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#1 2013年02月09日 16:55:10

sk
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日本支部

このトピックでは、ものみの塔協会の日本支部の動きについての情報提供を考えています。
ベテル奉仕者や現役JWの方が投稿していただければ良いのですが、今のところネットで見つけた情報価値の高いと思われる記事からの引用やリンクがメインとなります。


まず始めに、ものみの塔協会の資産についてよく調査されたサイトからの全文引用です。
情報元 http://buta.exjw2.org/money/money.htm


『消えた102億円と、ものみの塔・日本支部長の謎の死 』


日本の 『 ものみの塔 』 の最高責任者であった「日本支部委員会の調整者」、織田正太郎氏が、2004年4月4日、『転落』して頭部を強打し、4月7日に亡くなりました。

また、長く日本支部の監督を勤めたニュージーランド人ロイド・バリー氏は、
1949年に来日し、1952年に日本支部の監督に就任してから、1975年の、いわゆる『ハルマゲドン預言』(信者集めの滅亡予言が外れたわけね・・・)までの間に日本のものみの塔信者を増やした功績で、1975年2月に『統治体』メンバーとなりましたが、1999年7月2日にハワイで、やはり階段から『転落』し、頭部を強打して亡くなりました。

これは偶然の一致? あるいは暗殺?  それとも神の罰が下ったのか?(多分それだと思う・・・)

しかしながら、こと、織田正太郎氏については、
『 殺された 』  としても不思議ではない 『 理由 』 があるのです・・・・

このとき、新しい支部委員会の調整者は誰なのか、それを調べるために法務局で履歴事項全部証明書という書類を入れた人がいて、
日本のものみの塔の最高責任者の名前を確認しました。履歴事項全部証明書というのは法人の登記簿謄本に準じる物で、法人組織の資本金を証明するために法務局が発行する証明書です。

支部委員会の調整者、織田正太郎氏が平成16年4月7日に亡くなり、4月16日に新しい支部委員会の調整者として池畑重雄氏が就任しました。池畑重雄氏の詳しいプロフィールは出版物に載っていません。

http://buta.exjw2.org/money/money.htm
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ところが、この履歴事項全部証明書を見ると興味深い事がわかります。
それは日本支部の基本財産の金額がわかるからです。
基本財産とは会社の資本金に相当するもので、これに寄付によって流れ込む流動資金がプラスされるわけですが、日本のJW信者が長年に渡って真面目に寄付し続けた結果、日本支部がとってもお金持ちなことがよくわかります。
海老名ベテルで働く職員の給料(寄付の割り戻し金)が月に2万円って言うぐらいですから、億単位のお金がこれだけの短期間で貯まるのも当たり前かもしれません。


平成07年(1995)以前 224億3441万6795円
平成07年(1995)      121億9516万6695円
平成11年(1999)      151億7389万1406円
平成12年(2000)      186億7340万8416円
平成13年(2001)      192億7992万0634円


ところが、1995年に102億3726万0100円という大金が消えています。

これをどう読むべきなのか?
バブルで地代が下がって消えたとか、当時支部委員だった本間年男氏の株取引で消えたとか、世界本部の指示で海外送金で消えたとか、いろいろな噂があるわけですが、その詳細は末端信者には一切知らされていません。


本間氏は、大変事業に熱心であり、日本支部の資金を投資に回して運用していたそうです。
その説によると本間氏は野村證券と密接な関係にあり、一時は寄付で集まった協会の大量の資金を株式投資に回して利益をあげていたそうですが、株価の暴落と共に協会の日本支部に対して多額の損失をもたらしたと言うことです。
情報ソース:JWIC  本間年雄氏の排斥について


ものみの塔組織は会衆単位の会計報告は厳格にやっていますので、会衆の金の動きを末端信者はよく理解しています。
しかし日本支部単位、世界本部単位で金をどうやっているのか、そういった会計報告はありませんので、金の動きの詳細はまったくわかりません。


宗教法人法,第23条 (財産処分等の公告)
宗教法人(宗教団体を包括する宗教法人を除く。)は、[下]に掲げる行為をしようとするときは、規則で定めるところ(規則に別段の定がないときは、第19条の規定)による外、その行為の少くとも1月前に、信者その他の利害関係人に対し、その行為の要旨を示してその旨を公告しなければならない。

但し、第3号から第5号までに掲げる行為が緊急の必要に基くものであり、又は軽微のものである場合及び第5号に掲げる行為が一時の期間に係るものである場合は、この限りでない。

1.不動産又は財産目録に掲げる宝物を処分し、又は担保に供すること。
2.借入(当該会計年度内の収入で償還する一時の借入を除く。)又は保証をすること。
3.主要な境内建物の新築、改築、増築、移築、除却又は著しい模様替をすること。
4.境内地の著しい模様替をすること。
5.主要な境内建物の用途若しくは境内地の用途を変更し、又はこれらを当該宗教法人の第2条に規定する目的以外の目的のために供すること。


信者の寄付した貴重なお金、特に、未信者の旦那が汗水垂らして稼いで信者の奥さんが寄付したお金の行き先はいったいどうなってるんでしょう?




もし、
ものみの塔統治体と世界本部の指示で日本支部のお金が海外送金に消えているとしたら、それは日本国民が汗水垂らして稼いだ貴重な財産が、国民感情として納得の行かない形で海外に流出しているわけですので、海外不正送金疑惑として、外為法違反の疑いで公安当局(公安警察、公安調査庁)の捜査対象にされても不思議はありません。
そのせいなのか、日本支部から日本全国の長老団にこういう指示が出ています。

(ほぉ~、公安からマークされてるってワケですか・・・・オウム並みだね・・・・)
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「個人のプライバシーに関する情報と仲間の兄弟や会衆全体の権益に不利な影響を及ぼすと思われる事柄」は、仲間に対する愛ゆえに漏らしません。

わたしたちは、「外部の人に対しつねに知恵をもって」接し、「蛇のように用心深く……ありなさい」という忠告に従います。(コロサイ4:5 マタイ10:16)


これはものみの塔の教える神権的戦術理論そのものです。
日本支部は日本全国の会衆の長老団に対して、必要があれば日本の官憲を神権的戦術を使って騙せと命令しているわけです。
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ものみの塔 1960年8月1日号298ページ「読者からの質問」

「特定な状況によっては、クリスチャンが真実の事を語らねばならぬという義務に例外が設けられていますか、という質問の手紙が協会に時折り送られてきます。
その質問に対する答えをいたします」(中略)

クリスチャンが常に留意しなければならぬ一つの例外があります。キリストの兵士であるクリスチャンは、神権的な戦争を行っています。それで、神の敵に接する際は、いっそうの注意を払わねばなりません。聖書の示すところによると、神の側の益を守るために神の敵から真実を隠すことは適当です。
このことについての聖書的な一例は、娼婦ラハブの例です。
彼女は、イスラエル人の神エホバを信じていたのでイスラエル人の間諜をかくしました。
彼女は、その行いと言葉によってこのことをいたしました。
エホバがその行いを是認されたことは、ヤコブが彼女の信仰を誉めている事からわかります。
-ヨシュア2:4,5。ヤコブ2:25

このことは、1956年5月15日号の「ものみの塔」内に説明されているごとく「戦術」ということであり、また、狼の中にいて「蛇のごとく用心深く」しなければならぬというイエスの助言とも一致するものです。
クリスチャンが証言台に立って真実を語ると宣誓させられる場合、発言するならそれは真実のものでなければなりません。
発言して兄弟たちを裏切るか、あるいは発言しないで法廷侮辱罪を受けるか、そのどちらかを選ばねばならないとき、円熟したクリスチャンは自分の福祉よりも兄弟たちの福祉の方を重んじます。
イエスの次の言葉を記憶しているからです「人がその友のために自分の命を捨てさること、これよりも大きな愛はない」-マタイ10:16

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■ものみの塔組織が末端信者に情報を教えない根拠
「兄弟の知りたいと思うことは兄弟に関係するものではない、ということを巧みに告げます」

【要約】
1) ものみの塔の布教活動は世の中に対する神権的な戦争である。
  だから戦争相手である世の中には不利な情報を教えない。
2) 戦闘する兵士は組織の命令に忠実に従い上官に命令された事だけやれば良い。
3) もし兵士が戦闘で捕虜になったり裏切った時は、余計な情報を知らない方が、,本人のためであるし、組織のためになる。だから余計な情報を知ろうとするな。
4) キリストの兵士である末端信者は目的が達成されるその日まで、余計な事を考えず命令された通りに布教活動に邁進しろ。

                           ・・・・・・・・・・ということになる。


何故ここまで官憲を恐れるのか?
日本支部による公安当局対策のための神権的戦術の具体的な指示は、反社会的行為になります。


となると・・・・・
官憲や末端信者に知られたくないような反社会的行為をものみの塔組織がやっているからこそ公安当局が捜査しているのであり、ものみの塔組織はそれに対応するべく神権的戦術を使った組織防衛をしていると思われて当然でしょう。
100億以上の金が消えてるのに、信者に対して詳細な説明は無いんですからね。


現時点での真相は闇の中です。

【専門家による海老名ベテルの検証】


宗教法人ものみの塔聖書冊子協会、日本支部所在地、海老名ベテルの概算査定


所有者:ものみの塔聖書冊子協会
土地合計:2万1698.96坪
建築時期:昭和57年1月新築(その他、数次の増築あり)
これ以外に13練の付属建物登記あり


土地概算査定額   64億2002万円(周辺駐車場は含まず)
建物概算査定額   41億9441万円(但し、主たる建物等2練のみ)
――――――――――――――――――――――――
概算査定合計   106億1443万円

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編集者 sk (2013年02月15日 09:12:30)

オフライン

#2 2013年02月10日 08:13:57

sk
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Re: 日本支部

おはようございます。

ものみの塔はその設立以来、半面事実と偽りの教えにより謙遜で従順な人々を利用してきました。
第2次世界大戦前の日本のクリスチャンの歴史のなかで、当時「灯台社」と呼ばれたものみの塔協会に関わった人々がいました。
それらの人々は兵役拒否のために投獄され信仰の試練を経験しました。
その中のひとり明石順三氏は大戦後ものみの塔の実体に気付き当時の協会の会長ネイサン・ノアへ手紙を送っています。
その後彼は排斥されました。その当時彼が見出したものは、現在私たちが世界的な規模で見出しているものと同じです。


元記事(全文引用) http://godpresencewithin.web.fc2.com/pa … junzo.html


明石順三はものみの塔を見破っていた。


機関誌「光」 1947年7月15日付 「号外」3号

1 少(すくな)くとも過去十年間,聖書真理の解明に進歩の跡を認め得ず。
 
2 現在に於(お)ける所謂(いわゆる) 神権政府樹立と,その国民獲得運動の躍起主張は聖書的に一致せず。

3 所謂(いわゆる)「神の国」証言運動の督励(とくれい)方針は要するにワッチタワー協会の会員獲得たるに過ぎず。

4 総本部の指導方針は,忠良(ちゅうりょう)なるクリスチャンをして,聖書の明示する唯一標準を外れて安値なる自慰的位置に安住せしめつつあり。

5 その自ら意識すると否(いな)とにかかわらず,種々の対人的規約や規則の作製は,せっかく主イエスによって真のクリスチャンに与えられたる自由を奪い,ワッチタワー総本部に対する盲従を彼らの上に強制するの結果を到来せしめつつあり。

6 総本部はワッチタワー信徒に対して,この世との非妥協を教示しつつあるにもかかわらず,総本部自身の行動はこの世に対する妥協の実証歴然たるものあり。

7 所謂(いわゆる)「ギリアデ神学校」の建設は,聖書の示す所と絶対に背反(はいはん)逆行せり。」




「今次大戦中本会の指導下に神と主イエス・キリストの神命に忠実ならんとして,多くのクリスチャンは殺害,暴行,投獄,監禁その他のあらゆる迫害を蒙(こうむ)り候(そうろう)。

然(しか)るに余(よ)の出獄後聞く処(ところ)によれば,ブルックリン総本部部員にして大戦中に検挙投獄されたる者殆(ほとん)ど無しとの事にて候(そうろう)。
これ果して何の意味を有するものに候や。・・・

総本部が今次大戦を通じ如何(いか)なる巧妙手段を以(もっ)てよく其(そ)の苦難を回避し得たるかはともかくとして,もし本会の自称する如(ごと)く“本会は地上における神の組織制度なり”の主張が事実なりとせば,体の末端(まったん)の大部分が敵側の手によってかくも莫大(ばくだい)なる苦難を受けたるにかかわらず,中心たる総本部がほとんど無疵(むきず)の状態においてこの大苦難時を無事に通過し得る理由は絶対に成立致さず候(そうろう)・・・

出獄後小生(しょうせい)の手に入りたる本会刊行の各種印刷物中に,大戦を通じてドイツその他諸国に於(お)ける所謂(いわゆる)“エホバの証者”に対する迫害事件に関しては大々的に報告されあるも,肝腎(かんじん)の総本部に関する迫害事実の報告はほとんど発見致さず候(そうろう)。この点に対し本会代表たる会長の公式弁明を承(うけたまわ)りたく」



「余(よ)はクリスチャンにて候(そうろう)。

余(よ)は我らの主イエス・キリスト以外の何者の追随者にても,これなく候(そうろう)。

従って余は今日に至るまで,ラッセル兄(けい)の追随者にもあらず,
ラザフォード兄(けい)の追随者にもあらで,またワッチタワーの追随者たりしことも絶無に候。
而(しか)して自己のこの歩みは今後といえども絶対不変なるものにて候(そうろう)。」



参考文献:
稲垣真美著「兵役を拒否した日本人―灯台社の戦時下抵抗」
岩波書店(岩波新書),1972年。182-186ページ。

「ものみの塔」誌1973年9月15日号。575ページ。「現代におけるエホバの証人の活動―日本」。
「1978 エホバの証人の年鑑」ものみの塔聖書冊子協会。216,217ページ。「日本」。
「1998 エホバの証人の年鑑」68ページ。「日本」。

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ファシズムが吹き荒れた日本の戦前、戦中において、神戸に本拠を置く燈臺社 (日本のものみの塔の前身)の明石順三は、その教義に乗っ取り兵役を拒否し続けた気骨の人であった。
1930年、130名の信者たち共々一斉検挙され、 その圧力は想像を絶するものがあったに違いない。 明石と燈臺社は壊滅的であったが 遂にその信条を曲げることはなく、 最後まで信仰を守り通した。 敗戦後 解放された明石の元には進駐軍と共に アメリカのWATCH TOWER本部から使者がやってきた。  明石は戦中のWATCH TOWERの文献を見て怒りを顕わにした。 総本部はこの世に対して非妥協的な教示を与えておきながら、 その行動はこの世との妥協を歴然と物語っていたからである。(各国のものみの塔は壊滅的だったが本部では国権への妥協で組織温存がはかられていた)

明石は本部に説明を求めるために手紙を書き送ったが、 WATCH TOWERはその質問には答えることはなく、 明石を高慢な者として排斥処分を通知してきた。

明石と燈臺社が命懸けで守った信仰への代償である。

編集者 sk (2013年02月17日 10:22:35)

オフライン

#3 2013年02月10日 21:43:00

sk
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Re: 日本支部

レイモンド・フランズ (Raymond Franz) は1980年に統治体を解任され翌年排斥されました。
排斥の理由は、断絶した元JWと共に食事をしたというものでした。
それは、聖書的な理由ではなく協会が彼の排斥を強行した結果でした。


レイモンド・フランズの世界本部での経歴

1965-1970
ものみの塔本部で「聖書理解の助け」の執筆に与る。
1970年「聖書理解の助け」完成(JWによる本格的な聖書辞典)

1970年10月に統治体の成員に任命される。
「聖書理解の助け」から得られたより明確になった理解により、当時の統治体は教えの変更や調整を求めらます。

その主なものは、協会の会長の権限の移譲です。
これまでは、ものみの塔聖書冊子協会という法人組織と聖書中の統治体と思われる管理機構の区別はありませんでした。ものみの塔協会の会長が教理の変更も含めて組織運営の全てを決定していました。

しかし、株主の投資資金で設立され宗教法人登記された印刷出版会社のものみの塔聖書冊子協会と聖書中のクリスチャンの意思決定機関を同列に扱うことができないことが明らかになったために、世俗の法人の会長の権威がクリスチャンの意思決定機関と思われる統治体に移譲されることになりました。

(注: 統治体とみなされるクリスチャンの中央統治機関、あるいは意思決定機関は聖書的に存在しません。それは中央集権にとって都合のいい非聖書的な妄想の産物です。1970年当時レイモンド・フランズはその事実に気付いていませんでした。)


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1976年
ものみの塔協会の当時の会長ネイサン・ノア (Nathan H. Knorr) は、自らも含めて18人の当時の統治体に権限を移譲しました。しかし、そこに至るまで統治体の中で極めてあからさまな人間的な感情の摩擦がありました。レイモンド・フランズはその場に当事者として参加しており失望を経験しています。

その他、教理、組織上の規則、手順、方針の聖書的な根拠の乏しさをますます意識させられ、良心的に指摘や発言を行い続けた結果、統治体のの中で孤立するようなります。

1976年の会長決裁体制が変化した時、世界本部の奉仕者たちの間に権威主義から離れた自由な空気がしばらくの間つづいたと言われています。その時期にベテル奉仕者たちは幾つかのグループで聖書研究を楽しみ、ものみの塔の教えに拘束されずに聖書の理解を深めることができました。レイモンドや他の元ベテル奉仕者たちの証言によると、ノア兄弟の死、1975年の期待はずれから年が経過するにつれ、当時の統治体は以前にもまして権威主義に戻ったと言われています。

見方によっては、癌を患っていたノア兄弟は自らの死の近さを知って権威の移譲に同意したと考えることもできます。ノア兄弟の後に協会の会長になったのはレイモンドの叔父であるフレッド・フランズ (Fred Franz) でした。フレッド・フランズはノアと共に1976年の統治体へ協会の会長の統治権の移譲に最後まで反対していました。なぜなら、それは彼が受継ぐはずの権威だったからです。

1975年の予言の信憑性やその他の協会の予言の解釈の再吟味がベテル内の奉仕者たちで行われるようになっていました。そして協会の見解への質問や、調整の提案が各地から生じ始めていました。それは当然統治体の権威を弱める作用とみなされました。

1976年にはJWの増加率は-3.6% と落ち込みました。
それから、1980年まで統治体は統制を強めることにより不満や疑問を権威で抑え込むようになります。
そのころの王国宣教やものみの塔の記事を調べればそのことが分かるでしょう。
特に世界本部においてはベテル奉仕者のグループによる聖書研究が厳しく制限されるようになります。
神権秩序なるものが強調され統治体の権威を高める記事が書かれるようになります。
そのような状況の中で、レイモンド・フランズ、エド・ダンロップ、ブルックリンベテル長老たち、1914年に異邦人の時が終了したことに疑問を投げかけたスウェーデンの長老カール・ジョンソンなど協会の方針、教理の誤りに気付き始めた人たちが1980年代の始めに大量に排斥されました。(エド・ダンロップも聖書理解の助けの執筆者のひとりです)

