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#1651 2026年04月24日 14:17:19

エボバは気持ち悪い
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

エボバは気持ち悪い

#1652 2026年05月01日 12:49:26

聖書についての質問
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「次回のものみの塔は、“バプテスマの後にぶつかる問題に備える”で、バプテスマの後、会衆の人の態度がコロリと変わるけれど気にするな、という内容です。」
「バプテスマの前まではお客様で、バプテスマの後はブラック企業の新入社員だからね。中にはこんなはずじゃなかった、だまされたと嘆くおバカな人もいるのだろう。」

「1節に“サタンが支配する世界には問題が付きものです。イエスはその現実を踏まえて,「信仰を妨げるものが生じるのは仕方ありません」と言いました。(マタ 18:7)”とありますが、引照聖句の訳がヘンですよ。」
「JW英語訳では“ it is inevitable that stumbling blocks will come, (つまずきの石は避けられないが)なのに、日本語訳は”信仰を妨げるものが生じるのは仕方ありませんが,“となっている。”つまずきの石“という単語を使いたくないようだけど、この表現はこの部分で何度も出てくる重要表現。サタンのことを言っているわけではない。」

「3から6節は“仲間に傷つけられる時”です。 JWにはろくな人がいないようです。3節に“初めて集会に行った時のことを覚えていますか。エホバの証人の温かい愛に触れて,これは本物の宗教だと思ったかもしれま せん。”とあります。新人を熱烈歓迎するのは全てのカルト宗教の特徴ですよ。」
「執筆者は他の宗教のことを全く知らないんだよ。新しく来た人を熱烈歓迎するのはJWだけの美徳と思っている。」

「ブランカ姉妹の話です。“ある姉妹からとても嫌なことをされました。姉妹はほかの兄弟姉妹のことも悪く言っていました。エホバの証人はみんな優しくて仲良くしていると思っていたので,とてもショックでした。”とあります。これは通過儀礼というものですね。JWの嫌な面をうんざりするほど見ることによって一人前のJWになるわけです。」
「カルトの特徴は信者同士監視しあい、気に入らない信者の悪いうわさを流し、些細な悪行を密告し、他の信者の足を引っ張りあうことと、誰か教えてあげた方がいいね。」

「4節には“兄弟姉妹に傷つけられることは十分にあり得ます。そういう時に備えて何ができるでしょうか。エフェソス 4章32節のアドバイスの通りにすることを心掛けましょう。(読む。)”とあります。そこには“寛大に許し合いましょう。”とあります。傷つけられても許して終り、泣き寝入りというのがJW流の解決策です。」
「加害者よりも被害者に多くの責任を負わせるのがJWの不思議な倫理観。同じ宗教の信者に傷つけられるなんて、とんでもない宗教。愛のある宗教というのは単なる宣伝。さっさとやめよう、JW。」

「5節に“格言 19:11を読む。洞察力があれば誰かに傷つけられてもすぐに怒ることはない,と聖書は言っています。”とあります。引照聖句には“洞察力があればすぐに怒ることはない。過ちを見過ごす人は美しい。”とありますが、訳がヘンです。過ちを見過ごす人というのは無能で不注意で他人の過ちに気づかないボンクラですよ。」
「協会共同訳では“見識ある人は怒りを遅くし/背きの罪を赦すことがその人の誉れ。”で、後半の部分がかなり異なる。JWでは不正行為を見て見ぬふりをするのが美しいことなのでしょう。」

「5節にはリマ姉妹の話が出ていて、自分を傷つけた人と“一緒に伝道して,その人のことをよく知るようにもしています。”と言っていますが、ウソでしょう。」
「伝道すればすべて解決という組織の方針に沿った話なわけで、創作でしょうね。」

「6節には“みんなの良いところに注目するようにしましょう。(格言 10:12と比較。)”とあります。引照聖句には“愛は全ての違反を許す。”とありますが、これも訳がヘンです。」
「これは日本語訳の問題。JW英語訳ではlove covers over all transgressions(愛は全ての違反を覆い隠す)。元のヘブライ語の動詞の意味は“覆う、隠す、着せる”で、許すではない。」

「6節にはマーク兄弟の話が出ていて、“世の中の人がしていることと比べれば,兄弟姉妹の言動は全然気にするようなレベルではありません。”と言っていますが、ウソですよ。JWは他の人たちと基本的に同じです。JWは特別善良な人達と思わせたい組織のプロパガンダです。」
「児童性的虐待でたくさんの逮捕者を出している現実を完全に無視しているし、反省もない。この組織はダメ。」

「7から11節は“捨てたものに未練を感じる時”です。  7節に“エホバの証人になった時,サタンの世界から抜け出せてほっとしたはずです。”とあります。自分たち以外の世界を“サタンの世界”と呼ぶなんてカルトそのものです。」
「JWを長くやっていると、そういうことを気楽に言うようになり、その結果カルトに洗脳されたおかしな人と周りから評価されるようになる。変人の話など誰も聞かないよ。新しい信者を増やすのは難しいね。」

「7節では“例えば,給料が良くて一目置かれるような仕事を辞めた人がいます。聖書を学ぶようになって,友達を失った人もいます。良くない習慣を断ち切った人もいます。そうやって捨てたものに未練を感じてエホバから離れてしまうとしたら,本当に残念です。”とあります。バプテスマを受けたものの、犠牲ばかり大きくて何も得るものはないとJWを見限る人がけっこういるということですね。」
「捨てたものに未練を感じたからJWをやめるという分析は正しいのかな?JWという宗教が要求ばかりするくせに、楽園幻想以外信者に提供できるものがないからでしょう。成功した宗教は安心できる共同体を提供してきたけれど、JWはそれができない。JWはギスギスした宗教拡張員の集まりに過ぎない。」

「8節はアブラハムとサラの話です。“アブラハムとサラはエホバの命令に従って安全な都市ウルを離れ,天幕生活をしました。・・・でも,2人は過去を振り返るのではなく,将来に目を向けていました。”とあります。二人を見倣えということです。」
「アブラハムは神と直接コミュニケーションを取っていたよ。JWはニューヨークに居る老人から命令されるだけ。あまりにも状況が違いすぎる。それから、サラは家父長制の下では夫に従う以外の選択肢はない。アブラハムが行くと言ったら、嫌でも行くしかない。」

「9節はパウロの話です。“もしパウロが大変なことにばかり目を向けて昔と今を比べていたら,クリスチャンになったのは間違いだったと思ったかもしれません。でも,そんなことはありませんでした。パウロは今イエスに仕えられている栄誉と明るい未来に目を向け続けていました。”とあります。」
「パウロはイエスから直接話しかけられた。JWはニューヨークに居る老人から命令されるだけ。あまりにも状況が違いすぎる。」

「10節では“過去に手放したものと,クリスチャンになったからこそ手に入れられた素晴らしいものを比べてみてください。”と言っています。英文では“クリスチャンになった”ではなく、coming into the truth(真理に入った)です。」
「“真理を学ぶ”とか“真理に入る”というのはいかにもカルト的表現だから、“クリスチャンになった”に変えたのだろう。でもJWはクリスチャンではなくて、エホバの人。」

「10節はJWになったことで得られるものが列挙されています。“例えば,誰よりも高い地位にいるエホバとの友情があります。(格 3:32)愛情あふれる家族が世界中にいます。(マルコ 10:29,30を読む。)希望にあふれる未来があります。(イザ 65:21-23)”とありますが、ウソでしょう。そんなものがJWにありますか?」
「JWの幹部になればそうなのかもよ。世界のどこに行っても地元のJWが神のごとく歓迎し、こびへつらってくれるし、現金や高価な贈り物ももらえる。JWの幹部には、間もなく天の王国で支配者になると思い込んでいる人も多い。希望あふれる未来だよ。」

「11節はローズマリー姉妹の話です。“しばらくはクリスマスができなくて寂しかったです。・・・毎年,クリスマス以外の日に家族を家に呼んでプレゼントを渡して,感謝の気持ちを伝えるようにしています。”とあります。好きな日にプレゼントしているというのはJWが対外向けによく言う話ですね。プレゼントをいっぱいもらえそうでJWはうらやましいな。」
「クリスマスの日に同じことをしたらいいと思うよ。なぜ特定の日はダメで、それ以外の日はOKなのか理解できない。文句を言われたら、クリスマスの日とは気づきませんでした、たまたまです、といえばいい。」

「これはクリスマスはダメだという組織からの指令ですね。」
「アメリカなどではクリスマスを祝うJWはけっこういるらしい。家で密かに祝うのなら長老も黙認する。“愛は全ての違反を覆い隠す”わけだ。組織はそれはダメだ、やめさせろと、ここで間接的に言っている。」

「ローズマリー姉妹の次の話は“聖書を学ぶようになって,長い付き合いだった友達が離れていきました。そういう友達のことを思い出して切なくなることがありました。・・・いろんな姉妹を誘って一緒に伝道するようにしました。・・・かけがえのない大切な友達ができました。”というものです。JWこそ真の友だちと言いたいようです。」
「JWになると、それまでの人間関係が壊れることを認めている。それは周囲の人のせいじゃないでしょう。友人だけでなく家族とも関係が壊れるわけだけど、それは言わないね。家族関係を破壊するカルト宗教と思われたくないからだね。」

「JWの人間関係は統治体に盲目的に従っている時のみ成立する人間関係です。統治体の言うことはおかしいとでも言おうなら、危険人物として監視対象になります。」
「だからJWはカルトと言われる。」

「12から16節は“ほかの人がエホバから離れた時”です。  12節には“重大な過ちを犯して,会衆から除かれる人もいます。”とあります。」
「“排斥する”をやめて“除かれる”という表現に変えたんだよね。サタンの世界といいながら、JWでない人たちに受け入れてもらいやすくするための用語変更。神に選ばれた唯一の宗教というなら妥協せず、サタンの世界と徹底的に対決して欲しいね。」

「14節では“多くの弟子たちがイエスに従うのをやめてしまった時,ペテロはどうしたでしょうか。ヨハネ 6章66-68節には,ペテロが何と言ったかが書かれています。(読む。)”とあります。そこでは、ペテロは“主よ,私たちは誰の所に行けばよいのでしょう。あなたは永遠の命の言葉を持っています。”と言います。JWがよく使う聖句です。」
「でもJWは“永遠の命の言葉”を持っていないよ。持っているのはよく変わる怪しげな教義と外れてばかりの預言。そもそもイエスとJWは違う。」

「14節では“ほかの人がどんなことをするとしても,エホバが組織を通して教えてくれた真理の価値は変わりません。その真理を大切にしましょう。”とあります。まずJWの教義はエホバが教えてくれたものではないでしょう。」
「英文ではthe valuable truth you have found with the help of God’s organization.(神の組織の助けによって見出した貴重な真理)で、エホバは出てこない。翻訳者は頭の中に、神の組織=エホバという公式が出来上がっているね。」

「それから“真理”は信者が見出したもので、組織が教えたものではないと言っています。」
「JWの“真理”はよく変わるからね。信者が見出したものなので、変わることもあると言い訳できるようにするためでしょう。エホバが教えてくれたものを変えたらまずい。」

「14節でサーマル姉妹は“誰かが悪いことをしたとしても,会衆や組織全体が間違っているというわけではありません。”と、犯罪者の多いJWという組織を弁護しています。これもよく聞きますが、この弁護は全ての宗教や団体に適用可能ですよ。」
「JWは他の宗教をサタンの支配下と攻撃するけれど、そのような宗教が悪いことをしても、それは一部の人だけで、全体が悪いわけではありませんと言われれば、反論できないよ。せいぜいJWと同じですね、JWもそうなんです、同類ですね、としか言えなくなるよ。」

「15節は、母親が排斥されたエミリーの例です。“母がいなくて寂しいです。・・・私は独りぼっちじゃありません。優しい父がいますし,会衆の兄弟姉妹は本当の家族みたいです。”と言っています。JWは家族を破壊する危険なカルトということですね。」
「もし父親が熱心なJWなら子どものことなどかまっていられないでしょう。仕事に加え、JWの伝道、集会、雑用に追われる。家事なんかはどうするの?エミリーは悲惨な子ども時代を過ごすわけだ。JWが本当の家族みたいだなんてことはまずないよ。もしエミリーの会衆がそうなら極めてまれなケースだということ。」

「JWが年を取って、老人施設に入ると、JWの誰も訪ねて来てくれない、という嘆きはよく聞きます。家族みたいだなんてウソです。」
「JWは無給の宗教拡張員で、働けなくなったら忘れ去られる。」

「最後の17節はまとめです。バプテスマを受けたあと、失敗だったと思ってもJWをやめるなと言いたいようです。“エホバに助けてもらえば,どんな試練が立ちはだかっても,エホバとの絆が断ち切られることはありません。”とありますが、エホバは何もしてくれません。」
「JWの教義では、エホバは会衆の兄弟姉妹を通して助けてくれるんだよ。でもその兄弟姉妹の大半は役立たずで、結果としてエホバは何もしてくれないんだよ。さっさとJWをやめよう。」

#1653 2026年05月01日 14:30:15

Gemini
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

「イエス」と「現代の組織」の同一視:
14節で、ペテロの有名な言葉「私たちはだれのところに行けばよいのでしょうか」(ヨハネ6:68)を引き合いに出しています。聖書本文でペテロは「イエス・キリスト個人」への信仰を語っていますが、記事ではこれを「組織を通して教えてくれた真理」と結びつけ、組織から離れない理由として適用しています。キリストへの信仰を「特定の現代宗教組織への従順」とイコールにするのは、エホバの証人特有の解釈です。

排斥(会衆から除かれること)と忌避の適用:
コリント第一5章13節などを根拠に、重大な罪を犯した者が「会衆から除かれる」ことに触れています。聖書には確かに罪を犯した者を退ける記述がありますが、エホバの証人のように、家族間であっても関係を断つような厳格な「忌避(きひ)」を実践することに対しては、多くの主流派キリスト教の聖書学者から「愛や許しの精神から外れた過度で厳格すぎる解釈である」と指摘されることが多い部分です。

クリスマスの放棄など:
記事の体験談に「クリスマスができなくて寂しかった」とあります。異教の風習を理由に祝祭日を厳格に禁じるのはエホバの証人の独自教理です。聖書そのものがクリスマスを直接禁じているわけではなく、新約聖書(ローマ14:5など)では、特定の日を重んじるかどうかは個人の良心に委ねられているという解釈が一般的です。

#1654 2026年05月04日 03:06:42

A 愛
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

過去、真面目に組織に浸かってたから
社会で全ての行事避けてきたから生きにくかった。でも楽なこともあった。世の人との交際はほとんど出来ないですね。

#1655 2026年05月08日 12:38:09

聖書についての質問
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「次回のものみの塔は、“「教える技術」を磨く”で、新しい信者獲得を目指して、指導法を学ぶ、という内容です。」
「この記事は聖書研究と何の関係もないよ。無給の宗教拡張員向けの空疎なスローガンを並べただけの駄文。」

「1節に“もちろん,「正しい態度を持つ人」を引き寄せるのはエホバです。”とありますが、JWの教えを学んでいる人といえば代表的なのはJWの家族、特に子どもですよ。これってエホバの働きなんですか?違いますよ。」
「“正しい態度を持つ人”(使徒13:48)という日本語訳がおかしい。JW英語訳ではthose who were rightly disposed for everlasting life(永遠の命のために正しく整えられた人々)。協会共同訳では”永遠の命を得るように定められている人“。それから、使徒13:48には”引き寄せる“という単語は使われていない。それはヨハネ6:44にある言葉。」

「つまり、二つの異なる聖句を組み合わせて作ったのが“「正しい態度を持つ人」を引き寄せるのはエホバです。”という主張なわけですね。これって聖書に基づいているとは言えません。創作ですよ。」
「しかも、いつものように訳もテキトウ。」

「1節には“そして,そういう人を見つけられるよう天使たちが助けてくれます。”とあります。根拠としている聖句は啓示14:6ですが、そこにはそんなことは書かれていません。自分たちに都合の良いように解釈しているだけです。」
「そこには“別の天使が空高く飛んでいるのを見た。その天使は,地上に住む人々,すなわち,あらゆる国や民族や言語や種族の人々に伝える,永遠の良い知らせを携えていた。”とあるだけで、JWの伝道活動を助けるとは書いていないよ。天使は単数形で、一人の天使を意味する。JWひとりひとりに天使が付いているわけじゃないよ。」

「1節に“パウロとバルナバのことを考えてみましょう。イコニオムの会堂で伝道していた時,2人が「立派に話をすると,ユダヤ人もギリシャ人も非常に大勢の人が信じるように」なりました。(使徒 14:1)”とありますが、これもヘンですよ。」
「引照聖句には“パウロとバルナバが一緒にユダヤ人の会堂に入って立派に話をすると,ユダヤ人もギリシャ人も非常に大勢の人が信じるようになった”とあるけれど、協会共同訳では“パウロとバルナバはユダヤ人の会堂に入って話をしたが、その結果、大勢のユダヤ人やギリシア人が信仰に入った。”だね。元のギリシャ語に“立派に”という単語はない。」

