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#176 2019年12月10日 06:50:09

てつてつ
メンバー

Re: 日蓮正宗について

NHK100分で名著大乗仏教 こうしてブッダの教えは変容した

6ページあたり

大乗仏教はお釈迦様直伝の教えではない?

講師 仏教には違いも多いので、このあとは、そのお釈迦様時代のオリジナルの仏教は「釈迦の仏教」と呼ぶことにします。

青年 大乗仏教と「釈迦の仏教」では、発祥年代や、悟りに対する考えに違いがあるというのはわかりました。でも大乗仏教もお釈迦様が作ったものですよね。とすると、根本となる教えは同じと考えてよいのですか?

講師 そこが少々問題なのです。お坊さんの中には「宗派や教えに多少の違いはあっても、目指す山の頂は一つである」とおっしゃる方もおられますが、「釈迦の仏教」と、私たち日本人が信仰している大乗仏教とでは、じつは教義の内容がまるで異なっているのです。もともとあった「釈迦の仏教」にのちの人が手を加え、オリジナルの教えとは別のものとして、日本や中国に伝わったのが大乗仏教だと思ってください。...


講師 もちろんです。ただ歴史的視点で見ると「大乗仏教は、本来の釈迦の教えとは異なる別個の宗教である」ということだけは、最初に理解しておいていただきたいのです


うーんこうなると日蓮正宗は法華経「ウキ大乗仏教の代表的な経典」ですので 一子相伝は日蓮正宗の中のみでの主張になっちゃて「それすら無いと思いますが」 釈迦の時代から一子相伝はおろか釈迦の正しい教えが自分たちの宗派に続いていることすらなく むしろ信者さんが途中から出来た新興宗教である大乗という概念をまるで釈迦の時代からの正しい教えであると思いこんでいるに過ぎなくなってしまいますね cry

編集者 てつてつ (2019年12月10日 07:15:32)

オフライン

#177 2019年12月10日 07:40:03

仰天
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

しかし、日蓮信者の言いぶんでは

阿含経の中に「仏の境界や不可思議などのことは、小乗の知るところではない」との文や、「大乗経は遠大な菩薩たちが用いるものであるから、これらは雑蔵しておこう」


と、小乗の中に大乗の事が述べられているので大乗仏教は正しいとなるわけです。


ですが、増一阿含経は編集や成立年代が長くかかっており後世の付け足しが疑わしいと思います。

それも指摘済みなのですが。

以下、無限ループ。

#178 2019年12月10日 08:06:48

さやか666
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

あのー


いいですか


我慢してましたけど


もう限界

   遠まわしに末日聖徒をディスるのやめろ   






私が毎日どんな思いで

ガーメントを着て

ガーメントを洗濯して

ガーメントを干してるか


隠れた努力をバカにするな

#179 2019年12月10日 10:09:29

ジョエル
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

誰も末日聖徒をディスってはいません

いいがかりはやめてください


我らの主ジーザスは間違いなくパウロに現れ、そして末の日にはかの預言者に現れたのです

別物なんかじゃありません


誰が書いたとか成立年代がどうのとか後代の付け足しがどうのとか原語の解釈がどうのとか、書物宗教の限界と無限ループに嫌気がさした人はイスラム教に改宗してください

#180 2019年12月10日 11:25:55

さやか666
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

これはネタバレを含みます


モハメッドはジョセフスミスのパクリです

大川さんのやり方は割と斬新ですね

日蓮正宗もジョセフスミスの金板みたいなものがあればね、てつてつをギャフンと言わせられるんだけど


なんせ、後発の宗教はヒストリー制作に頭を悩ませるのですよ


既得宗教をぶっ潰すためにさ、みんなで頑張ろ

#181 2019年12月10日 12:39:03

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

てつてつさんに読んでもらいたい記事です。

https://news.nifty.com/article/magazine/12179-492508/2

こちらにミスがない場合ですら、クレーマーから言いがかりをつけられることもある。クレーマーにとっては、「不満があるのでクレームを言い立てる」ことが目的であって実際にミスがあるかどうかはさしたる問題ではない。こちらにミスがなければ、あるように声を上げればいいと考えている。

「ミスはない」といくら説明をしても、「嘘を言っている」あるいは「それが問題ではない」と反論されて議論はいつまでたっても終わらない。

この記事を読んでてつてつさんを思い出しました。
てつてつさんのご不満は何でしょうか。
遁走されたことを渋々御認めになられたことでしょうか。

#182 2019年12月10日 13:01:22

仰天
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

シュウイチさん


最初の会話では、客観的な証拠がある宗教というものはないというような話をされていませんでしたか?

