネ 8:31-32
31 そこでイエスは,自分を信じたユダヤ人たちにさらにこう言われた。「わたしの言葉のうちにとどまっているなら,あなた方はほんとうにわたしの弟子であり,32また,真理を知り,真理はあなた方を自由にするでしょう」。
サタンは、私たちの誰よりも聖書に詳しいでしょう。
そして彼はできれば選ばれた者たちでさえ欺こうとしていると書かれています。(マタイ 24:24)
そして神は誤りの働きが人に及ぶのを許されます。
それによって、その人の真理への愛が試みられるからです。
テサロニケ第二 2:9-12
9 しかし,不法の者が存在するのはサタンの働きによるのであり,それはあらゆる強力な業と偽りのしるしと異兆を伴い,10 また,滅びゆく者たちに対するあらゆる不義の欺きを伴っています。彼らが[こうして滅びゆくのは],真理への愛を受け入れず,救われようとしなかったことに対する応報としてなのです。11 そのゆえに神は,誤りの働きを彼らのもとに至らせて,彼らが偽りを信じるようにするのであり,12 それは,彼らすべてが,真理を信じないで不義を喜びとしたことに対して裁きを受けるためです。
それで、単にある人が、あるいはある宗教組織が聖句の裏づけも示さずに主張することを受け入れる妥当性はありません。
サタンが行なったように聖句を不当に適用しアクロバット的な推論を展開する人もいるでしょう。
ですからクリスチャン各自は、全ての霊感の表現を信じてはならないと警告されています。(ヨハネ第一 4:1)
それが本当に聖書の真理全体と調和しているかどうかを吟味、判断するのは、神の言葉に導かれることを願う人自身です。
そして人は自分のまくものを刈り取ることになります。
この点で他の人の理解や、信仰を見下したり、裁く権威はだれにも与えられていません。
その人が立つも倒れるも主人であるキリストと神に対してのことです。
その人は自分の主張を聖書で裏付けていますか。
その人の用いる聖句と推論は聖書の他の真理と整合が取れていますか。
それで、わたしがここで提供する聖句に基づく推論を読まれる際、ご自分で聖書を確認なさり自ら真偽を吟味して下さい。
また、他の人の推論や主張はそれなりの参考になると思いますが、そんれによって動揺する必要はありません。 納得できれば、それによって思いを調整すれば良いだけのことです。
このようにして得た理解や確信は、情報の提供者、いわゆる真理の経路からのものではありません。
あなたの思いに働く神の霊によるものです。
コリント第一 3:7
7 ですから,大切なのは,植える者でも水を注ぐ者でもなく,成長させてくださる神なのです。
さて、次に神の目的における現在の時期について推論したいと思います。
管理の第一段階
キリストの犠牲の死によってユダヤ教の事物の体制は終わりした。
それ以来、新しい契約が有効とされ、新しい体制が存在しています。
新約聖書(クリスチャンギリシャ語聖書)は、キリスト教の新しい創造物について書いています。
キリスト教の新しい教えや制度について
新しい教え (マルコ 1:27、使徒 17:19)
新しい布 (ルカ 5:36-38)
新しいぶどう酒、新しい皮袋 (マタイ 9:17、マルコ 2:21-22)
新しい契約 (ルカ 22:20、コリント第一 11:25、ヘブライ 8:8-13, 9:15, 12:24)
新しいおきて (ヨハネ 13:34、ヨハネ第一 2:7-8、ヨハネ第二 5)
新しい創造物、新しい事物 (コリント第二 5:17、ガラテア 6:15)
新たな誕生 (ペテロ第一 1:3, 23)
新しい天と新しい地 (ペテロ第二 3:13、啓示 21:1)
新しいエルサレム (啓示 3:12, 21:2)
ここで、新しい契約により生まれた新しい創造物について考えて見ましょう。
コリント第二 5:17-19
17 したがって,キリストと結ばれている人がいれば,その人は新しい創造物です。古い事物は過ぎ去りました。見よ,新しい事物が存在しているのです。18 しかし,すべてのものは神から出ており,[神]はキリストを通してわたしたちをご自分と和解させ,また,和解の奉仕の務めをわたしたちに与えてくださいました。19 すなわち,神はキリストによって世をご自分と和解させて,その罪過を彼らに帰さず,わたしたちに和解の言葉をゆだねてくださったのです。
この和解の奉仕の務めをゆだねられた新しい創造創造物は、
