ログインしていません。

#251 2019年12月14日 17:20:19

さやか666
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

めぐママ さんの発言:

てつてつさん      お疲れー!
ユーリさん お久しぶりです。 

その通りですね。 ありがとうございます。

禅の言葉  莫妄想(まくもうぞう)  と読む。
www.youtube.com/watch?v=VMjelE4Lj7Y

とても良い事を 教えてくださいます。



困りました、「まくもうぞう」これはいい言葉ですね

シュウイチさんも頑張って皆さんの励みとなるメッセージ伝えましょうね


あと、「ホケのお肉を話題にしたら皆にバカにされる」というのもつまらない妄想です







白昼夢を生きがいとしてる私としては、いつの日か禅宗を叩きのめさなければならないな

という執着も囚われ

#252 2019年12月14日 17:31:31

さやか666
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

がっかりだシュウイチお盆やってんのかよ、盆踊りはホケダンス?


起源調べが好きなエホバさん

クリスマスも乾杯もしませんが

結婚指輪や口紅はOKとか



あー いまさら盆をやめるのは輸血解禁くらい勇気いるな

#253 2019年12月14日 22:57:31

シュウイチ
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

この書き込みは#131への書き込みです。

てつてつ さんの発言:

この書き込みは#34への書き込みです。

てつてつ さんの発言:
こんなにもある珍妙な相承

死活とは只事ではないが、これは現実離れしたオカルトというよりも、ほとんど喜劇的な相承伝説である。第十四世の日主上人は、上野(群馬県)館林城主の血を引くとされ、十三歳から十三世・日院上人の直弟子であった。伝説によると、日主上人危篤の知らせを受けた代官の寂日坊が、栃木県の蓮行寺に駆け付けたが臨終に間に合わず、日主上人はすでに息を引き取った後であったという。これでは代官による預かり相承とはいえ口頭で相承することはできない。「唯授一人の血脈」は断絶してしまうところが、死亡して床に横わっていた日主上人は、寂日坊が入室するとガバッと生き返り、相承を無事に終え、ふたたび死んだという。むろん後世に提造された話だろうが、「法水潟瓶」「血脈相承」の伝統を守るためには系譜が途切れてはいけない。そのために死人まで生き返らせてしまったのである。このような話を作り出さなければならないほど、すでにこの当時、「血脈相承」に神秘性をつけ加え、権威を持たせる必要があったのである。

死んだ人が生き返って相承してまた死んだなんて話ですが さやかさんがソッコー食いつきそうな話ですね kiss

上記の件、日蓮正宗が主張しているのでしょうか、その「死活相承」を。であれば、どこに記載されているのか教えて頂けませんでしょうか。

また、上記の引用の続きには以下の記載があるのではないでしょうか。

「法主詐称」より

「日主上人にまつわる根強い死活相承の伝説に対して、大正十二年四月号の『大日蓮』において堀日亨上人は、今までの死活相承は後世の捏造であったと論評している。」

法主詐称自体でも日蓮正宗が「後世の捏造」としていることを記載されておりますね。てつてつさんはどうして記載されなかったのでしょうか。てつてつさんに都合が悪いからでしょうか。

つまり、日蓮正宗の伝説でもなく、著者自身も「ほとんど喜劇的な相承伝説」であり「むろん後世に提造された話だろうが」との認識の得体の知れないお話、ではないでしょうか。


てつてつ さんの発言:

でも原理主義者のシュウイチさんはこれを真実だと受け取るのでしょうね cry

上記を日蓮正宗が主張しているのでしょうか。
確認致しますので、どこに記載されているか教えて頂けませんでしょうか。どこにも記載されていないことをここには書きませんよね。


てつてつ さんの発言:

リンク先には

宗門には『家中抄』『続家中抄』という私家版の歴史書がある。『家中抄』は第十七世日精上人が寛文二年(一六六二年)に、また、「続家中抄』は四十七世日量上人が天保七年(一八三六年)に著したものだ。この中にはさまざまな相承の形が記録として残っている。通常の相承ばかりでなく、長期間の断絶、少年僧のような若年貫首を便宜的に就任させる稚児相承、あるいは在家相承、死活相承など、時代や当時の社会状況を背景にいろいろな相承が記録に残っている。もちろん、真偽が定かでないものもあるが、現宗門執行部が金科玉条としている「唯授一人の血脈」が少なくとも宗門史の史実を踏まえないまやかしの暴論であることがよくわかる。

とありますので リンク先などをよく読んでから質問していただけるでしょうか あとこれ以上はご自分で 家中抄 というものをお調べください

上記の件、まず、てつてつさんご自身は家中抄などを調べたのでしょうか。今回もまた、書籍に書いてあるから正しい、と判断されたのでしょうか。

上記に「リンク先などをよく読んでから質問していただけるでしょうか 」とありますが、リンク先に死活相承の詳しいことなど記載されておりません。「よく読」む事ができません。どの様にしたら、良く読める、のでしょうか。

上記では「死活相承など、時代や当時の社会状況を背景にいろいろな相承が記録に残っている。」とありますが、てつてつさんが意図する内容の記載が無いので「あとこれ以上はご自分で 家中抄 というものをお調べください」と遁走を再開されたのですね。

自分から私に聞いておきながら、肝心の根拠は自分で確認してください、とはとても愉快な「喜劇」ですね。

#254 2019年12月15日 00:25:19

さやか666
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

初めて解答しましたね

このニュアンスだとシュウイチさんは公式、非公式を問わずホケのホメオパシーといいますか、世代交代用のゾンビパウダーを疑いの目で見ておられますね


つまり信心に揺らぎがあるわけです

当時のミーハー信者の戯言にしておきましょう




いいよねコスプレと老人同士の口移しおしゃべり


ごっこ遊び


よくあるじゃないですか、懐古主義


ゴルフ場で半ズボン

エアコンのついていないような車で集まって

レトロなファッションを楽しむ



家族に迷惑かけないでね

#255 2019年12月15日 07:31:58

てつてつ
メンバー

Re: 日蓮正宗について

シュウイチさん>上記の件、まず、てつてつさんご自身は家中抄などを調べたのでしょうか。今回もまた、書籍に書いてあるから正しい、と判断されたのでしょうか。

家中抄は調べておりません このように書籍に書いてあるということです

>上記に「リンク先などをよく読んでから質問していただけるでしょうか 」とありますが、リンク先に死活相承の詳しいことなど記載されておりません。「よく読」む事ができません。どの様にしたら、良く読める、のでしょうか。