ですから私は日蓮正宗が正しいという主張が本当ならば、死後硬直しない事実や成長し続ける「お肉牙」という確実な証明を示せば証拠になるという事を示してきたのですが、あなたは、のらりくらりと言い逃れをして故意に話を逸らし、


単に「日蓮正宗が正しいのは道理にかなっているからです。」と言い張るのみです。



道理にかなっていると思うのは勝手ですが、証拠がないなら信者が単にそう思い込んでいるというだけの話であり何ら証明されてはおらず、エホバの証人と同レベルの主張ではないかとも言えます。



てつてつさんは疑問に思う点を根拠をあげて述べているのですからクレーマー扱いするのは筋違いであり、シュウイチさんのほうが何の証拠もないのに他宗を否定し、日蓮正宗だけが正しいと言い張っているのですからクレーマーだと思いますが。


自覚はないのでしょうか?

また、日蓮正宗の信徒だけが成仏し死後硬直しないという点や日蓮のお肉牙の話題から逃げ回っている自覚はないのでしょうか?



表面だけ誤魔化して答えたように見せかけている様は、ものみの塔協会同様に非常に不誠実だと思います。



折伏は失敗しているのですし、日蓮正宗が正しい証拠、根拠も出せないのですから撤退したらどうですか?

#183 2019年12月10日 13:07:10

さやか666
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

シュウイチ さんの発言:

てつてつさんに読んでもらいたい記事です。

https://news.nifty.com/article/magazine/12179-492508/2

こちらにミスがない場合ですら、クレーマーから言いがかりをつけられることもある。クレーマーにとっては、「不満があるのでクレームを言い立てる」ことが目的であって実際にミスがあるかどうかはさしたる問題ではない。こちらにミスがなければ、あるように声を上げればいいと考えている。

「ミスはない」といくら説明をしても、「嘘を言っている」あるいは「それが問題ではない」と反論されて議論はいつまでたっても終わらない。

この記事を読んでてつてつさんを思い出しました。
てつてつさんのご不満は何でしょうか。
遁走されたことを渋々御認めになられたことでしょうか。


シュウイチさん何かに困ってるのでしょうか


悶々とするのではなく


答えにくい質問に一つでも答えたらいかがでしょうか

#184 2019年12月10日 13:21:02

さやか666
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

jパンクの雄 ヘイスミスメンバーが食い扶持を稼いでいたのがてつてつさんの工務店であります

ホケのキモイ宗教song支持者が

軽々とクレーマー扱いするのはよろしくないかと


そして、なにより此処は掃き溜め


シュウイチさん島田弁護士の本は隅々までよく読まれましたか?

では

掃溜念経いきますか





1   親と同じ宗教を信じないと地獄に落ちると言われました。

2   親と同じ宗教を信じないと死後硬直すると言われました。

3 これを「因果応報」とか言うそうです。

4  でも地獄は嫌です。

5  死後硬直もしたくありません。

6  嫌です。

7  嫌です。

8  嫌です。

9   でも根拠がないことをボクは信じたくありません。

10   そうシュウイチ父さんに話したら

11 「信じられない根拠を言いなさい」と言われました。


12   さすがのボクでも「こいつ本当のバカなんじゃないか」と思いました。

13  お前がいっぺん、死んで証明してみろ \(肉ω肉)/

#185 2019年12月10日 13:30:50

ラハム
メンバー

Re: 日蓮正宗について

このトピックは最初、てつてつさんが宣言したように
てつてつさんが読んだ日蓮正宗に関しての忘備録だから、
その読んだ内容が正しいとか間違っているだとか、
根拠がどこにあるのだとかいちいち問題にする必要なんてあるのでしょうか。
わたしはないだろうと思っています。
それに、シュウイチさんのご返事を読んでいると、
カルトに影響された人というのは似たような反応をするなあって思いました。

わたしたちもとJWがよく聞かされてきたように
ものみの塔協会二代目会長JF・ラザフォードのとき、
「宗教は金もうけであり、わなである」とプラカードに大きく書いて、
ものみの塔の講演会を宣伝したそうです。
てつてつさんが読んで報告してくださった日蓮正宗の説明も
ラザフォードの時代の宣伝文句通りだったと思いました。

ここまで来てみるとものみの塔自体も「金もうけであり、わな」だったわけです。
どこの組織でも、お金が絡むと汚くなるものですね。
わたしがJWと研究し始めたころ、もう40年以上前ですが、
父が「家で仏壇に向かって拝んでいるのが、いちばん安いんだ」と
言っていたことが、妙に、思い出されるきょうこのごろです…。

オフライン

#186 2019年12月10日 13:39:13

てつてつ
メンバー

Re: 日蓮正宗について

トホホホ NHKの仏教講座の教科書の引用すら悪質クレーマーのクレームですか cry

やっぱりさやかさんのいう通りホケには見え方が違って見えるようです

仰天さん>自覚はないのでしょうか?
また、日蓮正宗の信徒だけが成仏し死後硬直しないという点や日蓮のお肉牙の話題から逃げ回っている自覚はないのでしょうか?

