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#51 2016年09月22日 20:32:23

カレブ
Administrator

Re: カトリックの混宗婚について(分岐)

iris さん

扱いづらい相手に返信ありがとうございます。

マタイ19:9の解釈の違いで実務的にかなりの差が出ますが
カトリック教会の「結婚観」はエホバの証人とそれほど違いはないと思います。

以下 理解した点を書きます。

・最初の結婚がカトリックの教会婚でなければ「抜け道」をつかって離婚の許可と再婚の自由が得られる。
・混宗婚でも教会に正式に認められた結婚であれば離婚はできない。
・教会の正式な結婚の場合、配偶者の死別以外には再婚の自由はない。
・離婚再婚を強行した場合「聖体拝領」に加われなくなる。
・「聖体拝領」に参加できなくなることを「破門」とは呼ばない(何と呼ぶのでしょう?)
・聖職者は一般信徒にはないような「破門」を受けることがある。

以上のように理解しました。間違っている点があれば指摘していただけると助かります。

オフライン

#52 2016年09月22日 23:32:47

KAO
ゲストユーザー

Re: カトリックの混宗婚について(分岐)

カトリックの「結婚」についての厳格さは、カトリックがそれをサクラメントに含めていることと関係していると思います。プロテンスタントではサクラメントは「洗礼」と「聖餐」の二つのみですが、カトリックでは「結婚」含め七つもあります。これらは本来信者のみに適用されるものなので、古代・中世においては異教徒との結婚など生じることはなかったのだと思いますが、カトリックも近代化してきたとはいえ、過去の縛りが現代の実情に合わなくなってきたということではないでしょうか。
かくいう私の所属する教派も、「教会生活は長くとも、諸般の事情で未洗礼の者を聖餐にあずからせてよいか」という問題で大きく揺れています。カトリックなら当然論外だと思います。

「サクラメント」についての説明は長くなるので、調べ学習は各自でお願いいたします。横槍失礼しました。おやすみなさい・・・

#53 2016年09月23日 11:37:35

カレブ
Administrator

Re: カトリックの混宗婚について(分岐)

KAOさん
プロテスタントの立場での参加ありがとうございます。
エホバの証人では「サクラメント」という言葉は使いませんが
実質は「洗礼」と「聖餐」の二つのみという点でプロテスタントと
同じかなと思いました。
カトリックは過去の公会議や法王の言葉を簡単には覆せないのが
難点ですね。逆にそこに魅力を感じるのかもしれないですが。

オフライン

#54 2016年09月23日 13:15:11

iris
メンバー

Re: カトリックの混宗婚について(分岐)

カレブさん返信ありがとうございます。骨が折れても意見交換は面白いです。

細かいことを言いますと、最初の結婚が教会婚であっても、
例えば実は強制された結婚であった場合などは、教会に結婚の無効を申し立てることができます。
教会が先の結婚が無効であったと認めれば、新たな結婚は許されます。

また最初の結婚が教会婚でなくても、再婚が簡単にできるわけではありません。
日本の教会では信者でも信者でなくても、原則として結婚式は初婚に限ります。

オフライン

#55 2016年09月23日 14:07:28

iris
メンバー

Re: カトリックの混宗婚について(分岐)

ささらほーさらさん、御参加ありがとうございます。

ささらほーさら さんの発言:
iris さんの発言:

当時の人々が、2000年後には女性が強くなることを予測できなくても仕方ないでしょう。

 
この文言によると「聖書」の筆者は
その時々の「人間」である(したがって誤り移ろいのあるもの)と取れるのですが
カトリックはそうに解釈している・・・・・
そのような認識でよろしいのでしょうか?