これはシュウイチさんの 「上記を日蓮正宗が主張しているのでしょうか。確認致しますので、どこに記載されているか教えて頂けませんでしょうか」という質問に対してリンク先で 宗門には『家中抄』『続家中抄』という私家版の歴史書がある ということがかかれておりその中に死活相承のことが書かれているようです と意味で「リンク先などをよく読んでから質問していただけるでしょうか 」といったつもりです


>また、上記の引用の続きには以下の記載があるのではないでしょうか。
「法主詐称」より
「日主上人にまつわる根強い死活相承の伝説に対して、大正十二年四月号の『大日蓮』において堀日亨上人は、今までの死活相承は後世の捏造であったと論評している。」法主詐称自体でも日蓮正宗が「後世の捏造」としていることを記載されておりますね。てつてつさんはどうして記載されなかったのでしょうか。てつてつさんに都合が悪いからでしょうか。

リンク先にはそこの部分も全部のっていますのでちゃんと読めばわかると思いますが

>堀日亨上人は、今までの死活相承は後世の捏造であったと論評している。


ここの部分は

伝説によると、日主上人危篤の知らせを受けた代官の寂日坊が、栃木県の蓮行寺に駆け付けたが臨終に間に合わず、日主上人はすでに息を引き取った後であったという。これでは代官による預かり相承とはいえ口頭で相承することはできない。「唯授一人の血脈」は断絶してしまう。ところが、死亡して床に横わっていた日主上人は、寂日坊が入室するとガバッと生き返り、相承を無事に終え、ふたたび死んだという。むろん後世に提造された話だろうが、「法水潟瓶」「血脈相承」の伝統を守るためには系譜が途切れてはいけない。そのために死人まで生き返らせてしまったのである。このような話を作り出さなければならないほど、すでにこの当時、「血脈相承」に神秘性をつけ加え、権威を持たせる必要があったのである。
面授相承を重視するあまり、「面授は本当にあったのだ、その証拠に…」と、怪しげなというよりも滑稽極まる「死活相承」まで作り出したのである。日主上人にまつわる根強い死活相承の伝説に対して、大正十二年四月号の『大日蓮』において堀日亨上人は、今までの死活相承は後世の握造であったと論評している。

とあるとおり筆者も創作だろうといってます また堀上人も創作だろうといっていることは宗門内にそのような言い伝えが存在していることは認めているということかと思います あとこれを否定すると一対一で面と向かっての相承はなかったことになるとおもうのですが だからこそ生きかえったという話を作らなければならなかったわけですから cry 
でもまあこれ以上は調べようがないと思います

編集者 てつてつ (2019年12月15日 09:24:06)

オフライン

#256 2019年12月15日 08:22:14

さやか666
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

シュウイチ、法主ゾンビについてコメントしたことは評価してやるよ


でもな、テメエが弱気になったから

てつてつが調子乗ってるよ

墓穴掘ってどうするんだ

日蓮正宗には凄い粉薬あるだろ

粉薬の効用について説明しろよ

#257 2019年12月15日 09:21:15

仰天
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

てつてつ さんの発言:

しかし、読者は彼の死の理由を知っている。イエスの死の直後、垂れ幕は真二つに裂け、百人隊長が信仰告白をするのだ。裂けた垂れ幕は、イエスの死によって、ユダヤ教の祭司が神殿に生贄を供えなくとも、神が人々の手の届く存在になったことを暗示している。イエスの死は續罪をもたらしたのだ『マルコ十章四十二節を参照)。そしてこのことを瞬時に悟った人間がいた。それはイエスの近しい信奉者やユダヤ人の見物人ではなく、イエスを十字架に架けた張本人である異教徒の兵士だった。イエスは死をもって救済をもたらし、そのことに気づくのは非ユダヤ教徒なのだ。このような記述は、イエスが死んだときに、「本当は」何が起きたのかということについての公平無私な描写とは言えない。これは、物語形式の神学なのである。

まず、神学というのは作り話だというてつてつさんや他の批評家の前提があり、垂れ幕が裂けるなんて有り得ないという前提、聖書中の不思議な現象、奇跡等はないという考えを元にして公平無私な描写とは言えないとしているわけですから、それこそ公平無私な態度ではないと言えるのではないでしょうか。




てつてつ さんの発言:

>事実と異なる事をまだ多くのイエスを直接知る人々が存在している時に広めたとするのは無理があると私は考えます

今でこそネットなどを用いて情報が早く伝わりますし真偽も確かめやすくなっていますが 当時はそのようなものはありませんし筆者がありのままの実際に起きた事実を書き綴ろうとしたものなのかはわからないと思います

てつてつさんは、使徒行伝とパウロ書簡の相違点について、バート・D・アーマンのパウロが嘘をつくはずはないからパウロ書簡のほうが正しいと書いた資料を載せていませんでしたか?


パウロは、コリントの信徒への手紙一/ 15章 3〜8節で、
「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、 葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、 ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。


次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。

次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。 」

と、自分の前に五百人の兄弟たちや使徒にも復活されたイエスが現れたと述べています。

多くの目撃証人は生存していて、その中のある者はパウロや他の人の直接知る人物または間接的に知っていた人でしょう。

パウロは、復活は確かな事であると述べているわけで、ネットなどなくても目撃証人の多数はまだ生きているわけですから話を詳しく聞いて調べる事もできます。

事実と異なる事をパウロが述べていたなら、イエス処刑後にどういう事があったのか知っている人なら反論している事でしょう。しかし、そのような反論はなく、実際に多くの目撃証言があり、イエスを見捨てて逃げて行って隠れていた臆病な弟子たちが突如変えられて死を恐れずに大胆に復活のイエスを伝えたのです。
パウロ自身も大きく変えられています。それをどう説明しますか?