レイモンド・フランズは1980年に統治体を58歳で去ります。彼より少し前エド・ダンロップは70歳でベテルを去っています。両者とも将来の生活の保障も全くなく奥さんと共に新たに生活を築くことになりました。またその当時ベテルを去った多くの奉仕者たちも同じでした。

1980年5月にベテルを去って、レイモンドはアラバマの友人ピーター・グレガーソン (Peter Gregerson) の所で働くことになります。ピーターは元JWの長老でした。彼は、長年の間長老として様々な立場で協会により用いられた人でしたが、ものみの塔の間違いに気付いて自らの意思でJWを1981年3月に辞めましす。そのような人のことを「断絶した人」とJWは言います。その当時は「断絶した人」の扱いは「排斥された人」の扱いと異なっており、自由に会話や交わりができました。

1980年5月にレイモンドが統治体を去って、この1981年3月に断絶した元長老のピーターの所で働いているこをを問題視した協会は1974年の「断絶した人」の扱いに関する記事を変更し、「断絶した人」を「排斥された人」と同じように扱うことを強調するものみの塔の記事を1981年9月に出します。


1980年05月 レイモンド世界本部を去りピーターの所に就職する。
1981年03月 ピーター・グレガーソン断絶する。
1981年09月 「断絶した人」の扱いを変更する記事がものみの塔9月15日号に掲載される。
1981年11月 レイモンド排斥される。

協会はレイモンドやピーター・グレガーソンのような内情に詳しい人が現役のJWと接触することを望んでいません。
もしそのような情報源を潰さなければ多くのJWが覚醒してしまうでしょう。
ですから自らの悪事や本質に気付く人を「背教者」として悪者にすることに躍起になります。
「背教者」というレッテルを貼ると現役のJWはその情報源に自動的に心を閉ざすように繰り返し教育されます。


レイモンド・フランズは「良心の危機」(Crisis of Conscience) と「クリスチャンの自由を求めて」(In Search of Christian Freedom) を書いています。「良心の危機」は日本語訳があります。日本全国の図書館で借りられます。

ものみの塔協会は、他の組織されたキリスト教会と同じく偽物のキリスト教であることが分かりますのでぜひ読んでみてください。

レイモンドは「もし、ものみの塔が内部改革を行った場合、再びその宗教に戻る気持ちがあるか」という質問に対してこう書いています。

私がものみの塔の組織に戻る気持ちがあるかという問いに対しては、あなたの言っているような抜本的な処置を彼らがとるなどという可能性は先ずあり得ないことですし、たとえそのようなことがあったとしても、私は再び一つの宗教組織の一部になる積もりはありません。この組織の基礎となる教義に重大な欠陥があり、うわべだけの取り繕いでこの基礎は決して変えられないでしょう。強力に、また継続的に行われてきた、組織の強調によって培われてきた精神は、非常に不健全なものであり、その精神が人々の注意を神の一人子と神の聖霊からそらし、その結果信者の関心は人間の教えに主眼がおかれ、彼らは霊的に退化してきたのです。本来神の一人子にのみ帰せられる権利と特典を、一つの人間の組織に横取りさせたことが、恐らく彼らの犯した最も重大な誤りでしょう。もう一つの誤りは、神とキリストとの個人的関係の真の感覚を個人の信者から奪い取り、純粋に人間のものである無数の規則、規定を課する結果、個人の良心の正しい行使を侵害したことが上げられます。この事態はマタイ15:9に記されたような、一世紀当時のパリサイ人のものと酷似した状況を生み出しているのです。彼らがその組織としての存在をあきらめない限り、その抜本的変革はありえないでしょう。キリスト教は兄弟愛であり、そうでなければならないのであって、中央の執行部に従属する体制化された社会ではないのです。

この時点で、レイモンドは「統治体」と呼ばれる中央管理機関が聖書的でないことを認識している発言をしています。
2010年6月2日に88歳でお亡くなりになりました。


レイモンドの思い出の写真
http://www.xjw.com/RememberingRayFranz.html

「良心の危機」を数章読めるところ
http://www.raymondfranz.fr/index.php?language=EN




時を同じくして日本でもこれとよく似たことが起きていました。
その事件については、次に書きたいと思います。

編集者 sk (2013年02月20日 22:03:02)

オフライン

#4 2013年02月11日 11:58:17

sk
メンバー

Re: 日本支部

1980年代、ものみの塔協会の世界本部で生じた大量排斥によるいわゆる背教者粛清は、ものみの塔協会の本質の露呈であり、ここ日本でも同じ権威主義の精神(霊)の露骨な表れが時を同じくして起きていました。

事件は北海道の広島会衆に関連して起きました。

登場人物

金沢兄弟 広島会衆の長老
笹山兄弟 羊が丘会衆の長老(ベテルとの繋がりがある人)
藤原兄弟 地域監督
瀬野兄弟 巡回監督
A姉妹   感情的な問題で開拓奉仕を解任
K姉妹   娘の問題で開拓奉仕を解任

背後に日本支部、ブルックリンの関わりを推察できます。


元記事 http://www.stopover.org/lib/Kanazawa/Jikenbo/index.html

北海道・広島会衆事件簿からの要約です。(パート1)

現在、ものみの塔協会はひたすら真実を覆い隠そうと努めている。おそらく今後は、ますます内部統制を強めてゆくものと予想される。エホバの証人に真実を伝えるのは非常に難しくなると思うが、この本がその点で少しでも役立てばと願っている。


広島会衆は、1978年9月、札幌・豊平会衆から分会し、伝道者15名から成る会衆として発足しました。
やがて金沢兄弟、姉妹が広島会衆設立のため、秋田県能代会衆からものみの塔協会の任命でやって来ました。

その当時の広島会衆の状況は伝道は比較的熱心でしたが、表では時々取り繕った笑顔、裏では不平、不満、陰口、悪口、噂話などが横行していました。

例えば、あるとき三人の姉妹たちの間で中傷の問題が生じ、当事者同士の話し合いでは解決できず、問題は会衆へ持ち込まれました。そこで話し合いの場が設けられたが、その集まりの中で二人の姉妹が立ちあがり、あわや掴みあいのケンカになりかねないという一幕がありました。

こうした実態に驚いた金沢兄弟が他会衆の兄弟にそのことを話したところ、それくらいまだいい方だとか、札幌のほとんどの会衆がそんなもんだよと慰められ、唖然としたという。

やがて、会衆の霊性は大いに改善され、人数も徐々に増えていきました

それから4年後の1984年3月、支部委員パーシィ・イズラブ兄弟が北海道を訪問し、地元の兄弟たちと会合を持ち長老や開拓者の資格ついて指示がなされ、本当に資格に適うよう調整する必要が強調されました。

この訪問のすぐ後、広島会衆では開拓者との集まりを開き、
「本当の意味で開拓者としての資格を満たすようにという指示が組織から出されていますので、その点で各々調整を計って下さい。広島会衆としては当分の間それを見守ることにします。」と会衆の開拓者たちに発表しました。

その中で、感情の起伏が激しく良いときと悪いときが極端であったA姉妹にとってこの要求は挑戦となったようです。 
やがて、本人の同意を得てA姉妹にいったん開拓者を降りてもらうことになります。

1985年の春にK姉妹は娘の不祥事で開拓者の立場を解任されます。


A姉妹とK姉妹は開拓奉仕の解任を不服として羊が丘会衆の笹山兄弟に相談しました。
ここから、日本支部、ブルックリン本部を巻き込んで、ものみの塔の本質を物語る事件が始まります。

1985年6月15日土曜日夕刻、事件の始まりを告げる日本支部からの速達が届きます。



ペンシルバニア州のものみの塔聖書冊子協会

SC:SD1985年6月14日

北海道広島会衆

金沢司兄弟

親愛なる兄弟

協会はただ今、札幌市羊ヶ丘会衆の長老笹山○○兄弟から一通の手紙を受け取りました。それによりますと、同兄弟は最近、出張講演で広島会衆と交わった際、会衆内の雰囲気がかなり緊張したものであることに気付き、同時に会衆内で悪霊の影響もしくは働きについてしばしば取りざたされているため、会衆の今後につき大いに心配している旨を知らせてくださいました。わたしたちはこれらの情報に基づき、広島会衆に何らかの問題が生じているとは断定できませんが、経験ある長老たちの援助が必要ではないかと判断いたしました。

それで、巡回監督である藤原○○兄弟、瀬野○○兄弟、及び笹山○○兄弟の三人の兄弟たちに広島会衆の援助を依頼することにいたしました。どうぞ、連絡をお受けになる時、会衆の実情を正直に知らせ、もし問題が実際に存在するとすれば、神のみ言葉の教えによって問題の解決を図っていただきたいと思います。そして、藤原兄弟からの連絡を待ち、求められた場合には他の関係者もこの集まりに出席できるよう連絡していただきたいと思います。上記の通りお知らせし、エホバの御祝福をお祈りいたします。

あなたの兄弟

Watch Tower B&T Society
OF PENNSYLVANIA

この手紙の写し:第79巡回区藤原○○兄弟

実はこのとき笹山兄弟が支部に送ったのは単なる報告だけではなかった。彼は広島会衆に対するA、K二人の姉妹の訴えを同時に送っている。すでに半年以上も前から、姉妹たちと共にその準備を始めていたらしい。それが支部の内々の指示によるものであったかどうかは分からない。ただ会衆を心配するという主旨の報告よりは、その訴えが主なものであったのは確かなことである。

この手紙は、文面を読む限りでは何ら問題がないように見える。組織が一つの会衆を心配しているという主旨のごく当然の内容なのだが、問題はその背後に隠されているものである。会衆内に緊張した雰囲気が見られるとか悪霊の影響云々というあいまいなことが理由として上げられ、そのため援助が必要だと述べているが、それは単なる表向きの理由にすぎず、実は秘められた目的があったのである。この手紙は事実上、処分のための第一ステップの始まりであった。


A姉妹、K姉妹、近隣の会衆の笹山兄弟は広島会衆の問題を自分たちで扱うよう事前に動いていたように思えます。
事実広島会衆の長老団を迂回して問題がベテルへ知らされ、ベテルは広島会衆の金沢兄弟に連絡を取ることもなく、いわば突然援助の必要の通知を送ったことになります。

現役のJWの皆さんはこの手順をどう思いますか。

会衆内でふさわしく処理できる問題でも、有力な長老、支部の知り合いなどに相談し自分の望みを通すことができるでしょうか。世界中で起きていることから判断するとJWの社会は霊性を欠き極めて人間的に動くことが分かります。


この当時、広島会衆の状況は報告された内容とはかなり異なっていた。兄弟たちは会衆の平和と一致のために努力しており、多くの成員もその方針を喜んでいた。会衆は活発な状態にあり、王国会館の建設にむけ、法人登録の準備、土地の買い付け、建設の具体案の検討などを進めていたのである。

しかし、このような会衆の進展に強い不満を持っていたのがA姉妹であった。姉妹は非協力的な態度を取りつづけ、ついに羊ヶ丘会衆の集会に出席するようになった。それは支部から速達が届く4日前6月11日のことである。

このような場合、組織の取り決めでは会衆の主宰監督に連絡が来ることになっている。そして両方の会衆の監督たちが協力し合って問題を解決するようにと指示されている。ところがそうした取り決めに反して、羊ヶ丘会衆からは何の連絡もなかった。そこで不審に思った兄弟たちは笹山兄弟に事情を尋ねることにした。兄弟の説明は次のようなものであった。

    A姉妹は開拓者の資格を失ったことについて相談に来た。
    そのことで動揺しているので、少しの期間羊ヶ丘会衆と交わるように勧めた。
    広島会衆のことを心配している。
    金沢兄弟は悪霊の影響を受けているのではないかと考えている。

この説明だけでは、広島会衆に連絡してこなかった理由がよく分からなかったので6月13日、再び笹山兄弟に電話を入れた。その結果、さらに次のことが分かった。

    笹山兄弟はA姉妹の証言をほぼ全面的に受け入れているか、あるいはあえてそうしようとしている。
    事は内密に進められている。
    笹山兄弟の背後には誰かがいる。

6月14日、一人の研究生から、「A姉妹が広島会衆を支部に訴えると吹聴している」との報告が入った。笹山兄弟の不可解な言動ともつじつまがあうので、この点を直接、尋ねてみることにした。

「兄弟、実はA姉妹が広島会衆を訴えると話しているんですけど、何か聞いていませんか」
「えーー」(とまどった様子)
「そのことについて何かご存知なんですか」
「…広島会衆を訴えるとかどうかということではなく、私は広島会衆を心配しているんです」
「どんなことですか」
「会衆の中で悪霊の話が頻繁になされるとか、また長老のところに悪霊が出るというのは異常なことなんです」
「先回もお話ししたように心配するようなことはありませんけどね。兄弟はA姉妹からの情報だけで判断しているんじゃないですか。もし訴えを取り上げるとしたら会衆の実情を調べてみたほうがいいと思いますよ」
「…………」

どうやらすでに支部に訴えを送ってしまったらしい。

笹山兄弟は法的なことには人一倍詳しく、何事にも慎重な人である。普通であれば、彼が何の確認もせずに報告を送るなどということは考えられないことである。おそらく今回はその必要がなかったのであろう。なぜだろうか。支部の承認があったからに違いない。日本支部が笹山兄弟の背後にいることは、もはや確実と思われた。

それで兄弟たちは、支部からの手紙を読み終わった瞬間、「これは背教で片付ける気であろう」と直感したのである。事はすべて内密に進められており、真の動機や目的は隠されている。表面上、援助という名目を掲げ光の天使を装ってはいるが、本心は闇の中である。宗教の歴史からいって権威者がこういうスタイルを採用するときは、背教、異端で処分すると相場が決まっている。キリスト教世界で何度も繰り返されてきたパターンである。

支部には任命、監理、決定などの権限が与えられているので、その気になれば背教の基準も独自に決めることができる。なにしろ、検察官と裁判官が一緒になっているようなものだから、どんな判決でも通ることになる。判決内容は内密事項になっているので、組織内の成員を欺くのは簡単である。どう見ても広島会衆に勝ち目はなかった。

「何とかするには、まず支部を越える問題にしないとどうしようもない。そして、それを統治体に持ち込むことができれば、あるいは可能性もあるかもしれない」と兄弟たちは考えた。

このように判断する下地となったのは、5月19日、日本を訪れた統治体の成員A・D・シュローダー兄弟の講演であった。その時彼は、イザヤ32:1を引用し、「王イエスは義を引き上げるためにその支配を進めておられる。それゆえ監督たちは公正に特別の注意を払うべきである」と述べた。その聖句にはこう記されている。

    「見よ、ひとりの王が義のために治める。君たちは、まさに公正のために支配する」

そうであるとすれば、公正に特別の注意を払わない監督たちは君としての資格がないということになる。また義を引き上げるための主要な器は「ものみの塔」誌なので、その義の規準に反対することは王イエスと戦うことを意味する。そこで協議を重ねた結果、兄弟たちは真実と公正、それにものみの塔誌に載せられている義の規準を根本方針にしようと決定した。

統治体ならば神の義に従って問題を扱ってくれるであろうと兄弟たちは期待したのである。

そのためまず日本支部の出方を見ることにして、次の三通の手紙を連続して支部に送った。真実と公正を擁護する気があるかどうかを確かめようと思ったのである。支部の体質からして、藤原兄弟の連絡を待たずに直接手紙を出せば反抗とみなすであろうことが予想された。しかし、あえて兄弟たちは支部に手紙を出すことにした。

1985年6月15日広島会衆

親愛なる兄弟たちへ

大きな問題が発生している中、兄弟たちに心配して頂けるのは嬉しく思います。

6月14日付の手紙を受け取りましたが、正直に申しまして意外な気持ちと驚きを持って文面を読みました。

確かに広島会衆で何らかの問題がなかったわけではありません。兄弟たちもお気付きと思いますが、会衆では二人の姉妹に関して開拓奉仕を離れるという件を扱いました。二人の姉妹は共に自分から資格がないと思うと言い、離れることに自ら同意しました。しかし、心の中では、本当に同意はしていないと判断しています。それで何度か援助も試みましたが、最終的に、「正規開拓奉仕中止に関する通知」を行ったのは、それなりの理由があります。それは会衆内のかなりの人々に明らかになり、動揺を引き起こした問題です。(必要であればいつでも情報をお知らせできます)付け加えれば、その問題を理由に削除の推薦を考慮しなかったのは開拓者の資格を向上させるという最近の協会の提案に基づき、本当に資格を得られるように助けるという事柄を基本に考えてきたからです。

これ以外には私には特別思いあたるふしがありませんので兄弟たちと話し合ってみました。

その結果、以下の結論に達しましたのでお知らせしたいと思います。兄弟たちのよい判断とエホバの指導を心からお願いします。

クリスチャン愛と共に

会衆内で悪霊の影響もしくは働きについて、しばしば取りざたされているとの事ですが、実在する霊者という意味であれば、そういう事実はほとんどありません。研究生や何人かの援助している姉妹たちの間ではそういう話がなされているとは思います。しかし、1985年1月1日号のものみの塔31頁にあるような意味ではしばしば会衆で話題にしてきました。したがって笹山兄弟に意味が正確に伝わっていないのではないかと思います。

新奉仕年度を迎え、増加の実をエホバに豊かに祝福していただけるよう、兄弟たちはものみの塔誌の次のような記事の精神に従うべく努力してまいりました。

    1984年11月15日号第二研究記事に基づいて、りっぱな業に熱心になるために会衆がより清くなることを考慮しました。
    1985年1月1日号13頁17節により、要点をついたものみの塔の考えに調和するよう話し合いました。
    1985年3月1日号の研究記事にあるように、強大な国民になるために物事の速度を速めることを話し合いました。
    1985年4月1日号第一研究記事に基づいて、不敬虔と世の精神を(人ではなく)会衆から締め出すために何ができるかを話し合いました。
    1985年春の巡回大会で励まされたように、心のレベルで敬虔な専心を培い、神の義により会衆を調和させることを話し合いました。王の支配71年目にふさわしい義の規準を達成したいということが会衆の願いになっています。
    さらに1985年7月1日号12頁の記事にあるように、人間的な妥協の平和ではなく心のレベルの平和を会衆内で達成していこうと今努めています。

この一連の流れに従って会衆の聖化に努めてきた結果、兄弟たちは今までになく良く一致しており、喜びを感じています。また、王国会館も土地が見つかり購入できる段階になりました。エホバにふさわしい、最も良い建物を建てるよう努力しているところです。又、開拓奉仕を励ます集まりを開いた時、非常に良い反応があり、4~5名の人が来奉仕年度から開拓奉仕を始める計画でいます。

以上のようなわけで、広島会衆の兄弟たちは手紙に指摘されている問題は広島会衆には存在しないと判断しています。

連名

1985年6月17日

親愛なる兄弟たち

神の王国と義を第一にするよういつも励ましてくださり感謝しています。笹山兄弟を通して何らかの報告が協会に送られるのではないかということは広島会衆でも考慮していましたので、そのこと自体は別に驚きではありませんでしたが、内容は実に不思議なものでした。その理由についてはすでに一部述べさせていただきましたが、もう少し兄弟たちに知っていただきたいことがあります。
A姉妹について

