ログインしていません。

#1826 2019年05月05日 11:37:27

ゆり
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

仰天 さんの発言:

#三位一体「3分でわかる聖書」【聖書入門.com】 - YouTube
https://m.youtube.com/playlist?list=PLQ … P9Lexo5cui


>聖書には三位一体という言葉はないけれど概念はある。

>異端かどうか判定するための質問
1. 神は唯一ですか
2. 父なる神は神ですか
3. イエスキリストは神ですか
4. 聖霊は神ですか
*1つでも否定したら異端。正統信仰とは言えない


所詮、神がどんな方かは人知の及ばないことで、
私がとやかく言う問題ではないと思います。

人間の理解を超えるからといって三位一体が間違っているとは言いませんが、
やはり私は根拠のあるものしか信じられません。


私が創造者としての神を信じているのは自然界という目に見える根拠があるからです。

トマスのように実際に自分の目で見なければ信じない・・・

不信仰な者なのです。

#1827 2019年05月05日 12:53:38

iris
メンバー

Re: とりあえず書き込み用

昔ナザレのイエスという人が政治犯として処刑されたという歴史的事実がまずあって、その事実についてイエスを慕う人たちは「イエスが処刑されたのは、私たちを救うためだ」という納得のしかたをした。始まりは単純なのではないでしょうか。

神が処刑されてしまうという衝撃の物語に理屈をつけようとすれば、いろいろ無理も生じますよ。私たち日本人には理解しがたい部分も少なくありません。
それでも2000年以上もその物語が受け継がれてきたのは、支配者にとって都合がよかったためだけではなく、人々の苦しみを和らげるという宗教本来の役割も果たしてきたからでしょう。どんなに苦しいときにも、イエスは人間としてもっと苦しまれたのだと思えば耐えられる、神であるイエスがともにいて慰めてくださると思えば安らげる。
イエスは若くして処刑されたので、老いの苦しみだけはわかってもらえないという冗談まであります。

支配者の欲望を満たす(他民族を征服するなど)ために都合よく利用されたのは事実ですが、もしキリスト教がなかったとしても、他の宗教などが同じように利用されたでしょう。

最近はカトリック教会でも、お聖堂の正面の十字架に苦しむイエスの像をつけることは少なくなっています。御像がない教会も少なくありませんし、御像がある場合は復活して私たちを招いている姿だったりしますね。

オフライン

#1828 2019年05月05日 14:43:32

シセイ
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

聖句に書いてあるとおり受け止めればいいと思います。イエスが父よと呼びかけて
その後絶命されたなら、その意思を尊重します。
何度も書きますが、自分に対して「父よなぜお見捨てになられたのですか」と呼びかけた事を
自分に対して呼びかけたとしてしまったらとんだ酔狂者
なってしまう。
ヤハウェ=ものみの塔と思っている人もいると思いますが、ものみの塔はヤハウェの名を
自分たちの支配のために使っているだけで、ヤハウェを崇拝しているわけではないし
私はヤハウェは宇宙の意思と思っていて、そういう観点で聖句を調べています。第三者の介入
を入れず、原始宗教まで遡って考えるのは楽しいです。
絶対こうだと決めつけてしまったら、楽しみがなくなるし、頭が固くなりますから。
私はガリレオ・ガリレイでいたいですし、それを否定される状況にはありません。
ラハムさんも研究されていらっしゃいますが、それでいいんだと思います。

