#101 2019年12月04日 09:53:04
#102 2019年12月04日 10:02:50
- さやか666
- ゲストユーザー
Re: 日蓮正宗について
>法主、の何が悪いのでしょうか。
教義の正邪を決めるのは御法主であらせられます。うーん かなり循環論法だと思います
循環とか言わないで下さいよ
これはね、許してあげましょうよ
そしてシュウイチさんは思いのまま発言されればいいんですよ
教義が嫌なら他所行くなり 自分で宗教作るなり自由なのですから
法主が何のために新興宗教のボスになってるかよく考えてください
#103 2019年12月04日 10:55:40
#104 2019年12月04日 11:05:03
- さやか666
- ゲストユーザー
Re: 日蓮正宗について
了解しました 8.(
大勝利~
#105 2019年12月04日 15:58:56
- てつてつ
- メンバー
Re: 日蓮正宗について
てつてつ さんの発言:
御本尊の功徳についても、法主の允可や開眼とは一切関係ない。
御書に「信心の厚薄によるべきなり」(日女御前御返事)、法華経にも「以信得入」(書嶬品)とあるように、御本尊の功徳はその人の信心によって決まり、信力・行力に応じて、仏力・法力が顕れるのである。草創期以来、多くの学会員が御本尊の功徳を受けてきたのも、その人たちが広宣流布のために懸命に信心に励んできたからである。逆に、御本尊を受けても、真剣に信心しなければ、功徳がないのは、いうまでもない 31ページあたり
上記ですが、日蓮大聖人様は以下のように、開眼、が必要であることを御書きになられております。
木絵二像開眼之事
「法華を心得たる人・木絵二像を開眼供養せざれば家に主のなきに盗人が入り人の死するに其の身に鬼神入るが如し」
日蓮大聖人様の御金言すら無視するのですね。
上記の 木絵二像開眼之事についてですが
日蓮正宗の神話 275ページあたり を見ますと
結局、大石寺宗門における「木絵二像の開眼」とは曼茶羅本尊の開眼を指すのではなく、御影、画像、数珠の類の開眼供養を意味するように思われる。宗門における開眼供養の化儀の原則について、(表②)に整理しておいたので参考とされたい。
そもそも開眼供養とは、仏・菩薩像などの「眼を開く」儀式を言い、一般には「魂を入れる」という意味で用いられる。仏・菩薩像を本尊とすることが多い日本仏教では、各宗派が開眼の儀式を設け、とりわけ真言宗の「印・真言」による開眼が日蓮の在世中に盛んだった。日蓮自身は「木像画像の開眼供養は唯法華経にかぎるべし」含本尊問答抄』、全集366・定本1575)等と述べ、法華経の力による開眼を強調している。草木である木像・画像の仏界を顕現させるには、国士世間の成仏が説かれた法華経の一念三千による以外にない。日蓮の意はそこにあった。
...と考えると、大石寺門流の人々は、信仰対象とする曼茶羅本尊の文字自体に本仏の魂が本然的に具わっている、と信ずるべきであろう。そして、そのゆえに宗門では、あくまで曼茶羅本尊によって木像・画像の開眼を行うべきなのである。〃法主の祈念により初めて文字曼茶羅に本仏の魂が宿る〃とする現日蓮正宗の主張は、日蓮の「法華の文字」即「仏の御意」という思想に反している
とありますので シュウイチさんの属する団体では日蓮大聖人のお言葉をそのように解釈しているだけのことかと思います
編集者 てつてつ (2019年12月04日 18:05:23)
オフライン
#106 2019年12月04日 16:16:13
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: 日蓮正宗について
まだやってたのですね。仏教の話。
#107 2019年12月04日 16:18:09
#108 2019年12月04日 16:24:46
- 仰天
- ゲストユーザー