つい最近開拓奉仕を離れた姉妹です。今回の問題の発端はA姉妹の援助している研究生(現在はT姉妹)から明らかになった事に起因します。幾人かの姉妹たちから、最近Tさんの表情が暗くて元気がない、何か問題があるのではないか、との知らせを受け、書籍研究の司会者に扱うよう指示しました。その結果A姉妹は秋の巡回大会の実演に登場した消極姉妹(陰口、悪口を言って他の人の信仰を破壊しようとする人)と同類の事柄を行なっていることが明らかになりました。私たちもそのような傾向には以前から気付いており、姉妹とは何度か話し合っていました。その時は、特に開拓者として会衆に協力し、新しい人々を援助してゆくことを私たちに約束し、努力すると言っていましたので今度こそは心から改善するよう頑張ってくれるのではないかと期待していただけに、非常に残念なことでした。

その他の幾つかの事情があり、5月に姉妹と開拓者の資格について話し合いましたが、もう少し機会を与えたいと思い、6月まで待つことにしました。しかし、ほとんど改善は見られず、本人も同意しましたので協会に通知を送りました。ところがすぐに会衆内の何人かの人々に、自分は開拓者を降ろされたと言い張り、批判的な行動を開始しました。ついには姉妹の交わっている書籍研究の集会がかき乱されるに至りました。それで私たちは会衆の動揺を防ぎ、清さを守るために、態度を改めて集会に来るよう指示しました。それに対し、A姉妹は笹山兄弟のいる羊ヶ丘会衆と交わるようになりました。A姉妹が何をどのように兄弟に話したか私たちには詳しいことは分かりませんが、今回の報告のゆく直接のきっかけになっているものと思われます。
K姉妹について

K姉妹の高校3年生の伝道者の子供と同じ学校に通っている研究生、及び会衆に交わっている研究生の子供より、エホバの証人で不良グループと付き合っている人がいるとの声が上がり、尋ねた結果、それはK姉妹の子供であることが分かりました。そこでK姉妹に問い合わせましたが、子供はそのようなことはないと言っている、との報告でした。それでさらに何人かの人々に聞いたところ、最初に上がった声の通りであることが判明しました。(必要であればその証拠をお知らせできます。)K姉妹は、悪い交わりに関する認識が大きくズレていましたのでその点を教えながら援助しました。私たちの観察ではエホバとの関係だけでなく、純粋に道徳的にみても大いに問題となる交わりだったと判断しています。その後、K姉妹も娘さんも共に、悪い交わりであるとは考えていないと述べています。K姉妹の子供はA姉妹と一緒に羊ヶ丘会衆に交わり始め、姉妹も何度か出席しているようです。この件については、笹山兄弟と初めから連絡を取り合っていたと聞いています。

6月2日、笹山兄弟は「家族間のまた、神との意志の疎通」の題で講演して下さいましたが、実際的でとても励まされるお話でした。会衆の成員たちも兄弟の話にとても感謝していました。私たちは全体的にみて築き上げる平和的な集会だったと考えています。もっとも神の義の戦いによる緊張感ならば大いにあったと思いますが、不和や争いによる緊張感ならまったく存在しなかったと思います。笹山兄弟があの集会を手紙の文面のように見ていたとはまったく信じ難いことです。私たちには笹山兄弟の極めて主観的観察であるとしか考えようがありません。さらに付け加えると、協会からの手紙をいただく前に笹山兄弟と連絡を取り、二人の姉妹たちとも話し合った結果次のように判断しています。

K姉妹は、娘さんのことしか笹山兄弟とは話していない、と述べていますので情報は主にA姉妹から得たようです。私たちには何の問い合わせもなく、事実かどうかの確認もありませんでした。笹山兄弟自身も一方の側からの情報しか得ていないと述べています。A姉妹は突然泣いたり、笑ったり、怒ったりなど情緒が不安定な姉妹です。

このような形で協会に報告するということはあまりにも片手落ちではないでしょうか。とは言っても、何も私たちは自分たちの扱いが間違っていなかったとか、援助は必要ではないということを言おうとしているのではありません。必ずしも必要でないことのために、忙しい兄弟たちの時間と労力を奪うのは心苦しく思うからです。

私たちは、二人の姉妹とも笹山兄弟の援助を得て、広島会衆と協力し立ち直るよう援助して下さるものと信頼して見ておりました。しかし、笹山兄弟がこのように扱われたのには驚きを禁じ得ません。現段階でも適切に扱えばすぐに処理できる問題だと思います。そのように聖書的に統治体の精神にのっとり、速やかに扱われないとすれば、率直に言って広島会衆の増加の大きな妨げであると感じています。

以上、兄弟たちにお知らせし、エホバの指導と祝福を心からお祈りします。

クリスチャン愛と共に

1985年6月18日

親愛なる兄弟たち

近づく大会の準備に忙しい中、ご心配をかけ大変申し訳なく思います。兄弟たちのお気遣いには心から感謝しています。私たちは、今回の件は、長老団同士が協力して事に当たればそれで済む問題と考えていました。今でも、できればそうしたいと思っています。笹山兄弟のおっしゃる援助とはどうもそういう意味合いではないように受け取れますが、援助をしてくださるというのであれば喜んで受け入れたいと思います。ただ、できましたら、私たちの願いも一つ聞いていただけないでしょうか。そうして下されば本当に幸いです。その願いと言うのは指定されました援助の三人の兄弟たちを可能であれば全員、それが無理でしたら少なくとも瀬野兄弟と笹山兄弟のお二人は他の方々に変えていただきたいということです。

以下は簡単ですが、お願いの理由です。
笹山兄弟

笹山姉妹はA姉妹の研究司会者です。

この件については、尋ねようと思えば、あるいは問い合わせようと考えれば幾らでもできたと思いますが、協会から手紙を受け取る以前に正式な連絡は一度もありませんでした。笹山兄弟は広島会衆の扱い方で疑問に思う旨を話して下さり、私たちも理解していただきたく連絡をとりました。兄弟は、「分かった」と述べて下さいましたが、何の調整もなされませんでした。また今回の連絡の中で、もちろん謙遜か冗談でおっしゃったのだと思いますが、「私は反抗的な霊とは理解できない」と述べておられます。私たちが最も苦しみ苦慮したものの一つはA姉妹の反抗的な精神です。
瀬野兄弟

瀬野兄弟は「広島会衆はもてなしの精神が不足している」と毎回のように強調して下さいました。いくらか改善されているとは述べて下さいましたが、先回も不満足だったようです。研究生を加えた食事の交わりで、もてなしに対する不満を口にされ、あわててしまった、と或る姉妹が述べておりました。また宿舎を提供した兄弟は、少しもてなそうと努めたところ、奉仕の僕よりずっとましだ、と言われ驚いたと語っていました。兄弟は集会が終了したら、会衆の成員が列を作ってお礼に来ることを求められ、広島以外の他の会衆ではほとんど行っていると話されました。確かにもてなしの精神は大いに必要であり貴重なものだと私たちも思いますが、このようになりますと一体誰の栄光を求めているのだろうか、集会や奉仕は、まず誰を賛美するためのものだろうかと考えざるを得ません。さらに、今春の大会の自発奉仕で、広島会衆は大会前日、会場の清掃を行いました。ステージを掃除していたとき、瀬野兄弟がニコニコしながら近づいてきました。ところが、全員広島会衆の兄弟姉妹であることが分かると顔をそむけて別の方へ行ってしまいました。瀬野兄弟に確認したわけではありませんが、兄弟姉妹たちは、「広島会衆に瀬野兄弟が個人的な反感を抱いているのではないかと感じた」と述べています。
藤原兄弟

K姉妹によると、K姉妹は藤原兄弟か姉妹の(はっきり分かりませんが)研究生だったことがあるとのことです。

笹山兄弟から6月17日午前10時に羊ヶ丘の王国会館に来るようにとの連絡を受け取りましたが、協会の判断を仰ぎたく、待っていただく事にしました。この連絡から判断しますと、集まりは単に援助のためのものではなく聴問の性質を帯びたもののように受け取れます。加えて笹山兄弟からは、並々ならぬ霊を感じて仕方がありません。広島会衆を心配しているだけとはとても思えない雰囲気が伝わってきます。一連の流れを見てみると、背後に何か不穏なものがあるように考えられるのは、私たちの思い過ごしでしょうか。そう思いますのも、私たちには立場も権威も何もなく無力に等しいからです。

兄弟たちに是非とも知っていただきたいのは、私たちは心からものみの塔誌を通して示されるエホバの預言の戦いを押し進めてきたらこのような進展になってしまい、まだ現実とは思えないくらい驚いているというのが私たちの偽らぬ率直な気持ちです。それで、もし、今回の集まりが審理を含んでいるのであれば、王の支配71年目の引き上げられた義の規準で扱われるよう、私たちは切に、心から希望します。協会に多大のご迷惑をおかけするかもしれませんが、私たちの願いを聞いていただければ幸いです。

エホバ神の過分の親切を心からお祈りします。

クリスチャン愛と共に
北海道広島会衆

事件の背景(きっかけ)

姉妹たちが長老に関する訴えを直接支部に送った場合、通常であれば、その手紙は巡回監督に送り返され、巡回監督がその問題を扱うことになっている。(巡回監督とは約20位の会衆を監督している兄弟のことである)

しかし今回の場合は、初めから都市の監督と巡回監督が承認して直接支部に訴えを送っている。こういうことは、支部の指示がなければあり得ないことなので、最初から支部が事件に介入していたと考えられる。つまり事件を起こす、より大きな動機は日本支部の方にあったと判断せざるをえないのである。

いったい何故このような事件を起こしたのか、なぜ一つの会衆を犠牲にするようなことまでしなければならなかったのか、いろいろな理由が考えられるが、正確なところは私たちにもまだよく分からない。できれば詳しい事情は支部に聞いてみたい。

1985年8月初旬、東京世田谷会衆の長谷川兄弟から加藤姉妹宅へ電話があった。それによると金沢兄弟は、3年程前から目をつけられており、内々に調査が進められていたということであった。3年前というと、金沢兄弟には次のこと位しか思い当たることがないらしい。

1982年3月、金沢兄弟は神奈川県海老名市にある日本支部を見学した。ものみの塔協会は法人団体として独自の印刷施設を持っており、事務棟、工場、そこで働く人々のための宿舎を総称してべテルと呼んでいる。その時友人の大越兄弟の世話で、べテルの昼食会に招待された。大食堂で偶然となりに腰掛けたのは織田信次兄弟であった。

「兄弟はどちらの方からおいでになりましたか」
「北海道の広島からです」
「北海道の出身ですか」
「いいえ任命で広島に行きました」
「ああそうですか。じゃ特開か何かで」
「ええ、その時はそうでしたが今は降りてます。ところで兄弟はべテルでどんな奉仕をされているんですか。あっ、そういえば、聞いたらよくなかったんでしたか」
「いやーかまわないですよ。翻訳の仕事をしています」
「それはお忙しいでしょう。早く新しい聖書が出るといいですね。大変じゃないですか。用語が変わったところもありますし」
「例えばどんなところですか」
「たしか…コリント第一9章27節の“打ちたたく”が“pummel”になってましたね」
「詳しく調べているんですね。もとはどんな語でしたか」
「えーと何でしたでしょうか」
「ビート(beat)ですか」
「いや確か、単なるbeatではなかったと思いますが」(browbeatがすぐ出てこなかった)

ここで大越兄弟がしきりに目で合図を送ってきた。

「まずい、まずい」

彼の目はそう語っている。そこで話題を変えた。

「そういえば、どうやって日本語にするんだろうと思うような表現がたくさんありますものね」
「どういうところ、そう思いますか」
「やはりヨブ記ですね。あそこは本当に大変だと思いますよ。日本語訳が出るのが楽しみですね」

この後、会話は途切れた。食事が終わって皆が席を立っても、織田兄弟は座ったまま押し黙ってじっと前を見つめ、何事か考え込んでいる様子であった。

大越兄弟は部屋に戻るとすかさず言った。

「あれはまずいよ」(これくらいのことで何故「まずい」のか、おそらく外部の人には分からないであろう)
「どうして」
「彼を知らないの?べテル一の切れ者と言われているんだよ」
「誰なの」
「織田兄弟(日本支部の代表者)の弟さんだよ」
「そうか…」

大越兄弟によれば、織田信次兄弟に睨まれるとべテルにいるのは難しくなるとのことであった。


この事件は、まるで日本版の「良心の危機」を読んでいるようです。
つづく

編集者 sk (2013年02月11日 22:31:05)

オフライン

#5 2013年02月11日 19:26:00

sk
メンバー

Re: 日本支部

1980年代、ものみの塔協会の世界本部で生じた大量排斥によるいわゆる背教者粛清は、ものみの塔協会の本質の露呈であり、ここ日本でも同じ権威主義の精神(霊)の露骨な表れが時を同じくして起きていました。

事件は北海道の広島会衆に関連して起きました。

登場人物

金沢兄弟 広島会衆の長老
笹山兄弟 羊が丘会衆の長老(ベテルとの繋がりがある人)
藤原兄弟 地域監督
瀬野兄弟 巡回監督
A姉妹   感情的な問題で開拓奉仕を解任
K姉妹   娘の問題で開拓奉仕を解任

背後に日本支部、ブルックリンの関わりを推察できます。


元記事 http://www.stopover.org/lib/Kanazawa/Jikenbo/index.html

北海道・広島会衆事件簿からの要約です。(パート2)



パート1のまとめ

広島会衆の開拓奉仕を解任された2人の姉妹たちが羊が丘会衆の長老笹山兄弟と組んで広島会衆の長老団を通さず日本支部に苦情を訴えた。

それを受けて日本支部は広島会衆の長老団に連絡を取ることもなく一方的に援助と称する3人の委員を任命し広島会衆に通達してきた。

その3人の委員は、地域監督(藤原兄弟)、巡回監督(瀬野兄弟)、羊が丘会衆の長老(笹山兄弟)
藤原兄弟は、当事者K姉妹と関わりがある方
笹山兄弟は、当事者A姉妹と関わりがある方
瀬野兄弟は、広島会衆を良く思っていない巡回監督(広島会衆の成員も彼をよく見ていない)

日本支部は些細な事件を大きくしました。
日本支部からの指示により笹山兄弟、2人の旅行する監督たちが動かされている様子が伺える。

その原因として考えられること
広島会衆の金沢兄弟が日本支部にマークされていたと思われる。
金沢兄弟はレイモンド・フランズのように良心的に聖書の教えの適用を推し進めため協会の権威主義と摩擦が生じた。
兄弟はブルックリン、日本支部に予言や教理上の質問を投げかけており、協会に煙たがられた存在となっていた。
また、日本支部訪問の際の織田信次兄弟との会話で織田兄弟のプライドに抵触したと思われる。

以上の理由で協会の方針や決定を盲目的に受け入れる人ではない故に金沢兄弟は協会にとっては都合の悪い人とみなせます。そのような人に他の人に影響を及ぼす責任ある立場に留まってもらう理由は協会にとってはありません。それで最初から金沢兄弟とそのグループを背教者として除外する意図があったと推察できます。

それで、現役のJWの皆さんは次の事実を考えるべきです。
エホバの証人の中の2つのタイプ

1)協会を神格化している人
協会の指示は絶対的。それが間違っていてもそれにより神はご自分の民を導かれる。
神がご自分の時に応じて、ご自分の許す方法でご自分の民を協会という取決めを用いて導いておられるので、分からないことがっても信仰を持って取決めに従う。

2)聖書によって訓練された自分の良心に従う人
協会の方針や聖書の理解に疑問を持つ場合それを協会に確認する。納得できれば受け入れるが全てを鵜呑みにはしない。自分の良心に従うために権威主義との摩擦が生じる。

協会にとって望ましいのは1のタイプの人です。
もしあなたが2のタイプの人であれば予想できることは、
自ら協会をを排斥するか、協会があなたを背教者として排斥するかです。、

金沢兄弟やレイモンド・フランズは背教者として協会により排斥されました。
これらの先人たちの立派な模範と記録のおかげで、私は協会の偽善を暴き協会を排斥しました。
これからもそうするつもりです。

パート1まとめ終わり


長谷川兄弟の電話からもう一つ分かったことは、金沢兄弟が統治体に出した手紙が事件の原因になっているらしいということであった。これを裏付けるような幾つかの発言がある。

1985年7月11日の木曜日、藤原兄弟は金沢兄弟と話し合った際、本部からの返事を見て、「これですか。これが問題だったんですね」と語ったという。

さらに1987年3月赤平会衆の監督、石黒兄弟は押切姉妹への電話で次のように述べた。「金沢兄弟が本部に手紙を書いたのは非常に悪いことである」。

しかし、表向きはそうではない。組織の取り決めでは本部に手紙を書いても良いということになっている。たとえば、1980年の開拓奉仕学校で巡回監督の葛西兄弟は、「本部に手紙を書いて質問することもできますよ」と述べ、返事をもらった人の経験まで紹介している。

金沢兄弟はそれに励まされ1982年12月、預言と教義に関する七つの質問を統治体宛に送った。

<その中の一つ>

「ダニエル12:1の“その時”には、どのような意味があるのでしょうか」

ダニエル12:1は、次のように述べている。

    「その時に、あなたの民の子らのために大いなる君ミカエルが立ち上がる。そして、国民が生じて以来その時まで起きたことのない苦難のときが必ず臨む。」

このすぐ前のダニエル11:40~44には、北の王と南の王の最後の抗争が預言されている。ものみの塔協会はミカエルが立ち上がった年を1914年とし、北の王と南の王との最後の抗争は今後も続くと説明している。しかし“その時”という言葉が前の説を受けているとすれば、これは時間的に矛盾することになる。なぜなら、ミカエルの立ち上がる時は北の王の滅びる時であり、それは同時に大患難をも意味しているからである。だが1914年には大患難も北の王の滅亡も生じなかった。この時のズレをどのように説明するのか、知りたいと思ったのである。

この時の統治体からの返事について金沢兄弟は、

「上記のダニエル書に関しては、納得のゆく説明は得られなかったが、一見矛盾していると思えることの多くは観点や地点を変えることによって説明可能になることが示唆されており、聖書理解の視野を広げる点では大いに役立った」と述べている。

ところで、最近号の1987年7月1日号には、ダニエル書に関する最新の注解が掲載された。それによるとダニエル12章1節には「立つ」という語が2回用いられているので、イエスは1914年に立ち、さらに将来の大患難の時に立つ、という具合に説明されている。この記事が金沢兄弟の手紙を念頭に置いているかどうかは定かではないが…。

事件と関わりがあると思われるので付け加えると、金沢兄弟が統治体からの返事を日本支部経由で受け取った時、封筒がすでに開けられており、その表には赤エンピツでチェックした跡が付いていたということであった。

