ログインしていません。

#2701 2021年04月30日 22:48:43

仰天
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

モトシモベさんは「私も無傷ではない」とか、意外とナイーブな所がありましたが、

他の人が傷つくのはなんとも思わないくせに、よく言えたもんだなと思いましたね。笑

#2702 2021年04月30日 22:49:20

タニタクミン
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

仰天 さんの発言:

タニタさんもガッツだぜさんも似たような事を言いますね。

私も去るとの事なのでガッツだぜさんも以前去るような事を書いておられました。

去ると言っても、みなさん閲覧はたまにはすると思いますよ。


うーん鋭いご指摘ですね仰天さん、確かに以前にガッツだぜさんと私は似ているなと自分で感じてガッツだぜさんに
そう伝えたらガッツだぜさんからは似ていないと思います、とお返事をもらいましたね・・・


仰天さんもある意味で女難の相があるのでしょうか。
私は幼稚さで信じられないことに人妻ですが仰天さんは
ラハムさんに似て私の琴線に触れる方ですね(エロスではありませんが)。
でもラハムさんの事があってリアルに掲示板の男性にお会いするのは
自分に自信がありません。会ったことを私が書かなければいいのですが・・・
というより仰天さんのほうが私と会うなんてお断りでしょう。
ですから声はどんなかなと思う気持ちのみでフィリアの種類の感情にすぎませんアガペーとも違うし。

#2703 2021年04月30日 22:53:49

タニタクミン
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

ゆみゆみ さんの発言:
モトシモベ さんの発言:

トムジェリよろしく仲が良さそうでなによりです。
わたしとしては仰天さんの投稿に興味深いキーワードを発見できて面白かったですよ。笑

仲良く無いって!
黙れ!童貞!

早く卒業しやがれ!


あの・・・ゆみゆみさん、元しもべさんは意外と青臭いように見えて実は熱い情熱の塊だと思うのですが。
アダルトなツッコミ入れても平然とされてますし。

#2704 2021年04月30日 22:55:59

ゆみゆみ
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

下品に見えて、
紳士なんでしょうね。

私はこう言う真面目キャラに
わざと下ネタを言う性癖があるので、

お気遣いなく。

#2705 2021年04月30日 22:59:31

仰天
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

タニタさん


会わないですねー。


以前は男女を問わずまじめに聖書に関心のある人なら直接何かお手伝いできたらと思ったのですが、結局は説明したところで、てつてつさんもゆりさんも希望さんも自分の信じたい事しか信じないんですよね。

もちろん、この掲示板で、私が聖書の説明をするのは、既に正統なキリスト教信仰を持っている方やキリスト教に関心のある方への参考のために書いているので、信じたくない人は信じなくて全く構わないのです。


同じ信仰を持つ人が確信を深める事ができたり、関心のある人で新たに救われる人が出るなら喜びです。


それと、シモちゃんは障碍者の方への風俗を勧める人ですから童貞というか素人童貞のような気が・・・。


まあ、他人の性事情はどうでもいいですが。

#2706 2021年04月30日 23:02:17

タニタクミン
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

これは嫉妬ではなく一種の下品な質問ですが仰天さんがゆりさんと
教文館で会いたいと思われたころはゆりさんに対してどんなお気持ちでいらしたのですか?

#2707 2021年04月30日 23:05:19

タニタクミン
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

仰天 さんの発言:

タニタさん


会わないですねー。


以前は男女を問わずまじめに聖書に関心のある人なら直接何かお手伝いできたらと思ったのですが、結局は説明したところで、てつてつさんもゆりさんも希望さんも自分の信じたい事しか信じないんですよね。

まあ、他人の性事情はどうでもいいですが。


すみません。仰天さはすでにお答えになっていましたね愚問でした。

#2708 2021年04月30日 23:09:20

仰天
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

タニタクミン さんの発言:

これは嫉妬ではなく一種の下品な質問ですが仰天さんがゆりさんと
教文館で会いたいと思われたころはゆりさんに対してどんなお気持ちでいらしたのですか?