Re: 日蓮正宗について
てつてつさんはよくやっておられると思いますよ^_^
なのでバトンタッチはパスで(笑)
#109 2019年12月04日 16:37:46
#110 2019年12月04日 16:50:20
- てつてつ
- メンバー
Re: 日蓮正宗について
これはシュウイチさんの立てたトピの♯81についてです
シュウイチさん>ですが、「総別の二義」をご存じでしょうか。
「日蓮又日本国にして此の法門を弘む。又是には総別の二義あり。総別の二義少しも相そむけば成仏思ひもよらず。輪廻生死のもとゐたらん」(御書 P.1039)
と、付属には「総別の二義」があり、正しく理解しなければ(仏教の目的である)成仏はできない」と御指南されております。
上記を踏まえますと『生死一大事血脈抄』の上記の部分や「総じて日蓮が弟子檀那等自じ他た彼ひ此しの心なく、水魚の思ひを成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱へ奉る処を、生死一大事の血脈とは云ふなり」(御書 P.514)は「総じて」の意味であり、日蓮大聖人様の仏法を信じる全ての人に対してのものであります。
しかし、『一期弘法抄』では、「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。(乃至)血脈の次第 日蓮日興」(御書 P.1675)と「別して」日興上人御一人だけに対してです
つまりシュウイチさんの意見では二箇相承(にかそうじょう)があるから日蓮正宗 大石寺を興した日興だけが日蓮からの正統な跡継ぎだよとのことですが
ウキを見ますと
二箇相承(にかそうじょう)とは、1282年(弘安5年)、日蓮が、弟子の日興に宛てたとされる二通の書。二通をまとめて二箇相承といい、もともとは重須本門寺(北山本門寺)に伝えられたものであるが現在は日蓮の真筆は共に無く、写本のみが京要法寺、富士大石寺、西山本門寺等に伝えられている。またさまざまな異本が存在する。
というわけで 最初の1通がシュウイチさんのいう「 一期弘法抄」と呼ばれる手紙で日興に跡目をゆずるみたいなことがかかれているわけですね しかし
身延相承は日付が9月13日になっているが、元祖化導記には9月8日に身延沢を出発したとあり13日にはすでに身延山に日蓮は居ないことになる。この日付のずれから二箇相承は偽書であるとの指摘がされている。
などの偽書説もあり
また ただ日興のみ一人が相承したという日興門流の主張は、他の日蓮各派は認めていない。
ともありますので真偽はわからないみたいで 日蓮正宗内でのみ通用する論議のようです というわけでまたまた一子相伝が怪しくなってきました
追伸 先のウキの中には
1489年(延徳元年)、日教は「六人立義破立抄私記」を著し、その中に二箇相承を引用している。
とありますが 多分これがブルーギル日教の教えかと思います
日蓮正宗の神話 60ページあたり
日教は、...『六人立義破立抄私記」(富要4144)では二箇相承の全文を引用・紹介し、「加様なる御禅り余所に有らぱ詮無き事也、然るに余所にはなき也」(富要4144)等と記しながら、日興が日蓮の正嫡たるゆえんを二箇相承の存在に求めている。
...したがって、日蓮から日興への二箇相承を大々的に取り上げ、その全文を引用しながら権威づけた文献は、大石寺門流では長享二(一四八八)年の左京日教『類聚翰集私』(富要21314)をもって噴矢とする。二箇相承の権威を前面に立てて日興正嫡を主張する動きは、日教が帰伏する前の石門流にはなかった
編集者 てつてつ (2019年12月04日 17:56:50)
オフライン
#111 2019年12月05日 08:09:00
- てつてつ
- メンバー
Re: 日蓮正宗について
シュウイチさんにお聞きしたいのですが 正宗発行の 創価学会ニセ本尊破折をみますと
134ページ