「2節に“もちろん,私たちが良い知らせを伝えても,みんなが聞いてくれるわけではありません。”とありますが、現実をゆがめています。」
「私たちの話を聞く人は極めてまれです、と書いて欲しいね。」

「3から6節は“相手を心から思いやる”です。 教える技術が3つ出ているのですが、その①です。イエスは相手のことをよくわかっていたそうです。“当時の人たちはエホバについてきちんと教えてもらえず,たくさんの伝統や規則に縛られて苦しんでいました。”とあるのですが、まるでJWのようです。」
「JWはエホバが神の名前です、とウソを教えられ、聖書的根拠のない伝統や規則に縛られて苦しんでいる。JWこそイエスが必要だ。」

「4節に“伝道で会う人を心から思いやるには,まずその人たちがどんな悩みを抱えているか知ろうとすることが大切です。”とあります。要するに人々の悩みや苦しみに付け込んで、JWに入らせろということですね。」
「思いやるふりをして、どんな悩みや苦しみを抱えているかを聞き出し、その問題は聖書が解決してくれるんですよ、と誠実そうな顔で言うわけだね。」

「4節には“聖書の希望を知らずにこの「危機的な時」を生きるというのがどれほど大変なことか,想像してみてください。”とありますが、JW以外の人をずいぶん見下していますね。」
「本当はJWの方が大変なわけだけど、それに気づかせないように、そういう見下したことをいう。そうやって、JWは選ばれた特別な人と思うように誘導するわけだ。」

「5節ではイエスは“パリサイ派の人たちが一般の人たちを見下し,ばかにしていたのとは大違いです。”とイエスをほめていますが、パリサイ派って今のJWそっくりですよね。」
「JWは一般の人を見下し、バカにしているよ。オンライン・ライブラリーを“一般の人々”で検索すると、“一般の人々は物質的な安定にもっぱら関心を払います。塔11 2/15”、“世の一般の人々は,「邪悪な者の配下に」あります。塔10 1/15”、“パウロは,終わりの日に一般の人々が「自然の情愛を持たない」者になると預言しました。塔09 7/15”、“エホバの証人が示している正直さ,親切,平和,勤勉さなどは,偏見を持たない人々から称賛されており,神の民を世の一般の人々から区別するものとなっています。塔06 5/15”、“世の一般の人々は清潔さや秩序をあまり重視しない 塔93 2/15”等々が出てくる。JWによれば、一般の人はクズ以外のないものでもない。」

「JW用語に“世の人々”というのがありまして、JW以外の人を指すわけですが、これで検索すると、世の人々は悪人なので、付き合うのは禁止みたいです。」
「例えば、“この世の人々との交わりは,あなたを助けて正しい欲望をつちかうことには,けっしてなりません。 塔57 10/1”、“今日の世の人々は,貪欲と利己心に支配されています。 塔08 4/15”、“必要以上に世の人々と交際することにも注意していなければなりません。 塔94 2/15”、“この世の人々との交わりはなおのこと現代のクリスチャンの若者に害を及ぼすはずです。 塔93 4/15”等々が出てくるね。JWは自分たちを凄く立派で偉い人たちと思っている。」

「6節で“私たちとしては次のことを忘れたくありません。「塩で味付けされた快い言葉を語るように心掛けましょう。そうすれば,誰に対してもどのように答えるべきかが分かります」。(コロ 4:6)”とあるのですが、聖句の訳がヘンですね。」
「JW英語訳はLet your words always be gracious, seasoned with salt,(あなたがたのことばは常に恵み深く、塩で味付けされたものとしなさい。)で、“快い言葉”はないね。翻訳者の勝手な追加。塩で味付けされたというのは、機知に富んだ、あるいはユーモアのセンスのある言葉という意味でしょう。」

「7から12節は“聖書を使って教える”です。  教える技術のその②です。7節で“イエスは自分の考えではなく,いつも聖書を基に教えました。”とありますが、違うでしょう。イエスの時代に聖書はないですよ。」
「元の英文は“神の言葉に基づいて”だから、聖書という単語は避けている。日本語翻訳者の頭の中で、神の言葉=聖書という公式が出来上がっているのだろう。」

「7節では“聖書には,イエスが「律法学者たちのようにではなく,権威を授かった人のように教えていた」とあります。みんなが「大変驚」くような見事な教え方でした。(マル 1:22。注釈「律法学者たちのようにではなく」の項目を参照。)当時の律法学者たちは有名なラビの言葉をよく引用しましたが,イエスは聖書の言葉を引き合いに出して教えました。”とありますが、間違いですよ。」
「福音書には、イエスは○○と書かれていると言った、ではなく、イエスは言った。○○だ、というのが多い。例えば、マタイ12:11には“イエスは言った。「あなた方の中で,飼っている1匹の羊が安息日に穴に落ちた場合,つかんで引き出さない人がいるでしょうか。 人は羊よりずっと価値があるのではないでしょうか。それで,安息日に立派なことをしてよいのです」。”とある。聖書の言葉なんか引き合いに出していないよ。」

「9節では“人の心を動かせる最強のツールは聖書です。(ヘブ 4:12)それで,教える時はいつも聖書を使うようにしましょう。”と言っています。」
「実際は、聖句をひとつかふたつ読ませて、あとはJWの怪しげな教義を教えるのがJWの聖書研究。そもそもJWは聖書のことをよく知らないから、聖書を教えるなんてことはできない。」

「9節には“聖書に書かれていることは人間の知恵よりはるかに優れている,ということをみんなに知ってほしいと思います。”とありますが、具体的にはどんなことですか?子どもには体罰をバンバンやれとか言うことですか?」
「聖書に書かれていることは人間の知恵より優れているとは言えない。聖書の道徳水準は現代の道徳水準より相当低い。聖書では奴隷制問題なし、一夫多妻問題なし、女性差別問題なし、同性愛差別問題なし、民族皆殺し問題なし、だけど、現代の多くの国では犯罪行為だ。子どもを保護するという思想もほとんどない。ノアの大洪水では子どもも妊婦も胎児もろとも皆殺し。全能の神なら子どもや胎児を救う方法はいくらでもあるはずなのに、無差別殺人で安易に済ます。生命尊重という思想がゼロ。」

「出エジプト記に金の小牛の話が出ていて、22:20に“モーセは彼らが作った子牛を取って火で焼き,粉々に砕いた。そして水面にまき散らし,それをイスラエル人に飲ませた。”とありますが、金の小牛を火で焼いても粉々になりません。粉々になったとしても水に浮かぶことはなく、沈みます。」
「聖書の作者は金属の展性、延性を知らないということ。金属は割れずに変形する性質があるけれど、金は特にその性質が優れていて、金箔にもできるし、金線もできる。簡単に割れたりしない。聖書の知恵は大したことない。」

「10節に“レッスンの時,ポイントとなる聖句を読んで,何が学べるかレッスン生に考えてもらいます。イラストや動画を使う場合も,そこから聖書のどんな大切な考えが学べるかをしっかり理解できるようにします。そうすればレッスン生は,聖書を勉強している,と実感できます。”とあります。聖書を学ぶと言っても、断片的な聖句を学ぶだけですね。」
「これは、カルトの教えではなく、聖書を学んでいると誤解させるためのテクニック。」

「12節に、ついていくのが難しい人への対応策が出ています。“「新世界訳聖書」の最初の「初めて聖書を読む方へ」の質問を見せて,聖書には役立つことがたくさん書かれていると紹介できます。質問15の「どうすれば幸せになれますか」の所に載っている聖句を1つか2つ見せることもできます。”とあります。そこには20の質問と解答となる聖句があるのですが、中身は単なるJWのプロパガンダです。」
「どうすれば幸せになれるかという質問で引用されている聖句は、“たくさんの物を持っていても,命は所有物からは生じない ルカ 12:15”とか、“ですから,食物と衣服があれば,それで満足します。テモテ第一 6:8”という貧困の勧めみたいなもの。あとは“神の導きが必要であることを自覚している人たちは幸福です。天の王国はその人たちのものだからです。マタイ 5:3”や、“神の言葉を聞いて守っている人たちこそ幸福です! ルカ 11:28”といった、服従・従属の勧めのようなもの。北朝鮮のプロパガンダと似ているね。」

「質問4は“聖書に書かれていることは科学と合っていますか”で、3つの聖句が出ていますが、翻訳を変えて、科学にあっているように見せかけているだけです。」
「そこにはあるヨブ26:7は“神は北の空を何もない所に広げ,地球を空間に浮かせている。”だけど、“地球”と訳したら人間の住むところを球体と認識していたことになるけれど、聖書の作者にはそんな認識はない。また“浮かせている”は“吊るす、架ける”という意味。協会共同訳では“地を何もないものの上に架ける。”となっている。科学と合っていないよ。」

「一番バカバカしいのは質問3の“聖書を書いたのは誰ですか”の答えです。5つの聖句がでています。もちろん“聖書全体は神の聖なる力の導きによって書かれた。テモテ第二 3:16”もあります。聖書自身がこれは神によって書かれたと主張したら、神よって書かれたことになると思っているようです。」
「この書物全体はサタンの導きによって書かれた、と書いてある書物があったら、それはサタンが書いたことの証拠になるというのがJWの考えのようだね。本当にだまされやすい人たちなんだね。」

「13,14節は“エホバが目立つようにする”です。  教える技術のその③です。エホバに焦点を当てろと言っています。14節で“教える人の役割は,単にエホバの証人になるにはどんな行動を取るべきかを伝えるだけではありません。エホバへの愛の気持ちからぜひそうしたいと思ってもらうことです。”とあります。これがマインドコントロールですね。」
「伝道したいですか?と尋ねて、ハイと答えたら、なぜですか?と尋ね、ハルマゲドンで殺されたくないからですと答えたら、エホバへの愛からですと答えを変えさせる。行動、情報、思考、感情までコントロールするのがJW。」

「最後の15,16節は“教える技術を磨き続ける”です。  15節で“教えるのが上手な兄弟姉妹にレッスンに参加してもらい,気付いたことを言ってもらいましょう。”とあります。信者の新規獲得のために協力しあえということですね。」
「そもそも、教えるのが上手なJWっているの?レッスン生なんか持ったことのない人が大半でしょう。他人をJWに巻き込むのは止めよう。」

「16節で“将来,新しい世界でもたくさんの人を教える機会があります。”と少しだけ地上の楽園のことに触れています。新しい世界で、JWは復活してきた人をJWになるよう教育する仕事を課せられるようです。断ることはできないのがJWの地上の楽園です。」
「そんなことしたいJWはいるの?楽園の想像図といえば、遊んだり、飲み食いしているよ。本当の楽園では、したくない仕事を強制的に押し付けられて、苦労するとは!」

#1656 2026年05月15日 11:17:35

聖書についての質問
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「次回のものみの塔は、“最高主権者エホバを信頼する”で、ヨブ記の話をもとに、エホバを信頼せよ、エホバは助けてくれる、統治体の言うことを聞け、という内容です。」
「ヨブはひどい目に会うけれど、最後は表面的にはハッピーエンド。この話の流れが組織には使い勝手がよいので、ヨブは人気のキャラに昇格しているね。」

「しかも、JWの大好きなキャラクターであるサタンが登場するまれな話ですから、組織としては取り上げたくなりますよ。」
「悪魔の王サタンという思想はヨブ記にはないのに、JWはそう決めつけているのがこっけいだ。サタンとはどのような存在かについて、聖書はほとんど論じていない。JWが考えるほど重要キャラクターじゃないよ。」

「3節に“ヨブは,エホバを愛し続ける人をエホバは救ってくれるということを学びました。私たちもエホバが絶対に助けてくれると信じられます。”とありますが、非論理的です。それなら、ヨブは財産を増やし大金持ちになりました、私たちも大金持ちになれるようエホバが助けてくれると信じられます、となるのですか?そう集会でコメントしたら狂人と思われます。」
「JWの集会ではもっとぶっ飛んだコメントがあるから、狂人だなんて思われないよ。」

「4,5節は“サタンがそこに来た”です。  ヨブ1:6の“さて,真の神の子たちが来てエホバの前に立つ日となった。サタンもそこに来た。”を取り上げ、“歴史的に見て,聖書の中でサタンという名前が出てくるのはここが初めてです。サタンとは「反抗する者」という意味です。”とありますが、ここに出てくるサタンは個人の名前ではないですよね。」
「ここでは冠詞がついているので個人名ではない。英語だとSatanではなくthe satanだね。職名でしょう。それからエホバもヘンだね。エロヒム(通常神と訳される)という単語が使われていて、エホバではない。ヨブ記にはJWがエホバと間違って訳している神の名は出てこない。」

「ヨブ記では、サタンは神に使えていて、神の前に現れ、神の意志のうち自分が遂行すべきことを報告したり、委任を受けたりするする存在ですね。」
「ゼカリヤ3:1に“それから私は,大祭司ヨシュアがエホバの天使の前に立っているのを見せられた。サタンが,ヨシュアを妨害しようとしてヨシュアの右側に立っていた。”とあるけれど、ここでも冠詞付きのサタン。ここでもサタンは神の奉仕者の一人で、神の前に正しい立場を得ようとする人々の主張に、検察官のように反論する役割を担っていて、神の試練とふるい分けを代表する者として描かれている。

「ゼカリヤ3:1のJW訳はひどいですね。“妨害”ってなんですか?サタンを悪者に意図的にしています。」
「協会共同訳では“主は、主の使いの前に立つ大祭司ヨシュアと、彼を訴えようとしてその右に立っているサタンとを私に示された。”で、サタンが検察官的な立場であることがわかる。」

「冠詞なしの、固有名詞としてサタンが出てくるのは、歴代誌一21:1が最初ですよ。歴代誌はバビロン捕囚後のペルシャによって支配されている時代に書かれたものです。」
「そこには“さて,サタンがイスラエルに対して立ち上がり,イスラエルを数えるようダビデを駆り立てた。”とある。ここでは冠詞がない。サタンはこれ以降70人訳、新約聖書でも冠詞なしの固有名詞になる。サタンという語は初めは一般名詞だったけれど、長い時間をかけて固有名詞となった。」

「4節には“サタンはもともと神の家族の1人でしたが,神に反抗してエホバとエホバの家族全体にとっての敵になっていました。”とありますが、引照聖句はありません。聖書のどこにそんなことが書かれていますか?」
「旧約聖書にはサタンのことはほとんど何も書かれていない。サタンがよく出てくるのは新約聖書。しかし、新約聖書でも断片的にしかサタンは触れられず、サタンはどのように生まれ、何をしているのかについて体系的に述べられている個所はない。」

「6から10節は“エホバには制限する力がある”です。 7節で“ヨブ 1:10,11を読む。”とあります。それに対する解説は“でもサタンは,エホバの力の使い方は間違っていると主張しました。ヨブなど人間を買収して自分の側に付かせていると言ったわけです。”というものですが、違いますよ。そんなこと言っていません。」
「そこには“試しに,あなたの手を出して,彼の持つもの全てを破壊してください。彼はきっと面と向かってあなたを侮辱します。”とある。ここで問題になっているのは神ではなくヨブ。ヨブはヨブ1:1で、“神に忠誠を尽くす正直な人で,神を畏れ,悪から離れていた。”と紹介される。サタンは、それは神が恵みを与えるからですよ、ちょっとテストしてみましょう、と神を誘っているだけ。神を非難しているわけではない。」

「8節は“ヨブ 1:12を読む。エホバはサタンの願い通りにさせましたが,「彼[ヨブ]自身に手を出してはならない!」とはっきり伝えて,サタンの 行動を制限しました。”とありますが、サタンは神の部下なのですから、神が許した範囲のことしかしないわけです。神に反抗していません。」
「神は“サタンの願い通りにさせましたが”というのは少し違う。神は、サタンの提案に対して、“いいだろう,彼の持つもの全てをあなたの手に委ねよう。ただし,彼自身に手を出してはならない!”と言っている。神の方からヨブの持つ者すべて破壊していいよ、と言っている。」

「9節の下に天使の絵があるのですが、髭を生やして翼があります。聖書的じゃありません。」
「天使なる者もどのような存在か聖書は体系的に述べていない。でも翼が生えていると書かれた箇所はないよ。ケルビムやセラフィムは翼を持つと書かれているけど、天使はただ空を飛ぶとあるだけ。啓示14:6だと“また私は,別の天使が空高く飛んでいるのを見た。”となっている。翼で羽ばたくのではなく、神秘的な力でロケットのように飛んでいるのでしょう。」

「11から13節は“エホバはヨブの苦しみを終わらせた”です。  11節には“ヨブがエホバから絶対に離れないということがはっきりしました。それでエホバはサタンに攻撃をやめさせ,ヨブの苦しみを取り除きます。”とありますが、本当にそうですか?」
「ヨブには7人の息子と3人の娘がいた。全員神の承認のもと、殺された。この10人の子どものことはヨブはすっかり記憶から消去されたのかもね。そうでなければ、死んだ子どものことを時々思い出しては、苦しみ悲しんだでしょう。人間の命に対する扱いが軽いのが聖書。」

