陪審員による評決

キャンディス・コンティ裁判の特徴は,この民事裁判が陪審員制度のもとで行われた点です。日本では「裁判員制」が導入され一般市民が裁判に参加するようになっていますが,特殊な刑事事件だけに限られています。これに対してアメリカでは民事裁判でも陪審員による裁判が開催されます。その場合,不公平がないように12人の市民が無作為に選ばれ,不法行為の有無や賠償金の額までも決定します。

陪審制の意義 – Wikipedia
例えば、民事事件における被告の責任の有無や損害賠償額についての判断、・・・に際して、陪審は社会の感覚を示すことができると指摘されている。

上記の解説の中で述べられているように陪審制の意義は「社会の感覚を示すことができる」という点です。評決の中で示された内容は,子どもの人権に対する意識や,聖職者の特権に対する現代の社会感覚を示したといえます。

 

懲罰的損害賠償

今回の裁判では最終的に,加害者のジョナサン・ケンドリック,ノースフリーモント会衆,そしてものみの塔聖書冊子協会が訴えの対象になりました。 しかし今回の裁判では,ものみの塔聖書冊子協会だけが懲罰的損害賠償」の訴えの対象でした。

懲罰的損害賠償(punitive damages)
【法律】加害者の「不法行為」が特に重大な悪意を伴ったりまたは故意を伴う時に裁判所が加害者に支払を命じる損害賠償金をいう.その額は被害者のこうむった損害あるいは傷害の程度をはるかに上回る.その目的は同種の不法行為または刑事上の犯罪の再発防止のための警告の役割を果たす.
英和生命保険用語辞典

上記の解説で示されているように,懲罰的損害賠償は「同種の不法行為または刑事上の犯罪の再発防止」の役割を果たします。

この賠償金の制度は特に大企業に対して多額の賠償額が判決の中で示されます。 例えばアメリカの マクドナルド・コーヒー事件 では非常に大きな額の「懲罰的損害賠償」が陪審員によって評決されています。 これにはマクドナルドのような大企業は多額の制裁金が課されない限り実質的には懲罰的な効果がないという考えが根底にあると考えられます。

今回の裁判では,ものみの塔協会側の作為的な怠慢が示され,再発防止のための警告の役割を果たす懲罰的損害賠償が必要であると判断されました。

 

賠償金の額

今回の判決で下された賠償金の額は非常に高額です。アメリカでは他にもカトリック教会の児童性的虐待の集団提訴でもっと高額の評決が出ていますが,一人の原告の訴えの同種の訴訟の中では最高額と言えます。

実際,この評決の後に裁判官によって賠償金の減額が命じられました。

改定額: $8,610,000(懲罰的損害賠償) + 2,800,000(補償的損害賠償) = $11,410,000(合計)

この減額命令は原告の経済的な損害に対する賠償額に比べて非金銭的損害賠償や懲罰的損害賠償の比率が過去の判例と比べても大きすぎると判断されたためです。

現在,ものみの塔協会側は裁判の評決そのものを不服として控訴し,カリフォルニア州控訴裁判所での審議手続きに入っています。

 

報道の影響

カナダのザ・スター紙

『彼らは間違いなくこの件で面子を失うことになるでしょう』とレスブリッジ大学のジェームズ・ペントン元教授は述べました。ペントン自身もかつてはエホバの証人であり,この宗派に関する三冊の本の著者でもあります。彼はさらにこう述べます。『これがきっかけになり,多くの人が彼らと関わりを持たなくなるでしょう。そして内部の人々も一体どうなっているのだろうと疑問を持ち始めるでしょう。』

“They’re sure getting a bloody nose over this one,” said retired University of Lethbridge professor James Penton, himself a former Jehovah’s Witness and the author of three books on the denomination. “This will cause many people to have nothing to do with them, and many people within the movement to question what’s going on.”

THE STAR – Canada

このような問題は,エホバの証人特有のものではありません。 しかし内部からは幾つかの点で深刻な疑問が投げかけることでしょう。少なくともこの組織が他の宗教とは異なる唯一の真の宗教であり,自分たちを真の宗教と認めない人々は滅ぼされるといった独善的な考えを維持するのに困難を覚える人はますます増えるに違いありません。

 

霊的な家族という幻想

裁判の中で,ものみの塔協会の弁護士はフリーモント会衆の長老は原告女性を虐待から守る義務を負うような「特別な関係」は存在しなかったと主張しました。「特別な関係」とは虐待の報告義務や警告する責務が生じる関係のことを指します。親はもちろんですが,例えば教師,医師,カウンセラーなども虐待を防止する特別な関係を持つものと一般的にみなされます。

虐待を防止するための責務をどこまで広げるかは統一された見解があるわけではなりませんが,協会の弁護士が語るように長老たちとの間に虐待を防止する「特別な関係」が存在しないのであれば,成員は長老たちに全幅の信頼をよせるべきという協会の主張は説得力のないものとなります。

