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#1 2016年03月16日 23:36:18
- 1,000時間奉仕者
- ゲストユーザー
どこから間違ったのか?
* そもそも「エホバの証人」「ものみの塔」なんて最初から間違ってる、嘘っぱちだ、とお考えの皆さんにとってはあまり意味のないトピックなのでシカトして下さい(もちろん投稿を拒否するものではありません)
************
何十年も交わってきた私ですが、ここ一年の私生活でかなり大きな変化があって、JW を外からボーッと眺める機会に恵まれました。
現在も在籍する会衆で現実に起こっていることを内側から見、ここの掲示板の皆さんのいろんなご意見などと照らし合わせて、じーっと考えました。
何だかんだと批判を浴び続け、人が死んだりさえしているJWですが、私はキライにはなれないんですよね。幼少期から親に受けた教育は決して悪くなかったし、仲間の役に立つ喜びも、世間様からの一定の評価もいただいて、それには素直に「ありがとう」です。
でも……
いつの頃からか、「なーんか変」「なーんか違う」と引っ掛かる回数が増えているのです。
分かりやすい例としては昨今、急激に進む「iPad」依存型運営。そしてテレビに出たがりになった7GB(ギガバイトじゃありませんよ (笑)の皆さんたち。
末端現場には(フリなどではなく)本当に自分のことはそっちのけで身を粉にして働く、敬意に値する兄弟姉妹が大勢います。頭が上がりません。こんな信者たちを産み出したのは聖書の真理や会衆での教育であるのはほぼ間違いない。
ってことは、過去のある時点までは「JWは良かった」ってことだよな……。
いつからだ?
どっから歪み始めたんだ、我々は?
申し上げたいこと、伝わってますかね……?
#3 2016年03月17日 00:10:21
- YY
- ゲストユーザー
Re: どこから間違ったのか?
初めまして、こんばんは。
1,000時間奉仕者さんのおっしゃる事にとても共感できます。
私は生まれた時から、母に連れられて集会に通っていた元二世です。
4年程前に排斥され、今に至ります。
もう実はエホバの組織の教えや神の存在などを何一つ信じていない状態ですが、ひとつだけ揺るがず感じていることは、とても良い育て方をしてもらったんだなぁという事です。
心の根底にある、道徳心や人としての振る舞いなどは多分聖書の教えのおかげだと思います。
無理やり集会や奉仕に連れ回してくれた母に、当初は怒りを感じる事もありましたが、排斥された今でも、聖書に沿った育て方には本当に感謝しています。
私の考えなので、軽く聞き流してもらえれば幸いですが、結局は人間の組織なのでこういう歪みやズレが生じてくるのかなと思いました。
同じエホバの証人でも、国や地域によってルールが全く異なる事もあるので(ローカルルールってやつですよね)ある所では禁じられてる事も、場所が違えばそんなにお咎め無しだったり…
結局人間が支配、組織している時点で不完全なのかなと。
その中でも、本当に善良で素直な人たちが組織に騙され、真剣に神のみ名をふれ告げるために身を粉にして働いている姿を見ると、本当に邪悪な組織だなぁと嫌悪感がふつふつと湧き上がります。
#4 2016年03月17日 16:18:27
- yangmask
- ゲストユーザー
Re: どこから間違ったのか?
はじめまして。私は、元エホバの証人の擁護・改革派です。(基本教理は擁護、しかし、現行組織の方針は改革するべきとの立場)。
おっしゃる意味は分かりますよ。JW組織が大きく変わったのは、1970年代に「統治体」という複数男子制の統治スタイルになってからですね。それまでは、ご存知のように、初代会長C・T・ラッセル、二代目J・F・ラザフォード、三代目ネイサン・H・ノア、という一男子制でした。
統治体への移行は、レイモンド・フランズ氏の著書に詳しく書いてありますね。以下は、その日本語訳です。
http://www.jwic.info/franzbio.htm#5
-
しかし、聖書の歴史は、どの時代も圧倒的に「一男子制」だったはずです。ノア、アブラハム、モーセ、ヨシュア、ダビデ、そして、イエスなどがそうでした。一人の男子、目に見える代表者を用いて民を治める・・・、これがエホバ神の統治スタイルであると考えるべきでしょう。実際に、この組織が立ち上げられた時、つまり、ラッセル兄弟の時代はまさにそれだったわけですしね。
ところが、1970年代に、統治体という制度が持ち込まれました。これは、はっきり言うと、民主主義の制度ですよね。決定は多数決で行われますし。
話が長くなるので、詳しくは、私の見解を読んでみてください。
https://sites.google.com/site/jwbiblepr … ang-de-dui
-
つまり、それまでの会長による単独統治時代には、会長のバックに、主イエスご自身がおられたはずです。ところが、統治体による複数男子制になってから、イエスはそこを退かれたものと思われます。事実、彼らは、「会長 ー 主イエス」による統治を退けたからです。
これは、サムエル第一8章で、イスラエルが王エホバを退けて、人間の王を求めた時と同じだと思います。同様に、主イエスは謙遜にも、民の意向を受け入れ、ご自身の身を引かれたのでしょう。
JW組織の中でいろいろな不祥事が囁かれ始めたのは、この時期頃からではないでしょうか?
