ものみの塔(会衆)側の主張

この記事を書くにあたり参照したドキュメントは以下のものです。いずれも裁判書の公式資料です。

ノース・フリーモント会衆の答弁書 および ものみの塔の答弁書

ノース・フリーモント会衆と ものみの塔聖書冊子協会は控訴人として別個になっていますが、控訴理由などは多くの部分で共通のものとなっています。

まずはノース・フリーモント会衆の弁論書を外観します。

 

上記のページのアラビア数字が振られている 7 項目のうち、2 から 6 までが控訴理由の具体的な主張です。

これら 5 つの論点のうち 2 番と 6 番を除く他の 3 つの項目全てが、会衆の長老が被害者に対して警告する義務はなかったという主張になっています。

その中心的な主張となるのは次のものです。

Ⅲ.DEFENDANT DID NOT OWE PLAINTIFF A DUTY OF CARE SINCE IT DID NOT HAVE A SPECIAL RELATIONSHIP WITH PLAINTIFF OR KENDRICK

「被告側(会衆)は原告にもケンドリックにも特別な関係を持っていないため、原告に対して保護責任を負っていない。」

簡単に述べるとこれは、ケンドリックもコンティも宗教組織の中にたまたま集まってきた成員にすぎず、仮にケンドリックに再犯の可能性のある小児性愛の問題があることを知っていても、会衆はキャンディスの両親に対して警告する義務はない、という主張です。

一方、原告側(キャンディス)は当時の小さな会衆では、互いに兄弟姉妹として信頼することが期待されるコミュニティーが形成されていたことを説明し、エホバの証人の特異性を主張しました。

そしてケンドリックの元妻のエブリンも当時のエホバの証人の会衆の特異性を証言しています。

「『わたしたちは会衆の人たちとだけ交友を持つようにしていました。わたしたちは、明確な指示がなくても、同じ宗教の人々とのみ交わるべきと考えました。他の宗教の人々からは悪い影響があると考えていたからです。』 会衆の成員は互いに“兄弟”“姉妹”と呼び合っていました。」
控訴審判決文 2ページ

これに対して、ものみの塔側はカトリック教会に対する同種の裁判(Roman Catholic Bishop of San Diego, supra, 42 Cal.App.4th 1556.)を参照し、次のように述べています。

「カリフォルニア裁判所は一貫して宗教組織は未成年の子供を含めて、単に宗教の中のメンバーだという理由で会衆の成員との間に特別な関係は存在しないと判断してきた。」

ノース・フリーモント会衆の答弁書 20ページ

上記の通り、訴える側が エホバの証人の特異性を主張するのに対し、ものみの塔側は自分たちがカトリック教会と変わらない宗教組織であるということを強調するという皮肉な展開になっています。

 

倫理上の問題よりも信教の自由を盾にとる主張

ものみの塔の答弁書の中には独特な主張が追加されています。

 「一審は、ものみの塔に対して警告義務を含む保護義務が求められていることを前提に、陪審員に対して控訴人(ものみの塔)の宗教信条を審査し評価するように促している。それはアメリカ合衆国とカリフォルニア州の憲法で保護されている控訴人の権利を侵害している。」

ものみの塔の答弁書 2ページおよび40ページ

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さらに次の主張を行っています。

「懲罰的賠償金の額が高すぎる。その額は原告側が陪審員に ものみの塔の『秘密主義ポリシー』に変革を加えたいという意思を表明することで得られているものである。」

ものみの塔の答弁書 3ページおよび51ページ

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ものみの塔は組織内の子供たちを守っているという主張をするよりも、自分たちの宗教信条や「秘密主義ポリシー」が信教の自由によって守られているのであり、道徳的な側面で審判すべき領域にはないと主張しています。

そして、ものみの塔はキャンディスの姿勢、つまりキャンディスが自分が受けた損害の賠償よりも「子供たちを守る」ことを裁判の目的としていることを批判しています。(ものみの塔の答弁書 52ページ)

 

このように、ものみの塔の主張を見ていくと、スティーブン・レットがJW BroadCastingで「若者を守る組織」と自信をもって語っている姿と、裁判での姿勢はずいぶん異なるものである印象を受けます。

 

記事の終わり