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#51 2016年11月14日 03:12:47

akame
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

アブラハムの神(宗教)の産み出した果実を
吟味する為に本丸に進もうと思います。

昨今のヨーロッパの動きから、米国のトランプ新大統領誕生となり、いよいよナショナルリズムとグローバリズムとの衝突が深刻になりそうな情勢から、其々との関係性を無視できなくなってきました。

それで、単一神宗教が政治に利用され易い側面、歴史等を掘り下げ、私たちへの警告としたいと思います。それは、自爆テロが自爆する瞬間に叫ぶ「神は偉大なり」と無関係ではありません。


ベトナム戦争の時、アメリカ合衆国の司教達はこの戦争は十字軍遠征だと言いました。カトリック司教は北ベトナムの原子爆弾攻撃で南ベトナムのカトリック教会の防衛を望みました。また、プロテスタントの牧師キュンネト(Künneth)も、原子爆弾は隣人愛の為に使えると主張しました

1945年8月5日、パイロットが自分の母親の名前を命名したB29爆撃機「エノラゲイ」がティニアン島から日本へ向け離陸する直前、牧師が、次のように祈ったとされています。

「あなたを愛する者の祈りを聞き届けてくれる全能の神よ、お願いです、あなたの天の高さに向け、我々の敵と戦う乗組員を守って下さい。これからも我々はあなたを信頼しながらこの世の道を歩みます。」

#52 2016年11月14日 03:41:03

akame
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/unsok … 908_a.html

因みに私の父方の親戚のひとりは、原爆後遺症で苦しみ最近亡くなりました。

#53 2016年11月15日 12:12:40

大空の浪人
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

現代のイスラエルがかなり早くから核保有国であることも公然の秘密ですね。

#54 2016年11月15日 12:15:58

akame
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

時々、原爆を落とした側の人たちへのインタビューなどを見て思うのです。

宗教や信仰が必ずしも人間の救いに直結してはいないと言うことです。

「救いの定義」で変容する問題ですが、戦いの傷を癒し、心の平穏を与え得ることこそ、宗教の果たす役割のはずが、とてもそうは思えないことがあります。

不条理で残虐な行為に対する許しや責任を神やサタン、或いは組織や他者に丸投げし開き直り、元来の良心を押し殺させたりして

むしろ傷を増大させているように感じることが多々あります。

#55 2016年11月15日 14:51:58

akame
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

「信じる者には永遠の命、信じない者は滅びか地獄」

「創造主だから、自分を信じない者たちを極悪人と同じ死を与える権利がある」

「元々人間は、神から見ると生きる権利などなかったのだから」


聖書の様々な内容が裏づける、この教えの影響或いは受容は、実に多様な恐ろしい実を産み出してきたように思います。

この考え方が、色々な国家主義や覇権主義に取り込まれた歴史を振り返ってみれば、

個人として、組織にあろうと無かろうと、表面的な優しさがあろうと無かろうと、潜在的な影響があるように感じます。

#56 2016年11月15日 19:27:40

akame
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

心が通じ合い、怨恨が消えた時

そこが宗教を超えた

オアシスになるような気がします。

https://youtu.be/Dr6DdSUdnG0

#57 2016年11月25日 06:16:26

akame
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

彼ら(ユダの人々)はベン・ヒノムの谷にトフェトの聖なる高台を築いて息子、娘を火で焼いた。このようなことをわたしは命じたこともなく、心に思い浮かべたこともない。
エレミヤ書7:31