てつてつ さんの発言:

>事実ではなく作り話のために嘘と知りながらなぜ1世紀のクリスチャンが命をかけて従ったのかという問題です。

ちょうど大乗仏教の本を読んでいるところですが 浄土真宗ではナミアミダブツととなえるだけで極楽浄土へいけると信じて一向一揆などに参加して死んだ信者さんも多いとのことですので イエスキリストを信じれば天国にいけるとだけ信じて殉教した人も多いかもしれません また 聖書批評学などもありませんので当時の信者さんが「事実ではなく作り話のために嘘と」は思っていなかったかもしれません 

沈黙の映画でも拷問にあわされて殺されていった大勢の人が描かれていますが彼らがどこまで教理を理解していてそうしたかはわかりません


ジョセフ・スミスに付いて行った人のように他の者がついた嘘の為に、嘘を信じて死んだ人はもちろん存在します。

しかし、自分のついた嘘の為に、嘘と知りながら死ぬというのは極めて不自然です。

使徒たちでさえ、当初はイエスの復活は信じてはおらず、婦人たちの話を疑いました。

つまり彼らは何でも信じやすい人々ではなかったのです。
しかし、復活の主に出会い変えられました。

イエスの復活を目撃したという人々は多数存在し、捕らえられ拷問され殺されると知っていながらも信仰を棄てませんでした。

不利な状況になった時に自分や愛する家族や兄弟たちを護る為に、嘘をついていたのなら「すみません、実は復活というのは嘘でした。」と話せば自分も他の人も助かったわけです。

パウロもそうです。

なぜイエスの弟子たちは自ら自分が不利になる道を選んだのかという事です。



てつてつ さんの発言:

>田川建三さんの書物としての新約聖書のP271〜272を見ても本文批評家でも様々な見解に分かれていて定かではありません

すなわち、パウロの有名な「回心」の物語。熱心なパリサイ派ユダヤ教徒だったパウロは、ダマスコスに居るキリスト教徒を弾圧しようとして、そこに出かけて行った。その途中で、炎天下、多分日射病でも起こしたのだろうか、幻覚症状を起こす。つまり、パウロのつもりでは(またその伝説を信奉した使徒行伝の著者などのつもりでも)、そこで「生けるキリスト」に出会い、その声を聞いた、というのである(九・一’九)。この話、かなりな程度伝説化されているので、もちろんそのまま信用するわけにはいかないが、話の基本の枠は事実であろう。近頃のドイツの神学者の多くは、ある種の反動で、使徒行伝に書いてあることは何でも嘘であるとみなす傾向があり(「学説」というよりは信仰に近い)、そのせいで、この話についても、パウロはこの時ダマスコスに行こうとしていたわけではない、などと主張する人がいるけれども、そこまで否定するのはとても無理である

みな状況証拠などからの推測なので仕方がないと思います


そうですよね。「推測」ですよね。信じる人は状況証拠から信じられると判断し、信じない人は逆の状況証拠から、同じ信じない批評家の説を信じるわけです。否定派の人は、これこれこういった理由から真相はこうではないかと物語を作るわけですが、それもその人の作った物語でありどちらも証拠がないと言えるでしょう。

エホバの証人の場合でも、クリスチャンは皆エホバの証人だったとか、キリスト教会は新約聖書からYHWHを取り除いたなどと物語を作るわけですが何の証拠もないのと同じだと思います。


てつてつ さんの発言:

残念ながら現在の自分は聖書とは人間の組織が自分たちの信仰に都合のよさそうなものを集めて一つにしたものだと思っていますので それだけ読んでいればそのように感じて当然かと思います

てつてつさん個人がそう思われるのは自由だと思いますが、

「組織」が自分たちの都合のいいように集めたという事ですが、上に書いたように使徒たちもパウロも五百人以上の弟子たちも、何一つ都合のいい状態にはならず、むしろ自分や愛する家族までも不利になる状況ですが、どのように思われますか?

#258 2019年12月15日 11:19:03

てつてつ
メンバー

Re: 日蓮正宗について

仰天さん書き込みありがとうございます仕事してますのでこの返事はまた後程したいと思いますが ジャンヌダルクは神様の声を聞いたと言われてますが本当だと思いますか?

編集者 てつてつ (2019年12月15日 11:19:59)

オフライン

#259 2019年12月15日 11:37:59

仰天
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

てつてつさんとしてはパウロや他の聖書の登場人物の奇跡的体験も神の声を聞いたと主張する他の例と同じく信憑性が低いものとみなしたいのでしょうが、新約聖書以降、またはキリスト以降に預言者が出現して新たな教えや啓示を与えるとは書いていませんので新約聖書で完結していますから、

ジャンヌダルクや他の神秘的体験、モルモン教のような新たな教典等は、
「聖書外体験信仰」であって疑わしいと思います。

しかしながら、ジャンヌダルクが何らかの声を聞いた可能性までもは完全否定はできません。
(万が一何か聞こえたとしても神からのものではないでしょう。)

イエスの弟子たちの証言はイエスの言われた事と調和しており、パウロの体験も使徒から承認されていますので信憑性は高いと考えます。

神の声を聞いたという日本の新宗教、または聖書否定の霊媒のスウェーデンボルグなどの体験はイエスの言葉とも聖書とも調和しない聖書外体験信仰です。

#260 2019年12月15日 15:24:14

ほい
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

仰天さん

私もジャンヌダルクが神様の声を聞いたというのは、嘘でないなら本人の思い違いではないかと思います(もちろん真相は誰にも分かりませんが)。
てつてつさんが言わんとしているのは、「自分のついた嘘の為に、嘘と知りながら死ぬというのは極めて不自然」という仰天さんの推論に対して、多くはないとはいえ、史実にはそういう人も少なからずいるということを示されたのではないでしょうか(てつてつさん、間違ってたらすみません)。

別トピでakameさんもメサイアコンプレックスなどについて述べておられますが、人間とは時に不条理な行動をとるものです。
また、基礎的な教育を受けていない人というのは、物事を安易に二極化する傾向があります。
私は途上国で義務教育を受けていない人たちと何年にもわたり接してきましたが、どうしても白か黒か、敵か味方かで考えてしまい、それ以上の深い考察ができない人が本当に多いです。