アブラハムの副次的な胤 (ガラテア 3:7-9, 14, 26-29)
キリストの花嫁、新しいエルサレム (啓示 21:2)
キリストの体 (ヨハネ 2:19-21、エフェソス 1:22-23)
神の神殿 (ヨハネ 2:19-21、コリント第一 3:16, 6:19、エフェソス 2:19-22)
神のイスラエル (ガラテア 6:15)
と言われています。
ガラテア 3:7-9, 14, 26-29
7 あなた方は,信仰を堅く守る者がアブラハムの子であることを知っているはずです。8 さて,聖書は,神が諸国の人々を信仰によって義と宣することを予見し,前もってアブラハムに良いたよりを宣明しました。すなわち,「あなたによってすべての国民が祝福されるであろう」と。9 したがって,信仰を堅く守る者は,忠実なアブラハムと共に祝福されているのです。
14 その目的は,アブラハムの祝福がイエス・キリストによって諸国民に及び,こうしてわたしたちが,約束された霊を自分の信仰によって受けるためです。
26 現にあなた方は皆,キリスト・イエスに対する信仰によって神の子なのです。27 キリストへのバプテスマを受けたあなた方は皆キリストを身に着けたからです。28 ユダヤ人もギリシャ人もなく,奴隷も自由人もなく,男性も女性もありません。あなた方は皆キリスト・イエスと結ばれて一人の[人]となっているからです。29 さらに,キリストに属しているのであれば,あなた方はまさにアブラハムの胤であり,約束に関連した相続人です。
では、アブラハムの胤、約束に関連した相続人は何を相続しますか。
ペテロ第一 1:3-4
3 わたしたちの主イエス・キリストの神また父がたたえられますように。[神]はその大いなる憐れみにより,イエス・キリストの死人の中からの復活を通して,生ける希望への新たな誕生をわたしたちに与えてくださったのです。4 すなわち,朽ちず,汚れなく,あせることのない相続財産へ[の誕生]です。それはあなた方のために天に取って置かれているものです。
天にある相続財産を相続します。
アブラハムの胤つまりクリスチャンは天への召しを受けています。
ヘブライ 3:1
1 そのようなわけで,聖なる兄弟たち,天の召しにあずかる人たちよ
フィリピ 3:14
14 キリスト・イエスによる神からの賞である上への召しのため,目標に向かってひたすら走っているのです。
コリント第二 5:1-10
1 というのは,わたしたちは,たとえ自分の地的な家,つまりこの天幕が分解するとしても,神からの建物,手で作ったものではなく,天にあって永遠に続く家を持つことになっているのを知っているからです。2 この住居においてわたしたちはまさにうめき,わたしたちのための天からのものを身に着けることを切に欲しているのです。3 それを実際に身に着けた後は,裸でいるのを見られることはありません。4 実際のところ,この天幕にいるわたしたちは,押しひしがれてうめいています。それを脱ぐことではなく,他方のものを身に着けること,こうして死すべきものが命に呑み込まれることを望んでいるからです。5 さて,まさにこのことのためにわたしたちを生み出してくださった方は神であり,来たるべきものの印である霊をわたしたちに与えてくださったのです。
6 それゆえ,わたしたちには常に勇気があります。そして,この体を住まいとしている間は,自分が主から離れていることを知っています。7 わたしたちは信仰によって歩んでいるのであり,見えるところによって[歩んでいるの]ではありません。8 それでもわたしたちには勇気があり,むしろこの体から離れて主のもとに自分の住まいを定めることを大いに喜んでいます。9 それゆえわたしたちはまた,彼のもとに住まいを得ていようと,あるいはそのもとから離れていようと,彼に受け入れられる者となることを自分の目標としています。10 わたしたちは皆キリストの裁きの座の前で明らかにされなければならないからです。こうして各人は,それが良いものであれ,いとうべきものであれ,自分が行なってきたことにしたがい,その体で行なった事柄に対する自分の報いを得るのです。
フィリピ 3:20
20 しかしわたしたちについて言えば,わたしたちの市民権は天にあり,わたしたちはまた,そこから救い主,主イエス・キリスト[が来られるの]を切に待っています。
ヨハネ 14:2