#1829 2019年05月05日 14:49:40

シセイ
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

イエスも捕縛前に苦悶して神に祈った。宗教団体の宗主として正しい姿です。
常に神に祈る。父を求める。私にはその気持ちがわかります。

#1830 2019年05月05日 14:52:50

シセイ
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

詩編22のように、イエスも心からそう思ったのでしょう。

#1831 2019年05月05日 15:06:37

めぐママ
メンバー

Re: とりあえず書き込み用

ゆりさん

「科学者はなぜ神を信じるのか」    三田一郎
コペルニクスからホーキングまで

読めばわかる  小柴昌俊さんも推薦


「神」を通して見えてくる宇宙論発展のストーリー

面白そうだし 勉強になると思い購入したのですが
ニュートン ガリレオ のへんでストップしていたのです。
ファラデーという 英国のかた、留学していた夏目漱石はいたく感動したそうです。その当時もう亡くなっていたのですが、ファラデーが、女王陛下から ナイトの称号をという
お話に  私は 生涯 ただの ファラデーでいたいと丁寧に辞退したお話も  漱石は かいています。
そのご帰国して 心の病にくるしみますが  則天去私 という 東洋の 思想 ?  宗教的な境地に至ります。

ファラデーに関しては、 jwの orgで調べると  サンデマン派 に属していた事、せいしょを愛していた事、神からの贈り物は聖書と 自然だと書いていた事などあり、その昔 わたくしは 感動して読みました。
「科学者は、、、」の本の中に  ガリレオよりも  早くに 火あぶりになった ブルーノ  という人の事もあり、350年後の謝罪  とか現在の教会が考える「聖書の読み方」
あなたなら  楽しく読まれるのではないでしょうか。

オフライン

#1832 2019年05月05日 15:08:55

シセイ
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

ラハムさんもどこかで書かれていたように、仏教トピのトピ主のように、その根拠となったYAHOO知恵袋が正しいという根拠を示せみたいなことになったら、ちょっとした研究になりますね。

一見複雑に思えることも、整理し、先入観を捨てたら見えてくるものもあると思います。そこに第三者の介入を入れずに
研究すると、また違ったものが見えてくるし・・・
三太郎さんも宗教の始まりについて別トピで書かれていますが、そういう観点は大切だと思います。
一度外側から見る。これは大切です。

#1833 2019年05月05日 15:43:04

めぐママ
メンバー

Re: とりあえず書き込み用

シセイさん

あなたも 読んで解説してください。最後の方は、アインシュタイン ポーア ハイゼンベルク
量子力学  「虚時間宇宙」の完成  インフレーション理論  素粒子物理学
小林 益川理論の実証に貢献  だの わけわからん 言葉の 連続です

神を信じることは思考停止か
科学と神は矛盾しない
山中伸弥さんとの対談で益川さんは 無宗教だと 言う
宗教を信じないのではなく  信じている人をやめさせる。   なんでも神を引き合いに出して 説明したがるのが 気にくわないらしい。

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#1834 2019年05月05日 17:20:40

ゆりさんが
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

めくママさん

私は聖書を神の言葉とは思っていません。

崇高で畏敬の念を抱かせる創造主に名前があることに違和感がありますし、
そもそも神は人間の物事に介入されないと思うんです。

キリスト教の残虐な歴史を振り返ったとき、
その甚だしい偽善に辟易します。

#1835 2019年05月05日 17:23:46

ゆり
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

訂正  :  ゆりさんが → ゆり

#1836 2019年05月05日 17:40:41

めぐママ
メンバー

Re: とりあえず書き込み用

ゆりさん

わずかな期間に  よく沢山のことを考えて、学ばれましたね。

それで良いと思います。

囚われている人を 助ける為には   まず相手を理解して   会話が出来るかどうかですね。

オフライン

#1837 2019年05月05日 17:47:17

シセイ
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

解説はちょっと出来ないのですが、通り一遍の説明でしたら何とか。
宇宙の始まりにおいては、力は一つ。つまり始点は一つだったはずだと考え、宇宙の展開とともに
力が4種類に分かれていったと量子物理学者は考えました。

  1. 重力
    質量を持つ全ての物質に働く力 強さは距離の2乗に反比例 媒介粒子は重力子(グラビトン)

  2. 電磁力
    原子どうしを結び付けて分子を作ったり、原子核と電子を結び付けて原子を作る力
    媒介粒子はフォトン(光子)