#6 2016年03月17日 19:13:12
- akame
- ゲストユーザー
Re: どこから間違ったのか?
>それまでの会長による単独統治時代には、会長のバックに、主イエスご自身がおられたはず
えー!?
リサーチ リサーチ
#8 2016年03月17日 21:46:59
- yangmask
- ゲストユーザー
Re: どこから間違ったのか?
アンチの皆さんの反対論や、歴代会長に対する批判等も承知していますよ。しかし、このトピックの出発点は、
「ってことは、過去のある時点までは「JWは良かった」ってことだよな……。
いつからだ? どっから歪み始めたんだ、我々は?」
・・・というところ(段階)からですから、頭ごなしに「JWはそもそも神の組織なんかじゃない!」みたいな論調で叱責されても話になりませんよ。もし反対意見があるなら、このテーマに沿った形で提出されるのが論者としてのマナーだと思います。
とはいえ、元JWの覚醒者の皆さんからすれば、生ぬるい! JWとは決別すべき!と感じるかもしれませんね。でも、何事にも段階があります。現役、元JWも、その段階は十人十色です。その中には、まだ半分はJWを信じているけど、半分はおかしいなと思っている半熟覚醒者だっていることでしょう。そういう人を「排斥」したり、「忌避」するのではなく、もっとおおらかになり、その人の思考段階に応じて一緒に考えてあげてもいいんじゃないでしょうか?
ーーーーー
ところで、私は、少なくとも第二次世界大戦、特にナチス・ドイツ支配下で忍耐したエホバの証人の兄弟姉妹の多くが、1世紀の初期クリスチャンと同じ精神、同じスピリッツを抱いていたと評価しています。それは、戦後、鉄のカーテンの向こうで忍耐したソ連の兄弟姉妹もそうでした。これは会衆にまだ聖霊が十分に働いていた証拠と見てよいと思います。
しかし、考慮すべき点として、JW組織の腐敗進行度は、確かに、世界的に見て地域差があるのが現状ですね。宣べ伝える業が早く始まった地域ほど、腐敗が進んでいます。また、同じ国でも、田舎よりも都市部の方が腐敗している率が高いでしょう。腐敗度とは、つまり、世の霊によって会衆が汚染されているその度合のことです。(前節の聖霊と対比してください。会衆に対して、聖霊が働く割合と、世の霊が働く割合によって、その腐敗率が決まるということですね)。
#10 2016年03月19日 00:16:06
- 1,000時間奉仕者
- ゲストユーザー
Re: どこから間違ったのか?