あの人は、多分既婚者だと思いましたが、男性であっても、年配の方でも何か力になれたらと思っていました。

聖書に疑いを持って、この掲示板の他の人と同様に聖書を批判していた時期もあったけれど、本来聖書が好きで、私の投稿によって聖書への関心を取り戻して信仰が戻ったみたいに書いておられました。

それで、私の事を恩人だと言ってくださっていましたので、嬉しく思いましたね。


しかし、三位一体は理解しておられない様子でしたから、直に説明したほうが早いかなと思ったわけでした。

#2709 2021年04月30日 23:11:14

ゆみゆみ
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

仰天 さんの発言:
タニタクミン さんの発言:

これは嫉妬ではなく一種の下品な質問ですが仰天さんがゆりさんと
教文館で会いたいと思われたころはゆりさんに対してどんなお気持ちでいらしたのですか?


あの人は、多分既婚者だと思いましたが、男性であっても、年配の方でも何か力になれたらと思っていました。

聖書に疑いを持って、この掲示板の他の人と同様に聖書を批判していた時期もあったけれど、本来聖書が好きで、私の投稿によって聖書への関心を取り戻して信仰が戻ったみたいに書いておられました。

それで、私の事を恩人だと言ってくださっていましたので、嬉しく思いましたね。


しかし、三位一体は理解しておられない様子でしたから、直に説明したほうが早いかなと思ったわけでした。

私にとっては恩人ではありませんが、
それは良いことですね。

#2710 2021年04月30日 23:13:09

仰天
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

ゆみさんは自ら神様から離れたわけですから、てつてつさん同様に悔いのない充実した人生を歩みましょう。^_^

#2711 2021年04月30日 23:13:42

タニタクミン
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

仰天 さんの発言:

モトシモベさんは「私も無傷ではない」とか、意外とナイーブな所がありましたが、

他の人が傷つくのはなんとも思わないくせに、よく言えたもんだなと思いましたね。笑


他人が傷付くのは何とも思いませんが深夜に思いだして「なんであんなこと言ってしまったのだろうか」
とちょっとだけそんな自分を振り返っておられるような気がします、
元しもべさんそのあたりの自身の真意は私の読み違いでしょうか?

#2712 2021年04月30日 23:18:22

仰天
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

タニタクミン さんの発言:
仰天 さんの発言:

モトシモベさんは「私も無傷ではない」とか、意外とナイーブな所がありましたが、

他の人が傷つくのはなんとも思わないくせに、よく言えたもんだなと思いましたね。笑


他人が傷付くのは何とも思いませんが深夜に思いだして「なんであんなこと言ってしまったのだろうか」
とちょっとだけそんな自分を振り返っておられるような気がします、
元しもべさんそのあたりの自身の真意は私の読み違いでしょうか?

さあ、どうでしょうかね。

ガッツだぜさんに対しては少し言い過ぎたとは思ったにしても、ラハムさんが死にたいなら死ねばいいみたいな書き込みをしていたようにも思います。

他の人が怒ったり傷ついたりしてもなんとも思わないように感じましたね。(個人の感想です)

#2713 2021年04月30日 23:23:46

タニタクミン
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

あの人は、多分既婚者だと思いましたが、男性であっても、年配の方でも何か力になれたらと思っていました。



それで、私の事を恩人だと言ってくださっていましたので、嬉しく思いましたね。




しかし、三位一体は理解しておられない様子でしたから、直に説明したほうが早いかなと思ったわけでした。


なるほど・・・ゆりさんも既婚者でしたか、私はブログを読み落としましたね。
アザミさんもゆりさんには旦那さんがいると言っていました。
つまり既婚未婚と言う要素は信仰を持つ持たないかには左右されないということでしょうか?

#2714 2021年04月30日 23:29:09

仰天
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

タニタクミン さんの発言:

あの人は、多分既婚者だと思いましたが、男性であっても、年配の方でも何か力になれたらと思っていました。



それで、私の事を恩人だと言ってくださっていましたので、嬉しく思いましたね。




しかし、三位一体は理解しておられない様子でしたから、直に説明したほうが早いかなと思ったわけでした。


なるほど・・・ゆりさんも既婚者でしたか、私はブログを読み落としましたね。
アザミさんもゆりさんには旦那さんがいると言っていました。
つまり既婚未婚と言う要素は信仰を持つ持たないかには左右されないということでしょうか?


