エホバの証人研究

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結論3 – 誤解された聖句

エホバの証人は聖書が「古代エルサレムが滅んだのは西暦前607年である」という「証拠」を提出していると考えています。主に根拠とされている聖句はダニエル9:1-2歴代第二 36:21‐22、そして元になる「七十年に関するエレミヤの預言」です。しかし実際の聖句を詳しく分析すると異なる結論になります。さらにゼカリヤに記述されている聖句を調べるとエホバの証人の解釈は完全なる間違いであることが確証されます。

根拠とされている聖句

以下の二つの聖句はエルサレムが70年間荒廃していたことを示す聖句です。どちらの聖句も「エルサレムの荒廃」と「七十年」という期間を関連付けています。

(ダニエル 9:1‐2) メディア人の胤アハシュエロスの子ダリウス,すなわちカルデア人の王国の王とされた者の第一年, その統治の第一年に,わたしダニエルは,エルサレムの荒廃が満了するまでの年の数を幾つかの書によって知った。それに関してエホバの言葉が預言者エレミヤに臨んだのであり,[すなわち,]七十年とあった。

(歴代第二 36:21‐22) これはエレミヤの口によるエホバの言葉を成就して,やがてこの地がその安息を払い終えるためであった。その荒廃していた期間中ずっと,それは安息を守って,七十年を満了した。  そして,ペルシャの王キュロスの第一年に,エレミヤの口によるエホバの言葉が成し遂げられるため,エホバはペルシャの王キュロスの霊を奮い立たせられたので,彼はその王国中にあまねくお触れを出させ,また文書にしてこう言った。

この二つの聖句には共通点があります。それはどちらの聖句も「預言者エレミヤ」の書を参照しているという点です。ダニエルはエレミヤ書の「七十年」の記述を見てエルサレムの荒廃が満了するまでの年数を計算しました。歴代誌の筆者も「七十年」という数字と「エレミヤ」の預言を関連付けています。七十年の意味を知るためにはエレミヤの聖句を調べる必要があります。

 

エレミヤの預言

関連するエレミヤの預言を見てみましょう。

(エレミヤ 25:8‐12) 「それゆえ,万軍のエホバはこのように言われた。『「あなた方がわたしの言葉に従わなかったので,9 いまわたしは[人]をやって,北のすべての家族を連れて来る」と,エホバはお告げになる,「すなわち,わたしの僕,バビロンの王ネブカドレザルのもとに[人をやって],彼らを来させ,この地とその住民と周囲のこれらすべての諸国民を攻めさせる。わたしは彼らを滅びのためにささげ,彼らを驚きの的,[人々が見て]口笛を吹くもの,定めのない時に至るまで荒れ廃れた所とする。10 そして,わたしは彼らの中から歓喜の音と歓びの音,花婿の声と花嫁の声,手臼の音とともしびの光を滅ぼす。11 そして,この地はみな必ず荒れ廃れた所,驚きの的となり,これらの諸国の民は七十年の間バビロンの王に仕えなければならない」』。 12 「『そして,七十年が満ちたとき,わたしはバビロンの王とその国民に対して言い開きを求めることになる』と,エホバはお告げになる,『彼らのとがを,カルデア人の地に対してである。わたしはそれを定めのない時に至るまで荒れ果てた所とする。

エレミヤは七十年という期間を何に対する期間としているでしょうか? 七十年は「バビロンの王に仕える」期間であるとされています。しかも、その対象はエルサレムやユダの住民だけでなく、周辺の諸国の民も含まれているのです。

ではこの言葉を当時のユダヤ人が読んだら、どのような解釈をするでしょうか? この言葉が語られたのはいつでしょうか? それは「ユダの王,ヨシヤの子エホヤキムの第四年,すなわちバビロンの王ネブカドレザルの第一年」です。(エレミヤ 25:1) それはちょうどバビロニアがエジプト、シリア、そしてアッシリアを次々と倒し、世界帝国として台頭してきた直後であり、ちょうどネブカドネザル率いるバビロニア軍がユダの領土へも軍事遠征を広げている時と一致しています。それで当時のユダヤ人は「これらの諸国の民は七十年の間バビロンの王に仕えなければならない」と聞いたならば、バビロニアが世界帝国として君臨する期間としてエレミヤの言葉を理解したことでしょう。

エレミヤ書には「七十年」に言及した預言がもう一つあります。そこでもやはり70年はバビロンに関する70年とされています。確かにその期間の終了はエルサレムに帰還できることを意味しました。しかし決して「荒廃が70年である」とは述べられていません。

エレミヤ 29:10 エホバは言われる。バビロンのための七十年(*1)が完了した後、わたしはあなたの所を訪れることになるであろう。そしてあなたに対する良い言葉を実行するのである。それによりあなたはこの場所に戻ってくることになるであろう。-アメリカ標準訳
*1 新世界訳のように「バビロン七十年」と約している翻訳もある。しかし字義的には「for Babel」である。