2 わたしの父の家には住むところがたくさんあります。そうでなかったなら,わたしはあなた方に告げたことでしょう。わたしはあなた方のために場所を準備しに行こうとしているのですから。3 そしてまた,わたしが行ってあなた方のために場所を準備したなら,わたしは再び来て,あなた方をわたしのところに迎えます。わたしのいる所にあなた方もまたいるためです。
ルカ 12:32
32 恐れることはありません,小さな群れよ。あなた方の父は,あなた方に王国を与えることをよしとされたからです。
以上の聖句は、アブラハムの胤は、天の召しを受けていること、天の王国を与えられる小さな群れであることが分かります。
そして、キリストの約束の再来はまだ生じていません。(啓示 22:20)
キリストは再び来られる時、小さな群れを天に迎え入れることになります。
そして、小さな群れのおのおのは、それぞれの業に応じて報いを受けることになります。(マタイ 16:27、啓示 2:23, 22:12)
さらにキリストの到来はサタンの事物の体制に裁きを執行し悪を終わらせる時となります。
キリストが大いなる権威とみ使いたちとともに天から表し示される時、小さな群れの全成員、死の眠りについている者は第一の復活より、生き残っている者はみ使いにより地の四隅から天に集められます。(テサロニケ第一 4:16-17、啓示 14:13, 20:6、コリント第一 15:50-52、マタイ 24:31)
このようにして、管理の第一段階、天にあるものがあつめられることが終了します。
それから、管理の第二段階、地にあるものをあつめることが、その完了に向けて進むでしょう。
サタンの体制に裁きが臨むとき、天にあるものが集められ、大いなる権威とみ使いを伴い到来するキリストと天で会うことの目的は何でしょうか。もちろんその裁きの執行に与かるためです。それが創世記 3:15 節の予言の成就となります。
創世記 3:15
15 そしてわたしは,お前と女との間,またお前の胤と女の胤との間に敵意を置く。彼はお前の頭を砕き,お前は彼のかかとを砕くであろう」。
その裁きで、サタンとその胤は、女の胤(イエスキリストと小さな群れ)によりその頭を砕かれるでしょう。
ローマ 16:20
20 平和を与えてくださる神は,まもなくサタンをあなた方の足の下に砕かれるでしょう。
啓示 2:25-27
25 それにしても,あなた方が持っているものを,わたしが行くまでしっかり守りなさい。26 そして,征服する者,わたしの行ないを終わりまで守り通す者には,わたしは諸国民に対する権威を与え,27 その者は鉄の杖で民を牧し,彼らは粘土の器のように打ち砕かれるであろう。
わたしは、そのときが来るのを待ち望んでいます。
その裁きの執行に天でキリストとともに与かるためです。
これは、神の子たちが天から表し示されることの開始となります。
そしてまた、創造物が、その時をやはり、待ち望んでいます。
それは、創造物にとってのサタンの支配からの開放をもたらすからです。
ローマ 8:19-21
19 創造物は切なる期待を抱いて神の子たちの表わし示されることを待っているのです。20 創造物は虚無に服させられましたが,それは自らの意志によるのではなく,服させた方によるのであり,それはこの希望に基づいていたからです。21 すなわち,創造物そのものが腐朽への奴隷状態から自由にされ,神の子供の栄光ある自由を持つようになることです。
このときから、管理の第二段階、地にあるものをあつめることが始まります。
それで、キリストの到来の時までは、主に管理の第一段階が進行します。
今は、地にあるものをあつめるときではありません。
ものみの塔の教えの誤り
1925年、ラザフォードは地的復活の始まりを宣言し偽預言者として恥を被りました。
1935年以来地的クラスの収穫が始まったと教えています。
1975年のハルマゲドンの可能性を煽り、地上の楽園の希望により、全世界で信者が急増しました。
それ以来、ものみの塔協会は、時でもない地的希望に人々の思いを向けさせ、天への召しの音信を、いわば人々の思いから隠してきました。加えて、キリストの臨在、忠実で思慮深い奴隷、他の羊、新しい契約、144,000人についての誤った教えにより、意図的か、無知のためか、サタンの器として世界中の700万人に及ぶ従順で誠実な人々を惑わしてきました。
彼らの教えはパリサイ人の教えと同じです。
マタイ 23:13
