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トピックレビュー(最新表示)
- めぐの・・
- 2016年02月25日 13:36:41
調べました。 ファラデ―がではなく、彼も、カントから学んでいました。 Baldnessさんが紹介してくださった、宇宙の何とか、のところから、 ゴリさんのブログで今学びつつあります。臨床心理のことも。 図書館に行くまでもなく、PC、とアマゾンで足りました。 ありがとうございました。 たずねもとめます。
学生時代、ネヲ上げた書物です。 研究司会に、役立ったのは、イデア論、知性をもつ存在でしたが、これも考え直す必要あり。
覚醒直後、息子にメールで、アイデンティ クライシスがどうとか、パラダイムシフトに時間がかかるから、とか言ってたけど、少し霧が晴れるかも。???まあ晴れときどき曇り、のち雨でも
それもまた、人生です。
- めぐの・・
- 2016年02月24日 22:59:43
ファラデ―という科学者、確か、電気の便利な生活、恩恵を・・・という、記事がありました。あの中で、神は、二冊の書物を私達にお与えになった。 それは、 自然 創造物。 ともうひとつは聖書です。 これは彼の考えです。 私、感動した覚えがあります。 彼は敬虔な思いを持って、その二冊を研究したんだろうけど、その、論議をそのまま、ブロシュアか何かに、書いてました。組織が考えたみたいに。 大会でも話の中に組み込んでました。ファラデ―の時代には、教会組織はあったんだろうけど、彼は、どんな交わりしていたのでしょうか。
- ルート
- 2016年02月24日 18:34:16
ほら、possibleさんもさやかさんにお礼いっておられる。
めぐのママさん、私は南方熊楠ファンです。彼の趣味は『食べ物の反芻』でした。
もしかして、ウェッもぐもぐ、ウェッもぐもぐかな?どういう状況かイマイチよくわかりません。
- さやか666
- 2016年02月23日 06:55:20
ああ、確か
黙示録の幻
宝石とか出てくるまばゆい場面
医者の目線からだと マリファナジャンキーの幻覚症状に似てるらしいですよ
だから覚めた観察しちゃうとシラケちゃうかな
聖書そのものはよくわからないですが
芥川さんは放蕩息子の話を 最高の短編小説だと誉めちぎっています
それに限らず聖書を題材にしたお話や絵画、音楽は傑作が多いです
以前にナショナルギャラリー(無料だよ)でたくさんの宗教画見たときは 世界観に引き込まれそうになりました
危ない 危ない
- めぐの・・
- 2016年02月22日 23:54:13
さやかさん、はじめまして。ささらさん、よろしくおねがいします。ささらさんのブログおおいに助けになりました。ありがとうございます。
さやかさん、彫刻の例え、ナイスです。
聖書の非論理性、について。
いみじくも、AKAMEさんは、かく語りき。 聖書はブラックボックス、各々の入力に応じた出力を・・・と。
ヨブ記37:18 神と共にあなたは空を打ち伸ばすことができるか。 鋳物の鏡のように堅い空を。
モ―セってステキな詩人。 もう、そう思っちゃうと私なりの出力しか出来ない訳です。 なんてシュ―るな表現でしょう!
空が堅い?鋳物の鏡? まるでサルバドール・ダリの絵に描かれていたあの空みたいじゃない? キリンの首に幾つも引き出し描いてた、あの天才!