うーん多分ホケウイルスに感染すると脳のそのあたりの部分は死んでしまうのではないでしょうか

>この記事を読んでてつてつさんを思い出しました。
てつてつさんのご不満は何でしょうか。
遁走されたことを渋々御認めになられたことでしょうか。

ハイッ!精神勝利法 トンソー トンソー あんたが大将 kiss

編集者 てつてつ (2019年12月10日 13:53:41)

オフライン

#187 2019年12月10日 17:07:27

てつてつ
メンバー

Re: 日蓮正宗について

日本の宗派に影響を与えた「諸経の王」 法華経

75ページあたり

青年 たくさんお経がある中で、なぜ『法華経』が「諸経の王」と呼ばれるのですか?
講師 そのわけをお話しするには、まずインドから中国への仏教の伝わり方を見ていく必要があります。仏教が中国へ伝わったのはシルクロードが開通する紀元一〜二世紀頃で、「釈迦の仏教」が誕生してから五百〜六百年後のことです。その間、「釈迦の仏教」は南のスリランカには伝来しますが、北方ではずっとシルクロードの門が開くのを待っている状態にありました。そしてシルクロードが開通すると、その頃すでにインドでは大乗仏教が生まれていましたから、中国には、「釈迦の仏教」と大乗仏教という新旧二種類の仏教が一時に流れ込んでいくことになります


そうして数百年の混乱期の間に、中国の人たちは「釈迦の仏教」ではなく、大乗仏教のほうを釈迦の本当の教えとして重視するようになっていきました。「釈迦の仏教」は首尾一貫していますがたいへん厳しい教えですから、万人には向きません。また第1回の講義でも述べたように、後発の大乗仏教は、前の時代の「釈迦の仏教」を下に見るような姿勢で教えを説いていますから、歴史的経過を知らずに読めば大乗仏教こそが本当の釈迦の教えだという思いが湧いてきて当然です。では、どうしてその大乗仏教の中でも「法華経』が特に素晴らしいとされたのか。そこに登場するのが中国天台宗の開祖・智顎「ちぎ」です

智顎は、『般若経』や『法華経』のほか、『華厳経』『維摩経」『阿含経』などの経典を分類・判定して(これを「教相判釈」と言います)、『法華経』こそが釈迦が本当に言いたかった、最も上位の教えであるとしたのです。なぜ智顎が『法華経』を最高位に置いたかと言えば、『法華経』が「誰でも仏になれる」という教えを強く主張したからです。『法華経』の内容については、このあとで見ていきますが、それが朝鮮半島を経由して、聖徳太子の時代の日本にも伝わります。

広く日本に浸透することになったのは平安時代、比叡山延暦寺が開かれたのがきっかけです。もともと比叡山は、最澄があらゆる仏教の教えを統合するものとして『法華経』を位置づけ、このお経を中心に仏教全般を学ぶための〃総合大学″として開いたのが起源です。『法華経』とゆかりの深い日蓮はもちろんですが、浄土宗の開祖・法然、浄土真宗の開祖・親鶯、臨済宗の開祖・栄西(「ようさい」とも)、曹洞宗の開祖・道元らもじつはみんな〃比叡山大学″の卒業生です。

『妙法蓮華経』は二十八の章(品)で構成されています。全体を通して読むと、一部にしか記されていない教えがあったり、前半と後半で教義の内容が食い違っていたりするため、お経のどの部分に注目するかによって解釈が違ってくるのが少々やっかいなところです。日蓮系の宗派は現在、きわめて複雑に分派していますが、分かれた理由の一つは、お経のどの部分に注目したかという解釈の違いです

青年 お経というものは本来、全体で一つの教義を説いたものであるはずですよね それなのになぜ、一つの経典に異なる考えが混在することになったのですか

講師 それはお経の成り立ちに関係しています。『法華経』の発祥については諸説ありますが、おそらくは時代を経る中で少しずつ話が書き加えられて、現在のかたちになったと考えられます。つまり、もともとはシンプルだった教義に、「こんなふうに解釈ができる。あんなふうに拡大してとらえることもできる」と、後世の人の意図が徐々に付け足されていったことで、統一感に欠けた内容になってしまったのです

青年 なるほど。同じ車種でありながらも、後続のニューモデルとして登場したのが『法華経』というわけですね。では、『法華経』には具体的にどんな機能が新しくプラスされているのですか?

講師 まず『般若経』との最大の違いは、『法華経』が「一仏乗」という新たな教えを説いた点にあります。一仏乗とは、一言で言うと「すべての人々は平等にブッダになることが可能である(衆生成仏)」という教えのことです。「乗」とは乗り物のことを指すので、一仏乗は「ブッダになるための唯一無二の乗り物」という意味にとらえておいてください。

青年お言葉を返すようですが、『般若経』でも「すべての人はすでに菩薩であり、やがては誰もがブッダになれる」と考えたはずですよね。だとすると『般若経』も『法華経』も同じことを言っているのではないですか?