男性であろうと、高齢でも若者でも誰でも神様を真剣に求めている人には真面目に答えるつもりです。

#2715 2021年04月30日 23:32:50

仰天
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

今日は夜の予定がキャンセルになりましたので、時間が取れましたが、明日からまた忙しくなります。

この辺にしときますね。タニタさんも寝て下さい。

#2716 2021年05月01日 12:36:28

ゆみゆみ
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

掲示板の皆さん。
もっと仰天さんを
バッシングしてください。

#2717 2021年05月01日 12:59:36

仰天
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

YN さんの発言:

ちんぽこぽこちーん
https://ameblo.jp/yumi-nishizawa29/

#2718 2021年05月01日 13:27:22

タニタクミン
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

こんにちは

昨夜みたいなのをもう一回したいのかしら・・・あ、私は呼びでないですか?
ゆみゆみさんもアメブロブロガーさんでしたのですね(⌒∇⌒)

#2719 2021年05月01日 14:56:42

てつてつ
メンバー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

>掲示板の皆さん。もっと仰天さんをバッシングしてください

いやいや夫婦喧嘩は犬も食わないだと思いますよ  お二人とも仲がよいですね kiss

編集者 てつてつ (2021年05月01日 14:57:27)

オフライン

#2720 2021年05月01日 21:15:56

仰天
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

てつてつ さんの発言:

ハム太郎さん>3)マタイ2:16-18 (エレミヤ31:15)
ベツレヘムとその一帯にいる2歳以下の男の子を全員殺させた。この時,預言者エレミヤを通して語られた次の言葉が実現した。「ラマで声が聞こえた。泣き悲しみ,激しく泣き叫ぶ声である。ラケルは自分の子供たちのために泣き悲しみ,慰めてもらおうとはしなかった。子供たちがもういないからである。
(「エホバはこう言う。『ラマで声が聞こえる。嘆きと悲痛な泣き声が。ラケルが子供たちのことで泣き悲しんでいる。彼女は慰められるのを拒んだ。子供たちがもういないからである』」。)
ヘロデ王による幼児虐殺がエレミヤ3:15の予言の成就というのもこじつけです。
エレミヤ3:16で“子供たちは敵の土地から戻ってくる”とあり、子供は殺されるわけではありません。そもそも2歳以下が殺されるなんて書いていません。


キリスト教成立のなぞを解く 47ページ アーマン

歴史的な記録という観点から言えば、ヘロデ王がベツレヘムやその周辺、あるいはどこか別の場所で幼児を虐殺したことを証明する古代の史料は、一つもないことも指摘しておかなければならない。ほかの聖書記者だけでなく、古代の著述家の誰一人として、この類の事件に言及している者はいない。


エレミヤ書/ 31章 15節
主はこう言われる。/ラマで声が聞こえる/激しく嘆き、泣く声が。/ラケルがその子らのゆえに泣き/子らのゆえに慰めを拒んでいる/彼らはもういないのだから。



マタイによる福音書/ 02章 17節
その時、預言者エレミヤを通して言われたことが実現した。



マタイによる福音書で成就したと述べられている事は、昔イスラエルの歴史の中で起こった事件に似た出来事が今また繰り返されたという意味なのです。


引用です。


「ラマで声がする」の「ラマ」とは、古くから歴史に登場する町だった(士師4:5、I列王15:17)。
中でも、バビロン軍がイスラエルの兵士たちを捕虜として連行するため、集合させたことは有名だった(エレミヤ40:1)。イエス時代よりさかのぼること600年も昔のことである。エレミヤは、バビロンに連れ去られて行く子や孫の悲惨な状況を見て、その母や祖母が肺腑をえぐられ、慟哭している姿を「ラケルがその子らのために泣いている」と描写した。