カトリックでは、神が聖書の作者であると考えています。
神が聖書記者の内で働かれることによって、聖書記者は神がお望みになることを書いたのです。

ただ聖書記者は、当時の人々が理解できるような書き方をしています。ですから、
私たちが聖書を読むときには、当時の時代背景や文化、普通であった感じ方、話し方などを
考慮し、神が何を語りかけようとなさっているのか真意をくみ取るようにしなくてはなりません。

例えば、現代ならば経済力のある女性が不甲斐ない夫を見捨てて離婚し、
いずれもっと良い夫を得ることもできるかもしれませんが、
聖書に描かれている社会では、どんなにひどい夫でもいた方がマシだったわけですし、
乱暴された娘はその相手に引き取らせることができなければ結婚できず、
過酷な人生を生きていかなければならなかったのです。

聖書は書物ですから、書き換えない限り内容を変えることはできません。
しかし、社会の様相は移ろうものです。
生きた宗教であるためには、聖書の真意がどこにあるのかを理解し、
その時々の社会にどう適用するかを考える必要があります。

編集者 iris (2016年09月23日 14:09:43)

オフライン

#56 2016年09月23日 14:47:15

iris
メンバー

Re: カトリックの混宗婚について(分岐)

KAOさんも御参加ありがとうございます。

カトリック教会は、実情に合わないところについては積極的に検討を行うようになっています。
ただ、譲れないところは譲りません。
考えもなく社会に流されていたのでは、宗教の意義はなくなってしまいます。

プロテスタント教会の中にはさまざまな教義の教会がありますので、比較は難しいのですが、
厳密に言えばカトリックの聖体拝領とはだいぶ意味の違う聖餐を行っているプロテスタント教会が
多いと思います。
カトリックでは信者が拝領する御聖体は聖変化前のホスチア(水と小麦粉だけで作る種なしパン)とは
まったく別のものです。その意味を理解している信者でなければいただくことはできません。

オフライン

#57 2016年09月23日 18:23:55

カレブ
Administrator

Re: カトリックの混宗婚について(分岐)

iris さんの発言:

カトリックでは信者が拝領する御聖体は聖変化前のホスチア(水と小麦粉だけで作る種なしパン)とは
まったく別のものです。その意味を理解している信者でなければいただくことはできません。

iris さん
カトリックとプロテスタントの違いについて
興味深い点の指摘ありがとうございます。

少し調べてみたんですが

トレント公会議 日本語訳 さんの発言:

1651(883)1条
いとも聖なる御聖体の秘蹟において、真に、現実に、そして実体的に、私たちの主イエズス・キリストの御体と御血が御霊魂と御神性とともに、すなわちキリスト全部が含まれていることを否定し、この秘蹟には、しるしまたは象徴あるいは効力においてのみある、と言う者は排斥される(DzS1636、1640参照)。
http://hvri.gouketu.com/denz5.htm

以前にカトリックの方は神父さんが何か呪文のようなものを唱えて
信徒の口にパンを入れると、それは文字通り「キリストの体」そのものになる
と信じていると聞きました。

アイリスさんの言葉と上のトレント公会議からも、
やはりそうなんだと理解できたのですが

ちょっとお聞きしたい点があります。
このパンが「キリストの体」そのものになるということは
象徴ではなく文字通りのことなのだと信じておられるようですが

それはパンのもとになる分子構造、例えば(C6 H10 O5)n の炭水化物
が食べる瞬間にキリストの体の分子構造に文字通り変化すると
信じているということなんでしょうか?

実際の信者の方がどのように信じているのかいまいち理解できません。
よろしくお願いします。

オフライン

#58 2016年09月24日 19:31:44

iris
メンバー

Re: カトリックの混宗婚について(分岐)

ささらほーさら さんの発言:

では、聖書は「当時の人間に限定された知識しかなかったとしても、時代の状況を反映しつつ、秘書が社長の代筆者として働くがごとくに『神』が不完全な人間に書かせたもの」というJWの教えと同じ解釈ということですね。

この部分については、似たような解釈のようですね。
それなのに、ものみの塔が聖書の記述について今を生きる信者の現実を無視し、さらに
重荷を負わせるような解釈をするのはなぜなのか、心ある方は考えていただきたいと思います。

編集者 iris (2016年09月24日 19:46:14)

オフライン

#59 2016年09月24日 19:44:19

iris
メンバー

Re: カトリックの混宗婚について(分岐)

カレブ さんの発言:

ちょっとお聞きしたい点があります。
このパンが「キリストの体」そのものになるということは
象徴ではなく文字通りのことなのだと信じておられるようですが

それはパンのもとになる分子構造、例えば(C6 H10 O5)n の炭水化物
が食べる瞬間にキリストの体の分子構造に文字通り変化すると
信じているということなんでしょうか?

