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#426 2017年01月17日 23:33:39

KAO
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

ヨハネ福音書の著者問題については、結局「新説」が打ち出されている訳ではありませんでしたし、これがヨハネ教団の共作だというのであれば、何も目新しいことはなく私も異存ございません。

さて、元証人さんによると、イスラエル考古学の最新成果を開陳してあるという『図説聖書考古学 旧約篇』(杉本智俊:河出書房新社2008)を読んでみました。福音派の牧師さんが書いた「一般向け」書籍です。限られた「時間を取り分けて」読んでみたものの・・・
どこのページも同じようなものですが、とりあえず争点となっているのは「ダビデ・ソロモンの栄華はあったのか?」ですから、その部分を取り上げてみます。第2章3節「ダビデ、ソロモンの黄金時代」(63ページ以下)です。タイトルからしてすでに「黄金時代」ですから、この牧師さんにとって「ダビデ・ソロモンの栄華」は大前提だと分かります。

少し引用いたします。まずは聖書に描かれるダビデ・ソロモンの栄華を延々と熱く語ったあと・・・

「ところが、考古学者の間では、「聖書考古学の魅力」に記したとおり、強力なダビデ・ソロモン王国の存在を否定する主張が一時盛んになされた。この時代の考古資料が少なかったことが原因の一つであり、バビロニア捕囚以前の聖書資料の価値をまったく認めない「ミニマリスト」的聖書学の影響もあった。この立場では、イスラエルの北部(北王国)が確立されたのは100年ほど後のアハブ王の時代であり、南部(南王国)に至っては北王国が滅びた後の前七世紀になってようやく力をつけたと主張した。
しかし、ここ10年くらいの間にダビデやソロモンに関する資料は急増し、その理解は大きく変わった。ダビデ、ソロモンの存在を否定することは今では難しく、その王国確立の実態もかなり正確に復元できるようになった。
【強力なダビデの王国】
ダビデが、それまでの部族社会から抜け出し強力な統一王国を築いたことは、まずイスラエル最北端の遺跡ダンから1993年に発見されたアラム語の戦勝碑文から知ることができる。この碑文は、アラムの王がイスラエルに勝ったことを記念した石碑であるが、その一節でイスラエル王国が「ダビデの家」と呼ばれていたのである。この表現は、世襲的な王国をその創設者の名で呼ぶ習慣を反映しており、イスラエル王国はダビデという歴史的人物によって創設され、すでに確立された王国として周辺世界で認知されていたことを示している。「ミニマリスト」たちは、これを受け入れず、「ドードの神殿」と読み換えたり、この碑文を偽物だとするなど、苦し紛れの議論を繰り返したが、結局は顰蹙を買うだけだった。
強力なダビデ王国の存在を否定するI・フィンケルシュタインは、・・・以下省略(P64~65)

たったこれだけの文章の中にどれだけの問題が隠れているか、一般の読者が読んでも気づかずスルーしてしまうかもしれません。
まずはこの前半部分を問題にします。元証人さんがフィンケルシュタインはすでに時代遅れだとおっしゃるからには『発掘された聖書』を読んでいるはずですが、その『発掘された聖書』からフィンケルシュタインの主張を引用しておきます。
「テル・ダン碑文」にふれて

「前略・・・それゆえ、ダビデ家はその地域全体で知られていたのである。このことは明らかに、エルサレムにおいてユダ王朝の創始者となったダビデという名前の人物についての聖書における記述を確証している。」(P162)

あれれ?これではこの本の著者、杉本牧師の主張と同じじゃないですか!
そう、フィンケルシュタインはダビデ・ソロモンの「実在」にまで疑念を表明している訳ではありません。あくまで、「栄華と呼べるような強大な中央集権国家などではなかった」とおっしゃっているだけです。
とはいえ、元証人さんが勘違いしても仕方ないような不誠実な書き方を杉本牧師はしているのも事実です。それを以下にみてみましょう。
杉本牧師は「ダビデやソロモンに関する資料は急増し」と言いつつ、紹介される資料は1993年に発見された「テル・ダン碑文」一つだけです。私もそれくらいしか知りません。話盛りすぎです(笑)。そして後半ではこの「テル・ダン碑文」を紹介しますが、意図的にかどうかは知りませんが、「ダビデの家」という表記が見られることだけを紹介し、これぞダビデ王朝の存在した証拠!と騒ぐのです。フィンケルシュタインさんはじめ、私たちはダビデ王朝の「存在」まで疑ってはいませんってば。
実際には、この碑文の片割れには、「ダビデの家」と並行して「イスラエル」についても言及されています。いうまでもないことですが「ダビデの家」とは南ユダ王国を指し、「イスラエル」とは北王国のことを指します。そして碑文ではその双方の王の名についてもふれられています。
私は石板の文字を読めるような専門家ではないので、印刷本の活字から試訳を掲げておきます。
「私は(ヨ)ラム、(アハブの)子、すなわちイスラエルの王を殺した。また私は(アハズ)ヤフ、(ヨラムの)子、ダビデの家の王を殺した。」

イスラエル王ヨラムとユダ王アハズヤが一緒に殺されたとなると、その犯人は同時代のアラム王ハザエル以外ではあり得ません(列王記下9章)。
もうカラクリをお分かりいただけたでしょうか?
この「テル・ダン碑文」はダビデ王国の証拠などではなく、明確に分裂王国時代の証言なのです。「ダビデ・ソロモンの黄金時代」などという章で出してくる資料ではないんです。次の4節に別に分裂王国時代の章があるんですから。

この杉本牧師、こんな一般読者向けの「入門書」で、フィンケルシュタインはじめミニマリストたち対して露骨な憎悪を向け執拗な攻撃を加えていますが、杉本牧師と同じく、日本隊が行ったエン・ゲブ遺跡の発掘に参加した長谷川修一さん(「旧約聖書の謎」もこの著者)の著書『聖書考古学』(中公新書.2013)を併せてお読みください(ささらさんがよく引かれますね)。
そこでは同じ「テル・ダン碑文」について・・・
「結論を述べると、この碑文自体はダビデが歴史的に実在したことを直接証明するものではない。なぜなら「家」の創始者は伝説上の人物であったかもしれないからである。」(P153)と、なんとも慎重なご判断!フィンケルシュタインでさえ「ダビデの証拠だよ」と言っているのに・・・これこそ厳格なる歴史家としての態度というべきでしょうか。

ほかにも「ドード」という音訳についての悪意ある記事も取り上げたいところですが、もうこのへんで充分でしょうか・・・

誤解なきよう書いておきますが、私はフィンケルシュタインの信奉者などではございません。私は一貫して「考古学にはイスラエル史の全体像を描き出すような成果は期待できない」と申し上げています。発見・評価・再検討のサイクルが激しくて、考古学に頼った決定版のイスラエル史など、現時点では誰にも書けないんです。
かつてスタンダードとされたM・ノートの『イスラエル史』もJ・ブライトの『イスラエル史』も、私が学生時代にはすでに時代遅れになっていましたが、邦訳されたイスラエル史としては一番新しい『最新・古代イスラエル史』(有馬七郎訳.ミルトス.1993)でさえ、わずか6年後の1999年に全面改訂版を出し(邦訳なし)、すでに「最新」ではなくなっています。

元証人さん、サイトコピペや本丸投げもいいけど、もう少しマシな資料(またはご自身の意見)出してくださいよ。

#427 2017年01月17日 23:57:31

さやか666
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

キメラ証人さん

ここは一つ沢山文字を連ねて誤魔化そう

とにかく沢山だよ


愛の形は様々だけれど

彼女さんは応援しておられるのでしょうか

珍セリフ。笑う人もいれば感動する人もいる

私は前者かな

https://youtu.be/gBcAy7JJWKc

#428 2017年01月18日 00:07:42

さやか666
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

良い子556 さんの発言:

高い所にある枝葉、気になりますよね~、今日は、その届かない高い所の枝を手軽にカットできる、電動式の高枝切りばさみの紹介です。
電動スイッチではさみを操作するので、握力に自信のない女性やシニアの方でもラクラク切断。肩掛けベルトをすれば、安定して作業ができます。コードレスなので、電源がない場所でも使用可能です。
枝葉いらないから、切っちゃえ。
https://www.666-666.jp/1600810000000000.html


あっこれ、さやかさん直販なの?