この聖書の神が述べたことはとても信じられません。

参考;人間を焼いて神に捧げる行為は
生贄、人身御供とも表されます。

https://kotobank.jp/word/%E4%BA%BA%E8%B … %9B-120377

人間を焼くことを命じた聖書の神

イサクの燔祭
旧約聖書の『創世記』22章1節から14節
1 これらのことの後で、神はアブラハムを試された。神が、「アブラハムよ」と呼びかけ、彼が、「はい」と答えると、2 神は命じられた。「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」 3 次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行った。4 三日目になって、アブラハムが目を凝らすと、遠くにその場所が見えたので、5 アブラハムは若者に言った。「お前たちは、ろばと一緒にここで待っていなさい。わたしと息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる。」 6 アブラハムは、焼き尽くす献げ物に用いる薪を取って、息子イサクに背負わせ、自分は火と刃物を手に持った。二人は一緒に歩いて行った。7 イサクは父アブラハムに、「わたしのお父さん」と呼びかけた。彼が、「ここにいる。わたしの子よ」と答えると、イサクは言った。「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。」 8 アブラハムは答えた。「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」二人は一緒に歩いて行った。9 神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。10 そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。11 そのとき、天から主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。彼が、「はい」と答えると、12 御使いは言った。「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」 13 アブラハムは目を凝らして見回した。すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていた。アブラハムは行ってその雄羊を捕まえ、息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげた。

聖書の神が人間の燔祭を受諾した例

列王第二3:27

まあ、意に沿わない人間を普通に焼き殺した神(以下ほんの一部)なのですから、ある意味違和感がない、とも言えます。

列王記下1:9そこで王は五十人の長を、部下の五十人と共にエリヤの所へつかわした。彼がエリヤの所へ上っていくと、エリヤは山の頂にすわっていたので、エリヤに言った、「神の人よ、王があなたに、下って来るようにと言われます」。 1:10しかしエリヤは五十人の長に答えた、「わたしがもし神の人であるならば、火が天から下って、あなたと部下の五十人とを焼き尽すでしょう」。そのように火が天から下って、彼と部下の五十人とを焼き尽した。
1:11王はまた他の五十人の長を、部下の五十人と共にエリヤにつかわした。彼は上っていってエリヤに言った、「神の人よ、王がこう命じられます、『すみやかに下ってきなさい』」。 1:12しかしエリヤは彼らに答えた、「わたしがもし神の人であるならば、火が天から下って、あなたと部下の五十人とを焼き尽すでしょう」。そのように神の火が天から下って、彼と部下の五十人とを焼き尽した。


その影響からなのか、人間も人を焼き殺して、その過去最大が広島長崎になるのでしょう。

#58 2016年11月25日 06:42:41

akame
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

このアブラハムに生贄を求めた神の話を、信仰の手本、高尚な信仰話にしているのが、ユダヤ、キリスト、イスラム教徒であり、

それが彼らにとっての信仰と云われることの根幹の一部なのです。

#59 2016年11月26日 22:28:27

元証人
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

akame さんの発言:

彼ら(ユダの人々)はベン・ヒノムの谷にトフェトの聖なる高台を築いて息子、娘を火で焼いた。このようなことをわたしは命じたこともなく、心に思い浮かべたこともない。
エレミヤ書7:31

この聖書の神が述べたことはとても信じられません。



聖書の神が人間の燔祭を受諾した例列王第二3:27


神はイサクの死を望まれたのではありません。アブラハムの信仰を試されたのです。


エレミヤ書/ 07章 31節
彼らはベン・ヒノムの谷にトフェトの聖なる高台を築いて息子、娘を火で焼いた。このようなことをわたしは命じたこともなく、心に思い浮かべたこともない。

当時、幼児犠牲を偶像(モレク等)に捧げることが広まっていたが(II歴28:3等)、南ユダでもこの異教的風習が行われていたのです。

そのような偶像に子供を捧げる事を命じた事はないという事です。

列王記下3:27

これは受諾ではありません。
不利な戦況を転換するためにモアブの王がモアブの神ケモシュに生贄を捧げた事が記されているのです。

列王記下/ 03章 26節
モアブの王は戦いが自分の力の及ばないものになってきたのを見て、剣を携えた兵七百人を引き連れ、エドムの王に向かって突進しようとしたが、果たせなかった。



列王記下/ 03章 27節
そこで彼は、自分に代わって王となるはずの長男を連れて来て、城壁の上で焼き尽くすいけにえとしてささげた。イスラエルに対して激しい怒りが起こり、イスラエルはそこを引き揚げて自分の国に帰った。