「12節に突然、ナチスに迫害されたJWのことが出てきます。“例えば1945年,ナチスの強制収容所にいた230人のエホバの証人は,死の行進を生き延びることができました。”とあります。これはエホバのおかげだ、エホバはすごいと思わせるためですね。」
「その話は1975年の年鑑にでているけれど、JWが生きのびたのは、神秘的な力によるものではなく、JWたち自身が生きのびられるよう努力したこととアメリカ軍がやって来たことが主な理由でしょう。皮肉なことに、ここで助かったJWが信じていたことは、今では間違いとされることばかり。1945年からは80年ほどたったけれど、教義は頻繁に変わり、とっくに来るはずだった終わりは来ていない。」

「13節は“エホバには私たちの苦しみを終わらせる力があります。それが今ではないとしても,将来必ず終わらせてくれます。エホバはこの悪い世界が終わる時を決めていて,その時が遅れることはありません。”といいかげんなことを言っています。」
「神の考えを知っているかのように語ったのはヨブの友人たち。その友人たちは神に叱られた。神の考えは人知を超えていて、私たちにはわかりません、というのが誠実な宗教の言うことじゃないかな。JWはまるで自分が神自身であるかのように、これはエホバが悲しむとか喜ぶと語る。」

「14から16節は“エホバは自分に仕える人を大切にする”です。  JWの基本的な神学ですね。年を取ったり病気になって仕えられなくなったら捨てられるわけです。14節では“ヨブ 14:15を読む。”とあり、それは“あなたは呼んでくださり,私はあなたに答えます。あなたはご自分の手で造った人に再び会いたいと願います。”というものですが、これはヘンな訳ですね。JWの教義に合わせた訳ですよ。」
「JW英語訳は“You will call, and I will answer you. You will long for the work of your hands. (あなたは呼び求めます、そして、わたしはあなたに答えます。あなたは自分の手で作ったものを求めるでしょう。)”で“ご自分の手で造った人に再び会いたい”は英語版にもないので、日本語翻訳者の創作。協会共同訳では“あなたが呼べば、私は答えます。/あなたの手の業を尋ね求めてください。”だね。」

「この聖句の解説は“天のお父さんエホバは自分に仕える人をとても大切に思っています。たとえ亡くなってしまったとしても,生き返らせたいと思うほどに愛しています。”というものですが、違いますね。この聖句はヨブの願望を述べたものです。」
「こうであったらいいのにな、ということを言っている部分。神の約束でも何でもない。」

「17から19節は“エホバを心から信頼する”です。  17節で“サタンはエホバに仕える人たちを消し去ろうとしてきました。でもうまくいっていません。その証拠に,今,世界中に約900万人のエホバの証人がいます。”とありますが、サタンがJWを消し去ろうとしてきたという証拠でもあるのですか?サタンがそのような力があるかどうかさえはっきりしません。」
「サタンに何ができて、何ができないかははっきりしない。聖書ではサタンはウソをつき、だます、惑わす存在で、それゆえヨハネ8:32にあるように人間は“真理によって自由になります”ということになる。」

「サタンはエホバのように物理的な力を行使して、大虐殺を行うなんてことはありませんよ。」
「サタンはヨブの子どもを殺したけれど、それは神が許可したから。人殺しなのは神の方だね。」

「900万人のJWがいるとありますが、それは伝道者の数ですよね。ボックスにチェックすれば統計上伝道者です。あまり意味のない数字ですよ。しかもJWの子どもも相当含まれているでしょうし。」
「アフリカでは子どもの数は平均4人と言われたりする。そのうち半分が伝道者だとすると、アフリカでは伝道者の半数はJWの子どもということになる。大人でも実際に伝道しているJWは3分の1くらいかも。JWの実態を見せたくないから、ただチェックすればいいように変えたんでしょう。そうすれば統計上立派な数字が保たれる。統治体が気にするのは実態よりも数字。」

「18節では恐怖をあおります。“大患難の時,エホバに仕える人たちはサタンとその手下から攻撃されて,絶体絶命の事態に追い込まれるかもしれません。でもヨブの時と同じように,エホバは物事を完全にコントロールします。サタンがエホバに仕える人たちを壊滅させることはできません。”とあります。壊滅はしないけれど、90%は殺されるように読めますよ。恐ろしい。」
「英文ではそんなことは書いていないよ。will not allow Satan to cause any permanent harm. (サタンが永続的な害をもたらすことをお許しになりません。)だね。誰も死なないようだよ。日本語版の18節はかなり中身を変えているね。」

「18節では“エホバはもうすぐ,サタンが引き起こした悪いことを全部終わらせます。”と力強く宣言しています。信者に希望を持たせようというわけです。」
「終末論カルトらしくていいけれど、“もうすぐ”とか“間もなく”はやめたほうがいいよ。また同じことを言っているとバカにされるだけ。」

「程なくして、近日中に、近いうちに、はどうですか?少し目新しいです。」
「それなら“秒読みの段階です”がおすすめ。ハルマゲドンはもはや秒読みの段階です、と言えば“もうすぐ”を聞き飽きたJWも少しは切迫感を持つよ。」

「19節は楽園の話です。“永遠に生きられるという輝かしい未来が近づいています。”とあります。19節の下には楽園の想像図があります。こういう想像図は毎週載せて欲しいです。それをぼんやり眺めているだけで結構時間が過ぎますから。」
「やたらとアフリカの動物が多い想像図だね。JWって全員動物好きなの?動物嫌いには恐怖の楽園かも。」

「最後の20節はまとめです。最初に“終わりの時代に大変な経験をするとしても,”と恐怖と不安をあおり、最後は“主権者エホバは,愛する人に必ず報いてくださる方だからです。”とご利益を約束します。これがJW流の信者操作術ですね。」
「大患難とかハルマゲドンとか言って恐怖と不安をあおり、一方まもなく楽園だとご褒美をぶら下げて、無給で死ぬまでJW活動をやらせるつもり。まさに悪魔的だ!」

#1657 2026年05月16日 06:16:32

ジェミニ
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

神はサタンよりも力あるのに何故悪を放置してるのかしらね?!
今の地上は大混乱していてサタンの仕業なら即刻サタンを消して欲しいね!

#1658 2026年05月18日 11:40:46

ジョエル
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

サタンはエホバに答えた。「誰でも自分の身が一番です。人は自分の命を守るために、自分が持つもの全てを差し出します。」(JW訳ヨブ記2章)

=ハルマゲドンで殺されないためなら(人は自分の命を守るために)自分が持つもの全て(時間とお金と体力つまり人生すべて)を(この宗教に)差し出すでしょう。


人の生死をやたらと強調して信者を集めたり動かしたり、個人の生活の全てや人生設計まで支配しようとする宗教はたしかに悪魔的です

エホバの証人というそのお手本みたいな宗教を見ると、神の忠実な部下である検察官(抵抗する者、訴える者)の、人の本質に対する洞察はさすがに的を得てますね

#1659 2026年05月22日 12:36:40

聖書についての質問
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「次回のものみの塔は、“大切なことに集中しましょう”で、JW活動に集中して、娯楽に時間を使うな、という内容です。」
「個人の私生活の在り方まで指図するのがカルト。JWもカルトということだね。」

「2節に“私たちも一番大切なクリスチャンの活動*に集中する必要があります。”とあるのですが、“クリスチャンの活動”についての説明を見てみますと、“クリスチャンの活動とは,聖書の勉強,集会,家族の崇拝,伝道など,エホバの崇拝に関係することです。王国会館や大会ホールの建設とメンテナンス,救援活動,大会のボランティア,ベテル奉仕も含まれます。”とあります。建物の建設やメンテナンスも、大会での駐車場係もクリスチャンの活動とは驚きです。」
「英文ではspiritual activities(霊的活動)だよ。霊が嫌いだからと言って、勝手にクリスチャンの活動に変えるな、と言いたい。エホバに捧げられた王国会館を他の宗教に売却して利益を上げるのもクリスチャンの活動なんだよね。高く売れるよう建物のメンテナンスをしっかりし、破損した個所は自費で修理するのが立派なクリスチャンということかな。」

「組織の利益になる活動は何でも霊的活動にしていますが、聖書的根拠はありません。霊的活動といえば、代表的なものは祈りです。さっきのリストの中に祈りが入っていません。神を愛し、隣人を愛することも入っていません。」
「霊的活動でないものでも、タダでこき使えば経費が節約できるから、それを霊的活動と称して、信者にやらせているというのが実態だ。JWはブラック企業だね。」

「4から6節は“どんなことのせいで注意がそらされるか”です。  “健康のこと,家族や自分のためにしないといけないこと”、“政情不安,経済不況,感染症の流行,戦争や紛争”が注意がそらされることとして出ています。6節で、さらに“それで,気を紛らわせようとして遊びや気晴らしに没頭する人もいます。”とあり、遊びや気晴らしをイケナイこととして攻撃しています。」
「JWであることがストレスそのものなんだよ。気を紛らわせようと、あるJWは酒を飲み、あるJWはめちゃ食いし、あるJWはSNSに逃避する。遊びや気晴らしをむしろ勧めるべき、と言いたいね。」

「7,8節は“イエスが集中できていたのはどうしてか”です。  8節にその答えが出ていますが。“1つ目に,エホバと同じ考え方をしていました。(ヨハ 8:28; 14:9)2つ目に,エホバへの奉仕に打ち込んでいました。(マタ 9:35)3つ目に,本当に大切なものが何なのか分かっていました。(ヨハ 4:34)”というものです。JWもこの3つを真似しろとあります。」
「イエスが集中していたとすれば、活動期間が非常に短かったことが重要な要因だよ。もし50年間地上で活動することになっていたら、夏休み、冬休み、クリスマス休みをしっかり取ったと思う。福音書を読めば、イエスはやたらと誰かの家で飲み食いしているよ。生きることを楽しんでいるように見える。本当のイエスは相当太っていたと思う。」

「JWも3年間だけJW活動するというのであれば集中してやれますが、死ぬまでJW活動をしなくてはならないので集中してやるなんて無理です。」
「集中してやれば、数年で燃え尽きる。JW風に言えば、エホバは人間をそのようにお造りになった、ということだね。」

「9から19節は“私たちはどうすれば集中していられるか”です。  先ほどの3つのことが出てきます。9節は“エホバと同じ考え方をする。”です。そのためには“聖書を学び,エホバが人間にどんな接し方をしているか調べることが大切です。”とあります。JW訳の聖書で、JWに都合のよいエホバの考え方なるものを学ぶわけです。」
「エホバは最悪のキャラクターだから、エホバのまねをするとひどいことになるよ。」

「エリシャのハゲ頭をからかった子供たちがどうなったかというと、“ついにエリシャは振り向いて,少年たちに災いがあるようエホバの名によって願い求めた。すると,森の中から雌熊が2頭出てきて,子供たちのうち42人を引き裂いた。 列王二2:24”という結果です。はげ頭をからかうような子供は熊に殺されても仕方がないと、エホバと同じ考え方をすればいいわけです。」
「サムエル二21:1に“ダビデの時代に3年連続で飢饉が起き,ダビデはエホバに相談した。するとエホバは言った。「サウルとその一家には流血の罪がある。サウルがギベオンの人たちを殺したからである。」”とあるから、誰かの罪を罰するとき、本人ではなく無関係な人を飢え死にさせてもいい、とエホバと同じ考え方をすればいいわけだ。」

「出エジプト21:17には“父や母をののしる人は必ず死刑にされる。”とありますから、伝道や集会に行くよう命令したのに、JWの親をののしって拒否する子どもがいた場合、エホバと同じ考えをして、その子供を殴り殺すべきですね。」
「というわけで、エホバと同じ考え方をするのはやめよう。エホバは最悪のキャラクター。」

「11節には“健康,仕事,住まい,家族のことなどで悩む時,エホバはどうしたらいいか必ず教えてくれます。”とありますが、ウソです。何も教えてくれません。エホバから悩みに対するアドバイスをもらった人がいるなら、出てこい!と言いたいです。」
「英文ではJehovah offers practical help.(エホバは実際的な助けを与えてくださいます)で、“必ず”とは書いていない。翻訳者が勝手に付け加えている。エホバは何もしない。」

「12節は“クリスチャンの活動に打ち込む。”で、“クリスチャンの活動に打ち込み,エホバに導いてもらうことです。そうすれば幸せになれます。エホバは人間をそのように造ったからです。(マタイ 5:3を読む。)”とあります。王国会館のトイレ掃除を熱心にやれば、幸せになるようです。ここでいう“クリスチャンの活動”はJWに関するすべての活動のことを言っているわけですから。」
「真夏の炎天下で大会の駐車場係を熱中症でフラフラになりながらも熱心にやれば、幸せになれるわけだ。」

「引照聖句には“神の導きが必要であることを自覚している人たちは幸福です。”とありますが、これは組織のために無給で奴隷のように働くことと何の関係もありません。」
「JWを甘く見ているね。組織=エホバなんだよ。組織の命令は神の命令。長老や巡回監督の命令はエホバの命令として絶対服従なんだよ。逆らう信者はハルマゲドンの時、天からの火で焼き殺される。」

「13節では“次々に流れてくる悪いニュースをいつも見ていると,気持ちがふさぎ,エホバへの奉仕に集中できなくなり,やる気を失ってしまうかもしれません。それでニュースを見たり読んだりする時間を制限しましょう。”とあります。ニュースを見るのもよくないよです。JWの長老が児童性的虐待で逮捕されたとか有罪になったというニュースがアメリカなどでよく流れるからですか?」
「JWを好意的に取り上げるニュースはないからね。あるとしたら組織がお金を払って、好意的な記事を書いてもらったという場合でしょう。」

「JWの中には悪いニュースは何でもハルマゲドンに結び付ける人がいます。新型コロナウイルス問題が起きた時、これは終わりの日のはじまりだ!と喜んだJWはけっこういたようです。」
「とくにアメリカはね。トランプが大統領になった時、これはハルマゲドンが起こるしるしだと思ったアメリカ人JWはけっこういたようだ。そう思うと、王国会館の掃除などどうでもよくなるから、組織としては、すぐ終末論に飛びつく人を本当は快く思っていないということでしょう。」

「13節では“もっと伝道するにはどうしたらいいか,考えるのも良いことです。例えば,再訪問に力を入れられるでしょうか。”とあります。JWは余計なことを見たり聞いたりせずに、伝道に打ち込め、という組織からの指令です。」
「再訪問の数が減少しているという報告が巡回監督からあったのだろう。それで、わざわざ再訪問を取り上げて、もっと再訪問しろと指示している。」

「14節では“クリスチャンの活動に打ち込んでいれば,今の世界の出来事について心配し過ぎないで済みます。”とあります。JW活動で忙しくすることが、JW流の不安の対処術のようです。」
「伝道は信者の新規獲得にほとんど役に立っていないけれど、信者を忙しくさせて、余計なことを考えさせないという点で役に立っていると組織は見ているということだね。」

「15節は“本当に大切なものを見失わない。”で、具体的には17節で“たくさんの人が気を紛らわすためにSNSにのめり込んでいます。世界中にいる友達や家族とつながり,ニュースや写真などをシェアしています。次々と流れてくる動画や,オンラインゲームに夢中になっています。時間も集中力もすっかり奪われてしまっています。”とあります。組織がいかにSNSやオンラインゲームを敵視しているかがわかります。」
「集会中、退屈過ぎて、スマホでSNSを見たり、ゲームしたりしている人はけっこういるので、それらを憎んでいるんだよ。SNSは悪魔が発明したと言い出すかも。」

「18節はネット動画の危険性の話です。“アジアに住むある兄弟は映画の予告編を見ていただけでしたが,おすすめに流れてくるいろんな動画を見ているうちに,いかがわしいものに出くわし,やがてポルノを見るようになってしまいました。でも兄弟は,長老や友達のサポートを受けてしっかりした対策を取り,アプリを削除しスマホを使う時間に制限を設けました。”とあります。ネット動画=ポルノという公式がJWにはあるようです。結局JWが敵視しているのはポルノということですね。」
「ポルノを見るのは殺人よりも悪い、というのがJWの道徳観。ポルノを見た人は長老にすすんで告白して、役職を辞任し、排斥あるいは会衆から取り除いてもらおう。そうすれば組織は早く衰退する。」

「19節では“遊びや気晴らしに時間を使い過ぎていないだろうか。今が終わりの時代だということを意識して,本当に大切なことを優先しているだろうか。”と、自問せよとあります。こう自問する人は生活にある程度ゆとりのある人ですよね。生活に追われ、JW活動に追われている人には遊びや気晴らしに使う時間もお金もありませんよ。JWにとって旅行と言えば、大会に行くことですし、手軽な娯楽としてスマホで遊ぶしかないのがJWの大半じゃないですか。」
「組織は信者が楽しく時間を過ごすのが気に入らないので、今は終わりの時代と念仏のように繰り返して、JW活動以外のことをするのを制限しようとしている。JWには娯楽はいらないというのが組織の考えでしょう。」