それから間もなく、彼は日本支部に質問を送った。それはものみの塔協会発行の「あなたは地上の楽園で永遠に生きられます」という本の2つの点に関するものであった。

(1)p.138、16章12節には次のように述べられている。

    「しかし、サタンはいつ天から追い出され、『短い時』のあいだ、地上に苦難をもたらすのでしょうか。神の王国はいつ支配を始めるのでしょうか。聖書はこれに答えを与えているでしょうか。わたしたちは聖書が答えを与えてくれると期待できるはずです。…」(下線はものみの塔協会)

p.138を見ると「神の政府が支配を始める時」という副見出しがあり、そこを読んでいくと神の支配は西暦1914年に始まったと記されている。12節の並行記述からすると、神の王国が1914年に始まったのであれば、サタンの天からの放逐も1914年に始まったことになる。そのように理解してもよいのでしょうか、というのが第一の質問であった。

(2) p.148、18章1節には次のように記されている。

    「イエス・キリストが、サタンとその使いたちを天から追い出して王国支配を開始された時、それはサタンとその邪悪な体制の終りが近づいたことを意味しました。(啓示12:7‐12)」

ものみの塔協会は、イエス・キリストの王国支配とサタンが天から追い出された時間的関係を次のように説明している。イエス・キリストは1914年10月頃に天で王国支配を開始した。その最初の仕事として天の大掃除を行い、数ヶ月から遅くても1918年までには、サタンを天から追放した。この説明は、啓示12: 5‐12節の記述とも一致している。ところがp.148、1節の記述では、まずサタンが天から追い出され、その後イエスが王国支配を開始したことになってしまう。この通り受け取ってよいのだろうか、というのが2番目の質問であった。

支部からの返答はまったく期待はずれのものだった。

ペンシルバニア州の
ものみの塔
聖書冊子協会

SE:SJ1983年2月12日

北海道広島会衆

金沢司兄弟

親愛なる兄弟

あなたから、「永遠に生きる」の本の解説に関するご質問の手紙をいただきました。それによりますと、138ページ、12節にある、サタンが天から追い出された時と神の王国がその支配を開始した時期を同じ時期と取ることができるかどうかについて尋ねておられます。この章は、厳密に何年何月何日頃といった時間的な要素に注目する代わりに、むしろ神の王国の支配の開始とそれが天および地にどのような影響をもたらしたかについて、啓示の預言を解説したものでした。従って、12節で「サタンはいつ天から追い出され、短い時の間地上に苦難をもたらすのでしょうか。神の王国はいつ支配を始めるのでしょうか。聖書はこれに答えを与えているでしょうか」と質問が提起され、141ページの上段に説明されていますように、「神の天の政府の王として、キリストは西暦1914年支配を開始」したことが答えとして述べられています。従って、148ページの第1節に述べられている「イエス・キリストがサタンとその使いたちを天から追い出して王国支配を開始された時」という記述も、時間的な要素に注目したのではなく、啓示12章に記されている一連の出来事について言及したものと理解することができるでしょう。なお、啓示12章の13節および17節についての説明は、「秘儀」の本の21章の中で詳しく論じられていますので、是非お調べ下さい。なお、天の王国の成員となる第一の復活を経験する人々の時期については、その聖書的な根拠が「ものみの塔」誌1979年10月1日号の第3研究の中で解説されております。これらも共にお調べいただきたいと思います。上記の通りお答えし、エホバのご祝福をお祈りいたします。

あなたの兄弟

Watch Tower B&T Society
OF PENNSYLVANIA

この解答によれば「永遠に生きる」の本の解説は「時間的要素に注目したのではない」となっている。しかし、その本の16章12節には、「サタンはいつ天から追い出され…神の王国はいつ支配を始めるのでしょうか…」とあり「いつ」の下にアンダーラインが引かれている。

このアンダーラインは明らかに時間的要素に注目させたものである。そうでなければ引く必要がない。しかもそのあとには1914年の意味と、その重要性が強調されている。この章の主題とその流れからして、12節のこの質問の答えを1914年と考えるのはごく自然なことである。それを「時間的要素に注目したのではない」とは、答えにも何もなっていない。全くの詭弁であった。

さて本部から返事をもらって半年位たったころ、金沢兄弟はある友人から次のように言われた。

    「べテルじゃ評判悪いよ。もうブラックリストにのってるんだよ。少し気をつけたら」。

さらに巡回監督をしている友人からは次のような忠告を受けた。

    「支部は頭越しにやられることを一番嫌う。本部へ手紙を書くのは危ない。やめた方がいいよ。巡回監督はかなりの権限を持っているし、会衆の記録には残らない書類もある。良くないことを報告されたら、まずもう特権はこないよ」

そう言われてみると、金沢兄弟もこういう秘密の手紙にはずいぶん嫌な思いをさせられたことがあった。ある時、支部から「緊急に移動するように」という通知を受け取り、非常に驚いた。半月ほど前の巡回監督との話し合いで、健康上の理由や会衆の状況から移動する必要はないということになっていたからである。

それでまず巡回監督に直接尋ねてみたところ、「協会には早急に移動させたい事情ができたのではないかと思います。兄弟の状況や希望は良く分かりましたので、協会にそのように伝えてあげましょう」という返事であった。そこで金沢兄弟も自分の事情を伝える手紙を支部に出すことにした。

それに対する返事で事の成り行きがすべて判明した。協会の手紙には、「巡回監督は熱心に移動を勧め、緊急にそうする必要があることを知らせてきています」と記されていた。つまりその巡回監督は金沢兄弟に話した事とはまったく異なる報告を支部に送っていたのである。

普段日本支部はこのような秘密の手紙のやり取りをしているので、「手紙」に対しては異常なほど神経質になるのかも知れない。

こうした様々なものみの塔協会の問題点に気付きながらも、当時金沢兄弟は組織から出ることはまったく考えていなかった。「いつか時期が来ればものみの塔協会の体質も改善されるだろう、エホバが何とかするまでとりあえずおとなしくしていよう、じっとしていたほうが良い」と思っていたからである。

しかしその後、どうしても統治体に尋ねてみたいことがあり、1985年2月、金沢兄弟は2回目の手紙を本部に送った。今までのように日本支部経由で返事が送られてくれば、ますます睨まれることになるので、返事は求めないことにした。ものみの塔誌上で答えてくれれば最善だと考えたのである。

ところが3月下旬、予想に反して本部は返事を送ってきた。組織の取り決め通り日本支部経由で。おそらく支部が動き出す直接のきっかけとなったのは、この返事ではないかと思われる。


1985年6月
3人の援助者との会合
援助と称するあら捜しであり、建設的ではなかった。
それで再度の集りの召集にその目的を明示するように要求し、そうしない限り主席の意向のない旨を伝えた。
また無意味な会合故に日本支部にその旨を手紙で連絡。

その手紙に対する協会の返信


ペンシルバニア州のものみの塔聖書冊子協会

SC:SD1985年6月21日

北海道広島会衆

金沢司兄弟

親愛なる兄弟

あなたと数名の兄弟の署名の付された6月18日付のお手紙をいただきました。それによりますと、あなたと奉仕の僕を含む幾人かの兄弟たちは、協会が援助を依頼した瀬野兄弟と笹山兄弟をできればはずしてほしいと述べておられます。協会はこれまで、あなが代表するグループから三通の手紙をいただきましたが、その手紙の内容は決して健全な霊を反映するものとは思われません。

どうぞ、協会があなたあてに送った6月14日付の手紙をもう一度ご覧ください。笹山兄弟は広島会衆と直接交わる機会を持ち、ご自身で観察した事柄と信頼できる他の情報に基づき、あえて協会に知らせた方が良いのではないかと判断なさいました。通常は、こうした問題を会衆を訪問する巡回監督が扱いますが、必要に応じて円熟し経験を積んだ長老たちに協会が直接援助を依頼することがあります。上記の手紙の中で「わたしたちはこれらの情報に基づき、広島会衆に何らかの問題が生じているとは断定できませんが、経験ある長老たちの援助が必要ではないかと判断」したと記されている通りです。これらの兄弟たちは、審理委員のように行動することではなく、会衆の実情を公平に知った上で援助すべきことがあれば、そうするようにと指示されているだけです。

クリスチャンとして、豊かな経験を持つこれらの兄弟たちの援助を忌避する理由がどこにあるのでしょうか。あなたと幾人かの兄弟たちは、瀬野兄弟に関し色々な苦情を述べておられますが、なぜもっと早く当人と直接話し合うことをしなかったのでしょうか。あなたと兄弟たちのグループが巡回監督に対し、こうした見方をいだいているとすれば、7月上旬に予定されている巡回訪問から一体どのような益が得られるというのでしょうか。以上のような理由に基づき、協会は広島会衆を援助する目的で指名した三人の兄弟たちを変更することはいたしません。

これらの兄弟たちが会衆の実情を知り、もし何も問題が見当たらないのであればそれを共に喜ぶことができるのではないでしょうか。一方、もし不都合な状況が見いだされるのであれば、これら兄弟たちを通して与えられる聖書に基づく健全な見方は、みなさんが今後の忠節な歩みを全うしてゆく上で必要な調整を施してくれるものとなるでしょう。どうぞ、指名された三人の兄弟たちに惜しみない協力を示し、自分たちの義を立証することにではなく、エホバが所有しわたしたちに託しておられる神の会衆が健全な状態を保ってゆくことができるよう考え続けていただきたいと思います。上記の通りお願いし、エホバの御祝福をお祈りいたします。

皆さんの兄弟

Watch Tower B&T Society
OF PENNSYLVANIA

追伸:この手紙を署名した他の5人の兄弟たちと一緒にお読みになってください。

6月22日、土曜日、藤原兄弟から電話があった。彼らは今回の問題を長老と開拓者の個人的なトラブルとして処理したかったようである。しかも悪霊に取り付かれ、背教した長老と組織に従おうとする姉妹たちという図式で。その証拠を集めるべく、内々で広島会衆に対する調査を行っていたがうまくゆかず、手詰まりの状態に陥っていたらしい。彼は巡回訪問のとき、「どこから手を付けたらよいか分からなかった」と当時の状況について語っている。直接電話をしてきたのは、そういう事情によるものと思われる。

藤原兄弟は、いかにも面白くなさそうな調子でこう切り出した。

「兄弟、天軍というのはおかしいじゃありませんか」
「え~っ、どうしてですか。ものみの塔誌にそう書かれていますでしょう。それにみ使いたちの軍勢は天軍と言いませんか」
「それは、そうですが…。じゃあ兄弟たちは、あの姉妹たちが天軍によって会衆から出されたというんですか」
「別にそうだと主張しているわけではありませんが、私たちはただそういう姿勢でやってきたということです。ものみの塔誌の教えや精神に従って扱って、その結果出て行くことになったなら天軍がそう判断したということになりませんか」
<ものみの塔誌には次のように記されていた。>

    「み使いたちは、だれがエホバの真の僕で、だれが偽りの僕かを識別できます。み使いたちは、ひどい不正を働く者たちが暴露されて真のクリスチャンの交わりから退けられる結果になるような状況を生じさせることが十分にできます」(1984年10月15日p.22)

「それは、そうですが…。しかし兄弟たちはもう少し愛を示すべきだったんじゃないですか。もっと誉めて励ますべきでしょう」
「そういう段階はもう終わっていると思いますが。あの姉妹たちの問題は一年や二年の問題ではありません。それに、愛を示すといっても、何でも許容していいというわけではないでしょう」
「それは、そうですが…。僕はこういうふうに言われたのは初めてですね。恣意的とはどういうことですか。兄弟たちの言い分はずいぶん聞いてあげたじゃありませんか」
「そうでしょうか。私たちはただ質問に答えただけですが」
「そうすると、兄弟たちはもう集まりには来ないということですか」
「いえ、そういうことではありません。手紙にも書きましたが、集まりの目的をはっきりしていただければ出席したいと思っています。しかし『愛』一つとってみても、意味を定義しないと話が食い違うばかりでしょう。それを一つ一つ行なっていくとなると膨大な時間がかかりますが、果たしてそこまでする必要性があるかどうか…」

彼はしきりに、「本当はやりたくない。大会の準備で忙しいので手を引きたい。協会の指示なので仕方がない」ということを強調した。また終わりの方で、「僕は今、協会に送る中間報告を書いているところですが、まだ半分しかできていないんです。残りの半分をどうしようかと考えているところですが…」と述べて、兄弟たちの態度次第では内容が変わり得ることをほのめかした。

この藤原兄弟と金沢兄弟の話し合いで鮮明になったのは、ものみの塔誌に対する認識の相違、及び用語に関する理解の食い違いであった。典型的な例の一つは「愛」という言葉である。

さて、藤原兄弟から電話があった二日後の6月24日の夜、笹山兄弟との話し合いが行われた。真実を知りたいという兄弟たちの希望に応じて開かれたものである。彼はどうも集まりには来たくなかったらしいが、後で聞いたところによると、藤原兄弟に促されてしぶしぶ出かけて来たとのことであった。一時間位すると、そそくさと帰ってしまった。

短い話し合いではあったが、この集まりの最大の意義は、問題の本質について得られた合意である。

兄弟たちは、最初から一貫して、二人の姉妹の問題はものみの塔誌の最新の義の規準に従って扱おうと努めた結果であると主張してきた。しかし笹山兄弟によれば、それは協会の方針に反するという。ものみの塔誌の最新の規準に従おうとすることが協会の方針に反するとは、どうしても信じ難いことであったので

「それでは協会に確かめてみる以外にはありませんね。返事をもらえるかどうかは分かりませんが、協会に尋ねてみたいと思います」と金沢兄弟は申し出た。

「じゃあ、そうしてみてください」笹山兄弟もそれを承諾した。
「あとはその裁定が出てからにしましょう」ということで集まりは終わった。

この会合によって、『問題の本質がものみの塔誌の義の規準をどう捕らえるべきかということにある』との合意が得られたことは大きな進展であった。これを受けて、兄弟たちは統治体にものみの塔誌に関する裁定を問う下記のような手紙を送った。日本支部がものみの塔誌とは異なる方針を出してきていると判断する以上、支部に尋ねてみたところでまったく無意味なことだからである。

1985年6月25日

親愛なる統治体の兄弟たち

時宜にかなったすばらしい霊的食物を供給して下さることに心から感謝します。

…藤原、瀬野、笹山兄弟たちと話し合った結果、問題のポイントになっているのは二人の姉妹の扱い方であることがわかりました。兄弟たちは私たちの扱い方が義に先走りすぎ、愛と哀れみに欠けていると考えているようです。私たちはエホバに対する非難をすすぐこと、会衆の清さを守ることの優先順位に関する考え方が十分通じないと感じました。

結局のところ義の規準の捕らえ方、つまり言い換えれば今、どのレベルの義の規準で物事を行うべきかということが問題の根本であるという結論に共に到達しました。私たちの理解でいえば、ものみの塔誌は時宜にかなった食物なのだから、「はい、は、はい」でその通り受け取り、全力で行おうとするのがエホバのご意志だと思います。可能な限りそうしようとしたことが三人の兄弟及び日本支部の兄弟たちからの手紙(私たちは受け取っておりませんが)によれば協会の方針と異なっているとのことです。私たちのものみの塔誌の理解が間違っているということも十分あり得ますので、是非、兄弟たちにその判断と指示をお願いしたいと思います。


その後1985年6月30日に支部から第3通目の手紙が届きます。
(日本支部から来た公的な手紙としてはこれが最後のもの)

ペンシルバニア州のものみの塔聖書冊子協会

SC:SD1985年6月28日

北海道広島会衆

金沢司兄弟
柳村勝実兄弟
宮坂政志兄弟
押切博兄弟
飛田栄二兄弟
八幡幸司兄弟

親愛なる兄弟たち

協会はただ今、北海道広島会衆を援助すべく協会が調査を依頼した藤原兄弟から、中間報告書をいただきました。それによりますと、皆さんは6月19日に予定された会合にいったんは出席を拒否したものの、藤原兄弟たちの説得により、午前中の集まりに出席してくださったようです。しかしながら、午後に入ってから個人的に情報を求めようとしたこれら三人の兄弟たちに対し、皆さんは時間がないという理由でその場を引き揚げ、その後はどなたも出席を要請された会合においでにならなかったとのことです。しかも、皆さんは協会の代表者であるこれら三人の兄弟たちに対し、きわめて不敬な態度をお取りになったようです。わたしたちはこのような報告をいただいたことを本当に残念に思います。皆さんがお取りになったこのような態度ゆえに、協会はあらためて特別委員を任命し、広島会衆の実情を調査するよう取り決めることにいたしました。ただし、笹山兄弟は特別委員の一人に入っておりませんので、このことを念のためにお伝えしておきます。また、宮坂兄弟は笹山兄弟に電話をかけ、二人の姉妹たちと笹山兄弟をそれぞれ審理事件として告発したいとの連絡をしたようですが、もしそうであるとすれば、これら特別委員は審理事件として問題を取り扱うようになるかもしれません。それで、特別委員からの連絡を待ち、予定される会合に出席し必要と思われる証言とご自身の弁明を行っていただきたいと思います。わたしたちは皆さんが宇宙の最高主権者であられるエホバ神とクリスチャン会衆の頭であられるイエス・キリストの前に清い良心をいだいて服してゆかれるよう心から希望しております。上記の通りお知らせし、問題解決の上にエホバ神の豊かな祝福をお祈りいたします。

皆さんの兄弟
Watch Tower B&T Society
OF PENNSYLVANIA
この手紙の写し:特別委員


協会とその代表者に対する不敬罪によって審理委員会が開かれる方向へ物事とは動いていました。
それで広島会衆の長老団は巡回訪問の前の週に会衆の成員に事件のあらましを説明することにします。
それによって各成員が自分の信仰でこれから生じることに対処するためです。

その週の特別プログラムの中で金沢兄弟は、聖書の真理か支部の権威かを自らの信仰により選択する話をしその終わりの方で、「いかに日本支部といえども人間なら恐れる必要はない」と語りました。

私たちが本当に恐れるべきなのは真実をご存知のエホバ神であり、組織の権威をかさに着た人間ではない、ということを強調したのである。支部はこの発言を問題にし、「告発する」とまで憤ったが、彼は別に支部を挑発するために語ったわけではない。それに、身に覚えがなければ怒る必要もまたないわけである。使徒5:38,39に基づき、エホバの証人として神の道を取るか、それとも権威主義という人間的な道を取るかということを象徴的に述べたにすぎない。

    「この企て、また業が人間から出たものであれば、それは覆されるからです。しかし、それが神からのものであるとしたら、あなたがたは彼らを覆すことはできません。さもないと、実際には神に対して戦うものとなってしまうかもしれません」 (使徒5:38,39)


日本支部、協会の代表者の示した態度は権威主義そのものです。
彼らが求めているのは、真実の追究ではなく、協会の権威に従うことです。
それで何であれ協会が述べること、決定した事への異議申し立てや疑問を差し挟むことを、権威に対する不敬行為と短絡的に捉えてしまいます。これは、正にパリサイ人の霊そのものです。


