聖書の中には謎めいた数字が出てくる。例えばヨハネの啓示(黙示録)には次の言葉がある。

(啓示 11:3) そしてわたしは,わたしの二人の証人に,粗布を着て千二百六十日のあいだ預言させる」。

またダニエル書は次のような謎めいた言葉で話が終わっている。

(ダニエル 12:11‐13) 「そして,常供のものが取り除かれ,荒廃をもたらす嫌悪すべきものが置かれた時から,千二百九十日があるであろう。 12 「ずっと待ち望んで千三百三十五日に達する者は幸いである。 13 「そしてあなた自身は,終わりに向かって進め。あなたは休むが,日々の終わりに自分の分のために立ち上がるであろう」。

クリスチャンはこれらの預言の成就について思いを巡らせることになる。そして、どの時代にも考え方に共通点がある。それは:

「それは我々の時代に成就する」

というものだ。人は自分のまわりの世界が一番重要であり、常に興奮を誘うものを求めているのだ。謎めいた預言の言葉を見れば、それを自分の時代に当てはめたくなるのであろう。 以下は表はダニエルやヨハネの啓示に出てくる1260日(1260年)を人々がどのように解釈してきたかを示すものである。(THE GENTILE TIMES RECONSIDERED – Carl Olof  Jonsson 2004年版 より抜粋)

上記の表には共通点を見出すことができる。ほとんどの場合、1260日の預言の成就する期間(特に終点部分)を自分たちの時代に当てはまるように解釈しているということだ。

C.T.ラッセルも同じであった、聖書の預言、また例え話や聖書の物語でさえ、自分たちの時代に成就する秘められた預言が含まれていると考えたのである。

では上記の一覧をもう一度見て考えてみよう。 彼らは自分たちの時代に関係のある預言として捉えた、人はそのような思考を持つ強い傾向がある。それならその預言の言葉を書いた人も「(彼らにとっての)自分たちの時代」のことを書いていたのではないだろうか?