「最後の20節では“これからもエホバと同じ考え方をし,クリスチャンの活動に打ち込み,本当に大切なものを見失わないようにしましょう。そうすれば,「真の命をしっかり捉えることができ」ます。(テモ一 6:19)”とまとめています。」
「クリスチャンの活動、つまり聖書の勉強,集会,家族の崇拝,伝道、王国会館や大会ホールの建設とメンテナンス,救援活動,大会のボランティア,ベテル奉仕をすると、楽園に行けるというのがJWの教義のようだけど、そんなこと聖書に書いていないよ。引照聖句の一つ前のテモテ一6:18には“善いことをし,立派な行いに励み,惜しみなく与え,進んで分け合うよう伝えてください。”とある。そうすれば真の命をしっかり捉えるとあるだけ。組織の命令は無視して、大切なことに集中しよう。」

#1660 2026年05月23日 02:38:50

Aーあい
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

群馬の山奥の大会ホール、あれは僕の青春の全てだったのに!と建設の労働に加わった若い兄弟嘆いていた。無償の労働で建てられた大きいホール、後に売られた…建てられたのも、売られたのも神の命令だからね。

#1661 2026年05月29日 12:07:23

聖書についての質問
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「次回のものみの塔は、“洞察力を働かせるなら「成功する」”で、ナアマン、ダビデとアビゲイル、ヨナから謙虚さ、冷静さ、信頼について学ぶ、という内容です。」
「旧約聖書の登場人物を取り上げ、教訓を垂れるというものみの塔によくあるスタイルの記事だ。これだと書く方も楽なんだろうけれど、長年JWをやっている人には見飽きたスタイル。」

「2節に“この記事では,聖書に出てくる3つの事例から,洞察力があればどのように謙虚でいることができるか,冷静でいることができるか,エホバを心から信頼し続けることができるかを学びます。”とあります。謙虚、冷静、信頼の3つです。」
「謙虚であることが一番必要なのは統治体。神の代理人のような傲慢なふるまいがひどいよ。でも謙虚であれといつも言われるのは平信者なんだよね。」

「3から7節は“高慢になることなく謙虚でいる”です。 ナアマンの話です。ナアマンはシリアの高官ですが皮膚病に罹っています。4節に“ナアマンの妻の下に,1人のイスラエル人の少女が召し使いとして仕えていました。ナアマンの妻は少女から,夫の病気を治せる預言者がイスラエルにいると聞きます。(王二 5:2,3)”とあります。“召し使い”はヘンです。奴隷でしょう。聖書は奴隷制を容認しています。」
「列王二5:2に“かつてシリア人がイスラエルを襲撃した時に捕虜として連れてきた少女だった。”と説明しているから、軍隊によって拉致されて、奴隷として働かされている。古代の戦争目的の一つは奴隷を確保することがあった。」

「ナアマンはその少女の言うことを真に受けて、イスラエルに行くのですが、そのことを4節で“プライドに邪魔されて少女の言葉を無視するのではなく,謙虚に受け止めました。”と評価しています。謙虚ですか?」
「病気を治したくて、藁にもすがる心境だったんじゃないの?病気が治るなら、何でもしてみるという人は今でもいるよ。」

「ナアマンはエリシャの所に行くのですが、5節に、エリシャは“家から出て迎えることも,ナアマンと直接話すこともせず,癒やされるために何をすべきか使者を通して伝えただけです。(王二 5:10)”とあります。それでナアマンは怒って、そのまま帰ろうとするのですが、部下がエリシャの言ったとおりにした方がいいとアドバイスし、結局ナアマンはその通りにしたところ、病気が治った、という話です。」
「この話にこの記事では4節も使っている。無駄に引き延ばしすぎだよ。」

「7節が“どんなことを学べるか。”です。“例えば,誰かが聖書からアドバイスをしてくれても,自分には当てはまらないと思ったり,責任を委ねられた兄弟たちからの指示に納得できないと感じたりすることがあるかもしれません。そんなときは,自分が言おうとしていることやしようとしていることが,高慢さを表すことになるのか,それとも謙虚さを表すことになるのかまず考えましょう。(格言 22:4を読む。)”とあります。要するに他のJWからのアドバイスや指示に従えということです。いつもの納得がいかなくても黙って従えという指示ですよ。カルト的ですね。」
「預言者エリシャと会衆内のJWを同列に考えろということ?エリシャは死んだ子どもを生き返らせたこともあるわけで、病気を治すくらい簡単にできそうという合理的推論が可能。謙虚じゃなくても合理的に考えれば、エリシャの言うことに従おうという判断ができる。ではJWはどうかと言えば、合理的に考えれば無知無学なカルトの指導者のいうことなど従わない方がいいと、謙虚な人でも判断するよ。」

「JWの指示に従うかということは高慢か謙虚かという問題ではないということですね。」
「JWの指示がたいていは不合理でろくな結果にならないから、多くの人は従いたくないわけだ。それでは組織は困るので、従わない人は高慢だからと、人格攻撃をして従わせようとしている。恐ろしい。」

「読むように指定されている格言22:4は“謙遜さとエホバへの畏れがもたらすのは,富と栄光と命である。”ですが、これはJWには全く当てはまりません。」
「古代イスラエルのことわざにすぎない。富と栄光には無縁で早死にしがちなJWには当てはまらないことは確かだね。」

「8から12節が“怒ることなく冷静でいる”です。  今度はダビデとアビガイルの話です。この話も最近よく出てきます。ダビデはアビガイルの夫のナバルの無礼な態度に怒り、ナバルを殺そうとするのですが、アビガイルがダビデをなだめ、10節に“ダビデも,洞察力を働かせてアビガイルの言うことに耳を傾けました。そして,それがエホバの見方であると悟ることができ,冷静さを取り戻せました。おかげでひどい過ちを犯さずに済みました。(サムエル第一 25:32,33を読む。)”とあります。ダビデは無数の人を殺しています。人殺しなんか、何とも思っていないサイコパスですよ。」
「そういう男だから権力者になったんだよ。アビガイルは“機転が利く美しい人 サム一25:3”とあるので、美人好きのダビデはアビゲイルの前ではいい子ぶっただけでしょう。後で、アビガイルを何番目かの妻にしているよ。聖書は一夫多妻を容認している。」

「11節は“どんなことを学べるか。”です。“私たちも,何かのことで腹立たしく感じたり,いらいらしたりするとき,衝動的に反応してはいけません。”とあります。読むように指定されているのが格言19:11で“洞察力があればすぐに怒ることはない。過ちを見過ごす人は美しい。”という、犯罪者隠ぺいのとんでもないものです。犯罪や不正を見過ごすことが美しいわけがありません。」
「訳がヘンなんだよ。“過ち”と訳されているヘブライ語の第1の意味は“反乱”。“美しい”もヘンで、誉れとか名誉という意味。協会共同訳では“背きの罪を赦すことがその人の誉れ。”となっている。格言19:11は忍耐の必要性を説いていて、悪事を見逃すことを勧めているわけではない。」

「12節は“エホバは,ダビデが目の前のことに振り回されず,事態を冷静に捉えることができるように,アビガイルを使って助けました。同じように,エホバは兄弟姉妹を使って,私たちが自分の置かれている状況について洞察できるようにしてくれるかもしれません。”とあります。アビガイルとJWたちを同列においているのがおかしいです。アビガイルは“機転が利く美しい人”だったわけですが、JWはどう見ても機転が利く人じゃないですよ。組織の教えに盲目的に従って、組織の命令を繰り返すしか能のない人が大半です。」
「アビガイルの行動はアビガイル自身の決断であって、エホバの操り人形だったわけじゃないよ。サムエル記は神の介入はほとんどないのが特徴。いつものようにテキトウなことを言っているだけ。」

「13から16節は“おじけづくことなくエホバを信頼する”です。  ヨナの話です。ヨナも最近よく出てきます。ヨナは神から与えられた命令を拒否して、逃げるわけですが、結局元に戻され、14節で“今度は逃げることなくニネベに行き,神から言われたことを伝えます。ニネベの人たちはそのメッセージを受け入れたので,滅ぼされずに済みました。”とあります。」
「ヨナの話は短編小説のようなもの。冒険あり、ユーモアあり、教訓ありのお話。それを史実のように語るJWにはついていけないね。」

「ヨナ書に事実誤認が多いです。ヨナ書の作者はニネベのことなど全く知りませんよ。想像で書いています。」
「例えば“ニネベはとても大きな都市で,歩くと3日かかる広さだった。 ヨナ3:3”とあるけれど、そんな大きくはない。しかもこの文は過去形。ニネベが破壊されてしまって、過去の都市になっている。“ニネベの王 ヨナ3:6”という称号が出てくるけれど、そういう称号は聖書の中にもアッシリアの文書にも出てこない。想像の称号だ。語彙や文法も捕囚期以降の文章に似ていて、旧約聖書の中では後の時代に書かれたもの。」

「ヨナ3:4には“ヨナは都市に入って1日歩き,「あと40日でニネベは滅ぼされます」と知らせた。”とあります。大きな都市なのに1日だけの活動です。そのメッセージもJWみたいなやる気のない最低限のことをいっているだけ。でもそのやる気のない1日だけの活動でネネベ中が悔い改めるという驚きの展開です。これってマンガですよ。」
「ニネベの王は“人も動物も粗布を身に着けるように。 ヨナ3:8”と言っている。動物まで悔い改めの象徴である粗布をまとわせる姿を想像すると笑える。ユーモア小説だ。」

「15節で“エホバはどんな危険からもヨナを守ることができる方です。ニネベに行くことを怖がる必要はありません。”とあり、ヨナが逃げたのはニネベに行ったらひどい目に会わされるのではという恐怖のせいと思っているようですが違いますよ。まったくヨナ書を理解していません。」
「ヨナ自身が自分が逃げた理由を説明しているんだけどね。ヨナ4:2に“ああ,エホバ,私が自分の土地にいた時に思ったのは,まさにこのことです。だから私は最初タルシシュに逃げようとしたのです。あなたが思いやりがあって憐れみ深い神で,すぐに怒らず,揺るぎない愛に満ち,災いのことを悲しむ方であるのを知っていたのです。”とあるよ。この意味がわからないのかも。」

「ヨナが命じられたのは、ニネベ滅亡を告げることです。もし神がニネベを憐れんで滅ぼさなければ、ヨナは偽預言者になってしまいます。それが最初から分かっていたので、逃げたわけですね。」
「JWみたいな偽預言者にはヨナの考えが理解できないのかもね。」

「16節は“どんなことを学べるか。”で、“ヨナは洞察力を使って考えたので,任務の大変さにではなく,エホバの助ける力に目を向けることができました。私たちも,起きるかもしれないことを怖がるのではなく,エホバがこれまでどんなふうに自分を助けてくれたかをじっくり考えましょう。”とあります。エホバから助けてもらったという体験など一度もない人が大半だと思うのですが、そういう人はJW活動はできないということですね。」
「そんなことないよ。今日朝起きられたのはエホバの助けがあったから。今日朝ご飯を食べられたのもエホバの助けがあったから。今日昼ご飯を食べられたのも・・・、と無限に続くんだよ。気持ちの問題だよ。」

「JWゆえに恐ろしいことなんか起こりますか?そういう国に住んでいるJWはごくごくわずかで、大多数のJWは周りからバカにされることはあっても、恐ろしい目にあうなんてことはありませんよ。」
「毎週1回は自分たちは選ばれた真のクリスチャンゆえに迫害されるんだ、と選民意識と恐怖心をあおっているだけでしょう。」

「17,18節は“エホバと同じ見方ができるよう努力し続ける”です。  17節には“聖書に書かれていることについてじっくり考え,強力な聖なる力を求めてエホバに祈りましょう。そうすれば物事をエホバと同じ見方で見て,エホバが私たちに何を望んでいるかを見極められるよう助けてもらえます。(格 21:11)”とありますが、引照聖句はそんなことを言っていません。聖書にあるエホバの見方と同じ見方をしない方がいいですよ。」
「聖書と言っても、JWに都合よく訳しているJWの聖書。しかも、日本語訳は問題だらけ。引照聖句には“賢い人は洞察を得ると,どうすべきかが分かる。”とあるけれど、英語訳ではhe gains knowledge.(知識を得る)で、意味がだいぶ違うよ。JW訳の聖書を使うのはやめよう。」

#1662 2026年05月30日 09:41:53

ジェミニー
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

全く、JW世界で使われる謙遜という言葉、
傲慢な上の立場の者達が横暴に振る舞う為にやたらに使ってましたね!

#1663 2026年05月31日 03:11:19

放浪者
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

日本支部だけかも知れませんが ものみの塔は最近までエホバは謙遜な神と言って散々エホバを冒涜してましたが 気づいたのか指摘されたのか謙虚という言葉を使う様になった 以前JKに謙遜と謙虚の違いや使い方を教えると必死に塔を擁護してた まあ立場上仕方がなかったのでしょうが 支部委員にも立派な学歴を持つ方がおられるのに何故日本語がわからない?それともエホバの証人を洗脳し従わせる為に意図的に謙遜謙遜と唱えていたのでしょうか?

#1664 2026年06月02日 06:11:33

ジェミー
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

謙虚と謙遜の違いを調べてみました。
明らかに違います。しかし昔会衆で頭悪い長老たちは謙遜を連発してました。自分たちは威張り散らしながら。

#1665 2026年06月05日 12:41:04

聖書についての質問
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「次回のものみの塔は、“憎まれても幸せでいられるのはどうして?”で、JWは憎まれているけれど、それは真のクリスチャンゆえだから耐えて、喜べというカルト宗教によくある内容です。」
「本当はいろいろ問題があるから社会的に非難されるのだけれど、反省せず、それを真の宗教だから、自分たちが正しいから、と反転させて、信者の団結を図るのはカルトの常套手段。」

「JWは正直な人ばかりですとほめられても、それは真の宗教だからですと言います。非難されても、褒められても、どっちでもJWが真の宗教であることの証明なのです。」
「無敵の論理だね。」

「実際は、幾つかの国を除けば、JWは迫害されていませんよ。本当は迫害して欲しい?」
「資金源とならない貧乏な国なら迫害してもらった方が資金も節約できるし、宣伝にもなって統治体はうれしいかも。でも、大多数の国の人はJWなど良く知らないから、迫害しようがないね。もっと伝道して、迫害されるくらい知名度を上げよう。」

「2から10節は“なぜ憎まれるのか”です。  3つの理由が出ています。2節は①“私たちはエホバを崇拝しているので憎まれる。”です。エホバを崇拝しているとサタンが憎むそうです。“サタンはエホバについての真理を隠しています。そして,神を知り神を愛する人たちに敵対するよう,世の中の人々に働き掛けています。(ヨハ 8:42-44)”とあります。」
「引照聖句にはサタンはウソつきと言っているけれど、人間をそそのかして敵対させます、とは書いていない。JWの拡大解釈。」

「3節には刑務所に入れられたパべル兄弟の話が出てきます。“清い崇拝をやめさせようとしているのがサタンと邪悪な天使たちだということが,私にははっきり分かります。刑務所で働いている人のほとんどは,私たちのことを心から憎んでいるようには思えません。ただ自分の仕事をしているだけです。”とあります。サタンを憎め、警察や刑務所で働いている人を憎むなというメッセージですね。」
「彼らはサタンに操られているかわいそうな人と思えということだね。彼らは何をしているか分かっていないのですと思うわけだ。精神的勝利法の一種だ。」

「4節では“私たちは反対する人を憎んだりしません。むしろその人のために祈りたいという気持ちになります。”と言って、イエスとステファノの話を取り上げます。“イエスは,ローマの兵士たちに杭にくぎ付けにされた時,苦しみながらも「父よ,彼らをお許しください」と祈りました。(ルカ 23:34)”、“同じようにステファノも,自分を殺そうとしている人たちを許してくれるよう神に祈りました。(使徒 7:58-60)”とあります。」
「ルカ23:34には“しかしイエスは言った。「父よ,彼らをお許しください。自分たちが何をしているのか知らないのです。」”とあるけれど、これは幾つかの重要な古代の写本に含まれていない。それで聖書によってはこの部分は2重のカッコがつけられている。」

「可能性としては、このセリフは後から付け加えられた、あるいは、元々あったけれどローマ軍に対する反感が強まり幾つかの写本で削除された、ということでしょうか?」
「そうだろうけれど、どっちが正しいかはわからない。」

「5節はセーサル兄弟の話です。JWについて父親が激しく反対していたけれど、“私の母は,妻としても母親としても本当によくやっていました。いつも王国を第一にしていましたし,父のことも心から大切にしていました。私たちきょうだいに,父を敬うように,そして神の命令に背くことにならない限りいつでも父の言うことを聞くようにと教えてくれました。”といっています。そしてその父親は後にバプテスマを受けましたというメデタイ話です。」
「反対者にも敬意を持って対応しなさい、そうすれば信者の新規獲得につながるかも、という指示だね。通常、王国第一はよき母、良き妻と両立しない。そんな相手に嫌気がして、離婚になるでしょう。その場合、JWの規則では離婚されたJWは再婚できない。本当に不自由な宗教だ。」