巡回訪問 7月9日火曜日

午後一時頃、瀬野兄弟と藤原兄弟が到着した。二人を出迎えた兄弟たちは訪問の目的、および統治体の裁定を携えているかどうかを尋ねた。しかし裁定はなく、彼ら自身も訪問の目的はよく分からないとのことであった。

「支部に電話で聞いてみてはどうでしょうか」

と藤原兄弟。

「誰に聞いたらいいんですか」
「藤本兄弟か阿部兄弟が担当だと思いますが」
「そうですか。では、ちょっと相談してみます」
「じゃあ僕たちは待ってます」

そう言って藤原兄弟は瀬野兄弟と共に車に戻った。

そこで支部に電話を入れてみた。

「こちらは北海道の広島会衆ですが」
「少々お待ちください」

電話はすぐに兄弟に変わった。声から判断すると阿部兄弟らしかった。

「何でしょうか」
「今、突然藤原兄弟が見えられましたが、いったい何の目的でおいでになられたんでしょうか」
「地域監督として、援助と調査のためです」
「それだけでしょうか」
「どういう意味ですか」
「お尋ねしている通りですが」

やや間をおいていかにも不機嫌そうな調子で再び

「どういう意味ですか」
「お聞きしている通りです」

しばらく沈黙…。そして遂に

「援助と調査だけです」
「そうですか。分かりました」

援助と調査だけであれば拒む理由はない。支部がどこまでその約束を守るか定かではないが、「Yes means Yes の精神(“はい”という言葉は、はいを、“いいえ”は、いいえを意味するようにしなさい-マタイ5:37)」でゆくことに決めていたので、その通り受け入れることにした。

この後、瀬野兄弟と宮坂兄弟は会衆の記録調べを行ない、藤原、金沢、柳村兄弟の三人は今回の事件について話し合った。主な話題は藤原兄弟が送った中間報告についてであった。

「出席を拒否するなどと私たちは一言も言わなかったですけどねぇ」
「でも私は笹山兄弟からそのように聞いたものですから」
「…この手紙には私たちがその場を引き揚げたと書かれていますが、『これで終わりにしましょう』と言って集まりを閉じたのは兄弟自身じゃありませんか」
「私はそのように思ったものですから」
「しかし、『残れない人は手を上げてください』と兄弟が尋ねられたとき、柳村兄弟は手を上げなかったはずですが」
「そうですか、兄弟」と柳村兄弟に聞く。
「そうです」
「それなら『僕は残れます』とはっきり言ってくれれば良かったでしょう」柳村兄弟、逆に怒られる。
「それから宮坂兄弟は、二人の姉妹たちを告発したいなどと笹山兄弟に連絡したことはありませんけどね」
「僕は笹山兄弟からそのように聞いたものですから」
「そうですか、それでは笹山兄弟に確かめてみるしかありませんね」

すべてがこの調子であった。地域監督の立場にある者が、単に思った、感じた、聞いたのレベルで報告を送っていたのである。

藤原兄弟は先に帰り、瀬野兄弟が一人残った。そこで笹山兄弟が協会に送った報告について尋ねてみた。

「笹山兄弟に聞いたら、あの報告は兄弟の承認で協会へ送ったということでしたが、どうして事実を調べないでああいう報告を送ったんでしょうか」
「えっ、あ…笹山兄弟はそのように言ってましたか。確か…あれは笹山兄弟が送ったと思うんですが」
「そうですか。笹山兄弟は『調べてもらってもいい。僕は一人で送ったのではない。巡回監督の承認で送ったんです』とはっきり言ってましたけどね」
「う~ん、そうだったかも知れませんが…いや、やはり、あれは、笹山兄弟が送ったはずです。あとで兄弟に確認してみましょう」

協会の手紙には“笹山兄弟から”とある以上、あの最初の報告の責任者は笹山兄弟に決っている。瀬野兄弟が名前を利用されたにすぎないことは明らかであろう。

その日の夜、「愛はクリスチャン会衆を見分ける」という題の話が、藤原兄弟によってなされた。その話の主要な点は、二人の姉妹たちの問題は愛で覆うべきものであるということであった。


支部の権威により地域監督の見立てが逆転します。
藤原兄弟の良心はこの出来事を正当化できないでしょう。
多分おおくの旅行する監督たちは同じような苦い経験をさせられていると思います。
アメリカの方では旅行する監督の良心的な兄弟たちがものみの塔協会の偽善に同調せず組織を去っています。
日本にもそのような兄弟たちがいることを望みます。

巡回訪問  7月11日木曜日

この日、金沢、藤原、瀬野兄弟の三人により、4時間余りに及ぶ集まりが設けられた。金沢兄弟と藤原兄弟が主に話し合い、瀬野兄弟はその内容をメモしていた。二人の姉妹たちの行状、預言の理解、本部への手紙などについて話し合われた。今回の事件に関する最大のポイントは次の点であった。

「ものみの塔の義の基準といっても、別に特別なことではなく、最近号でも強調されているように心からのエホバの証人でいようということです。利己的な、やましい動機からではなく、純粋な心でエホバに仕えようということですが」
「あ~、そういう意味だったんですか。私は何か独自の義の規準を唱えているのかと思っていましたが、良く分かりました。しかしですね兄弟、それを日本で徹底したら、どんな弊害が出てくると思いますか。立ち行ける長老がいったい何人いるでしょうか。今、それを行うのは協会の方針ではありません」
「では、ものみの塔誌で勧められていることを、どのように理解したら良いのでしょうか」
「それはできる人はやれば良いということです。個人的にやる分には何も問題ありません」
「会衆でやろうとすれば…?」
「それは協会の方針に反することになります」
「と、いうことは…?」
「そうです。背教になりうるということです」
「それは、間違いなく、協会の考えですか」
「その通りです」

これは驚くべき発言であった。ものみの塔誌で公言していることをできるだけ皆で行なおうとすることが、背教になるというのである。

本来、ものみの塔誌の教えを広め、その理解を助け、可能な限りそれを行なうよう励ますのがものみの塔協会の代表者の務めのはずである。しかも、藤原兄弟は地域監督であり、1984年の暮に開かれた監督たちを訓練する王国宣教学校の教訓者でもあった。その時、ものみの塔誌の精神をできるだけ会衆に反映させるように、という指示を協会は出していたのである。さらに数ヶ月前に開かれた巡回大会で、監督たちを集め、ものみの塔誌の難しいところも可能な限り集会で扱うように、と教えたのは他ならぬ藤原兄弟自身であった。

これは支部の裁定に違いないと金沢兄弟は考えた。そこで藤原兄弟に次のように頼んだ。

「広島会衆は会衆全体でものみの塔誌の義を行なうべきであると考えていますので、集会でも扱っていただけますか」
「いいですよ。そうしましょう」

かくして支部の裁定は、ものみの塔協会の正式な裁定として公布されることになった。話し合いは友好的な雰囲気のうちに終了し、藤原兄弟も、「それでは審理委員会は必要ないでしょう。長老の削除の推薦もいらないと思います。少々調整するだけで良いでしょう」と語るまでになった。「では、支部によろしくお伝え下さい」と述べて、金沢兄弟は彼らと別れた。

ところが夜の集会に現れた藤原兄弟は、まるで別人のようになっていた。表情は硬く、取り付く島もないという風であった。いったい何があったのだろうか。彼は支部に電話してみると話していたので、恐らくその話し合いの結果であろう。

その集会での藤原兄弟の話の主題は、「神権的(神の権威を最優先する考え方)な取り決めに精通して従順に従う」であった。約束した通り、その話の中で協会の正式な裁定が伝えられた。

救いはバプテスマで達成されるので、ものみの塔誌に述べられているそれ以上の義は個人的に行なうべきものであり、会衆全体で行なってはならないという主旨の話がなされた。また、兄弟たちは神権的手順に違反することにより(本部と支部に連名で手紙を出したことを指す)「罪に罪を重ねた」と述べて、審理委員会を開く方針を明確に打ち出した。

巡回訪問  7月12日金曜日 姉妹たちの聴聞

同日、午前10時から広島会衆の姉妹たちとの会合が開かれた。監督たちに事情を知ってもらいたいとの申し出に、藤原兄弟が快く応じて開かれたものである。ところが、この度も見事にその約束は破られた。

柳村姉妹が集まりの始まるのを待っていると、瀬野兄弟から会衆の名簿をコピーするように頼まれた。名簿を手にした瀬野兄弟は、出席した姉妹たち全員の名前をチェックした。

藤原兄弟が、「今日は皆さんのお話をお聞きします。どうぞ何でも言ってください」と切り出して、集まりが始まった。姉妹たちが発言すると、瀬野兄弟は名前を確認し、その内容をメモしていた。

何人かの姉妹たちは、その時の印象について次のように語っている。

「話し合うとか、聞いてくれるとかというのではなく裁きの根拠を探しているようだった。私たちが何を語っても、それはすべて会衆にとって不利になるよう曲げて受け取られてしまった。」

その夜、長老と奉仕の僕の集まりが開かれた。「火曜日の出迎えの態度がふさわしくない、もてなしの精神に欠ける」ということが主な理由として上げられ、全員がその立場から下ろされることになった。

その後、長老団の集まりになると、藤原兄弟はいかにも苦々しげに、

「兄弟、今日の姉妹たちとの集まりはひどかったですね」

と話し出した。

「僕は、ああいう姉妹たちを見たのは初めてですよ。あれはひどいですね。あの姉妹たちは!」
「何かしたんでしょうか」
「あれなら、兄弟がいなくても十分背教しうる姉妹たちですよ。あの姉妹たちならやりかねませんね」
「そうですか。それで一体そういう心配があるのはどの姉妹たちでしょうか」
「まず小河姉妹ですね。それに三浦姉妹、この姉妹は特にひどかったですよ。あと加藤姉妹や多田姉妹もそうでしょう。あの姉妹たちなら兄弟がいなくても背教しかねないと思いますよ」(藤原兄弟はかなりプライドを傷つけられたようであったが、小河姉妹は、二人の姉妹が何を訴えたのか、支部はどうして二人を信頼できる姉妹だとみなしているのか、と尋ねたに過ぎない)
「それじゃ私の方から何か話してみましょうか」
「いいえ、もう要らないでしょう。その必要はないと思います」

長老団の集まりはこれで終わり、背教で処分すると言う支部の方針がはっきりした。しかも、その中には姉妹たちも含まれている。そうでなければ、姉妹たちを説得するよう努力するはずであるが、その必要はないという。心配している様子もまったくない。おそらく支部としては、この際、反組織的な悪影響を根こそぎにしてしまいたいということであったのだろう。

排斥になりそうなメンバーをざっと数えてみると、少なくとも15人位いそうであった。一人一人バラバラになってしまえば潰れてしまうのは目に見えている。やはり会衆を組織する以外にない。とはいえ、結論が出る前に表立って動くわけにはゆかない。そうすればそれを背教の根拠にされてしまうであろう。いったいどうすれば良いのか、非常に難しいところであった。

この時、判断の基準としたのは、使徒5:38,39のガマリエルの言葉であった。今回の事件が人間的な意志から出たものであれば、成功することはない。しかし神が何らかの目的をもって物事を押し進めているとすれば、それは必ず成し遂げられるはずである。それを試してはっきりさせるには、どうしたら良いだろうか。考えたすえ、会衆を組織するための動きは一切起こさず、巡回訪問が終わるまでは監督たちの好きなようにしてもらおうということにした。もしそれで会衆が組織されるならば、それこそ神の建てた会衆とみなすことができる。そのようにしてエホバのご意志を確かめようと考えたのである。

ただ、もし会衆が設立されたとしても、組織から離れたままで長い間やって行くのは無理だろうと判断したので、何とか短期間で終わらせたいと思い、統治体に緊急の援助を求める手紙を出すことにした。


巡回訪問  7月13日土曜日
特別委員会から聴問会への呼出し状が届きます。
聴問が行なわれる理由:会衆内に分裂を引き起こしたこと
根拠:1985年7月4日広島会衆で行なわれた奉仕会の特別プログラムで金沢司兄弟が話した事柄

審理委員会が開かれる前にすでに兄弟たちの処分は確定していたと思われます。

審理委員会

欠席審理での排斥

審理委員会とは裁判と同じようなものであって、単なる話し合いの場ではない。後に「どうして審理委員会に出て話し合わなかったのですか」というわけの分からないことを述べた長老たちもいたが、審理委員会の何たるかが認識できていれば、そういう台詞は出てこない。

王国宣教学校の教科書(監督養成書)を見れば分かることであるが、審理委員会を開くのは罪を確定した上でのことである。従って、審理委員会に呼ばれるということは、すでに罪人に定められたことを意味する。罪を犯したのか、それともそうではないのかを話し合うのは審理委員会以前の問題である。

兄弟たちには審理委員会に行くべき罪の自覚はなかった。ものみの塔誌の精神を可能な限り会衆に徹底させようとすることが背教になるなどということは、エホバの証人としての信仰と良心からしてとうてい受け入れることはできなかった。審理委員会に呼ばれるべきなのは、むしろ偽りを弄し偽証を行なっている彼らの方ではないか。本当の背教者は日本支部の方であると考えていたのである。

しかもあの監督たちでは。審理委員会の実質的な代表者が不真実な報告を送ることを何とも思わない藤原兄弟なのである。公正な審理を期待できる可能性はまったくなかった。仮に監督たちが奇跡的に真実を擁護したとしてもどうしようもない。末端でどう言おうと決定するのは支部である。支部が片付ける気である以上は何をしようと無駄なことである。つまり、どう考えてみても、出席するという線は出てこなかった。

この時、兄弟たちが唯一期待をよせていたのは、統治体の勧告であった。もっともこれは統治体の善意を信じた上での話ではあったが。(この時はまだ統治体そのものが問題なのだということはまったく分からなかった。それを理解したのはかなり後になってからである。)郵送に必要な日数を考えると、勧告が出るまでには最低一週間から十日位かかるものと思われた。そのため兄弟たちは何とか時間的余裕を作ろうと考え、審理委員会の延期を願い出た。しかし、これはあっさり断られてしまった。

王国宣教学校の教科書、p.69、161には、「もし再三、聴問を行なっても当人が来ないなら」「当人が再三に渡って姿を現さない場合」と記されている。ゆえに、この組織の指示に忠実に従うのであれば、一度の欠席で排斥になることはあり得ない。何度かは呼んで様子を見るはずである。ところが、支部は神の義と公正だけではなく、組織の取り決めをも無視したのである。兄弟たちは一回の欠席審理で排斥されてしまった。何故か理由は分からないが、支部は非常に急いでいた。少なくとも、2、3回は呼んでもらえるものと思っていたのであるが…


7月15日月曜日の朝、金沢兄弟に瀬野兄弟から電話で排斥の通知がなされます。
金沢兄弟は上訴します。

7月16日火曜日 広島会衆で集会が開かれます。
その集会に出席する人は背教者とみなされ排斥されることになると通知されています。
しかし、結果は約60名がその集会に出席しました。

以下はその理由について尋ねたものである。

「何が真実かを知りたいと思った」
「ものみの塔に関する裁定、および集会で話された監督たち(藤原兄弟など)の話に納得できなかった」
「監督たちの態度、問題の扱い方に対する疑問」
(偽りを語り、権威を振りかざす圧制的な態度への拒否反応が多かった。ほとんどすべての人がこのことを述べている)
「真実が真実として受け入れられない中では生きて行けないと思った」
「二人の姉妹たちの素行の悪さ」
(会衆の多くの人がこれを直接見聞きしているので、彼女たちを正しいとする監督たちの判断には納得できなかったのである)
「演壇から謝るように言われたこと(これは審理されることを意味する)そういう罪は犯していない」「謝るなら嘘をつくことになる。嘘はつきたくなかった」
「あのまま向こうの指示に従うならエホバも聖書も何の意味もないもの、存在しないもののように思えた」
「二つに分かれる最後の日に奉仕に参加し、そこにきていた人々の霊(精神態度)を考えて決めた。向こうの人には、憎しみ、悪口などが見られた」
「日曜日から祈り続けたが、このまま組織に留まることを考えると、心が晴れず胸が潰れそうだった。たとえ一時組織から出たとしても真理の神エホバが本当にいるならきっと正してくださると思い、その時を待つことにした」
「なんとなく、この世(世の中の悪い精神)と同じやり方をしているみたいで嫌だった。愛がないように感じた。エホバを知りたいと思ってこちらへ来た」
(これはまだバプテスマを受けていない人)
「これらの監督たち(藤原兄弟たち)とずっと一緒にやっていくなら、自分を殺さないかぎり無理だと思った」
「小熊兄弟は、『二人の姉妹や監督たちが、偽り、偽証、盗みなどをしていないというのであれば、私としてはそれを信じるしかない』と言った。何の調査もしないで一方を受け入れ、他方を否定するとは…聖書にはエホバは公正、公平な方とあるのにどうして食い違うのか、本当のエホバの証人とは何かと思った」
(分裂当時まだ聖書を調べ始めたばかりの人)
「自分も会衆の援助を受けたが、その方法が間違っているとは思えなかった」…等々。

彼らは皆、自らの信仰によってこの道を選んだのである。


つづく

編集者 sk (2013年02月11日 21:46:31)

オフライン

#6 2013年02月11日 21:42:50

sk
メンバー

Re: 日本支部

1980年代、ものみの塔協会の世界本部で生じた大量排斥によるいわゆる背教者粛清は、ものみの塔協会の本質の露呈であり、ここ日本でも同じ権威主義の精神(霊)の露骨な表れが時を同じくして起きていました。

事件は北海道の広島会衆に関連して起きました。

登場人物

金沢兄弟 広島会衆の長老
笹山兄弟 羊が丘会衆の長老(ベテルとの繋がりがある人)
藤原兄弟 地域監督
瀬野兄弟 巡回監督
A姉妹   感情的な問題で開拓奉仕を解任
K姉妹   娘の問題で開拓奉仕を解任

背後に日本支部、ブルックリンの関わりを推察できます。


元記事 http://www.stopover.org/lib/Kanazawa/Jikenbo/index.html

北海道・広島会衆事件簿からの要約です。(パート3)


パート2のまとめ

旅行する監督は支部からの命令に服さざる得ず公正を無効にする決定をしました。
広島会衆の長老団と強引に権威を振るう日本支部への盲従ではなく聖書の真理にを選択した60人ほどの成員は背教者として排斥されることになりました。

パート2のまとめ終わり

7月17日(水)下記の上訴文を提出する。

1985年7月17日

特別委員会の兄弟たち

7月15日に特別委員会の背の兄弟を通し排斥決定の電話連絡を受け取りましたが、私は下記の理由に基づきこの件を上訴したいと思います。

    藤原兄弟はものみの塔協会を通し光を増しゆく聖書預言の義に関する裁定について私達に知らせて下さり、会衆で何度か話して下さいました。ところが統治体の裁定であるとは一度も述べられませんでした。この問題の根本となっているのは、まさに、その裁定なのですから、統治体の兄弟たちに確認して最初からやり直すのが道理にかなっており、急いで判断を下すのは性急だと言えるのではないでしょうか。(「奉仕の務め」p.28、1節 使徒15:1,2)

