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#1 2016年11月14日 19:28:33

鬼太郎
メンバー

宗教・宗教団体と救い

このトピはメルさんのリクエストで立てました。
結論をだすことよりも、様々なご意見や見方、考え方をだしあうことに意義があると思います。
第一に提起したいのは、純粋にJW教理を信じて組織に従うJWに救いがあるか?
これは、確信犯の統治体とは区分します。(これはメルさんからの提起ですが、、)

オフライン

#2 2016年11月14日 19:35:12

元証人
ゲストユーザー

Re: 宗教・宗教団体と救い

キリストを神と認めず、聖霊の人格を認めないエホバの証人には救いはないと思いますけど。

#3 2016年11月14日 19:38:16

元証人
ゲストユーザー

Re: 宗教・宗教団体と救い

それに、異なる福音(偽の良いたより)を伝えてますから呪われていると思います。
それに、偽預言者に賛同しているわけでしょ?
神の言葉よりも統治体と呼ばれる宗教指導者の人間の教えを教えているわけですし。

#4 2016年11月14日 19:49:41

鬼太郎
メンバー

Re: 宗教・宗教団体と救い

元証人さん さっそく忌憚のないご意見感謝します。
JW教理は予言通りにハルマゲドンが到来しない限り、家庭を破壊し、信者の生活を苦しめることが多い
ことも事実です。

オフライン

#5 2016年11月14日 22:14:52

イーファ
ゲストユーザー

Re: 宗教・宗教団体と救い

折しも本日、幼少期から聖書を学び成人して洗礼を受けたカトリックに籍を置く、本人曰く「なんちゃってカトリック教徒」(実のところ、聖書を用いなかった時代のカトリックに疑問を持っていて、カトリック以外のキリスト教にも詳しい)の友人と宗教組織について話しをしておりました。

真の宗教組織とは、信徒の間にヒエラルキーのない組織であろうとの結論に達しました。
平信徒はお金も吸い上げられ、発言の自由もなく、ただ黙って従うのみ。異を唱えると異端審問。そこには愛などないじゃないか!と

#6 2016年11月15日 02:32:35

メル
ゲストユーザー

Re: 宗教・宗教団体と救い

鬼太郎さん

スレ立てありがとうございます。

やはり、統治体はすべてのメンバーが確信犯なのですか?
目的はお金を搾取することでしょうか?

#7 2016年11月15日 02:49:30

鬼太郎
メンバー

Re: 宗教・宗教団体と救い

仮に、最初は純粋な目的で聖書の音信を宣べ伝えようとしても、組織が拡大していけば、、。
つまり世界的な教団となれば、、、
そこにある教団の富と信者に対する権威、これは悪魔的な魅力です。
やがて組織拡大も限界となり、教理の無理 というかウソを隠すにもネットで暴露される
さらにスキャンダルがネットで暴露されれば、、、組織の存続が優先される体質に変わるものです。
残酷ですが、良心に背き、確信犯そのものである統治体は裁かれる側にいると思います。
では、JW信者は、、、、
騙されているわけですから、神様の憐れみという特質の恩恵も否定できないのでは?
以上が僕の現時点での意見です。

オフライン

#8 2016年11月15日 05:51:12

てつてつ
メンバー

Re: 宗教・宗教団体と救い

メルさんこんにちは 回答ありがとうございました 一応聖書が神の言葉で正しいとの仮定の上で自分の考えを書き込みます「ただ現在自分はキリスト教成立のなぞを解くなどのバートDアーマンさんの本を読み聖書は100パーセント正しいわけではないとの見方をするようになりました」

動機良ければすべてよし、エホバはそのような神だとも考えられるからです。

これはメルさんの希望的観測であって恐らくまちがいだとおもいます ウザは良い動機で契約の箱が地面に落ちないように支えようとしましたが 方法がまちがったのでエホバに殺されました(サムエル第二 6:6, 7) …するとウザは[まことの]神の箱に[手を]出して,それを捕まえた。牛がひっくり返しそうになったからである。7すると,エホバの怒りがウザに対して燃え盛り,[まことの]神はその不敬な行為のためにそこで彼を打ち倒されたので,彼はそこで,[まことの]神の箱のすぐそばで死んだ…