「6節は②“私たちはイエスを支持するので憎まれる。”です。これはウソですよ。JWはエホバの人で、イエスと結びつけられることはありません。真のクリスチャンと自分たちのことを呼んでいますから、一応この理由も1節だけ、アリバイとして入れて置いたということですね。」
「JWの中でイエスの扱いは軽い。イエスの説いた隣人愛なんかまったく取り上げられない。JWの好きな聖書は旧約聖書で、新約聖書では終末論的な部分と信者の管理統制に関係した部分以外はあまり興味がない。」

「6節では“多くの人は,エホバが選んだ統治者イエスではなく,人間の支配者を頼りにしています。そのためイエスを支持する私たちのことを憎みます。”と奇妙なことを言っています。そんなことを言ってJWに反対する人など聞いたことがありません。執筆者は妄想の世界にすんでいますね。」
「JWも人間の支配者を頼りにしているでしょう。生活保護制度のおかげでなんとか暮らしているJWもけっこういるよ。組織はエホバがすべてを備えてくれると言うだけで何もしないからね。」

「6節では“1914年から王国の王として統治しているイエスは,もうすぐ人間の政府を全て除き去ります。”と断定しています。“もうすぐ”と150年間言っています。恥ずかしいですね。」
「1914年の教義はまだ生きているとは驚きだ。なるべくそれには触れないようにして、信者が忘れ去るのを待つのかと思った。とっくに賞味期限切れだから、早く新しい光が来ないと大変だ。」

「7節は③“私たちはサタンの世の中の人々のようではないので憎まれる。”です。JWの選民思想が出てきます。“初期のクリスチャンと同じように,私たちも世の中の人々の神に喜ばれない考え方や言動に倣うことはありません。そのために目立つ存在となり,多くの兄弟姉妹が職場や学校でばかにされています。(ペテ一 4:3,4)”とあります。JWといえば、誕生祝をしない、クリスマスを祝わない、乾杯をしない(今は解禁)などで学校や職場で目立っているわけで、初期のクリスチャンと関係ありませんよ。」
「引照聖句には“かつて皆さんは,恥知らずな行い,激しい欲情,飲み過ぎ,ばか騒ぎ,飲み比べ,忌まわしい偶像崇拝にふけっていましたが,世の人々の好むことを行うのはもう十分です。堕落した放蕩の道を皆さんが人々と一緒に走り続けることはありません。それで人々は戸惑い,皆さんのことを悪く言います。”とあるけれど、今の時代、ここに書かれているようなことをしないからといってバカにされるなんてことはないよ。」

「JWだって恥知らずな行いをしていますよ。その点でJWとJW以外の人の間で差はないですよ。JWは自分たちを過大評価しすぎです。」
「JWはストレスが多く、禁止事項も多いので、唯一許されているアルコールに助けを求める人が多くて、特に欧米では問題になっている。」

「8節は学校に行っているイグナシオ兄弟の話です。“先生から,みんなにからかわれているのに聖書の教えを大切にしているのはどうしてかと尋ねられました。兄弟は,神の命令は自分たちを守るためにあると信じているからと答えました。そして先生を集会に招待します。”というものです。そのあと、この先生はバプテスマを受けたとあります。メデタイ話なのですが、ここで言うみんなにからかわれている聖書の教えとは何か、もっと具体的に書いて欲しいです。」
「同性愛者は死刑になるべきとか、子どもに輸血するぐらいだったら死なせるとか、男は女より偉いという女性蔑視の教えかも。」

「学校に行っているJWの多くは、学校ではJW以外の人間として行動し、王国会館ではJWとして行動するという二重生活を送っているので、学校でもJWというカルト信者らしく行動しろと圧力をかけているわけですね。」
「カルトの一員と思われて得することはなにもないよ。二重生活を続けて、自立できるようになったらJWをやめよう。」

「9節では“政治的に意見が分かれるトピックには賛成も反対もしません。選挙で自分が立候補したり誰かに投票したりもしません。”と政治的中立を保つことを言っています。」
「JWは自分たちを正しく認識していないね。ロシアのプーチン大統領に手紙攻撃をしたり、様々な国の政府の宗教政策に対して、抗議の手紙を送ったり、異議申し立ての裁判闘争をしたりしている。日本政府から体罰などについて問い合わせがあった時も政府をだますような詐欺的な回答をしている。JWは政治的に中立じゃないよ。ただ選挙に参加しないだけ。」

「10節では“ある兄弟は,政治的に中立の立場を保ったために6年以上収監されていました。でもその期間を,悪いことをした罰とではなく,誠実な人を探すというエホバからの任務を果たす時間と考えるようにしました。”とあります。政治的中立ゆえに6年の刑?本当ですか?」
「具体的にどこの国の誰なのかがわからないから、本当かどうか知りようがない。JWが違法とされている国は、JWの輸血禁止政策を信仰を守るためと称して信者に死を強制していると問題視していることが多い。これって政治的中立という問題じゃないよ。」

「11から16節は“憎まれても幸せでいられるのはどうしてか”です。  3つの理由が出ています。11節は①“私たちは,世の中の人々から憎まれるのは聖書の預言通りであることを知っている。”で、憎まれる=聖書の予言成就だから、喜べということです。」
「新約聖書にはイエスに従う者たちが迫害されると書いてあるけれど、それは聖書が書かれた当時に起きていたことで、預言ではないよ。ペテロの手紙などはその時点で迫害に苦しむ人たちを励ますために書かれている。」

「そもそもJWが他の宗教に比べて特に憎まれているということはありません。JWを知らない人の方が多いですよ。JWは自分たちを過大評価しすぎです。」
「日本でもいくつかの宗教団体が問題になってきたけれど、それらに比べればマスコミのJWの扱いは非常に少ない。憎しみというより関心がないというのがJWに対する基本的態度。」

「11節にはある姉妹の発言が出ています。“迫害は預言されていたことなので,必ず起きると分かっていました。迫害を経験して,これこそ真の宗教だという確信が強まりました。”とあります。これは組織が言わせたいセリフですよ。こう思わせれば、迫害されるほど信仰は強まりますから。」
「キリスト教関連の宗教団体の中でJWは特に迫害されているわけではない。一番迫害されているのはイスラム教が優勢な国に住むクリスチャン。アフリカに多い。ナイジェリア、スーダン、ソマリアなどが有名。教会が放火されたり、信者が拉致されたり暴行されたりしている。JWはそういう国にはほとんどいないから迫害されていない。迫害されたければそういう国にJWをどんどん派遣すればいい。」

「12節に刑務所にいる兄弟の体験談が出ているのですが、これがヘンなんです。“誰かからひどい扱いを受けて怒りが込み上げてくるときは,トイレに行って祈りました”とあるのですが、この兄弟の居る刑務所には個室のカギ付きのトイレがあるようです。」
「普通の刑務所のトイレは個室でもないし、ドアもないし、鍵もない。刑務所では虐待されても、トイレに逃げ込むことなんかできないよ。ひょっとしたら豪邸のような刑務所の特別室にいるのかも。」

「13節は②“私たちの愛は憎しみに打ち勝つ。”で、愛の方が強いので憎まれても幸せでいられるようです。パウロの話が出てきて、14節に“パウロ自身,エホバを深く愛していたので,命の危険があっても恐れずにエホバを崇拝し続けることができました。”とあるのですが、これはエホバへの愛があれば、命の危険があってもJW活動をしなさいということですよ。過激な宗教ですね。命の危険があれば他の国に逃げることを勧めるべきですよ。」
「英文ではNo doubt the love Paul had for Jehovah helped him to face death courageously, without abandoning true worship.(パウロはエホバへの愛を抱いていたので、真の崇拝を捨てることなく、勇敢に死に立ち向かいました。)というもっと過激なもの。JWなら勇敢に死んでくださいということだよ。安全な所にいるJWの幹部はいくらでも勇ましいことを言える。」

「15節では“私たちは,反対に遭ってもエホバから離れようとしない仲間のクリスチャンを心から愛しています。その愛の気持ちから,自分も迫害されるかもしれないことを承知の上で,進んで仲間を助けたいと思っています。”とあります。自分を犠牲にしても信者同士助け合え、と安全な所に住んでいる人からの指令です。」
「ここで言う迫害は国家的な迫害だけど、JWは信者の安全と生活を全く考慮しない組織ということがよくわかる。どんどん捕まってくれた方が組織の宣伝に使えるとでも思っているかのようだ。」

「16節は③“私たちは,憎しみに耐えるならエホバが喜んでくれると分かっている。(ペテロ第一 4:14を読む。)”で、エホバが喜んでくれるから、憎まれても幸せでいられるようです。引照聖句には“キリストの名のために非難されているなら,皆さんは幸せです。”とあるのに、“使徒ペテロは,神に仕えるために受けるひどい仕打ちを忍耐する人は幸せだと教えています。”と解説しています。聖書を正しく理解できないことがわかりますね。」
「キリストとあるのに神に仕えると勝手に変換している。JWはキリストの名のために非難されているわけではないので、エホバ教の人はキリストが出てくる聖句は勝手にエホバに変換しちゃうのかも。キリストってJWにとって扱いにくい邪魔な存在なんだよ。」

「最後の17節では“イエスは亡くなる前の晩,弟子たちに「私を愛する人は父に愛されます。そして私はその人を愛し……ます」と言いました。(ヨハ 14:21)憎まれても幸せでいられるたくさんの理由を忘れないようにしましょう。”とありますが、JWはイエスを少しも愛していません。イエスの教えは基本的に無視しています。JWは統治体を愛し、統治体に従う人たちですよ。」
「そういう訳で、幸せでいられる理由を統治体にひとつひとつ教えてもらわないと、自分たちが幸せかどうかわからないのがJWということを教えられた記事だったね。JWは世界一幸せな人たちということだね。」

#1666 2026年06月06日 17:07:08

ジョエル
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

新約の迫害期では、ユダヤ人が殺したいと憎んでいたのは「使徒たち」(使徒行伝5章)で、そのユダヤ人のご機嫌を取ろうとヘロデが殺したのは使徒ヤコブ、ペテロも投獄され、フェストが拘束を続けたのもパウロです。

使徒ヨハネも島流しにされていますし、新約以外の伝承でも使徒のほとんどは殉教したとされています。


サタンが誰より憎んでいるのがエホバの証人で、本気で潰したいのなら、JWのかわいそうな2世が学校でからかわれるよう仕向けるみたいなこぢんまりしたことやってないで、西側の自由主義大国に信者の寄付で安全な本部を建て、そこに匿われているご老人方には手出しできないのでしょうか。

彼らがエホバに保護されているなら、キリストが誰よりも気にかけているのは「わたしの兄弟たちのうち最も目立たない人」なのに、目立たない信者の方をこそ保護しないのはどうしてなんでしょう。


第二次世界大戦中に凄惨な拷問を耐え抜いた明石順三氏は、クリスチャンが一つの体で共に苦しむのであれば、手足が切り刻まれているのに頭であるアメリカ本部が全くの無傷であることは絶対にあえない、とかつてルターがカトリックに送ったような質問状を本部に送ったそうですが。

#1667 2026年06月06日 18:45:37

ジェニー
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

「私たちは世の者ではない!」と常にうそぶいているJWの人!
偽りの申告して世の政府からの助成金をちゃっかりと一生涯手に入れた事件もありましたね?

#1668 2026年06月07日 07:16:33

ジェシー
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

混乱してる世の中において
JWさん達は一体何をしたいのでしょうね?!

#1669 2026年06月12日 12:10:05

聖書についての質問
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「次回のものみの塔は、“「真理の神エホバ」は必ず約束を守る”で、もうすぐJW以外の人間をぶち殺してくれるから、それを信じて組織の言いなりになりなさい、という内容です。」
「また同じ話。聞き飽きたでしょうね。偽りの宗教が滅びた後にハルマゲドンの戦いが来ると言っているけれど、偽りの宗教が滅びる兆候はないよ。少なくとも100年以上先の話だね。」

「JWもそれはわかっていますよ。偽りの宗教よりも自分たちの方が先に滅びるかもと心配しています。」
「若い人がほとんどいないからね。今いる若いJWも自分の親が死んだらJWをやめるでしょう。そうなるとJWから2つの世代が消えるね。」

「1節では、まず“サタンが支配する世界にはうそがあふれています。人を平気でだまし,裏切ります。”と、JW以外の人を滅茶苦茶悪く言います。その後“でも,「真理の神エホバ」はいつも信頼できます。(詩編 31:2-5を読む。)エホバは絶対にうそをつきません。何があっても約束を守ります。”と、力強く宣言します。でも、引照聖句はそんなことは言っていません。」
「詩編31は神の約束じゃなくて、前半は祈りで、後半は感謝の詩だね。“真理の神エホバ”と訳しているけれど、それもヘンで、真の神とか本当の神と訳すべき。その後に“私は,無価値な偶像を崇拝する人を憎む。私はエホバに頼る。”と続くわけで、この部分は真の神と偽物の神を対比しているということを理解して欲しい。」

「1節では、サタン=ウソつき、エホバ=真理の神と対比していますが、そんな対比は旧約には出てこないということですね。」
「旧約では悪魔サタンという思想がない。それは旧約以降の時代の思想。」

「3から5節が“エホバを信頼できる理由”です。  3つの理由が出ています。①全てのものを造ったから、②私たちを愛してくれているから、③言った事を必ずやり遂げるから、です。つまり、約束を果たすのに必要な能力と関心と意志を持っていると言いたいようです。」
「簡潔に言えばいいのに、だらだらと書き連ねて、字数を稼ぐのがJW流の作文術。」

「4節に“最初の人間には,地球をパラダイスに変えていくというやりがいのある仕事も任せました。(創 1:28; 2:15)”とありますが、引照聖句はそんなことは言っていません。」
「2つの聖句ともパラダイスという言葉は出てこないよ。2つの聖句に共通して出てくる言葉は“管理”だけど、おかしい。」

「創世1:28は“子を生み,増えて,地上全体に広がり,地球を管理しなさい。”とありますし、創世2:15は“エホバ神は人をエデンの園に住ませた。そこを耕させ,管理させるためだった。”とあります。1:28は、英文ではsubdueですから、地を耕しなさい、2:15はtake care ofですから、世話をする、でしょう。日本語訳がデタラメということですね。」
「創世2:15の協会共同訳は“そこを耕し、守るためであった。”となっていて、こちらが正しい。でも、“守る”となると何から守るのか?という問いが生まれてくる。害獣や害虫からエデンの園を守るという意味になるけど、それはJWの考える楽園ではなくなるので、世話をするとあいまいにしたのだろう。」

「5節の下に、“エホバが守ってきた約束”という囲み記事がありまして、3つのことが出ています。①モーセに,イスラエル人が非常に肥沃な土地に住むことを約束した。②メシアが人類を罪と死から解放しに来ることを約束した(イザ 53:11,12)。③終わりが来る前に世界規模の伝道が行われることを約束した。これってどうですか?」
「“非常に肥沃な土地”は英文では“乳と蜜の流れる土地“だけど、イスラエル人が住み着いた土地は乾燥し、雨が少ない土地で、農業に適した肥沃な土地ではない。自分たちの土地を美化して言っているだけ。モーセだったら、だまされた、エジプトの方が肥沃だ、と思ったよ。」

「イザヤ書には“メシアが人類を罪と死から解放しに来る”なんて言う約束はありません。」
「そういう思想は旧約にはない。イエスをメシアと考えるキリスト教が成立してから、そういう思想ができた。」

「6から8節は“エホバは約束を守る”です。  JWの教義の説明です。8節に“エホバは言った通り,サタンたちを必ず滅ぼします。”とあります。“1914年に王になったイエスは,サタンと邪悪な天使たちと戦い,彼らを天から地球の近くに投げ落としました。(啓 12:7-9)”とあります。1914年のインチキ教義はまだ捨てていないようです。」
「啓示12章は女が子を産む、竜の天からの追放、そして竜が女と子を攻撃するという3つのシーンからなっている。これは1世紀のイエスとその弟子たちのことを言っていると普通は解釈される。JWだけが1914年の出来事と思っている。」

「ルカ17:17、18で“70人が喜びながら帰ってきて,言った。「主よ,あなたの名を使うと,邪悪な天使も服従するのです」。イエスは言った。「サタンがすでに稲妻のように天から落ちたのが見えます。”とあります。サタンは1世紀の時点で天から追放されたのですよ。」
「ヨハネ12:31でイエスは“今,この世は裁かれています。もうこの世の支配者は追い出されます。”と言っている。この世の支配者というのはサタンのことでしょう。」