したがって宗門七百五十年の歴史において、御法主上人以外の僧侶が、たとえ高徳、博学、能筆の方であろうとも、御本尊を書写したということはありません。
とありますが 本当でしょうか? もし本当だとすると創価学会がまだ一緒だったころ1000万人くらいの信者さんがいたようですが それだけの数の本尊を法主一人で書写したのでしょうか? 自分は物理的に不可能だと思うのですが
編集者 てつてつ (2019年12月05日 08:12:29)
オフライン
#112 2019年12月05日 08:18:38
- シュウイチ
- ゲストユーザー
Re: 日蓮正宗について
この書き込みは#49への書き込みです。
87ページあたり
左京日教は、大石寺門流における本尊書写を付法の貫主のみの特権と考えた。『化儀抄』に「末寺に於て弟子檀那を持つ人は守をぱ書くべし、但し判形は有るべからず本寺住持の所作に限るべし」「漫茶羅は末寺に於て弟子檀那を持つ人は之を書くくし判形をば為すべからず云云、但し本寺の住持は即身成仏の信心一定の道俗には判形を成さるる事もあり、希なる義なり」(富要1171)とあるごとく、九世・日有は、平僧の判形書き入れを禁止するという条件を付けたうえで、末寺住職の自由な本尊書写を認めた。
上記に「末寺住職の自由な本尊書写を認めた。」とありますが、根拠を教えて下さい。無いと思いますが。
ところが、日有の晩年にその門下となった日教は、〈条件付きの自由な本尊書写〉を容認した日有とは対照的に、〃本尊書写は大石寺の貫主一人に限る〃と強く主張したのである。日教は大石寺に帰伏する前、長らく京都・住本寺系の僧だった。この住本寺を開基した日大は『尊師実録』の中で「富士門跡は付弟一人之を書写し奉るべき由、日興上人御遣誠也」と記している。元々、京都の尊門には「付弟一人書写」の思想があった。その思想を日教が受け継いだものと考えられる。...
日教は他門からの横入僧である。本来から言えば、大石寺門流は日有『化儀抄』が説く〈条件付きの自由な本尊書写〉観を継承すべきだったと言えよう。だが、十二世・日鎮以後の大石寺貫主は、日教の相承主義から多大な影響を受けた。そのため、近世の石門では〈貫主一人の本尊書写〉という日教の思想の方が主流化する。
上記に
「この住本寺を開基した日大は『尊師実録』の中で「富士門跡は付弟一人之を書写し奉るべき由、日興上人御遣誠也」と記している。」
と第二祖の日興上人の頃からただ御一人、と著者自身も書いてあります。ですから、最初からただ御一人だけです。
#113 2019年12月05日 08:22:11
- さやか666
- ゲストユーザー
Re: 日蓮正宗について
あの一澤帆布も疑わしい遺書をもって銀行マンの長男が登場しましたが
今ではちゃんと叩き上げの三男さんがブランドを取り戻しましたね
いつの時代、どんな業界でも心の闇に打ち勝てずに安易な行動を起こす輩はいますよ
#114 2019年12月05日 08:27:18
- さやか666
- ゲストユーザー
Re: 日蓮正宗について
三男さん率いる職人さんたち、昔からのブランドラベルを使えない時期がありました
騒動を知らない人はですね
すっかり騙されて長男さんの会社の商品を買ってしまったらしいです
https://www.ichizawa.co.jp/info/
一澤帆布の経営権を巡る騒動では、皆様に大変ご心配をおかけいたしました。また、その節は、皆様からあたたかい励ましや、たくさんの応援をいただきました。どれほど有難く、心強く思ったことでしょう。本当にありがとうございました。