カレブさん、またディープなところに目を付けましたね。

聖変化は信者の口で起こるのではなく、祭壇の上で起こります。
それに呪文じゃないと思います・・・

さすがに分子構造が変わると思ったことはありませんでした。
私は信仰が未熟なんでしょうか血や肉の味もしませんね。
一言でいえば「そういうことになっている」としか言えません。
このような「神秘」に関わることは、理屈ではないですね。

同様に、キリストの救いというのも神秘ですから、
信じる気になった人しか信じられないと思います。

オフライン

#60 2016年09月25日 16:46:24

ジョエル
ゲストユーザー

Re: カトリックの混宗婚について(分岐)

「わたしは命を与える力を持っており、それを再び受ける力を持っている」(ヨハネ福音10章18節)


彼は今や、死んでゆく一粒の麦となり、真のパンを増やす奇跡において時代を超えて自らを人々に分け与えることにより、聖体の秘跡を制定できるのです ― ヨゼフ・ラツィンガー(前ローマ教皇ベネディクト16世)「ナザレのイエス」第2巻157ページ

#61 2016年09月25日 16:58:32

萬燈
ゲストユーザー

Re: カトリックの混宗婚について(分岐)

ちょっと参加させていただきたく思っております。


irisさんの#61への捕捉として。


解釈に関する認識論的転回のすゝめ

「解釈する」という時のほとんど無自覚的前提として、主語が「私」だったり、「あなた」だったり、「WT」だったり、この文脈では
「カトリック教会」だったりします。
そしてその時の目的語(O・・・まあ、対象ですね)は、聖書になっているかと思います。

つまり

○○(主語) interpret the Bible.


これを転回させます。

The Bible interpret ○○(目的語).


「聖書が○○を解釈する」
説明するまでもありませんが、聖書が主語になって、主語だったはずのものが目的語になっています。

この○○部を 「私」にしてみます。


聖書が私を解釈する

・・認識論的転回です。


専門的解釈学や釈義の方法論に入らなくても、これだけでも 聖書の意図、すなわち神が一体何を「あなたに」伝えようとしているのか
与えているのかに気づきが違ってくると思いまして、老婆心ながら・・・



これだけではちょっと抽象的で、「もっと具体的に」という声が聞こえてきそうではありますが、
ご要望があれば、ということして。

あまり一度に多くを書き込んでも論点がずれますから。

#62 2016年09月25日 17:07:57

萬燈
ゲストユーザー

Re: カトリックの混宗婚について(分岐)

訂正:10行目三単現s挿入

訂正:最後 私が論点ずれているのかも?

#63 2016年09月25日 17:31:48

カレブ
Administrator

Re: カトリックの混宗婚について(分岐)

iris さんの発言:

聖変化は信者の口で起こるのではなく、祭壇の上で起こります。
それに呪文じゃないと思います・・・

さすがに分子構造が変わると思ったことはありませんでした。
私は信仰が未熟なんでしょうか血や肉の味もしませんね。
一言でいえば「そういうことになっている」としか言えません。
このような「神秘」に関わることは、理屈ではないですね。

同様に、キリストの救いというのも神秘ですから、
信じる気になった人しか信じられないと思います。


irisさん 返信ありがとうございます。

>一言でいえば「そういうことになっている」としか言えません。
そして
>信じる気になった人しか信じられないと思います。

結構 気合がないと難しそうですね。

「地球の周りを太陽がまわっている」と教会に言われたら
従うしかなかった時代がよくわかります。

中世にカトリックがなければ今より100年くらい早く
科学技術が発達したんだろうなと感じます。



・パンは象徴ではなくキリストの体そのものである
・しかし味はパンである
・たぶん分子構造もパンである
・しかし「象徴」ではなくキリストの体そのものなのである

トレント公会議のときって
パンとブドウ酒は象徴にすぎないと信じていた人を
排斥しちゃったんですよね。

わたしから見ると トレント公会議って
プロテスタントを排斥するために開催されて
いろいろごり押しの教理作っちゃっただけに見えます。

で理屈からして無理があるのに
いまさら教理を変えるわけにもいかなくて
第二バチカン公会議でも追認してしまった
という感じがしました。

オフライン

#64 2016年09月27日 11:08:19

iris
メンバー

Re: カトリックの混宗婚について(分岐)