* 言い出しっぺの本人が留守にして書き込まないうちにたくさんの投稿、ありがとうございます。
まず最初にお願い:
#8でヤングさんが引用して下さったように、
>しかし、このトピックの出発点は「…ってことは、過去のある時点までは JWは良かった」ってことだよな……。いつからだ?どっから歪み始めたんだ、我々は?」というところ(段階)からです
に、ほぼすべてが凝縮されています。
ガチで調べようとしたら、それこそラッセル兄弟の諸先輩方まで疑ってかからなければなりませんし、そもそも1800年代の生き残り証人もいなければ、アーカイブ資料も誇張表現や不都合な事実の隠蔽がゼロとは言い切れません。
つまりは今できる道理にかなった手段は2016年現在に生きる我々の目が届く・手が届く範囲内のいつかに「どこで間違ったのか」を考えることだと思っています(もっと良い案があったら提案ください)
一口に「我々」とか言っても年齢やJW歴にかなりの開きがあります。私などは決して新人ではないものの、例えばノア兄弟の死去の発表を集会で聞いた記憶がある、と言った程度の古さです。暮らしていたのは沼津ベテルからはるか遠くに離れた地方で、財閥系の大企業社員だった未信者の父の冷ややかな扱いを受けながら、比較的熱心な母親に連れられて集会や大会や野外に通っていました…まぁ身の上話はこのくらいにして……
なので例えば、同時期に親しくしていた非・長老関係の友人のほとんどは、1970年代の研究記事に載っていたピラミッド組織図を見ても「トーチタイって何? チョーローダンって何? 『塔』会長がいなくなるの? ウチの会衆でいちばん偉いのって誰???」程度しか分かっていなかったはずです。
つまり私も含め、「統治体発足・前」と「後」がどう違うのか(どう変化したのか・凋落?したのか)比べようにも判断材料がないんですね。
というわけで(むかし聞いたことがあるメッチャ古い経験・資料とかは今回おいといて)、現在の末端の我々でも実感できる出来事、雰囲気、取り決め、入手容易な出版物…etc を中心に「JWはいつ・どのあたりから劣化し始めてきたのか?」を検証するのにお付き合いいただける方、ご協力お願いします <(_ _)>
* あ、会衆内の個人間の不信とか仲違いについては(少々混じる分には構いませんが)、できるだけ触れないようにしていただければと思います。スレッドが荒れる原因になりそうなので……
#11 2016年03月19日 05:28:00
- yangmask
- ゲストユーザー
Re: どこから間違ったのか?
そうですね。ところで、上で挙げたレイモンド・フランズ氏の著書は見てみましたか?
彼は元統治体の成員で、4代目のフランズ会長の甥ですね。私見も多少入っているとはいえ、だいたい1970代あたりの組織中枢の内情が詳しく書いてありましたよ。
#12 2016年03月19日 07:32:32
- ルート
- ゲストユーザー
Re: どこから間違ったのか?
過去のある時点まではJWは良かった。
1975年問題の直前に、信仰をきちんと培うのをすっ飛ばして、終わりを怖れて慌てて入信したタイプの人たちの一部が、成り行きでプライドだけで居残って、ローカルルールに各自の見解を都合よく押し付けたりした結果ではないですか?
#13 2016年03月19日 11:15:53
- 1,000時間奉仕者
- ゲストユーザー
Re: どこから間違ったのか?
>ヤングさん
はい、かなり早い段階で読みました。まだインターネットなんて一般に流布されていないし、CDのWTLすらなかったころです。
地元のジュンク堂のエスカレーターで上の階に昇りきると、目の前にデーンと平積みされた本の表紙に(普通の日本語としてはあまり馴染みのない)“良心” の文字と “フランズ” の名が。
「フランズって会長とおんなじ名前だな、A・H・マクミラン兄弟みたいに世俗の出版社から商業ベースで自伝でも書いたのかな? ヘンなの。……レイモンド? レイモンド、レイモンド…どっかで聞き覚えがあるんだけど、どこでだっけ……」
で、アッと思いだして古い出版物の束を引っ張り出し、黄ばんだ「宣」1980/9の発表欄に「◆ 統治体の成員の一人であったレイモンド・ビクター・フランズ兄弟は1980年5月22日から統治体およびブルックリン・ベテル家族の成員から離れたことをお知らせします」の無機質な一文を見つけたわけです。
発表文を読んだ当時は、とにかく何のことやらサッパリ意味が分かりませんでしたし、母に聞いても答えてくれませんでしたし、集会のプログラムでもノータッチでした(そのころの奉仕会って他の用事がやたらと忙しくて、全く扱われない記事やコーナーが珍しくもなかったので特に追求もしませんでしたが、内容のキテレツさは妙に記憶に残っていたんですね)
再度ジュンク堂に行き(エロ本でも見るかのようにやましさを感じながら)ザーッと立ち読みしました。いわゆる暴露モノなのはすぐ分かりましたし、批判ありきなのは明らかでしたからその時はそれでおしまい。
その後10年以上経って(のちほど別の機会に詳しく書きますが)“右往左往” し始めた統治体の体たらくにいいかげん愛想が尽きかけたころ、村本治 氏のダイジェスト版を目にしてオリジナルを読む踏ん切りが付き、アマゾンで買って読破しました(高かったですね~あれ(^^;)。四、五千円はしたっけか……)
「ウソっぱちだ!」などと全面否定するつもりはありませんが、何しろクロスチェックを入れる方法がありません(会話のやり取りとかセリフの正確さとか)ので、読んだことを丸呑みするのはやめておこうと思っています。べつにこの本に限ったことではなく、私は読んだり聞いたりしたものに対して常に何%かは疑ってかかることにしているだけです。
ただ、レイの(あるいは出版者たちの)真摯さはハッキリ伝わってきました。そして「そうか、そうだろうなぁ、十分あり得る話だよなぁ」という良い判断材料の一つに加えています。
>ルートさん
そうですね、私も1975年前後のあの時期を無視しては語れないだろうと思います。決定打になったとまでは言えませんが、私の思考パターンを堅固に形作った要因でもあります。
ただ(幸か不幸か)母も私の会衆の大多数も、’75に踊らされてチョー馬鹿なことに走ってしまったわけではありませんでした。母のバプテスマは ’75よりも少し後(つまりあの混乱期に研究を始めて、成就しなくて脱落していった人々の姿も数例見たはず)ですから、“覚悟の上で” 進歩していた、ということになります。
私がまだうんと若かった(記憶が薄い)こと、また日本では相変わらず右肩上がり状態だったこともあり(一時的に微減したんだっけ?)、個人的には ’75は大打撃とは呼べない、と感じています。
ご指摘、ありがとうございます。
#14 2016年03月20日 01:07:49
- さばかん
- ゲストユーザー
Re: どこから間違ったのか?
