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#2001 2021年01月25日 14:53:51

張れ流屋
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

アーメンです

ハム太郎さん

女性への反応も面白い

ゆりさんにはフラれたし

#2002 2021年01月25日 21:57:57

仰天
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

ハム太郎さんの問題点は人の話を聞いていない、論点が分かっていない、理解力の著しい欠如、話題逸らしである。

まず、ESODの申命記への影響はあると考える学者と、ないと考える学者とで意見が分かれており、ESODから申命記に取り入れたというのはひとつの仮説である。

その点では単なる仮説である事を示した私が正しい。しかし、ハム太郎さんは申命記がモーセの時代ではなく後代にESODを参考にして取り入れたと断言する。

なら、アッシリアの誓約書(ESOD)にアッシリアの神以外の周辺世界の神々がなぜ出てくるのか何の説明もない。アッシリアのものはモーセ時代の宗主権条約文書の形式を満たしていない。

これは致命的である。

ヒッタイトの宗主権条約には祝福と呪いがあるが、アッシリアのESODにはない。歴史的序文もない。つまりESODは条約ですらないのだ。
なぜ祝福のないものが条約になるのだ?

ここで、モーセ時代のヒッタイト宗主権条約の構成を挙げる。

(1)前 文,(2)前 史(両 国のそれ までの 関係史),(3)条 約規定,(4)条 約文書 の神殿 における保管 と朗 唱の規定,(5)証 人で ある神 々の 呼 び 出 し,(6)呪 い と祝 福 の文 句 。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jo … _1_82/_pdf






ヒッタイトの宗主権条約文書と申命記は驚くほど構造が共通しており、どちらも契約である。

ハム太郎なる人物は宗主権条約という事さえ知らなかったのではないのか。

何もヒッタイトの宗主権条約文書との共通点を挙げるのは私だけでなく、批判的学者でさえ認めるところである。保守的な聖書学者ではケネス・キッチンが有名だろう。

つまり、ヒッタイトの時代、つまりモーセの時代には申命記は既に形になっていたと言える。


ESODは周辺世界から神々や呪いを取り入れているのであるから申命記と同じ語が出てくるのは当然である。アッシリアの誓約文書の呪いのほうがより申命記に近いのは当然なのだ。パクリである。
要するにヒッタイトのものよりアッシリアのもののほうが呪いの言い回しが近いという同じ解釈のものを持って来ているだけで何の証明にもなっていないのだ。



キッチンの「古代オリエントと旧約聖書」を訳している津村俊夫もキッチンとは宗主権条約について見解は異なるものの、申命記はモーセに非常に近い時代のものだと語っている。角間太郎もそうだ。

津村俊夫は聖書学者でオリエント学の研究で知られている。


https://www.jstage.jst.go.jp/article/jo … 1_167/_pdf





M・ノートの「イスラエル史」を訳した樋口進もヤハウェ信仰はイスラエル王国以前からあったと述べている。

だから保守的な聖書学者の見解も調べるように言ったのだ。


エサルハドン文書から申命記に取り入れたとする説の高橋優子でさえ、意見が聖書学者の間では割れており自分の解釈も仮説だと認めているのに断言してしまうデマ人間はなんなんだろうか。

http://www.j-orient.com/wp/wp-content/u … stract.pdf




高橋は反対意見の学者を短絡的だなどと書いているが保守的な学者は逆に短絡的なのは高橋だと思っているだろう。私もそうである。


明らかにハム太郎という人物は批判的聖書学者の説しか知らないのである。聖書学を語るなら保守的な聖書学者の見解も知っておくべきだろう。
もちろん後述するが保守的な聖書学者の見解のほうが妥当な結論である。

私も英語は読めなくはないが得意ではないと書いた事があったが、私の周りには大学教授で英語を教えている者、何ヶ国語も話す考古学者、科学に携わっていた者もいる。いずれもクリスチャンであり保守的な立場であるから私と同じ見解である。

はっきり言えば問題を提示した人物の英語力など無関係なのだがそんな事も理解できないらしい。

英語が少々分かる事を鼻にかけるような人物というものは自分を上に見せたいのか、要は半端者なのだ。
真にデキる人間は非常に謙遜なものだ。

とにかく何の反論にもなっておらず理解力の乏しい人物であるのは間違いないだろう。

#2003 2021年01月26日 10:28:02

仰天
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

転載


『M・G・クライン,K・A・キッチンは,同様な対比を通して,申命記の形式は前2千年期後半の宗主権条 約文の形式に合致していることを明らかにしている.P・C・クレイギーはこうした対比が非常に有効なものではあっても決定的な意味を持ち得ないことを認め ながらも,イスラエル宗教の歴史全体の理解からクライン,キッチンの立場が確認されると考えている.彼によれば,ヘブルの契約になぜ属国との宗主権条約の 形式が表現されるようになったかについて歴史的背景が重要なのである.契約はイスラエルを神に結びつけるだけでなく,エジプトというこの世の権力への従属 からの解放を明らかにするものでもあった.この関連でこそ条約の型を用いる意味が出てくる.この世の従属関係を象徴する形式が,イスラエルと神との関係に 移され,当てはめられているのである.イスラエルは,エジプトやヒッタイトではなく,ただ神にのみ忠誠を尽すべきものとされたのである.クレイギーは申命 記のこの形式と,形式の持つ宗教的意義とから判断して,この書がモーセの時代か,モーセ後間もない時代のものと判断するのが正当であるとしている.エジプ トにおいてこうした形式が宗主権国家と属国との間だけでなく,エジプトの内部での外国人労働者グループとの関係の規定に用いられた形跡があると言う.この こともまた,条約形式の多様な用いられ方を許容する例として注目される.
  こうした状況を背景にして考える時,申命記そのものの示す内的証拠はきわめて重い意味を持つものと言わなければならない.申命記には,モーセの名が40回 近く出てくる.そのほとんどがそこで語られていることの,権威ある発言者としての名である.そして一人称が頻繁に用いられている(1:16,3:21, 29:5等).この書でモーセは,カナン占領の準備として神の定めとさばきを教えている(4:5,14,5:31,6:1等).31:1‐34:12の記 事からは,モーセが律法を集成していることが分る.「書」を意味するヘブル語は口伝を示す用例がないことから,これが口伝ではなく文書であったと判断でき る.31:22の記述からは,モーセの歌(32:1以下)は唱えられる前に書かれていたと考えられる.モーセの死の記事を含む申命記全体が,最終的にいつ 完成したかはもちろん明確には知り得ない.しかしそのほとんどがモーセまたはモーセの時代のものであることを否定する十分な理由はない.』


http://fgcnarita.web.fc2.com/Deuteronomy.index.html

#2004 2021年01月26日 13:02:11

ハレルヤ?
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

「アラーに遣わされた特攻隊」のような使命感で聖書信仰を守ろうするタイプ

って  これはカレブさんの表現でしたが、
文字通り死ぬまで闘うおつもりかな?