13 「偽善者なる書士とパリサイ人たち,あなた方は災いです! あなた方は人の前で天の王国を閉ざすからです。あなた方自身が入らず,また入る途中の者が入ることをも許さないのです。
ものみの塔、あるいは他の宗教組織のバイアスなしに聖書を読んでください。
また、他の人の聖句に基づく推論を吟味してください。
真理の発見の過程で恐れるものはなにもありません。
箴言 23:23
23 真理を買え。それを売ってはならない—知恵と懲らしめと理解を。
コリント第二 13:8
8 わたしたちは真理に逆らっては何も行なえません。ただ真理のためにしか行なえないのです。
箴言 12:19
19 永久に堅く立てられるのは真実の唇であり,偽りの舌はほんの一瞬にすぎない。
読んで頂きありがとうございました。
編集者 sk (2014年06月06日 06:14:26)
オフライン
#9 2012年12月29日 20:02:42
- ray
- メンバー
Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)
skさん、救いについて書いてくださり、ありがとうございます。
全人類が新しい契約に招待されているという点、良く理解できました。
一方irisさんの次の御意見もよく理解できます。
>ものみの塔が教えるように、この世の苦しみの責任をすべてサタンに押し付けて辛い現実から目を背け、
>「世」から離れることだけを考えて人生をやり過ごそうという姿勢では、生まれてきたことの意味が見出せません。
>誕生日を祝いたくないのも道理というものです。
>聖書にある神の国とは、神の愛が支配する状態を言います。
>神の愛がすべてを支配するようになるときが、神の国の完成のときです。
irisさんは神の国はどのように、いつ来るとお考えでしょうか?私のような一般人にも御説明いただければ幸いです。
オフライン
#10 2012年12月29日 20:51:14
- akame
- ゲストユーザー
Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)
SKさん、ありがとうございます。
>毒りんごの99%は毒ではありません。
白雪姫でしょうか?それを云われるのでしたら、りんご全体に毒が染みているのでどこをかじっても死んだ
話でしょう(笑
すみません。さて
>わたしがここで提供する聖句に基づく推論を読まれる際、ご自分で聖書を確認なさり自ら真偽を吟味して下さい。
また、他の人の推論や主張はそれなりの参考になると思いますが、そんれによって動揺する必要はありません。 納得できれば、それによって思いを調整すれば良いだけのことです。
このようにして得た理解や確信は、情報の提供者、いわゆる真理の経路からのものではありません。
あなたの思いに働く神の霊によるものです。
コリント第一 3:7
7 ですから,大切なのは,植える者でも水を注ぐ者でもなく,成長させてくださる神なのです。
超然としてますね。
結論及び似たような聖句の列挙。「これらの聖句は
神の霊が働けば(あなたの心が正しければ)理解できるでしょう」
聖句を多数引用すれば真実かのような文章。ものみの塔の書籍などに
に感じる超然とした霊を彷彿させます。
気を悪くされたでしょうか?私の素直な感想です。お許しください。
それでも私は目が悪く時間がないのです。命を削るように書き込んでいます。
聖句引用はご自由ですが、その聖句を確信するにいたる経緯が
普通あるはずです。テサロニケ第一5:21
>他の人の聖句に基づく推論を吟味してください。
真理の発見の過程で恐れるものはなにもありません。
と述べておられますのでSKさんの推論を述べていただきたいのです。
SKさんご自身の信仰の告白、真摯なご返信を希望しています。
(再質問)
サタンという存在について再確認の意味でお尋ねしますが、神の創造した天使(御使い)がサタンに成った原因は
どこにあると理解しておられますか?
やはり「宇宙論争を聖書の主軸とする」JWと同じような自由意志の行使と神の権威への妬み(傲慢など)でしょうか?
#11 2012年12月29日 21:06:46
- akame
- ゲストユーザー
Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)
加えまして、以下も同様に明確にお願いします。
真の崇拝者だけが救われるのでしょうか?
訂正→真のクリスチャンだけが(天であれ地であれ)永遠の命を受けるのでしょうか?