ささらほーさら さんの発言:

仮に、irisさんが、今の認識のままで数百年前の中世ヨーロッパのカトリックの教えの只中にタイムスリップしたとしたらどうでしょう?
もっともっと前の時代、あるいは少し後の時代でもかまいません。

以前、別のトピックでも書いた通り、カトリック教会が第二バチカン公会議の前のままだったら、
私はカトリックの洗礼を受けることはなかったでしょう。
10代の頃の、イエスさまに従って生きることだけを望むフリーのキリスト信者のままだったと思います。

人間の生き方は、社会の状況に左右されます。
現代日本に生きる私たちと、中世ヨーロッパに生きた人々とを単純に比較することはできません。
もしその時代に今の知識と情報があったら、という仮定は、意味をなさないと思います。
それがあれば、確実に歴史は変わっていたはずだからです。

オフライン

#65 2016年09月27日 11:20:42

iris
メンバー

Re: カトリックの混宗婚について(分岐)

カレブ さんの発言:

>一言でいえば「そういうことになっている」としか言えません。
そして
>信じる気になった人しか信じられないと思います。

結構 気合がないと難しそうですね。

(中略)

で理屈からして無理があるのにいまさら教理を変えるわけにもいかなくて
第二バチカン公会議でも追認してしまったという感じがしました。

信じるのに気合いなど要りませんよ。
今どき、信じたくもないのに気合いで信じる努力をしなくてはならないのは、
そのような人間関係にある人だけです。
だからこそ、宗教がないほうが世の中が良くなるなどという発言も許されているわけです。

信じたくもないものを信じても、その人の役には立ちません。
信じたくない方は信じなければよろしい。
ただ、人間には何か理屈では説明できないものを支えにしたいときがあるものです。
そうでなければ、戦後70年経っても日本の神社がこれほど繁盛し続けているはずがありません。

自分が信じたくないからといって、信じたい人を小馬鹿にするのは狭量に見えますよ。
聖変化の教理にどんな非人道性があって変える必要があるのか、御説明をお願いします。

オフライン

#66 2016年09月27日 11:29:09

iris
メンバー

Re: カトリックの混宗婚について(分岐)

元・エホバの証人同窓会・脱塔分室のトピックでも、エホバの証人の方は二元論に
陥りやすいのではという指摘がありましたね。
ものごとを過度に単純化する傾向にあるように感じられます。

ものみの塔もダメだし過去のキリスト教もダメだし、従って聖書もキリスト教も
宗教もダメだという理屈は、ひどい目に遭った方の心情としては理解できますが、
客観的な見方とは言えませんね。
ものみの塔の教えとは違って、聖書の読み方もキリスト教会のあり方も、
ひとつである必要はないのです。

念のために言っておきますと、私は皆さまからの御質問に対して現在の日本の
カトリック教会の実情をお答えしているだけで、カトリック教会こそが正しいとは
一言も言っていませんよ。それは4年前から同じです。
私にも、本当に神がいてイエスが救い主キリストなのかなんてことはわかりません。
でも「そういうことにしておけば」私の人生うまく行くだろうと思っているだけのことです。

「今となっては洗礼を受けただけ」というカトリック信者は山といますよ。
自分にとって意味がなければ、聖書を読んだり教会に行ったりする必要を感じないのが
当たり前だと思います。そういう人に信者のつとめを強制したところで何の益もありません。
ただその必要を感じるようになることがあれば、カトリック教会はいつでも受け入れます。