主に口づけせよ さなくば 滅びん
神に従い

死ぬまで闘う というフレーズがあったものです。


もっと、練り直してください。
論調が、アジ  です。
おさかなではないです。煽動的
誰もついていかないけど。

#2005 2021年01月26日 13:06:11

仰天
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

てつてつさん

ヴェルハウゼンの文書資料仮説はカウフマンによっても反論されています。

以下引用


1.P 資料の年代推定について
P 資料に関するヴェルハウゼンとカウフマンの見解の違いは、つまるところ〈P 資料 が時代的に D 資料(あるいはバビロニア捕囚)に先行するかどうか〉の一点である。ヴェ ルハウゼン説によれば〈D 資料(捕囚)→ P 資料〉、カウフマン説によれば〈P 資料→ D 資料(捕囚)〉の順である。
ヴェルハウゼンは『序説』の第1部「礼拝の歴史」を五章に別けて、P 資料(および J・ E.・D 資料)の年代を論じている。それぞれの章に対してのカウフマンの反論を要約す れば、次のとおりとなる18)。



(1)祭儀所に関して



ヴ―P 資料での祭儀所の描写は一神教発展史における末期のものである。P 資料で 祭儀所として詳しく述べられている「幕屋(」神が臨在する天幕)は後代のフィクショ ンであり、バビロニア捕囚後のエルサレム神殿のイメージにもとづいている。



カ―P 資料の祭儀所の描写が一神教発展史における末期のものであるなら、なに ゆえヨシヤ王の抜本的な宗教改革、すなわち D 資料に描かれているような祭儀所 の単一化を前提としていない律法が P 資料にあるのか。また、過越しの祭は、J・ E 資料(出エジプト記12・21~23)・P 資料(出エジプト記12・1~14)ではとも に各家庭で家族ごとに行なう祭であるのに対して、D 資料(申命記16・5~6)で は神殿に詣でて行なう祭と記されている。その点からも、P 資料はむしろ時代的に J・E 資料に近く、D 資料による祭儀所の単一化以前と見るのが妥当ではないのか。 また、「幕屋」については聖書の古い文献でも言及されており(サムエル記下7・ 6参照)、P 資料の「幕屋」はフィクションではなく、むしろ後代のエルサレム神 殿の原型と見るべきではないか。



(2)捧げ物に関して



ヴェ―P 資料に記されている捧げ物や潔めに関する複合的な制度も一神教発展史の 末期、すなわち第二神殿時代の祭儀の体系化・組織化を反映しており、レビ記4~ 5章の「贖罪の捧げ物」と「賠償の捧げ物」はバビロニア捕囚期に高まる贖罪意識 を反映している。なお、出エジプト記30・1~8、37・25~29などに記されてい る「薫香」や「薫香の祭壇」も捕囚期以後のものである。



カ―捕囚以前の王国時代に贖罪の捧げ物と賠償の捧げ物が存在していたことは列 王記下12・17に明記されており、いわゆる捕囚後の贖罪意識とは無縁である。ま た、複合的な捧げ物や潔めの制度は、紀元前二千年代(イスラエル王国が設立され る以前)の古代中近東(メソポタミア、ウガリット、ヒッタイトなど)の文献にす でに見受けられるので、祭式の複合性は P 資料を後代―つまり紀元前6世紀以後 ―と推定する基準にはならない19)。



(3)祝祭日に関して


ヴェ―P 資料に記されている祝祭日には、一神教発展史初期の自然宗教的側面が見 受けられないが、それも発展史末期の祝祭日観を反映している。すなわち、初期段 階において古代イスラエルの宗教は自然宗教であり、その祝祭日は「刈り入れの祭」 や「取り入れの祭」(出エジプト記23・16)など毎年の豊作を祈願し収穫を祝う機 会であり、その日時は年々の収穫期によって異なった。しかし発展史の末期である 捕囚後には、祭儀の組織化の一環として祝祭日の暦が固定化されるとともに、毎年 の豊作祈願などの自然宗教的側面は払拭され、祝祭日はより精神的なものへと変質 する。これは捕囚後、ユダヤ人たちが農業を離れ、商業に携わるようになった結果 である。また、新たに自然宗教的性質を持たない純精神的な「新年祭」と「贖罪の 日」―この2つの祭日は J、E、D 資料では言及されていない―が一年の暦に加え られた。



カ ―P 資料に祭日の自然宗教的な側面の言及はないというのは誤りであり、むし ろ P 資料のレビ記23章こそ、「初穂の献納」(レビ記23・10~14)や「新穀の捧げ物」
(同上・16)を始め、祭日の農耕的な側面について最もよく言及している。また、 祝祭日の固定化は、中近東古代社会(殊にメソポタミアやエジプト)では一般的な ことであり、いわゆる捕囚後の祭儀の組織化という歴史的な一事件に帰する必要は ない20)。また、新年祭と贖罪の日の礼拝の重要な役割は祭司が担うゆえに、新年祭 と贖罪の日が P 資料―すなわち祭司資料―だけに載っているのである21)。


(4)祭司職に関して



ヴェ―P 資料に見られる祭司職内の階級制度(大祭司、アロン家の祭司、レビ族の 祭司)は、捕囚後になされた祭儀の組織化の一環の反映である。D 資料では、アロ ン家の祭司とそれ以外のレビ族の祭司との区別はまだ存在しておらず、祭司は「レ ビ人である祭司」(例えば申命記17・18)という総称で呼ばれていた。なお、P 資 料の大祭司は、捕囚後の聖職階級制度を統括する大祭司像を投射している。



