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#1 2013年08月02日 10:08:55

albatross
メンバー

神権学校は辞めることができる

多くの信者が神権学校の割当を果たす事を苦痛に感じています。
理由として、人前で話すのが苦手、割当を作るのが億劫、そして上手にできなかったらと思う恐怖感!
神権学校の割当を果たす事を罰ゲームのようだとこぼす人が沢山います。

イエスは、マタイ11:28で”私のクビキは軽く、さわやかです。” と言われました。
何十万の信者が数ヶ月に一度、憂鬱な時を経験しています。割当です。
コリント第2 9:7 には ”各自いやいやながらでも、強いられてでもなく” とあります。
多くの信者が拒否反応を示しているのに、半ば強制的にさせるられるのは、本当にイエスキリストの精神を反映しているのでしょうか?

実際、ものみの塔の文書によると、正式に神権学校への参加は強制とは何処にも書いてありません。
又、最近の王国奉仕にも、神権学校への参加はバプテスマを受ける条件として要求されてはいないと明確に書かれています。
では、会衆の雰囲気として辞める事ができるでしょうか? 多くの場合そうではないように見えます。
ちょうど、 定時に帰宅できない会社の社員のように、暗黙の圧力があるようです。長老に逆らう事ができません。

因みに、米国では、多くの会衆の信者が神権学校に入っていません。入ったり出たりも自由です。
また、入っていない為に長老たちから圧力をかけられたり、責められる事は全くないようです。

神権学校の割当は、個人が決めるべき事柄で入校すべきかどうか誰も無理強いはできません。入るのも自由なら、辞めるのも自由です。

ヨハネ8:32 "真理はあなたを自由にするでしょう” とあります。わたしたちは誰の奴隷ではありません。自分で全ての事をきめる権利を擁しているのです。

故に、神権学校に入る事も、辞める事も自由です。良心の呵責など持つべきではありません。

オフライン

#2 2013年08月03日 11:15:06

カレブ
Administrator

Re: 神権学校は辞めることができる

興味深い点ですね。

義務に対する日本人と米国の感覚の違いは大きいと思います。

神権学校に「普通は」みんなが参加する

日本人は「普通みんながする」=義務 という感覚でとらえますね。

そして長老たちもそのような見方で会衆を運営するのだと思います。

あと 苦行という考えもありそうですね。
皆の前での話が得意なひとも苦痛のひとも誰もがやる
たとえ家事を果たすことに支障が出ていても
苦労して任務を全うすることに価値があると考えるのでしょうね。

JWを続けるのに 日本が一番苦労する国(自由な国の中では)かもしれないですね

相互監視や相互圧力の仕組みは組織が作り上げたものだと思いますが
日本はその仕組みを忠実に果たす模範的な国です。

オフライン

#3 2013年08月03日 11:38:36

もんもん
メンバー

Re: 神権学校は辞めることができる

日本では、この情報は公になっていない感じがします。神権宣教学校に、入らないこともできるという情報は、長老の口からは、絶対にでることはないと思います。また日本では、伝道者になる前に、神権宣教学校に入るということが、バプテスマまでの段階のひとつになっています。神権宣教学校が苦痛な姉妹も多いようなので、この情報が広まって、辛い人が神権宣教学校をやめることができたらいいなと思います。

割り当てを果たすことそれ自体が、神への忠誠とか忠節だと感じている姉妹も多いようですが、ちょっと変な風景だと思います。

オフライン

#4 2013年08月03日 12:02:52

鬼太郎
ゲストユーザー

Re: 神権学校は辞めることができる

質問ですが、、、何時の王国宣教に 神権学校の入校を条件としないことがあったのか教えていただけますか?
最近の新しい取り決めも含めて、開拓者学校 長老・僕のための学校 独身の兄弟のための学校 クリスチャン夫婦のための学校等、
一般の会衆の成員のための多くの学校の取り決めからも、JW組織は特に教育を、つまり学校形式によるマイコンと組織統制を重視しています。
それに対して、神権学校をいわば軽視する提案は通常は想像できません。