#12 2012年12月29日 21:58:42
- sk
- メンバー
Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)
akame さん
あなたはが示している霊はペテロ第二 3:3-4 に書かれている人のものです。
ペテロ第二 3:3-4
3 というのは,あなた方はまずこのことを知っているからです。つまり,終わりの日にはあざける者たちがあざけりを抱いてやって来るからです。その者たちは自分の欲望のままに進み,4 「この約束された彼の臨在はどうなっているのか。わたしたちの父祖が[死の]眠りについた日から,すべてのものは創造の初め以来と全く同じ状態を保っているではないか」と言うでしょう。
それで、あなたとの討論は、クリスチャン人格の形成にとって何の役にも立たないでしょう。
このフォーラムで、わたしが神のことばの自らの理解及び自らの信仰を表明するのは、あなたのようなあざける者たちのためではありません。またあなたを説得するつもりはありません。
誰かが、わたしの挙げる聖句と推論により神の目的の理解を深め、神や、キリストの到来への信仰を強化することを願っています。
また真のクリスチャン人格を文章の上にも示せる兄弟・姉妹たちの書き込みを期待しています。
akame さん、あなたは既に自分が、あたかも誠実な質問をしているかのよに見せかけた「あざける者」であることを公に示しました。そして実際には聖書のことばに関心がないことを自ら「聖句を多数引用すれば真実かのような文章」というような表現で明らかにしました。あなたは、それらを調べることもしないでしょう。
あなたは提供される聖書のことばに関心も敬意も示していません。
まるでイエスの時代のパリサイ人のようです。
ヨハネ 8:37
31 そこでイエスは,自分を信じたユダヤ人たちにさらにこう言われた。「わたしの言葉のうちにとどまっているなら,あなた方はほんとうにわたしの弟子であり,32 また,真理を知り,真理はあなた方を自由にするでしょう」。. . . 37 わたしは,あなた方がアブラハムの子孫であることを知っています。しかしあなた方はわたしを殺そうとしています。それは,わたしの言葉があなた方の間で進んでゆかないからです。
ヨハネ 10:26-27
26 しかしあなた方は信じません。わたしの羊ではないからです。27 わたしの羊はわたしの声を聴き,わたしは彼らを知っており,彼らはわたしに付いて来ます。
イエスの羊は、イエスのことば、神のことばを軽く扱ったり無視ししたりません、それを自ら調べ理解しそれによって導かれるための努力を惜しまないでしょう。
この面であなたは、神のことばに関心のないことを最初から公にしました。 さようなら。
編集者 sk (2012年12月29日 22:08:20)
オフライン
#13 2012年12月29日 23:07:01
- akame
- ゲストユーザー
Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)
>ヨハネ 10:26-27
26 しかしあなた方は信じません。わたしの羊ではないからです。27 わたしの羊はわたしの声を聴き,わたしは彼らを知っており,彼らはわたしに付いて来ます。
>誰かが、わたしの挙げる聖句と推論により神の目的の理解を深め、神や、キリストの到来への信仰を強化することを願っています。
>akame さん、あなたは既に自分が、あたかも誠実な質問をしているかのよに見せかけた「あざける者」であることを公に示しました。そして実際には聖書のことばに関心がないことを自ら「聖句を多数引用すれば真実かのような文章」というような表現で明らかにしました。あなたは、それらを調べることもしないでしょう。
>あなたは提供される聖書のことばに関心も敬意も示していません。
まるでイエスの時代のパリサイ人のようです。
SKさん、あなたは何者なのでしょう?
その気短さ、排他性が真のクリスチャンのしるしでしょうか?
#16 2012年12月30日 01:42:33
- カレブ
- Administrator
Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)
akame さん、こんにちは。
少し整理したいのですが、akameさんは以下の点について
何か良い答えをお持ちなのでしょうか?
サタンという存在について再確認の意味でお尋ねしますが、神の創造した天使(御使い)がサタンに成った原因は
どこにあると理解しておられますか?やはり「宇宙論争を聖書の主軸とする」JWと同じような自由意志の行使と神の権威への妬み(傲慢など)でしょうか?