ただイエスも(ヨハネ 9:41) …イエスは彼らに言われた,「あなた方が盲目であったなら,あなた方には罪がなかったでしょう。しかしあなた方は今,『わたしたちは見える』と言います。あなた方の罪は残るのです…
といっておられるので 盲目つまり協会が偽りの組織だとしらずにいたのであれば罪がないつまり何らかの方法で救われる機会も神様から与えられるかもしれません しかし見えるつまり協会が偽りの組織だとわかっていて残っていればあなた方の罪はのこるつまり 裁きのときに生き残ることはできないと思います

さらに ウィリアムティンダルある聖書翻訳者の生涯という本の264ページには
ルターとティンダルは、真の行為がおのずと生れるのは真の信仰からでしかない、という新約聖書の教えを強調している。それは果実が樹より生じるのと同じである。更に、誤って行為に依存しすぎると、迷信的に宗教儀礼に頼ることにもなりかねない。だがこれは教会が、単に教会の役に立つようにと作り上げたものにすぎない。ティンダルが言うには、死ぬ時には、我々は神の約束を信じる信仰によって救われるのであって、聖なる蝋燭によってではないのだ。
と書かれているとおり 救いはイエスに対する信仰のみによってもたらされるもので何かの組織に属しているからとか 開拓奉仕をしているからとか長老だからという肩書きや行為によってもたらされるものでもないと思います
(エフェソス 2:8) 8まさにこの過分のご親切のもとに,あなた方は信仰によって救われているのです。そして,これはあなた方によるのではなく,神の賜物なのです…
それで自分の結論としては 聖書によると救われるのに必要なものはイエスに対する信仰だけで よい行いはそこから必然的に生まれてくるもので そのよい行いの一つにはあきらかにうそをついて信者さんをだましている「一例607年をもととする1914年の教理」偽りの宗教組織からでることも含まれると思います(啓示 18:4) …わたしの民よ,彼女の罪にあずかることを望まず,彼女の災厄を共に受けることを望まないなら,彼女から出なさい…
このカレブさんのサイトの情報やよかったら自分のサイトものぞいてみてください またよろしくお願いします

編集者 てつてつ (2016年11月15日 08:52:36)

オフライン

#9 2016年11月15日 08:13:40

ラハム
メンバー

Re: 宗教・宗教団体と救い

聖書にはパウロの改宗した実例も記録されています。
彼は本心からキリストの弟子たちを迫害することが、
神のご意志だと信じて実行していました。
動機はよかったのだろうと思います。
でも、正されたとき転向する必要がありました。
わたしも騙されている人たちの目が覚めるよう
神の力が働くことを願っています。

お医者さんはよい動機で患者を治療しますが、
それでも、間違えた治療をし
死なせるようなことになれば、責任を問われます。
神に仕えることも動機だけよいというのでは、
たぶん、不十分だと思います。

でも「救われる」ってよく言いますが、
どのような状態からどのような状態に移行すること
なのでしょうか。わたしにははっきりしません。
死んで、天国に行くことでしょうか…。

オフライン

#10 2016年11月15日 14:56:11

ぐん
ゲストユーザー

Re: 宗教・宗教団体と救い

メルさん

こんにちは。
統治体の目的や在り方については、元統治体のレイモンドフランズの記した「良心の危機」をお読みになることをまずお勧めします。
恐らくここに書き込みをされているほとんど全ての方はこの本を読んでおられるので、共通の土台を築き、より有意義な議論をするためにもお勧めします。
あとはてつてつさんも引用なさっている、アーマンの書物も、聖書そのものについて考えさせられる著書がたくさんあり、私も現在読んでいます。こちらもぜひ!