編集者 iris (2016年09月27日 11:36:59)

オフライン

#67 2016年09月27日 14:06:09

iris
メンバー

Re: カトリックの混宗婚について(分岐)

私がしつこくこのサイトにお邪魔し、ものみの塔のやり方を批判するのは、
その教えによって特に子どもたちの福祉に反する事態が現実に起こっているからです。
現代の日本に生まれながら、輸血拒否を強要されて命を落としたり、自然な情愛を
操作されて健全な育ちを妨げられたりしている子どもたちが現実にいるのです。

ただでさえ人手が足りない医療現場で、一刻を争う事態のときに輸血をするしないの
不毛な問答をしなくてはならないのは、命の危機に瀕している子どもにとっても、
確信もないのに組織の目を気にして悩まなくてはならない親にとっても、
適切な治療をする責任を感じている医療者にとっても、
治療の順番を待っている無関係な患者にとっても、どれほど迷惑なことでしょう。
このような事態が起こるのは個々のエホバの証人の判断によるのではなく、
ものみの塔の教えがそのような仕組みになっていることによるのです。

そのような非人道的な事態を起こさないのであれば、ものみの塔が何を教えようと、
証人たちが何を信じようと自由だと思います。

オフライン

#68 2016年09月27日 14:16:22

萬燈
ゲストユーザー

Re: カトリックの混宗婚について(分岐)

irisさん、いつもバランスのとれた見識に感謝しております。

JW関係者は、ご指摘のように二元論が強く刻印されており、辞めてもその刻印がなかなか取れないのでして、
「大いなるバビロン」=「偽りの宗教の世界帝国」、その頂点に君臨しているのがカトリック教会であるという刷り込み教育があり、
(致し方ありません、一部のプロテスタントの教職者ですら、ほとんど大前提でもある、カトリック=悪、に多かれ少なかれ依拠している、依拠せざるを得ない、あるいはただ単に知らない、という状況ですから推して知るべしなのですが、今やエキュメニカル的共働、東西両教会和解、宗教間対話の時代であり、傷ついた世界に発しているオピニオン・リーダー的役割を国連とともにカトリック教会が担っているという極めて今日的重要な意義に関して、閉じた周回遅れのグループ内ではなかなか気づけないでいるという現状があります。)
恵みあふれるカトリック教会という実体験がなければ、
伝聞推定・史観・観念・イメージ等等で判断するしかない致し方ない面があり、
そういう弱さを持っていることをおゆるしいただければ幸いに存じます。

カトリック教会は二元論を注意深く退けてきたわけですが、
アウグスティヌスがマニ教から回心したことにも現れている通り、
二元論からの解放と癒しとしてのカトリックというのは私も体験しているところです。

ここの板では「JW」を思考の基点としており、
その反動形成としての諸相が現れていることに、
不自然さとある種のもどかしさをお感じかと心中拝察いたします。
これも致し方ないことではあるかと思います。

天動説と秘跡を同列で論じたり、
JWとカトリックをニアリーイコールで捉えたり(オウムと伝統的仏教を同列に論じるようなもので・・)
カトリックが聖書から演繹されるようにな捉えられたり(プロテスタントの聖書信仰と同種と錯覚したりという・・)、
カトリック教会はかなり曲解されがちだな、とやはり思います。

かようでありながらも、いえ、かようであるからこそ、でしょうか、的確なご指摘の中にも、忍耐と暖かな眼差しが含まれていることを感じ取っている者も読者の中におりますことを申し添えたいと思います。

本丸は、イエスさまが探しにこられ戸口に来ておられる、出会い交わり語り合いつながることにあるのだけど・・・
というとてもシンプルなことなのではありますよね。

#69 2016年09月27日 16:36:54

カレブ
Administrator

Re: カトリックの混宗婚について(分岐)

iris さん

>私がしつこくこのサイトにお邪魔し、ものみの塔のやり方を批判するのは、
>その教えによって特に子どもたちの福祉に反する事態が現実に起こっているからです。

ぜひ これからもお願いします。

なんだか対立みたいになってしまっていますが
正直わたしもカトリックに関して批判することにはあまり関心はありません。
やはり ものみの塔の問題を中心に考えたいと思っています。