話が変わりますが良い子さんはドン・ガバチョが実在したことには懐疑的でしょうか?

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/瓢箪島

#429 2017年01月18日 00:31:24

良い子556
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

>話が変わりますが良い子さんはドン・ガバチョが実在したことには懐疑的でしょうか?

また、難しい質問を.....

また今日が駄目なら明日にしまチョ
明日が駄目ならあさってにしまチョ
あさってが駄目ならしあさってにしまチョ
どこまでいっても 明日がある ハイ
チョイチョイチョイのドンガバチョ ハイ

そろそろやんなきゃ宿題を。
これで良いのかな?

#430 2017年01月18日 00:43:10

さやか666
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

やはり、毒されてますね

お話になりません

井上ひさしが描いた極端なガバチョ

そして、それを鵜呑みにして放映した某国営放送によって

偉大な実在した政治家が架空の人物となってしまっています

そしてあなたが書いた歌詞も、本来のガバチョさんの歌ではなく大いに正確性を欠いております。

あまりに浅い

揶揄するだけてはなく、信じられる根拠について今一度調べられることをお勧めします

瓢箪島とそこに実在したガバチョ師の偉大な功績を!!

#431 2017年01月18日 01:10:43

良い子556
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

財団法人新聞通信調査会は2016年10月24日、メディアに関する全国世論調査の2016年度版を発表した。その内容によれば調査対象母集団においては、直近2016年度でもっとも信頼度の高い主要メディアは某国営テレビとなり、100点満点で69.8点の信頼度を得ていることが分かった。

権威と多数は正義なり。

知ったかの人が暴れておりますな。
さやかさん笑わせてくれる。

宿題やります。

#432 2017年01月18日 06:57:11

元証人
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

KAO さんの発言:

ヨハネ福音書の著者問題については、結局「新説」が打ち出されている訳ではありませんでしたし、これがヨハネ教団の共作だというのであれば、何も目新しいことはなく私も異存ございません。

さて、元証人さんによると、イスラエル考古学の最新成果を開陳してあるという『図説聖書考古学 旧約篇』(杉本智俊:河出書房新社2008)を読んでみました。福音派の牧師さんが書いた「一般向け」書籍です。限られた「時間を取り分けて」読んでみたものの・・・
どこのページも同じようなものですが、とりあえず争点となっているのは「ダビデ・ソロモンの栄華はあったのか?」ですから、その部分を取り上げてみます。第2章3節「ダビデ、ソロモンの黄金時代」(63ページ以下)です。タイトルからしてすでに「黄金時代」ですから、この牧師さんにとって「ダビデ・ソロモンの栄華」は大前提だと分かります。

少し引用いたします。まずは聖書に描かれるダビデ・ソロモンの栄華を延々と熱く語ったあと・・・

「ところが、考古学者の間では、「聖書考古学の魅力」に記したとおり、強力なダビデ・ソロモン王国の存在を否定する主張が一時盛んになされた。この時代の考古資料が少なかったことが原因の一つであり、バビロニア捕囚以前の聖書資料の価値をまったく認めない「ミニマリスト」的聖書学の影響もあった。この立場では、イスラエルの北部(北王国)が確立されたのは100年ほど後のアハブ王の時代であり、南部(南王国)に至っては北王国が滅びた後の前七世紀になってようやく力をつけたと主張した。
しかし、ここ10年くらいの間にダビデやソロモンに関する資料は急増し、その理解は大きく変わった。ダビデ、ソロモンの存在を否定することは今では難しく、その王国確立の実態もかなり正確に復元できるようになった。
【強力なダビデの王国】
ダビデが、それまでの部族社会から抜け出し強力な統一王国を築いたことは、まずイスラエル最北端の遺跡ダンから1993年に発見されたアラム語の戦勝碑文から知ることができる。この碑文は、アラムの王がイスラエルに勝ったことを記念した石碑であるが、その一節でイスラエル王国が「ダビデの家」と呼ばれていたのである。この表現は、世襲的な王国をその創設者の名で呼ぶ習慣を反映しており、イスラエル王国はダビデという歴史的人物によって創設され、すでに確立された王国として周辺世界で認知されていたことを示している。「ミニマリスト」たちは、これを受け入れず、「ドードの神殿」と読み換えたり、この碑文を偽物だとするなど、苦し紛れの議論を繰り返したが、結局は顰蹙を買うだけだった。
強力なダビデ王国の存在を否定するI・フィンケルシュタインは、・・・以下省略(P64~65)

たったこれだけの文章の中にどれだけの問題が隠れているか、一般の読者が読んでも気づかずスルーしてしまうかもしれません。
まずはこの前半部分を問題にします。元証人さんがフィンケルシュタインはすでに時代遅れだとおっしゃるからには『発掘された聖書』を読んでいるはずですが、その『発掘された聖書』からフィンケルシュタインの主張を引用しておきます。
「テル・ダン碑文」にふれて

「前略・・・それゆえ、ダビデ家はその地域全体で知られていたのである。このことは明らかに、エルサレムにおいてユダ王朝の創始者となったダビデという名前の人物についての聖書における記述を確証している。」(P162)

あれれ?これではこの本の著者、杉本牧師の主張と同じじゃないですか!
そう、フィンケルシュタインはダビデ・ソロモンの「実在」にまで疑念を表明している訳ではありません。あくまで、「栄華と呼べるような強大な中央集権国家などではなかった」とおっしゃっているだけです。
とはいえ、元証人さんが勘違いしても仕方ないような不誠実な書き方を杉本牧師はしているのも事実です。それを以下にみてみましょう。
杉本牧師は「ダビデやソロモンに関する資料は急増し」と言いつつ、紹介される資料は1993年に発見された「テル・ダン碑文」一つだけです。私もそれくらいしか知りません。話盛りすぎです(笑)。そして後半ではこの「テル・ダン碑文」を紹介しますが、意図的にかどうかは知りませんが、「ダビデの家」という表記が見られることだけを紹介し、これぞダビデ王朝の存在した証拠!と騒ぐのです。フィンケルシュタインさんはじめ、私たちはダビデ王朝の「存在」まで疑ってはいませんってば。
実際には、この碑文の片割れには、「ダビデの家」と並行して「イスラエル」についても言及されています。いうまでもないことですが「ダビデの家」とは南ユダ王国を指し、「イスラエル」とは北王国のことを指します。そして碑文ではその双方の王の名についてもふれられています。
私は石板の文字を読めるような専門家ではないので、印刷本の活字から試訳を掲げておきます。
「私は(ヨ)ラム、(アハブの)子、すなわちイスラエルの王を殺した。また私は(アハズ)ヤフ、(ヨラムの)子、ダビデの家の王を殺した。」

イスラエル王ヨラムとユダ王アハズヤが一緒に殺されたとなると、その犯人は同時代のアラム王ハザエル以外ではあり得ません(列王記下9章)。
もうカラクリをお分かりいただけたでしょうか?
この「テル・ダン碑文」はダビデ王国の証拠などではなく、明確に分裂王国時代の証言なのです。「ダビデ・ソロモンの黄金時代」などという章で出してくる資料ではないんです。次の4節に別に分裂王国時代の章があるんですから。

