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もんもん
2015年10月01日 21:28:38

runさん

そのとおりだと思います。

パウロは「岩がキリストを表していた」といいましたが、キリスト自身も「わたしは岩だ」「わたしから飲むように」といっていますものね。どちらも、ヘブライ語聖書を踏まえているのでしょうね。

「それゆえ,わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな,思慮深い人に例えられるでしょう。それは岩塊の上に家を建てた人です。」(マタイ 7:24)
「だれでも渇いている人がいるなら,わたしのところに来て飲みなさい。」(ヨハネ 7:37)

もんもん
2015年10月01日 21:10:20

カレブさん

よく考えてみると、カレブさんのいうとおりだと思いました。もともとシンプルなギリシャ語が、不自然に難しくされていますね。

「心が貧しい」とは「心が謙遜」「心が柔和」という意味があるかもしれないというのも発見しました。イエスが、詩編から引用しているとすると、そういう意味もあったのかもしれません。

もんもん
2015年10月01日 20:52:21

Koheletさん

>アブラハムに現れた3人の天使は「神意のメッセンジャー」としての「神の使い」で、旧約の表象世界では、被造者的な「み使い」と「神」との間が曖昧です。

同意です。

通りすがり
2015年10月01日 01:42:38
possible さんの発言:

JWをやめてから10数年も経ってると忘れてます。
(それでも、「今でも」変更点を指摘できるところが、我ながらすごいと思う。
カレブさんでさえ、『もしかしたら・・・かもしれませんが』と
あいまいに指摘できるのみです。)


笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑

possible
2015年09月30日 23:43:48
カレブ さんの発言:

ほとんど変わらないと思います。
「ソドムとゴモラの人が復活する」と論じたり
「ソドムとゴモラの人は復活しない」と論じたり、
もしかしたらそのような違いはあるかもしれませんが
それもまたつっこみネタに仕えるでしょうから
多少の違いは気にしなくてよいと思います。

私の知る限りの情報(1985年版と1989年版の違い)を示します。
1985年版のページ数(後に変更された部分)を書いておきますね。

117ページ。
137ページ。
193ページ。
267ページ。

他にもあったかもしれませんが、
JWをやめてから10数年も経ってると忘れてます。
(それでも、「今でも」変更点を指摘できるところが、我ながらすごいと思う。
カレブさんでさえ、『もしかしたら・・・かもしれませんが』と
あいまいに指摘できるのみです。)

なお、新しい版を買ったとしても、それは「1989年版」であり、
結局、その情報も今となっては「古い」(古い光)ということになります。
そもそも、「世代」の部分で違いすぎます。
「忠実で思慮深い奴隷」の解釈も、きっと異なるでしょう。


http://godpresencewithin.web.fc2.com/

1,000時間奉仕者
2015年09月30日 21:18:36

>たけだけさん

そう、まさにそこです。

前述の官房長官、首相が忙しくて自ら記者会見に応じられない時、代わりに喋ったり質疑応答に答えたりするんですが、いくら全権委ねられているからと言って、上司たる首相の意向と食い違うコメントを記者に返したりしたらエラいことになります。

現在のJWがキチンとエホバの意向を伝え、記者の質問に「CEO」がするであろうように答えきれているかどうかが、信用を得るか失うかの分かれ目ですねー。

たけだけ
2015年09月29日 23:17:37

1,000時間奉仕者さんへ

たしかに橋下市長に会える思ってたのに会えなかったら、ガッカリする人いますよね。
僕は代理人を立てるのは当然だと思います。
自分もあまり深く議論できる人間ではないのですが、この掲示板の議論の方向性としてはエホバの証人が本当の代理人なのか??という観点で進んでいるように思います。
例えば、橋下市長の代理でしたら、市長の意思にそわなければならないですので、話す内容は市長の意思どうりでなければなりません。
勝手な発言をしていると当然クビにされます。

まぁ自分も細かい議論はついていけません(笑)

Kohelet
2015年09月29日 22:58:00

1,000時間奉仕者さん、ありがとうございました。この問答はそろそろ潮時のようですね。

>エホバは全披造物を管理?しておられるお忙しい方です。地球の事だけに関わっらってはいられません。代理を立てて当然じゃないですか?