「8節では“怒り狂ったサタンのせいで,世界はどんどん悪くなっています。まもなくイエスは征服を完了します。”とありますが、世界がどんどん悪くなっている根拠は一つもありません。“まもなく”とありますが、JWの教義ではとっくの昔に起きているはずでした。」
「1914年以前の時代と今の時代のどちらに生まれたいかと聞けば、今の時代を選ぶ人がほとんどだよ。今の方が様々な権利を認められ、快適な生活をし、長生きできるよ。」

「9から12節は“エホバは真理を愛する人たちを集める”です。  伝道をもっとやれ、と言っています。9節には“エホバは今,「天のものと地のものをキリストの下に集め」ています。(エフェ 1:10)「天のもの」とは,天でキリストと共に統治するようエホバが選んだ人たちです。「地のもの」とは,楽園になる地球でいつまでも生きる人たちです。”とありますが、違うでしょう。まず聖書の訳がおかしいです。JWの教義にあるように訳を変えていますよ。」
「協会共同訳では“それは、天にあるものも地にあるものも、あらゆるものが、キリストのもとに一つにまとめられることです。”だね。“天のもの”ではなく“天にあるもの”。“天にあるもの”とは天使のことでしょう。天使も人間もと言っているだけ。」

「10節には“エホバは私たちを使って良い知らせを人に伝えていますが,天使たちも誠実な人たちがクリスチャン会衆に加われるように助けています。”とあります。でもJWの伝道を天使が助けていることを示す聖句はないです。」
「天使はどう助けてくれるのか具体的に示して欲しいね。それを示した体験談でも載せてくれるとよくわかるのに。」

「よくある天使ネタといえば、殺人犯の家にか弱い女性JWが行ったけれど、なにもされなかった。なぜならそのJWの後ろに長身の強そうな男が立っているのを殺人犯が見たからだ。でもそんな男はいなかった。というようなウソ話がよく知られています。」
「それはJWを守ったというだけで、伝道を助けているとは言えないね。殺人犯は女性に襲いかかったけれど不思議な力で跳ね飛ばされて、それをきっかけに真理に目覚め、刑務所の中で熱心に聖書を勉強しバプテスマを受けたという話がいいよ。その殺人犯は“自分は終身刑ですがまもなくハルマゲドンが来て解放されると思うと幸せな気持ちになれます。エホバのおかげです。”と笑顔で語るわけだね。」

「11節では“どんな生き方をしているか,伝道しているかを見れば,その人が真理の神を崇拝しているかどうかがはっきり分かります。”とあります。伝道していない人はハルマゲドンで滅ぼされるということですね。例の殺人犯は刑務所の中で伝道するわけですね。」
「ボックスにチェックしないと滅ぼされるようだから、とにかくチェックして、統計上伝道者になっておこう。」

「12節では“「王国の良い知らせ」を伝えることはとても大切です。イエスの命令に従っていることになり,預言の実現にもなるからです。(マタ 24:14; 28:18-20)”とあります。“王国の良い知らせは,全ての国の人々が聞けるように世界中で伝えられます。それから終わりが来ます。”と聖書に書かれていることがJWの伝道で実現すると思っているわけですね。」
「実際はJWの活動はキリスト教信者が多い国が中心で、キリスト教徒に聖書を学びませんかと接近し、JWの教義を教え、JWに改宗させるというもの。キリスト教信者がいない国でのJWの活動は低調で成果も乏しい。」

「13から15節が“エホバが約束している将来は信じられる”です。  まず信じられる将来がどんなものかが示されます。13節では“いずれ天の神の王国に行くことになっている人たちを特に狙って攻撃しています。その人たちが「神のおきてを守り,イエスについて証言する務めを与えられている」からです。(啓 12:17; 14:12)”とあります。この部分はもっと正確に訳して欲しいです。」
「英文では、サタンが攻撃するのはthe earthly representatives of God’s Kingdom(神の王国の地上の代表者たち)とある。統治体のこと。翻訳者はそれをはっきり書きたくないようだね。何のカリスマ性もない、あの滑稽な老人たちを” 神の王国の地上の代表者たち”と呼ぶには常識と知性がありすぎるのでしょう。」

「啓示12:17にある“彼女の子孫のうちの残っている人たち,すなわち,神のおきてを守り,イエスについて証言する務めを与えられている人たち”とは統治体のことだと、統治体の老人たちは思っているということですね。知らなかったです。勉強になりました。」
「このことはもっと堂々と宣伝して欲しい。そうすれば、JWの聖書理解がいかに自分たちの都合に合わせたバカバカしいものだということがよくわかる。」

「14節では“偽の宗教全体が滅びた後,エホバに仕える人たちはサタンの手下からの総攻撃に遭います。そしてハルマゲドンが始まります。(啓 16:13,14,16)”とあります。これもきちんと翻訳して欲しかったです。」
「英文では、滅びるのはBabylon the Great(大いなるバビロン)。翻訳者には大いなるバビロンは偽の宗教のことだ、珍解釈しているのはJWだけで、本当はそうではないということを知っていて、大いなるバビロンを避けたのかも。」

「統治体が攻撃されて、次にJW以外の宗教が滅びて、次に一般のJWが攻撃され、そしてハルマゲドンというのが、現在のJWが考える将来のシナリオなわけですね。ありそうもないですし、信じられませんね。」
「JWでも信じられないでしょう。」

「15節に“エホバは愛する人たちに幸せを味わわせ,エホバが望むことを行えるように助け続けます。”とありますが、これも訳がヘンですよ。エホバは“幸せを味わわせ”ていません。」
「blessing his people(彼の人々を祝福する)を“幸せを味わわせ”と訳している。祝福するというキリスト教用語の意味が分かっていないね。カートの横でぼ~と立っているJWはどう見ても幸せそうじゃないよ。」

「最後の16節ですが、“エホバの家族は勢いよく大きくなっています。”とウソを言っています。JWの増加率は人類の人口の増加率を下回っています。」
「時間がたてばたつほど、一人も滅ぼされない状態からますます離れて行くわけだ。」

「そして“エホバはどんな時も約束を守ります。もうすぐサタンを滅ぼし,うそにまみれた世界を終わらせます。”と終末論をブチかまします。一人も滅ぼされないことを望んでいるエホバはそんなことをしませんよ。」
「この記事では“もうすぐ”が2回しか使われなかった。意外と少ないのは、“もうすぐ”に自信がないからだろうね。」

#1670 2026年06月13日 06:58:59

さすらいカケス
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

JWは元が大嘘つきだから
その信者その親の強制からの2世も
聖書が唱える「正直さ」とはかけ離れた
爆嘘つきになる訳だね、納得!!
この掲示板にもそんな親子いたような…

#1671 2026年06月19日 12:25:03

聖書についての質問
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「次回のものみの塔は、“つらい目に遭う時,どんな考え方をするといいか”で、つらいJW人生をさらにつらいものにしないためのハウツーを学ぶという内容です。」
「つらいなら、JWをやめるのが一番いいけれど、そうは書けないよね。そうなるとより一層JW活動に打ち込めとか祈ればいいとか、役に立たないアドバイスしかないから、読む価値はいつも以上にないね。」

「3から8節は“どんな考え方をするといいか”です。  6つの考え方が出ています。3節は①“今の世の中でつらい状況は避けられない。”です。それは“私たちはみんな完全ではなく,サタンがこの世界を支配しているからです。”と説明しています。」
「地震や台風といった自然災害はどうなの?サタンのせいなの?違うでしょう。」

「それもサタンのせいなんですよ。サタンは地球の奥深くに潜り込み、地面を上下に揺らすのです。それが地震です。あるいはサタンは海に向かって強く息を吐くのです。すると台風が生じるのです。自然災害も全てサタンのせいとJWは信じていますよ。複雑な理屈などJWには理解できません。」
「JWは古代人と同じレベルの知性しか持っていないということね。」

「3節には“もしエホバがそうした問題全てを今なくしてしまうとしたら,サタンの支配を助けているようなものです。”とあります。エホバはサタンを助けていると思われるのが嫌なので、地震や台風で大勢の人間が死んでも助けないようです。普通の人なら、周りの人にどう思われるかを気にして、助けられる人を見殺しにはしません。」
「JWの考えるエホバという神は古代の野蛮な神で、普通の人間の倫理観も持っていないということ。」

「4節は②“クリスチャンだからこそぶつかる問題がある。”です。JWがぶつかる問題はクリスチャンではなくエホバ教という排他的で独善的なカルト信者だからですよ。」
「ここでもサタンが出てくる。“サタンは,人間がエホバに仕えているのは自分の得になるからだと主張しています。そのことを証明するために,エホバに仕える人たちを激しく攻撃しています。(ヨブ 1:9-11)”だって。サタンは本当に便利なキャラクターだ。よくないことは全てサタンのせいで片付ける。JWは古代人並みの知性しかない。」

「5節は③“エホバはつらいことが起きるのを止めないことがある。”です。“伝道の書 7:13,14を読む。”とあり、そこには“良い日には,善良さを示しなさい。逆境の日には,どんな日も神がつくったことを考えなさい。神は,人が未来に何が起きるかを見通せないようにしたのだ。”とあるのですが、その意味を“聖書では,エホバが起きるのを止めなかったことが,エホバが行ったことのように書かれていることがよくあります。”と解説しています。逆境の日は神がつくったものではない、神はただ傍観しているだけと言いたいようです。神を弁護していますが、その根拠は示されていません。」
「逆境の日を神がつくったというのはJWにとって不都合だからね。JWの教義では神は親切な人類のお友達。」

「聖書の翻訳がヘンですよ。」
「協会共同訳では“幸せな日には幸せであれ。/不幸な日にはこう考えよ。/人が後に起こることを見極められないように/神は両者を造られたのだ、と。”で、良い日には、“善良さを示せ”という倫理的な要求ではなく単に“喜べ”。“逆境の日”ではなく“悪い日”。良い日も悪い日も神が造ったようだよ。」

「神は人間に悪をなすのかという問題ですね。JWはそんなことはないと思っていますが、ヨブは“知ってほしい。神が私を惑わし,ご自分の狩猟用の網で私を捕らえたことを。(ヨブ19:6)”といって、神が自分に悪をなしていると主張しています。」
「伝道の書の作者はヨブのこの主張に賛成なんだ。人間の住む世界は不条理で、無意味で、ねじ曲がっているというのが伝道の書の基本的な世界観。JWとは違う。そんな世界でどう生きるかというと、良い日は喜び、悪い日は人生がよい日ばかりではない不確実なものだということを思い起こせ、と言っている。」

「6節は④“エホバは私たちに,エホバに頼ることを学んでほしいと思っている。”です。“大変なことが起きると,私たちは自分の弱さに気付いて,エホバに助けてもらいながら内面を磨くことができます。(ヘブライ 12:7,11を読む。)”とつらいことのプラス面を言っています。これってどうですか?」
「全知全能で愛情深い神がいるのなら人類はなぜ苦しむのか?という問いの昔からある答えのひとつ。苦しみによって人間は内面的に成長するのだ、だから神は人間の苦しみを許しておられるという。この考えでは戦争も自然災害も病気も人間の内面的成長に必要なようだね。」

「実際は逆ですよ。子どもの頃から虐待された人は精神的に深い傷を負い、人間として成長が妨げられます。」
「そう言う訳で、苦しみは神が与えた試練だと安易に言う宗教は信用すべきではない。人間の苦しみを過小評価しすぎ。苦しみに教育的効果なんてないよ。体罰もダメだね。」

「“ヘブライ 12:7,11を読む。”とありますが、聖句の誤用です。そこには“皆さんは矯正の一環として忍耐する必要があります。”が“矯正”はおかしいです。“鍛錬”ですよ。」
「ヘブライ12:4-13ではクリスチャンとして迫害にあうことを論じていて、苦しみ一般について論じているのではない。そういう迫害にあったらそれは自分の信仰を鍛えるものとして忍耐しましょうと呼びかけている。苦しみは内面を磨けるものだなどという一般的な主張をしているわけではない。それから“矯正”ならクリスチャンとして何か間違ったことをしていてそれを正すという意味になるので不適切。」

「7節は⑤“迫害されている間も幸せでいられる。”です。“迫害されてもエホバに従う人のことをエホバは喜んでいます。(マタ 5:10-12)”とありますが、JWの苦しみは宗教的な迫害とあまり関係ありませんよ。」
「JWという宗教は世界のほとんどで迫害されていないでしょう。それでロシアのことをしつこく取り上げるわけだ。それ以外の国ではあまり話題がないからね。JWの主な苦しみは、家族の分裂、貧困、老化、病気、会衆内のいじめ、過剰な宗教からの要求などなどでしょう。」

「8節は⑥“つらいこともいつか必ず終わる。”です。楽園幻想のことです。“あなたは今,問題だらけだと感じていますか。そういう時には,「残りの人生」について想像しましょう。エホバが約束している,永遠に続く素晴らしい日々が待っています。”とあります。」
「最近は、つらいことがあれば楽園を想像しないさい、と言うことが増えたね。お腹がすいていればご馳走のことを想像し、病気ならば健康になったことを想像するというわけ?何の役にも立たない。もっとましなことを教えてくれませんか、と言いたくなるよ。」

「楽園を想像するというのは、要するに何もせず、奇跡を待つということです。これでは人生を無駄にするだけです。」
「楽園を想像せよというより、すべての人間は死にます、死んだらどんなつらいことも終わります、死ぬぐらいどってことはないです、そういう気持ちが日々行きましょう、と言ってくれた方がまだましだね。」

「9から12節は“考え方がずれるとどうなるか”です。  苦しみに対する正しい考え方からずれると有害な結果になるようです。9節では“つらい目に遭った時に考え方がずれてしまうと,余計つらい思いをすることになります。”とあります。“例えば,苦しい思いをするのはエホバのせいだ,という考え違いをするかもしれません。”とあります。この宇宙に生じることの究極的な責任者はエホバではないですか?」
「JWではそうではないようだね。エホバは宇宙の創造者であり主権者だけど、基本的には傍観者にすぎず、することと言えば人類大虐殺というのがJWのエホバという神に対する考え方。JWによれば、人類がつらい思いをするのは主にサタンのせいで、サタンは事実上の神の地位にいる。」

「10節では、考え方がずれると“エホバは自分の苦しい気持ちを理解してくれているんだろうかと思うかもしれません。そうなると,がっかりして気持ちが落ちてしまいます。(格 24:10)”とあります。11節では“現代の私たちも,クリスチャンがみんな迫害に遭うと聖書に書かれていることを,よく考えておくことが大切です。”と迫害から逃れられると思うなと信者の気を引き締めています。」
「結局、統治体にいいなりのJWは苦しい人生を送るんだよ。それを迫害と言い換えて、信者に耐えさせて、JW離れを防ごうということでしょう。」

「12節で“考え方がずれていると,自分の状況を悪い方に悪い方に考えてしまうかもしれません。”とあり、“自分がしたい奉仕ができなくて,もやもやする人がいます。”とあります。これはベテル奉仕のことですか?」
「統治体のケン・クックが“統治体はベテル奉仕に対する考え方を調整することを決定しました。今後、ベテル奉仕は生涯にわたる奉仕とはみなされなくなります。”と発表したね。ベテルで生涯働くつもりだったのに、年を取ってから一文無しで追い出された人が大量にいるらしい。組織からそういうひどい目に会っても楽園のことを考えて耐えてね、というメッセージだ。愛ある宗教だね。」

「13から16節は“どうすれば正しい考え方ができるか”です。  正しい考え方ができない人の矯正法です。3つのことが出ています。いつもの決まり文句の繰り返しです。14節は①“エホバに祈って助けてもらう。”です。祈りはなんにでも効く魔法です。」
「14節に“エホバがあふれるほどに与えてくれる聖なる力があれば,つらい目に遭っても必ず立ち向かっていけます。(フィリピ 4:13を読む。)”とある。引照聖句は“力を与えてくださる方のおかげで,私は強くなり,どんなことも乗り越えられます。”だけど、これはキリストのことを指していて、エホバじゃないよ。何でもエホバと解釈するJWにはキリストは何もしてくれないね。」

「その翻訳もヘンですよ。“どんなことも乗り越えられます。”とはJW英語訳にないですよ。誇張表現です。」
「For all things I have the strength through the one who gives me power.(私に力を与えてくださる方のおかげで、私はすべてのことに対して強くなっています。)だね。翻訳者はエホバのおかげでどんなことでも乗り越えられるのだろう。それで変えたんじゃないの?」

「15節は②“エホバとの絆を強める日課を欠かさない。”で、“毎日聖書を読んで学んだことを心に落とし込みます。伝道にできるだけ参加します。集会に行ってコメントします。”とあります。聖書・伝道・集会の3点セットは、祈り同様どんなことにも効果のある魔法です。」
「英文ではコメントしなさいとは言っていない。日本人だけはコメントしないとエホバから罰せられるのかも。そもそもそんなことをしなさいと聖書のどこにも書いていないけどね。」