ですので、現代の日本人の感覚で当時の状況を理解しようとすると、とんだ思い違いをしてしまう可能性があります。


あと、聖書というものは、最初から一冊の「聖書」として書かれたわけではなく、後世に複数の書き物をまとめて編纂したものですので、その中では一定の筋が通った記述になっていることは何の不思議もありません。
筋が通っているからといって、聖書の記述が史実どおりであることや、物語として脚色されたものではないということの根拠にはなり得ません。

聖書の記述が全て史実通りで正しいものという前提で推論することは、信仰としてはありなのかもしれませんが、少なくとも論理的で客観的な推論とは言えないのではないでしょうか。

#261 2019年12月15日 16:46:30

仰天
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

ほい さんの発言:

仰天さん

私もジャンヌダルクが神様の声を聞いたというのは、嘘でないなら本人の思い違いではないかと思います(もちろん真相は誰にも分かりませんが)。
てつてつさんが言わんとしているのは、「自分のついた嘘の為に、嘘と知りながら死ぬというのは極めて不自然」という仰天さんの推論に対して、多くはないとはいえ、史実にはそういう人も少なからずいるということを示されたのではないでしょうか(てつてつさん、間違ってたらすみません)。

別トピでakameさんもメサイアコンプレックスなどについて述べておられますが、人間とは時に不条理な行動をとるものです。
また、基礎的な教育を受けていない人というのは、物事を安易に二極化する傾向があります。
私は途上国で義務教育を受けていない人たちと何年にもわたり接してきましたが、どうしても白か黒か、敵か味方かで考えてしまい、それ以上の深い考察ができない人が本当に多いです。

ですので、現代の日本人の感覚で当時の状況を理解しようとすると、とんだ思い違いをしてしまう可能性があります。


あと、聖書というものは、最初から一冊の「聖書」として書かれたわけではなく、後世に複数の書き物をまとめて編纂したものですので、その中では一定の筋が通った記述になっていることは何の不思議もありません。
筋が通っているからといって、聖書の記述が史実どおりであることや、物語として脚色されたものではないということの根拠にはなり得ません。

聖書の記述が全て史実通りで正しいものという前提で推論することは、信仰としてはありなのかもしれませんが、少なくとも論理的で客観的な推論とは言えないのではないでしょうか。

時として不条理な行動を取る人もいるというのは誰も否定していませんけど?

自分一人でついた嘘を最後までつき通す人がいるのは当然です。自分の何らかの益のために。


しかし、私の挙げた例は、個人的な体験ではなく同時期に多くの人達にイエスが現れ、その目撃証言があり、その人々には益となるどころか自ら不利になるわけです。


復活というのが嘘だと言うのであれば、なぜ彼らの多くが故意に嘘をついて急に変えられたのかの説明が必要ですが、聖書に疑問を持つ人から具体的な説明を聞いた事がありません。

遺体を盗んだという説は、ローマ兵の見張りがおり不可能、幻覚を見たという説も、幻覚というものは多くの人が同時に見るものではないので否定されます。
見に行った墓を間違えたという説なら、本当のイエスの墓を示せばいいだけの話で、

イエスは仮死状態で死んではおらず息を吹き返したという説も兵士が死を確認していて除外されます。(処刑が失敗していて生きていた場合には兵士は罰せられたので死んだ確認は徹底していたと読んだ事があります。)

ですから死んでいなかったという推測も成り立ちません。

万が一、イエスが息を吹き返したとしても、鞭打たれ槍で刺され、布で全身が巻かれた重症のイエスが、どのようにして布を解いて見張りもおり封もされた岩を転がし出てきたのでしょうか?

そのような重症患者の弱々しい姿は皆が期待するメシアには全く見えないでしょう。


他に、イエスではなく別人が殺されたという説も説得力に欠けます。

いずれも不確かな仮説でありキリストの復活を否定する根拠にはなりません。

ほいさんが深い考察をしたというのなら復活はなかったという具体的な説明をするべきでしょう。


日本人の感覚で当時の状況を理解しようとすると、とんだ思い違いをしてしまう可能性があるとの事ですが、現代の感覚で見た場合には受け入れられないと主張してきたのは他ならぬほいさん自身でしょう。

聖書が多くの書から成り立つ事は大抵の人は知っていますが(というより議論するなら知っておく基礎中の基礎です。)

新約の偽典、外典についてですが、多くのグノーシス主義の文書は、福音書よりもかなり後から作られたもので、隔たりがあり四福音書に付け加えたり、福音書から大きく外れていて正典性がないという理由から明らかに偽典、外典の部類になります。


パウロは復活のイエスの啓示を受けた事は他の使徒たちも認めており、他にも多くの復活したイエスと出会った証言もある事、調和している事を示したことに対して、脚色がなかった根拠にはならないとの意見ですが、でっち上げたという証明、なぜそのように脚色したのかという説明をしなければその推論には何の説得力もないでしょう。


聖書の記述が全てとは言わないまでも、ほとんどが作り話で嘘だという前提で推論することは、懐疑主義者としてはありなのかもしれませんが、少なくとも論理的で客観的な推論とは言えないのではないでしょうか。

また、メサイアコンプレックスについてですが、本物のメシアがいての前提でしょう。
ほいさんはメシアはいない前提でしょうが。

akameさんはピタリと当たる霊媒師、その他スピリチュアルを信じている人であり、私は大抵の霊媒師はインチキだと考えますが、ある程度なら物事を当てる人もいるわけですし、聖書によれば神以外の存在でもある程度の力は備えているので不可思議な能力を持つ人も全否定はしませんが、「愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。
それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。
なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。」

とある通りです。

#262 2019年12月15日 17:49:13

てつてつ
メンバー

Re: 日蓮正宗について

ほいさん書き込みありがとうございます

ジャンヌの件は神様の声を聞いたとかマリア様とかイエス様に自分はあったことがあるという経験がこの世には少なからず存在するのでは?ということを言いたかっただけです

仰天さん>つまり彼らは何でも信じやすい人々ではなかったのです。
しかし、復活の主に出会い変えられました。
イエスの復活を目撃したという人々は多数存在し、捕らえられ拷問され殺されると知っていながらも信仰を棄てませんでした。