この杉本牧師、こんな一般読者向けの「入門書」で、フィンケルシュタインはじめミニマリストたち対して露骨な憎悪を向け執拗な攻撃を加えていますが、杉本牧師と同じく、日本隊が行ったエン・ゲブ遺跡の発掘に参加した長谷川修一さん(「旧約聖書の謎」もこの著者)の著書『聖書考古学』(中公新書.2013)を併せてお読みください(ささらさんがよく引かれますね)。
そこでは同じ「テル・ダン碑文」について・・・
「結論を述べると、この碑文自体はダビデが歴史的に実在したことを直接証明するものではない。なぜなら「家」の創始者は伝説上の人物であったかもしれないからである。」(P153)と、なんとも慎重なご判断!フィンケルシュタインでさえ「ダビデの証拠だよ」と言っているのに・・・これこそ厳格なる歴史家としての態度というべきでしょうか。

ほかにも「ドード」という音訳についての悪意ある記事も取り上げたいところですが、もうこのへんで充分でしょうか・・・

誤解なきよう書いておきますが、私はフィンケルシュタインの信奉者などではございません。私は一貫して「考古学にはイスラエル史の全体像を描き出すような成果は期待できない」と申し上げています。発見・評価・再検討のサイクルが激しくて、考古学に頼った決定版のイスラエル史など、現時点では誰にも書けないんです。
かつてスタンダードとされたM・ノートの『イスラエル史』もJ・ブライトの『イスラエル史』も、私が学生時代にはすでに時代遅れになっていましたが、邦訳されたイスラエル史としては一番新しい『最新・古代イスラエル史』(有馬七郎訳.ミルトス.1993)でさえ、わずか6年後の1999年に全面改訂版を出し(邦訳なし)、すでに「最新」ではなくなっています。

元証人さん、サイトコピペや本丸投げもいいけど、もう少しマシな資料(またはご自身の意見)出してくださいよ。



まず、

「旧約聖書の謎−隠されたメッセージ   」長谷川修一

では、

「低年代説論争に関しては、今後さらなるデータを集積・分析してより一層議論を深めていかねばならないが、、1990年代初頭にフィンケルシュタインが提唱した低年代説の一角は今、危機的状況にあると言えよう。」(p155)

と昔のフィンケルシュタインの説は危機的状況にあると述べています。
そして、
「結論として、列王記上十四章の方の記述は史実を反映していると考えてよいようである。」(p159)

と長谷川修一は書いています。

この列王記の記述とは、
I列王記14章
「レハブアム王の第五年に、エジプトの王シシャクがエルサレムに攻め上って来て、
主の宮の財宝、王宮の財宝を奪い取り、何もかも奪って、ソロモンが作った金の盾も全部奪い取った。」

ですね。
あなたが特に目新しいものはないかのように述べた「聖書時代の秘宝」法政大学出版局
では、

「シシャクは、勝利後1年くらいで死んだ。彼の息子が捧げた贈物の詳細が記録されている。それは、他のいかなるファラオが記録した金と銀よりも多くの量に達している。重さでは金銀の合計は、約20万kg(200トン)である。
他のエジプト文書の研究から、これらの量が誇張であると考える理由はなにもないことがわかる。これほどの量ではないにしても、他のファラオたちも自分の神々に壮大な贈物をしている。この富がどこからきたのかを明らかにするものは何もない。しかし、その多くは、シシャクがエルサレムにあったソロモンの神殿と宮殿から運び去った金であったと考えるのは妥当なことであろう。」

と書いています。

つまり、考古学では、ダビデ、ソロモン等の実在は何ら否定する証拠は挙がっておらず、むしろその存在の可能性が高まっているのであり、ソロモンの栄華も否定されてもいないのです。

ですから、ここの掲示板の中の何名かのように、ダビデ、ソロモンが実在しなかったかのように言う者や、ソロモンの栄華はなかった事が分かりますなどと断言するように書く人は分かっていないという事です。

それくらいは分かりますかね?


そして、処女懐胎も認めず、使徒信条をも否定するあなたは、イエスの神性も否定しているようですが、それなら、もはや自由主義『神学』ですらなく、キリスト教ですらない事は自覚できておられますかね?

#433 2017年01月18日 07:57:32

良い子556
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

さやか666 さんの発言:

やはり、毒されてますね

お話になりません

井上ひさしが描いた極端なガバチョ

そして、それを鵜呑みにして放映した某国営放送によって

偉大な実在した政治家が架空の人物となってしまっています

そしてあなたが書いた歌詞も、本来のガバチョさんの歌ではなく大いに正確性を欠いております。

あまりに浅い

揶揄するだけてはなく、信じられる根拠について今一度調べられることをお勧めします

瓢箪島とそこに実在したガバチョ師の偉大な功績を!!



ドン・ガバチョなぞしょせん枝葉。

大切なのは死後の世界が確実にあると言うことです。
死後の世界を否定する証拠は、なにもあがっておらず、むしろ某国営放送にて証明されたのです。


http://dic.pixiv.net/a/%E3%81%B2%E3%82% … 3%E5%B3%B6

ひょっこりひょうたん島 裏設定

#434 2017年01月18日 08:15:25

さやか666
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

死後の世界に逃げないで下さい

瓢箪自由主義者の悪い癖がでましたね(笑)


●分かりやすい証拠

http://ameblo.jp/sayaka66rock/entry-12239164463.html



一族

http://form.allabout.co.jp/series/28/241/


https://matome.naver.jp/m/odai/2144434547696440801

http://light-shade.net/post-1003





結局のところ、ガバチョ師が実在しなかった証拠は未だに出ていないでしょ?

誰もが否定できない事実です

日本国民であるなら、日々その恩恵に与りながらガバチョを否定して、生き続けることに何の意味があるというのでしょう

#435 2017年01月18日 10:36:45

さやか666
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

一種のリベラル、伝統に従う従来品がもつ深刻な問題点をいとも簡単にクリアしているところが原理主義者には羨ましくもある

http://www.tokyolife.co.jp/news/2067/


原理主義者からすると

とにかくダメなんですよ。

こんなのは

#436 2017年01月18日 13:23:11

良い子556
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

さやか666 さんの発言:

一種のリベラル、伝統に従う従来品がもつ深刻な問題点をいとも簡単にクリアしているところが原理主義者には羨ましくもある

http://www.tokyolife.co.jp/news/2067/


原理主義者からすると

とにかくダメなんですよ。

こんなのは
コットンマナードの最大の特徴は、何と言っても「シワがつきにくい」ということ!
紡績名の「コットン」に引っ張られがちですが、ポリエステルが半分以上混紡されているのでシワになりにくいんです。

なんというスーツに対する冒涜!