今でも「ごたごたしていたらしいけど、どうなってるの?」「お店は何軒?」などと、お客様に尋ねられます。お蔭様で2009年に裁判で逆転勝利が確定し、一度は出ることになった店舗も私たちの手に戻り、「一澤帆布製」のラベルも使えるようになりました。そして、父(信夫)の弟、一澤恒三郎(96歳)を筆頭に、大変な時期に私についてきてくれた一澤帆布時代からの職人70名と共に2011年4月に元の店舗に戻りました。現在「信三郎帆布」「信三郎布包」「一澤帆布製」の3ブランドで、一澤帆布の時代と変わらぬモノ作りに励んでおります。(※詳しい経過は「ブランドヒストリー」をご覧ください)
#115 2019年12月05日 08:48:51
- さやか666
- ゲストユーザー
Re: 日蓮正宗について
#116 2019年12月05日 08:56:24
- シュウイチ
- ゲストユーザー
Re: 日蓮正宗について
これは#51への書き込みです。
三大秘法
ウキによると三大秘法(さんだいひほう)とは、日蓮が説いた、末法の人々を救うための根本となる教えで、
本門の本尊
本門の戒壇
本門の題目
の3つからなる そうです しかし解釈は日蓮正宗と日蓮宗では異なるようですでは日蓮正宗でこの三大秘法を宣伝し始めたのは誰でしょうか
日蓮正宗の神話 74ページあたり
こうしたことから、大石寺門流では日有の代まで、三大秘法を掲げてそれを宗旨の根本に位置づける動きはなかったと推察される。では、三大秘法を大石寺の根本教義として自覚的に規定した最初の人物は誰なのか。文献上は、これまた左京日教である。日教は石山帰伏の後、「本門三箇の秘法を土代として諸御書当家の信の法門を成立すべきなり」(『穆作抄』、富要21250)「此の三箇の秘法は当宗の独歩なり」(同前、富要2-257)「此の三箇の秘法余流に存知無き」(『類聚翰集私』、富要2-313)「本門三箇の秘法は寿量品の文底に秘し沈め給へり」(同前)等と述べ、他門が知らない寿量品文底の「三箇の秘法」を「当宗」の法門の「土代」とすべきことを盛んに鼓吹した。...
また、かって住本寺系の僧だった日教に、中古天台の「略伝三箇の大事」を日蓮の三大秘法と結びつける発想があったという点も見逃せない。略伝三箇の大事とは、中古天台における「広伝四箇の大事」(一心三観・心境義・止観大旨・法華深義)の中の第四の「法華深義」より開いた「円教三身」「常寂光土義」「蓮華因果」の三つの大事のことである。日教は『類聚翰集私』の中で、中古天台の三箇の大事と当家の三大秘法との差異について論じ、「右台家には円教三身・常寂光士・蓮華因果を三箇大事とし、当家には本門教主釈尊・本門戒壇・南無妙法蓮華経の広宣流布あるべき事の三箇の秘法と申すなり」(富要2-320)と述べている。このような、中古天台の教義と対照する形での三大秘法の宣揚の仕方は、八品派の日隆等にもみられるが、左京日教も石山帰伏の前に様々な所で修学を重ねるうちに身に付けたのであろう。かくのごとく、日教は大石寺に改衣する前から三大秘法を日蓮教学の根幹とみる立場を固め、帰伏後はそれを富士門流内でも主張していったのである。ならば、日教が三大秘法を「当宗の独歩」=大石寺独自の秘法としたゆえんはどこにあったのか。この問題に関しては、日蓮から日目へ三大秘法が「唯授一人」で相承された、とする伝説を日教が堅く信じていたことを知る必要があろう。「耳引法門」と呼ばれる話がある。日蓮は池上での入滅に際し、日目を呼んで三大秘法を唯授一人相承し、さらにこの秘法を日興の臨終時にその耳元でささやくように命じた。それを聞いて羨んだ日朗は、日目の耳を強く引っ張った。これが日教の説く耳引法門伝説の大筋であり、彼はその話を『穆作抄」(富要2-257)「類聚翰集私」(富要2-313)『四信五品抄見聞』(富要4-52)の中で紹介している。日寛が書き留めた耳引法門の内容とは多少の違いがあるが、こうした話については、近代宗門の堀日亨が「日目上人系の諸山が日目上人を尊重するあまりの伝説である」と語ったという。
上記は「では日蓮正宗でこの三大秘法を宣伝し始めたのは誰でしょうか」から始まりますが、宣伝、とはどの様な意味でしょうか。