...パウロもそうです。なぜイエスの弟子たちは自ら自分が不利になる道を選んだのかという事です


イエスの復活については自分はアーマンさんの説を現在支持しています キリスト教成立のなぞ 復活について


一つ提案させてもらおう。愛する者を失うと、時に人間が、彼ないし彼女の幻覚を見ることは、極めて症例の多い現象なのである。夫が、一ヶ月前に先立った妻を寝室で見たり、母親が死んだはずの娘を見たり、女の子が今は亡き祖母を見たりするのだ。つまりよくあることなのである。こうした症例の記録は膨大にある。多くの場合、このような経験をした人は、死者と言葉を交わしたり、相手を抱擁したり、実際に触れている。また、複数の人間が同時にこのような視覚的体験を共有したり、親戚以外の死者の幻を見たというケースも報告されている。神聖な処女マリアは、いつの時代にも、集団の前に姿を現しており、数限りない目撃証言が飛び出す始末だ。彼女が本当に彼らの前に現れたと、私が思っているかって?答えはノーだ。あるいは祖母が死から蘇り、孫娘の寝室を訪れたりすると思っているか?やっぱり答えはノーである。もしかしたらこの種のことは、現実に起きたのかもしれない。だけどこんなことは、本当のことのように思えない。実際、歴史的観点から見れば、事実上、不可能だ。しかし、世の人々は、こうしたことが起こるのだと、いつの時代にも主張するのだ。イエスに最も近しい弟子たちや、後にはパウロも、生きているイエスを見たと言い張っている。これは、イエスが現実に死から蘇ったことを意味するのだろうか?いいや、彼らは、他の大勢の人々同様、現実感が伴う、手に触れることができる死者との邊遁体験をしたに過ぎないのだ。弟子は、死に接した人々の視覚的な体験について、何ら調べたわけではない。彼らは自分が経験したことを経験し、彼らが理解できる範嬬で、その経験を解釈したのである。すなわち、イエスは生きていると考えたわけだ。彼は死から蘇生したに違いないのである。そうして彼は今どこにいるのだろうか?彼はここにはいないからして、天に召されたに違いないのだ。


というわけで 彼らは別にウソをついたのではなく自分では本当に見たと思って自分の経験や哲学にしたがって生きる道を選んだのだと思います

あとキリスト教の広まり方について 175ページあたり

改宗したこの女性は、イエスにまつわるあらゆる物語を聞いた。だけど誰から?使徒からだろうか?違う、夫からだ。夫は誰から物語を聞いた?エフェソから来た商人である隣人からだ。商人は誰から聞いた?彼の妻からだ。彼女は?私の妻からだ。彼女は?私からだ。そして私は誰から聞いたのだろうか?イエスの生き証人からだろうか?違う、私は町へやって来た見知らぬ男から聞いたのだ。キリスト教は、何年も、何十年もこのようにして広まった。そして漸く誰かが物語を書いたのだ。イエスを知っている人々による公平無私な話として語られたのではなく、五次、六次もしくは九次情報を耳にした人々によって、人々を改宗させるためのプロパガンダとして語られた物語が、人から人へと伝達された長い年月のうちに、物語がどうなったと読者は思うだろうか?読者や読者の子供は、・パーティーで伝言ゲームをしたことはあるだろうか?子供が車座に座り、一人の子供が隣に座っている女の子にある話をすると、女の子はさらに隣の子に話を伝え、そうしてじゅんぐりに話を伝達し、最後は最初に話をした子供のところに話が戻ってくるというものだ。そうすると、最初の話とは全然違う話になっている(もし、話が全く変わっていないと、ゲームが成り立たない)。同じ社会経済的環境にいて、近所に住んでおり、同じ学校に通い、同年輩で、母国語も一緒の子供たちが伝言ゲームをするのではなく、四十年間かそれ以上の間、国境を越えて、異なる状況下で、言語も違う人々がこのゲームをしたとしよう。伝言内容はどうなるだろうか?答えは火を見るよりも明らかだ。

というわけで自分は聖書は正確な部分もありますが間違っている部分もあると思っています それで仰天さんが聖書にこれこれと書いてあるからこれこれだというのは その元となる聖書が信頼できる正確な情報だとは思っていませんので 結局はそうかもしれないが現時点ではわからないとしか答えようが無いと思っています cry

編集者 てつてつ (2019年12月17日 16:46:53)

オフライン

#263 2019年12月15日 17:50:53

ほい
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

うーん、仰天さんの話は、全部聖書が史実という前提の上なんですよね。だからかみ合わない。

仰天 さんの発言:

ほいさんが深い考察をしたというのなら復活はなかったという具体的な説明をするべきでしょう。

私が深い考察ができない人が多いと書いたのは、当時の無学な信徒は復活などの超常現象を(たとえ明確な証拠がなくても)安易に信じやすいという点を指摘したまでです。
証拠があるのかなどと検証しようという見方は、教育を受けた(思考の訓練を受けた)人たちの考え方だということです。
今でも途上国の奥地などでは、科学的にはっきりと否定されたようなことでも、いまだに信じている人たちがいますが、当時はそれよりも(知識的に)よりひどい状態であったことは容易に想像できます。
もちろん、これは聖書の記述をある程度事実として受け入れてみたとして、という前提での考察になりますが。

仰天 さんの発言:

日本人の感覚で当時の状況を理解しようとすると、とんだ思い違いをしてしまう可能性があるとの事ですが、現代の感覚で見た場合には受け入れられないと主張してきたのは他ならぬほいさん自身でしょう。

私が神の残虐行為を受け入れられないと書いたのは、聖書が全ての人(現代人を含む)のために書かれた神のみ言葉だというなら、当然現代人の道徳基準も視野に入れているべきですが、残念ながらそれには程遠いので、聖書の描写する神が愛に富み全知全能だとはとても思えないということです。
旧約聖書にあるエホバの残虐な行為が史実だとしたら神の残虐性は否定できませんし、何らかの理由があったと擁護しようと思っても、こんな当然の疑問を抱かせながらその説明もない時点で、聖書の神は全知全能というには程遠いでしょう。

1世紀当時の人々の情況を理解するためには、現代の感覚を排除することとは全く別の話です。


聖書の記述が全て史実通りで正しいものだといえる根拠を示さないことには、その上に築く理論がたとえどんなに論理的であったとしても根拠のない推論に過ぎないですよね。

私は聖書の記述が全て作り話だとは思っていませんが、少なくとも奇跡や復活などの記述は「普通に」考えたら起こり得ないことなので、疑問を抱くのは当然のことです。
普通ではないことが起きたと主張するのですから、論理的で客観的な推論をするためには、主張する側がその証拠を提出すべきですよね。