#11 2016年11月15日 17:52:52

希望
メンバー

Re: 宗教・宗教団体と救い

イーファさん

私も、信徒の間にヒエラルキーがあるのはおかしいと思います。
ご友人とまた良いお話合いが出来た時は是非教えて下さいね、
よろしくお願い致します。

オフライン

#12 2016年11月15日 18:08:02

希望
メンバー

Re: 宗教・宗教団体と救い

ラハムさん

「パウロはキリストの弟子たちを迫害することが神のご意志だと
信じて実行していて、知らないでしていたことだったが、
確かに、正されたとき転向する必要があった」というのは、
本当にその通りだと思います。
私も、騙されている人たちの目が覚めることを願っています。

「救われる」ことについては、皆さんの知恵をお借りして、
納得いく答えが出せると良いですね。
私も、皆さんの知恵をお借りしたいと思っています。

オフライン

#13 2016年11月15日 19:24:08

てつてつ
メンバー

Re: 宗教・宗教団体と救い

ラハムさん こんにちは

でも「救われる」ってよく言いますが、どのような状態からどのような状態に移行することなのでしょうか。わたしにははっきりしません。死んで、天国に行くことでしょうか

自分にもはっきり分かりませんが 聖書によるとそうだとおもいます「それがどんな状態かはわかりません」
(ヨハネ 14:2, 3) …わたしの父の家には住むところがたくさんあります。そうでなかったなら,わたしはあなた方に告げたことでしょう。わたしはあなた方のために場所を準備しに行こうとしているのですから。3そしてまた,わたしが行ってあなた方のために場所を準備したなら,わたしは再び来て,あなた方をわたしのところに迎えます。わたしのいる所にあなた方もまたいるためです

クリスチャンの希望は一つだと思います 地上の楽園で生きる大群衆というのはものみの塔の独自の解釈だと思います(エフェソス 4:4, 5) …あなた方が自分たちの召されたその一つの希望のうちに召されたのと同じです。5?主は一つ,信仰は一つ,バプテスマは一つです
元統治体の一員のレイモンドフランズさんも良心の危機の367ページで
天的な希望は信じる者なら誰にでもあるわけではなく、(一九三五年以来)地的な希望ということになった。キリストが表象物のパンとワインについて言った「私の記念としてこれを行ない続けなさい」という言葉はキリストが贈いの犠牲になったという信仰を持つ者すべてに当てはまるわけではない。これが聖書のどこにかいてあるのか  と述べています
また447ページで 元ギレアデの教訓者であったエドワード.ダンラップさんも
世界本部から追放されたエドワード・ダンラップがアラバマを通った時に寄ってくれた。六十九という年齢で人生をやり直すためにオクラホマ・シティに行く途中だったのである。話している時にこんなことを言っていた。「結局、やれることというと、クリスチャンとして生きていくこと、普通にできる範囲で他の人を助けてあげること、これ位じゃないかと思う。それ以上は全部、神の手にあることだ。」

といっています 統治体とギレアデの教訓者がいっているわけですから 平信徒だった私たちにはこれ以上分かりようがありません
わたしたちにできるのはできるだけ多くの正しい情報を得たうえで(テサロニケ第一 5:21) …すべてのことを確かめなさい…
自分の良心にそって正しいと思えることをできるだけして あとは神様にゆだねることだけだと思います つまり人事を尽くして天命を待つということだけだと思います

編集者 てつてつ (2016年11月17日 06:01:31)

オフライン

#14 2016年11月15日 20:31:05

元証人
ゲストユーザー

Re: 宗教・宗教団体と救い

JW教理は予言通りにハルマゲドンが到来しない限り、家庭を破壊し、信者の生活を苦しめることが多い
ことも事実です。

真のクリスチャンは、キリストの再臨(エホバの証人の言うハルマゲドン)がいつ来ようとも、来なくても備えができており動揺などしないと思います。

また、ハルマゲドンが来たとしても真っ先に滅ぼされる側にエホバの証人はいると思います。

#15 2016年11月15日 20:32:27

元証人
ゲストユーザー

Re: 宗教・宗教団体と救い

鬼太郎 さんの発言:

JW教理は予言通りにハルマゲドンが到来しない限り、家庭を破壊し、信者の生活を苦しめることが多い
ことも事実です。


引用でした。

#16 2016年11月15日 20:37:39

メル
ゲストユーザー

Re: 宗教・宗教団体と救い

皆様、様々なご意見ありがとうございます。

皆様の意見も一理あると思います。また、良心の危機は読んでいませんが、サイトで概要が一通り
読んだことがあります。が、致命的な欠陥にはどうしても思えないというところがあります。
ヒエラルキーに関しても人間の不完全さ故という理由で生じてしまっている部分もあるのでしょう。

鬼太郎さんに質問です。
組織を出てエホバとの個人的な関係はより一層深まりましたか?

そして、現在、エホバに仕える業としてはどのような活動を行われていますか?

組織に関しても、これほど世界的な一致をもって、体系立てて活動している
組織などほかにないように思います。ほかのクリスチャン組織があれば
教えていただきたいです。これを官僚制というマイナス面を考えれば
そうなるかもしれませんが・・・。

#17 2016年11月15日 20:44:46

メル
ゲストユーザー

Re: 宗教・宗教団体と救い

動機良ければすべてよし、エホバはそのような神だとも考えられるからです。
これはメルさんの希望的観測であって恐らくまちがいだとおもいます ウザは良い動機で契約の箱が地面に落ちないように支えようとしましたが 方法がまちがったのでエホバに殺されました(サムエル第二 6:6, 7) …するとウザは[まことの]神の箱に[手を]出して,それを捕まえた。牛がひっくり返しそうになったからである。7すると,エホバの怒りがウザに対して燃え盛り,[まことの]神はその不敬な行為のためにそこで彼を打ち倒されたので,彼はそこで,[まことの]神の箱のすぐそばで死んだ…

ウザがなぜ打たれたかの理由ですが、ものみの塔の説明では、僭越な心をエホバがご覧になられたという説明でしたね。
それを真と仮定すれば、エホバはその動機を吟味されて、その動機の邪悪さゆえにウザを打たれたということになります・・。
これもものみの塔の解釈に基づくものですけれどね・・・。

#18 2016年11月15日 20:59:18

鬼太郎
メンバー

Re: 宗教・宗教団体と救い

命と死 祝福と呪い といった旧約の父なる神
そして新しい約束 契約の御子であるイエス

JW時代は、ひたすら二元論の父なる神エホバとの関係でした。
脱会後は、カトリックやプロテスタントの見方も受け入れるようになりました。

同じ教え 同じ聖書の基準を世界的に広めている これぞ唯一の神の組織の証拠では?
たとえ、命の危険があっても神の掟を守る これは凄い!
特に戦争中でも中立の立場を保ち、たとえ死刑となっても徴兵忌避する。
これは本物の宗教だ!
これがJWになった動機の一つです。

しかし、その基準そのものが聖書的でないものも含まれているならば、、、
それがカルト組織のマイコンの強化のためだったとしたら、、、
残念ながら救いの音信、良い便り 福音ではなく、、、、
昔流行した 不幸の手紙と同じです。

例として、輸血拒否を神の掟と幼い子供達に教え込んだ結果、無駄に死んでいった多数の子供達は
どうなるのでしょうか?
ノアの日の全地球が水球になったという事実はありません。
つまり、ノアの洪水後に肉食を許可した条件として血を禁じた というのはストーリーです
その後の律法の説明のためでしょう。

同じ教え基準を世界的に伝えていることは、客観的に見て凄いと思われますが、
その内容まで考えると、組織とその業だけで必ずしも神の組織の証拠とは言えないのでないでしょうか?