カ―アロン家とレビ族の区別は古くから存在していた22)。D 資料に見る総称は、む しろその区別を取り除くために使われていると見るべきである23)。なお、P 資料に 描かれている、イスラエルの民の最高指導者は大祭司アロンではなく、預言者モーセであり、アロンはモーセの指示を無視して祭儀に携わることはできない。そのような描写が第二神殿時代のいわゆる祭司中心の政治機構の実像を反映しているというべきであろうか。また、P 資料である民数記27・12~23には、民の指導者がものごとを決断する時、大祭司による神託(ウリム)を仰がなければいけないという律法が載っているが、政治的指導者また神託の存在しなかった第二神殿時代に、そのような実践性の無い律法の法制化を想定するのは妥当なのか。


(5)献納物に関して


ヴェ―P 資料では献納物や什一税は聖職者に配分されるが、これも捕囚後の祭司制 組織化と関連し、それを反映している。これらの献納物は、本来、奉納者自身が祭 儀所で食べることができた(申命記14・22以下など参照)。また、P 資料には祭司・ レビ族の48におよぶ町のリストが記されているが、これも祭司の権力が増大した 捕囚後に彼らの財産として新たに加えられたことを反映している。



カ―本来、奉納者自身の配分であった献納物等が聖職者のものとなったとするのは 誤り。それらは、もともと神(神前)に捧げられていたものであり(レビ記27・ 30)、それが聖職者にも配分され(民数記18・21)、やがて奉納者自身にも行き渡 るようになった(申命記14・22~23)と見るのがより妥当。また、捕囚後のエズ ラの時代にレビ人の人員が非常に不足していたことが記録に残っており(エズラ記 8・15~20)、その時代にレビ人が48もの町に住んでいたと仮定するのは不可。


このように、カウフマンはヴェルハウゼンの P 資料年代推定の根拠の不確実さを逐 一指摘し、以上のような論拠で〈D 資料(捕囚)→P 資料〉と推定するのは不可と結論 し、むしろ、〈P 資料→D 資料(捕囚)〉と推定するほうが妥当だと論じた。
近年の五書研究では、ヴェルハウゼンやカウフマンのように、P と D の2資料の関係を 通 時 的 な関係で捉え、古代イスラエル宗教の変遷過程の一直線上でその先後関係を論じるよりも、むしろ、P・D 資料の相違を、古代イスラエル社会のなかで 共 時 的 に 併存していた宗教観・伝承と解し、古代イスラエル社会に内在する宗教的多様性のあら われと捉える傾向が主流である24)。しかし、P 資料の時代推定をバビロニア捕囚後と見 解は、論拠は異なれど、既に述べたとおり、現今の聖書学で広く支持されている。
ヴェルハウゼンの P 資料年代推定における最大の問題点は、メソポタミアを始めと する古代中近東の文献を全く考慮に入れなかったことであり、古くから中近東には厳 密な祭儀制度が広く存在していた現実を考慮しなかったことである25)。ヴェルハウゼン と親交の深かった歴史家ヴィラモーヴィッツ(Ulrich von Wilamowitz-Moellendorff: 1848』



https://doshisha.repo.nii.ac.jp/?action … &file_no=1






引用終わり

このようにヴェルハウゼンの説には無理があると思います。なお、

※「P 資料の時代推定をバビロニア捕囚後とする見 解は、論拠は異なれど、既に述べたとおり、現今の聖書学で広く支持されている。」

という点は批判的学者の間では支持されているというだけですので。

#2006 2021年01月26日 13:07:32

仰天
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

文書仮説と進化論(旧約緒論レポート) - 豊栄の風~T-Breeze
http://toyosakakyokai.sblo.jp/article/181532501.html

#2007 2021年01月26日 14:22:17

てつてつ
メンバー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

仰天さん すみませんちょっと忙しいのですぐにはお返事できないかもしれません というかまだしっかり読んでないのですが 多分自分には難しすぎて反論できないかもしれません つきましては聖書についての質問さん またはハム太郎さん その他わかる方反論お願いします cry

編集者 てつてつ (2021年01月26日 14:32:38)

オフライン

#2008 2021年01月26日 15:53:11

ラハム
メンバー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

仰天さんが紹介してくださった
「天国の人」を毎日2章ぐらいずつ読み進めています。
ユンという中国人キリスト者が70日間断食して
断食をやめるところまで来ました。
迫害に関する描写があまりにも生々しいので、
読むのに耐えられないという気持ちになり、
ここいらへんでもうやめようかと何度も考えたことがあります。
それにしても疑問に思うことがあります。

ユンという人物は70日間食事もせず、水も飲まなかったそうです。
70日間水も飲まず、食事もしないのは当人の自由だと思います。
わたしの読み方が浅いせいなのか、彼がどのような理由で、
そのような行動をすることにしたのかわかりません。
日本人流にいうと神やキリストに願を立てるためでしょうか。

わたしも長いこと聖書を読んでいるので、
聖書には断食について述べられている個所がけっこうあるのは知っています。
モーセはシナイ山で律法を受けるとき、40日40夜断食しています。
イエスは公の宣教を始める前、荒野で40日40夜断食しました。
モーセやイエスは断食したとき、水も飲まなかったのでしょうか。
使徒行伝を読んでみるとパウロも断食しています。
はたして彼も水を飲まなかったのでしょうか。

普通の状態では水さえあれば、二週間ぐらいは生きられるそうです。
わたしが中学生のとき、保健体育の教師が、
実験的に7日間水だけ飲んで断食したことを話してくれました。
彼が言うにはその期間で体重が7キロ減ったということです。

キリストやモーセは神から召命されたので、特別な状況ですが、
ユンというキリスト者がわたしたちと違って特別だと思えません。
中国の迫害する公安警察の担当者でしょうが、
ユンがハンガーストライキをしているという表現がありました。

そしてもう一点ですが、現代のキリスト者であるわたしたちも、
信仰のゆえに断食をする必要が生じるのだろうか、ということです。
わたしは意志薄弱だから断食のような修行には耐えられないと思いますが…。

オフライン

#2009 2021年01月26日 18:57:31

ガッツだぜpart2
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

こんばんは。
何やら難しい談義をされている様子・・フムフム。
外野から感想を述べさせて頂ければ・・

wikisource申命記口語訳より引用

第23章
1 すべて去勢した男子は主の会衆に加わってはならない。

アッシリアでは宦官がいたように思います。むしろ申命記は異邦人との違いを際立たせるように強調して
書かれていると私は感じます。宦官制度はシュメールの頃からとネットで見ました^^