#264 2019年12月15日 18:01:27

仰天
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

ほいさん、それは違いますね。

私は、この世には正しいと証明された宗教というものはなく、それぞれが自分がベストだと考えるものを選択するだけだと最初から述べています。

過去に戻って確かめる事はできないわけですから、状況証拠から復活はあったかどうか、信じるか信じないかを論じるしかないのですから、信じるべき側としては具体例を挙げていたのですから信じられないと考える状況証拠を具体的に挙げてみてくださいと言っているだけです。

私は聖書の教えを紹介しており、個人的には聖書を気に入っていますが、信じるか信じないかは各人の自由であり、真の宗教とはこれだとは押し付けてもいません。

それが理解できていない時点で読解力のない人だなと思います。
(ほいさんはたまにしか掲示板を見ていないから流れを読めてないだけかもしれませんが。)

#265 2019年12月15日 18:44:00

ほい
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

仰天さん、私は聖書に対する信仰を否定しようとは思ってはいません。
(私自身は、聖書が神の言葉だとは信じなくなったので、信じられない理由を書くことがどうしても多くなることは認めます)

ただ、聖書をすべて正しいと信じるためには、明確な証拠は提供されておらず、確証バイアスを通さなければ矛盾を解消できないので、論理的かどうかという視点に立てば、それはあまり論理的ではないと言わざるを得ないという点を指摘しているだけです。

私は創造者がいるのではないか(いてほしい)と今でも信じていますが、なぜかと質問されたら明確な根拠を示すことはできません。
そこには私の願望も入っており、客観的だとも論理的だともいえないことは自覚しています。
でも、だからといって私がそう考えることが悪いことだとも思っていません。

私が言いたいことはそういうことです(私の表現力に限りがあり、うまく伝えられていないのだと思いますが)。


てつてつさん、アーマンさんの考え方いいですね。私も好きです。

#266 2019年12月15日 19:07:21

仰天
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

ほい さんの発言:

うーん、仰天さんの話は、全部聖書が史実という前提の上なんですよね。だからかみ合わない。

仰天 さんの発言:

ほいさんが深い考察をしたというのなら復活はなかったという具体的な説明をするべきでしょう。

私が深い考察ができない人が多いと書いたのは、当時の無学な信徒は復活などの超常現象を(たとえ明確な証拠がなくても)安易に信じやすいという点を指摘したまでです。
証拠があるのかなどと検証しようという見方は、教育を受けた(思考の訓練を受けた)人たちの考え方だということです。
今でも途上国の奥地などでは、科学的にはっきりと否定されたようなことでも、いまだに信じている人たちがいますが、当時はそれよりも(知識的に)よりひどい状態であったことは容易に想像できます。
もちろん、これは聖書の記述をある程度事実として受け入れてみたとして、という前提での考察になりますが。

仰天 さんの発言:

日本人の感覚で当時の状況を理解しようとすると、とんだ思い違いをしてしまう可能性があるとの事ですが、現代の感覚で見た場合には受け入れられないと主張してきたのは他ならぬほいさん自身でしょう。

私が神の残虐行為を受け入れられないと書いたのは、聖書が全ての人(現代人を含む)のために書かれた神のみ言葉だというなら、当然現代人の道徳基準も視野に入れているべきですが、残念ながらそれには程遠いので、聖書の描写する神が愛に富み全知全能だとはとても思えないということです。
旧約聖書にあるエホバの残虐な行為が史実だとしたら神の残虐性は否定できませんし、何らかの理由があったと擁護しようと思っても、こんな当然の疑問を抱かせながらその説明もない時点で、聖書の神は全知全能というには程遠いでしょう。

1世紀当時の人々の情況を理解するためには、現代の感覚を排除することとは全く別の話です。


聖書の記述が全て史実通りで正しいものだといえる根拠を示さないことには、その上に築く理論がたとえどんなに論理的であったとしても根拠のない推論に過ぎないですよね。

私は聖書の記述が全て作り話だとは思っていませんが、少なくとも奇跡や復活などの記述は「普通に」考えたら起こり得ないことなので、疑問を抱くのは当然のことです。
普通ではないことが起きたと主張するのですから、論理的で客観的な推論をするためには、主張する側がその証拠を提出すべきですよね。

無学とはいえ、ユダヤ人は基本的に幼い頃から高い教育を受けており、他の国民とは違っていたでしょう。
証拠がなくても信じやすい?
厳格なファイサイ派のパウロや疑い深い弟子たちが?
そんな事はないと思いますが。実際に、空の墓を見てきて報告した婦人たちの話を全く信用しておらず、トマスなどは見て触れて確かめない事には信じない状態でした。

また、ヨハネは兵士に対して給料で満足するように語っています。

「兵士も、「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言った。 」


兵士の信徒は読み書きできたでしょうし、ルカが文字通り医者だったなら読み書きできたでしょう。

マタイは収税人でしたから文字は読めたという見解が一般的ですが、アーマンは同じ収税人でも読み書きできない者だったはずだと、自分の考えに合うほうを選択していますが、マタイによる福音書は収税人だったマタイらしい記録が残っているという事も言われています。



書けない弟子でもペテロのようにシルワノのような熟練した助手に書いてもらった事でしょう。
(一ペテロ5:12)

大統領が手紙を書いたと言った場合、大統領は口述し、文字を打ったのは他の者であったりするでしょう。

他の者が書いたから信用できないという意見も私は違うと思いますね。

アーマンやてつてつさん、ほいさんは聖書の奇跡がないという前提だけで考えているのですから仕方ないですが。

また、現代の道徳基準で見ても、メシアが出るイスラエル国民を滅ぼそうとする異国の者を神が裁かれたという事は道理にかなっていると考える人もいるわけですから一概には言えません。

全人類を救うメシアが出る家系を絶やすなら人類救済の道は途絶えるわけですので残虐行為ではなく神の裁きだというのが私の考えです。(ほいさんが神が全能ではないとか残虐行為と考えるのは構いません。)