講師 じつは『般若経』の場合は、「三乗思想」という考え方をベースにしていて、すべての人が平等にブッダになれるとは考えてはいなかったのです。前回の講義では「三乗」について触れなかったので、ここで改めて説明しましょう。
『般若経』では、悟りを開くためには三つの修行方法(乗り物)があると考えました。一つめは「声聞乗」です。声聞とは「教えを聞く人」という意味で、お釈迦様の教えを聞きながら阿羅漢を目指して修行に励む出家者のことを指します...

この時の五人の修行者に対する初転法輪では、お釈迦様から教えを聞いた五人は、悟りを開いて阿羅漢になったとされています。ブッダになったなどとは言いません。「釈迦の仏教」の話ですから当然ですね。でも、そうなると「弟子たち(声聞)もじつは菩薩であって、最終的にはブッダになれる」という一仏乗の教えが成り立ちません。そこで『法華経』では、この初転法輪は単なる方便であり、お釈迦様は、その後に行われた「第二の転法輪」で真理を説いた、という二段階のストーリーを創作することにしたのです


お釈迦様は三度しつこく尋ねられて、ようやく語ります。「今まで私は君たちに阿羅漢を目指しなさいといって、ブッダになれるとは言ってこなかった。しかし、実際にはすでに過去において君たちはブッダと出会って
いて、菩薩となっているのだ。もしすべての人にブッダになることを目指せと言ったら、愚かで資質のない者は、深遠な考え方に戸惑って混乱してしまうと思ったから、今までは言わなかった。だがそれは真の教えではない。真実は「一仏乗」だけだ。阿羅漢になるのが本当の道ではなく、菩薩としてブッダを目指すのが正しい道なのだ」

いずれにしても、前に存在していた「釈迦の仏教」や『般若経』を無化して、一段上の教えを示すためには、そうやって話を作り変える必要があったわけです。「方便品」には「一仏乗を信じない者は地獄に堕ちる」とまで書かれていますが、こうしたくだりを見ても、『法華経』が「なんとしてでも前に存在したお経を超えなくてはならない」という強い意図を持って作られたものであることがわかってきます。


ちょっと長いページなので興味ぶかそうなところだけ引用しましたが 簡単にいうと 最初の釈迦の教えは出家して働かないで修行して悟りを得ることで輪廻から解脱できるという教えだったみたいですが そのうち出家しなくても悟りを得る方法 さらには阿羅漢「仏よりチョイ下」より上の仏にダイレクトになる方法が考え出されて一番最後に法華経というお経にまとめられたようです

編集者 てつてつ (2019年12月10日 17:43:36)

オフライン

#188 2019年12月10日 17:35:01

てつてつ
メンバー

Re: 日蓮正宗について

91ページあたりから

ただひたすらにお経のパワーを信じなさい

講師 ブッダになるための修行方法は、基本的には『法華経』も『般若経」と同じで、人間として正しい行い(善行)を積み重ねていけば、やがてはブッダになれると考えました。善行の中でも、『法華経』が特に重視したのが「仏塔供養」です。仏塔とはブッダの遺骨を祀るストゥーパのことを指しているので、「お釈迦様の遺骨を供養することが菩薩としての最大の功徳となる」と『法華経』では説いていることになります
しかし仏塔供養が大切だと書かれているのは前半だけで後半になると話が変わってきます。後半には「仏塔供養よりも、『法華経』自体を崇め奉ることこそがブッダになるための一番の功徳である」という言葉が登場してくるのです。このあたりは『般若経」と似ています。『般若経』も、最初はブッダになるためには善行が大切であると説きながら、「経典を読み、書き写すことこそがブッダになるための力になる」という方向に向かっていきましたよね。『法華経』も同じで、最終的には、お経自体にパワーがあり、それを崇めることこそがブッダになるための近道であると説くようになったのです。

おそらく、最初に『法華経』を作った人はお経自体にパワーがあるとは考えていなかったのでしょうが、のちの人が『法華経』を世の中に広めようとして「お経を崇めよ」というブースター(増幅器)を新たに導入したのだと思います。

『法華経』は、経典自身が持つパワーを絶対的なもの、理屈を超えた不可思議なものと位置づけたことで、「空」の概念による理屈づけを跳び越えてしまったのです。「あれこれ考えなくても、このお経を信奉すれば、それであらゆる問題は解決する。このお経を讃えながら暮らすことが、ブッダへと向かう菩薩の道だ」と主張します。その当然の結果として『法華経』では、「絶対的な力が『法華経』にあるのならば現世利益にもつながるはずだ。お経を拝みさえすれば、病気も治るし、豊かな生活も送れるようになる」と考えるようになっていったのです。実際に『法華経』の中には「『法華経』を憶え、読経し、人に説き、写し書きする者は、眼、耳、鼻、舌、身体、心に多くの美点を得る」といった現世利益についての効能書きがはっきりと示されています。