エレミヤ29:10は当時のバビロンに流刑にされた人に対して希望を与える言葉となりました。「バビロンのための七十年」の終了は、荒廃からの回復を意味していたからです。 ダニエルもエレミヤの言葉から励みを得たユダヤ人の一人です。ダニエルはエレミヤの言葉を正しく理解していたことでしょう。そのとき、バビロニアが世界強国になってからおよそ70年が経過していました。まもなくエルサレムが復興されると期待したのです。(2015.07.29 文面訂正)

同じように歴代第二の筆者もエレミヤの預言が、70年の間バビロンの王に仕えなくてはならないことを意味すると理解していたと考えられます。この聖句はユダヤ人がエルサレムを離れている期間がちょうど「70年」であったと主張するのにエホバの証人が最もよく使う「根拠となる聖句」の一つです。しかしその聖句でさえ、前後関係を見ると聖書筆者の意図は異なるものであることを見ることができます。そこにはこうあります。

(歴代第二 36:20‐21) …こうして彼らは,ペルシャの王族が治めはじめるまで,彼「ネブカドネザル]とその子ら[新バビロニアの続く王たち]の僕となった。これはエレミヤの口によるエホバの言葉を成就して,やがてこの地がその安息を払い終えるためであった。…

上記の聖句をエホバの証人は、ユダヤ人がエルサレムを離れていた期間としての70年であると解釈して説明します。その理由は、続く部分が「やがてこの地がその安息を払い終えるためであった。その荒廃していた期間中ずっと,それは安息を守って,七十年を満了した。  」という言葉で終わっているからです。しかし「エレミヤの口によるエホバの言葉」そのものは新バビロニアの配下に置かれるという前の節につながっています。「この地がその安息を払い終える」というのはその預言の成就の副産物なのです。エレミヤの預言が「バビロンの支配」に関連したものであるということはエレミヤ 25:8‐12そのものが示唆しています。その「エレミヤ 25:8‐12」こそが歴代第二の筆者が「エレミヤの口によるエホバの言葉」として参照していた言葉なのです。

しかし、もしそのような解釈、つまりユダヤ人がエルサレムを離れていた期間が厳密に70年であったのだと解釈するならさらに続く部分との矛盾が生じます

そこでは「七十年を満了した」ゆえに「ペルシャの王キュロスの第一年に」故郷への帰還を促す文書が出された、つまり七十年の満了以降に帰還が開始されたことが述べられているのです。これはエレミヤ 25:12の言葉とも調和しています。ところがエホバの証人の立場からすると帰還が始まるときではなく帰還を遂げた時点が「七十年の満了」でなければならないのです!

さらに次の点も考えてください。

もしエレミヤの預言の七十年をバビロンへの隷属ではなくエルサレムの荒廃に当てはめ、文字通りの70年間であったと主張するのであれば、以下の預言の言葉も「七十年」という言葉を厳密に70年間として解釈すべきです。

(イザヤ 23:15‐17) そして,その日には,ティルスは一人の王の日数と同じく,必ず七十年間忘れられる。七十年の終わりに,遊女の歌にある通りのことがティルスに生じる。16 「忘れられた遊女よ,たて琴を取れ,都市を巡れ。最善をつくして弦を奏でよ。お前の歌を多くせよ。思い出してもらうためだ」。 17 そして,七十年の終わりにエホバはティルスに注意を向けることになり,彼女は必ず自分の賃銀に戻り,土地の表にある地のすべての王国と売春を行なう。

ところが、ものみの塔は上の聖句を解説するにあたり次のような説明をしています。

ものみの塔発行 イザヤの預言 – 全人類のための光(1) 253‐254ページ
エレミヤを通してこう言われます。「これらの諸国の民は七十年の間バビロンの王に仕えなければならない」。(エレミヤ 25:8‐17,22,27) 実際のところ,ティルスの島側の都市は,丸70年の間バビロンに服従するわけではありません。バビロニア帝国は西暦前539年に倒れるからです。この70年は,バビロニア王朝が自らの王座を「神の星」の上にまで上げたと誇る,バビロニアの支配の最盛期を表わしているようです。(イザヤ 14:13)その支配下にそれぞれの国が入った時期はまちまちです。

一方で聖書の中の70年という期間を「丸70年の間・・ではありません」「バビロニアの支配の最盛期を表しているようです」、「時期はまちまちです」と解説するのに対して、他方では70年は文字通りの期間で、エルサレムが荒廃していた期間に限定するということは論理として破たんしています。

ものみの塔はこの矛盾に関してどのように説明しているでしょうか。以下の注解をご覧ください。(ものみの塔2011年10月号)

 エレミヤの70年に関する一般の妥当な見解が語られたあと、「しかし聖書によれば」という言葉で否定するコメントが続きます。 しかし参照されているどの聖句を見ても、エレミヤの預言の70年を「70年間の流刑」に限定させるような言葉は見出すことができません。

明らかに、西暦前607年説の根拠とされてきた聖書の言葉は誤解されて解釈されてきたのであり、あらゆる考古学的証拠に逆らって20年間の期間を新バビロニアの歴史に追加する土台としては、あまりにも貧弱なものです。ガリレオの時代に地動説を否定するのに用いられた聖書解釈のほうがまだましなくらいです。