「15節の下に入院している人がZoomで集会に参加しているという写真がでていますが、入院しても集会を休むなというメッセージです。恐ろしいです。早死にしますよ。」
「JWでは病気はJW活動を休む言い訳にならないんだよ。病人や障害のある人には過酷な宗教だ。病気を理由にJW活動に参加しない人はエホバに滅ぼされるんだよ。健康には気を付けよう。」

「16節が③“疑う気持ちをそのままにしない。”で、“疑う気持ちが湧いてきたら,聖書や出版物から「神の知識」を取り入れるようにしましょう。”とあります。自分で調べなさいということですが、情報源としてはJWの出版物も聖書と同格のようです。」
「JWの出版物の方が上だよ。そこに書いてあることに合わせて聖書の翻訳をしている。組織の教えに疑問を持ったら、組織の出版物を調べて、疑問を解消してください、それ以外の出版物を調べる人は背教者だから排斥だ、ということ。」

「16節に“過去の過ちをエホバは本当に許してくれているんだろうか,と思うことがありますか。そんな時は,エホバがどれほど気持ちよく許してくれるかが分かる聖句をリストアップしてみるのはどうでしょうか。”とあります。これがJWの聖書活用法です。都合のいい聖句を抜き出すだけ。」
「エホバが罪もない人を無慈悲に殺した例もたくさんあるでしょう。ダビデとバテシバの赤ちゃんとか、ダビデが人口調査したおかげで殺された7万人とか、色々あるよ。それもリストアップして、エホバに対するバランスの取れた見方を養って欲しいね。」

「最後の17節は次週の予告があります。“では,兄弟姉妹がつらい思いをしている時,どんなふうに助けてあげられるでしょうか。次の記事で考えます。”とあります。」
「それが、祈るとか聖書を読むとか一緒に伝道に行くとか、楽園を想像するとかだったら笑えるね。」

#1672 2026年06月26日 11:48:53

聖書についての質問
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「次回のものみの塔は、“「あらゆる慰めの神」に見習う”で、JWの慰め方を学ぶ、という内容です。」
「慰めるのが兄弟姉妹限定なのがJWらしくていいよね。同じ集団に属している人以外には無関心というのがカルトの特徴。JWもJW以外は無関心。」

「2,3節は“聖書でいう「慰める」とはどういうことか”です。  2節では言葉の説明です。“聖書で「慰める」と訳されているギリシャ語”は“字義的には,「自分のそばに呼び寄せること」を指しています。”とあります。これは正しいですね。」
「この節は何か高尚なことを学んでいるという雰囲気作りだね。辞書を見れば書いてあること。元のギリシャ語はparakaleóで、paraとkaleoからできた単語。paraとkaleoで“近くに呼ぶ”という意味がある。」

「3節はヨセフことバルナバの話です。“使徒たちからバルナバ,つまり「慰めの子」と呼ばれていました。(使徒 4:36)”とあります。引照聖句には“バルナバ(「慰めの子」という意味)”とありますが、間違いですよね。バルナバはヘブライ語ですが、使徒の作者はヘブライ語を知らないようですね。」
「バルナバという名前は2つの単語からなり、一つは子で、もう一つは預言者。この語は正確には「預言の子」を意味する。またネボの子という意味のバルネボスのギリシャ風表記がバルナバという説もある。バルナバのあだ名は“慰めの子”だったのだろうけれど、それはバルナバという名前に由来すると使徒の作者が誤解したのだろう。」

「4から13節は“どんなふうに人を慰められるか”です。  8つのことが出ています。4節は①“会いに行く。”です。これが最初に来るわけで、JWは戸別訪問を重視しているのがよくわかります。会えない人には“電話したり,手紙やカードを書いたり,メッセージを送ったりすれば気遣いが伝わります。”とあります。」
「本当に慰めるためなら良いけれど、実は別の目的があるのがJWの訪問じゃないの?信者を監視し、密告しあうのがJW。」

「5節では“終わりが近づくにつれて,慰めるために兄弟姉妹に会いに行くのは難しくなっていくかもしれません。”と危機感をあおり、ロシアの例を持ち出します。“ロシアのエホバの証人も,迫害されている仲間のために勇敢に行動しています。兄弟姉妹が法廷に立つ時には,その場に駆け付けて応援します。そのせいで自分たちも捕まる恐れがあるのにそうします。”とあります。」
「終わりの日は自分の生きている間には来ないと思っているJWが多いでしょう。ロシアの例は例外的で、多くの国ではJWゆえに迫害されて、会いに行けないなんてことは起きていない。今では老人がのんびりダラダラJW活動をしているだけだから、迫害する理由もあまりないね。」

「6節は②“よく聞く。”です。人の話を聞かず、一方的にJWの決まり文句を繰り返すだけのJWが多いということですね。」
「引照聖句のヤコブ1:19は“皆が,人の言うことに進んで耳を傾けるべきです。すぐに話したり,すぐに怒ったりしてはなりません。”だけど、JW英語訳は“Everyone must be quick to listen, slow to speak, slow to anger”(すべての人は、聞くことに速く、語ることに遅く、怒ることに遅くなければなりません)で、格言風の簡潔な言い方。それを小学生の先生が小学生にお話しするように訳したのが日本語訳だね。日本人JWの知的水準は小学4年生程度ということかな。」

「7節は③“一人一人に合わせて何ができるかを探る。”で、人それぞれ違うのでJWの決まり文句を言えば済むと思うな、と言いたいようです。」
「JWは基本的に無給の宗教拡張員だから、仲間を慰めるなんて興味もないし、苦手なんだよ。それで決まり文句を繰り返すだけの慰め方になるわけだ。」

「8節はイエスがラザロの死後マルタとマリアをどのように慰めたかについて解説しています。ヨハネ11章の話です。イエスはマルタには復活について話をしたけれど、マリアには復活には触れず、共に泣いたとあります。“このことから何が学べるでしょうか。一人一人に合わせて何ができるかを考える大切さです。みんなに当てはまる万能の慰め方はないからです。”とあります。でもここでイエスは慰めているのですか?復活について説明しているだけのように思えます。」
「ヨハネの福音書はイエスがいかなる存在かについて福音書の形式を使って論じているもの。11章ではイエスは“私は復活であり,命です。”とあり、これがこの章の要点。慰め方について論じた章ではないね。」

「マルタとマリアに対する慰め方が違うといっていますが、それは二人の反応が違うからです。マルタは冷静に話をしていますが、マリアは泣き出したわけです。」
「冷静なマルタには復活の話ができたけれど、泣いているマリアにはそんな話をしてもどうせ聞いていないよ。」

「9節は④“聖書を使う。”で、“心が温かくなる聖書の言葉をリストアップしておきましょう。「クリスチャンのための聖句ガイド」の「慰める」とか「心の支え」の項目にある聖句も使えます。”とあります。そうなると、結局JWはみんな同じ聖句を使って、同じことしか言わないことになりますよ。」
「JWにとって、聖書は聖句を集めた辞書に過ぎない。これからはAIを使って、子どもの輸血拒否をして子どもを死なせたJWを慰めるのにぴったりの聖句を教えてくださいと質問すると、瞬時に10個くらいリストアップしてくれて、その時のセリフも教えてくれるようになるかもね。」

「10節は⑤“優しく話す。”で、“時には慰めている相手の考えを正さなければいけないこともあります。”という場合は、優しく話しましょうということです。具体的には“集会で話を担当したりコメントしたりする時も,兄弟姉妹が元気になれるような話し方を心掛けます。”とあります。集会では特定の誰かに向けた当てこすりのようなコメントや話が結構あるわけですね。そういう場合でももっと優しい言い方にしなさいという指示です。」
「周りのJWに対する日ごろの不満やうっぷんを、質問に対するコメントの形で言うのは、JWの集会ではよくあることでしょう。他人を裁くのが大好きなのがJWだ。」

「11節は⑥“その人のためになることをしてあげる。”で、口でいうだけでなく何か実際にしてあげなさいということです。ここでやっと体験談が出てきます。“洪水で家が被害に遭ったポーランドのガブリエラ”は“近くの会衆の兄弟たちが,たった1日でかなりの仕事をしてくれました。”と言っています。1日しか援助してくれなかったようです。」
「ほかに援助しなくてはいけない家がたくさんあったのでしょう。もっとインパクトのある体験談が必要だね。」

「12節は⑦“自分が大変な時もエホバに仕え続ける。”で、“大変な時も,エホバに支えられながらエホバに仕え続けていれば,その姿を通して周りの人を慰めることができます。”とあります。大変な時でも駅前でカートの横にボーと立っていると、その姿に慰められる人がいるということですか?」
「誰かを慰めるということはJW活動を休む理由にはならないと言いたいんだよ。洪水で家が壊れたJWを助けるために集会を休むなんて絶対ダメだということ。JW活動が最優先。伝道して、集会に行って、その後に洪水で家が壊れたJWの所に行きなさいということ。」

「13節が⑧“諦めずに支え続ける。”で、1回だけであきらめず、継続しろということです。」
「しつこいのはJWの特徴でしょう。相手が嫌がっても、繰り返し慰めに行くわけだ。」

「14から16節が“慰めてもらうために何ができるか”です。  慰めが必要な時にすべきことが3つ出ています。いつもと同じ話です。14節は①“エホバに祈る。”です。祈りは何でも効果がありますからね。15節は②“仲間に相談する。”です。“頼りになる友達や長老に気持ちを聞いてもらいましょう。”とありますが、そんな頼りになる人がいなのがJWです。まともな人はとっくの昔にやめていますよ。」
「英文ではa trusted elder(信頼できる長老)とあるけれど、“信頼できる”は意図的に省略したね。“信頼できる長老”とすると、中には信頼できない長老もいることを認めてしまうことになり、これは問題と思ったのかも。」

「16節は③“広い心を持つ。”で、“慰めるどころか,傷つくようなことを言ったりしたりしてしまうこともあります。そんな時も,広い心で受け止めるようにしましょう。”とあります。これはおかしいです。慰めが必要な人にさらに傷つけていいわけがありません。そういう可能性のあるアブナイ人は引っ込んでいればいいだけです。」
「JWの頼りになる友達や長老は、人を慰めるために必要な何の教育も訓練も受けていないド素人。慰めると称して、とんでもないことを言う人がけっこういて、苦情が本部に寄せられているんだよ。その場合、広い心で許しましょうと言ってごまかすわけだね。」

「被害者には寄り添わず、被害者に加害者を許せと要求するというのはJWの一貫した方針です。」
「被害者が泣き寝入りしていれば問題はない、というのが組織の考え。でも。時々訴える被害者が出てきて、組織も困っている。素人に任せられることと任せられないことの区別をしないとダメでしょう。」

「最後の17節は終末論カルトらしく終わります。“今は終わりの時代で,エホバの敵たちはますます激しく私たちを攻撃してきます。そういう時代なので,これからも励まし合い,慰め合うことを大切にしていきましょう。”とあります。危機意識をあおって、信者を引き締めようというわけですね。」
「大多数の世の中の人はJWなんて知らないので、攻撃しようもないよ。攻撃されたければ、もっと熱心に伝道や宣伝をしなくてはダメだよ。TikTokだけじゃなくて、YouTubeも始めた方がいいよ。」

#1673 2026年07月03日 12:28:39

聖書についての質問
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「次回のものみの塔は、“夫婦がずっと親友でいるには”で、JWの結婚に関するルールを再確認する、という内容です。」
「夫婦は親友だなんて、聖書のどこにも書いていない。聖書の結婚観は古代の家父長制を前提とし、女性差別的で、現代に当てはめるとひどいことになるよ。」

「独身の人には関係ない記事です。JWは独身率が高いですよ。」
「独身で女性経験ゼロの長老が結婚歴30年の夫婦に良い結婚について助言するのがJWという奇妙な世界。独身でも関係あるんだよ。」

「2節に“夫と妻が最高の友達になることは大切です。”とありますが、全く聖書的ではありません。現代のアメリカの思想です。アメリカの文化の押し付けです。」
「夫婦関係は友達関係とは異質のものだ、一緒に生活し、一緒に子育てし、相手の死をみとるという友達以上の関係というのが世界では多い考え方でしょう。特定の文化の非聖書的夫婦観を押し付けているね。」

「現代アメリカでは、夫婦は一緒の楽しみを持ち、一緒に行動する親友であるべきだという思想が人気となり、夫婦が別々に行動していると非難されることさえあるわけです。これはJWに合うわけですね。」
「夫婦中心の家族観は欧米で始まった。親や子どもと一緒に暮らす家族が多い地域ではなじみがないもの。JWはそんなアメリカ的結婚観をアフリカやアジアなど異質の価値観や思想を持つ地域のJWに広めようとしているわけだ。JWは意図していないけれど、多くの国で結果的にアメリカ的価値観の普及に努めている。」

「3から9節は“一生の友達の選び方”です。  つまり結婚相手の選び方です。5節に“結婚したいと思っているなら,同じようにエホバとの友情を大切にしている人を選ぶようにしましょう。”とあります。友情が大好きですね。」
「エホバとの友情を大切にしている人はどんな人かというと、日本語版にはないけれど、英文ではWhen we get baptized, we become friends of God.(バプテスマを受けると、神の友になります。)とある。JWのバプテスマが結婚相手の条件ということね。これでは結婚相手はなかなか見つからず、独身率が高くなる。」

「5節には“クリスチャンではない人と付き合いたくなったら,どんな結果になるかを考えてください。エホバの証人の中にはいい相手がいないとか,相手がいずれ聖書を学んでくれるかもしれないなどと考えないようにしましょう。”とあります。JWの中にいい相手がいないのは事実でしょう。男女の比率が偏っているのですから。」
「結婚はJWとだけというなら、組織はJW用のマッチングアプリを作るべきだよ。色々と条件を付けて結婚をしにくくさせているのだから、結婚しやすくする工夫が必要なのにないもしない。ひとの人生に干渉するだけの宗教だ。」

「組織は信者の幸福には無関心ということです。」
「組織のために無給で働いてくれれば、あとはどうでもいいという感じだね。」

「6節はふさわしい結婚相手の条件です。“この人は家族にどんな接し方をしているだろう。人への思いやりや敬意があるだろうか。どんな人と仲良くしているだろうか。誰かと意見が合わない時はどうしているだろうか。自分の思い通りにしようとするだろうか。それとも聖書の教えに関係していないなら進んで折れるだろうか。金銭感覚はどうだろうか。”です。対人関係の在り方が主な評価項目のようです。あとは金銭にかんするものですね。」
「これにひとつでも“いいえ”だったらダメということなのか?それとも点数制で一つにつき10点満点で合計点が6割以上なら合格という仕組みなのか?もっと具体的に示して欲しいね。」

「ふつうは結婚相手の経済力をもっと重視しますよね。友達と夫婦の違いは生計を共にするかしないかです。」
「経済力という評価基準を入れると、JWの男性のほとんどが結婚相手にふさわしくないということになるので、それは無視する。」

「7節もふさわしい結婚相手の条件です。“この人はエホバを心から愛しているだろうか。『新しい人格』を身に着けようと努力しているだろうか。(コロ 3:9,10)ベストを尽くしてエホバに仕えていくのを助けてくれる人だろうか。同じ目標に向かって進んでいける人だろうか。ただの友達ではなく,親友になれそうだろうか。この兄弟はいい友達というだけでなく,家族をしっかり引っ張っていってくれるだろうか。(コリ一 11:3)この姉妹は完璧ではない自分にも敬意を込めて付いてきてくれるだろうか。”です。JW活動に対する熱意が主な評価項目ですね。」
「人当たりがよくて、JW活動に熱心だったら、結婚相手として合格ということ?男性なら最低でも援助奉仕者、女性なら開拓者でなくてはいけないという条件もあったような気がしたけれど。」

「翻訳に問題がありますよ。“この姉妹は完璧ではない自分にも敬意を込めて付いてきてくれるだろうか。”とありますが、英文ではwill the sister you are dating be willing to accept your authority as a head despite your imperfections?(デートしている姉妹は,不完全であっても,頭としての権威を進んで受け入れるだろうか。)です。」
「頭としての権威を認めてくれるか、くれないかが重要な条件なわけだけど、それはカルト的な時代錯誤と翻訳者は思って、あいまいな表現にしたんだよ。」

「こんなことを言うから、勘違いしたJW亭主による家庭内暴力がはびこるのですよ。」
「JWは暴力に寛容で、家庭内暴力は聖書的な離婚理由にならないという立場。夫の暴力に耐える妻を称賛するだけで、離婚しろとは勧めない。女性にとっては最悪の宗教。」

「宗教を最優先するような人は結婚相手として好ましくないですよ。宗教と結婚生活は別です。宗教は家庭の外でやってくれとたいていの人は思います。」
「宗教熱心より、一緒にいて楽しいとか、落ち着けるかが大事でしょう。でもJWにはそんな常識は通用しない。」

「結婚相手の条件に年齢が含まれていないのが、JWらしいです。年の離れた夫婦が結構いるようですからね。楽園では年齢差は関係ないという理屈です。」
「小児性愛者に寛容な宗教なので、40代の男が10代の女の子と結婚しようとしても問題視されない。不気味な宗教だ。」