1,000時間奉仕者さん、はじめまして(^^)
私も組織がなぜ変わっていったのか考えたことがあります。
ちょっと論点がずれるかもしれませんが、一つ感じたのは一般的な企業のライフサイクルと同じようなものではないかということです。
創業期・成長期・円熟期・衰退期というように変化していくわけですが、私は90年代でしたが周りは元気な方も多くイケイケな雰囲気だったような気がします。
その後、増加率も伸びなくなり円熟期のような期間に入り、そして現在では衰退期にさしかかっているのかなと思います。
衰退期になると、新たな分野の開拓(新興国での宣教やiPadやブロードキャスティングなどの目新しい発表?)などで組織を維持させることが必要になり、
現在では次々と手を打っているように感じます。
ただ、周りの方を見ていると高齢化が進んだり疲れが見えている方も増えていますし、さらに金銭的にタブレットなど買えなかったりする状況も目にするので、これからどうなっていくのか・・
#15 2016年03月20日 06:55:55
- yangmask
- ゲストユーザー
Re: どこから間違ったのか?
確かに。私もJW組織には成長パターンがあると思っています。つまり、「拡大→腐敗→精錬→拡大・・・」というような。詳しくは、下記リンクの前半の説明を見てみてください。
https://sites.google.com/site/jwbiblepr … christians
-
それから、JW組織の腐敗浸透率は地域差があるわけですが、日本の場合、北海道の広島会衆事件(1985年頃)に対する日本支部の対応などは、一つの指標になるかもですね。
#16 2016年04月09日 15:55:47
- 通りすがり
- ゲストユーザー
Re: どこから間違ったのか?
人はだれでも間違いをします。
そして、本当に純粋な人は、自分から正直に告白し、“罪”を完全に克服できる自信がなければその自信がない、と審理委員に正直に言う結果、排斥になります。
一方、よこしまな人は自分の罪のゆゆしさを絶対に認めませんし、告白などしません。ゆえに組織に残ります。
また、本当に組織のことを考える人は、ここを正したほうがいい、ということを率直に言い表わし、行動します。その結果、不従順とせんえつゆえに制限され、除かれます。
一方、何も考えず、ただ従っていればいいと考える人は残ります…
これが10年、50年つづくと、現在のようになります。つまり、正直で素直な物言う良心の人は組織からいなくなり、罪を隠し通す盲従者の割合が異常に高くなる、という結果です。
小さな間違いはだれでも犯します。たとえば医者からもらった薬を、症状が似ているからと第三者に勝手にあげると薬事法違反になります。宅急便に手紙(信書)を入れるのも違反、その他駐車違反や後席非シートベルト違反など、一度も犯したことがない人などまずいません。
まして失脚をもくろんでの噂話や共犯ともいえる状況なのに被害者ぶるなどの不法な精神の持ち主は、もはや救われません。
正直で素直な人から学び、許し合えた時代は良かったのですが、今やもう“非を認める”という恐ろしいことができる“勇気”ある人など珍しいのです。
#17 2016年04月09日 17:18:33
- yangmask
- ゲストユーザー
Re: どこから間違ったのか?