    今回の扱い方を見ていますと、聖書預言の義について心から理解している人々でなければ、この問題を十分に扱うことはできないと感じました。したがってこの件を審理する兄弟たちは、その義について心から理解できる方々で構成されるべきではないでしょうか。(詩篇19:7~11)

    この度の決定はきわめて一方的、かつ不当なものであり、はなはだしく公正を欠いています。(申命記1:16、Iテモテ5:21、イザヤ32:1,2)

こうした点から、悔い改めの有無というよりは審理の根拠そのもの、および審理自体が聖書的に無効であることをお伝えします。それゆえ上訴委員は統治体の裁定を受けてから、それを心から理解できる兄弟たちで構成していただきたく思います。(箴言16:21)

もし上記の点が受け入れられない場合は、いかなる取り決めも決定も天の最高法廷の前では無効であることを宣言したいと思います。(アモス5:20~24、6:8)

以上お知らせし、兄弟たちの憐れみに富む判断を心からお願い致します。

まさに71年目に王イエスが引き上げられた義の支配を見たいと願っている皆さんの兄弟。

アモス5:20~24;6:8
5:20 エホバの日は暗闇であって、光ではない。それは暗がりであって、明るさはない。そうではないか。21 わたしはあなた方の祭りを憎み、〔これを〕退けた。わたしはあなた方の聖会の においを楽しまない。22 また、あなた方が全焼燔の捧げ物をささげるとしても、その供え物を喜びとは しない。あなた方の共与の犠牲の肥えたものに目をとめなさい。23 あなたの歌の騒々しさをわたしのもとからのけよ。あなたの弦楽器の音色を私に 聞こえないようにせよ。24 そして、公正を水のように、義を絶えず流れ行く奔流のようにわき出させよ。6: 8 『主権者なる主エホバが自らの魂にかけてこう誓った』と、万軍の神エホバは お告げになる。『「わたしはヤコブの誇りを忌まわしく思い、その住まいの塔を憎んだ。わたしは〔その〕都市とそこに満ちるものとを引き渡す。


上訴委員と聴聞会の日付が通知される

    上訴委員:
        出口○○(広島会衆)
        宮崎○○(広島会衆)
        小熊○○(広島会衆)
    日時と場所:
        7月20日(土)午後7時より
        羊ヶ丘会衆王国会館

一回の欠席審理での排斥、事実調査さえやろうとしない不真面目な上訴委員会
金沢兄弟は、王国宣教学校の教科書(長老用のテキスト)返還要求に対して次のような返書を送った。


1985年7月20日
金沢司

今回の事件の責任者の兄弟たちへ
(特に日本支部内)

何をそのように急ぐのでしょうか。再三の呼出しという王国宣教学校の教科書 (p.161) の指示を無視し、何のために性急に事を進めようというのでしょうか。これがいったい誰の益になるというのでしょうか。誰を喜ばせるというのでしょうか。皆さんはよく理解されているはずです。はたして誰の精神を反映し、誰の知恵に従っているかを。よくご存知ではないでしょうか。およそ清い聖なる神エホバのみ前で良心に何の痛みもなくできるものかどうかを。それとも少しも感じないほど皆さんの良心は麻痺しているのでしょうか。

皆さんは広島会衆を分裂させ王国会館の建設を中止させてしまい、多くの羊に多大の苦しみをもたらしました。そればかりでなく、はなはだしく不公正な裁きを行ない、強引に50人以上の魂を滅びに定めようとしています。これが、エホバ神のみ前で流血の罪を負い、天の法廷を侮辱する行為となることを知らないというのでしょうか。エホバ神は生きておられ、このことをご覧になっているはずです。(歴代第二19:6) さらに質問や嘆願を反組織的行動、不従順とみなすほどの忠実を要求するのはいったい誰が持てる権利でしょうか。いかに皆さんといえども、もしそうするなら自らを神の上に高める不法の人と同列になってしまうのではないでしょうか。

A・D・シュローダー兄弟は地帯訪問で明確に述べておられなかったでしょうか。聖書預言の義は生き残るためすべての人に必要な最低の義の規準であり、大ぜいの群衆が自らの衣を白くするためには欠かせないものであることを。(啓示7:14) 今回皆さんはそれとはまったく相反する裁定を出されました。それゆえ、私は長老としてそのことを統治体の兄弟たちに再びお尋ねすることにしましたが、皆さんこそむしろ率先して統治体に確認すべきではないでしょうか。(使徒15:1、2、22、30~32) 私としては、その支配71年目に義を引き上げようとされる王イエスと戦い、エホバ神を敵にまわすことなどとても考えられないことです。

したがって、今回のような神権的手順および、天的経路を無視した措置はすべてが無効であり、まったく受け入れられないものであることをお伝えしたいと思います。(アモス5:5~7、20~24; 6:8、13) ゆえに、王国宣教学校の教科書は聖霊が私の長老職を解くまでは皆さんに返還する必要がないことをお知らせ致します。

王の義のために働く兄弟
北海道広島会衆の長老
金沢司


7月20日(土)夜8時、電話で排斥が通知される。
7月21日(日)再度、統治体に援助を依頼する。

次におざなりの姉妹たちの審理が始まる。
7月24日(水)特別委員会から招集状が届く。
7月26日(金)排斥通知
8月1-2日上訴委員からの招集
8月3日(土)排斥通知


7月26日、姉妹たちに排斥の通知を行なっていた藤原兄弟と、加藤さんは1時間以上にわたって話し合った。その一部は次のようなものである。

「手紙は届いているが(7月24日に送った手紙)、まだ内容を読んでいない。組織(日本支部)の指導に反抗したグループに加わっているので処理された」
「なぜ判決を急いだのか。聖書や出版物には充分な説得と記されているが、どのような努力をしたのか」
「電話で一回、全会衆の前で一回」
「そのような回数だけで充分なのか」
「…沈黙…一方的な情報だけで私たちを批判するのはおかしい」
「責任者側でまとめた経過を知りたい」
「組織内部の事情なので説明はできない」
「判断する情報がないではないか」
「…無言…お父さん(加藤さん)、組織に戻るように呼びかけてください」
「組織外の人間だから介入はできない。それらを調整するのが責任者ではないのか」
「誤りなので撤回する」
「神の言葉上の問題か、それとも組織上の問題か」
「組織上の義(私には神学上の用語なので理解できない) の解釈の相違だ」
「解釈上の相違はどこで調整されるのか。組織内で疑問が生じた場合に充分な話し合いもせず、判決だけ急ぐルールになっているのか」
「…沈黙…」
「分裂とか分派というが、少なくとも6月まで王国会館建設の動きがあり、一人の独裁的、分派的責任者と判定された者の独断で決定したものではなく、会衆の総意だと聞いている。先月まで平和な会衆であったのに、それを相争う会衆と評価するのか」
「そのような評価はしない、立派だと思う」
「ならばなぜ急いで判決を出したのか」
「私は上と下から板挟みになり、頭が混乱している」

しばらくの間無言。電話が切れたのかと思い、「藤原さん、藤原さん」と何回か呼んだ。

「突然に上部が変わった。上部で決めたので、これ以上の事は上部に聞いてほしい。お父さん(加藤さん)、私の立場も理解して欲しい。…しばらく沈黙…私はどうなっても良い、覚悟をしている」(彼の言う意味が分からない)
「エホバの証人は“世の光となるように”と教えられていると聞いている。世俗の人々が尊敬できる行動を取って欲しい。我々は聖書につまずくのではなく、あなたがた指導者の行為につまずく。真に聖書的な解決によって、早く平和が戻ることを希望する」
「私たちもそのように努力する」
「前回の手紙についての返事を期待する」
「…無言…」

加藤さんはこの話し合いの感想を次のように述べている。「お父さん(加藤さん)、私たちはエホバの言葉に基づいてこのように行動したのですよ」というような神の言葉に基づく説明を期待していた。しかしその話はまったく出ず、組織の決定であると繰り返すだけであった。神よりも組織が優先するとの強い印象を受けた。電話後に知って驚いた。何と彼は北海道地方の最高責任者であったということである。私は札幌の一長老だと思い、厳しい質問を控えた。

藤原さんは最初、元気よく話していたが、後半は無言とか、「頭が混乱している」と称し、意味不明なことを口走っていた。「なぜ、判決を急いだのか」との部外者からの質問には答えられず、「判決が下っても組織に戻ることができる」と弁明する。「問題、取り組みの順序が逆ではないか」と問うたら、「私が決定を下したのではないから上部に聞いてくれ」という。会衆の前で判決を宣告した裁判官が、「判決は私から出たものではない」というのである。このことを世俗では責任回避という。責任者としての権威を機械的に行使したにすぎず、その責任を果たすため充分な努力を払ったとは考えられない。責任者には権限があるが責任もある。自己の行為を反省もせず、上部に責任を転嫁する。世俗の管理者ならば尊敬されぬタイプである。


地域監督の藤原兄弟の発言

組織の指導に反抗したグループ
私は上と下から板挟みになり、頭が混乱している
突然に上部が変わった。上部で決めたので、これ以上の事は上部に聞いてほしい。
私の立場も理解して欲しい私はどうなっても良い、覚悟をしている

これがものみの塔協会の真の姿です。
現役JWの皆さん、目覚めてください。

旅行する監督の皆さん、自分の良心の声を殺してはなりません。
公正と清い良心を犠牲にしてまで非聖書的な協会の命令に盲従する理由がありますか。

それは、ペテロのような人への恐れですか。

ガラテア 2:12-13
12 ヤコブのもとからある人たちが来るまでは,諸国民の者たちと一緒に食事をしていたのに,彼らが来ると,割礼組の者たちへの恐れのために,身を引いて離れて行ったからです。13 残りのユダヤ人たちも彼と共にこの虚偽に加わり,その結果,バルナバさえも彼らと共にその虚偽に引かれて行きました。

箴言 29:25
25 人に対するおののきは,わなとなる。しかし,エホバに依り頼んでいる者は保護される。

ヨハネ 5:44
44 あなた方は互いどうしからの栄光を受け入れて,唯一の神からの栄光を求めていないのですから,どうして信じることができるでしょうか。

テモテ第一 1:19
19 信仰と正しい良心を保つこと,そのことをある人たちは押しやって,[自分の]信仰に関して破船を経験しました。


神の裁きの見座の前で自分の行為の言い開きをする時、「私は協会の指示に従っただけです」という言い訳がとおるでしょうか。

ローマ 2:15-16
15 彼らこそ,律法の内容がその心に書かれていることを証明する者であり,その良心が彼らと共に証しをし,自らの考えの間で,あるいはとがめられ,あるいは釈明されさえしているのです。16 わたしが宣明する良いたよりにしたがえば,神がキリスト・イエスを通して人類の隠れた事柄を裁く日に,このことはなされます

ヘブライ 4:13
13 そして,[神]のみ前に明らかでない創造物は一つもなく,すべてのものはその目に裸で,あらわにされており,この方に対してわたしたちは言い開きをしなければなりません


二度にわたる会衆の嘆願に対して統治体からは何の返答もなかった。
加えて本部にも動く気配はまったくなかった。どうして真実を擁護し、問題を正してくれないのであろうか。一体どうなっているのだろう。本部の考えが分からないことには、今後の見通しが立たない。「それでは行って確かめてこようか」ということになり、本部への訪問が具体化した。そこで会衆は金沢兄弟と宮坂兄弟の二人を派遣することにした。

ブルックリン・ベテル(ものみの塔協会世界本部)訪問

受付を捜しながらタワーズホテルの方へ歩いて行くと、途中で白髪の兄弟が二人の行く手を遮った。彼は腰にさげた鍵の束の中から一つを取り出して、おもむろに錠を開け、「Please」といって中へ入れてくれた。その後、受付の兄弟に何やら話し、奥へ引っ込んでいった。いったい誰だったのだろう。不思議な印象を与える人であった。

ところで、受付の兄弟はすでに日本語のできる姉妹を捜してくれていた。やがて彼女と連絡がつき、電話で話をすることになった。

「お待たせしました。今、シャワーを浴びていたものですから」
「それはすみませんでした」
「兄弟たちの用件はどんなことでしょうか」
「姉妹たちに話してよいのか、どうか…ちょっと判断に迷いますが」
「それではちょっと待って下さい」

…後ろの方から、かすかに声が聞こえる。夫と相談しているらしい。「Maybe apostates」(たぶん背教者)という姉妹の言葉がはっきり聞こえてきた。

「もしもし…」
「姉妹、どうやらご存知のようですね」
「…(5秒ぐらい沈黙)」
「後ろのほうで話している声がたまたま聞こえてきたものですから」

ここで姉妹の語調がガラリと変わる。

「兄弟たちの目的がわかんないのよね。いったい何が目的なの」
「はっ、いいえ、あのう目的といわれましても、特別何かそういうことがあるわけではないんですが。もう私たちだけではどうしようもなくなりましたので、何とか助けていただけないかと。ただそれだけなんですが」
「じゃ結局、責任のある兄弟たちに会いたいということですね」
「はい、そうです」
「今日はもう遅いので、明日また来てください。タワーズホテル知ってる?すぐ向かいなんだけど」
「はっ、すみませんが良く分からないんです。ここの受付にしていただけると助かりますが」
「そう、分かったわ。ところで兄弟たちホテル大丈夫なの。べテルには泊められないのよね。巡回監督やべテル奉仕者じゃないと駄目なことになってるから」
「今晩はルーズベルトホテルに予約してあります。明日からのを手配をしていただけるとありがたいんですが」

明日の朝9時ごろ、受付に来ることを約束して電話は終わった。

タクシーを呼んでくれることになったので、しばらく待っていた。ちょうどタクシーが到着するころ、奥の方から、見事に頭の禿げ上がったかなりの年配の兄弟が出てきた。恐縮して断ったのにカバンをタクシーまで運び、渋る受付の兄弟を伴い、わざわざ見送ってくれた。排斥後、エホバの証人から受けた数少ない親切の一つであった。


9月7日土曜日本部との交渉

様々なアクシデントがあり、予定より30分くらい遅れて本部へ着いた。その日は年一回の部屋替えということで、辺りは部屋を探して歩く兄弟たちでごった返していた。受付で用件を告げたが要領を得ない。連絡がついていないらしかった。仕方がないので兄弟たちは再び最初からやり直すことにした。

「兄弟たちは何をして欲しいんですか」
「問題を正していただきたいんです」
「問題…どんな問題ですか」
「裁きの問題です」
「OK、ちょっと待ってください」

待っている間にハワイ出身の兄弟たちが声をかけてきた。三世なので日本語はもうほとんど話せないという。「私たちはべテルに入ったばかりで、これから部屋を決めに行くところです。べテル奉仕の年数に応じて、だんだん新しくて良い部屋に移っていけるんですよ」と笑いながら話していた。そうこうしているうちに、日本語のできる日系三世のフルヤ兄弟が見つかった。が、彼も部屋替えで忙しいということで、もう暫く待つことになった。その時フロントの兄弟から再び声がかかった。

「兄弟たちの問題は何だったでしょうか」
「裁きの問題です」
「審理委員会は開かれましたか」
「はい」
「では上訴したらよいのではありませんか」
「上訴委員会はもう終わりました」
「それは本当ですか」
「はい」
「ということは“より高い裁き”を望んでいるということですね」
「その通りです」
「OK、分かりました」

そうするうちフルヤ兄弟が戻ってきた。フロントの兄弟と話したあと監督たちに連絡を取ってくれたが、「会うことはできない」という返事であった。

「それはおかしい。昨日は確かに責任のある兄弟たちに会わせてくれると言ったんです。約束が違うじゃありませんか」
「そう言ったのは誰ですか」
「日本語のできる姉妹です」
「名前は何と言いますか」
「えーと誰だったかな、うーん、そう、確か…アツ子です。アツ子姉妹といいました」
「ああ、分かりました」

姉妹に連絡すると、タワーズホテルのロビーで会ってくれるということになった。

アツ子姉妹は硬い表情でロビーにやって来た。何となく渋々やって来たという感じであった。ソファーに腰を降ろすと次のように切り出した。

「兄弟たち、一年ぐらい頑張ってみたらどぉ」
(一年…それは困る、何とか短期間で終わらせたいと思って本部までやって来たのに)

それで返事をしないで黙っていると

「復帰することもできるしねえ」と復帰を勧めてきた。

(復帰とは排斥された人が悔い改めて組織に戻ること、つまり自分の違反を認めたことになり、日本支部の審理は正当なものであったということになってしまう)

復帰!とんでもない!