エリヤの件は、真の神ではなくバアルゼブブに頼ったイスラエル人の罪に対する神罰、裁きです。

#60 2016年11月26日 23:11:08

akame
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

>神はイサクの死を望まれたのではありません。アブラハムの信仰を試されたのです。


元証人さん

そうではなく、「殺して焼きなさい」と命じて試した「その手段」が野蛮で残酷な神の証拠なのです。

イサクは天使が止めなかったら、父親に騙され殺されたでしょう。

そのような残酷な試し方をする残酷な神は人類には不要です。

また、幾ら悪くても、人を処罰するのに焼き殺す神も不要です。万能なら余計に「手段に本質が出る」ものです。

私にはその残酷さと繋がった野蛮な神に対して信仰を抱くような神経はありません。

#61 2016年11月27日 06:28:32

元証人
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

もちろん、信仰を抱くかどうかは自由です。

しかし、火で罰する事は創造者の方法です。

エホバの証人は、愛ある神が人間が僅か数十年の寿命の中の限られた時間の中で罪を犯したからといって、永遠に地獄の火で苦しめる事などされるでしょうか?などと言います。

ですが、単に無意識、無存在になるだけなら、わざわざ人類を地獄から救うために御子イエス・キリストが地上に来る必要はなかったでしょう。

万物の創造主である独り子なる神、イエスご自身が単に天使を身代わりとして遣わすのではなく犠牲となって下さったのです。

どのように罰するかは命の与え主が決められます。
命を与えた創造者であれば奪う事も自由です。その方法に造られた者がどうこう言っても始まらないでしょう。

#62 2016年11月27日 08:24:52

akame
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

>命を与えた創造者であれば奪う事も自由です。

元証人さん

残忍な怒りの神の説明など、何万回唱えても私には無駄なことです。

「嫌がる相手にカルト的思考を押し付ける」それこそ、あなたの神の本質の反映なのです。

#63 2016年11月27日 08:55:04

ラハム
メンバー

Re: アブラハムの神の限界

>命を与えた創造者であれば奪う事も自由です。

わたしもこの発言には大きなショックを感じています。

というのは神が元証人さんの命を奪うことも自由で、
それがいかなる理由でも元証人さんは異議を
唱えないということでしょうか。

ちょっと話がずれるかもしれませんが、
障害者虐殺事件があってから、
障害者はいらないので除くべきだという
風潮が強くなってきたので、
わたしにも危害を加えられるかもしれないので、
行動を注意するよう友人から言われています。

障害者はいらないので除くべきだという人は
自分が障害者になる可能性があること、
そうなれば自分自身もいらなくなったとみなされ、
取り除かれるべき対象になってしまうという
視点が欠如していると思うのです…。

元証人さんがどのように考えるかは自由ですが、
わたしはその考えは承服できそうもありません。

オフライン

#64 2016年11月27日 09:01:10

akame
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

>火で罰する事は創造者の方法です。

だから脅迫しても改宗しなかった異邦人を次から次へと平気で火あぶりできたわけだ。

納得

#65 2016年11月27日 10:58:54

yukahena
メンバー

Re: アブラハムの神の限界

元証人 さんの発言:

神はイサクの死を望まれたのではありません。アブラハムの信仰を試されたのです。

本気でそうお考えですか?
元証人さんが信じている神は試さなければ信者の信仰がわからないのですか?全能なんですよね?

元証人 さんの発言:

どのように罰するかは命の与え主が決められます。
命を与えた創造者であれば奪う事も自由です。その方法に造られた者がどうこう言っても始まらないでしょう。

創造なるものも全く証拠が無いというのにそれを根拠にこの主張、一神教の独善性ここに極まれりといった感じですね。
殺人の正当化がすごいです。昔のキリスト教やさかのぼってはモーセ五書あたりの異教徒への迫害、弾圧は目を覆わずに入られませんが、現代のクリスチャンでも皆さんそうお考えなんですか?