  3. 強い力
    クオークどうしを結び付け、陽子や中性子を作る強い力
    その強い力を媒介するのがグルオン粒子

  4. 弱い力
    中性子、原子核のベータ崩壊を起こす力。
    この力の媒介粒子はウィークボソンと呼ばれている

「ワインバーグ=サラム理論」電磁力と弱い力を統一する「電弱統一理論」

1967年、ワインバーグ、サラム氏らは、力を媒介する「ゲージ粒子」は、エネルギーが低い時には異なったものとして存在し、異なった様相を見せているけれども、エネルギーが高くなるにつれて同じ性質を示すようになると考え、異なって見えるゲージ粒子も高エネルギー下では個別差がなくなって同じ様相を示し、その結果、力の強さや到達距離も同じになると推定した。

低エネルギーではゲージ粒子のウィークボソンとフォトン(光子)とは性質が異なっているために、それぞれの粒子が媒介する「弱い力」と「電磁力」とは強さも到達距離も異なって見える。

しかし、高エネルギーになると、ウィークボソンとフォトンとの区別がつかなくなり、その結果、2つの力も同じもの、すなわち、統一されて「電弱合一力」になるだろうと予言、1983年、ヨーロッパ合同原子核研究機構の加速器でW粒子とZ粒子が発見されたことによって証明。以上 「2019 【カムサビア】宇宙の謎や不思議、飛行士や開発、UFOや宇宙人のことなど、最新のニュースを解説 」より引用。

2つの力は統一できたのですが、強い力を統一した統一論、重力を統一した大統一論は未だ統合できず、できるかどうかも分からない。重力を統一させるために超弦理論が考え出されたが、これも未だ証明できず。特に重力は難解です。いったん切ります。

#1838 2019年05月05日 18:37:43

シセイ
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

ここからが、ホーキング博士が偉大なところです。アインシュタインは一般相対性理論を打ち立て、時間も空間も
歪むと主張。しかし、宇宙の始点においてはもはや表現もできない程、高エネルギーで一点に凝縮・集中していた
と思われる。(ビッグバン理論です)そこでは、時空間も凝縮され、一点に集中するため、時間も空間も区別なく
もはや一般相対性理論が成り立たない。
そこで、ホーキング博士は、極ミクロの世界で起きる現象を説明する量子力学と、相対性理論と組み合わせることを提唱。宇宙の始まりは通常の時間と異なる「虚時間」が存在するという仮説を発表しました。これによって特異点(宇宙の始点)の問題を解決できるとしました。ホーキングパラドックスとも関係があると思います。

私は実世界では解決できない問題に虚時間という考えを取り入れ解決を図ったと思います。宇宙の特異点(始点)において
一般相対性理論が成り立たないが、虚時間というものがあると考えれば一つの逃げ道というか理論で表すことができるかもしれない。虚時間をイメージする時に、平面xy座標とそれに直交するZ軸をイメージすると良いかもしれません。
人がxy座標しか認識できないとしたら、z軸方向は分からないわけです。しかし、z軸はある。宇宙のはじまりの時間の問題についてはこれで解決できるかもしれない。ベクトルを増やしていく感じですか。これが超弦理論なのかなと思います。
2次元で解決できない問題は3次元で、3次元で解決できない問題は4次元で・・・今11次元まで考えられているそうです。
重力の問題はそういうさらに別次元を通過して我々に作用しているのではないかと考えられているように思います。

#1839 2019年05月05日 18:47:06

シセイ
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

益川さんは、神を持ち出す事自体ではなく、人が考えようとする事さえ奪う、その考え方が受け付け無いのだと思います。
実際に神学者兼物理学者なんて普通にいます。そういえば孔子先生が良いことおっしゃっていましたね。儒教は受付ませんが一部だけ。四十にして迷わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず(四十才になり迷うことがなくなった。五十才には天から与えられた使命を知り、六十才で人のことばに素直に耳を傾けることができるようになり、七十才で思うままに生きても人の道から外れるようなことはなくなった)」と言ってますが
私はとりあえず天命を知ることができるのでしょうか。そして60歳で素直になれるのでしょうか。70歳で人畜無害ですか。
やはりここはラハムさんとakameさんにも聞いてみたいです。またakame