スーツは権威が大事なのです、でなければ、そのうち「もう、ジャージでよくね」ってなることでしょう。

なんという人類の退廃ぶり、目に余ります。

いいですか、

良いスーツ、ポイント 【 袖のシワ 】

まずは「ハンガーにかかった状態」を眺めてみて下さい。

無意識にまっすぐ立ってみるとわかりますが、人間の腕は若干、前に向かってカーブを描いています。ハンガーにかけた状態でジャケットの袖が前に向かって
大きくシワが出ているものは、身体の曲線に合わせた仕立てになっているサインです。

大量生産のスーツの場合はそういった手間が省かれていることが多く、その場合は、袖はまっすぐすとんと下におりています。
シワなども見られません。 シワが少ない方が綺麗に見えるので、良いスーツの様な錯覚に陥りがちですが、実は真逆ですのでご注意を。

これが正しいのです。

#437 2017年01月18日 21:59:42

KAO
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

私の書き込みを全文引用されるわりには、個々の指摘は全部スルーして今度は別の本ですか? 杉本牧師はもうお払い箱なんですね。
どの本も手元にありますけど、私には、そんなにお花畑のちょうちょみたいに、あちこち見て廻るような自由時間はありませんよ。
そして最後の捨てゼリフは必ず、「KAOはクリスチャンに非ず」ですか。そうですよ、少なくとも元証人さんの定義するクリスチャンにはあてはまらないでしょう。

昨夜の書き込みは、わざと、同じ発掘隊で活動した研究者同士の、「テル・ダン碑文」についてのそれぞれの「評価」を対比させました。それは「最新の学説」にこだわる元証人さんに、学説というものは古いか新しいかではなく、資料の示す真実に向き合う姿勢を持ち合わせているかどうかという点が問題であることを示すためです。

杉本牧師はフィンケルシュタインらに対し、
「純粋に考古学的な歴史復元をすると主張しているが、彼らも独自の前提から恣意的な資料解釈をしている」(P9)と書いています。しかし、一般向け公刊本の中で「テル・ダン碑文」について、故意に碑文の文言の半分しか紹介せず、それを「ダビデ王国の存在した証拠」だと結論したのは誰ですか?こういった資料提示のやり方は、某組織の方法を彷彿とさせます。
それに対し長谷川氏の「王朝の創始者は伝説上の人物であってもかまわない」という指摘は、彼は口にこそしていませんが、「記紀神話」を通して天皇家による万世一系の「王朝」を信じ込まされた日本人を念頭に置いた、日本人研究者ならでは洞察と私は感じます。

とはいえ神学緒科は、結局のところ実証科学ではないので、より説得力のある学説を求めて新陳代謝を繰り返す運命にあります。イスラエル史分野では、長らく初期イスラエル像の不動の前提とされたM・ノートのアンフィクチオニー仮説などが完全に過去のものになったように、フィンケルシュタインの説も必ず古くなる時代がくるでしょう。これは当たり前のことです。パレスチナでの「新発見」に一喜一憂するのは聖書原理主義者くらいのもので、先の「テル・ダン碑文」の話をもう少し先に進めれば、この種の「新発見」には、必ずといっていいほど「新たな謎」というオマケがついてきます。
碑文の中でアラムの王は、この2名の王の殺害を自らの武勲として記していますが、聖書によると、ヨラム王に仕えていたイスラエルの将軍イエフによるクーデターということになっています。こういった矛盾点の解明は、まだまだ今後の課題ということになるでしょう。

元証人さんはなぜ、ダビデとソロモンが聖書に書いてある通りのBIGな王様とだったと信じないといけないと思うのですか? また、なぜ新約各書の著者が、数世紀も後の教父たちの伝える伝承通りだと信じないとクリスチャンの名に値しないと思うのですか?
元証人さんの考える「宣教」は、同じ信仰箇条の信奉者で全世界を満たすことですか?
元証人さんがJW時代に学んだこととは何ですか?

ここで元証人さんに「いのちのことば社」の本をお奨めしておきます。
『新約聖書と批評学』(G・E・ラッド、いのちのことば社、2014)。ここには福音書の著者問題についてこう記しています。

「聖書は、人間の言葉の編集物である(「である」に傍点)のです。聖書の各書は、その著者・年代・起源が今のところまだわからないとしても、ある場所・ある時・ある人によって直接創作されました。他の諸書は、福音書が最も有名ですが、口頭様式で保存されてきた伝承の文書化を具現しており、ある場合には、年代・著者・起源に関する事実を確実に言うことができません。聖書のいくつかの書物の特定の背景について無知であることは、各書が所与の歴史的起源を有しており、ある観点からは純粋に歴史的、人間的、文学的な所産と見ることができるという事実を、割り引くことにはなりません。」(P21~22)

この本のエラスムスや「textus receptus」(公認本文)を紹介する章などを読むと、B・D・アーマンの著述とほとんど変わらないどころか、より詳細かつ批判的=客観的な印象さえ受けます。彼は「人間のことば」が、いかようにして同時に「神のことば」でもあり得るのか、という問題に真正面から答えてくれていると思います。

#438 2017年01月19日 12:31:22

ジョエル
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

元証人 さんの発言:

そして、処女懐胎も認めず、使徒信条をも否定するあなたは、イエスの神性も否定しているようですが、それなら、もはや自由主義『神学』ですらなく、キリスト教ですらない事は自覚できておられますかね?

「イエスの神性」とか「それを否定する」とか、何のことですか。

ナザレ人イエスが神(の子)であるとは、口に出して言うか言わないかを別にすると、客観的には何を指すんでしょうか。「神の姿」や「神の声」を幻視・幻聴したところで、それが本当に神なのか、証明する手段がないですよね。


エホバの証人的には、アダムと同じプロトタイプに神がかった性格や記憶や自覚(思い込み?)がインプットされたもので、キリストの贖いもパフォーマンスです。


カトリックの聖体秘跡で「ええ、分子構造的にはただのパンと同じですよ、どうぞメスを入れまくって分析してみてください」と言うのと、イエスが生物学的には(歴史的にも)ただの人間ですよ、と言うのは違わないと思うんですが。それこそ屁の突っ張りにもなりません。

JWのエホバみたいに、それがその人の中でどういう意味だろうと認識だろうと、世界中の人間が同じことを口に出して言えばご満足いただけるんですか?


KAO さんの発言:

彼は「人間のことば」が、いかようにして同時に「神のことば」でもあり得るのか、という問題に真正面から答えてくれていると思います。

これに尽きると思います。

#439 2017年01月19日 19:01:09

さやか666
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

変わらないために変化し続ける


http://www.kuronekoyamato.co.jp/smp/takkyubin40th

#440 2017年01月19日 21:48:07

KAO
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

聖書考古学の「最新成果」にこだわっていたはずの元証人さん、杉本牧師をあっさり見捨てたかと思うと、今度は突如30年以上遡って原著1985年出版の『聖書時代の秘法』(A・ミラード,法政大学出版局,2004年)に飛んで行ってしまいました。「天の兵車」についていくのは大変です(笑)

個別内容についてはもう、ささらさんにお任せいたします。私からはただ一点、この本で頻繁に参照されるイガエル・ヤディンという考古学者についてだけ言及しておきます。
この人が考古学者であることは事実ですが、実はもうひとつの顔があって、現代イスラエル国家樹立後のイスラエル国防軍の総司令官として中東戦争を指揮した人物なんです。すなわち、あちこち掘り返してはリアルに「ここはウチらの土地じゃ~!!」「ここもウチらの土地じゃ~!!」「どいつもこいつも出て行け~!!」ってやってた人なんです。
そしてこの人の著書は1970年代に、やはり超保守派の論客であった故山本七平氏の経営する山本書店から邦訳出版(『マサダ』『バル・コホバ』)され、80年代に入ってからではありますが、当時まだ子どもだった私は面白く読んでいました。父の影響で小さい頃から歴史好きだったんです。
今大人になって読み返してみると、とにかく何でもかんでも聖書の記述に結びつけ、「聖書に書いてある通りでした~!」という主張に溢れていることが目につきます。

同時代には、やはり考古学によるイスラエル史解明を目指していた米国のジョン・ホプキンス大学のW・F・オールブライトの著作も次々と邦訳され、遠い地にある私たち日本人クリスチャンは、「パレスチナ難民」のニュースを見ながらも、やっぱり聖地はユダヤ人のものだったのよね~って思っていたのです。
オールブライトの著作は(なにせ英語だし保守的だから)、JWの書籍にもよく参照されます(「あなたの王国がきますように」とか)。

むろん私は考古学全般に懐疑的なわけではなく、誠実に歴史の解明を目指している学者さんたちもたくさん知っていますが、残念ながらパレスチナ考古学には、政治的思惑が深く絡み易いという土壌のもとにあることだけは念頭に置いておいてほしいと思っています。

#441 2017年01月20日 00:15:31

てつてつ
メンバー

Re: 信仰を維持する

KAOさん 書き込みありがとうございます

私からはただ一点、この本で頻繁に参照されるイガエル・ヤディンという考古学者についてだけ言及しておきます。この人が考古学者であることは事実ですが、実はもうひとつの顔があって、現代イスラエル国家樹立後のイスラエル国防軍の総司令官として中東戦争を指揮した人物なんです。すなわち、あちこち掘り返してはリアルに「ここはウチらの土地じゃ~!!」「ここもウチらの土地じゃ~!!」「どいつもこいつも出て行け~!!」ってやってた人なんです。......残念ながらパレスチナ考古学には、政治的思惑が深く絡み易いという土壌のもとにあることだけは念頭に置いておいてほしいと思っています。

イガエルヤディン ウキペ        動画  そんなひとだったんですかー だったら何が何でも言い張らないとなりませんねー


バルコクバて 何?