「ラケル」とはヨセフの母、エフライムの祖母である(創世48:19)。ところで、エフライム族はしばしば北イスラエルを代表する者として語られ、エレミヤ時代には、北イスラエルの別称にもなっていた。すると、エレミヤが引用している歌は、エレミヤよりさらに150年前の西暦前722年頃、北イスラエル(エフライム)の兵士たちが、アッシリヤ軍によって捕虜として連行されたときに作られた歌だったことになる。マタイは、アッシリヤ時代(そしてバビロン時代)の老婦人の嘆きを、ベツレヘムの若い母親たちが自分の子を殺された悲しみにだぶらせ、「預言者エレミヤを通して言われたことが成就した」と解説したのである。

ところで、エレミヤ書を見ていただきたい。引用箇所のすぐ後には(31:16-22)、捕囚民となった人々の故国帰還が予告されている。ということは、ラマの悲しみは悲しみで終わるのではなく、希望に続いていることを示唆する。さらにその後の31:31-34には、「新しい契約」が出てくる。その新しい契約とは、言うまでもなく、キリストによる恵みの契約のことである。結局、ラマでの叫びは、解放の約束、あるいは新しい契約への道程となっている。同様に、ベツレヘムの叫びは、キリストによる解放、キリストによる契約の序曲に他ならない。夜明け前が最も暗いように、このとき神の民も、幼児虐殺事件という暗いトンネルを通過しなければならなかった。」

マタイの福音書註解〈 上 〉中澤啓介 P171



エレミヤ書/ 31章 31〜33節
その日が来る――主の仰せ。私はイスラエルの家、およびユダの家と新しい契約を結ぶ。

それは、私が彼らの先祖の手を取って、エジプトの地から導き出した日に結んだ契約のようなものではない。私が彼らの主人であったにもかかわらず、彼らは私の契約を破ってしまった――主の仰せ。

その日の後、私がイスラエルの家と結ぶ契約はこれである――主の仰せ。私は、私の律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心に書き記す。私は彼らの神となり、彼らは私の民となる。



つまり、エレミヤが預言したイスラエルの悲しみは、解放とキリストによる新しい契約によって慰めがもたらされるという事です。

それがイエスが来られた事によって成就したのです。捕囚と帰還、新しい契約と、予告されていた事は全て実現しています。

批評家やハム太郎さんのような人々は、こうした基礎的な聖書理解ができていないのです。単なる理解不足です。

それと、バート・D・アーマンのキリスト教成立のなぞを解くですが、何度も指摘しているように、アーマンは何も謎は解けていません。

サルゴン王やヒッタイト人、その他の多くの事柄が聖書でしか言及がなかったものの、その後の発掘によって確認されていますから、聖書にしか記録がないという主張は受け入れられないものです。


「ほかの聖書記者だけでなく、古代の著述家の誰一人として、この類の事件に言及している者はいない。」

との事ですが、他の聖書記者がイエスは処女から生まれたとか、ベツレヘムで預言通りに生まれたと共通して書いている事がありますが、認めないでしょう。
ナザレという地名が旧約にないと批判していますが、旧約聖書に出ていたら信じるでしょうか。懐疑論者は旧約に出ていても信じないでしょう。

そして、ヨセフスがキリストについて記していますが、そうした聖書以外の記述があると捏造だとします。どうしても信じないでしょう。

ヨセフスの記述はいろいろと言われてはいますが、イエスと洗礼者ヨハネについて記しています。

「ユダヤ人の中には、ヘロデの軍隊が全滅したのは、ヘロデが洗礼者ヨハネに対して行った悪行を神に罰せられたからであると考える者がいた。ヘロデはヨハネを殺害していた。」

とヨセフスは書いています。これは福音書の記録を裏付けるものでしょう。

フランスは、このように述べています。

「文献的観点から言えば、ヘロデとベツレヘムの子たちの伝承の起源は、実際に起きた出来事に基づいていると仮定した方が説明しやすい。歴史的疑問に対する我々の研究は、ヘロデ治世の晩年にそのような出来事が起こり得たことを示している。」