#1840 2019年05月05日 18:48:09

シセイ
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

またakameさんにこだわってしまった・・・何か気になるんですよね・・・怪しい・・・

#1841 2019年05月05日 19:25:54

仰天
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

ゆり さんの発言:

エペソ4:30〜32を見ると、聖霊は悲しむことがあると書かれていますね。
でもそれは、神の霊は聖い霊と書くように、無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどとは相容れないものであることを示すために比喩的に悲しむと述べられていると思っていました。
神の霊は、互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいて赦してくださったように、互いに赦し合うように動かす力だからです。
聖い霊の行きたかった渡る教会の中でその霊に逆らうことのないようにという意味で「悲しませないように」と表現されたのだと思っていました。人格を持っているという意味ではないと思います。
でも、ヨハネもパウロもイエス=神をベースに語っているとすればもはや自信はありません。(笑)


また、聖霊に対する冒涜は許されない罪とされていますね。
それは聖霊が神さまだからですか?
私には聖霊に対する冒涜とは何を指すのか分かりませんでした。
エホバの証人のように聖霊を単なる神の力と考えることが冒涜になるのですね?
つまり地獄へ堕ちると。怖いです。(笑)
クリスチャンの方はどのように聖霊を神として崇拝しておられるのでしょうか?

別に聖霊を冒涜しなければ、そして、イエスを神だと信じれば救われると思いますよ。

死ぬ間際にイエスが神であると思ってもギリで助かると思います。

クリスチャンはイエスの名を尊ぶだけで、父も聖霊も崇めていると言えるでしょう。

それは父を軽んじる事にはなりません。

父にイエスの名で祈り、(完全な神性と人性を有していたイエスを認め)るならば、別の助け主である聖霊をも認めている事になります。


聖霊は単なる神の活動力でしょうか


まず第一に、聖霊は、知性・感受性・意志という人格の三つの本質的要素をもっておられます。

「神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように、神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。」(Iコリント2:10-11)

「人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。」(ローマ8:27)

このように、聖霊は、ことを知り、また考える方なのです。

「神の聖霊を悲しませてはいけません」(エペソ4:30)

「しかし、彼らは逆らい、主の聖なる御霊を痛ませたので、主は彼らの敵となり、みずから彼らと戦われた。」(イザヤ63:10)

聖霊は悲しんだり、痛んだりなさる方です。


「聖霊と私たちは、次のぜひ必要な事のほかは、あなたがたにその上、どんな重荷も負わせないことを決めました。」(使徒15:28)

「それから彼らは、アジヤでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤの地方を通った。」(同16:6)

「すべてこのような[賜物や能力]は同一の〈聖〉霊によって霊的作用を受けている〈生じさせられる〉のであって、み霊はご自身が選んだ[その]とおりに各自に分けてくださるのです」(Iコリント12:11、詳約聖書)。

聖霊は意志を持ち、それを表されるお方です。

第二番目に、聖霊はみことばの中で、人格的な扱いを受けておられます。聖霊は、試みられ、欺かれ、冒瀆され、侮られる方です。

「そこで、ペテロは彼女に言った。「どうしてあなたがたは心を合わせて、主の御霊を試みたのですか。見なさい、あなたの夫を葬った者たちが、戸口に来ていて、あなたをも運び出します。」(使徒5:9)
「そこで、ペテロがこう言った。「アナニヤ。どうしてあなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、地所の代金の一部を自分のために残しておいたのか。」(同3節)
「かたくなで、心と耳とに割礼を受けていない人たち。あなたがたは、先祖たちと同様に、いつも聖霊に逆らっているのです。」(同7:51)

「だから、わたしはあなたがたに言います。人はどんな罪も冒涜も赦していただけます。しかし、聖霊に逆らう冒涜は赦されません。」(マタイ12:31)