>聖変化の教理にどんな非人道性があって変える必要があるのか、御説明をお願いします。

そもそも聖変化の教理について「非人道性」があるから変える必要があるとは
思っていません。

わたしが言わんとしていたのはプロテスタントを異端とする
ときに使った条文をそのまま残しながら、カトリックとプロテスタントの一致を
目指すなんて難しいのではないかということです。

そういう意味では変えたほうがいいんじゃないのかと思います。

たまたま わたしが関心があったところにビンゴしてしまったので
iris さんにいろいろ突っ込みを入れる形になってしまいましたが
結果的にカトリックの解釈をいろいろ調べるきっかけになって
よかったです。


萬燈さん

投稿ありがとうございます。
JWからカトリックに改宗された方でしょうか?
よかったらカトリックに魅力を感じた点や癒された点など
投稿していただければ、参考になる人もいるかもしれません。

本題ですが

>天動説と秘跡を同列で論じたり

これはわたしのことだと思いますが
「同列」といっても中世と現代では
カトリック教会の力が全然違うので
同列にはおけないと思います。

ただ「教会がそう言ってるので信じる」という
考え方のことを言っています。

カトリック教会が絶対的な権力を持っていた時代に
それは科学の停滞にかなりの影響を与えたと思います。

>JWとカトリックをニアリーイコールで捉えたり

「ニアリーイコール」といっても程度がありますよね。
わたしはJWとカトリックは信者の似ている部分と
まったく対局の部分と両方あると思っています。
対局の部分のほうが断然多いと思ってます。

「ニアリーイコール」でいうならSDA(セブンスデー・アドバンティスト)
のほうが派生元が同じなので従弟みたいな感じで似ている部分あると思います。

カトリックに関していうと
似ている部分はヒエラルキーな権威構造のところがあります。
しかし現代のカトリックの場合、信者に対する権威という点では
JWの会衆のような構造はほとんどないと思ってます。

あとはなんとなく組織に属することによる「安心感」みたいなものを
少し似た空気を感じます。プロテスタントでは宗派によっていろいろとは思いますが

エホバの証人の場合は
とりあえず不活発にならないで伝道に参加するというのが
カトリックの秘跡みたいなもんかなと感じました。
違ってたら思いっきり否定してくださいね。

あと 今回の混宗婚や再婚、聖体拝領に関する点は
ものみの塔の文書は一切参照していません。

できるだけカトリックの公式文書を見るようにしています。
それも単なる一般解説よりもバチカンが何を言っているのかを
探すように努力しました。

>恵みあふれるカトリック教会という実体験がなければ、
>伝聞推定・史観・観念・イメージ等等で判断するしかない致し方ない面があり、

という点ですが
カトリックの公式文書を読んでも誤解されてしまうようなら
過去の公会議やら、法王や司教の発言などを早いうちに
訂正する努力をカトリック教会がしないといけないということを
意味しているのではないでしょうか?

オフライン

#70 2016年09月27日 16:47:13

akame
ゲストユーザー

Re: カトリックの混宗婚について(分岐)

萬燈さん

>「大いなるバビロン」=「偽りの宗教の世界帝国」、その頂点に君臨しているのがカトリック教会であるという刷り込み教育があり、


この掲示板にはその刷込みのまま来ている方はかなり少ないようです。

失礼ながら、こちらに来られるのでしたら掲示板全体を再精査し、元JWに対する認識を深めていただきたいと思います。

#71 2016年09月27日 17:18:27

カレブ
Administrator

Re: カトリックの混宗婚について(分岐)

少し誤解されそうなので一点付け加えておきます。

ひとつ前にわたしが述べた
>あとはなんとなく組織に属することによる「安心感」みたいなものを

この組織に属することによる安心感というのは一般によくある
グループに属している安心感というようなものを
さしているのではないので、そこは誤解がないように訂正します。