日本人JWの感覚として、以下のような状況を想定してしまいます。
例えば、、重病人で余命のわずかの伝道者が水のバプテスマをしないでJWと認めてほしいというケース 、これは支部からの手紙で了承されてました。
これに準じて、信仰があり教理も理解して掟を守っているが、どうしても集会に出席できない、あるいは病気等で割り当てを果たせない、
最悪のケースとして刑務所に収監されていてる死刑囚とか終身刑の囚人、、、等です。
昔の日本でも刑務所を訪問して死刑囚に証言し、研究が始まり、JW教理を信じ、処刑場に向かった経験もあったはずです。

また、もんもんさんのカキコの通り 伝道者になる前に神権学校に入校することが、いわば一般的なJW組織の常識です。
さらに、エホバの証人研究さんのカキコ通り、日本は組織の提案を忠実に果たす模範的な国ですから、、、

#5 2013年08月03日 13:59:14

黒河内隆
ゲストユーザー

Re: 神権学校は辞めることができる

私も何時の王国宣教に載っていたのか是非知りたいです。私の場合は神権学校に加えて二人で組んで宣教を
やることもストレスやプレッシャーを感じました。区域司会をする面でも宣教の面でも
その証拠にまだ成員の数が少なかった頃一人づつでやっていたことが昔ありました。
しかし二人で組んでやることが義務付けられてから日曜日の奉仕の人数が半分に減りましたから

#6 2013年08月03日 14:05:49

けろけろ
ゲストユーザー

Re: 神権学校は辞めることができる

2013年7月号7ページ,質問箱2節ですね。今週の集会のプログラムです。
自分も知らなかったので,「あれっ」と思いました。

#7 2013年08月05日 18:55:58

黒河内隆
ゲストユーザー

Re: 神権学校は辞めることができる

けろけろさん、すいまんせんがその王国宣教に何と書いてあるのか教えて頂けますか?
私は脱退したので資料が手に入らないのですいません。

#8 2013年08月05日 21:26:28

サタンの僕
メンバー

Re: 神権学校は辞めることができる

以下、その質問箱の内容です。
■バプテスマを受けていない伝道者は,バプテスマが認められる前に,どの程度会衆の集会に出席し,野外宣教にあずかっているべきですか。
バプテスマは人が行なう決定の中で最も重要なものです。ですから,バプテスマを受けようとする人は,その前に,神のご要求について道理にかなった程度の理解を得ていなければなりません。
また,そのご要求にかなった生き方をする決意をすでに示しているはずです。
クリスチャンは,集まり合うことをやめないようにと命じられています。
ですから,バプテスマを受けていない伝道者は,会衆の集会への出席の面で勤勉であることをすでに示しているべきです。(ヘブ10:24,25)
また,普通は注解もしているでしょう。
そして,要求ではありませんが,神権宣教学校に入校しているでしょう。
さらに,クリスチャンは,良いたよりを宣べ伝えて弟子を作る任務を与えられているので,バプテスマを受けていない伝道者はバプテスマの前から宣教奉仕に定期的に参加しているべきです。(マタ24:14;28:19,20)
何か月伝道したらバプテスマを受けられるのでしょうか。
当然ながら,毎月宣教に熱心かつ定期的に参加する揺るぎない決意を示していることが求められるので,そのための十分な時間が必要です。
(詩78:37)
とはいえ,伝道を始めてからバプテスマの資格を満たすまでに非常に長い時間は必要ありません。
おそらく,何か月かのことでしょう。
野外奉仕の時間をどれほど報告しているべきですか。
厳密な規則はありません。
長老たちは個々の伝道者の状況を考慮に入れて,道理にかなった平衡の取れた判断をしてください。
一ルカ21:1-4。

長老(長老が極めて少ない会衆の場合は奉仕の僕)は,バプテスマ希望者と会合する時に,個々の事情が異なることを覚えているべきです。
バプテスマの資格にかなっているかを見極める時に良い判断を働かせてください。
その人は,本当にエホバの証人になることを願っており,エホバの組織と交わって宣教に参加する特権を認識していなければなりません。
とはいえ,まだ霊的に円熟しておらずバプテスマを受けた経験豊かな福音宣明者のような技能を身に着けているわけでもありません。
長老たちは,バプテスマ希望者がまだ資格にかなっていないと感じるなら,その聖書的な理由を親切に伝え,霊的な援助を受けられるように助けます。