「まして、神の御子を踏みつけ、自分を聖なるものとした契約の血を汚れたものとみなし、恵みの御霊を侮る者は、どんなに重い処罰に値するか、考えてみなさい。」(ヘブル10:29)

第三番目に、その人格的行動が、聖霊の人格性を示しています。

「しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。御霊はわたしの栄光を現わします。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。」(ヨハネ16:13-14)。

聖霊は導き入れ、語り、聞き、話し、示し、あらわし、受け、知らせてくださるお方です。これらは、人格のないものにできる行動などではありません。特に、「自分から語るのではなく、聞くままを話し」という表現は、ただの力に対して使うのは全くのナンセンスです。

「御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。」(ローマ8:26-27)。
聖霊は、キリスト・イエスと同じように、聖徒のためにとりなしをしてくださいます。(同8:34参照)。
さらに、聖霊は励ましてくださり(使徒9:31)、誤りを認めさせてくださり(ヨハネ16:8)、召してくださる方です(使徒13:2)。
使徒の働き13章2節で、聖霊はご自身のことを「わたし」と呼んでおられることも注目に値することです。

第四番目に、父なる神、およびイエス・キリストとの関係において、聖霊の人格性が証明されます。


「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28:19-20)。
ここではっきりと分かるように、人格を備えた存在である父と子と同じく、聖霊にもお名前があります。したがって、人格を持たれる方です。こうして洗礼を受ける者は、父、子、聖霊のそれぞれの人格に対して献身や信仰を表すことになります。
エホバの証人の教えでは、バプテスマは、父なる神の名と、神のような被造物に過ぎないイエスの名と、神のエネルギーにしか過ぎない聖霊の名によって施されることになります。

言うまでもなく、バプテスマは、父、子、聖霊の三位一体なる神のお名前によって施されます。


聖霊の神性


このように、聖霊の人格性が多くの聖書箇所によって立証されているわけですが、聖霊の神性にも十分な聖霊的裏付けがあります。
まず、聖霊は神の属性を持っておられます。

「まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。」(ヘブル9:14)

聖霊の人格性がみことばによって明らかになっている以上、聖霊は始まりのある被造物か、始まりのない造り主なる神なのか、そのどちらかでなければなりません。聖霊が神によって造られたものであるという聖霊箇所は全くありません。そのようなことをほのめかす聖句すらないのです。むしろ、このヘブル人への手紙の箇所は聖霊の永遠性をはっきりと示しています。
聖霊は、「とこしえの御霊」です。このように、神ご自身しかもち得ない属性の一つである永遠性を、聖霊が持っておられるわけです。この一ヶ所だけで聖霊の神性は十分に裏付けられています。

さらに、聖霊には遍在性があります。
「私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう」(詩篇139:7-10)

聖霊には全知性があります。

「神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように、神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。」(Iコリント2:10-11)。
聖霊は全能なる創造者です。
「神の霊が私を造り、全能者の息が私にいのちを与える。」(ヨブ33:4)

「あなたが御霊を送られると、彼らは造られます。また、あなたは地の面を新しくされます。」
(詩篇104:30)

聖霊は父と子と共に創造のわざに参加されました(創世1:2、イザヤ40:12-14参照)。そして、エレミヤが述べているように、創造者なる神には不可能はありません(エレミヤ32:17)。
第二番目に、聖霊は神のみわざをなされます。創造のみわざのほかに、復活のみわざ(ローマ8:11)、聖書の霊感のみわざ(IIペテロ1:21)、新生のみわざ(ヨハネ3:5)、聖化のみわざ、 (IIコリント3:18)、解放のみわざ(マタイ12:28)という、神のみわざが聖霊に帰するのです。また、すでに見てきたように、聖霊は教会を教え(ヨハネ16:13)、導き(ローマ8:14)、励ましてくださり(使徒9:31)、教会に賜物を与えてくださいます(Iコリント12:11)。