史実とするなら神は裁かれる神であり、その裁きの方法も決めるのは神であり、自由意志を与えられたからこそほいさんも自由に考えられるわけで、命の与え主であられ、愛するみ子を遣わして救いの道を備えてくださったのですから感謝しなくてはなりません。(史実だとしたらですよ。もちろん強制ではないです。)



ほいさんとは相容れないわけですので話しても徒労に終わるでしょうから前回で終わりにしたのです。

まぁ、アーマンさんのような受け取り方をする人もいるのも知っていますし人それぞれでいいのではないですか。

無理に信じる類のものではないですし、聖書が嫌になったら距離を置いてみるのもいいかもしれません。

私としては聖書の神でなくてもてつてつさんやほいさんが創造主にいてほしいと思っているだけで嬉しいです。

#267 2019年12月15日 22:36:52

ほい
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

仰天 さんの発言:

アーマンやてつてつさん、ほいさんは聖書の奇跡がないという前提だけで考えているのですから仕方ないですが。

聖書に限らず奇跡や復活があるということが証明されたことはないので、「まずないだろう」と考えるのが偏向のない客観的な視点だと思うんですけどね…。
その上で、聖書の記述に間違いはないと信じるに足る他の根拠や要素があるというなら、私も聖書に対する見方を改めようとも思うのですが。

いずれにせよ、お互いに相手を説き伏せることは無理でしょうし、そもそもそうする必要もないとは思いますから、この件での書き込みはひとまず終わります。

私も、それぞれがそれぞれの人生に価値を見出せる信念や生き方ができることが望ましいという点は大いに同意します。

#268 2019年12月16日 07:18:19

てつてつ
メンバー

Re: 日蓮正宗について

宗門問題 82ページあたり なぜ仏教が葬式仏教になったのかの説明が書かれています

まず それまでどちらかというと、仏教は皇族・貴族・武家等の権勢を保有する勢力のための宗教で、民衆のあいだには必ずしも深く浸透していたわけではないと書かれています

てつてつ そういえば100分でも奈良の大仏がそのような目的で立てられたことがかかれていました

その情況が一変したのは、社会体制それ自体が大きくゆらぐようになった応仁の乱以後の乱世になってからであった。このころの民衆(その大部分は農民)は、農耕技術の発達によって経済的にも貧しきから脱しつつあり、農民層による全国的な郷村が成立した。郷村民は寺院を各郷村に迎え入れ、自分たちのための祈祷や葬送儀礼をするよう要望してくるようになった。仏教各派がこのチャンスを逃すはずはなかった。頼るべき権勢を失った仏教界は大きな岐路に立っており、〃権力者の仏教″から〃民衆の仏教〃へと方向転換を図ったのであった。...


このように仏教界全体が、大きな、構造上の転換をせまられたのである。しかし、このような仏教の庶民化は、決して民衆救済という仏教本来の使命観に立って推進きれたのではなく、教団維持の延命策として財源基盤を権力者から民衆に切り換えたにすぎない。こうして仏教各宗派は庶民の要望に迎合する形で、郷村ごとに寺を建て僧を定住させ、葬式を売り物にするようになった。まきに葬儀・法要を媒介とした需要と供給の相互欲求が、大量の寺院群の出現を加速度的に実現きせたといえよう。供給者たる寺院は需要者たる民衆へ、葬送儀礼によって得られる生前の功徳と死後の安穏を声高らかにうたいあげた理論を用意して民衆の心を引き寄せることに成功したのである。現世における確実な生活のかてを得ることと、寺院の将来にわたる安定した経済基盤を満たすためにたどりついた究極点が〃葬送儀礼″の専業化であった。こうして葬式仏教がうまれたのである。


うーん つまり一箇所からたくさんとるより薄く広くとる戦略に代わったわけですね 今で言うと巨大な戦艦デパート三越がハイソサなお客さん相手に高級品売るよりより小さいコンビニをたくさんつくって薄く広くもうけるような感じでしょうか kiss

編集者 てつてつ (2019年12月16日 07:22:11)

オフライン

#269 2019年12月16日 07:33:58

てつてつ
メンバー

Re: 日蓮正宗について

宗門問題 88ページあたり 法要を強要する偽経・偽書の出現

死者への追善供養の奨励は、室町期の仏教界がもっとも力を注いだところであった。その理論体系は巧妙なでっちあげとスリカエによって民衆をたぶらかし、築き上げた虚飾の葬送一大体系を現出する。その推進力となったのが『地蔵菩薩十王経』である。この経は室町期の僧侶によって作られた、いわゆる「偽経」である。初七日から四十九日、百箇日、一周忌、三回忌の十仏事における追善を奨励するもので、明かに寺院の安定した収入源の確保をめざしたものであった。すでに鎌倉初期にあった『仏説地蔵菩薩発心因縁十王経」(これも偽経)を下敷きとしてさらに発展させたもので、死後における幸、不幸は、十仏事それぞれに控えている十王の裁断によって決定され、その判定の基準は、死後において遺族がおこなう追善の度合いによるとしたのである。このでっち上げの論理を鵜呑みにした民衆は、追善に狂奔せざるをえなかったのである。

さらに、日蓮宗では大聖人の御書と称する(すべて偽書)『十王讃歎抄』『彼岸抄』『回向功徳抄』なども、その内容が、先祖回向の重要性を前面に押し立てて強調されておりおそらくこの時代に成立したものであろう。

そして日蓮教団においても、伝日蓮作とされる偽書『十王讃歎抄』が登場してくる。この抄の各冥途での死霊の受ける苦しみのすさまじさは、存覚の『浄土見聞集』の比ではない。しかも、『十王讃歎抄』でいう無上の恐怖世界である冥途からの脱出方法は、ひとえに残きれた妻子春属の追善回向に集約されているのである。