オフライン

#19 2016年11月15日 21:20:46

てつてつ
メンバー

Re: 宗教・宗教団体と救い

メルさんこんにちは 書き込みありがとうございます

ウザがなぜ打たれたかの理由ですが、ものみの塔の説明では、僭越な心をエホバがご覧になられたという説明でしたね

そうだったんですか 自分はよく知りませんでした 証人時代によく個人研究していなかったせいですね  確かにエホバは心をご覧になる方ですので 私たちには分からないよくない心もわかるのかもしれません

ただ このウザの件については 聖書を普通に読むならば
(民数記 4:15) …「こうしてアロンとその子らは,宿営が出発するときに,聖なる場所と聖なる場所のすべての器具とを覆い終えていなければならない。その後にコハトの子らは中に入ってそれらを運ぶのであるが,彼らは聖なる場所に触れてはならない。それによって死ぬことのないためである。これらが会見の天幕においてコハトの子らの担う荷である…
とのエホバ神のご命令に「つまり契約の箱は棒を通してレビ人が担いで運ばなければならなかった」従わなかった つまり不敬な扱いをしたということだと思います
後にダビデは原因が分かって
(歴代第一 15:2) 2そのとき,ダビデはこう言ったのである。「レビ人のほかはだれも[まことの]神の箱を運んではならない。彼らこそエホバが,エホバの箱を運ばせ,定めのない時までもご自分に仕えさせるために選ばれた者たちだからである…
正しくレビ人に担いで運ばせることにより無事に到着させることができました
それで 動機も大切ですがエホバ神のいわれる手順を守ることも大切かと思いました
ティンデルの聖書注解のその部分でも動機が原因ではなく方法の問題であると書かれていると思います

あとメルさんに質問ですが エルサレムの滅びの年が前607年でなくとも協会が神から任命された組織だと思いますか

編集者 てつてつ (2016年11月16日 06:35:47)

オフライン

#20 2016年11月16日 00:25:23

希望
メンバー

Re: 宗教・宗教団体と救い

てつてつさん

エゼキエル 9:3ー4「都の中,エルサレムの中を通れ。
その中で行なわれているすべての忌むべきことのために嘆息し,
うめいている者たちの額に,あなたは印を付けなければならない」
という聖句もとても興味深い聖句でしたが、
サムエル第二 6:6ー7とヨハネ 9:41の聖句も興味深いですね。
また、ヨハネ 9:41の聖句の説明はとても分かりやすいです。
私も使わせて頂きます。
てつてつさんのブログも読ませて頂いていますが、
皆さんを助けたいと思われている純粋な気持ちが表れていると
思いますし、とても理解しやすいです。

「クリスチャンの希望は一つ」については、私も同じ考えです。

ガラテア3:26-29
キリストへのバプテスマを受けたあなた方は皆キリストを身に着けた。。
あなた方は皆キリスト・イエスと結ばれて一人の[人]となっているからです。。
キリストに属しているのであれば。。。約束に関連した相続人です

エフェソス1:12-14
あなた方の救いについての良いたよりを聞いた後,
この方(キリスト)に望みを置きました。そして信じた後,やはりこの方により
約束の聖霊をもって証印を押されたのです。。。

バプテスマを受けたすべてのクリスチャンに、天の召しへの希望があると
書かれています。

もう一つの救いについてですが。。。

コリント第一6:2
聖なる者たちが世を裁く
(世については、ヨハネ17:16で「わたし(イエス)が世のものではないのと
同じように彼らも世のものではありませんと説明があります)
楽園で聖なる者たちが裁くのは、一般の人たちに対してだと思います。

マタイ5:5
温和な気質の人たちは幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。

この聖句でも、救われる人たちがイエスの弟子だと言及していません。
ですから、啓示7:9に書かれている「すべての国民と部族と民と国語の
中から来た,だれも数えつくすことのできない大群衆」は、
イエスの弟子ではなく、一般の人たちと考えられると思います。
それを裏付ける他の聖句もあります。
私はこのように希望を持っています。