第三番目に、聖霊のことばは、神のことばとみなされています。たとえば、エレミヤ書31章33節で主なる神が告げられたことばは、ヘブル人への手紙10章15–16節では、聖霊のことばになっています。


「彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。――主の御告げ。――わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」(エレミヤ31:33)。


「聖霊も私たちに次のように言って、あかしされます。「それらの日の後、わたしが、彼らと結ぼうとしている契約は、これであると、主は言われる。わたしは、わたしの律法を彼らの心に置き、彼らの思いに書きつける。」(ヘブル10:15-16)。

このような箇所はほかにもあります。イザヤ書6章9-10節には、主なる神が言われたことばがありますが、使徒の働き28章26-27節を見ると、それは、聖霊が語られたことばになっているのです。
詩篇95篇7-11節と、ヘブル人への手紙3章7-11節も同様です。

第四番目に、聖霊は「神」と呼ばれています。

「そこで、ペテロがこう言った。「アナニヤ。どうしてあなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、地所の代金の一部を自分のために残しておいたのか。それはもともとあなたのものであり、売ってからもあなたの自由になったのではないか。なぜこのようなことをたくらんだのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」(使徒5:3-4)。

三節では、ペテロはアナニヤが聖霊を欺いたと言いましたが、四節では、アナニヤが欺いたのは神であると言っています。ペテロは明らかに、聖霊の神性を認めているのです。

「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」
(IIコリント3:18)

ここでは、聖霊は、「御霊なる主」と呼ばれています。この箇所も聖霊の神性を示しています。なぜなら、「主」とは、主なる神のことだからです。

参考資料 『エホバの証人の反三位一体論に答える』ウィリアム・ウッド著  より、ほんの一部だけ紹介しました。

その書籍では、キリストの神性、聖霊の神性と父、子、聖霊の一体性について詳細に述べられています。

真理のみことば伝道協会から購入可能のようです。

#1842 2019年05月05日 19:34:23

仰天
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

ゆり さんの発言:

私は聖書を神の言葉とは思っていません。

崇高で畏敬の念を抱かせる創造主に名前があることに違和感がありますし、
そもそも神は人間の物事に介入されないと思うんです。

介入されない神、それは汎神論ですね。

まぁ、それはそれでいいのではないでしょうか。

聖書の神は預言者を何度も遣わし、イエス・キリストを遣わして介入していますけど、信じないのも自由です。

#1843 2019年05月05日 19:37:41

仰天
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

ゆり さんの発言:

確かにヨハネの、イエスは神である発言や
ヨエル書やゼパニヤ書のテトラグラマトンをイエスに置き換えているパウロはなんか変です。
イエス=神のベースで新約が語られているとすれば、新約に対する信頼性に疑問が生じます。

旧約だけ信じて、その成就である新約を否定するのならユダヤ教ですよね。

動物の犠牲を捧げて、割礼を施し、安息日を守り、その他の種々の律法を守らなくてはなりませんし、約束のメシアもまだですね。

#1844 2019年05月05日 19:45:06

シセイ
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

ゆりさんには自由がある。それは神から与えられた能力。だからゆりさん自身で考えれば良いことですよ。
「一石を投じる」事は重要です、そこから検証が始まるから。それさえ許さないというのはキリスト教徒
の暴走につながって行くと思います。日蓮の名の元に命を掛けた争いがあったように。これでは別トピの
仏教トピのS氏と何ら変わらない。説得力がありません。私は一石を投じ、再検証することの重要性を重ん
じています。しかし、それさえ許さないのはものみの塔と何ら変わらない。
だからゆりさん自身で考えれば良いことで、ここでは私の考えは紹介に留めるという事を強調しようと思います。