旧約では心身の欠損について非常に厳しく扱われており、新約のマタイ書ではむしろ救いであると述べられて
います。それを悪用してカストラートという非人道的な行為が行われましたが。

余談ですが、実はちょっとした実験をした事があります。創世記の聖句を文節ごとにヘブライ語に直し、同じような
音を含むエジプト神の名に置き換え、それぞれのエジプト神の持つ物語にさらに置き換えるという、ゲマトリアも
絡んだ実験です・・wwww

すると創世記の物語と同じ物が再生できました。

ところが、出エジプト記以降、同じ事が全くできませんでした。きっと言語解析をすれば明らかになると思います。

どうでもいい事ですね。

ではまた。

#2010 2021年01月26日 19:12:23

ぽい
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

仰天さん の発言ですが

これは 致命的である。

ってか  貴方が致命的。

#2011 2021年01月26日 19:47:08

ガッツだぜpart2
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

追記

私あての返信は固くお断りします。また返信されても私からのReコメントはしない予定です。
私のコメはスルーして頂いて構いません。

#2012 2021年01月27日 06:26:27

仰天
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

てつてつさん、了解しました。


杉本智俊さんの

「図説 聖書考古学 旧約篇 」の中で、詳細に論じられてはいないものの、M・ノートやフィンケルシュタインの解釈についても言及されており、


仮説に過ぎない事が述べられています。

また、女性をかたどった土偶に関してもカナンの神々の像とは全く異なっており、イスラエルが多神教であった事にはならないそうです。(つまり土偶が何に使われていたかは不明なのです。)


杉本さんはイスラエルが初期から一神教で、後にカナン化したとの見解です。

このように、同じ考古学上の発見を見ても学者によって解釈は異なり、結局は私が言ってきたように、誰の説を信じるか、神を信じるか信じないかの問題だと言えますよね。

てつてつさんも見る人によって考え方は違うと以前に書いておられました。


ラハムさん

また今度返信します(^^)

#2013 2021年01月27日 07:23:38

仰天
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

「図説 聖書考古学 旧約篇 」の中では、ヤハウェのアシェラという表現のアシェラには他の意味もありますので必ずしも異教のアシェラとは言えないという点も載っていたと思います。

#2014 2021年01月27日 13:19:54

ハム太郎
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

仰天さん、絶好調のようです。仰天節全開ですね。

多くの人は仰天さんのありがたい宗教の話よりも仰天さんの特異な人格の方に興味があると思いますので、それについてまず論じましょう。

#2009からです。


仰天 さんの発言:

  ハム太郎さんの問題点は人の話を聞いていない、論点が分かっていない、理解力の著しい欠如、話題逸らしである。

いきなり相手を罵倒します。笑えます。子どもの喧嘩です。このように相手を罵倒し、威嚇するのは仰天流デマのやり方です。

正常な大人で、このような書き出しをする人は見たことがありません。過剰に攻撃的で、礼儀をわきまえない下品な態度です。社会にとって脅威となる人ですね。

これは、今までの議論でフラストレーションが高まっているからでしょうか。これからどんな暴言が出てくるのか楽しみです。


仰天 さんの発言:

  ハム太郎なる人物は宗主権条約という事さえ知らなかったのではないのか。

これも根拠なく相手を貶める仰天流デマです。このようなことを言い出すのは仰天さんが英語がわからないからです。

わたしがthe Vassal Treaties of Esarhaddonを紹介したことを忘れているのでしょうか?the Vassal Treatiesの意味が仰天さんは分からないのです。宗主権条約という意味です。

実はここでかなり笑い転げました。仰天さんありがとう。

仰天さんは、英語で書いたものは理解できないようですが、こう書いています。


仰天 さんの発言:

  私も英語は読めなくはないが得意ではないと書いた事があったが、私の周りには大学教授で英語を教えている者、何ヶ国語も話す考古学者、科学に携わっていた者もいる。いずれもクリスチャンであり保守的な立場であるから私と同じ見解である。

中学生程度の英文なら読めるということでしょうか。しかし、そのあとに続く文章が、仰天さんの強い知的劣等感を示していて興味深い。

自分は英語はよくわからないけれど、周囲にはすごい人がいっぱいいるんだぞ、と言っているわけです。子どもならこう言い返します。それがどうした?

そんなことを言うのはこの掲示板では仰天さんだけです。そう言わざるを得ない仰天さんの心情を思うと痛ましいものを感じます。

英語ができなくても大多数の人は気にしません。何も生活に困らないからです。それでいいのです。

ただ、仰天さんのように非常に専門的な話を、自信たっぷりに強い調子で威嚇的に論じたいなら、英語の文献を読めないと話になりません。

キリスト教や聖書に関連した重要な文献は日本語では読めないのです。

今まで、仰天さんは、自分は勉強家で、キリスト教の事には通じているという自信たっぷりの姿勢で、色々な書き込みに対して、それは違うとか、おかしいなどと主張して来たわけですが、言葉が強いだけで、中身もその根拠も乏しいですね。


仰天 さんの発言:

  明らかにハム太郎という人物は批判的聖書学者の説しか知らないのである。

「明らかに」という言葉の使い方が仰天流デマです。JWと同じで、根拠はないが、強い調子で自分の主張を言いたいというときに使うわけです。

他人の事を根拠もなく決めつけ攻撃するというというのも仰天流デマです。

こういうことを少しは控えようというような理性は働かないのですね。


仰天 さんの発言:

   とにかく何の反論にもなっておらず理解力の乏しい人物であるのは間違いないだろう。

これは最後の文ですが、「理解力の乏しい人物」と人格攻撃をして、仰天さんの書き込みを終えるわけです。相手を罵倒して始まり、罵倒して終わる。これが仰天流デマのやり方です。

「何の反論にもなっておらず」というのも笑わせます。話のすり替えです。

私は仰天さんに次のようなことを求めてきたのです。これで4回目です。


ハム太郎 さんの発言:

仰天さんが、「オリエント考古学では、申命記の文章の構成がモーセの時代のものと完全に合致している事が分かっており」と主張なさるなら、それはそれで興味深いわけで、その根拠を示してほしいですね。

その根拠は今回もありませんでした。根拠のないことをあたかも事実かのように主張することを、デマを流すというのです。

仰天さんは次のように主張しています。


仰天 さんの発言:

  まず、ESODの申命記への影響はあると考える学者と、ないと考える学者とで意見が分かれており、ESODから申命記に取り入れたというのはひとつの仮説である。
その点では単なる仮説である事を示した私が正しい。