また、著者は日教のファンなのでしょうか。何でも日教にからめたいようですが。
あと「日寛が書き留めた耳引法門の内容とは多少の違いがあるが、」の違いを知りたいです。
追伸
あとこの本の後ろの方で筆者は三大秘法の内容は今日ではすべて文書として公開されているので秘密でもなんでもなくまた法主だけではなく誰でもこれを読んで学ぶことができるということを述べています
自分の感想ですが法主だけがこの秘密の奥義を理解して信者に教えることができるという自分の権威を主張するのは 一般の人にもわかりやすい聖書翻訳をして僧職者階級の憎しみを買ったウイリアムティンダルの例みたいです
ティンダルに対する敵がい心は,ある高位僧職者と対面した際,その僧職者が,「教皇の法がなくなるぐらいなら,神の律法のない方がましだ」と述べたことにも表われています。これに対しティンダルは,次のような印象的な言葉で返答します。『私は教皇もそのすべての法も退ける。もし神が私に命を長らえさせてくださるなら,多年を要せずに,鋤引く牛馬を駆る少年をしてあなた以上に聖書を理解させてみせよう』。
こういう人たちにとっては自分の権威 権力を守ることが最優先事項で理由付けはどうでも良いのだと思います
いくら平易に解説してもそれを独自に解釈する人は現れます。
また、時代によって言葉の意味も変わります。
てつてつさんは色々な聖書をお読みになられているようですが、これらの事を感じたことは無いのでしょうか。
#117 2019年12月05日 10:41:48
- てつてつ
- メンバー
Re: 日蓮正宗について
この書き込みは#13への書き込みです。
てつてつ さんの発言:
日顕以前のころは適当に各末寺で調達して売ってたみたいですね
上記の件、具体的に記載して頂けませんでしょうか。
記載できないのであれば、取り消しして、謝罪をお願い致します。
♯100にも書きこみしましたが それのオマケです
日蓮正宗の落日の真因 30ページあたり
日寛上人の御本尊授与に慌てた宗門
平成五年九月、学会が日寛上人の御本尊の授与を決定すると、日顕が新たに持ち出してきたのはニセ本尊という言い掛かりだった。御本尊が学会で授与されることになると、日顕は信徒脅しの最後の〃切り札″を失うことになる。何が何でも阻止しなければならないと、慌てたのは日顕だった。このため日顕は、〃御本尊は法主の「允可」「開眼」が必要だ、ところが学会の御本尊はそれを受けていない、だからニセ本尊だ″と難癖をつけたのである。しかし、これはまったく根拠のない話で、私の妙光寺時代の体験を語るだけで簡単に破折できる、幼稚なものだった。今日のように、時の挽下の御形木御本尊を下付するようになったのは、日達上人の時代になってからで、昔は、各末寺ごとにその寺に縁のある歴代上人の御形木御本尊を下付していた昭和二十年代、私が在勤していた品川の妙光寺では、初代以来、歴代住職のほとんどが五十五世日布上人の系列だったため、日布上人の御形木御本尊を下付していた。折伏が進み、日布上人の御本尊がなくなると、池袋・法道院で印刷していた日寛上人の御形木御本尊を分けてもらい、下付するようになった。他の末寺も同様で、日顕がいうような〃法主の允可″〃法主の開眼″などまったくなく、法道院から直接御本尊を送ってもらい、それを下付していたのである。日顕の代になって、大石寺内事部に第三課がつくられ、御本尊取り扱いの窓口は法道院からこの第三課になったが、御本尊の印刷・表装は外部の業者が行ない、大石寺に納入されたものをそのまま末寺に送っていたのである。もちろん、日顕の開眼などなかった 当然のことながら、御本尊の功徳についても、法主の允可や開眼とは一切関係ない。
編集者 てつてつ (2019年12月05日 11:38:56)
オフライン
#118 2019年12月05日 11:32:43
- てつてつ
- メンバー
Re: 日蓮正宗について
あとちょっと 正宗と学会の本尊の違いをみていたのですが