ここで言う組織というのは「唯一○○の組織」というような
もののことです。

このあたりの解釈はカトリック教会も公式に
考え方をシフトしているように感じますが
公式な見解がとてもあいまいに見えます。

オフライン

#72 2016年09月27日 20:01:16

iris
メンバー

Re: カトリックの混宗婚について(分岐)

カレブ さんの発言:

エホバの証人の場合は
とりあえず不活発にならないで伝道に参加するというのが
カトリックの秘跡みたいなもんかなと感じました。
違ってたら思いっきり否定してくださいね。

どこが似ているのかまったくわかりません。

オフライン

#73 2016年09月27日 20:05:01

iris
メンバー

Re: カトリックの混宗婚について(分岐)

カレブ さんの発言:

この組織に属することによる安心感というのは一般によくある
グループに属している安心感というようなものを
さしているのではないので、そこは誤解がないように訂正します。

ここで言う組織というのは「唯一○○の組織」というような
もののことです。

それはどういう意味でしょうか?
カトリック教会にいる私たちだけが救われるとか?
まさかそんなことはないですよね?

オフライン

#74 2016年09月27日 21:55:03

カレブ
Administrator

Re: カトリックの混宗婚について(分岐)

iris さん

「唯一○○の組織」に関して

>それはどういう意味でしょうか?
>カトリック教会にいる私たちだけが救われるとか?
>まさかそんなことはないですよね?

わたしが述べているのは「救い」に関する概念ということではありません。

カトリックの場合は唯一ペテロからの教会を受け継いだ普遍的な教会という概念。
そしてそれは1000年以上文字通り「天国の鍵を与えられた」唯一の
教会として権威を主張してきました。

エホバの証人はカトリックのような伝統から来る特別な立場は主張していませんが
キリストから「忠実で思慮深い奴隷」として任命された人たちによって
統括されている組織という自負を持っています。

上記の点を比べられたら、すごく腹立たしいと思うかもしれませんが
組織としての概念に共通点があると思います。

だからといって良いとか悪いとかの話に必ずしもならないので
そこは誤解がありませんように。


救いに関する点で言うと
カトリックが現在 自分たちだけが救われるという主張はしていません。
一方エホバの証人は現在でも自分たちだけが救われると主張しています。

例えば「”教会の外に救いはない”という言葉はカトリック以外のクリスチャンに当てはまりますか?」という
点について答えられているページがありました。
http://www.catholic.com/quickquestions/ … christians

そこには第二バチカン公会議で出された見解として
他教会を排除する古い考えが訂正されていることが理解できます。

ところが、わたしがたまたま見ているページが悪いのかもしれませんが
どこを見ても「トレント公会議でプロテスタントを異端として排斥したのは間違いでした」とは
書いていないですし、カトリックの過去の見解のどこをどのように
訂正したのかというのが いまいちはっきりしません。

オフライン

#75 2016年09月28日 00:21:25

カレブ
Administrator

Re: カトリックの混宗婚について(分岐)

調べものしていたら面白いページ見つけました。

これはカトリックとものみの塔の違いを明確にしている点だと
思ったので投稿します。

カトリックに対して前向きなニュースです。
「法王フランシスは二つのメジャーなカトリック法を”古いもの”として変えようとしている」
Pope Francis wants to change two major Catholic laws he sees as 'archaic'
http://www.catholic.org/news/hf/faith/s … p?id=59123

法王が変えようとしているカトリック法の中の一つが
いまここでも話題に出ていた「結婚、離婚、再婚」に関連する
事柄であると述べられています。

ものみの塔との大きな違いは
このニュースが「カトリックオンライン」の中の記事として
法王のプライベートの会話がソースになる話として
取り上げられていることです。

ものみの塔では、たとえプライベートの会話であるにしても
WTの聖職者が「わたしはこれこれの教理を変えようと望んでいる」みたいな
ことを述べたなんてことが出てくることはまずないので
大きな違いかなと思います。

前の退任したドイツ出身の法王のときより柔軟姿勢を打ち出してる感じがします。

このニュースだけ見ると現法王はわたしの主張と
同じってことですかね。

オフライン

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