ところで、ラハムさん、大変不躾ですが、孔子の言葉で言うと今どの辺ですか?感触的に。

#1845 2019年05月05日 20:04:50

めぐママ
メンバー

Re: とりあえず書き込み用

シセイさん

ありがとうございます。  と言っても 何もわかってないです。お読みになる 他の方は益を得ておられるでしょう。
孫ムスメには  是非 理科系のお勉強を頑張って欲しいです。それと 論理のチカラ。
まあ  押し付けると 虐待になりますから、応援してる褒める程度なら。
それにしても あなた 生まれ付いての 素晴らしいものをお持ちですから、それに電車のホームから落ちてもとっさに しがみ付いて 偉いわ!
ボーっとしているわたくしには出来ません。  これだけでも 相当の  運の強さです。
どうぞ  それを活かして生きてください。  祈っております。

オフライン

#1846 2019年05月05日 20:06:01

仰天
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

訂正です。^_^


神の介入を認めないのは、汎神論ではなく理神論です。

#1847 2019年05月05日 20:24:56

めぐママ
メンバー

Re: とりあえず書き込み用

シセイさん

言い忘れました。  もちろん  大変な努力を重ねてこられたのですよね。
わたくしなどには 解らない 学問と苦闘してこられた からの今日 現在ですよね。
偉いわ〜 
どうぞ続けて下さいね。

オフライン

#1848 2019年05月05日 20:27:27

シセイ
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

何を信じようとゆりさんは自由です。むしろ頑な心は真理を知ろうとする上で、旧約聖書のラビと
何ら変わらない知識に鍵を掛ける行為です。ですから、今なぜ日本なのか、日本は自由の地なのか
と考えた時に、その恩恵を最大限に発揮されると良いと思います。それは神を冒涜する行為にはなり
ません。カトリックという総本山さえ変わろうとしている時に、立ち止まって停滞する必要はないでしょう。
私は神とともに歩んでいると実感できればそれでいいのじゃないでしょうか。私は神とともに歩んでいる
と思っています。例え私が間違いを犯したとしても、神を身近に感じる、これこそが神髄ではないでしょうか。
誰かが書いているからではなく、危機の時に「神様助けて」と思うその心が意味があるのでは
ないでしょうか。人間の他に神様助けてと思う生物がいるでしょうか。面白い機能だと思います。

それこそakameさんが別トピで書いておられるように「神は無限の存在」なのですから、有限の人間の脳みそで
全容が解明できると思うこと自体傲慢です。だから私は宇宙神と思っているし、イエスの行動にも疑問を挟んだ
わけです。彼は王としてではなく、エリヤとしてエルサレムに入場すべきだったのでは?と。
その後のパウロの聖句を検証し、なぜものみの塔は人を苦しめるのか、タブーに切り込んで初めてその理由が分かる
と思うのです。実際に旧約聖書で与えられた戒めはたったの十戒でした。その後、集団の形が定まりはじめ、細かい
細則が定められていったわけです。これを思考停止して歴史検証を怠れば危険なカルトになるでしょうし、新約も
また、人を自由にする「くびき」から解き放たれたはずなのに、それこそゼカリヤ書にある通り、強すぎるパウロの
言葉は慰めを与えるべき存在に対し、常に責め続け、弱っている羊のひずめを裂く者となっているのではないでしょうか。
かなり踏み込んだ内容ですが。そして、それらを明らかにして行くことが私にやがて与えられる天命なのかなと
思います。

#1849 2019年05月05日 20:38:56

シセイ
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

訂正  誤 人を自由にする「くびき」から解き放たれた
    正 人を奴隷にする「くびき」から自由へと解き放たれた

#1850 2019年05月05日 21:01:29

シセイ
ゲストユーザー

Re: とりあえず書き込み用

重力について追記

重力は電磁気力よりも弱いのに、我々をつなぎ止めている。この重力の弱さが不可解なのですが
重力は他の力とちがって、我々の空間につなぎ止めておけず、別空間に逃げてしまうためぱっと見
力が弱いように見えているのではという事です。これには膜宇宙論が欠かせません。
それで別空間を考えれば、大統一論で全ての力が説明できると期待されていますが、実験で再現
できないし、そもそも正しいのかという問題もあります。

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