現代詩の西脇順三郎だって、 覆された宝石箱のような朝
という表現しかしてないよ。
しかも、モーセは紀元前だよ。 わあっ、やっぱり聖書は凄いんだ。あの時代に地球が球体で、浮かんでることを書いてるし。
となるわけです.各人の、私の勝手な入力、思い込みによって暴走して、勝手な、結論、を出力したわけですね。
ナバホ族の詩にも似たような表現がありました。
良く覚えてない、探したけど、こないだのダンシャリで捨てたらしです。 なんでも、風が吹き抜けるときの、感覚が空の窓に穴があいて、どうとか、こうとか、記憶がどうとか。 ナバホ族好きだなと、思いました。 それで、わたくしは、勝手な妄想をして、メリ―ごーらんどに乗って、くるくる。
ダリ、岡本太郎、南方熊楠、詩人ノヴァ―リス、ヘルマン・ヘッセ
皆さん、精神を病んでいたという方がおられました。
その方が、エゼキエル預言者のもそうだと、書いてたので、読むのをやめたんですが。あれ、なんの本だったか思い出せません。
わたくしとしては、皆さん、好きです。太郎さんはまだ、理解できませんが。かくいうわたくしも、最近ADHDなんではないか?と思ったりして、ひとに聞いてますが、個性よ。こ せ い 。みんなそんなところを少し残してるのよ。子供の頃の名残り。
リケジョの嫁も、お母さん正常ですよ、 なんてムリしてるんじゃないかと思いますが。
ここで、述べたかったのはですね、文系のわたくし、聖書を、解釈、と、鑑賞、そして適用しなければ、と勝手な解釈をしていたのだと思います。
男性なら、量子力学がどうとか、薀蓄、専門的なことお考えになるんでしょうけど。物理とか苦手でしたもので。
さやかさんのおっしゃるように、ファンタジーです。壮大なる。それで、なんだかわけの解らない、継ぎはぎみたいに to be
conntinued と上書きしていったのかな? と今は思っています。でも神の存在は信じています。創造者。絶対者。
- さやか 666
- 2015年07月22日 00:04:47
まあ すてきなジェントルマン
思わず 返信しちゃった♪
カギカッコが多くて分かりにくいけれど
多分素敵な言葉なんでしょうね シーユー
- possible
- 2015年07月21日 23:16:33
さやか666さん>
思うところありまして、しばらくここに出入りするのはやめたいと思います。
この掲示板の中では、親切にご対応してくださり、ありがとうございました。
今まで述べてはいませんでしたが、あなたに親しみは感じておりました。
どこかでまたお会いすることがありましたら。
ではまた。お元気で。さようなら。(たぶん見ないので、返信は結構です)
最後に、私の好きな「エフェソス人への手紙」の最後の聖句で。
「《その》「変わらぬ愛」(ヘセド)が,すべての〈者たち〉と共に。
私たちの主を,イエス・キリスト(メシア)を愛し“続け”る
[すべての者たちと共に,ありますように]。
朽ちない[愛]の中で。」
-エフェソス6:24。[possible訳]
http://godpresencewithin.web.fc2.com/pa … ans06.html
- akame
- 2015年07月21日 07:44:23
さやか666さん
私も失敗しがちなので自戒したいと思っています。
- akame
- 2015年07月21日 06:38:42
それぞれに意味があって、優劣を付けることはできないと感じます。
おはようございます。
その通りだと思います。多様な情報や価値観における、自分の中での緊急性や重要性には順位があるのは当然かもしれませんが、私にとっての今の幸せがあなたにとっての今の幸せとは限りません。「泣かないでも良い?ほっといてください。今は思い切り泣きたいのです。それが今の私に必要なんです!」ってこともあります。いえ、ありました!悩み苦しみ悲しむ自由さえ無いと感じることが!
- ささらほーさら
- 2015年07月21日 05:55:44
akameさん、さやかさん、おはようございます。
組織から脱出してからも、みなさん其々にいろんな道筋を通りますからね。
初めから個人個人差がある上に、辿る段階もさまざま。
聖書に対しても、数えきれない程の解釈・感想が存在していて当たり前ですね。
でも、だからみなさんの気づかれた事を読ませていただくと
同感したり、「ちょっと違うな」と思ったり、時には「目から鱗」の事も....。
それぞれに意味があって、優劣を付けることはできないと感じます。
- さやか 666
- 2015年07月21日 05:40:47
Akameさん そうですね
ある種の原理主義ですか 非常に納得できます
何かの思想信念、啓発に「これは素晴らしい‼」と感銘を受けるのは自由ですが
それをやたらと宣伝したり それが高度で至高であるような勘違いをするのは怖いですよ
私も気を付けよーっと
- akame
- 2015年07月21日 04:52:38
感情的な発言をお許しください。