てつてつ>それでただひたすらくりかえしお経をとなえるわけなんですね

青年 すごい話になってきましたね。『法華経』を拝めば、悟りを開いてブッダになれるだけではなく、病気も治るし、美女や美男にもなれてしまう。まさに『法華経』は万能薬というわけですか。現世利益につながるのは有り難いですが、そこまで言われるとなんとなく疑わしくも感じてしまいますね。

講師 『法華経」の絶対的な教えに疑問を抱く人は少なくありません。江戸時代の国学者の平田篤胤は、二法華経』は薬屋に行って薬を買ってきたはいいが、中身を忘れて効能書きだけを持って帰ったようなものだ。何をしたらいいのかについては触れられておらず、『法華経』は有り難い、とばかり言っているではないか」と痛烈に批判しています

『法華経』が「お経を崇めよ」といった裏側には「「法華経」の神秘性を信じて、自分が菩薩であることを自覚しなさい」という悟りへの思いがちゃんと込められているからです。じっさい、『法華経』の信者さんの多くは、『法華経』を広めることが菩薩である自分の仕事と考えています。『法華経』が説く世界をこの世に実現することが、彼らの最大の目的です。

青年 確かに『法華経』と聞くと、布教活動に熱心なイメージがあります。

講師 それが、『法華経』が批判されやすいもう一つの理由ですね。宗教に興味がない人にとっては迷惑な話かもしれませんが、じつはそのような熱心な勧誘の努力も、『法華経』の教えからすれば正しいことなのです。『法華経』では「迫害を受けている状況こそが、『法華経』の正しさの証拠である」と考えます。真実を説くお経は、俗世の愚かな人々の目には邪説のように映って、迫害の対象になるものだと言うのです。日蓮宗開祖の日蓮も数々の法難に遭いましたが、法難に遭うこと自体がお経の正しさを証明しているということが『法華経』の中に害かれています。

青年 それは、嫌がられたり迷惑がられたりすることが、『法華経』信者にとっては一種の功徳になるということですか?

講師 そうです。彼らにとっては「お経に書かれている教えに従っている」という確固たる信念があるので、批判や糾弾をさほど気にしません。

シュウイチさんもきっとこの掲示板で自分は正しいことをしているゆえに迫害 法難にあっているが「特にてつてつのせい」これが仏への道なのだと自らに酔いしれているのでしょうね  ウルウル cry

編集者 てつてつ (2019年12月10日 17:55:13)

オフライン

#189 2019年12月10日 17:46:42

さやか666
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

なんてことはないです、末法ですから


すべて予言が当たっているだけ

日蓮正宗が国教になれば

大日連放送局がNHKにとってかわり

朝から晩まで宗教songを垂れ流します


NHKが存在するしばらくの間、無教養な仏教論をテレビで楽しんでください


てつてつさんはいかにも元エホバですね

#190 2019年12月10日 18:40:37

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#186への書き込みです。

てつてつ さんの発言:

トホホホ NHKの仏教講座の教科書の引用すら悪質クレーマーのクレームですか cry

上記の件、早合点しないで頂きたいと思います。

#181の私の書き込みは、特定の書き込みに対してのものではないので、対応する書き込みの番号を記載致しませんでした。
ですので、上記のてつてつさんの書き込みには該当致しません。


てつてつ さんの発言:

やっぱりさやかさんのいう通りホケには見え方が違って見えるようです

上記の件、てつてつさんの早合点による解釈であり、前提が間違っていますので、該当しない思います。


てつてつ さんの発言:

>記事を読んでてつてつさんを思い出しました。
てつてつさんのご不満は何でしょうか。
遁走されたことを渋々御認めになられたことでしょうか。

ハイッ!精神勝利法 トンソー トンソー あんたが大将 kiss

上記の件、トンソー、とは、遁走、のことでしょうか。豚走、では意味が通じませんから違うと思っております。

#191 2019年12月10日 18:58:43

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#98への書き込みです。

てつてつ さんの発言:

ちょっと検索していて 面白い言葉見つけました


「社会学者の西山茂氏」

(日顕の過去の発言「法主の指南に背いて唱える題目には功徳が無い」を受けて)

上記の件、「法主の指南に背いて唱える題目には功徳が無い」は当たり前です。では、「法主の指南に背いて唱える題目には功徳がある」との日蓮大聖人様の御指南があるのでしょうか。日蓮正宗の御本尊には「代々の聖人悉く日蓮と申す意なり」との意味があると以前にも書きましたが、これもお読みになられておられない様ですね。


てつてつ さんの発言:

(法主について)その正当性の根拠を事物や歴史的事実に置いている為に、

上記の「事物」は主観以外のほぼ全ての物事が対象になり、当たり前のことだと思います。
逆に「その正当性の根拠を事物や歴史的事実に置いている」以外とは何でしょうか。物事に該当しない根拠とは何でしょうか。


てつてつ さんの発言:

それを否定する側の説得力のある 批判に直面しても冷静な論理的論争を行えず、

上記の件、「その正当性の根拠を事物や歴史的事実に置いている為にそれを否定する側の説得力のある 批判に直面しても冷静な論理的論争を行えず」等と主張している時点で論理的ではないと思います。


てつてつ さんの発言:

ただ信仰の次元から、彼等を「邪宗教」「謗法不信の輩」と一方的に断ずることしか出来なくなってしまうという問題を宿命的に抱え込むことになる。その意味で、伝統的な石山 教学は、板本尊と血脈とを盾にとった権威主義的な「印籠教学」であると云うことも出来よう。

上記の件、「一方的に断ずる」とは具体的にどの様な事でしょうか。


てつてつ さんの発言:

「花野充道氏」

まことに適切な解説である。他の大宗団が、大乗非仏説などの問題を契機として、信仰と学問とを分離する方向で教学の近代化を成し遂げたのに対して(日蓮正宗においても、進歩的な日亨上人や日達上人によって、その方向で教学の近代化をはかる努力がなされたこともあったが)、

「日蓮正宗においても、進歩的な日亨上人や日達上人によって、その方向で教学の近代化をはかる努力がなされたこともあったが」とはどの様なことでしょうか。


てつてつ さんの発言:

第六十七世法主・日顕上人は、安易な原理主義にたって、教学の近代化の問題に正面から取り組むことを拒否し、中世の信仰世界(宗学)に閉じこもる孤立の道(現代の学問研究を否定する異端自閉の道)を選択された。

「教学の近代化の問題」とは何でしょうか。
勝手に問題を作っておられるのではないでしょうか。

#192 2019年12月10日 19:13:47

仰天
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

シュウイチ さんの発言:

日蓮正宗の御本尊には「代々の聖人悉く日蓮と申す意なり」との意味があると以前にも書きましたが、これもお読みになられておられない様ですね。


さすがは元創価。

創価学会の考えや解釈を引きずっての都合のいい私的解釈。


下記のページから一部を転載


法華講においても、代々の法主の内証を拝し、その指南を通して大聖人を拝し奉るところの本宗の師弟相対の本義の上から、特に法主の内証を尊崇すべき発言があります。しかし、それと学会が論難する「法主即大聖人」や「法主本仏」などとは、筋道も意義も異なるのであり、そのようなことは全く宗門には存在しておりません。
存在していないにもかかわらず、さも存在している如く誣告するのが、創価学会の卑劣なやり方であります。


第八項 『御本尊七箇相承』に関する邪難、ならびに『一期弘法付嘱書』中の「国主」を池田大作とする誑言を嗤う - 日蓮正宗 正林寺 掲示板
https://blog.goo.ne.jp/shourinzi47320/e … 76a89f2fc2

#193 2019年12月10日 20:17:05

てつてつ
メンバー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#186への書き込みです。

てつてつ さんの発言:
トホホホ NHKの仏教講座の教科書の引用すら悪質クレーマーのクレームですか cry

上記の件、早合点しないで頂きたいと思います。

#181の私の書き込みは、特定の書き込みに対してのものではないので、対応する書き込みの番号を記載致しませんでした。
ですので、上記のてつてつさんの書き込みには該当致しません。



了解しました 申し訳ありませんでした

でも多分すぐにこの件に関しても コンキョー コンキョー と言い出すと思うのですが 苦情のほうはNHKお客様センターにでもお願いします cry

編集者 てつてつ (2019年12月10日 20:18:52)

オフライン

#194 2019年12月11日 00:37:42

iris
メンバー

Re: 日蓮正宗について

てつてつさんが紹介してくださった、別冊100分de名著の集中講義「大乗仏教」はとてもわかりやすいのでお勧めです。

キリスト教の聖典は聖書しかありませんが、仏教のお経は時代を経るにつれてどんどん増えて膨大な数になっています。宗派によって重視するお経が違うために、教えも違います。
私は学生時代に、キリスト教だけでなく仏教も勉強してからキリスト教か仏教かを選ぼうと思っていたのですが、仏教の全体像をつかむのが難しすぎて挫折しました。

その頃にこの本に出会っていたら、キリスト教でなくて仏教を選んでいたかも?
同じ別冊100分de名著の集中講義「旧約聖書」も面白いですよ。てつてつさんはもうポチっていらっしゃるかもしれませんが。

オフライン

#195 2019年12月11日 00:52:09

iris
メンバー

Re: 日蓮正宗について

うめおばさん

私に初めて聖書のことばを教えてくださったのは小学校1年のときの担任の先生でした。幼いときの出会いの影響は大きいですね。キリスト教については何も知りませんでしたが、よくわからないながら「神さま」にお祈りすることが心の支えになりました。