仰天さんはいつの間にか主張を変えたのです。「申命記の文章の構成がモーセの時代のものと完全に合致している事が分かっており」といったのは仰天さんですよ。

それが「意見が分かれており」といっているのです。そして自分は正しいと、一方的勝利宣言。

負けても、自分が勝ったと主張する。これも仰天流デマです。このおかげで、仰天さんはすべての論争に勝利してきたと思っているようです。

つまり、最初の主張の根拠を示すように求められた仰天さんは、牧師のブログ以外に見つけられず、そこで、より穏当だけれど今までとは別の主張を持ち出し、あたかもそれが最初の主張かのようによそおい、自分が正しかったと、勝利宣言しているわけです。

これを意図的にしているのならデマゴーグですし、無意識のうちにこのような自己欺瞞をしているのなら、少し心配になります。

#2009の書き込みだけでも、仰天さんの特異な人格が色々うかがえました。そういう点では、とても興味深い書き込みでした。


次に、#2010についてですが、そこに書かれていることは、仰天さんの言う「保守派」の典型的主張です。申命記について多少知っている人はみな知っています。

長い文章を貼るのはやめましょう。引用の範囲を超えています。著作権に抵触する恐れがあります。

#2012の話も有名な話で、たいていの人は知っています。しかし、次の発言はミスリーディングです。


仰天 さんの発言:

  このようにヴェルハウゼンの説には無理があると思います。

ヴェルハウゼンの文書仮説のことを言っているのなら間違いです。相当昔に提出された説なので、その細部について様々な批判や異論はあります。しかし、文書仮説自体の根幹は揺らいでおりません。

#2013は仰天さんの言う「保守派」の教会の牧師のブログです。仰天さんと同じことを言うのは、そういう教会の牧師ということですね。

仰天さんは、あちこちにリンクを張るのですが、インターネット上で見られる学術情報は古いのです。特に日本語のものはそうです。昔のものだから無料で見られるのです。

学問は進歩していくので、古い情報は価値が低いことを理解して利用しましょう。

それから牧師のブログを根拠にするのは、その信者ならいいかもしれませんが、普通の人はしませんのでやめた方がいいですね。

仰天さんが、こうやって、あちこちにリンクを張るのも、何か自分が反論したという気持ちになれるからで、実質的な意味はありませんよね。


仰天 さんの発言:

もちろん後述するが保守的な聖書学者の見解のほうが妥当な結論である。

と、#2009にありますが、ひょっとしたら#2010や#2013がそれにあたるのですか?こんなものがそんなわけありませんよね。

#2015 2021年01月27日 13:22:51

仰天
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

『契約があらわすキリスト―聖書契約論入門』
O・P・ロバートソン著     PCJ出版
より引用


第10章 モーセ―律法の契約(アウトライン)

序論 モーセとの契約は、キリスト教界の歴史において議論を起こしてきた。
古代マルキオン主義(旧約聖書の権威を否定)を受け継ぐものは現代にも息づいている。
→聖書解釈の歴史において息の長い問題のひとつ。

1.現代の聖書批評におけるモーセ契約の位置づけ
→モーセ五書文書資料の起源と展開に関する歴史的批評的観点からの議論が続いているが、   
近年の様式史批評研究によって、五書がモーセ時代のものであることが主張されるよう
になっている。この点について、二つの議論の展開を以下に示す。

①五書文書資料とヒッタイトの条約(五書文書資料とヒッタイトの宗主権条約との関係
  を認める研究が増えている)
・ヒッタイト帝国の古代文書の中から条約の文言が見つかっている
→その資料のうち重要なものはBC1400~BC1200まで遡る。
《条約形式に用いられる必須要素》を確認することができる。
a.征服側の君主たることを宣言する前文。
b.宗主側のこれまでの慈悲行為に力点を置いた歴史的序文。
c.こころからの忠誠を求め、特定の行動を定めるために、詳しく記された条文。
d.臣下と宗主それぞれの神の神殿に、複製された条約文書を正式に保管するべきことを 
定めた条項。
e.多くの場合無生物に対しておこなわれる証の要請。
f.契約厳守を求め、のろいと祝福がもたらされることを述べる文。

・モーセ契約と驚くほど似ている。(申命記の概略とヒッタイト条約形式の古典的かたち)
⇒申命記全体が、モーセの時代には既に現在のかたちになっていたことを認めざるをえな
い。

②五書資料と「申命記史家」(もうひとつの学派が、申命記が現在のかたちになった時代
  をほぼ千年ほど後代にしようと試みている)
・マルティン・ノート→申命記からⅡ列王記までひとつのかたまりであり、現在のかた 
ちになったのは、捕囚期のことであるとしている。

しかし、ヒッタイトの古典的契約形式が発見されたことで、現代の聖書学に、ひとつの
重要な流れが加わった。

2.モーセ契約の神学的な重要性
◎モーセ時代の神との関係は、律法関係ではなく契約的な関係の上に築かれている。
・ヒッタイトの条約形式:法的条項が働く歴史的文脈が意識されていることが、モーセ時代を理解するうえで基礎的事象である。~律法はつねに契約の広範な概念に対して副次的なものである。
→律法の契約が啓示された時代の歴史的文脈を知ることで明確にされる。
《アブラハム契約から出エジプト》既に契約関係に入れられていたイスラエル国家は、神によるエジプト捕囚からの解放という歴史的事実を通して、イスラエルの主としての神と出会い、契約が与えられた。
∴契約は律法に優先する上位概念である~外的な法的条項を定めることは、契約の結びつきを確かなものとする一つの手段である。

3.モーセ契約の特徴
  (民とかかわりあうために、神が取ったほかの手段とどのように異なっているか。)
               
○モーセ契約は、神の意志を具体化したかたちにまとめたという点に特徴がある。
・物理的に書物としてはっきりと示された。
・外形的なかたちで、正式に秩序だてられまとめられた。
・聖書:出エジプト34:28、申命記4:13、9:9、11→石の板に刻まれた。
・「律法」とは、神の意志をまとめて外形化したもの。
→律法の契約と特徴づけられる。
   ↓
「わざの契約」と混同してはならない。
「わざの契約」は神と罪のない人間との間で結ばれたもの。
「律法の契約」は罪あるひとに対して与えられたものであるので代理贖罪が欠かせな
い役割を担う。
・神はイスラエルをアブラハム契約におけるめぐみの約束によってエジプトから贖い
出したからこそシナイに集めた。
→「律法の契約」はそれ以前の契約の延長上にあり、決して以前の契約を無効としない。
∴「律法の契約」は神が「あがないの契約」の豊かさを次第にあきらかにしていく中で紐
解かれた新しい段階を示すもの。