「そんなことをしたら罪を認めてしまうことになるでしょう」
「じゃあ兄弟たちは何をして欲しいの」
「とにかくですね。私たちは本当の背教者じゃありませんので、この背教者というのを何とかしてくれませんか」
「日本支部の方からは何も聞いてないのよね。兄弟たちからの情報だけで扱うわけには行かないでしょう」
(どうして?扱う気であれば調べることができるだろうに。本部だからそれくらいの権限はあるでしょう)
「それに兄弟、たとえ真実でも日本人は言い方によっては誤解するでしょう」
(そんなことは分かっている。日本支部が変なことをしなければ、私たちだって何もあそこまで言う必要はなかったのだ。真実だと分かっているなら何とかしてくれてもよさそうなものなのに)
「組織はね、兄弟たちが思っているより大きいのよね」
「ええ、それはこちらに来てみてよく分かりましたが」
(組織が大きいからといって神の律法を曲げてよいということにはならないでしょう)と言いたかったが、これも黙っていた。
「これは難しい問題です。非常に難しい事件です」

この時アツ子姉妹は何事か考え込むような表情をした。しかしこの事件は単に聖書に従おうとしない日本支部のおかしなグループによるものとばかり思っていた私たちは、姉妹のこの言葉を聞いて意外に感じた。

どうして。どこが難しいのだろうか。偽りや偽証を行なっている者を扱えばそれで済むことではないか。そう思ったので次のように切り出してみた。

「ものみの塔誌は『はい、は、はい』の雑誌でしょう」
「そうです」
「ではどうしてその通りに会衆で行なおうとすることが背教になるんですか」
「兄弟、そんなことは言うもんじゃありません」

厳しい声でたしなめられてしまった。それでもひるまずに

「しかしですね。地域監督が確かにそう言ったんですよね」

“私たちはそれで背教者にされたんですから”と言おうとしたが、その前に話を変えられてしまった。

「今ね、統治体は別のことに取り組んでいるのよね。だからそういう問題は直接扱わないのよ。支部にみんな任せてあるから」
「それじゃ統治体はもう何もしないんですか」
「勧告することはできるわね」

ここで宮坂兄弟がいきなり大胆な質問をした。

「支部が問題ならどうするんですか」
「それは地帯訪問で扱います」
(地帯訪問とは本部の代表者が定期的に各国の支部を訪問する取り決め)
「あのヨブの劇はどうなるんですか。劇は作っても実際そのようにはしないんですか」
(1985年の地域大会で行なわれた劇でヨブが貧しいやもめを助けて公正な裁きを行なう場面があった。彼はそのことを指摘したのである)
「……」

アツ子姉妹も返答に困ったようであった。

「支部は大会のプログラムをもう勝手に変えてますよ。そういう権限があるんですか」
「どういうことですか」
「背教のプログラムです」
「それはね、最近アメリカでもかなりの背教があったのでそういうプログラムを組んだんです」
「しかしほとんどのプログラムですよ」
「……」

アツ子姉妹が沈黙してしまったので、ここで会話は一端とぎれてしまった。この辺では、多分もう駄目ではないかと思い始めていた。責任のある兄弟には会えそうにないし、姉妹の話から判断すると、統治体には今すぐこの問題を扱う気はまったくなさそうであったからである。少し間をおいて、アツ子姉妹は宮坂兄弟の質問には答えず、次のように勧めた。

「それじゃね、兄弟たち、手紙を書き続けたらどぉ」
「……」
「とにかく手紙を書き続けることね。日本支部にも分かってくれる人がいるかもしれないじゃない。きっといるはずよ。それに兄弟たちが手紙を書き続けたら何か問題が明らかになるかもしれないしね」

日本支部には他に何か問題があるのだろうか。少なくとも統治体はそのように考えているらしい。しかしまだ扱えるだけの証拠を得ていないのであろう。残念だがそれなら今は仕方がないか。そう思うことにした。

「それから、こういう問題はサービス・デパートメント(奉仕部門)で扱っています。外人ははっきり書かないと何をして欲しいのか分からないからはっきり書くことね。自分たちが正しいと思うなら一年くらい手紙を書き続けて頑張ってみたらいいでしょう」
「雑誌は来なくなりますしね…」
「それは予約すればいいでしょう」
「文書も来なくなりますしね…」
「注文したらいいでしょう」
「王国宣教も来なくなるし…」
「それは仕方ないでしょう」

結論は出てしまった。要するに、手紙を書き続けて一年くらい頑張るしかないということである。しかも、本当に扱ってくれるのかどうかの保証もまったく無く。しかしどうにも諦め切れずに最後の抵抗を試みた。

「姉妹、法廷には天の法廷と地上の法廷があるでしょう」

“どうして統治体は天の法廷の権威を認めないのですか。いったい天の法廷の権威をどう考えているんですか”と聞こうとしたが、姉妹は話を遮ってしまった。

「兄弟たちは正しいと思う」

こう言われてはもう尋ねても無意味である。正しいと思っても扱えない事情があると判断せざるを得ない。

「残念ですね。会衆は真っ二つになったままですし」
「そうですよ。王国会館だって建つところまでいってたのに」
「……」
「では大会の主題しかありませんね」
「……」
「Integrity Keeper」(忠誠を保つ人)

話し合いは終わった。瞬く間に一時間半が過ぎ、時刻は12時半になった。アツ子姉妹は夫との約束の時間だといって席を立った。エレベーターの近くまで送って行くと最後に、「兄弟たち頑張ってね」といって去って行った。

フルヤ兄弟は話し合いを聞いていて、何とかしてあげたいと思ったらしい。それで何度か責任のある兄弟たちに連絡を取ってくれていたようである。時々席をはずしては電話をかけていた。ところが最後の電話が終わると彼の表情は一変してしまった

「僕言われました。『これ以上関わりを持つと兄弟の組織に対する忠誠が試されます』と。何度来ても同じだと思います。恐らく駄目でしょう」。彼は震えていた。まさに恐怖に脅えているといった表現がピッタリする様子で、ニューヨーク訪問の中でも一際、強烈な印象として残った。フルヤ兄弟は本当に誠実な良い人であった。“助けになりたい”という誠意にあふれていた。それがあのたった一言で、あれ程変わってしまうとは。組織という言葉は何と強力な力を持っているのだろう。“すごい”と思った。

おそらくこの時の強烈な印象が“組織バアル”を思い付くきっかけになったものと思われる。


世界本部の様子
奉仕の年数によるランク付け(差別化)により意識教育がなされている。
弱者の声を汲み取る個人的な関心や憐れみが欠如している。
組織の巨大さは個人の声への無関心の正当な言い訳とはならない。
これは愛ある兄弟関係ではなく、大企業の利益優先主義の表れである。
担当者に会うこともできず、全く権限のない姉妹によりあしらわれて問題の相談どころではない。
これは、明らかに愛ある羊飼いの姿ではない。
ものみの塔協会の牧者が全て偽物のようですら思えてきます。
事実統治体もこの組織も偽物です。
この出来事はそれを証明するひとつに過ぎません。
「組織に対する忠誠」により人を脅し従順を強要する態度は権威主義的であり冷酷です。


マタイ 7:15
15 「羊の覆いを付けてあなた方のもとに来る偽預言者たちに警戒していなさい。内側では,彼らはむさぼり食うおおかみです。16 あなた方は,その実によって彼らを見分けるでしょう。いばらからぶどうを,あざみからいちじくを集めることなどないではありませんか。17 同じように,良い木はみなりっぱな実を生み出し,腐った木はみな無価値な実を生み出すのです。18 良い木は無価値な実を結ぶことができず,腐った木がりっぱな実を生み出すこともできません。19 りっぱな実を生み出していない木はみな切り倒されて火の中に投げ込まれます。20 それでほんとうに,あなた方はその実によってそれら[の人々]を見分けるのです。

編集者 sk (2013年02月19日 08:21:47)

オフライン

#7 2013年02月14日 12:30:16

sk
メンバー

Re: 日本支部

ニューヨークブルックリンに解決を期待し、むなしくもものみの塔協会の実体(真の姿)を見せ付けられた北海道広島会衆の長老団はその後、関係者、日本支部、統治体に対して排斥処置の不当性とその撤回を公式書面で請求します。

1985年9月中旬~11月中旬 話し合いの申し込み
金沢兄弟は日本支部、広島会衆の代表者小熊兄弟、巡回監督の宮崎兄弟に話し合いを申し入れます。

1985年11月中旬~12月 悔い改めの勧め
この頃、事件の発端となったA、K二人の姉妹が悔い改めているとの情報が入り、そお両人へ、支部に送った偽証に関しても悔い改めるよう勧めます。「エホバはすべてをご覧になっています。神を恐れるなら勇気をもって真実を語ってください。悔い改めが本物であればそうすることができるはずです」という主旨の手紙を二人に送ります。加えて、もう二人の当事者笹山、藤原兄弟にも同様に真実を擁護するようにとの手紙を送ります。

1985年12月初旬 小熊兄弟から悔い改めを勧めた何通かの手紙が返却
そのとき彼は同時に次のような手紙を送ってきます。

1985年12月6日

前略金沢司様

度々お手紙をいただいていますが、私としては、会衆の一長老として全面的にその組織の取り決めに従って歩む決意でいます。皆さんが現在排斥者であるという事実は、私が今この組織にとどまっている以上、この件に関するエホバ神と組織の取り決めを踏み越えることはできませんので、一切の交わりを持てないことを意味します。それは単に勇気とか個人的な見解の問題ではありません。私が行動できるのは、「務め」の本のp.149、150の場合のみです。例外はありません。

上記お知らせします。

小熊○○

これにより、当事者たちには真実を擁護する気も、エホバの前に悔い改める気もまったくないことが明らかになります。また彼らの心の砦は組織であること、実際はエホバよりも組織を崇拝していることが証明されました。


1985年12月下旬 A、K両姉妹、笹山、藤原兄弟各人の偽証の書状送付

親愛なる…

私たちは自発的に悔い改め、正直に告白して物事を正してくださることを期待していましたが、そのようにはしていただけなかったようです。私たちとしては、できる限りこの様にはしたくありませんでしたが、エホバのみ名と真実のためにこれらの通知を送ることに致しました。

ここに上げられている偽り、偽証に関して異議があられるなら、届いてから十日以内にその旨を通知して下さいませんでしょうか。もし何の通知もなければ、広島会衆としてはこれらの告発文を承認なさったものとみなさせていただきたいと思います。

産出の規準で考えれば(10月15日号のものみの塔、第1研究記事)余地はまだ残っているのではないでしょうか。真実のエホバの証人であることを、天の法廷の前で自ら示して下さるよう期待しております。

エホバのみ名と王の義のために共に働く

広島会衆

全員が受け取りを拒否し、何の連絡もよこさなかったので、それらの書状を訴状として特別、上訴両委員会の監督たち(藤原兄弟を省く)に送り、同時に会衆全体で嘆願を開始。

1986年1月~3月10日 日本支部への嘆願と確認
「特別、上訴両委員会が真実を擁護し公正な裁きを行なうよう、日本支部として指導してください」との嘆願を7名の支部委員、織田正太郎、杉浦勇、藤本亮介、本間年雄、池端重雄、ジェームス・マンツ、パーシィ・イズラブおよび阿部孝の各兄弟に送る。

特別、上訴両委員会に何の動きもないので、2月16日、日本支部に4人の偽り、偽証に関する訴状を送る。
広島会衆は3月10日まで600通以上に及ぶ嘆願の手紙を送る。

1986年3月12日~12月7日 ブルックリン本部への嘆願と確認
3月12日付けで日本支部に関する訴状をブルックリン本部の奉仕部門へ送る。
その後11月まで嘆願の手紙を出し続ける。

11月6日ついに確認の手紙をものみの塔協会に送った。これは広島会衆にとっても一つの転機となった。というのは、この手紙を送るということは事実上組織への復帰が不可能になることを意味していたからである。

1986年11月6日

親愛なる兄弟たち

本部の皆さんの最終的な判断と決定をお尋ねするために、この手紙を書いています。1986年3月12日付けの訴状を送ってから、すでに8月近くがたとうとしています。十分に時間はあったはずですので、そろそろ取り上げて下さるのか、それとも扱う意志は全くないのか、はっきりしたことを知らせていただきたいと思います。それによって私たちも、右へ行くか左へ行くかを決めたいと考えています。(マタイ5:37;7:16~20)

1986年12月7日まで返答をお待ちします。連絡がない場合は訴えを退けたものと受け取らせていただきます。ただし…今回の問題の内容、及びその性質からして、本部が訴状を扱わず、さらに何の連絡もしない場合には「エホバの天の法廷」の前で、以下に記す点が立証されたものと判断させていただくことにします。

(II歴代19:6、7;詩編82:1)

ものみの塔協会に関し天の法廷の前で立証されること

    エホバのみ名と、その神性を証しすることよりも、「組織の都合」を優先させた。
    「組織」を「Concept Baal」にし、自ら「組織バアル」の崇拝者であることを暴露した。
    神の唯一の組織であると主張しているにもかかわらず、そのidentityを示そうとはしなかった。
    真理、真実よりも「組織論理」を重んじ、真の崇拝のidentityを示そうとはしなかった。
    偽証、偽りを容認することにより、真理の道であるキリストに倣おうとはしなかった。
    霊的パラダイスの監督として、「公正」に特別の注意を払おうとはせず神の義を後ろに退けた。
    出版物では何度も教え、他の人には要求しておきながら、自らそれを行なおうとはしなかった。
    特権の有無、およびその格差により差別をし、公平な扱いをしようとはしなかった。
    真の実態は羊に仕える組織ではなく、羊に仕えさせようとする組織であった。
    都合が悪ければ、誠意を示す点では、この世の良心的な組織よりはるかに劣っていた。

もちろん言うまでもないことですが、本部の皆さんが神の組織、真理の組織としてのidentityを示して下さるなら、この手紙は無意味なものとなります。私たちは、そうなることを心から期待しています。ものみの塔協会に関し、先に上げた点が立証されるとすれば本当に困ったことですし、非常に残念なことです。間違っても、「聖書の権威」より「組織の権威」の方が優れているなどという聖霊を侮るような考え方をなさるはずはないと確信していますが、ものみの塔協会を神の組織として純粋に信じている多くの人々を裏切ることのないよう、是非ともお願いしたいと思います。

真理の神、エホバのみ名が
高く上げられることを願いつつ

1986.12.8.~1987.3.15. 統治体への嘆願と確認
統治体の成員13名、F・W・フランズ(会長)、W・L・バリー(副会長)、A・D・シュローダー、C・W・バーバー、J・E・バー、D・シドリック、G・ギャンギャス、J・C・ブース、C・ジャラズ、M・G・ヘンシェル、M・ポエツィンガー、C・F・クライン、L・A・スィングル、の各人に嘆願の手紙を送り続けた。同時に広島会衆の兄弟、姉妹たちも統治体へ手紙を送る。

1986年12月9日

親愛なる統治体の兄弟たち

今回の事件、およびそれに伴って生じた組織崇拝の問題について、兄弟たちの見解と最終的な決定を知らせていただきたくこの手紙を書いています。

私たちも他のエホバの証人と同様、ものみの塔協会の働きを通して真理を知るようになりました。今得ている理解や知識のほとんどは兄弟達から学んだものです。唯一真の神エホバを知り得たことは私たちにも大きな喜びをもたらしました。そのことを兄弟たちに心から感謝したいと思っています。

皆さんと同じように私たちもエホバ神と真の崇拝を愛しています。神の民の中で真の崇拝が栄え、エホバのみ名が何にも勝って高められるようになるのをみたいと願っています。心を悩ます様々な状況を目にしながらも、私たちはものみの塔協会こそ、そのような神の組織であると信じてきました。しかし、現在のものみの塔協会の状態では…兄弟たちから学んだ真の崇拝のidentityと一体どのように調和させたら良いのでしょうか。

去年の6月に事件が始まって以来私たちが嘆願してきたことは、神の義と真実に基づいて公正に扱っていただきたいということでした。聖書から、そしてものみの塔協会の出版物から誤りが証明されるなら、喜んで悔い改めるので是非教えていただきたいと繰り返し伝えてきました。しかしとうとう何の連絡もなく、会って話し合おうとする人も一人としていませんでした。組織の力で真実を覆い隠そうとする日本支部の態度は、この一年と数ヶ月ついに変わることがありませんでした。どうも私たちは悪臭のごとく忌み嫌われているようで、現在では汚れた人々と呼ばれています。

「組織は拡大しています。拡大はエホバの祝福の証拠です。ですから支部は正しいのです」という主旨の日本支部の主張が再三にわたって伝えられました。集められている人々の質を問題にしなければ私たちもその通りだと思います。しかし、組織の拡大と私たちの裁きはまったく別の問題ではないでしょうか。拡大しているからといって裁きを曲げてよいということにはなりませんし、拡大がバアル崇拝を正当化することもあり得ません。

本部の兄弟たちがどのように考えているのか私たちにはもちろん分かりませんが、結果として何もせず、真実を黙殺し、天の法廷の権威をさえ受け入れようとしないのはいったいなぜでしょうか。胸のすくような仕方でキリスト教世界の偽善を糾弾してきたものみの塔協会が、どうして偽りや偽証、バアル崇拝を正そうとしないのでしょうか。日本支部ならば別に不思議とも思いませんが、本部はまさかそのようなことはないだろうと信じていましたので会衆の全員が少なからず驚いています。

これは明らかにものみの塔協会が出版物で述べていることとは異なっています。人は神の前に平等で真実に基づく公正な裁きを受けることができるとするエホバの証人の教義に反しています。ものみの塔協会の行為はYes means Yes ではありません。組織を高めることはエホバを誉め称えることであると本気で信じているかどうかは分かりませんが、組織崇拝というバアル崇拝を止めようとはしていません。少なくとも現時点ではそのように判断せざるを得ませんし、法的にはそういう結論に達します。

ものみの塔協会はカエサルの認可による法人組織ですから、ものみの塔協会の聖書的必然性は思慮深い奴隷級の代表である統治体に依存していることになります。エホバの民に対するものみの塔協会の権威と権力が統治体からくる以上、この事件とバアル崇拝の問題の最終決定は統治体の兄弟たちにお尋ねする以外にはありません。エホバの組織であるというidentityを天の法廷の前で示すのか、それともそうしないのか、私たちは是非とも知りたいと思っています。

それで、統治体としてのものみの塔協会の今回の事件に関わる行為や態度を承認されるのか、それともそうではないのか、その点を明らかにしていただけないでしょうか。YesかNoかそれだけでもかまいませんので、何らかの返答をお願いできればと思います。兄弟たちの決定をお知らせ下されば幸いです。

真の崇拝を促進して行くため魂を尽くしておられる兄弟たちの上に、引き続きエホバの霊の恵みと導きが豊かにありますように。

クリスチャン愛と共に
北海道広島会衆

1987年1月25日付けで日本支部、および本部の監督たちに関する訴状を統治体に送る
これをもってものみの塔協会、統治体に対する折衝のすべては終了することになった。

1987年1月25日

親愛なる統治体の兄弟たち

皆さんの決定をお尋ねする1986年12月9日付けの手紙を送って以来1ヶ月余りが過ぎましたが、結論はどうなりましたでしょうか。すでに方針は定まっていることと思いますので、ここに日本支部の監督たち、並びに本部の監督たち(奉仕委員会の監督たち、及び関係するすべての監督たち)に関する訴状を送ることに致します。

私たちは統治体がこの訴状を扱うのか、それとも無視するのか、それによって統治体が神の組織の代表なのか、それともそうではないのか、神の組織のidentityを示すのか、それとも示さないのかを問うことにしたいと思います。

言うまでもなくエホバは偽ることのできない神です。そして神の子キリストも欺きを語ることはありませんでした。エホバやキリストはそのような方々ですから、たとえご自分の組織に都合の悪いことであっても、偽りや偽証を容認されることは決してあり得ないでしょう。

では統治体の皆さんはいかがでしょうか。地上においてエホバを代表する方々としてエホバの神性を証明して下さるでしょうか。真のクリスチャンとしてキリスト教の実質とその力を示してくださるでしょうか。ぜひともそうあって欲しいと私たちは願っています。

皆さんにもいろいろとご都合があると思いますが、様々な状況を考慮しますと今回の事件もそろそろ決着をつけるべき、ふさわしい時期にさしかかっているように思います。それで訴状を提出すると同時に、連絡のための最終期限を明示しておきたいと思います。

最終期限は『1987年3月15日』です。

この日を過ぎてなお、何の連絡もなければ、皆さんもこの事件を正すことを放棄したものと受け取らせていただくことにします。

私たちは一年半に渡り証拠を提出して訴えてきました。嘆願のために出した手紙は一千通をはるかに越えています。しかし日本支部、及び本部の監督たちはこのすべての手紙を退けました。それは偽りや偽証が単なる誤解や錯覚によるものではなく明らかに意図的なものであることを証しています。エホバの証人であると唱えながら、意識的に偽りや偽証を黙認し続けることのできる信仰とその良心を考えると、この事態はもはや真のキリスト教からの背教と見なさざるを得ません。それゆえ統治体も、30人の排斥を含む日本支部の偽り、偽証を容認するとすれば、天の法廷において以下の7つの点が統治体に関して立証されたものとみなさせていただくことにします。

    (1) 組織バアルを選ぶことにより、唯一真の神エホバの真の崇拝を退けた。
    (2) エホバの神性に従うことを拒むことにより、神の子の霊を否定した。
    (3) イエス・キリストに倣うことを拒むことにより、キリスト・イエスに付くバプテスマを否定した。
    (4) 思慮深い奴隷級の証しを放棄した。
    (5) 王の律法を守る君としての証しを放棄した。
    (6) 真実を愛さないことにより、光の子の証しを放棄した。
    (7) 聖書論理と組織論理を組織の都合によって使い分ける偽善者であることを暴露した。