宇宙論争はJW独特のものであるのは間違いありませんし、聖書自体が直接的には
説明していない部分をふくらませて作りだした教理だと思います。
しかしカトリックもプロテスタントも、世界の不公正さに関して、代わりになるような教理を
提示しているわけではありません。
やりとりを見ていてわからなかったのですが、akameさんがご自分でJWより優れた答えを
持っているということなのか、それとも現実的に見るとキリスト教の中には答えは見いだせないという
ことを言わんとしているのか、どちらでしょうか?
オフライン
#17 2012年12月30日 07:48:35
- akame
- ゲストユーザー
Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)
JW研究さん、皆さんおさがわせして済みません。
余計なことを述べ仁義にも欠けました。
>JWより優れた答えを持っているということなのか、それとも
さすが洞察が鋭いですね。確かに私なりに持論があります。
しかしそれをいきなり出してもひかれるだけと思っていました。
ネット世界は言葉が数倍に増幅されますし、優れているかどうかは
私にはわかりません。「そうかもしれない」と思う程度です。
それを確認したい気持ちもあり書き込みをはじめました。
私の半生は、なぜ神がいるなら世界は苦痛に満ちているのか?を探ることで
あったと言っても過言ではありません。
宗教遍歴をしました。今でもその探求は終わっていません。
答えを知りたい気持ちは既に孫もいる身ですが一向に衰えず、このサイトに来ました。
>しかしカトリックもプロテスタントも、世界の不公正さに関して、代わりになるような教理を
提示しているわけではありません。
私も両方の門を開いてみましたが(私にとって)論理的で十分な答えはありませんでした。
しかしJWの宇宙論争はその答えを持っていると感じて数十年在籍したと思っています。
多くの嫌なことを忍ぶ主な動機にもなっていました。
その後紆余曲折があり組織を出て全く白紙の気持ちで聖書研究にも没頭する日々でした。
様々な学者の本を読んだり、メールでのやりとりもずい分しました。
そこで聖書自体が絶対的な神のことばではなく(多くは勧善懲悪の比ゆ、科学的な裏づけ乏しく、
ノア洪水などは典型)
また、カナンの地での女子供などの虐殺を命令する神、何千という動物の血の犠牲に酔う創造神。
JWなどはそれを薄めようと色々手を尽くしますが、自分に従わなければ殺すという恐怖政治そのものです。
サムエル第一15:3 そんな神を人は本当の意味で愛せるものでしょうか?
新約でも結局は似たようなものです。信仰がないなら滅びです。黒か白の世界です。
マタイ7:13、ヨハネ3:36
自己の宇宙主権の立証が最優先の神を本当に人は愛せるものでしょか?
しかも手段は脅迫にも似た手法が真の勝利、立証といえるのでしょうか?
そして創造神の特性を自然観察から探ると「愛の権化」でもないことも気付きました。
そして右か左かではない世界です。
又続きをお話します。失礼します。
#18 2012年12月30日 08:48:23
- iris
- ゲストユーザー
Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)
rayさん
お声掛けありがとうございます。
私もrayさんにお返事しようかと思っていたのですが、私のコメントをご希望かどうかわからなかったので遠慮していました。
>子供のような無力な存在が命を失う時、その子供や残された家族にどんな希望があるのか、どう説明したらいいのか考えてしまいます。
>彼らの救いはどうなってしまうのでしょうか?
これは、亡くなった子どもや遺された家族にどんな希望(=救い)があると聖書に書かれているか、という意味でしょうか?
それとも、聖書に根拠があるかどうかにかかわらず、そのような人にどのように接したらよいか、ということでしょうか?
>私のような一般人にも御説明いただければ幸いです。
これは、「一般のエホバの証人」ということでしょうか? それとも単なる「一般人」でしょうか?