◇特徴を持つモーセ契約を、聖書神学の考え方のうちに位置づけるために見るべき三点。
(あがないの歴史における律法の契約の位置づけ)
①あがないの計画全体との有機的結びつき
②あがないの計画全体との発展的結びつき
③イエス・キリストのうちにある完成

①あがないの計画全体との有機的結びつき
・有機的な関係
→それぞれが孤立し区画化された関係ではなく、いのちあふれる生きた相互関係。
・律法はあがないの歴史を通じてつねに存在していたことをまず認める必要がある。

a.モーセ以前の契約においても律法は重要である
・アダムはひとを救う子孫が生まれるという約束を、いさおなしく与えられたが、その子孫が来るまでは、いのちをつなぐため額に汗して働かなければならない(創世記3:19)
・ノアは恵みに満ちた契約の核心的な部分として、人を殺すものに対する処断について神のみこころの宣告を受け取った。(創世記9:6)
・アブラハムに対する「約束の契約」では、父の家を出て、心を傾けて主に従い、主の前を歩かねばならなかった。~こののちの出来事もまた律法の契約が存在していたことを示している。→割礼が証印の定めとして、それを表している。
b.律法はモーセ以後の契約すべてにおいても重要である
・イスラエルにおける恒久的な君主制は、ダビデ契約の制定によって最終的に実現する。
→「彼が不義を行ったときは、わたしは人の杖、人の子のむちをもって彼を懲らしめる」
(Ⅱサムエル7:14)
●律法の契約の定めがキリスト者に意味を持ち続けていることを示す証拠
(1)キリスト者は、いくどとなく神の律法を守ることによって、完全な祝福の状態に至るべきと勧められる。
→「みことばを行う人になりなさい。…」(ヤコブ1:22)
(2)義をおこなうことなく生きるキリスト者は、神によって懲らしめを受ける。
→「主はその愛する者を訓練し、受け入れるすべての子に、むちを加えられるのだから」(ヘブル12:6)
(3)キリスト者は、おのれのなしたおこないに応じて裁かれる。
→救いはキリストがなしたわざへの信仰のみによって与えられるが、裁きは、人の働きに応じて行われる。

②あがないの計画全体との発展的結びつき
a.モーセ契約はそれまでのあらゆる契約以上に進展している
(1)モーセ契約は民を国家としてまとめている。
(2)モーセ契約は包括的である。
(3)モーセ契約はひとを謙遜にする。
(4)モーセ契約は予型として重要性を持っている。
b.モーセ契約はあとに続くものに比べれば不十分である
・新しい契約のもとでは、律法の働きかたの特徴はその内的な性格にある。
→啓示が進展することで信仰者の実体験も進展する。聖霊によって。
◆パウロは新約の信仰者たちに、モーセ契約制定にまつわる三つの象徴を解釈している。

(1)モーセの顔の輝きの象徴について。
・モーセの顔の輝きはあくまで消え去りつつある輝き。
(2)モーセの顔の輝きが失われていったことの象徴について。
・栄光が去りつつあることをイスラエルの民に見えないようにするためだという意見。
(3)モーセの顔のおおいについて。
・モーセの顔の栄光が消え去りつつあることを隠すものであり、栄光がまぶしすぎるか
らではないという考え方を強力に支持していることがわかる。モーセ契約は栄光に満ち
たものだったが「新しい契約」はさらに栄光に満ちている。(出エジプト34:29~35)

③イエス・キリストのうちにある完成(キリストは律法を破棄するためではなく、成就するために来られた)(マタイ5:17)
a.山上の垂訓においてイエスが新しい律法を与えるものであるとあかす。
b.変貌の山においてイエスはモーセよりも偉大な栄光の姿に変わった。
→モーセは律法の仲介者であり、神の家のしもべとして働く。
→キリストは、律法のみなもとであり、子として神の家を治める。
c.キリストにあっては、律法による罪の告発の力はすべて失われた。
→キリストがすべての義を成就した~律法の契約はイエス・キリストのうちに完成した。

「契約があらわすキリスト」ロバートソン著 - 日本メノナイト 白石キリスト教会
https://kinokunizaka66.hateblo.jp/entry … /04/224545

#2016 2021年01月27日 13:38:08

仰天
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

内容詳細

本書は、O.Palmer Robertson, The Christ of the Covenants, 1980 の全訳です。

翻訳監修の清水武夫師が執筆した本書の書評(『福音主義神学』1986年)をまとめるかたちで、本書の持つ神学的意義を簡単に紹介しておきましょう。「契約」の概念が神学のなかで取りあげられるようになったのは、宗教改革以来とされています。聖書神学においては、1930年代W.アイヒロットが契約の中心的意義に着目しました。さらに1950年代にはいって、G.メンデンホールが古代近東の宗主権条約と、聖書の契約との関係を指摘、以後両者の関係についてさまざまの研究がおこなわれます。福音主義的聖書学においても、M.クラインを筆頭に研究が進められ、文化的歴史的な状況のなかで聖書の権威の性格があきらかになってきました。本書はそのような研究史を踏まえながら、歴史的な啓示に沿って神の契約を概説するものです。








契約があらわすキリスト 聖書契約論入門 | 教文館キリスト教書部
https://www.kyobunkwan.co.jp/xbook/archives/98753

#2017 2021年01月27日 14:52:12

てつてつ
メンバー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

仰天さんこんにちは リンク先のカウフマンの件少し読ませていただきました ヴェルハウゼンが正しいのかどうなのかは自分には検証できません というか文書や考古学上の遺物の解釈は人の数だけあると思いますのでタイムマシンで過去の当人に会って聞く以外に100パーセントまちがいないということはありえないと思っていますので現時点では全て意見であり仮説だと思っています