「自分、あるいは自分たちの思想信念、物差しこそ至高であり他の物差しは無くなるべきだ」
その信念で命がけの戦いを挑む生き方に身を投じたこともあります。それはある種の原理主義派なのです。それで他の方を傷つけ、今でも胸が痛んでいます。今の世界も似たような考え方、様々な優越主義が暗い影を落としています。
でも中には考え方を変えた方もおられ、例えば、他の民族の若者たちを家に招待して民族的差別主義が氷解したようでした。偏った宣伝に踊されていた、と感じられたようです。
時間的猶予など生活の状況にもよりますが、寛容な気持ちで他の様々な価値観にも触れたりするのもとても大切だと思います。無理は禁物ですが。
- akame
- 2015年07月21日 04:04:48
聖書は様々なフィルターを通し解釈が可能です。其々の方の育ち、男女としての生理的感性の違いも顕著で、幾ら話しても埋まらない溝があります。誰が何と言おうが、生理的に嫌なものは嫌なものです。しかしそれが、何かのきっかけで変わるのも事実です。
何が正しい聖書解釈だろうか?解釈を巡る論議も数十年行ってきましたが、正解はないように思います。私的には、それこそ神のメッセージかなと今は感じています。
人生には不条理な仕打ちと感じる場面が多々あります。私も経験しましたが、それに負けない力を時に聖書から引き出して貰えるならそれも貴重なことです。
しかし私は皆さんの今の感性を大切にしていただきたいと思います。変化へのプロセスが重要で、何か洗脳的なもの、押し付けられたものではないものを求める今の気持ちこそ財産なのですから。
- possible
- 2015年07月21日 00:41:48
まぁ、聖書という素晴らしい名作にケチをつけると捉えるならある意味ネガティブな話題ですね
うちの過去の掲示板をまったく見たことがないから、そのように自由にものが言えるのでしょう。
うちのサイトでも、聖書にはずいぶんケチをつけてきましたよ。(笑)
この掲示板で今扱ってる事柄は、ほとんど私が「すでに」言及し、ツッコミを入れてきた部分です。
ただし、私の場合は違うんですよ。
私の場合は、それは、「聖書を文字どおりにとらえることの愚かさ」を示すためです。
聖書を文字どおりにとらえるのなら、「そうならざるを得ない」(必然の結果)ということです。
だから、もう、そういう愚かなことは「卒業」しましょうよ、と私は言ってきたわけです。
しかし、今のあなたには、それが難しいと思うし、
「卒業」など、今の段階ではとても出来ないでしょうから、
それは「非常に高度な」解釈方法だ、と私は言ってるのです。
逆(私の解釈があなたより下級という意味)ではないですよ。
そもそも、私は、このスレッドの最初の返答で、「ヘブライ語から」説明しました。
それのどこが「あなたより下」のように思われるのでしょうね。不思議です。
- possible
- 2015年07月21日 00:29:50
みんながキョトンとしている中、彼は続けます「解らないのかい、何度もいうよこれはモダンアートなんだ」
ごめんなさい これがpossibleさんに対する私の印象です
フフフ(^^)
よく考えられた「例え話」です。イエスのようですね。
でも、ほんとうに、「素晴らしい芸術」だったら、どうするのでしょうね。
そして、誰かがオークションにでも出して、「数億」という値段でも付けたとしたら。
評価は、一気に変わるのではないでしょうかね。
ちなみに、昔の聖書や、または聖書の写本って、「いくらで」取引されるのでしょうかね。
あなたが一生働いても買えないほどの額かもしれませんよ。
そして、なんで、「今でもベストセラー」なんでしょう?
あなたが否定しても、その「価値」は全く下がらないでしょうに。
なお、その昔(聖書が書かれた時代)、女性は今よりも地位が低かっただろうと思います。
聖書は、女性を「物のように」扱ってる男性たちについて言及しています。
そして、ある人は、その創世記の最初の記述の矛盾をついて、その価値を低めようとします。
しかし、その最初の記述に、女性が男性の「助け手」として造られたと書かれています。
現代の女性の中には、この表現を攻撃し、気にくわないと思う人がいるかもしれません。
しかし、このヘブライ語は、出エジプト記18:4で用いられてるものと同じヘブライ語です。
すなわち、神が自分の「助け手」と言ってるものと同じ表現です。
「助ける者」と「助けられる者」。
いったい、どっちが上なんでしょうね。
助けるほう(助け手)が上でしょうに。
あなたの言う「モダンアート」という表現は、必ずしも間違いではないと私個人は感じます。
(前に私がここの掲示板で引用したエフェソス人の手紙も、女性に「服しなさい」
とは「原語では書かれていない」と私は言いました。
何で聖書の著者は、女性に直接「服しなさい」とは言ってないのでしょうね。
私には、聖書の著者が、書き方(ものの言い方)に、ものすごく注意してるように見えますけども。
言っときますけど、周りは皆、男尊女卑の時代に、です。)