背景によって説明のしかたも変わってくると思いますのでお尋ねしています。
私もカトリック信者として信仰を大切にしてはいますが、聖職者でもなんでもない一般人です。
#19 2012年12月30日 09:21:31
- 浜田朋尚
- ゲストユーザー
Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)
議論の横入り、失礼します。
「この世界はなぜ苦痛に満ちているのか」という問いは、とても重要なものだと思います。
しかし、聖書の価値は、
「この苦痛に満ちた世界を終わらせ、自らの手で(兄弟たちと共に)苦痛のない世界を創る」と、イエス・キリストが宣言しているところにあるのではないでしょうか。
イエス・キリストの宣言。そして、約束。
それは、信じてよいものなのでしょうか。
私は、信じたいと思うのですが。
#20 2012年12月30日 10:02:30
- ゲン
- ゲストユーザー
Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)
>カナンの地での女子供などの虐殺を命令する神、何千という動物の血の犠牲に酔う創造神。
akameさんと同じようなことを感じていました。
申命記24:16には「父は子供のゆえに死に処されるべきではなく、子供もまた父のゆえに滅ぼされるべきではない。各人は自分の罪のために死に処される。」とありますが、ダビデの姦淫によって生まれた子は神に殺されました。また、ノアの洪水やソドムとゴモラの滅びも親の責任で多くの子供たちが滅ばされました。
つまり、聖書の神は自らの律法を守っていないということになるのではないでしょうか。
#21 2012年12月30日 11:40:00
- カレブ
- Administrator
Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)
akameさん お返事ありがとうございます。
状況がわかり、すっきりしました。
探求が続いているということなので考えを公表するのに躊躇される
かもしれませんが、よかったら考えの途中経過などお知らせください。
ここで発言されている方の多くの方(あるいは100%)は、
「JW以外は間もなくおとずれるハルマゲドンで全員滅ぼされる」
という考えが倫理として間違っていることは認識されているのだと思います。
わたしは最終的な救いについて人が何かの考えを持っている場合、
それが人道的に間違っていなかったり、人の人生を狂わせるものでなければ
無理に反対するつもりはありません。
JWがイスラエルの神の非道な行いを擁護すること自体は無害だと思うの
ですが、そこから精神的な石打ち行為や、輸血拒否というむなしい
生け贄の犠牲など、目をつぶることができない部分があるのも事実です。
オフライン
#22 2012年12月30日 13:03:29
- ray
- メンバー
Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)
akameさん
事情を書いてくださりありがとうございます。
私もjwから、いわゆる世の人になっていますが、jw組織を否定すると、聖書の内容も否定しなければならないかのように思ってしまいます。
しかし、そうすると希望も否定して、その日ぐらしになりますし、見聞きする苦しみに対して無力感を感じてしまいます。
かといって、安易に信じたいことを信じるのも嫌ですし、ゼロから宗教を調べるのも大変で、まさに、どうしようという感じです。
akameさんをはじめとする、皆さんの意見に頼らせていただき、なんとか新しい信仰の一歩を踏み出したいと思っています。よろしくおねがいします。
irisさん
御返事ありがとうございます。
jwは神の裁きが素早くきて、復活などによって苦しみから救うと教えています。
他のキリスト教では死ぬとみんな天国にいくと教えている感じがします。
それで救われました、と思えたらいいのですが、なかなか思えません。
また、未来のいつかに救われたとしても意味があるのかなと思います。
この点に関してirisさん個人の解釈と思いを教えていただきたいのです。
わたしは元jwですが、いわゆる世の人でも理解できるお答えをお願いします。
オフライン
#23 2012年12月30日 19:41:42
- akame
- ゲストユーザー
Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)
神への信仰の基盤が崩れかかると様々な不安や恐れ、薄れかかっていた悲しみが蘇るかもしれません。
rayさんのお気持ちは特別なことではないように思います。
以下、あくまでも私の個人的な新しい信仰への軌跡です。ひとつの参考にしていただければ幸です。
単なる苦痛の理由ではなく「愛の神がなぜこの不正や苦痛に満ちた世界の存続、またその主犯である
サタンの活動をこれほど永く許してきたのか?」「神が全能なら唐の昔に問題を解決できていたはず」
こうしたことを神の存在を少しでも信じる方がふと感じることはそれほど特殊なことではないように思います。
似たような疑問がキリスト教を調べるきっかけになった方も少なからずおられるのではないでしょうか。
『苦痛や搾取を特定の期間ゆるすことで「神などいらない」といったも同然のサタンにある
程度の支配権を与えそれがどうなるか立証の機会を与えよう。また神から離れた人間の支配
は必ず失敗し神の直接支配が不可欠だということも立証しよう』とエデンで神が選択された。
表現は色々ありますがJW式宇宙論争とは大体このような感じで、サタンが支配権をかなり
与えられている理由でもあります。マタイ4:8.9 サタンはこの世の神 コリント第二4:4
他の多数の聖句もこうした論争を暗に示しているように思います。
しかしその方法も含め納得できなかった私は(JW離脱前後)キリスト教の基盤となる大前提も再度白紙に
して考えてみようと決意しました。聖書は本当に間違いがないのか?科学分析に耐えるのか?