そう思えば気がラクになります。実はある旧約聖書の専門家から以下の指摘を受けました。

アブラハムに現れた3人の天使は「神意のメッセンジャー」としての「神の使い」で、旧約の表象世界では、被造者的な「み使い」と「神」との間が曖昧です。「流動的」と言うのがよいでしょう。そこで、変幻自在に、「み使い」として現れたり、「神」として意味づけられたりする。アブラハム物語はまさにその揺らぎを示しています。神の権威で対話する「使い」は神としか言いようがないので、アブラハムとの対話を終えて、ソドムに赴くときには、「み使い」は2人に減る。19:15では「み使いたち」がロトに呼びかける。しかし、ロトはこのみ使いたちに語りかけるときには、「あなた」と、単数扱いに変化する。21では、この2人の使いは「わたしは」と、1人称で語り出し、ツォアルを「滅ぼさない」という。まさに処罰を下す、1人なる神として行動する。聖書の読み手がファンダメンタルな人ほど、神と被造者(み使い)のどちらかをはっきりさせたいという、合理主義的な欲望を働かせます。神の自由と書き手の想像力を重んじましょう。

そうなんです・・・結局、主旨は1,000時間奉仕者さんがおっしゃるとおりです。「エホバ」か「み使い」か、いずれかに決めないと気が済まないというのが私の傲慢だったんですね cool

1,000時間奉仕者
2015年09月29日 16:33:24

ずいぶん進んだ論議になってしまったので、今さら持ち出すのも気が引けるのですが……。

大阪に住む私の姪っ子の中学校入学式の式次第の中に「大阪市長挨拶」とあったのを見て、妹が「げ、ナマ橋下を見られるのん?‼」と興奮したら、市長代理の誰かさんの弁論でガッカリ……という笑い話を聞きました。

ま、要するに、日本国を代表して天皇陛下が、とか、本人が忙しいので首相代理として官房長官や外相が、といった具合に、「エホバが」という主語を見てもそれが即、エホバご本人が、と受け取る必要はない……と論じたかっただけです。

エホバは全披造物を管理?しておられるお忙しい方です。地球の事だけに関わっらってはいられません。代理を立てて当然じゃないですか?

なんか、レベルの低い発言で恐れ入ります……。皆さん三位一体が△△、みたいな高度なディベートになってて、恐縮です f(^_^;)

さやか 666
2015年09月29日 06:08:37

確かに

聖書にとって書き出しの創世記は大切ですからね

もんもんさん 引き続き頑張ってください

run
2015年09月29日 06:07:16
もんもん さんの発言:

パウロがキリストといっているのは、モーセが杖をつかって、水がでた岩のことじゃないですか???

ではパウロは、単に物質的な岩について語っていたのか、
もう一度聖書箇所を確認してみましょう。

出エジプト記13:21
そしてエホバは彼らの前方を行かれ,昼は雲の柱のうちにあってその道を導き,夜は火の柱のうちにあって彼らに光を与え,こうして昼も夜も進めるようにされた。

Ⅰコリント10:1~4
兄弟たち、次のことはぜひ知っておいてほしい。わたしたちの先祖は皆、雲の下におり、皆、海を通り抜け、皆、雲の中、海の中で、モーセに属するものとなる洗礼を授けられ、皆、同じ霊的な食物を食べ、皆が同じ霊的な飲み物を飲みました。彼らが飲んだのは、自分たちに離れずについて来た霊的な岩からでしたが、この岩こそキリストだったのです。

先ず、【エホバは彼らの前方を行かれ,昼は雲の柱のうちにあってその道を導き】とありますが、
誰がイスラエルの民から離れずについて来たのでしょうか。
それは【キリストだった】とパウロは教えております。

と同時に、イスラエルにとって霊的な岩はエホバだけですが、
イスラエルの民に離れずについて来た霊的な岩はキリストだったとパウロは教えているのです。

というわけで、パウロは単に物質的な岩について語っているのではないということが解ります。

もんもん
2015年09月28日 22:43:51

runさん

パウロがキリストといっているのは、モーセが杖をつかって、水がでた岩のことじゃないですか???