テル.ダン碑文 ドードの神殿て 何?

全然知りませんでした 大変勉強になりました


『マサダ』『バル・コホバ』、当時まだ子どもだった私は面白く読んでいました。父の影響で小さい頃から歴史好きだったんです。

子供のころからこんな本が好きだったなんて 気持ち悪すぎます どうみてもワンピースのニコ.ロビンにしかみえません KAOさんもとうとう聖書という歴史の本文の空白の100年の秘密をしってしまったんですね  世界政府からお尋ねものになるはずです

編集者 てつてつ (2017年01月20日 00:53:41)

オフライン

#442 2017年01月20日 06:50:54

元証人
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

答えるのもバカらしいですが、ドンガバチョと存在が確認されている古代イスラエル、そしてその王(オムリ等)や実在したイエス・キリスト等とを比較する事自体がどうかと思いますけどね。

ドンガバチョもそうですが、どこかの誰かのようにスパゲッティモンスターなどを引き合いに出す事も信仰者を見下しているとしか思えませんね。

#443 2017年01月20日 06:52:15

元証人
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

ささらほーさら さんの発言:

最新の・・・とのことでしたので期待していたのですが

文章を書いておられる私市元宏(きさいちもとひろ)さんは1932年生まれで御年85歳になられる方ですね。
(以前のわたしに対する発言を考えると、とても元証人さんの考慮に値する年齢ではないのでは???)

で、ずっと長くクリスチャンやっておられる方ですから、やはり擁護寄りですよね。
それでも、
「ただし、その弟子が、ゼベダイの子ヨハネであるという確証はありません
伝承は、使徒ヨハネが、ヨハネ福音書の「著者」であったと伝えていますが、現在の学説では、使徒ヨハネがこの福音書の「著者」であることだけでなく、「イエスの愛する弟子」自体が、使徒ヨハネと同一人物であることさえも疑問視するのです。」
って書いてあるから、現在も懐疑的なことは認めてらっしゃいますよ。

今見たら、質問さん同じところ指摘していました。失礼しました。
行き違いね。
元証人さん、読解力身に着けてくださいね。


その文章を書いた人物の年齢など何の関係もない事である。
例えば、比較的若い学者が書いたものでも、従来の古い説を信じ、それを元に書いたのなら年齢など関係ない。


で、私が挙げた文章をよく読むように。

※「2000年以降の最近の傾向としては、それまでの聖書本文への過激な批判に基づく否定説は後退して、逆に古代からの聖書の「外的な」伝承が重視されるようになり、これに伴ってヨハネ福音書とヨハネ書簡とヨハネ黙示録をイエスの愛弟子一人の著作に帰して、しかもそれが使徒ヨハネ、あるいはこれに近い人物だという説が再提起されています。」


と、このように過激な批判に基づく否定説は後退している事を述べている。

で、私が最初書いた文章はこれである。


福音書は当時の共通語であったギリシャ語で書かれたと思いますが、マタイによる福音書はヒエラポリスのパピアスによれば最初ヘブライ語で書かれ後にギリシャ語に訳されたという事です。
その事を疑問視する人もおり、他の著書についても意見を異にする説も踏まえた上で私は、クレイグ博士の意見に同意します。ですから、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネが記したという意見に同意します。
※しかし、その教えに立つ教団内の側近が編集した可能性はあるかもしれません。


まず、社長が秘書を使って手紙を書いたとしたなら、書いたのは秘書でも、その手紙は社長の手紙である。

マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネなどが最初に伝えた教え、或いは文章があり、それを側近の者が纏めたとしても著者はあくまでもマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネなのである。


それを否定したいだけの者は偽書だとして信用できないものであるかのように考える。実に浅はかな事である。

また、ある者は、筆者が匿名であったとしても何ら価値が落ちるのではないと言いながらも大した信仰も持たない。

さて、弟子たちが無学な普通の人だった事が何か問題になるだろうか。

大工であったイエスは権威ある者のように教えました。弟子たちが普通の人であったとしても、イエス様の弟子となり、直接指導され、訓練されたわけですから、言わば最高レベルの神学校で学んだようなものです。


では、先に挙げた文章の結論を見てみましょう。





「したがってわたしたちは、この福音書の伝承の源となった人物を伝承に従って「ヨハネ」とだけ呼ぶか、あるいは同じヨハネ系文書に出てくる「長老ヨハネ」と区別する意味で、「始祖ヨハネ」と呼ぶのが最も適切でしょう。

※【しかし、主の愛弟子が始祖と同一人物であり、しかも使徒ヨハネであるという古来の伝承は、現代の様々な推定や想定よりも「確実とは言えないまでも、より確かに近い」と言えましょう。 】」


そうです。おたくらの『不確かな推測』よりも古来の伝承どおり(ここでは)使徒ヨハネであるというのが、「より確かに近い」という結論です。


少しは読解力を身に着けて下さいね。



そして、擁護寄りな意見が信用できないというのなら、あなた方のような否定する事しか念頭にない者らの意見こそ何の価値もないでしょうな。

#444 2017年01月20日 06:54:24

元証人
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

ささらほーさら さんの発言:

後半の資料、てつてつさんが6000円もかけて購入→データくださったので取り急ぎ眺めてみました。
件の証拠(「ダビデ、ソロモンは実在し、その栄華も確認されています。」)って以下の部分ですかね?
他は、エジプト、アッシリア等々の遺物の話しばかりでしたので・・・。