確かに、その洞察には一理あると思います。というか、それが組織腐敗のメカニズムですよね。
さらに言うと、これは、1世紀のエルサレムが偽善的で腐敗していたのと類似していますね。まさにその時、み子イエスが遣わされました。同様に、組織の腐敗が極みに達したまさに今、イエスによる検分が再び行われるのではないでしょうか?
腐敗が極まったということは、裁きが近いというしるしであり、要するに、8時45分に印籠がででーん!と出てくるのと同じですね。私はかえって期待していますよ。
#18 2016年04月15日 13:43:41
- 1,000時間奉仕者
- ゲストユーザー
Re: どこから間違ったのか?
スゴい検証、参考になります、ありがとうございます。こういう根本に迫る考察も興味深いのですが……
もっと近年の、現代の中核を成すJWたちが実感として見知っている出来事・兆候にお気づきの方々のご意見も多く募ります。
(たぶん別のトピックでも言いましたが……)
賛美の歌、怪しい。
今の(紙の本の)賛美歌がリリースされたのが2009年の地域大会。225曲 ➡ 135曲にバッサリ減らしたのは英断だ、と思いました(日本語の場合は文語 ➡ 口語に大変換したのも大きい)。
その2、3年後、「これまでの注意深い観察により、今のピアノ伴奏では歌うのに困難を覚えている兄弟姉妹たちが多いことが判明したので、新しく収録し直した伴奏CDを配りまーす。統治体はご親切ですね~」と発表がありました。
(困難、というのはどうやら1~2、2~3番の間が短すぎて、息継ぎが苦しい、ということらしい。事実、追加で送られてきた伴奏は間がビミョーに長くしてあった。せっかく元の伴奏に慣れていた私にはすこぶる不満。笑)
ま、ここまではご愛嬌。
それから3年も経たないうちに「賛美歌をより楽しんでもらうべく、オーケストラの伴奏を配信しまーす。出来上がりしだい順次、流すから音響係さんたちヨロシク。どう、嬉しいでしょ?」的な発表が。
???
そして送られてきた伴奏は、元の「息継ぎが苦しい」1~2番間の短い歌。「だれ? だれの益のための変更、これ?」
そして忘れてならないのはコスト。
レギュラーのベテライト減らして、特開者切って、KH延期して……で、こんなことにおカネかけるの?「225曲は多すぎるから135曲に減らした」のに、まだ15曲追加するわけ?
ピアノは演奏者数人ですむけど、オーケストラは数十人に招集かけなきゃならないのよ? 収録中はご飯と部屋が要るのよ、タダじゃないのよ?
……私は歌そのものがマズいとは思っているわけではありませんが、この一連の一貫性のないドタバタは、何かを取り繕おうとしている見苦しいチャフ(撹乱)のようにしか見えないのです。
ブロードキャスト、集会ワークブック、地区大会での派手なビデオ……。協会が何か新しいアトラクションを繰り出すたびに、「今度は何を隠蔽しようとしているんだろう?」と眉にツバつけずにはいられません。
#19 2016年04月15日 14:35:10
- おのみちん
- ゲストユーザー
Re: どこから間違ったのか?
どこから間違ったのか?
1914年に、俺ら、そろそろ天に行くぜぃ。カマン・ベビー。
結局何も起こらず、目に見えない天での臨在ということにして流す。
すったもんだしたあげく、1975年に、お前ら来年は楽園で会おうぜぃ。アイルビーバックスーン。
何も起こらず、これだから勘違い野郎の早漏君は困るんだよな~、聖書にジーザスすら知らんって書いてあるだろうが(したり顔)。
世代・世代(当初1914年の意義を認識していた人だったけど、なりふりかまわず、生まれていりゃいいじゃんということにして)。その世代が過ぎ去らないうちに、俺らのキングダムくるぜぃ。
人の寿命が70~80歳だから、もうそろそろじゃん。
ノストラダムスの大予言も援護射撃してくれてるし。
逝っちゃっていいっすか!
結局何も起こらず、重なる世代があるっしょ。いやぁ~神は慈悲深いねー、よいたよりが全地で述べ伝えられるまで、待ってくださっているのよ。これまで働いたお前らご苦労、もう逝ってよいよ!
そして現在。
簡単に雑感になりますが、くるくる詐欺が効果があったときは、緊急性と一体感と希望があって、楽しかったのが。新たな説得力のある詐欺ができなくなったことと、インターネットでカルトであることが暴露されて、求心力が奪われてしまったのが、今のJWを面白くなくしているのではないでしょうかね。
適当でごめんなさい。
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