しかし、次に挙げる『回向功徳抄」になると、回向の啓蒙というよりは強要といった方が妥当である。「死人に閻魔王勘て四十九の釘をうつ。而るに娑婆に孝子有て、彼追善の為に僧を請ぜんとて人をはしらしむる時、閻魔王宮に此事知れて先づ足に打たる十五の釘をぬく」(同53頁)。なんと死人の体には冥途の閻魔大王が四十九の釘を打ち込むといい、後に残された者が僧を請じて追善回向をするたびに、つぎつぎとそれらの釘が抜かれていく、と書かれているのである。その釘の抜かれ方は、同抄によると次のようになる。
四十九本の針は、目に二つ、耳に二つ、舌に六つ、胸に十八、腹に六つ、足に十五本打たれ、針の長きはいずれも一尺(約三十センチメートル)もある。まず追善のために僧を呼ぼうと寺へ走っていけば、閻魔大王がこれを知って、足の十五本が抜かれる。その理由は「仏事の為に僧を請ずるは功徳の初め」(53頁)だからである。(僧を請ずるという表現がくりかえされるのも本抄の特徴である)次に、僧がやってきて塔婆を用意して御経を書けば、腹の六本が抜かれる。次に僧が塔婆を開眼すれば、胸の十八本が抜かれる。きて塔婆が生身の仏になり、冥途の聖霊のための説法が行われ、それが耳に届くと耳の二本が抜かれる。この仏(塔婆)をおがむと眼の二本が抜かれる。ざらに残された遺族が題目を送ると、聖霊も唱え始めて、その間に舌の六本が抜かれ、全部の針が抜かれる、という次第である。そして『回向功徳抄」の決定打は「我れ父母の物をゆづられながら死人なれば何事のあるべきと思て後生を訪(とむら)はざれぱ悪霊と成り、子子孫孫にたたりをなす」(同56頁)の文である。「たたり」という論理が与える影響は、冥途で大苦にあえぐ亡霊のための孝の精神を称揚する域を越えて、残された遺族への脅迫に他ならない。


てつてつさんも こわいからやっぱりお坊さんに供養してもらおうかな kiss

編集者 てつてつ (2019年12月16日 07:49:34)

オフライン

#270 2019年12月16日 09:27:28

さやか666
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

てつてつさんは地獄にいくと思います

この件に関しては

シュウイチさんもキメラ証人さんも肯定されるかと




いまさらジタバタしてもしょうがないです。




あと、たたり


たたりは怖いですね、アイデア思いついた人天才です

#271 2019年12月16日 21:35:56

さやか666
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

以前に面白エピソードとして

シュウイチさんのお父さんがシュウイチさんの宗教に反対してた頃、居酒屋でビール瓶で頭皮を切られて、血を流して帰宅されたと書き込まれていたと思うのですが、被害が直接当人に及ぶ場合は「たたり」となりますか?


日蓮の「たたり」について教えて下さい

#272 2019年12月16日 21:47:23

さやか666
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

現在のさやかさんが、罰当たりなままに

命の走路を走り抜いて死ぬと仮定して

残念ながら「地獄行き認定」とならない宗派、西洋東洋問わずどこかにありますか?


ネーミング的に浄土宗とか太平天国あたりが、危なそうな気がしますが

#273 2019年12月16日 23:27:04

仰天
ゲストユーザー

Re: 日蓮正宗について

地獄のない宗教


曹洞宗、神道、スピリチュアル、JW!


しかし、考えによっては、天国で神や清い人達と常に一緒にいないといけないのは場違いな人にとっては地獄…。

#274 2019年12月17日 07:25:25

てつてつ
メンバー

Re: 日蓮正宗について

宗門問題について 檀家制度とはキリスト教撲滅のための制度でもある


この本読んでわかったことは 檀家制度とは江戸幕府が国民がキリスト教思想にかぶれて自分たちに従わなくなることを恐れて全ての国民を幕府が定めた寺の信者に登録してここの信者ですから危険思想はもっていないから大丈夫ですよと寺請証文出してもらうことが目的の制度であったということでした この証文がないと就職 移動 結婚なんかもむずかしくなり 檀家から削除されると非人にされちゃうという恐ろしいものだったんですね

寺請証文をだしてもらうときの檀家の守るべき規則集からの一部引用

一、キリストの教えは死をかえりみず、火にいれても焼けず水に入れてもおぼれず、体から血を出して死ぬのを成仏としているから天下のご法度である。まことに邪宗である。このように死を軽く思うものは、邪宗門かどうかよくよく吟味しなければならない

一、キリスト教の宣教師は自国から金が送られ、毎月金七厘を与えてキリスト教の信者を増やし、神国日本をおびやかすことは邪法そのものである。この邪法に帰依するものは、釈迦仏の教えを用いず檀那寺へ対して、檀家の勤めを果たさず、寺塔の建立供養も嫌がる。こういう者は、邪宗門かどうかよくよく吟味しなければならない。

一、キリスト教の信者や不受不施派の者どもは、先祖の年忌法要に僧の弔いをたのまない。当日は寺へは、一言あいさつがある程度で身内だけで法要をしてしまう。また、僧が来ても、もてなしもせず、弔いもさせない。このような者は邪宗門かどうか、よくよく吟味しなければならない。

などなどです

あと明治政府が檀家制度を廃止し戸籍法を施行したのでこのようなことはなくなり何を信じるかは自由になったようです 明治政府バンザーイ kiss  でも本当のところは神道中心の国に作り変えて侵略戦争するところにあったみたですけど cry

編集者 てつてつ (2019年12月17日 07:44:54)

オフライン

#275 2019年12月17日 08:01:43

てつてつ
メンバー

Re: 日蓮正宗について

あと宗門問題を考えるを読んで思ったことは

江戸時代に作られた檀家制度によってお寺や僧侶は半分役所のようになり寺請証文発行を出す力をもち信者の生殺与奪の権利や自分たちの生活を支えさせる権力を幕府からもらってあとは宗教思想で信者をだましたり脅したりして葬式その他の儀式で金を巻き上げるという思考回路ができあがってしまったんですね cry

それで創価学会と日蓮正宗の間の真の問題とは教理がどうとかいうのではなく「それは単に自分たちを正当化する理由付けに過ぎないと思います」正宗は江戸時代からのこうした思考回路から学会その他の信者をみているし 学会員は宗教思想から良いと思って入信していたが実際はそうではなかった というのが問題になっているのだと感じました 筆者も大体そういっていると思います

さすが富士の清流を守る仕組みは江戸時代からの固定観念をそのまま変わることなく引き継いでいるのですね  kiss

編集者 てつてつ (2019年12月17日 08:10:56)

オフライン

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