神の実在は益々確信に至りました。
なぜ進化は神話か?①
http://www.youtube.com/watch?v=nAtZX2wOEG0
なぜ進化は神話か?②
http://www.youtube.com/watch?v=u4qxwHGdNg4
しかし、そもそも神は愛そのもの、愛の権化なのでしょうか?
創造物を分析してみました。
「神の特質は造られたものを通して認められる。ロマ1:20」
又書き込みします。失礼します。
#24 2012年12月30日 20:51:11
- もんもん
- メンバー
Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)
irisさん
>「実際の命の救い」とはどのようなことでしょうか?
>ラザロが死んで何日も経ってから生き返ったというようなことでしょうか?
>それとも、ものみの塔が楽園に期待させているようなことでしょうか?
たとえば復活です。「終わりの日に記念の中にいるものがみな出てくる(ヨハネ5:28)」というイエスの言葉をどのようにとらえておられますか。
わたしたちエホバの証人は、ラザロの復活と同じように、肉体が復活すると考えています。
「実際の命の救い」という表現で、復活によって死から救出されて、イエス・キリストに信仰を働かせるなら、永遠に生き続けることができるということを意味しました。
オフライン
#25 2012年12月31日 10:07:30
- iris
- ゲストユーザー
Re: 聖書の教え (神、イエス・キリスト、救い、etc)
rayさん
お気持ちよくわかる気がします。
私が独学で聖書を学び、神の愛を信じて洗礼を望むようになったのは、もう20年以上も前のことになります。
その後、念願かなってある教会に通うようになりましたが、キリスト教というものを信じられなくなり、いつの間にか祈ることも忘れてしまいました。
神から離れてしまうと、知らず知らずのうちに隣人も自分も愛せなくなり、よりどころを失って苦しい時期が何年か続きました。
あるとき、この苦しさは神を忘れたことに原因があるのではないかと気づいて、さらに独学で哲学や宗教を学びました。
そして私の求める信仰はカトリック教会に伝えられていると感じてカトリック教会に通うようになり、洗礼を受けて10年以上になります。
私は今、すでに救われています。神の愛を信じたときに、救われたのです。
「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マタイ9:13)とイエスは言っています。
神は私を心から愛してくださっています。キリストの犠牲によって神は私の罪をゆるし、私を神の子としてくださいました。
私は神から離れてさまよっていましたが、神は決して私を忘れず、神のもとに帰ってきた私を喜んで受け入れてくださいました。
私は子どもを亡くしています。今でもその子どものことを思うと涙があふれてきます。
けれども私は、私を愛してくださっている神のなさることに間違いはないということを信じています。
神の判断では、その子どもは私のところにいるよりも天の神のもとに帰った方がよかったのです。
私はいつか天に帰ったときに、亡くした子どもたちに会えることを楽しみにしています。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。
これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」(一テサロニケ5:16-18)
自分にとって都合のよいことだけを喜んで神に感謝し、都合の悪いことは忌み嫌ってサタンのせいにするという姿勢は、神への信頼を欠いています。
神は私を愛している父ですから、私の身に起こることは嬉しいことも悲しいこともすべて、神が私のために与えてくださった恵みです。
>神の国はどのように、いつ来るとお考えでしょうか?
神の国はすでに来ています。
rayさんがごらんになった私の投稿の、キリスト教の理想について書いた部分をお読みください(もう読んでおられるとは思いますが)。
どこがわかりにくいかを知らせていただければ、さらに説明を試みたいと思います。
もんもんさん
>irisさんは「命の救い」が聖書の主要なテーマであるとお考えですか。「精神的な救い」ではなくって「実際の命の救い」です。
>わたしたちエホバの証人は、ラザロの復活と同じように、肉体が復活すると考えています。
カトリック教会も体の復活、永遠のいのちを信じています。
私は、もんもんさんのおっしゃる「命の救い」が聖書の主要なテーマであるとは考えていません。聖書のテーマは神の愛だと思います。