私はころころ心情(および信条)が変わり、愛の無いきまぐれな神に従うよりは誇り高い死を選びます。

オフライン

#66 2016年11月28日 11:06:59

akame
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

yukahenaさんの書き込みで思い出したことがあります。

以下、インディオの歴史より

16世紀当時のハツアイと言うインディオ族長は、火あぶりになる前に宣教師から「洗礼を受ければ天国に行けます。洗礼をしますか。」と聞かれた時 、天国にはキリスト教信者がいるのかと質問しました。「勿論」と宣教師が答えると、「じゃ、結構です。そんな残酷な人と一緒になりたくない。仲間のいる地獄の方がいい。」と断りました。(ドイツ新聞taz,1987・2・21)

「インディオは人間か?」

これが15世紀から啓蒙時代までキリスト教関係者の間で議論になったと言います。

どうやら、当時のクリスチャンたちはインディオたちを「人間ですらない」無知な悪魔族と断定していたようです。同じ人間として見ていたなら、老若男女火あぶりしたり、嬰児の頭を岩で割ったりして、数百万人以上も殺すなどは到底考えられない仕業です。

『インディアスの破壊についての簡潔な報告 』(岩波文庫)ランカサスの報告等参照。

脳学者によると、普通人は他者をそこまで傷付けることを本能的に回避するらしいのです。しかし原理的(絶対化した)宗教や思想などに取り込まれると容易にリミッターが外れるようです。

どうやら、今でも類似した思考をする者たちは「自分たちは非クリスチャンまた組織に騙されたJWよりも優れた立場にいる、地獄(または滅び)行きは可哀想なので彼らを救ってあげないと」と思い込んでいるようです。

それで自分が聖書の神にでもなったようなつもりで移動し、ネット宣教に手を出しているように感じます。

特徴の一つ、表面は丁重で優しく利口そうですが、奥には冷徹さ(特有の平然さ)が見え隠れしています。

選択は自由ですが、付いて行く場合は、新たな抑圧や縛りの檻を注意、または覚悟しなければなりません。

#67 2016年11月29日 05:20:27

元証人
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

私が、神が命の与え主であれば奪う事もできると述べたのは、命を創造していない人間が他の人間を殺す事は許されないという意味です。

断わっておきますが、私は、いかなる暴力も反対です。

神は裁かれる時には理由があります。
私は公正な裁きだと考えています。

人間が他の人の命を奪うべきではありません。

もちろん、上からの権威として神が立てている警察、その他は別であり法的に裁く権威は有しています。(もちろん警察が全て正しいなどとは言いません。)

神は弱者の味方であり全ての人を愛しておられます。私達クリスチャンもそうでありたいと思います。

話は変わりますが、神はアブラハムが、ご自分に従うであろう事は分かっていたと思います。
アブラハムに試練を与えた理由は彼を成長させる意味があったのではないでしょうか。

アブラハムの子孫から人類を増やすと約束されたのですからイサクを殺す気はなかったでしょう。実際に殺してはならないと止めてます。

神はイサクの代わりに羊を備えられましたが、言うまでもなく、これは全人類を救うイエス・キリストを指しています。

神が、自分の深く愛する独り子を与えてくださったのです。

ここに神の深い愛があると言えるでしょう。

#68 2016年11月29日 07:23:00

akame
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

はいはい、その話なら幼稚園の時から聞いてます。

ゲジゲジが気持ち悪いと言ってる人に、どうでも食べさせようと?

頭がおかしいんじゃないかな?

#69 2016年11月29日 07:30:29

元証人
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

akame さんの発言:

はいはい、その話なら幼稚園の時から聞いてます。

ゲジゲジが気持ち悪いと言ってる人に、どうでも食べさせようと?

頭がおかしいんじゃないかな?

おはようございます。
無礼ではないですか?(笑)

あなたも自分の考えを書き、私も書いているだけですから何ら押し付けではないですね。

なるべく平和的に行きませんか?

あなたは元クリスチャン?

#70 2016年11月29日 07:36:06

akame
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

時間の無駄です。

#71 2016年11月29日 08:05:21

akame
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

野の花さん
> X'masまでに

とは、良いことありそうですね^^

#72 2016年11月29日 08:14:47

さやか666
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

仮定の話になっちゃいますが

いつまでたっても

アブラハムがイサクを捧げようとしない場合

やっぱりヤハの神様は

子供の目の前でアブラハムを火だるまにでもしたのかな


もしくは親子ともども?