ところで、てつてつさん、サタンは、神の存在は認めていても、
神について中傷・誹謗をしているのですが、では、現代においても
神の存在は認めていても、神への中傷・誹謗を繰り返している人たちに
ついて言及している聖句はあるのでしょうか?
もし知っていましたら、是非教えて下さい、よろしくお願い致します。

編集者 希望 (2016年11月16日 09:45:35)

オフライン

#21 2016年11月16日 06:30:19

てつてつ
メンバー

Re: 宗教・宗教団体と救い

希望さん こんにちは 書き込みありがとうございます ちょっと自分にはわかりません みなさんいかがでしょうか

オフライン

#22 2016年11月16日 06:39:50

元証人
ゲストユーザー

Re: 宗教・宗教団体と救い

こんなところでしょうか。


イザヤ書/ 45章 09節
災いだ、土の器のかけらにすぎないのに/自分の造り主と争う者は。粘土が陶工に言うだろうか/「何をしているのか/あなたの作ったものに取っ手がない」などと。

#23 2016年11月16日 07:54:58

ラハム
メンバー

Re: 宗教・宗教団体と救い

てつてつさん、メルさん
ウザに関して次の記事がありました。
ウザに関しては僭越さや不敬がよくないという
代表例で出版物に引用されていますね。
ほかにもたくさんあるのですが、
以下の引用がいちばんわかりやすそうです。

*** 塔05 2/1 27ページ 21節 エホバは常に正しいことを行なわれる ***
すでに述べたとおり,エホバは心を読むことがおできになります。神の言葉がウザの行ないを「不敬な行為」と評していることからすると,この記述に明示されていない何かの利己的な動機をエホバは見ておられたのかもしれません。もしかしたらウザはせん越な人で,しかるべき境界を踏み越える傾向があったのでしょうか。(箴言 11:2)あまり目立たずに家族として守ってきた箱を公の場で先導するということで得意になり,うぬぼれてしまったのでしょうか。(箴言 8:13)ウザは信仰に欠け,エホバのみ手は短すぎて,ご自分の臨在を象徴する神聖な櫃を押さえることもできないと考えたのでしょうか。いずれにしてもわたしたちは,エホバが正しいことを行なわれた,と確信できます。おそらく,何かよくないものがウザの心にあるのを見抜いておられ,それが速やかな裁きを下す理由となったのでしょう。―箴言 21:2。

オフライン

#24 2016年11月16日 08:08:12

ラハム
メンバー

Re: 宗教・宗教団体と救い

救われた状態について次の聖句を思い出しました。

…[神]はわたしたちを闇の権威から救い出し,
ご自分の愛するみ子の王国へと移してくださいました。
-コロサイ 1:13
この「権威」というところは別の翻訳では
「支配」となっていました。

この聖句を書いたのがパウロだとすると、
この時点で彼は天に行っていないのは明白です。
ですから地上で生活していても、
王国の影響下で生きるようになれば
ある意味救われた状態に移行したことになるのかもしれません。
究極的には天国に行くことでしょうか…。

オフライン

#25 2016年11月16日 13:34:27

ジョエル
ゲストユーザー

Re: 宗教・宗教団体と救い

>エホバに仕える業としてはどのような活動を行われていますか?


「神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。」(伝道の書3章11)

知識や技術、芸術、思想(宗教含め)の蓄積と変化に終わりはありません。聖書的に表現するなら、それらも無限と創造の御業の一部だからです。人ひとりは「土の器」であるゆえに限界がありますが、種としての人間の可能性に限界はありません。

と書くと大層ですが、クリエーターとして名や業を残す才がなくても、才能ある人のコンサートに行く、美術館めぐりをする、新しい料理のレシピを考えて家族を喜ばせる、クックパッドで世に広める、親として子を育て人としての情念を伝え残す、こういう普通に思えることも、信仰者にとっては「主にあって」なされるとき、主の御業です。

進化論として表現するなら、人間は(人間だけが特別ではないですが)常に「無限の始まり」に生きていて、創発が生み出す無限の可能性も「見きわめることはできません」。


「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。」 (ヨハネ福音5章17)

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