 

ゼカリヤ書 -エルサレムの滅びの年を知る手がかり

 

エルサレムが滅ぼされた年を確定するのに大変役立つ聖句があります。この聖句は考古学的証拠を用いずに聖書を使ってエルサレムの滅びの年を算出することができる聖句でもあるのですが、ものみの塔は2011年10月号の記事でこの聖句を完全に無視しました。

ではそこにどのように書かれているのか見てみましょう。

 

(ゼカリヤ 1:7) ダリウスの第二年,第十一月つまりシェバトの月の二十四日,エホバの言葉が預言者イドの子であるベレクヤの子ゼカリヤに臨んでこう言った。

(ゼカリヤ 1:12) すると,エホバのみ使いは答えて言った,「万軍のエホバよ,いつまであなたは,エルサレムとユダの諸都市に憐れみを示されないのでしょうか。この七十年の間,あなたはこれを糾弾されたのです」。

このダリウスとはペルシャ人のダリウスのことです。ダリウスの第二年は西暦前520年になりますので、このときはキュロスのユダヤ人バビロン捕囚の解放からすでに18年の年月が経過していることになります

それにもかかわらずエルサレムとユダの諸都市が「ここ七十年の間」糾弾されていると言われています。ではもし西暦前607年から糾弾された状態が始まっていたとしたらどうなるでしょうか? 以下の図をご覧ください。

ものみの塔が主張するように西暦前607年がエルサレムの糾弾の開始年だとすると90年近く糾弾されていることになり、ゼカリヤの言葉と一致しません。

それに対して一般の歴史で述べられているように西暦前587年が正しい年代であれば、以下のようにゼカリヤの言葉と一致します。

この点はゼカリヤの7章に記述のある70年についても同じことが言えます。

(ゼカリヤ 7:1‐5) …さらに,王ダリウスの第四年,第九の月[つまり]キスレウの四[日]に,エホバの言葉がゼカリヤに臨んだ。2 そのためベテルは,エホバの顔を和めようとして,シャルエツェル,およびレゲム・メレクとその配下の人々を送り,3 万軍のエホバの家に属する祭司たち,また預言者たちに語ってこう言った。「わたしは,これまで,ああ幾年になるでしょうか,ずっとしてきましたように,第五の月に物断ちを行なって泣き悲しむべきでしょうか」。 4 すると,万軍のエホバの言葉が引き続きわたしに臨んでこう言った。5 「この地のすべての民また祭司たちに言うように,『第五の[月]また第七の[月]にあなた方が断食を行なって泣き叫んだ時,しかもそれは七十年に及んだが,[その時]あなた方は,本当にわたしに,このわたしに対して断食を行なったのか…

「第五の月の断食」はダリウスの第4年になっても続き「七十年に及んだ」ということが示唆されています。人々はその断食について「これまで…ずっとしてきましたように」と述べています。「第五の月の断食」が始まったのはいつでしょうか?それはネブカドネザルの第19年(統治18年)にエルサレムを焼き払った事件(列王第二25:8,9)からです。一般の歴史がネブカドネザルがエルサレムを焼き払った年としている西暦前587年からカウントするとまさにダリウスの第四年(西暦前517/518年)は70年が経過した年になります。

興味深いことに、ものみの塔協会は1972年の時点では、ゼカリヤの聖句を70年の期間の説明の一部として掲載し、「特定の月に言及しているこの質問の仕方からして,確かに文字通りの七十年の期間が意味されていたことは明らかです」と述べていました。(目ざめよ!1972年7月8日号28頁) しかしその後に期間の矛盾に気がついたのでしょうか、ものみの塔2011年10月号の記事ではゼカリヤ書の70年に関する記述は一切掲載されなくなりました。

ものみの塔は世俗の資料だけではなく聖書の言葉さえも607年説に不利になるものであれば無視することに決めたのでしょうか?

 

結論

ものみの塔は自分たちの主張を正当化するのに最も都合の良い聖書の言葉を利用してきました。しかも、その都合の良い聖句でさえ、関連する別の聖句を見るならば単に間違って解釈しているだけであることがわかるのです。

あなたはどのように結論しますか? ものみの塔は「聖書に忠実」であるゆえに西暦前607年を固守しているのでしょうか? それとも「自分たちの解釈に忠実」であるゆえに調整することができないだけでしょうか?

この記事では聖書そのもののが古代エルサレムの滅びを西暦前607年の証明だてているわけではないことを説明しました。それに加えて考古学上の証拠も、西暦前607年を強力に否定しています。あなたがそれでもものみの塔の見解を支持するのであれば、その本当の動機は何なんでしょうか?それを吟味する必要があります。

 

 

参考資料:

ダリウス1世については以下のサイトを参照(ダリウスの年代についてはものみの塔も争ってはいない) ダレイオス1世 Wikipedia

ものみの塔はネブカドネザルの第19年を西暦前607年にするために、ネブカドネザルの統治が西暦前625年に始まったとしている。これは一般の歴史と20年の違いがある。
ネブカドネザル Wikipedia

 
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