日蓮正宗の正しい本尊は、「日蓮正宗宗規」第三条に「本宗は、宗祖所顕の本門戒壇の大漫茶羅を帰命依止の本尊とする」と、明確に定められている「本門戒壇の大御本尊」です。
とかかれていました ネットみるとこれですかね
この説明みますと
日蓮正宗では、本門戒壇の大御本尊は、1279年(弘安2年)10月12日宗祖所顕と伝えられ、宗祖の出世の本懐(ほんがい)宗祖所顕の曼荼羅の中でも究境の大曼荼羅と位置づけ[3][4]、帰命依止の本尊と定める[5]。熱原の法難を契機として日蓮の命により日法が彫刻したとされる[6][7]。
対して日蓮宗はこの立場を取らず日蓮死後の後世に制作されたとし、論争の種になってきた
とまたまた真偽が定かではないようです
あと創価学会が正宗から破門されてから本尊としたのが 栃木県浄圓寺にあった26世日寛上人の書写した本尊「こっちは本物のようです」の写真をとってそれを元に作ったもののようです
あと学会の言い分は当人の信心がより大切なのであって本尊はその助けみたいな感じのようです
それに対して正宗は 正宗の本尊 血脈の正しさ 教えを守ってこそ仏となれるみたいな感じのようです
まあ自分にとっては日蓮の教え自体を信じていませんので別にどちらでもいいですし 多分両方とも印刷されているものですので 効果は同じくゼロだと思いますが 「正宗のは法主様の念「怨念かも」がこもっているらしいですが 」
あとこうした一連の資料読んで感じたのは
カトリックとプロテスタントの争いと似ているなーと感じたことです
irisさんゴメンネー
カトリックは教皇とその権威を主張し プロテスタントはその制度の腐敗に疑問をいだき聖書と個人の信仰が大切と主張している
正宗は法主とその権威を主張し 学会はその制度の腐敗に疑問をいだき御書「日蓮の本で日蓮関連の宗派にとっては聖書と同じくらい重要」と個人の信仰が大切と主張しているみたいな感じかなと思いました
編集者 てつてつ (2019年12月05日 21:33:25)
オフライン
#119 2019年12月05日 11:46:31
#120 2019年12月05日 13:08:35
- てつてつ
- メンバー
Re: 日蓮正宗について
創価学会のニセ本尊破折 62ページあたり
なぜ学会で授与する本尊がニセ本尊なのですか
答え
例えば、精巧なカラーコピーの機械で、紙幣をコピーして「お札」を作製するとします。いかに本物の「お札」と見分けがつかなくても、そのコピー札はニセ札」であり、それを使えば法的に罰せられます。
なぜかといえば、
①正式な政府の許可がなく、
②日本銀行から発行されたものではなく、
③自分で勝手に作ったものだからです。
ニセ本尊』はこれと全く同じ道理です。
①御法主上人の許可を受けず、
②総本山から下付されたものではなく、
③学会が勝手に作製したものだからです。
学会では「自分たちが和合僧団だから、その資格がある」と主張しますが、一体その資格は、どなたから受けたのでしょうか。御歴代上人の中で、創価学会に相承された方などおられません。もし「広布を願う一念があれば資格が備わる」などというのならば、誰でもいつでも勝手に本尊を作ることができることになり、大聖人の仏法は混乱し、滅亡してしまうでしょう。ニセ札は法律で罰せられますが、『ニセ本尊』は仏法破壊の大罪として、必ず仏罰をこうむるのです。
と書かれていました これを読んでこの文のいいたいこととはちょっと違いますが 自分が思ったことはまさしく本尊は金になりお札を印刷するのと同じことだと思いました
一例 日蓮正宗没落の真因 48ページあたり