さて、
ソロモンの時代とされる建造物のうち,最も注目されているのは三つの町を通り抜けている通路である建造者 誰かを明らかにする礎石も文言もないしかし,そこから発見される陶器は,ソロモンの治世のものであるつまりその建造物は,その当時使わ れていたことを示している.その-つは,1902年から 1909年にわたるゲゼルでの発掘,もう一つは,1936 年から37年のメギドでの発掘そして第三は,1955年 から58年にわたるハツォルの発掘で発見された.発掘技術の進歩と陶器類の様式についての知識の向上によって,イガエル.ヤディン は,彼がハツォルで発掘した門をソロモンの時代に属すると判定した彼は,さらに,最初の発掘者たちが全然ソロ モンと関連づけなかったゲゼ ルと特にメギドでの残骸を調 べた.ヤディンは,これらの三つ の門がほとんど同じ平面図と非常によく似た特質を持っていることを立証することができたその門が建造され,使用された時代に属する陶器の 破片は,ソロモンの時代,す なわち10世紀の中期のもの である ハツォルの門が明らかにな った後,ヤディンは‘ゲゼル とメギドに注目したなぜな らソロモン王国の菫要な町で,ソロモンが行なった建築 活動に言及している聖書の箇所を思い起こしたからである第一列王記9=15節はこう記録している「ソロ モン王は,役務者を使って神 殿H一千宮を建て,町の東側を土で満たし,城壁を建てた彼はまたハツォル,メギド, ゲゼルの町々を再建した」 これらの町で見つかった門の平面図が一致していることに加えて,ヤディンは隣接している城壁も同一の平面図を持っていることを発見したそれらは,「ケースメイト」と呼ばれるすなわち,城壁が2列になり,その間に仕 切りとなる壁があり,一連の 細長い部屋が続いているもの である 各遺跡の床面の上に建つ城 壁の石造りは非常に質の高い 物であった城壁の各側面に
おけるブロックは正確に正方形になって積まれ,構造を堅 固なものにしている.
これら三つの門の間にある 類似性と石工術の質の高さとによってわかることは,これらの門が,かなりの資源を自由に駆使できる中央権力による設計に合わせて建てられたということである,その設計は中央権力の間に伝えられていた‘陶器の証拠は‘その建造物が前10世紀であることを示している.これらの諸点存聖書の記録と比較するとき,これらの門が実にソロモンの事業であるという結論は,ほとんど間違いのないものとなる石の碑文が不足している中で,これ以上確かにすることは困難であろう.メギドには,同時代に属する町の中に‘広大な建物の跡がある残念なことにその石工事は非常に良かったので, 後代の建築者たちがそのブロックを再利用するために破壊してしまった.その結果,王宮,官庁,当時の住居などはほとんど知られていない。」


???聖書の記述による「ソロモンの時代」「ソロモンの統治下」を前提に書かれているだけですよね。
ソロモンの神殿とか栄華の証拠や根拠についてはまったく触れられていませんが("^ω^)・・・。

「聖書時代の秘宝」をよく読みましょう。


「しかし,そこから発見される陶器は,ソロモンの治世のものである。つまりその建造物は,その当時使われていたことを示している。

その-つは,1902年から 1909年にわたるゲゼルでの発掘,もう一つは,1936 年から37年のメギドでの発掘そして第三は,1955年 から58年にわたるハツォルの発掘で発見された。発掘技術の進歩と陶器類の様式についての知識の向上によって,イガエル.ヤディン は,彼がハツォルで発掘した門をソロモンの時代に属すると判定した。
彼は,さらに,最初の発掘者たちが全然ソロモンと関連づけなかったゲゼ ルと特にメギドでの残骸を調 べた。ヤディンは,これらの三つ の門がほとんど同じ平面図と非常によく似た特質を持っていることを立証することができた。

その門が建造され,使用された時代に属する陶器の 破片は,ソロモンの時代,す なわち10世紀の中期のものである 。

ハツォルの門が明らかにな った後,ヤディンは‘ゲゼル とメギドに注目した。

これら三つの門の間にある 類似性と石工術の質の高さとによってわかることは,これらの門が,かなりの資源を自由に駆使できる中央権力による設計に合わせて建てられたということである。その設計は中央権力の間に伝えられていた‘陶器の証拠は‘その建造物が前10世紀であることを示している。」


つまり、ソロモン時代に中央権力により建てられた事が述べられているのです。


そして、あなたか文章を提供した者の意図的な文章の区切り方と、あなたの意図的な強調部分の置き方とに問題があります。



書籍で読めば、

「これらの門が実にソロモンの事業であるという結論は,ほとんど間違いのないものとなる。

石の碑文が不足している中で,これ以上確かにすることは困難であろう。」

とあり、※【これらの門が実にソロモンの事業であるという結論は,ほとんど間違いのないものとなる。】という事が述べられているのです。



あなたが読解力を身に着けましょう。
実際に本で確認するならば、そのような間違いには至らないはずです。


さらに、私が挙げたその次のページである106ページは故意に読み飛ばしですか。


「シシャクは、勝利後1年くらいで死んだ。彼の息子が捧げた贈物の詳細が記録されている。それは、他のいかなるファラオが記録した金と銀よりも多くの量に達している。重さでは金銀の合計は、約20万kg(200トン)である。
他のエジプト文書の研究から、これらの量が誇張であると考える理由はなにもないことがわかる。これほどの量ではないにしても、他のファラオたちも自分の神々に壮大な贈物をしている。この富がどこからきたのかを明らかにするものは何もない。しかし、その多くは、シシャクがエルサレムにあったソロモンの神殿と宮殿から運び去った金であったと考えるのは妥当なことであろう。」


そして、104ページには、アッシリアとバビロンの王が神殿を金で覆った事を誇っているが、それを疑う理由はないと述べており、エジプトからは神殿を覆っていた金の薄板の証拠がいくつか見つかっていると書いています。

そして、「そういうわけで、ここにソロモンの黄金の神殿に関する聖書の記述が、けっして単なる作り話でもなく、また誇張でもないことを裏付ける同時代のよい証拠が存在している。それは、古代には良く知られたやり方であったということになる。」

と締め括ってますね。
ソロモンの栄華は何も否定されていません。





ささらほーさら さんの発言:

それに筆者は、前書きの部分で
「もし考古学的発見の結果が,古代のある習慣について述べた古代の作者の記述と一致していても,それによって,書物に述べられたひとつの実例が実際に起きたということが立証されるわけではない.立証のためにはその出来事に関しての,独立した, 記述された証拠が必要であろう.」と述べていますよ。


その後に続く文章はこうです。

「しかし、聖書が述べていることが、しばしば古代の習慣と一致しているという事実は、聖書の記録へ積極的にアプローチするための良い基礎ではある(たとえば「黄金の神殿」、「ペルシアの郵便袋から」の項を参照)。
これらの記録を古代の背景の中に正しく位置づけることは考古学の重要な働きである。それによって現代の読者は歴史的、文化的レベルにおいて、よりよくこれらの記録を評価することができる。まれではあるが、旧約・新約の聖書箇所に直接的に関連した発見があれば、その聖書箇所の正しさを立証し、証拠を付加することができる(たとえば、「宝は隠れていなかった」「アッシリアが下って来て・・・・」の項を参照)」

このように述べて、参照するように述べた箇所では聖書が裏付けられた事が書かれています。


あなたはどこを読んでるんですか。



ささらほーさら さんの発言:

※現代の聖書学者の多く(わたし自身も)は、聖書の記述のすべてが作り話・神話であるとは考えていません。
とりわけ、バビロン捕囚より少し前(王国分裂時代)からの歴史に関しては
正確とは言い難いにしてもほぼ史実と一致している場合が多いでしょう。
ただ、それを「神」や「予言」「特別の民」として記述している扱い方には誇張や創作が認められ、
そこに至る古代の歴史に関しては、口承を元に作り上げられた「物語性」が大である=神の介入はないと考えているのです。

少なくとも史実と一致している場合が多いわけですね。


誇張や創作ではないという考古学的観点からの証拠もあり、誇張や創作ではないという意見の学者も数多く存在し、神の介入もあったとしているわけですから、あなたの説だけが通るはずがありません。

#445 2017年01月20日 06:57:00

元証人
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

KAO さんの発言:

ヨハネ福音書の著者問題については、結局「新説」が打ち出されている訳ではありませんでしたし、これがヨハネ教団の共作だというのであれば、何も目新しいことはなく私も異存ございません。

結局、ここの掲示板で福音書問題を扱った人々は従来の否定派の説を使い回しているだけであり、何ら目新しいものはありません。


KAO さんの発言:

さて、元証人さんによると、イスラエル考古学の最新成果を開陳してあるという『図説聖書考古学 旧約篇』(杉本智俊:河出書房新社2008)を読んでみました。福音派の牧師さんが書いた「一般向け」書籍です。限られた「時間を取り分けて」読んでみたものの・・・
どこのページも同じようなものですが、とりあえず争点となっているのは「ダビデ・ソロモンの栄華はあったのか?」ですから、その部分を取り上げてみます。第2章3節「ダビデ、ソロモンの黄金時代」(63ページ以下)です。タイトルからしてすでに「黄金時代」ですから、この牧師さんにとって「ダビデ・ソロモンの栄華」は大前提だと分かります。

まず、フィンケルシュタインは「発掘された聖書」のp160でソロモンの記述は理想化された過去、輝かしい黄金時代の描写などは誇張されたものだと述べているので、否定派にとって「ダビデ・ソロモンの栄華はなかった」という事が大前提なのです。


KAO さんの発言:

少し引用いたします。まずは聖書に描かれるダビデ・ソロモンの栄華を延々と熱く語ったあと・・・

「ところが、考古学者の間では、「聖書考古学の魅力」に記したとおり、強力なダビデ・ソロモン王国の存在を否定する主張が一時盛んになされた。この時代の考古資料が少なかったことが原因の一つであり、バビロニア捕囚以前の聖書資料の価値をまったく認めない「ミニマリスト」的聖書学の影響もあった。この立場では、イスラエルの北部(北王国)が確立されたのは100年ほど後のアハブ王の時代であり、南部(南王国)に至っては北王国が滅びた後の前七世紀になってようやく力をつけたと主張した。
しかし、ここ10年くらいの間にダビデやソロモンに関する資料は急増し、その理解は大きく変わった。ダビデ、ソロモンの存在を否定することは今では難しく、その王国確立の実態もかなり正確に復元できるようになった。
【強力なダビデの王国】
ダビデが、それまでの部族社会から抜け出し強力な統一王国を築いたことは、まずイスラエル最北端の遺跡ダンから1993年に発見されたアラム語の戦勝碑文から知ることができる。この碑文は、アラムの王がイスラエルに勝ったことを記念した石碑であるが、その一節でイスラエル王国が「ダビデの家」と呼ばれていたのである。この表現は、世襲的な王国をその創設者の名で呼ぶ習慣を反映しており、イスラエル王国はダビデという歴史的人物によって創設され、すでに確立された王国として周辺世界で認知されていたことを示している。「ミニマリスト」たちは、これを受け入れず、「ドードの神殿」と読み換えたり、この碑文を偽物だとするなど、苦し紛れの議論を繰り返したが、結局は顰蹙を買うだけだった。
強力なダビデ王国の存在を否定するI・フィンケルシュタインは、・・・以下省略(P64~65)

たったこれだけの文章の中にどれだけの問題が隠れているか、一般の読者が読んでも気づかずスルーしてしまうかもしれません。
まずはこの前半部分を問題にします。元証人さんがフィンケルシュタインはすでに時代遅れだとおっしゃるからには『発掘された聖書』を読んでいるはずですが、その『発掘された聖書』からフィンケルシュタインの主張を引用しておきます。
「テル・ダン碑文」にふれて

「前略・・・それゆえ、ダビデ家はその地域全体で知られていたのである。このことは明らかに、エルサレムにおいてユダ王朝の創始者となったダビデという名前の人物についての聖書における記述を確証している。」(P162)

あれれ?これではこの本の著者、杉本牧師の主張と同じじゃないですか!
そう、フィンケルシュタインはダビデ・ソロモンの「実在」にまで疑念を表明している訳ではありません。あくまで、「栄華と呼べるような強大な中央集権国家などではなかった」とおっしゃっているだけです。

私はフィンケルシュタインがダビデ・ソロモンの実在を否定したなどとはどこにも書いてませんがね。

しかし、フィンケルシュタインの低年代説は危機的状況にあるでしょうね。

KAO さんの発言:

とはいえ、元証人さんが勘違いしても仕方ないような不誠実な書き方を杉本牧師はしているのも事実です。それを以下にみてみましょう。
杉本牧師は「ダビデやソロモンに関する資料は急増し」と言いつつ、紹介される資料は1993年に発見された「テル・ダン碑文」一つだけです。私もそれくらいしか知りません。話盛りすぎです(笑)。

それは、あなたが単に無知であるだけでしょう。聖書を擁護する学者は何もひとつの根拠だけで判断するのではありません。ダビデとソロモンに関する考古学的な証拠については、あなたにも、てつてつさんに紹介したのと同じ、第1巻「徹底検証キリスト教 信じる根拠はどこにあるのか」(いのちのことば社)をじっくり読むようにお勧めします。

杉本牧師が不誠実ですと?
ここの掲示板の人々の偏った資料提供と解釈こそが不誠実なのです。


KAO さんの発言:

そして後半ではこの「テル・ダン碑文」を紹介しますが、意図的にかどうかは知りませんが、「ダビデの家」という表記が見られることだけを紹介し、これぞダビデ王朝の存在した証拠!と騒ぐのです。フィンケルシュタインさんはじめ、私たちはダビデ王朝の「存在」まで疑ってはいませんってば。

繰り返しますが、私はフィンケルシュタインやあなたが存在まで疑っているとは書いていませんので。

世の風潮として時には存在まで疑う者がいるのは確かです。時にはイエス様の存在さえも。

KAO さんの発言:

実際には、この碑文の片割れには、「ダビデの家」と並行して「イスラエル」についても言及されています。いうまでもないことですが「ダビデの家」とは南ユダ王国を指し、「イスラエル」とは北王国のことを指します。そして碑文ではその双方の王の名についてもふれられています。
私は石板の文字を読めるような専門家ではないので、印刷本の活字から試訳を掲げておきます。
「私は(ヨ)ラム、(アハブの)子、すなわちイスラエルの王を殺した。また私は(アハズ)ヤフ、(ヨラムの)子、ダビデの家の王を殺した。」

イスラエル王ヨラムとユダ王アハズヤが一緒に殺されたとなると、その犯人は同時代のアラム王ハザエル以外ではあり得ません(列王記下9章)。
もうカラクリをお分かりいただけたでしょうか?
この「テル・ダン碑文」はダビデ王国の証拠などではなく、明確に分裂王国時代の証言なのです。「ダビデ・ソロモンの黄金時代」などという章で出してくる資料ではないんです。次の4節に別に分裂王国時代の章があるんですから。

王国の分裂後の証拠があるなら、それ以前の分裂前の時代も確かにあったと考えるのが信仰者です。
そして、聖書考古学の分野では聖書を認める立場と否定派、中立派の人々が様々な視点から研究して発展してきた事は事実です。
しかし、あなた方のような否定派の意見だけを紹介し、自分の意見だけを正しいかのように伝え、信仰を持つ人々を軽視する態度が問題だと言っているんです。






KAO さんの発言:

この杉本牧師、こんな一般読者向けの「入門書」で、フィンケルシュタインはじめミニマリストたち対して露骨な憎悪を向け執拗な攻撃を加えていますが、杉本牧師と同じく、日本隊が行ったエン・ゲブ遺跡の発掘に参加した長谷川修一さん(「旧約聖書の謎」もこの著者)の著書『聖書考古学』(中公新書.2013)を併せてお読みください(ささらさんがよく引かれますね)。
そこでは同じ「テル・ダン碑文」について・・・
「結論を述べると、この碑文自体はダビデが歴史的に実在したことを直接証明するものではない。なぜなら「家」の創始者は伝説上の人物であったかもしれないからである。」(P153)と、なんとも慎重なご判断!フィンケルシュタインでさえ「ダビデの証拠だよ」と言っているのに・・・これこそ厳格なる歴史家としての態度というべきでしょうか。