キャンディス・コンティの弁護士は冒頭陳述の中で「[彼らは]兄弟や姉妹のように,互いを家族のようにみなしました。そうすることが自分たちの責務の一部だと感じていました。」と述べています。

リック・サイモンズによる冒頭陳述

これに対して協会側は全く異なる考えを述べました。協会の弁護士は冒頭陳述の中で次のように述べます。

OPENING STATEMENT BY MR. SCHNACK – May 29, 2012

1985年の記事(目ざめよ!’85 4/22)の中には自分たちの宗教指導者にも警戒するようにと親たちに告げている文章さえあるのです。それで親たちは自分の子供たちを長老や他の奉仕者のもとに委ねる際にも十分に配慮するでしょう。会衆に対してはこの種の情報が発信されていたのです。

協会の主張は本当でしょうか?目ざめよ!’85 4/22号を読んで会衆内の長老たちをさえ疑うようにと解釈した人がどれほどいるのでしょうか?エホバの証人は聖霊による導きを得ている会衆で保護を受け,聖霊により任命された長老たちを信頼することができると教えられていたのではないでしょうか?

 

評判を落とさないための努力

エホバの証人は他の宗教組織にはない「霊的なパラダイス」を享受していると教えられています。しかし時には自ら作り上げた評価を守るために,「外部の人びとの目に真の崇拝をまちがって印象づけたりするような問題」を隠すことがなされます。協会はコリント第一 6章1‐7節を適用して「仲間の信者の関係している訴訟を起こす」ことをしないように命じています。

*** 塔74 2/15 126 127ページ 読者からの質問 ***
…使徒パウロは,クリスチャン相互間の争いを法廷に持ち出すことがクリスチャンとして矛盾する行ないであるという点を,コリントのクリスチャンたちに示していました。裁き人たちは,神の律法の高い原則によって支配されてはおらず,またその良心は神のみことば聖書の研究によって訓練されてもいませんでした。当時の裁き人の中には収賄などの不正を働く者が多くいたことからして,クリスチャンは,彼らの裁決を正しいとみなすべき根拠をほとんど持ち合わせていませんでした。パウロは彼らのことを「不義の人びと」と呼びました。もしもクリスチャンが自分たちの間の争いをこうした人びとの前に持ち出すとすれば,彼らは,忠誠心に欠けていると会衆が見下げる人びとを「裁きの座につかせ」ていることになりました。
さらに,こうした問題を不信者の前に持ち出しで裁決を求める人は,クリスチャン会衆の中には,クリスチャンの間で生じる「今の生活上の事がら」を裁決しうる知恵の持ち主がひとりもいない,と言っているにほかなりませんでした。そうした態度は,霊によって油そそがれたクリスチャンたちが主イエス・キリストの天の共同支配者として,人間だけでなくみ使いをも裁くようになるということと全く矛盾するものでした。また,仲間の信者を異教徒の裁き人の前に引き出すことによって,彼らは神のみ名に大きな非難をもたらすことにもなりました。外部の人は,クリスチャンは他の人びととなんら異なるところなく,自分たちの間の紛争を解決することもできない,と考えるようになり,真の崇拝に対する関心は損われたことでしょう。クリスチャン個人間の争いに公衆の注意を引いて会衆全体に害を与えるよりも,個々のクリスチャンが個人的に損失を被ったほうがはるかによかったでしょう。
こうした点を考慮に入れると,今日の献身したクリスチャンは,真の崇拝の伸展を阻害したり,外部の人びとの目に真の崇拝をまちがって印象づけたりするような問題を世俗の法廷に持ち出すでしょうか。いいえ,そのようなことはしません。

上記の指針があるため,エホバの証人は虐待なども含めて「問題を世俗の法廷に持ち出す」ことは出来ないと感じることでしょう。

警察への通報に関してはどうでしょうか?長老たちには児童虐待の通報を警察に対して個人がすることに関しては阻止しないように伝えています。長老たち自身は児童虐待の報告義務が土地の法律で課せられている場合のみ通報を行うことになっています。

長老たちに対する2010年のマニュアルの中で,児童虐待に関連して「児童虐待の訴えを警察や他の機関に報告すべきではないと示唆することは誰に対しても決してしてはなりません。もし尋ねられたら,問題を当局に報告するかどうかは個人的な決定であることを明確にしてください」と述べられています。

同じ点は2002年に出された長老への手紙にも記されており,警察に報告した成員が会衆で処分されることはないと述べられています。

群れを牧する p.131

キャンディスは自分以外にも被害者がいたということを知り行動を起こすことになりましたが,その前は問題を一人で抱え込んでいました。エホバの証人としての立場を保ちながら会衆内で生じた問題を公にすることができる人はどれだけいるでしょうか?

 

記事の終わり