キリスト教について知りたくて、20代になって実家を離れてからいろいろな教会を訪ね、図書館で調べたりもしました。キリスト教会とものみの塔の区別もついていませんでしたから、そのころにJWの姉妹の訪問を受けていたら、私もJWになっていたかもしれません。

その後カトリック教会で洗礼を受け、1年生のときの先生にお礼の手紙を書きました。先生は私たちの担任を終えたあとすぐに、公立小学校の教員を辞めて結婚され、御夫婦でプロテスタント教会を始められたと伺いました。25年ぶりくらいにお会いしたら、私の受洗をとても喜んでくださいました。

「凡てのこと相働きて益となる」とローマの信徒への手紙8章28節にあります。プロテスタントの幼稚園との出会いも、命を救ってくださった姉妹との出会いも、ものみの塔の組織から離れたことも、最終的にはうめおばさんにとって益となるように計らわれているのかもしれません。感謝して生きておられるとのことですから、きっとよい人生だったと振り返ることができるのではないかと思います。
辛いことも多い人生ですが、お互いに頑張りましょう。

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#196 2019年12月11日 06:34:57

てつてつ
メンバー

Re: 日蓮正宗について

irisさん>私は学生時代に、キリスト教だけでなく仏教も勉強してからキリスト教か仏教かを選ぼうと思っていたのですが、仏教の全体像をつかむのが難しすぎて挫折しました。

その頃にこの本に出会っていたら、キリスト教でなくて仏教を選んでいたかも?
同じ別冊100分de名著の集中講義「旧約聖書」も面白いですよ。てつてつさんはもうポチっていらっしゃるかもしれませんが。


すごいです仏教も学ばれたんですね

旧約の100分は ポチってないですがアマゾンみるとアンリミテッドで無料で読めるようになってましたのでまた読んで見ます kiss

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#197 2019年12月11日 06:53:02

てつてつ
メンバー

Re: 日蓮正宗について

仰天さん 書き込みありがとうございます リンク先みますと

>「代々の聖人ことごとく日蓮なり」(御本尊七箇相承)とあるから、代々の法主を大聖人と仰がなければならない。...


というのは学会が以前にいったことで


...それと学会が論難する「法主即大聖人」や「法主本仏」などとは、筋道も意義も異なるのであり、そのようなことは全く宗門には存在しておりません。

と書いてありますが シュウイチさんの主張とどちらが正しいのでしょうか?


あと身内の出している本にそう書いてあるから正しいというのは根拠が弱すぎると思います シュウイチさんもエホバの証人の信者の方が自分たちの出している本に自分たちの統治体が正統な支配権があるなんて書いてあっても信じないのと同じだと思います 相手を納得させるつもりならそれ以上の根拠が必要だと思います

編集者 てつてつ (2019年12月11日 07:18:00)

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#198 2019年12月11日 07:02:31

てつてつ
メンバー

Re: 日蓮正宗について

てつてつ さんの発言:
トホホホ NHKの仏教講座の教科書の引用すら悪質クレーマーのクレームですか cry

上記の件、早合点しないで頂きたいと思います。

#181の私の書き込みは、特定の書き込みに対してのものではないので、対応する書き込みの番号を記載致しませんでした。
ですので、上記のてつてつさんの書き込みには該当致しません。



では♯176に自分が書き込んだ

講師 そこが少々問題なのです。お坊さんの中には「宗派や教えに多少の違いはあっても、目指す山の頂は一つである」とおっしゃる方もおられますが、「釈迦の仏教」と、私たち日本人が信仰している大乗仏教とでは、じつは教義の内容がまるで異なっているのです。もともとあった「釈迦の仏教」にのちの人が手を加え、オリジナルの教えとは別のものとして、日本や中国に伝わったのが大乗仏教だと思ってください。...

講師 もちろんです。ただ歴史的視点で見ると「大乗仏教は、本来の釈迦の教えとは異なる別個の宗教である」ということだけは、最初に理解しておいていただきたいのです

という主張についてはシュウイチさんはどうお考えですか? この通りだとすると一子相伝もそれによるブッダの正しい教えが変わることなく現代まで引き継がれていったというシュウイチさんの主張が間違いだということになるのですが cry

編集者 てつてつ (2019年12月11日 07:02:56)

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#199 2019年12月11日 07:42:24

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#100への書き込みです。

てつてつ さんの発言:

この書き込みは#13への書き込みです。
てつてつ さんの発言:
日顕以前のころは適当に各末寺で調達して売ってたみたいですね

上記の件、具体的に記載して頂けませんでしょうか。
記載できないのであれば、取り消しして、謝罪をお願い致します。

申し訳ありません 若干表現まちがっていたようです cry
日顕宗を切る3
173ページ。

土井 そうですよ、御本尊はすべて法主によって開眼していたなどとよく言えたものです 私は、宗門の御本尊に関する一切の事務を取り扱う、内事部第三課に勤務していたことがあるので、実態は全部知っています。詳しくはまたお話ししたいと思いますが、表具屋さんから届いた御形木御本尊を所化が箱詰めし、それをたくさん棚に並べておいて、ただ、末寺の注文に応じて発送していくだけですよ。そこに日顕による開眼など私の知る限りやっていませんでした。

上記の件、最後の最後に「私の知る限り」と保険をかけておられますね。自信が無い様にお見受け致します。

また、「私は、宗門の御本尊に関する一切の事務を取り扱う、内事部第三課に勤務していたことがあるので、」と事務に対することしかご存じないように見受けられます。事務所で開眼してないから開眼してない、との論調でしょうか。それならとても面白いと思います。


てつてつ さんの発言:

大橋
それに、御本尊は、すべて総本山ではなく、昔は各末寺でそれぞれ違う御形木御本尊が下付されていたのですからね。

小倉
宗内僧侶なら誰でも知っていますよ。いまどき、日顕宗はよくこんな嘘を平気でつけますね。

上記の件、「昔は」御法主の御許可のもとに行われたことは事実であり「宗内僧侶なら誰でも知っています」と思います。間違えないで頂きたいのは、御法主の御許可のもとに行われたのであり、末寺が勝手に行ったわけではありません。


てつてつ さんの発言:

あと 日蓮正宗には法主のみが本尊を書写する権利があり それ以外の本尊は存在しないという主張のようですが 現実には少なからず存在するようです

日蓮正宗の神話  本尊権の貫主独占という神話の虚構
に詳しく書かれていますので一読をお勧めします

一例初期の法主以外の本尊

上記の件、「それ以外の本尊は存在しないという主張 」はしておりません。何をご覧になられてその様な勘違いをされたのでしょうか。

#200 2019年12月11日 07:54:59

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#105への書き込みです。

てつてつ さんの発言:

てつてつ さんの発言:
御本尊の功徳についても、法主の允可や開眼とは一切関係ない。
御書に「信心の厚薄によるべきなり」(日女御前御返事)、法華経にも「以信得入」(書嶬品)とあるように、御本尊の功徳はその人の信心によって決まり、信力・行力に応じて、仏力・法力が顕れるのである。草創期以来、多くの学会員が御本尊の功徳を受けてきたのも、その人たちが広宣流布のために懸命に信心に励んできたからである。逆に、御本尊を受けても、真剣に信心しなければ、功徳がないのは、いうまでもない 31ページあたり

上記ですが、日蓮大聖人様は以下のように、開眼、が必要であることを御書きになられております。

木絵二像開眼之事
「法華を心得たる人・木絵二像を開眼供養せざれば家に主のなきに盗人が入り人の死するに其の身に鬼神入るが如し」

日蓮大聖人様の御金言すら無視するのですね。



上記の 木絵二像開眼之事についてですが


日蓮正宗の神話  275ページあたり を見ますと

結局、大石寺宗門における「木絵二像の開眼」とは曼茶羅本尊の開眼を指すのではなく、御影、画像、数珠の類の開眼供養を意味するように思われる。宗門における開眼供養の化儀の原則について、(表②)に整理しておいたので参考とされたい。
そもそも開眼供養とは、仏・菩薩像などの「眼を開く」儀式を言い、一般には「魂を入れる」という意味で用いられる。仏・菩薩像を本尊とすることが多い日本仏教では、各宗派が開眼の儀式を設け、とりわけ真言宗の「印・真言」による開眼が日蓮の在世中に盛んだった。日蓮自身は「木像画像の開眼供養は唯法華経にかぎるべし」含本尊問答抄』、全集366・定本1575)等と述べ、法華経の力による開眼を強調している。草木である木像・画像の仏界を顕現させるには、国士世間の成仏が説かれた法華経の一念三千による以外にない。日蓮の意はそこにあった。

...と考えると、大石寺門流の人々は、信仰対象とする曼茶羅本尊の文字自体に本仏の魂が本然的に具わっている、と信ずるべきであろう。そして、そのゆえに宗門では、あくまで曼茶羅本尊によって木像・画像の開眼を行うべきなのである。〃法主の祈念により初めて文字曼茶羅に本仏の魂が宿る〃とする現日蓮正宗の主張は、日蓮の「法華の文字」即「仏の御意」という思想に反している

とありますので シュウイチさんの属する団体では日蓮大聖人のお言葉をそのように解釈しているだけのことかと思います

上記の件、「あくまで曼茶羅本尊によって木像・画像の開眼を行うべきなのである。」とありますが、「曼茶羅本尊」の御前で行われております。何も知らずに勝手な思い込みで書かれた記事のように思えます。

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