ほかにも「ドード」という音訳についての悪意ある記事も取り上げたいところですが、もうこのへんで充分でしょうか・・・


「ダビデの家」の部分は、「ダビデ」ではなく「ドード(ヤハウェの称号)」とも読むことができます。
だとすればヤハウェを奉ずるダンの近くの町か聖所のことを指しているとも理解できるわけです。

「ダビデの家」にしろ「ドードの家」にしろ、その名前は、ダンが戦って敗北させたとされる勢力名として登場するわけですから、ヤハウェに従う強力な勢力が存在した事は間違のない事です。




KAO さんの発言:

誤解なきよう書いておきますが、私はフィンケルシュタインの信奉者などではございません。私は一貫して「考古学にはイスラエル史の全体像を描き出すような成果は期待できない」と申し上げています。発見・評価・再検討のサイクルが激しくて、考古学に頼った決定版のイスラエル史など、現時点では誰にも書けないんです。
かつてスタンダードとされたM・ノートの『イスラエル史』もJ・ブライトの『イスラエル史』も、私が学生時代にはすでに時代遅れになっていましたが、邦訳されたイスラエル史としては一番新しい『最新・古代イスラエル史』(有馬七郎訳.ミルトス.1993)でさえ、わずか6年後の1999年に全面改訂版を出し(邦訳なし)、すでに「最新」ではなくなっています。

元証人さん、サイトコピペや本丸投げもいいけど、もう少しマシな資料(またはご自身の意見)出してくださいよ。

決定版のイスラエル史を誰も書けないのであれば、あなた方の偏った資料提供や解釈も慎むように。
また、私が長谷川修一、その他の学者を引き合いに出しだとしても必ずしもその人物の意見に全て同意しているとは限らない。
ところが、てつてつさんや他の方は否定派の者や一部の学者が書いたものを見て鵜呑みにする傾向があるようです。

ソロモン神殿の遺跡は、イスラムの岩のドーム近くにあるため発掘が難しい事も最初から指摘してきた事です。



あなたも、もう少し人の書いた文章を読み取る力を付けて下さい。

#446 2017年01月20日 08:19:14

さやか666
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

まさかキメラ証人さんまでドン・ガバチョが実在したことを疑い出すとは思いませんでしたよ

きっと、頭のサイズに対して帽子が小さすぎるとか

よく観察すると手に針金のようなものがあることから「彼は操り人形に過ぎない」といった下らないあら探しをするのでしょうね

キメラ証人さんに限らず、先入観を捨てて

まずは調べてみてください

#447 2017年01月20日 08:35:48

元証人
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

まさか666さんまで神の存在を認めない発言をするとは。

サタンなら間近に神を見ていたでしょうに。やはり、神を否定して自らを神にしたいんでしょうね。ここの住民のように。

#448 2017年01月20日 09:10:24

ジョエル
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

さやか666 さんの発言:

変わらないために変化し続ける


http://www.kuronekoyamato.co.jp/smp/takkyubin40th


「主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。」


彼らは、ヤハウェが人をその像に造ったことを証しする者たちなのです


御霊も言う、「しかり、彼らはその労苦を解かれて休み、そのわざは彼らについていく」

#449 2017年01月20日 09:15:37

元証人
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

ささらほーさら さんの発言:
元証人 さんの発言:
ささらほーさら さんの発言:

最新の・・・とのことでしたので期待していたのですが

文章を書いておられる私市元宏(きさいちもとひろ)さんは1932年生まれで御年85歳になられる方ですね。
(以前のわたしに対する発言を考えると、とても元証人さんの考慮に値する年齢ではないのでは???)

で、ずっと長くクリスチャンやっておられる方ですから、やはり擁護寄りですよね。
それでも、
「ただし、その弟子が、ゼベダイの子ヨハネであるという確証はありません
伝承は、使徒ヨハネが、ヨハネ福音書の「著者」であったと伝えていますが、現在の学説では、使徒ヨハネがこの福音書の「著者」であることだけでなく、「イエスの愛する弟子」自体が、使徒ヨハネと同一人物であることさえも疑問視するのです。」
って書いてあるから、現在も懐疑的なことは認めてらっしゃいますよ。

今見たら、質問さん同じところ指摘していました。失礼しました。
行き違いね。
元証人さん、読解力身に着けてくださいね。


その文章を書いた人物の年齢など何の関係もない事である。
例えば、比較的若い学者が書いたものでも、従来の古い説を信じ、それを元に書いたのなら年齢など関係ない。


で、私が挙げた文章をよく読むように。

※「2000年以降の最近の傾向としては、それまでの聖書本文への過激な批判に基づく否定説は後退して、逆に古代からの聖書の「外的な」伝承が重視されるようになり、これに伴ってヨハネ福音書とヨハネ書簡とヨハネ黙示録をイエスの愛弟子一人の著作に帰して、しかもそれが使徒ヨハネ、あるいはこれに近い人物だという説が再提起されています。」


と、このように過激な批判に基づく否定説は後退している事を述べている。

で、私が最初書いた文章はこれである。


福音書は当時の共通語であったギリシャ語で書かれたと思いますが、マタイによる福音書はヒエラポリスのパピアスによれば最初ヘブライ語で書かれ後にギリシャ語に訳されたという事です。
その事を疑問視する人もおり、他の著書についても意見を異にする説も踏まえた上で私は、クレイグ博士の意見に同意します。ですから、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネが記したという意見に同意します。
※しかし、その教えに立つ教団内の側近が編集した可能性はあるかもしれません。


まず、社長が秘書を使って手紙を書いたとしたなら、書いたのは秘書でも、その手紙は社長の手紙である。

マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネなどが最初に伝えた教え、或いは文章があり、それを側近の者が纏めたとしても著者はあくまでもマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネなのである。


それを否定したいだけの者は偽書だとして信用できないものであるかのように考える。実に浅はかな事である。

また、ある者は、筆者が匿名であったとしても何ら価値が落ちるのではないと言いながらも大した信仰も持たない。

さて、弟子たちが無学な普通の人だった事が何か問題になるだろうか。

大工であったイエスは権威ある者のように教えました。弟子たちが普通の人であったとしても、イエス様の弟子となり、直接指導され、訓練されたわけですから、言わば最高レベルの神学校で学んだようなものです。


では、先に挙げた文章の結論を見てみましょう。





「したがってわたしたちは、この福音書の伝承の源となった人物を伝承に従って「ヨハネ」とだけ呼ぶか、あるいは同じヨハネ系文書に出てくる「長老ヨハネ」と区別する意味で、「始祖ヨハネ」と呼ぶのが最も適切でしょう。

※【しかし、主の愛弟子が始祖と同一人物であり、しかも使徒ヨハネであるという古来の伝承は、現代の様々な推定や想定よりも「確実とは言えないまでも、より確かに近い」と言えましょう。 】」


そうです。おたくらの『不確かな推測』よりも古来の伝承どおり(ここでは)使徒ヨハネであるというのが、「より確かに近い」という結論です。


少しは読解力を身に着けて下さいね。



そして、擁護寄りな意見が信用できないというのなら、あなた方のような否定する事しか念頭にない者らの意見こそ何の価値もないでしょうな。

ですからね、それら(「再提起されています」とか「確実とは言えないまでも、より確かに近い」とかいう記述)は、どう考えても信仰故の希望的発言ですよ。
何の根拠にもなっていないと申し上げているのです。
同じ希望を持っている方には、そういった発言は「一縷の望み」でしょうけれど、
証拠にはなっていません。

文章を書いた人物の年齢が関係ない事ぐらいは理解できましたか?


あなた方の聖書の信憑性を落とそうとする試みこそムダな事です。

信じない者の発言に過ぎません。

信じたくない者の希望的発言ですね。

#450 2017年01月20日 09:17:48

元証人
ゲストユーザー

Re: 信仰を維持する

そして最近は言語学者気取りですか。

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