#73 2016年11月29日 08:18:53

カレブ
Administrator

Re: アブラハムの神の限界

元証人さん

>話は変わりますが、神はアブラハムが、ご自分に従うであろう事は分かっていたと思います。
>アブラハムに試練を与えた理由は彼を成長させる意味があったのではないでしょうか。

試練を与えて成長させるという点でいうと
アブラハムの立場を母と娘で例えると、

女の子が子犬を飼っていて、生まれた時から可愛がっていたその子犬を
焼き肉が好きなお母さんが突然
その子犬を”火で焼いて殺せ”と命じるようなものです。

女の子を成長させるような試練だとすると、どのように成長するんでしょう?

この話を現代人でも美しいものとして理解できるようにするために
「これは神とみ子キリストの愛を物語で表現してる」という
解釈をつけるようになります。

ところが新約聖書の中にイサクの犠牲の話はヘブライ11章に出てくるのですが
ヘブライの筆者はそれを”アブラハムの信仰”の話として扱うのみにで
”キリストの犠牲”に当てはめて説明することはしていません。

その時点では”子供を犠牲にする”ことへの嫌悪感は
それほどなかったのであろうと思います。

人間を犠牲にすることに関して言うなら
エフタがエホバ神を喜ばせようとして”自分が戦争に勝ったら、帰宅して迎えに出たものを焼燔の犠牲にします”と約束した話を思い出します。
1世紀のユダヤ人のヨセフスによると、古代ユダヤ人には受け入れられても1世紀の人々には到底受け入れられるような感覚ではない、と述べています。

人類の良心は聖書の良心を超えてしまっており、逆に聖書の神の気持ち悪い部分を人間が取り繕おうとする状況になってしまっています。

まさに「アブラハムの神の限界」という部分かなと思います。

人間に慰められてしまう神ですが、
それでもキリスト教によってより良い人生を送る人がいるでしょうし
神の良い部分を抽出できる能力のある人がいるなら
”神に見習う”ことによって良い人柄を持てるのだろうとは思います。

オフライン

#74 2016年11月29日 12:20:32

さやか666
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

お父さん、お母さん、あなた達のちょっとした油断から可愛いあなたの子供さんたちの一生の不祥事につながる重大なことですので、私の子どもに限って、、、ということなしに常にやけどさせないように、やけどしないように気をつけて下さい。



1)やけどは予防できる

a)ポットにご注意

5歳以下の子供さんのおられるご家庭では、ポットの取り扱いには特に気をつけましょう。私たちのやけどの統計から見ますと、5歳以下の子供さんのやけどの原因は100人中80人くらいまでがポットのお湯によるものですので、ポットの取り扱いにはくれぐれもご注意下さい。

ワンタッチ式ポット、押せばすぐお湯の出る便利なポットほど危険です。最近では安全装置が付いていますので、きちんとロックしておきましょう。また、床の上に置いておくと、つかまり立ちを始めたお子さんのちょうどいい高さの支えになってしまいます。蒸気の吹き出し口に手の平があたったり、ポットが倒れたりして、やけどの原因になってしまいます。蒸気の吹き出し口があるものとしては炊飯ジャーにも気をつけましょう。

b)マッチ、劇薬などにご注意

お父さんがタバコを吸ったあと、ついマッチを畳の上に置き忘れたり、劇薬などを小さいお子さんの手の届くところに置いたため、思わぬ事故が起こることがあります。事故がおきてから、あわてふためいても仕方ありません。普段からの注意が大切です。

c)電気コードにご注意

歯の生え始めた子供さんたちは、はぐきがかゆいので、何でも口に入れて咬む習性があります。テレビ、ラジオ、アイロンのコードなどは置き場所をよく考えて下さい。アイロンなどは使ったらすぐに片づけるようにするのもやけどを予防する上に大切なことです。電流によるやけどは、口の周りばかりでなく、はぐきもまたこわされますので、非常に危険です。これらの危険物は子供さんたちの手の届かないところに工夫しておくように日頃から心がけて下さい。