さらに重大なことは、御本尊を御供養集めに使っていたことである。本来、御本尊は信仰の根本であり、拝むためにあるが、いつの間にか大石寺では、賞与御本尊を謝礼として出すから御供養をするように呼び掛けるようになっていた。例えば、私の所持している「御守御本尊」は六十世日開上人が認めたものである。脇書には「宗祖大聖人第六百五十御遠忌壱万幅之内」とある。昭和六年の大聖人六百五十遠忌の時に、御供養をしたお礼である。日布上人や日応上人も同様のことを行なっているが、本山に金がなく、何か記念事業を行なう折に、このように賞与御本尊を授与する形で資金集めをしていたのである。お金のために御本尊を授与したと言われても仕方のない実態だった。
日蓮正宗の神話 330ページ
また建前上は信心が決定し、不退転の決意が固まった者にのみ授与される「常住御本尊」に関しても、実際には、まるで供養の返礼のごとく簡単に授与されてきた歴史がある。とくに経済力のある檀家は、歴代貫主の常住本尊を何体も所持することが当然になっている。彼らは、家の当主が変わったり大石寺の貫主が交代したりする度に、常住本尊の下付を願い出る。今でも古い檀家たちは、常住本尊を受けるための供養を「つけ届け」と称し、「常住御本尊は十万円が相場」などと言い合っているという。その結果、素封家の旧信徒は多くて数十幅の常住本尊を巻いた状態で「御本尊箱」に納め、骨董品扱いしている有様である
とあるように本尊を印刷して渡して ご供養「お金」をもらうというのはまさしくお金を印刷するのと正宗にとっては同じ意味がり それを学会が勝手にやりだしたり 本尊自体にそれほど意味がないなどとブランドの価値をさげるようなことをされたらこんな紙切れ一枚印刷するだけで10万円にもなるオイシイ商売上がったりになっちゃって 坊主まるもうけできなくなるわけで そりゃマジキレしますよね
編集者 てつてつ (2019年12月05日 13:58:50)
オフライン
#121 2019年12月05日 16:55:32
- さやか666
- ゲストユーザー
Re: 日蓮正宗について
あんまり勤行するとシュウイチさん元気がなくなるから、お休みしています
てつてつさん、調教について理解してください
再度掲載しますよ
『どうやって、イルカに芸を調教しているのか?』
同じ人間であり、同じ日本語と言う言語を話せる日本人同士ですら人に何かを教えると言う事は至難の技だ!
それを・・・
言語はもちろん!
種族すら異なるイルカに芸を教えるとは、どうやっているのか見当も付かなかった!!
そして、その答えが・・・
『教えると言うか・・・待つだけですよ!ずっと待って、ジャンプした時に餌を上げる!これを続けているとそのうち、ジャンプをすれば餌がもらえる事に気が付くようになるんです。それが出来る様になれば、犬笛を吹くなどのアクションを合わせるとそのうち笛を吹くとジャンプする様になるんです。
#122 2019年12月05日 17:00:44
#123 2019年12月05日 18:02:29
- さやか666
- ゲストユーザー
Re: 日蓮正宗について
自信がないのかジャンプはまだ早いですね
今の所、本質から逃げた黒文字投稿しかしません
警戒心だけは一丁前に備えたイルカさんです
きっと、過去の苦い経験があるのですよ
いくら法主にハッパをかけられても
無理なものは無理なのです
#124 2019年12月05日 19:09:13
- シュウイチ
- ゲストユーザー
Re: 日蓮正宗について
この書き込みは#57への書き込みです。
シュウイチさん 本の題名も出ていますので ご自分で購入されるか図書館などで読まれて確認
その上で反論があるならその根拠を自由に書き込みされたら良いと思います
どの書き込みかわかりません。
どの書き込みに対しての書き込みか分かるように、番号を書いて頂けませんでしょうか。
#125 2019年12月05日 19:23:36
- さやか666
- ゲストユーザー
Re: 日蓮正宗について
ナンバリングが好きですね
やなこった
ここでシュウイチスタイルを普及させるのは越権行為であります
コミュニケーション能力を養う練習です