オフライン

#9 2013年08月06日 08:55:37

鬼太郎
ゲストユーザー

Re: 神権学校は辞めることができる

サタンの僕さんの投稿を読む限り、日本人JWの感覚からは、やはり神権学校は一部の例外を除き義務としか思えません
一部の例外としては、、、
以前の会衆に交わっていた障害者の姉妹、薬物によって一時的に植物人間になったため、脳に障害が残り、話すこと自体が難しい人でした。
なんといっても、日本は模範的イコール標準イコール義務的な基準ととらえますから、、、。

#10 2013年08月12日 18:27:12

黒河内隆
ゲストユーザー

Re: 神権学校は辞めることができる

奉仕会のプログラムは私も現役時代に扱わせて頂きました。これは扱う兄弟がどのように扱うのかに
依存しているような感じがします。扱い方が人それぞれによって違いますから、もっとも協会の言わんと
する重要な事柄を強調しないなら後で長老から厳しい助言が待ってますがね
皆さんならこれを奉仕会の司会で扱う際どこをどのように強調されますか?
経験者の方御願します。?   と言っても危なげなくこの記事の通りにそのまま扱う方も多いのではないかと思います。
問題はなぜ神権学校の入校が要求ではないのかそのことを説明できる方は数少ないと思います。

#11 2013年08月13日 08:59:56

ケロケロ
ゲストユーザー

Re: 神権学校は辞めることができる

私も現場から距離を置いて暫くたつので最新の内情は疎いのですが、協会の文章は主要な要点でないところに意図のある文を紛れ込ませるのが特徴で、信者向けの奉仕会ではその傾向は顕著です。
文脈上はこの"要求ではありませんが"は必要ないのでプログラムを扱う兄弟は意図を感じ取る事が求められるかと思います。
自分だったら、これまで、神権学校入校が要求であるとも説明されている箇所はないので、付加された情報に当たるのではないかと判断するとおもいます。主要な論点から外してあるということは、知らせているという既成事実はほしいが周知はしたくないという位置づけではないかと思うので、プログラム中は軽くふれる程度にし、奉仕中の話題等で触れるかと思います。
既成事実の必要な何らかの状況が生じているのだろうと判断し、「言われてみれば聞いたような気がするが記憶は定かでない」という程度の印象を残すよう操作するとおもいますね。

#12 2013年08月13日 17:39:12

鬼太郎
ゲストユーザー

Re: 神権学校は辞めることができる

ケロケロさん 見事な扱い方です、
蛇足ですが、、、

① ケロケロさんのように あまり強調しないで巧みに記事を扱う 

② 主催監督に扱い方の提案を求める⇒長老団で意見を求める⇒記事の中の『要求ではありませんが神権学校に入校しているでしょう』つまり入校していないで伝道・バプテスマは一種の例外的であることを強調する
  さらに 『長老たちは個々の状況を考慮に』を強調し、そのような例外を認めるか否かは長老団の判断に従うことを聴衆に伝える

こんな感じですかね、、、、?

#13 2013年08月13日 21:42:55

sk
メンバー

Re: 神権学校は辞めることができる

こんばんは、皆さん


「要求でないもの」を個人の判断あるいは選択に委ねないで、長老たちの判断、選択による「例外扱い」とし、例外を認めるかどうかは長老団に依存するということですか。

これがいわゆる組織による権威の誤用、乱用というものなのか。同じパターンが長老団と支部事務所、そのまた上の権威の間でも見られるだろうなぁ~。これが組織の弊害であり、本音(権威)と建前(個人の自由)の世界だなぁ~。