もんもん
2015年09月28日 22:38:12

さやかさん

ご配慮ありがとうございます。

もんもん
2015年09月28日 22:11:20

akameさん

akame さんの発言:

>いつでも上から目線なんですか。

もんもんさんこそ、そのようにして
上から見ておられますよ。

私は原理的な信仰は人間の敵だと考えていますから、そのような考えを抱く方には遠慮なく発言します。

また、その種の信仰は多少の反論にも耐えながらの説明責任があると感じています。

あまり長く書けないので丁重さに欠けるとは思いますが、それ以外の方にそうしたいと考えたことはありません。

私の考え方が間違いなら具体的にご指摘をしていただけますか?


スレッドのタイトル「創世記18章の皆さんの理解をお聞かせ下さい。」ということと、質問者様の意図と、聖書談義の掲示板ということを、もうすこし考慮していただけませんか。

akameさんの思想や考え方を批判しているのではなくって、自分と異なる感じ方の人が話をしていることを、考慮してほしいということです。

言葉づかいは、失礼しました。すいません。

Kohelet
2015年09月27日 10:38:12

カレブさん、おはようございます。ためになる御返信をありがとうございました。

アメリカ標準訳(ASV)は創世記19:18を「my load」と訳していますね。結構あるんですが、ものみの塔は原文が「アドナイ」となっていても”復元”と称して勝手にYHWHがアドナイに変えられたのだと判断して「エホバ」に訳している部分があるので、この聖句自体があやしい感じがしました。もしかしたらYHWHと出ている古代の写本があるのかもしれないですが、現時点では怪しい感じがしました。もしYHWHとなっている写本が一つもないのに「エホバ」と”復元”している箇所であるなら、それはそれでエホバの証人側の大きな問題ですね。

RSVやNRSVも「アドナイ」(わが主よ)を「my load」と訳しており、日本の聖書では新改訳、新共同訳、月本(岩波版)訳がいずれも「主よ」で、協会(口語)訳は「わが主よ」でした。

原文では「YHWH」ではなく「アドナイ」なので、私が書いたことはおかしなことでした。訂正します。新世界訳が19:18で「アドナイ」を「エホバ」と訳していること自体は、この場合の「わが主よ」の「主」は文脈的にみて「エホバ」だとみるのが自然であって、一般的には「(エホバの)み使い」ではないという意味で書きました。
しかしJWの教理に従えば、ここは「エホバ」と訳していても「エホバご自身」ではなく、「エホバの代理としてのみ使い」、あくまでも「み使い」なんですよね。17~18節の発言者は15節の発言者である「み使いたち」の「そのひとり」だからです。原文では17節の主語は「彼」になっており、一般のキリスト教ではこの「彼」を神ご自身であると理解し、天使とは解しません。しかし、18節でロトが語りかけている相手は「彼ら」なので17節の「彼」は古代訳の多くが「彼ら」であり「み使いたち」を示唆します。
JWの説に有利なのは、15節と17節には「あなたが滅びないように(ペン ティサーフェー)」という共通句があることです。これは発言者の同一性を示唆するからです。
いずれにしても、信仰的には「三人」をすべて「み使い」と解し、そのうちの一人をエホバの代理とみなすJW説に私は賛成です。逆にこの「三人」を父と子と聖霊の「三位一体」と解する正統主義者の説は比喩とか類比にもならず、ただ教義を読み込んだだけだと思います。でも解釈である以上、どちらも絶対化することはできません。しかし繰り返しになりますが、17節の「わが主よ」の「主」を神ご自身だと解釈することが釈義的にはいちばん無理がないように感じます。そこに自分にとって信仰と聖書解釈とが必ずしも一致しないという現実があります。・・・昨夜は、以上のような趣旨で書き込みました。 angel

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