会衆内で起きる児童虐待への警告がなされていたのか?

裁判の中では、ものみの塔が組織として児童虐待を防止する点で十分な対応をとってきたかという点が議論されました。

この点では対立する双方の側が児童虐待問題の専門家を証人として呼び、意見を聞いています。

原告のキャンディス・コンティ側のアナ・ソルター氏は次の点を指摘しています。

「ケンドリックによる子供の虐待を把握してからの被告(ものみの塔)の対応は大人と子供が一緒になる活動を主催したり促進したりする組織としては、監督者としての基準を満たしていない。1993年までに、主要な宗教組織と世俗の組織は[子供と大人が参加する]活動を主催する場合、『性的虐待者として知られる人に関する透明性をもつポリシーを採用していた』。」(9頁)

しかし、ものみの塔側の証人であるモニカ・アップルホワイト氏は教育の重要性を指摘します。

「子供を保護する一番良い方法は児童性的虐待に関して親を教育することである」(10頁)

これはつまり、ものみの塔は組織内で起きる虐待に注意を払うように十分な教育を親に与えていたので、透明性をもっていなくても十分であるという主張になります。

では、ものみの塔は本当に組織内で子供を保護するための適切な教育を行っていたのでしょうか?

 

ものみの塔による教育

ものみの塔は裁判の中で、彼らが機関誌を通じて会衆の成員に対して「長老や他の奉仕者」に子供を預けるときにも気を付けるように教育していたと主張しています。

判決文の中ではその主張の概要として以下のように述べられています。

控訴審 判決文 ページ 7

appeal_decision_p.7

 

 

ものみの塔側の主張 – 控訴審判決文 7頁 日本語訳

「児童虐待については1985年4月22日号(英文は1月)の「子供に対するわいせつ行為―『一体だれがそんなことをするのか』」や「子供に対するわいせつ行為―お子さんの身を守ることは可能です」という主題の記事で多く論じられている。

さらにこの主題は1993年10月8日の「どうすれば子供を守れるか」という質問の見出しの中で次のように論じられている。

『悲しいことに,大人の社会は意に反してしばしば児童虐待者に手を貸しています。どのようにですか。虐待という危険に目をつぶり,この危険を押し隠そうとする態度を助長し,よく耳にする作り話を信じることによってです。無知や誤った情報や沈黙によって保護されるのは犠牲者ではなく虐待者のほうです』。

二つの号は両方とも児童性的虐待に関する間違った概念について言及しており、それには虐待は被害者にとって見知らぬ者によっておこされることが多いという考えが含まれている。

そして1985年の号では例として女の子が「教会関係のあるグループの世話係」によって虐待された事件を取り上げている。」

 

上記の主張は、1審の陪審員に対して ものみの塔側が主張していた点を指しています。そこでは ものみの塔弁護士が次のように主張しています。

 

OPENING STATEMENT BY MR. SCHNACK – May 29, 2012

ものみの塔弁護士による冒頭陳述 – 2012年5月29日

30年以上の間,ものみの塔は会衆内のすべての親たちに教育的な記事を提供してきました。…
最初のものは実に1982年7月22号(日本語 ’82 9/22)の目ざめよ!から存在するのです。…続いて1985年1月22日号(日本語 ’85 4/22),そして1991年10月8日号も得ることができ,最後に1993年10月8日号もあります。これらはものみの塔が成員たちの手に配布しているものの一部にしかすぎません。親たちを教育しているのです。

1985年の記事の中には自分たちの宗教指導者にも警戒するようにと親たちに告げている文章さえあるのです。それで親たちは自分の子供たちを長老や他の奉仕者のもとに委ねる際にも十分に配慮するでしょう。会衆に対してはこの種の情報が発信されていたのです。

では本当に会衆の成員は「自分たちの宗教指導者にも警戒するよう」に教育されていたのでしょうか?

以下が ものみの塔の主張で言及されていた「目ざめよ!」誌です。

目ざめよ!1985 4/22号 表紙

*** 目85 4/22 4ページ 子供に対するわいせつ行為―『一体だれがそんなことをするのか』 ***

「スーは教会関係のあるグループの世話係をしていた男性にわいせつなことをされていました。その男は青少年のクラブを運営しており,だれからも非常に好感を持てる人だと言われていましたが,スーをはじめほかの少女たちを性的に虐待していたのです。」

この「目ざめよ!」誌によって、会衆の成員は会衆の「宗教指導者」に警戒するよう教育を受けていたと本当に言えるのでしょうか?

エホバの証人は、設立初期から「教会」という言葉を使うことを避け、「キリスト教世界」内で起きる問題と自分たちとを切り離してきました。ものみの塔が過去に発行してきた文書を読んでも「キリスト教世界」の教会と自分たちの会衆を同じ範疇で語っているような文面さえ見たことがありません。

それで、裁判の中でなされた ものみの塔側の「自分たちの宗教指導者にも警戒するよう」教育していたという主張は大きな疑問符が残ります。

 

記事の終わり