ただちょっと資料の44-5ページあたりが気になったのですが

カウフマンの『信仰史』は、イスラエルの読者を対象にしているためヘブライ語で書かれており、日本の聖書研究者はもちろん、欧米の聖書学者にもほとんど読まれていない

カウフマンの研究は、現代の日本における聖書学界ではもちろん、欧米の聖書学界でも顧みられることはほとんどない。今日、彼の研究についての言及があったとしても、「教条的」、「護教論的」、または、「偏狭な民族主義者」などの余り好意的でない呼び方が使われるのが常である

等と書かれていました それでもしかすると彼の著作の動機は新たに建国したイスラエルの自国民の選民思想 ユダヤ人至上主義 優越性を説き パレスチナ人たちを排除する正当性を説くためのもので そのためにヴェルハウゼンの説が邪魔だったので書いたのかもしれないと感じました「又は用いられただけかもしれません」
もしそうならナチスが自分たちは高潔なアーリア人で支配する権利があると唱えたことと同じで憎しみの再生産になるだけではないかと感じました cry

編集者 てつてつ (2021年01月27日 15:07:46)

オフライン

#2018 2021年01月27日 15:06:13

てつてつ
メンバー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

ラハムさんこんにちは 断食自分も以前に2週間ほどすると宿便が出て健康に良いということでやってみたことがあります「水はいくら飲んでもよい」 最初の3日ほどは大変つらいのですがそのあとはきつい運動さえしなければなんとか大丈夫でした 多分水さえ飲んでいれば1月くらいは生きているのではないかと思います 終わった後で最初はハチミツをお湯に薄めて溶かしたものを飲んだのですが力がだんだん湧いてくるのを実感した覚えがあります 神様ありがとうございますみたいな感じです kiss

編集者 てつてつ (2021年01月27日 15:12:40)

オフライン

#2019 2021年01月27日 15:11:36

仰天
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

てつてつさん


そうですねぇ。解釈は人それぞれで確定していないのですから反対意見も調べておくべきですね。

まあ、てつてつさんの場合は聖書が創作されたものという仮説のほうに魅力を感じておられるみたいですのでそれは構わないのではないでしょうか。

但し、学者の間でも意見が分かれているのに質問さんに多神教が先か一神教が先かを聞くのもあんまり意味がないと思いました。
質問さんの考えを聞けたというのはいいとは思いますが。

#2020 2021年01月27日 15:14:46

仰天
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

ヨシュアはモーセの後継者であるからヨシュア記が申命記と共通点があってもおかしくはありません。

預言者アモスはヨシヤ王より1世紀以上前から活動しており、その内容を見ると申命記における神の戒めを把握していた事は明白である。
(共通点があるのでアモス書まで申命記史家によるものに含めるとでも言うのだろうか。預言者の活動は申命記が古くから存在していたからこそ始まったのだ)

申命記を書いたのはモーセであるという事は次の事によって確定している。
(1)モーセ五書とサマリア五書(旧約聖書の最初の5冊、律法の書)
(2)旧約聖書の著書たち(ヨシ1:7、I列2:3、II列14:6、エズ3:2、ネヘ1:8-9、ダニ9:11)
(3)主イエス(マタ19:7-9、ヨハ5:45-47)と新約聖書の他の記者たち(使3:22-23、ロマ10:19)
(4)古代のキリスト教の学者たち
(5)現代の保守的学者たち
(6)書物の内部からの証拠。例えばその書式と構造は同じ地域の同じ時代(前15世紀)の他の契約書と類似している。モーセの死についての記事(34章)はヨシュアが加筆した事がほぼ確実であるけれども、神の僕であり、ヨシュア自身の良い指導者だった人の功績を称えるものとなっている。

#2021 2021年01月27日 16:25:44

ラハム
メンバー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

てつてつ さんの発言:

ラハムさんこんにちは
断食自分も以前に2週間ほどすると宿便が出て健康に良いということで
やってみたことがあります「水はいくら飲んでもよい」
最初の3日ほどは大変つらいのですが
そのあとはきつい運動さえしなければなんとか大丈夫でした
多分水さえ飲んでいれば1月くらいは生きているのではないかと思います
終わった後で最初はハチミツをお湯に薄めて溶かしたものを
飲んだのですが力がだんだん湧いてくるのを実感した覚えがあります
神様ありがとうございますみたいな感じです

天国の人は水も一滴も飲まなかったそうですから、
通常の人間の常識を超えていると思います。
中学生の頃の保健体育の先生は一週間の断食後、
重湯から摂取はじめて体を慣らしたということでした。
戦地から戻った兵隊さんのお祝いでたくさんごちそうを食べてしまったら、
いきなり死んでしまったということも聞いています。
飢餓状態の人がいきなり通常の食事をすると、
体が受け付けないようですね。

わたしは自分の意志で断食状態になったことはありませんが、
7年ほど前、胃潰瘍出血で入院したとき、一週間以上食事もできませんでした。
自然に食べられなくなりました。
水を飲むことも禁止され、点滴だけで生きていたのですが、
水を飲んでもいいと言われて飲んだ水は水道水でした。
それでも、とてもおいしくて感動的だったです。

そういえば天国の人も、断食をやめるとき
主の晩餐のようなことをして、家族が差し入れた、
クラッカーをちょっと食べてグレープジュースを飲んだことが
記載されていたことを思い出しました。

わたしの入院時の断食では自力で排便できなくて浣腸のお世話になりました。
胃潰瘍出血がひどければ死んでいたかもしれません。
食事も重湯のようなものから始めていました…。

編集者 ラハム (2021年01月27日 16:27:27)

オフライン

#2022 2021年01月27日 19:57:57

YN
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

スタディは相変わらず、荒々しいですね。
仰天さんの言葉には確かに多少はイラッと来ましたが、振ってる訳ではないですよ。
ハム太郎さんとか、京子さんみたいな誹謗中傷が大好きな人がいるから、スタディの評判は悪くなるのだと思います。
仰天さんは売り言葉に買い言葉で、誹謗中傷になってしまったのであって、責任は、ハム太郎さんとかにあると思いますよ。
喧嘩を売るのはやめましょう。

仰天さんへ
最近エホバではなく、プロテスタントの教会に出席しております。
ここはエホバの掲示板だからとかは言わず、仰天さんによって、良い影響を受けた人も少なくとも、ここに一人おります。
牧師さんも親切なので、ここで私が爆弾行動をしなければ、洗礼を受けられるかもです。