「8節は“周りの人があなたの友人をどう見ているかを調べてみましょう。相手の評判や資質について尋ねてみるのも良いでしょう。”と、周囲の評判を調べろといっています。評判が悪かったら、ダメということですか?」
「JWは狭い世界だから、過去の悪行を知るには周囲の人に聞くのがいいよ。そこであまりいい話が出てこないなら、やめた方がいいということなんでしょう。」

「10から13節は“一緒に時間を過ごして友情を育む”です。 JWは忙しくてすれ違いが多いということですか?一緒に過ごす時間を作れというアドバイスですが、13節で“何よりも,一緒に霊的な活動に時間を費やしましょう。”とあります。ミリアムは“私たちは聖書を読んで一日を始め,気に入った点や生活に応用できることを分かち合います。・・・一緒に祈って,夫のエホバへの深い愛を聞くのも大好きです。”と言っています。ケイティ―は“一緒に過ごす時間の中で一番好きなのは宣教です。”と言っています。JWの理想のカップルですね。」
「まじめなJW夫婦だと、二人をつなぐものは宗教しかないことが多い。どちらかがJWに疑問を持ったり、燃え尽きてしまってJW活動をしなくなると、夫婦を結び付けるものがなくなり、離婚ということになる。」

「13節の下に、“夫婦にとってお互いはどれぐらい大切な存在か”という囲み記事があります。1位はエホバ、2位は配偶者、3位はほかの人や,いろいろな奉仕。となっています。子どもの優先順位は低いのですね。」
「大切な存在の序列をつけるのがカルト的だね。宗教を何よりも優先するのがJWで、そのためには家族は犠牲にするということだね。家族を破壊するJW。」

「14から16節は“困難に直面しても協力する”です。  問題があってもすぐに離婚するなという指示です。JWの離婚率の高さを気にしているのでしょう。」
「簡単に離婚するのもアメリカ文化でしょう。そう簡単に離婚できない地域もたくさんある。」

「夫婦は友達なら、何か問題が生じたら、関係を断てばいいと思いますよ。友達とはそんなものですよ。」
「夫婦=友達なんて浅はかなことを言うから、誰だってそう思うよ。」

「16節では“問題にぶつかると,もう一緒に暮らすのは無理だとか,終わりにした方が楽だと思うかもしれません。でも,そういう選択肢ではなく,どうすればまた相手と心を通わせられるかを考えるようにしましょう。”とあります。友達なのになぜそこまで執着しなくてはならないのか理解できません。別の友達を見つけましょうと言えば一貫性があるのに。」
「JWの場合、結婚までの交際は期間が短く、しかも監視付きのこともある。お互いをよく知ることなく結婚するわけで、結婚後に相手に失望するケースは多いでしょう。そんな場合はさっさと離婚して、ついでにJWもやめて、やり直した方がいい。人生は長いからね。関係を修復するよう努力するなんて無駄なエネルギーと時間を浪費するだけ。」

「最後の17節では“今結婚を考えているなら,一生の友達を慎重に選ぶようにしましょう。結婚しているなら,夫婦の友情を深めるように努力しましょう。”とまとめています。夫婦=友達という思想の普及に取り組んでいます。“そんなふうにしていれば,最愛の人と一緒に「人生を楽し」むことができます。”とあり、終末論カルトのくせに、人生を楽しむことを勧めているとは驚きです。JWも自信を失い弱気になっていますね。」
「終わりが近いので結婚は控えましょう、子どもはつくるな、とこの記事で力説していたら、終末論カルトとしてそれなりに筋を通しているなと感心したけれど、なかった。サタンの世の風潮に染まっているよ。終末論カルトらしく行動しよう、JW。」

#1674 2026年07月06日 19:05:04

ジョエル
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

暗に、結婚は控えましょうて言っているようにも読めてしまいますが

ただでさえ、事細かな条件を相手に事前要求しておいて、さらに結婚してからどっちかが醒めたりしたらおそろしいことになるような

この内容通りに完全に洗脳されちゃったら誰も選べなくなるんじゃないでしょうか


パウロも表向きは結婚を禁止しないまでも、暗に独身を推奨する思想を広めて回り、そのパウロに心酔して「自分は生きるも死ぬもキリストのものになった」と婚約破棄したり、夫との関係を拒否したりする女性が続出して家族が怒り狂う凄まじい家庭破壊力が描かれている新約外伝があります


でもJWはエホバ教だから1位はエホバですか

その優先順位とやらにキリストは圏外なのですね

#1675 2026年07月10日 12:54:06

聖書についての質問
ゲストユーザー

Re: アブラハムの神の限界

木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「次回のものみの塔は、“聖書の原則が大切なのはどうしてか”で、聖書の原則をJWの生活に適用しなくてはいけないと称して、信者の生活を管理統制しようという内容です。」
「この記事で山上の垂訓が取り上げられるけれど、その適用例として出ているのは、SNSで悪口を言うな、ポルノを避けろという話。結局、何度も繰り返されるいつもの話題になるわけだ。もっと重要なことはないのかな?」

「1節に“聖書はとても古い本です。3500年ほど前に書き始められ,2000年ほど前に書き終えられました。”とありますが、違うでしょう。」
「JWは創世記などはモーセが書いたとしているので、聖書は3500年ほど前に書き始められたとしている。モーセは実在の人物ではないし、創世記の1章などは相当後の時代に書かれたもの。」

「4,5節は“聖書の原則とは何か”です。  4節に“聖書の原則とは,エホバが決めたルールの根底にあるもので, そこからエホバの考えが読み取れます。”、また“ルールは変わることがありますが,原則は不変です。”とあります。組織が言いたいのは後者のことですね。」
「最近JWはルールを変えているからね。奉仕時間の報告の廃止、ヒゲ、女性の服装、乾杯、高等教育や排斥の変更、自己血輸血の解禁など。それについて疑問に思っていたり、怒っているJWがいる。それに対するダメージコントロールだ。」

「5節はたとえを使ってルールは変わるけれど、原則は変わらないことを説明しています。子どもに与えるルールはこんろに触るなで、その原則は熱いものに触るなだそうです。“子供は大きくなると,こんろを使って料理するようになります。とはいえ,やはり火の扱いには注意しなければいけません。ルールは変わりますが,その根底にある原則は変わらないということです。”とあります。」
「ルールは変わるけれど、気にするな、というメッセージだね。組織は最近のJWのルール変更をかなり気にしているね。今までのJWのルールが非聖書的でバカバカしいものと認めたようなものだからね。」

「JWのルールの根底にある原則は聖書とは無関係で、信者の人生や生活を細部に至るまで組織が管理統制するという原則です。また信者は不合理で奇妙なルールでも服従しなくてはいけないという原則です。要するにカルトの原則です。」
「組織としては、自分たちの原則が聖書に基づくものだと信者に誤認させたいわけだ。それによってJWは聖書に基づく宗教という幻想を維持できる。」

「6から9節は“聖書の原則が大切なのはどうしてか”です。  6節では“そういう原則のおかげで,はっきりしたルールがない分野でも,正しいことをしたいという気持ちに沿っていい判断ができます。”とあります。組織は細かなルールを減らして、ルールにないことは自分で決めろ、という方針に変えるつもりでしょうか?」
「JWの細かいルールが人権無視とか非聖書的とかカルト的とか色々非難されている。そういう非難を気にしているのでしょう。」

「7節はまたたとえ話です。この記事の執筆者はたとえ話が好きなようです。道路標識についてで、“道路標識の中には,制限速度や一時停止など,明確なルールを示すものがあります。無視すると罰則が科されます。一方で,危険を警告する標識もあります。路面が滑りやすいとか,動物に注意,といった標識です。”とあります。聖書の原則は“危険を警告する標識”らしいです。“危険を察知して上手に対応するには,原則,つまりエホバの考えをつかんでいることが大切です。”とあります。」
「要するに危険なものがいっぱいなので、聖書の原則を知って避けなさいということだね。高等教育なんかも危険なものとして避けなさいといってきたけれど、この場合危険というのは組織にとって不都合ということにすぎない。また聖書とは何の関係もない。」

「8節は聖書の読み方のアドバイスです。“聖書を読む時は,こんなふうに考えるようにしましょう。「ここから何が学べるだろう。エホバはどうしてこれを聖書に書かせたんだろう。このことをどんなふうに役立てられるだろうか」。”とあります。」
「エリシャに“はげ頭,上っていけ! はげ頭,上っていけ!”と言った少年42人が2頭の熊に殺されたところを読んだときも、“ここから何が学べるだろう。エホバはどうしてこれを聖書に書かせたんだろう。このことをどんなふうに役立てられるだろうか。”と考えるわけだ。」

「そうです。8節には“こうやってよく考えながら聖書を読めば,「理性」を働かせていることになり,「神の善い意志,喜ばしい完全な意志」を見極められるようになります。”とあります。」
「問題は“神の善い意志,喜ばしい完全な意志”が示されている聖書の箇所はほとんどないこと。聖書には残虐な話や不条理な話が多い。神の邪悪な意志はよくわかるけどね。」

「9節には“エホバは私たちを子供扱いするのではなく,一人前の大人として扱ってくれます。私たちがエホバの願いに沿って賢い判断ができると信じています。”とありますが、組織はそうではないです。信者を幼児扱いし、細々としたルールを作り、黙って従えばいいというのが組織の基本的な態度です。」
「JWの幼児化が進みすぎて、日常のどうでもいいことまで長老にいちいちお伺いを立てる信者が増えてきたんだよ。それで今までの路線を少しは変えようと思っているんだろう。」

「10から17節は“どんなふうに原則を探し出せるか”です。  10節は聖書の読み方です。“聖書を読む時,次の2つのことを考えるようにしましょう。学べることと,特定の規則やルールの背後にある理由です。”とあります。そうすれば“判断力が磨かれていき,エホバの考えに沿った決定ができるようになります。”とあります。」
「例えば、ノアの大洪水を読むときに、乳幼児や動物までも溺れ死にさせたことから何を学べるだろうか、この大虐殺の背後にはどんな理由があるのだろうかと考えればいいわけだ。中途半端に殺さないで皆殺しこそがエホバの好むところと理解すればいいのかな?」

「創世記25:5、6には“アブラハムはやがて全財産をイサクに与えた。そばめたちとの間にできた子たちには,贈り物を与えた。”とあります。“そばめたち”と複数形なのでアブラハムはそばめが2人以上いたことがわかります。ヤコブは4人の女性に子どもを産ませています。ダビデは少なくとも9人の妻がいました。ソロモンは700人の妻と300人のそばめがいました。これから何を学べばいいのですか?」
「一夫一婦制はエホバの考えじゃないということでしょう。一夫多妻こそが聖書の原則なんだろうね。JWの中にはその原則に従った生き方をしている人もいるかも?」

「12節から山上の垂訓の話です。“マタイ 5:21,22を読む。「殺人をしてはならない」というこの律法の根底には,どんな原則があるでしょうか。エホバは人を憎まないでほしいと思っているということです。言葉や行動で憎しみを表すことはもちろん,心の中でも憎しみを持たないでほしいと思っています。”とありますが、相当ズレています。この部分はルールとその原則を述べたものではないです。」
「マタイ5章には、“○○が命じられています。しかし私は言います。・・・・”というような形式で6つのことが出ている。○○には旧約聖書の律法が来て、その拡大解釈をイエスがするというもの。旧約はルールだったけれど、私は原則を示すなんてことはイエスは言っていない。」

「マタイ5:17では“私が律法や預言者の言葉を取り消すために来た,と考えてはなりません。取り消すためではなく,実現するために来ました。”とあり、5:19では“ですから,小さなおきての1つを破り,そうするよう教える人は,天の王国にふさわしくない者と呼ばれます。しかし,そうしたおきてを守り,教える人は,天の王国にふさわしい者と呼ばれます。”とあり、徹底した律法順守主義者がマタイのイエスです。」
「新約聖書では旧約の律法に対する態度はあいまいなんだよね。パウロでも律法から解放されたと言っているかと思えば、ローマ7:12に“律法自体は聖なるものであり,おきては聖なるもので正しく,良いものです。”と言ったりする。それに対して、マタイは厳格な律法主義者で、イエスを律法を完成する存在として理解し、その理解に沿って福音書が書かれている。マタイのイエスは過激な倫理主義者。」

「13節は“マタイ 5章21,22節の原則をどんなふうに応用できるか。”で、“イエスがこの原則を教えた当時,インターネットもブログもSNSもメッセージングアプリもありませんでした。でも,この原則を応用すれば,そういうテクノロジーの使い方についてもいい判断ができます。そういうものを使って人を悪く言ったり,傷つけたりするようなことは絶対にしたくありません。”とあります。これはイエスもびっくりしているかも。原則と言えばなんにでも無制限に適用可能になるかのようです。」
「JWでもSNSに自分の写真や文章を投稿したりする人はいて、不特定多数の人が見ることを考えないで、それに対して批判的なコメントをする人もいる。それがJWの評判を下げることを組織は心配しているのだろう。組織は外部からの評判を気にしているからね。」

「14節には“マタイ 5:27,28を読む。「姦淫をしてはならない」というこの律法の根底には,どんな原則があるでしょうか。エホバは,性的不道徳だけではなく,それにつながる考えも憎んでいるということです。イエスは,既婚の男性が妻以外の女性を不純な動機で見続けるとしたら,もう罪を犯したも同然だ,と言いました。”とあります。これもルールとその原則について言っているものではありません。律法を拡大解釈をしただけです。」
「JWの解釈では、これは“既婚の男性”限定なわけだ。でもイエスはそんなことを言っていない。」

「イエスは“女性を見続けて情欲を抱く人は皆,すでに心の中で姦淫をしたのです。”と言っていますが、どういう意味ですか?」
「男女の性の問題を法的問題として、これは罰するとか、これは罰しないというように決めていくとひどくグロテスクなことになるよ、と警告したのがイエスの発言の本来の主旨だと思うよ。でも不肖の弟子のマタイはひどく誤解して、律法で取り締まる対象をもっと拡大すべきと理解した。」

「JWの長老マニュアルにはポルネイアや甚だしい汚れ、貪欲な汚れについて事例付きで説明して、それに該当すると審理委員会で審議するようになっていましたが、これがイエスがいっていたであろうグロテスクな事態ですね。」
「長老マニュアルには、夫婦関係でない人が“情欲をかきたてるヘビーペッティングや乳房の愛撫が多数回行われた。”場合、審理処置が必要となるかもしれないとあったよ。その場合、長老が何回触りましたかとか服の上からですかなどと質問し、答えによっては排斥するわけだ。JWのやっていることはバカバカしいし、グロテスクでイエスの教えに反している。こんな宗教はさっさとやめよう。」

「15節は“マタイ 5章27,28節の原則をどんなふうに応用できるか。”で、“どんな形のポルノもきっぱり避けます。”、“セクスティングやオンラインセックスもエホバは嫌っています。”とあります。セクスティングと言われて、なにかわかる人は日本のJWにはほとんどいないと思いますけど。性の問題を取り上げるのが大好きなのがJWです。」
「エホバは人間が面白いと思うことはたいてい嫌っていることがわかるね。子どもにオンラインセックスってなんなの?と聞かれたらどう答えるのか知りたいね。子どもに何も配慮しないJW。子どもを集会に連れて行くのは禁止しよう。」

「16節には“マタイ 5:43,44を読む。「隣人を愛[さ]なければならない」というこの律法の根底には,どんな原則があるでしょうか。エホバは,全ての人を隣人と見て愛してほしいと思っている ということです。”とあります。」
「愛こそ、全ての律法の根底にある原則なんじゃないの?でもJWはそれをほとんど強調せず、ポルノをしつこく取り上げる。それでJWは宗教ではなく宗教を装った企業といわれる。従業員がポルノに時間を取られると売り上げが落ちるからね。」

「17節は“マタイ 5章43,44節の原則をどんなふうに応用できるか。”で、生活に困っている人を助けますというようなことはなくて、“戦争や紛争に関わりません。”が最初に来ます。その他に“人種,国籍,宗教が違う人にも親切に接します。・・・さらに,自分や自分の大切な人を傷つけた人のことも気持ちよく許すようにします。”とあります。」
「JWにとって愛とは相手にあまり深く関わらないという意味のようだ。会社員が顧客に仕事で接するような態度を推奨しているということだね。」

「最後の18節は“根底にある原則をいつも意識する”です。  “何かを決める時は「いつでも,エホバが何を望んでいるかを見極めましょう」。(エフェ 5:17)”とあります。JWの場合は、何かを決める場合、統治体の老人が何を望んでいるかを見極めるわけですね。」
「今回の記事を輸血に当てはめると、輸血禁止というルールはない。信者が勝手に聖書の原則を当てはめて、勝手に輸血拒否して、勝手に死んだだけ、と組織は言いたいということかな。末端のJWは、統治体は、何よりも自分たちが責任を追及されたり、訴えられたりしないことを望んでいると見極めて行動しなさいという指示だね。」

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