もし皆さんが神の義と公正と憐れみに基づいてこの問題を正そうとしなければ、以上の点が「天の法廷」の前で立証されたものと判断させていただくことにします。いかに残りの者といえども聖霊を取り去られてしまえばただの人、いかに統治体といえども聖霊を取り去られてしまえばただの人間の組織にすぎないでしょう。

聖書預言に関する私たちの理解によれば、「エホバの前で事を正す責務を負っているのは、どうしても残りの者を代表する統治体の皆さんであるべきだ」ということになります。(イザヤ41:15)

しかしあえて皆さんが脱穀ソリになることを拒むというのであれば、私たちは真の残りの者、本当の神の子を捜さねばならなくなるでしょう。そしてアブラハムの石ころを試してみざるを得ないということになるでしょうか。どうしてもその道を進まねばならないとするなら、その時にはエホバが必要な力と理解と知恵を与えて下さるものと、私たちは確信しています。

真の崇拝の繁栄とその勝利を祈りつつ
北海道広島会衆

本部の監督たちに関する訴え

(奉仕委員会の監督たち、並びに関係する責任のあるすべての監督たちに関して)

〔I〕偽り、偽証
日本支部の偽り、偽証を容認した。

〔II〕 流血の罪
日本支部による30名の殺人を容認した。

〔III〕 背教
(1) 日本支部の背教を容認するだけではなく、それを支持した。1987年の年鑑p.8には、それが反映されている。
(2) 組織バアルを唱道した。参照:1986年3月~12月までの広島会衆からのすべての手紙
(3) 特権の有無にかかわらず神の義に基づく公正で公平な裁きを受けることができるとする、エホバの証人の教えを自ら行なおうとはしなかった。広島会衆からの訴えを退け、嘆願を無視し続けた。
(4) 真理の書であるみ言葉聖書に対して極めて無責任な態度を取った。新世界訳聖書日本語版の誤訳や問題点について報告し質問したにもかかわらず、何ら返答をよこさなかった。
(1986年7月21日及び同年11月6日付の手紙1987年Y.B.p.8参照)

日本支部の監督たちに関する訴え

〔I〕偽り、偽証
その基準:使徒5:1~6;「崇拝の一致」p.53

(1) SC:SD1985年6月14日付けの手紙の終りには「この手紙の写し:第79巡回区藤原○○兄弟」と記されている。しかし写しでなかったことは藤原兄弟が1985年7月11日の集会において会衆の前でその手紙を朗読した時に明らかになった。
(2) 1985年7月9日、藤原兄弟は突然広島会衆を訪問した。その時、兄弟の提案により訪問の目的を日本支部に電話で尋ねることになった。それで電話したところ、「地域監督としての調査と援助です」との答えを得た。だが広い意味では審理も排斥も援助になりうる。巡回訪問の前、三人の援助者、並びに特別委員会が審理委員会を開くための根拠を捜しているのは明白であったので、援助の意味を限定するため、「それだけでしょうか」と尋ねてみた。なかなか答えようとしなかったが、ついに「調査と援助だけです」と答えた。しかしこの言葉はわずか三日後に覆されてしまった。
(3) 笹山、藤原兄弟は再三に渡り、「私たちは日本支部の指示通りにやっているだけです」と強調した。もしそうだとすれば、支部は偽りや偽証を積極的に支持したことになる。笹山兄弟は、「支部と電話で連絡を取り合っています」と述べていたので、その可能性は極めて高いといえる。加えて日本支部は最終的に、そして法的にA、K姉妹、笹山、藤原兄弟の偽り、偽証を承認した。
(4) 1985年札幌、八戸(はちのへ)地域大会、及びその後の巡回大会において今回の問題に関し真実を曲げて伝えたすべての発言。
(5) 各会衆の長老団へ送られた偽りの手紙。

〔II〕 殺人
その聖書的根拠:ヨハネ第一3:15;

〔証拠〕
(1) 1985年7月12日に日本支部の代表者藤原兄弟は、広島会衆に敵意と憎しみの精神を播き始めた。その後監督たちは現在に至るまでその精神を大いに助長してきた。
(2) 1985年7月15日特別委員会の瀬野兄弟は「金沢兄弟たちと行動を共にすると組織にはもう永久に戻れませんよ」と姉妹たちに述べた。これは日本支部が初めから殺意を抱いていたことを示している。
(3) 公正で義にかなった裁きを求めるすべての声を退け、30名の排斥を決定した。
(4) 根絶宣言、絶滅宣言を出した。
(5) 文書、雑誌を切り、霊的食物を断とうとした。
(6) 転勤の可能性のある姉妹たちが復帰の方法を尋ねたにもかかわらず、何の返答もよこさなかった。
(7) 一千通を越える嘆願を無視した。

〔III〕 背教
定義:エホバの真の崇拝(霊と真理による)やエホバがその献身した民の間にお立てになった秩序に逆らって取られる行動
(KS81Jp.166)

〔その証拠〕
(1) ものみの塔誌の義の裁定について1985年7月9日~14日の巡回訪問で、藤原兄弟は「ものみの塔誌の義の規準」に関する日本支部の裁定を広島会衆に伝えた。要約すると内容は以下の通りである。「終わりを生き残るために必要な救いの規準はバプテスマの規準である。したがって高められたものみの塔の義の規準は新秩序に入ってから行なえば良いものであって、現在はかならずしもそれを行なうよう求められてはいない。それは個人の任意に任されるものであって会衆全体に徹底すべき性質のものではない。もしそうしようとするなら、それは協会の方針に反することであり、背教行為となる」この裁定は以下の理由で統治体の指示に違反している。
(a) 1984年に開かれた王国宣教学校におけるものみの塔研究の監督に対する指示:「ものみの塔研究の監督は可能な限りものみの塔誌の精神を会衆に反映させるべきである」という指示に反している。
(b) A.D.シュローダー兄弟が1985年5月に地帯監督として日本を訪問した時に述べた、王の義、預言の義の話に反している。
(c) 1985年春の巡回大会において長老団に与えられた指示「ものみの塔誌の増し加わる光を会衆に理解させるように」という指示に反している。
(d) ものみの塔誌はその名の通り終わりの日を見張る雑誌であるとされている。ならば、その記事には終わりの日を生き残るために必要な教えが載せられているはずである。今は任意で行なえば良いとするのは、ものみの塔誌の目的と方針に反している。

(2) 審理の扱い方に関する聖書の指示、及び組織の取り決めに従わなかった。
(a) 特別審理委員会は一方的な調査だけで真実を曲げた裁きを行なった。
(b) 1985年7月14日午前の集会で藤原兄弟は「兄弟たちの動機は良かった」と公に認めた。それにもかかわらず、特別審理委員会はその日のうちに排斥を決定した。
(c) 特別審理委員会は一度の呼び出しだけで排斥を決定した。
(d) 復帰の方法を教えてそれを勧めるどころか、多くの姉妹たちに「永久に戻れない、二度と戻れない」と語った。
(e) 審理の聖書的根拠自体を否定して上訴したにもかかわらず、上訴委員会は全く調査しようとしなかった。
(f) 特別審理委員会、上訴委員会の監督たちの中には排斥の理由をよく知らない人もいた。
(g) 排斥決定の聖書的根拠を求めたにもかかわらず、一言の説明もなかった。
(h) 幾人かの親族や研究生を背教者同様に扱うよう指示した。
(i) 社交的交わり以上の親子、親族の交わりさえ禁じる指示を出した。

日本支部は以上のような非聖書的、及びエホバの組織の取り決めに反する審理を行なうよう指示し、かつそれを承認した。

(3) 組織崇拝を唱道し、真の崇拝を退けた。
(a) 組織をバアル化した。
(b) 組織の名において不当な審理を正当化しようとした。
(c) 組織の名において一千通に及ぶ嘆願に耳を貸そうとしなかった。
(d) 「たとえ偽りであろうとなかろうと組織の指示に従っていれば良い」と教え、聖書の権威を組織の権威の下においた。
(e) 「真実を語れば私も背教者とみなされる」と広島会衆の長老に言わせるほど、組織の名の下に真実を覆い隠そうとした。
(4) 偽り、偽証を行ないながらも悔い改めず、不健全な霊で会衆に有害な影響を与えていた姉妹たちの問題を、愛で覆うべきであると教えた。

藤原兄弟の偽り、偽証

その基準:使徒5:1~6;「崇拝の一致」p.53

〔I〕支部への中間報告に関しての偽り、偽証
(1) 出席を拒否した。
私たちは出席を拒否してはいない。会合に出席するようにとの連絡を受けたのは二日前であり、しかもその日は平日であったので仕事の調整を計っていたのである。藤原兄弟は、笹山兄弟から出席を拒否しているという情報を得たと述べたが、それが事実であるなら笹山兄弟の偽証となり、藤原兄弟はそれが分かった段階で調整の報告をしなかったので同罪となる。またそれが事実でなければ藤原兄弟は二重の偽証を行なったことになる。
(2) 時間がないという理由で引き上げた。
会合の時間については、その前日藤原兄弟自身が一時間でもよいので来るようにと勧め、その時間内で集まることが約束されていた。また午後の集まりについては全員知らされていなかった。そのような事実に反して上記の証言をすることによって真実をねじ曲げた。
(3) その後、どなたも会合においでにならなかった。
会合の前日に笹山、桑原兄弟が突然広島会衆を訪問したことや一回目の会合に極めて不審な点があったこと等のため、私たちは「援助であるなら、その目的と性質を明らかにして下さい。そうすれば出席します」と書面で通知してあった。ところがこれに対し、何の連絡もなかったので出席するには至らなかった。この間のいきさつが明らかにされず、会合を拒否しているかのような不真実な報告がなされている。
(4) 極めて不敬な態度を取った。
全員覚えがない。藤原兄弟は私たちがこの会合の目的と性質を確かめようとしたことを不敬な行為とみなしたのかも知れない。しかし真実を知ろうとするのは当然のことであり、冷静に判断するなら、それを不敬とはみなさないはずである。
(5) 笹山兄弟を審理事件として告発したいと連絡を取った。
そのような事実は全くない。私たちは、笹山兄弟には中傷の疑いがあるので、できれば扱って欲しいと告げた。中傷は二段階を踏まなければ審理として扱えないので、笹山兄弟を告発してはいない。藤原兄弟に真剣に扱う意志があれば、マタイ18:15~17の手順を踏むよう指示したはずである。
(6) 1985年7月9日の午後、上記の件について話し合ったが、その際彼は自分の報告が真実ではないことを認めた。その点は7月17日、木曜日の集会での「真実の一かけらぐらいはあったでしょう。3ページも書いたのですから」との発言に示されている。ところが大部分不真実であることを公に、しかも自ら認めながら全く訂正しようとはしなかった。

〔II〕 その他の偽り、偽証
(1) 第一回目の会合の前日において(1985年6月18日)藤原兄弟は1985年6月18日、金沢、柳村兄弟との電話でこの問題に関しては「何も聞いておらず、何も知りません」と述べた。しかし藤原兄弟は会合の二日前にA、K姉妹を呼び出し、すでに問題の調査を行なっていた。K姉妹によるとそれは三時間にも及んだとのことなので、彼はかなりの情報を得ていたはずである。
(2) 第一回目の会合の前日において広島会衆では、集まりの性質を知るために、笹山兄弟を中傷の疑いで扱って欲しいという要望を藤原兄弟に提出した。それに対し藤原兄弟は快く応じたが、それはまったくの偽りであった。I.(5)の項目のとおり、中傷は二段階を踏まなければ、扱えないはずである。事実、私たちが会合で笹山兄弟に質問して、彼が返事に詰まると藤原兄弟は直ちに笹山兄弟を弁護した。そのようにして、実際は少しも扱う意志のないことを示した。
(3) 藤原兄弟は一回目の会合において、出席した兄弟たちに悪霊の噂があるかどうか質問した。全員が「ある」と答えたにもかかわらず、「無い」と答えたとし、その後姉妹たちを何度も呼び出したり、電話をかけたりして、広島で悪霊の噂があるということの裏付けを取ろうとした。しかし巡回訪問の記録調べの時、私たちが藤原兄弟に直接質問すると、「兄弟たちは肯定した」と自ら認めた。それにもかかわらず捏造した事柄の訂正を公に行なおうとはしなかった。
(4) 巡回訪問中の金曜日に姉妹たちとの特別な集まりが開かれたおり、訪問の初日に広島会衆の兄弟たちが「やくざのように迎え、藤原、瀬野兄弟を車の中に押し込めた」と発言した。実際は、敬意を持って迎え藤原兄弟たちの訪問の目的と統治体の裁定について尋ねただけのことである。藤原兄弟は「その点については、よく知らないので支部の阿部兄弟に尋ねるように」と指示した。その間、「私たちは車の中で待っています」と自ら述べたのであって、兄弟たちが押し込めたというのは、はなはだしい偽りである。
(5) 金曜日に姉妹たちのための特別な集まりを設けるに際して、「心を開いて姉妹たちの言い分をすべて聞きます」と言っておきながら、出席した人の名前をすべてチェックしたり、また「話せば話すほど姉妹たちは不利になります」と述べ圧力をかけた。そのようにして真実を聞く心はまったくないことを示した。
(6) 藤原兄弟は訪問中の木曜日に、審理、及び削除の推薦はいらないと述べた。しかし、半日もたたないうちにその発言を覆した。理由についての説明は一言もなかった。

笹山兄弟の偽り、偽証

その基準:使徒5:1~6;「崇拝の一致」p.53

(1) 広島会衆の状況に関して、真実を確かめずに多くの偽りを含む報告を日本支部に送った。
(2) A、K姉妹が笹山兄弟のところに相談に行くであろうことは、会衆としても十分予期していたことである。私たちは笹山兄弟が主宰監督として神権的手順に従って行動して下さるものと思っていた。ところが兄弟からは何の連絡もなかった。A姉妹が研究生に広島会衆を訴えると吹聴し始めたので、宮坂兄弟が笹山兄弟に電話でその確認をした。それに対して兄弟は「訴えるとか訴えないとかいう問題ではない」と語り、すでに日本支部に告発していたことを隠そうとした。
(3) 協会に報告したような事実があるか否か広島会衆を調査して欲しいという、再三の要請に対し「自分にはその権限はありません」と答えていながら、A、K姉妹にテープやメモを取ること、会衆を移動することなど具体的な指示を出し、すでに一方的な調査をしていた。
(4) 笹山兄弟は1985年6月18日火曜日の集会に桑原兄弟を伴って突然現れた。訪問の目的を尋ねられた時、「宮坂兄弟に招待された」と言って、講演の扱い方やA、K姉妹に対する会衆の接し方について観察に来たことをごまかした。宮坂兄弟がその日の集会に招待したという事実はない。
(5) 同集会後、宮坂兄弟が「今日の集会の様子から緊張した雰囲気が感じられますか」と笹山兄弟に尋ねると、「皆さん活発に注解していて良いですね。一部の人以外は緊張していないようですね」と答えて会衆全体が異常な状態ではないことを認めた。ところが支部に送った報告に関する訂正、あるいは撤回を行なおうとはしなかった。
(6) 「G兄弟が押切兄弟だけは信頼のおける兄弟だといっていましたよ」などと目的不明のことを電話で押切姉妹に述べた。事実かどうかをG兄弟に確認したところ、そのようなことは語っていないことが明らかになった。
(7) 1985年6月30日の笹山兄弟の行なった中傷に関する集まりの際、同兄弟は、「もう、これ以上変なことはしません」とエホバの名にかけて明言した。ところが、その約束は一週間もしないうちに破られた。
(8) 広島会衆では、A姉妹の問題を審理問題として扱うかどうか検討中であった。しかし、その間にA姉妹は羊ヶ丘会衆に交わるようになり、笹山兄弟は緊急避難と称して、二人(A姉妹、Hさん)の伝道者カードを羊ヶ丘会衆に移してしまった。そのため、広島会衆ではA姉妹の問題を扱うことができなくなったので、笹山兄弟とその扱いについて協議した。その際、笹山兄弟は「証拠を提出して下されば羊ヶ丘会衆で扱います」と述べたが、A姉妹に関しては一度も証拠を求めようとはせず、またHさんについては万引きの報告があると告げたにもかかわらず、調査しようともしなかった。
(9) K姉妹はA姉妹と共に告発に加わっていた。ところが笹山兄弟はK姉妹に加わってはいないと語るよう指示した。K姉妹はそのことについて監督たちの前で証言してもよいと断言した。

統治体からの連絡はやはりなかった。これで地上における法的係争のすべては終了した。残るは天的レベルにおけるリーガルケースのみとなった。

sk
この事件は極めて重大な事件ではないでしょうか。
それは、ものみの塔協会がアナニアとサッピラのような霊で動かされていることを物語っています。

使徒 5:3-4
3 しかしペテロは言った,「アナニアよ,なぜサタンはあなたを厚顔にならせて,聖霊に対して虚偽の振る舞いをさせ,畑の代価の幾らかをひそかに取っておくようなことをさせたのですか。4 あなたのもとにある間,それはそのままあなたのものだったのではありませんか。そして,売った後も,それは引き続きあなたの管理のもとにあったではありませんか。このような行為を心の中でもくろんだのはどうしてですか。あなたは,人にではなく,神に対して虚偽の振る舞いをしたのです」。

オフライン

#8 2013年02月15日 16:52:51

sk
メンバー

Re: 日本支部

元記事 http://buta.exjw2.org/noukotudo/noukotudo.htm

「一世代」の解釈の変更と墓の建設

「一つの世代」の教理の変更
1995年11月までは、1914年を見た世代が生きている間にハルマゲドンが来て楽園になると教えていた。そのため、死んだ信者はすぐに復活するので遺骨も墓も必要無いとされていたため、真面目な信者は火葬場で遺骨の処分を職員に依頼して手ぶらで帰ってきたわけだが、1914年を見た世代が死に絶えても何も起こりそうもないので、ものみの塔協会はその教理を1995年11月に変更し、その日は突然来るので「いつも目ざめていなさい」としてハルマゲドンと楽園を無期延期にした。


1995年11月の教理変更の発表
1996年05月に千葉大会ホールに納骨堂建立(70-90代の宣教者たちなどのためか)

010.jpg

編集者 sk (2013年02月15日 16:57:09)

オフライン

#9 2013年11月17日 20:39:20

もんもん
メンバー

Re: 日本支部

メキシコの支部を大学生が見学したそうです。公式サイトに書かれてました。

学生たちがエホバの証人のメキシコ支部を見学

どうして、エホバの証人の子供たちには、大学にいかせないような誘導をしておきながら、支部を大学生に見学させているんでしょうか。高等教育は危険と一方でいっていながら、大学生を見学させているというのには、矛盾を感じます。

それと感想に書いてありますけれど、普通の大学生が「この出版所で物事がよく組織されているのが印象的だった」というわけありません。これは、ものみの塔協会の作文ですよ。そこまでして、どうしても「組織」という言葉をいれたいのでしょうか。

オフライン

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