#2023 2021年01月27日 21:11:37

てつてつ
メンバー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

ラハムさん 自分は一般のキリスト教でも断食などを教えとして取り入れているところがあるんじゃないかなと思います

あと 按手(あんしゅ) 手をおくこと もよく聖書にでてきますね

この二つはものみの塔では全然教わらなかったと思いますが どうしてだったんでしょうかね? 自分にはわからないです

オフライン

#2024 2021年01月29日 13:58:14

ハム太郎
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

仰天さん、元気ないですね。

私に対する暴言、罵倒の嵐を期待していたのですが、沈黙しています。

それでは、話題を変えましょう。

「エル・エロヘ・イスラエル」の意味です。

これは別の場所で、ある方が「イスラエルの神エル」と訳したことについて、仰天さんは一方的にいちゃもんをつけたのです。

いちゃもんをつけられた方は仰天さんの事を無視しているようなので、僭越ながら私が反論しましょう。

#1964で、仰天さんはこのような知ったかぶりのでたらめを恥ずかしげもなく行っています。


仰天 さんの発言:

あと、エル・エロヘ・イスラエル  を「イスラエルの神エル」とするのはどうなんですかね。

エルはすでに指摘しましたように神を表す普通名詞であり、同じく神や神々を表す複数形のエロヒムがありますが「エロヒム」とエル・エロヘ・イスラエルの「エロへ」は同じ意味ですので、それを「エロへ」だけ「神」として「エル」だけをそのままの読みにするというのは恣意的だと思います。異教のエル神をイスラエルが自らの神としていたかのように思わせたいのでしょう。

エル・エロヘ・イスラエルは、「神はイスラエルの神」とか「イスラエルの神なる神」と訳すのが適切でしょう。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/q … 1369158083

仰天さんがヘブライ語について語るとは驚きです。しかも、ヘブライ語の文法を理解していないのにです。

また、自分の主張の根拠としてリンクを張っていますが、そこはYahoo知恵袋です!

そこに書いてあることが根拠になんかなりません。仰天さんの知的レベルがわかって興味深い。

Yahoo知恵袋に書いてあることも間違いですけれど、仰天さんは知恵袋に書いてあることさえも理解していない。

解説しましょう。


仰天 さんの発言:

  エルはすでに指摘しましたように神を表す普通名詞であり

違います。固有名詞として使われる場合もありますし、普通名詞として使われる場合もあります。どちらの意味かは文脈によります。

「エルはすでに指摘しましたように」なんていっぱしの専門家気取りです。


仰天 さんの発言:

「エロヒム」とエル・エロヘ・イスラエルの「エロへ」は同じ意味ですので

違います。エロへは、エロヒムの所有格命題形式です。

この程度のことは、あれだけ偉そうに語る仰天さんなら知っているはずなんですけれどね。


仰天 さんの発言:

「エロへ」だけ「神」として「エル」だけをそのままの読みにするというのは恣意的だと思います。

違います。エロへを「神」としてそのままの読みにしていません。基本的にわかっていない。


仰天 さんの発言:

エル・エロヘ・イスラエルは、「神はイスラエルの神」とか「イスラエルの神なる神」と訳すのが適切でしょう。

適切じゃありません。そもそも仰天さんのような自称・「無学な普通の人」が適切だなどと偉そうに判断できることではありません。

JWの新世界訳では「神はイスラエルの神である」としていますので、仰天さんはJWの日本語訳担当者と同じ見解ですね。

しかし、元々のJWの英訳では「God, the God of Israel.」とあるのです。こちらの方がヘブライ語に文法的に対応しています。

エル・エロヘ・イスラエルのエルとエロへ・イスラエルの関係は同格という関係だからです。

仰天さんが適切と判断した「神はイスラエルの神」とか「イスラエルの神なる神」はその点で不適切です。

「神はイスラエルの神」とか「イスラエルの神なる神」はYahoo知恵袋にあった訳です。その受け売りをして、こちらの方が「適切でしょう」と仰天さんは言っているのです。


でたらめで無知丸出しの仰天さんのいちゃもんに反論する気が起こらないのは当然です。

「エル・エロヘ・イスラエル」の訳としては、「イスラエルの神・エル」が文脈を考えれば適切な訳でしょう。

次に専門家の意見を引用しましょう。

「一神教の起源」(山我哲雄)

これは「イスラエルの神であるエル」を意味し、それが祭壇の名などではなく、そこで崇拝される神自身の名であったことは疑いない。しかも、ここで「エル」が普通名詞としてではなく、固有名詞として用いられることは明白である。「イスラエルの神である神」では意味をなさないからである。P.117

ENCYCLOPEDIA OF THE BIBLE – EL-ELOHE-ISRAEL

On this lot Jacob erected an altar and named it “El is the God of Israel,” a confessional altar or shrine which appropriated the Canaanite deity name “El” (the Mighty One) for use as one of the designations of Israel’s God.
この区画にヤコブは祭壇を建て、それを「エルはイスラエルの神」と名付けました。これは、カナン人の神の名前「エル」(強大な者)をイスラエルの神の呼称の1つとして使用するための祭壇または社です。

International Standard Bible Encyclopedia / El-Elohe-Israel

Being victorious in that struggle, Jacob received the new name "Israel"; and to his first altar in Palestine he gave that name of God which appeared in his own new name, further explaining it by the appositive phrase "Elohe-Israel." Thus, his altar was called, or dedicated to, "El, the God of Israel."
その格闘で勝利を収めたヤコブは、新しい名前「イスラエル」を受け取りました。そして、パレスチナの彼の最初の祭壇に、彼は彼自身の新しい名前で現れたその神の名前を与え、さらに同格のフレーズ「エロヘ-イスラエル」によってそれを説明しました。したがって、彼の祭壇は「イスラエルの神エル」と呼ばれた、あるいは捧げられました。

「イスラエルの神エル」という訳でよいことが理解していただきましたでしょうか。

知ったかぶりをして、「エル・エロヘ・イスラエル」の訳にいちゃもんをつけた仰天さんですが、自分で言うように「無学で普通の人」のようです。

いいえ。「無学」ですが、「普通」ではないですね。

仰天さんのように、まともな対話ができず、相手を一方的に罵倒したり、デマを流したり、知りもしないことを知っているかのように偉そうに語る人を「普通の人」とはいいません。

仰天さんのばかばかしい書き込みに反論する方はあまりいないようですが、だからと言ってデマを書くのはやめましょう。

#2025 2021年01月29日 15:26:54

通り過ぎ
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

はい、スルー

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