d)なべ、かまの取っ手にご注意

食事の準備に忙しいお母さん!歩き始めた子供さんたちは特に好奇心が強く、なべ、かま、フライパンの取っ手が飛び出しいますと、何でもつかもうとします。小さい子供さんたちのおられるご家庭では、お湯を入れたなべ、かま、油を入れたフライパンなどの取っ手は、小さい子供さんたちの手の届かない位置にちょっと回しておく注意が必要です。

e)石油ストーブにご注意

冬になりますと、どこのご家庭でも石油ストーブをご使用になられますが、石油ストーブには十分い注意して下さい。

子供さんたちは遊びについつい夢中になってしまって、狭い部屋の中を駆け回り、石油ストーブにつまづいてやけどすることが多いのです。子供さんたちの習性から見て、じっとしていることができませんので、おとなしくしなさい!などとただ叱ってばかりいませんで、ストーブの置き場所をよく選んで安全と思われるところに必ず置いて下さい。ストーブの周りに金網を貼るのも一予防策かとも思われます。小さい子供さんのおられるご家庭では、ストーブの上にやかんをかけたり、ストーブの上でものを煮たりすることは非常に危険ですので、是非とも避けて下さい。わずかな節約がかえって大きな出費ともなり、大切な子供さんたちの不幸にもつながることともなるからです。

最近、都会では石油ストーブは少なくなりましたが、お正月やお盆で田舎に里帰りなどした時には注意しましょう。

f)風呂のふたにご注意

最近の風呂のふたは、プラスチック製のものが多く、見た目にはきれいですが薄いため、子供さんたちがこの上にちょっとでも足をかけますと容易に浴槽内に落ち、おおやけどを起こすことがよく見られます。風呂の中に落ちたやけどは広い範囲のため治っても後遺症が残ったり、最悪命も危なくなります。小さい子供さんのおられるご家庭では、むしろ木製のしっかりしたふたをご使用なされることが安全でしょう。

最近ではお湯の温度設定が一定できるユニットが広まり、安全になりましたが、お正月やお盆で田舎に里帰りするときには注意しましょう。

g)たき火、花火にご注意

一家をかまえておられるご家庭ではいろいろなごみが出て、その処理に困ることがあります。日曜日になどによくごみを燃やしている風景に出会いますが、これもまた注意して下さい。

土に穴を掘ったり、缶の中で火を燃やす方が多いと思われますが、小さい子供さんたちは遊んでいる内に、その穴の中や缶の中に落ち込むことがあり、おおやけどの原因ともなります。たき火がすんだら、必ず水をかけて、危険物を取り除くように注意して下さい。

また、夏になると、花火を手に持って楽しみますが、これも注意して下さい。先端に火がつかなくて、油断して、触ってしまうと手のやけどの原因になります。火によるやけどは深いやけどになるので、ご両親はお子さんが触らないように注意しましょう。

h)ナイロン製の洋服にご注意

ナイロン製の洋服、ブラウス、パジャマなどは見た目には豪華ですが、火がつきやすい(引火性)という点で注意が必要です。朝おきたてのねぼけまなこの状態で、ストーブやガスこんろの上に手を出したとたん、着火して、おおやけどを受傷してしまうことがあります。とく、そで口が広い、ひらひらした服には注意して下さい。

i)アブラハムの神に注意

最近減少傾向にある事案ですがアブラハムの神は気にくわないことがあると火を使う癖があり

お子さんの全身があっというまに真っ黒焦げになります

想像するだけで恐ろしいことですが

一部の支持者が褒め称えるので、本人も気に入っており記録は武勇伝として全世界に出版されております

初子とか処女というキーワードが好きなのでお父さんお母さんは気をつけてください

#75 2016年11月29日 12:31:22

元証人
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

また的外れな事を。

さやかさんもたまにはいい事も言うのに余計な事まで言うから台無しですね。

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