つまり組織あるいはグループが何かの決まりごと(取決め)を設けたら、組織、グループに属する全ての人にその取決めを支持することを強要する傾向があるということですね。

その取決めを支持する人が少なければ、取決め自体の存在価値を失うでしょうから、その取決めを廃止すればいいのに、無意味な取決めの価値と思われる点を強調して、その取決めに関心のない人を説得することを試みますね。そのようなソフトな圧力に屈しない自由意志を持つ人は、やがて独立的な不従順な者と評価され、今度は従順という観点から理不尽な圧力がかけられることになるだろうなぁ~。

これが、グループ心理(ピアープレッシャー)なのか。

エホバの証人の場合、「唯一真の神の組織」の名の下に組織の取決めを支持することを神への従順と同一視していますので、組織の取決めの妥当性、価値を疑ったり、高く評価しないことは、その人の信仰、組織の導きへの信頼の欠如と見なされますね。



パリサイ人と同じですね。

マタイ 23:4-5
4 重い荷をくくって人の肩に載せますが,自分ではそれを指で動かそうともしません。5すべてその行なう業は人に見せようとしてするのです。



ものみの塔協会の無価値な(無意味な)重荷

奉仕報告
神権学校
全ての集会、大会の出席を何よりも優先させる

ものみの塔の権威が神とキリストから来ていると信じている人に、「神への従順」の名の下に強要されている取決めの代表格です。
ものみの塔のインチキを見破っている人は、それら印刷会社の取決めを絶対的な神からのものとは見なさないでしょう。


何が世俗的で、何が神からの取決めかを見分ける人は幸いです。

エゼキエル 22:26
26 その祭司たち自身がわたしの律法に対して暴虐を働いた。そしてわたしの聖なる場所を汚しつづける。彼らは聖なるもの普通のものとの区別をせず,汚れたものと清いものとの差別を全く知らせず,わたしの安息日から目を隠した。わたしは彼らの中で汚されている。


聖なるもの   聖書の取決め (結婚、家族の取決めなど)
普通のもの  協会の取決め (世俗的な組織上の取決め)


おまけ、
クリスチャンは律法契約の下にはいません。
年3回の大会の取決めは、神の取決めではありません。それはものみの塔印刷会社の世俗的な取決めです。

編集者 sk (2013年08月13日 21:46:15)

オフライン

#14 2013年08月13日 22:44:14

もんもん
メンバー

Re: 神権学校は辞めることができる

>そのようなソフトな圧力に屈しない自由意志を持つ人は、やがて独立的な不従順な者と評価され、今度は従順という観点から理不尽な圧力がかけられることになるだろうなぁ~。

そうなんです、理由はなんであれ、長老に協力しない人は、不従順、反抗的な者、独立志向を持つ人として、排除するのが、エホバの証人の長老や巡回監督の傾向だと思います。

オフライン

#15 2013年08月15日 18:44:35

黒河内隆
ゲストユーザー

Re: 神権学校は辞めることができる

協会の指示だからこうしようとか提案だからこうしようと言う組織の体質は自然と冷たい組織に仕上がり気が着かない内に自然の
情愛をもたない人間が作り上げられていきます。
第二次大戦中のナチスドイツの司令官と日本のリトアニア日本大使館の杉浦千畝氏を比較すれば容易に理解出来るのでは
ないでしょうか?

#16 2013年08月15日 22:54:02

seiei00r
ゲストユーザー

Re: 神権学校は辞めることができる

黒河内隆さんの書き込みを読んで、同じように感じます。

たとえば、
エホバの証人は現在、「人種を超えた」世界的な兄弟関係・世界的な一致、と宣伝するけれど、公民権が認められるまで、白人と黒人はアメリカでは別々に集会を開いていました(もちろん、「そのときは、上位の権威に服していただけ」とエホバの証人は、言うでしょうが……)。

でも、キング牧師が(エホバの証人ではなかったゆえに神の御意志を体現せず)永遠の滅びを受ける人間で、1975年にハルマゲドンがくると語っていたフレデリック・W・フランズが、天から人間を治める王だという教義はまったく理解ができず、賛同もできないのです。(最近になって、彼らの解釈も少しずつ変わってきましたが……)

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