#1 2018年05月23日 17:11:55
- 平尾
- ゲストユーザー
割当
昔からある割当。
兄弟たちはいろいろありますが、
おばちゃん姉妹たちは、年に数回与え
られる割当を、まずは割当用紙に怯え、
果たし終えるまで憂鬱を抱え、
果たした当日は、どんなに下手でも、
みんなが褒めてくれるから、なぜか達成感、
満足感に浸っている。。。
この光景は何十年も続いています。
そもそも野外奉仕に備えるための練習
ですが、皆さんそれとこれとは違い、
実際にはありもしない会話の原稿を
作ることに必死になっています。
そう、野外とは別物です。
だから、奉仕の証言・会話なんて
上達するわけがないんです。
皆さんはどう捉えていますか?
#2 2018年05月23日 23:08:05
- 1,000時間奉仕者
- ゲストユーザー
Re: 割当
口の悪い友人が、神権学校や実演のことを
「学芸会」と呼んでいました。
たしかに挨拶からして現実離れしていますね。
アポなしの訪問で「おはようございます」に対して返ってくるのは?
「おはようございます」ではありませんね。
正解は「なんですか?!」だったりします(笑)
今は亡き「論じる」の本からの割り当てですが、
あれはホントに生徒泣かせの資料でした。
「だれもこんな質問、しないって~~」という論題で
5分間、二人で会話しろだなんて。
一人の兄弟の講話ならまだ格好がつくのに。
#3 2018年05月24日 21:54:00
- 1,000時間奉仕者
- ゲストユーザー
Re: 割当
兄弟たちの講話に関してですが、
「神権学校の訓練のおかげで、
今では10,000人以上の聴衆を前にしても
話せるようになりました」的な経験談が
載っています。
しかし私が個人的に知っている限り(40年くらい)、
「良い話をする兄弟」は最初っから話が上手であり、
そういう人が場数を踏んでいけば、ウデに磨きが
かかってさらに巧みな話ができるようになるだけ。
たとえ大会で割り当てられて話している人でも
話が下手な兄弟は何十年経っても下手なままです。
先日、20年ぶりに会った旧知の兄弟の講演を聞いて
そのあまりの進歩の無さに驚きました。
巡回大会(旧 一日大会)では “大トリ” で
ベテル講演者が一時間ぶっ続けで話します。
話の名手だったり、お値打ちモノのネタが聞ければ
何とか持ちこたえられますが、そうでなければ
苦痛で苦痛で時計ばっかり見ています。
ベテルに行っても伸びない人は伸びないんですね。
ま、話の上手い下手は奉仕の要件とは関係ありませんが。
どの記事だったか、
「履歴書に “クリスチャンの話し方教室受講中”
と併記するのもいいかもしれません」などという提案が
ありましたが、ジョーダンじゃない!です……
#4 2018年05月25日 00:55:08
- 平尾
- ゲストユーザー
Re: 割当
おっしゃる通り。
上手な人は最初からそういう素質があるか、
なんらかの環境のある人。
しかも話し上手であれば、長老になり、
大会で話せる「特権」が得られます。
最近は巨大モニターも使うので、
イケメンの方が有利です。
人柄が良くても、話が下手だったり、
声や話し方にクセがある人は、
「用いられ」ません。
#5 2018年05月29日 10:54:49
- Tak
- メンバー
Re: 割当
「良い話をする兄弟」は最初っから話が上手であり、
そういう人が場数を踏んでいけば、ウデに磨きが
かかってさらに巧みな話ができるようになるだけ。
私も結局はそのことに尽きると思います。
神権宣教学校が本当に役に立ってきたのか正直よく分かりません。今でも
みんな割り当てを果たすことに苦労して、終わってからほっとする。それ
の繰り返しで内容は・・・・? これではいったい誰のための取り決めな
のか分かりません。
そういえば最近は「神権宣教学校」という言葉を使わなくなりましたね。
もう「学校」ではないわけですね。
以前は
研究生→神権宣教学校入校→伝道者→バプテスマ
でしたが今は「学校」が存在しませんので、「割り当てを果たす」ことが
伝道者の資格を満たすこととは関係がないような気がします。もちろん神
権宣教学校入校が伝道者になるための条件であると言うのは日本のローカ
ルルールなのでどこかに明確に規定しているわけではないと思います。
私の会衆だけかもしれませんが話の助言も褒めることが中心で、特にこれと
言った助言があるわけではありません。場面の設定も問いません。「ご苦労
様、とても良かったですね」と言う感じで、割り当てを果たすと言うより自
分自身で原稿を作って実演をしましたという状況です。以前はプログラムを
扱う兄弟が原稿を作っていましたので結局兄弟たちの仕事が減り、割り当て
られた人は苦労(心痛)が増えただけのようです。
模範的な証言を学びたいなら今は動画がありますのでそれで十分ですし、野
外奉仕の訓練ならばそもそも家の人と一対一の練習なので大勢の人の前で実
演する必要はありません。マンツーマンプログラムを確立すればよいわけです。
「割り当て」のプログラムがなぜいまだに続いているのか正直よく分かりません。
皆さんはどう思いますか。
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