『Herod and the Children of Bethlehem  』
R・T・France    P120

当時のベツレヘムの人口は500人程度で、二歳以下の男の子は、多くても10人くらいだったと言われています。

ヘロデは、3人の息子を処刑させ、未遂に終わったとはいえ、死の直前に貴族たちの家族1人ずつを「自分の埋葬を悲しむ悲しみを助長するために」処刑するように命じています。


また、反逆を企てた一つの村を攻略した時には、2000人もの住民を焼き殺しています。

(ヨセフス『ユダヤ古代誌』)

そのような残忍な王ですから、10人に満たない幼児虐殺事件は、恐ろしい事ですが、ヘロデの記録に留めるほどの事ではなかったのかもしれません。


そうしたヘロデ王の残虐性を考えると幼児虐殺は十分に有り得たと言えますし、聖書は確かに記録しています。




てつてつさんの場合は、(ハム太郎さんもですが)単に聖書に疑いを抱く人々の見解を聞いてすぐに信じ込んでいる状態で、その先にある、より深い分析や思考が足りません。

その事を指摘しているのですから、ただ自由主義神学の者や批評学の人たちの見解を持ってきてもムダなのです。

アルマーが聖書で用いられる時には全てが「処女」を指して用いられており、既婚の若い女性を示す事はありません。

ですから、若い女性、乙女をギリシャ語訳がパルテノス(処女)と訳したのは間違いとは言えないでしょう。
むしろ、聖書の中でのアルマーにそういうニュアンスがあるからこそ、その語を用いたと言えます。

アルマーの問題については、『徹底検証キリスト教』第2巻 キリスト

をご覧下さい。

ルカによる記述の正確性に関しては、同じ『徹底検証キリスト教』の第1巻  聖書

を見てください。


そして、てつてつさんやハム太郎さんの考えるイスラエルが最初は多神教であったという考えや申命記は創作という考えの間違いはバルバロ訳の序文及び申命記の解説を見て下さい。

ヴェルハウゼンの宗教進化論は考古学的にも間違いだと示されています。

そして、他の多くの批評学の人たちの出す論点は、2020年に出ました『徹底検証キリスト教』第3巻
キリスト教

で大抵のてつてつさんの出す疑問点は扱われています。

それらを自分で調べてから発言して下さい。全部を誰かが説明してくれると思うのはやめたほうがいいでしょう。

興味のある他の方もバルバロ訳聖書と、他の3冊をポチって見て下さい。

カナン神話とヘブライ叙事詩のF・M・クロスやその他のハム太郎さんが出した人物のものは、大抵のファンダメンタルな学者は既に知ってます。てつてつさんは批判的なほとんど信じない人々の説に偏っていますので、信じていない人が信じていない人に聞いてお墨付きをもらっている状況です。

質問さんに自分が考えているのと同じ事を断言してもらって感謝するのも同じ事ですね。

私は、てつてつさんが読んだ批評家の本はほとんど読んでますから、すぐにその問題点が分かります。



福音主義の学者は、それより先の説明をしていますので、真実を知りたいならしっかりと調べるべきだと思います。

#2721 2021年05月01日 21:18:14

仰天
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

てつてつ さんの発言:

持ってないので教えて下さい


バルバロ訳聖書
ルカによる福音書から引用

「第2章
そのころチェザル・アウグストゥスから、全世界の人口調査を命じる詔勅が出た。この人口調査は、キリニオがシリアの総督だった時に行った調査の前のことだった。人々はみな名を届けるために、自分の故郷に帰っていった。


解説


1、アウグストゥスは最初のローマ皇帝だった(ローマ紀元七二三〜七六四年)。前30年〜14年に史家は彼が命じた幾度かの人口調査を記している。

全世界はローマ全帝国のこと。

2、ルカはここで二つの人口調査を記す。アウグストゥスが命令したもの(前八〜七年ごろ2章1節)とキリニオが行ったもの(六年ごろ)である。
ヨゼフとマリアは前八〜前七年ごろの調査の際に名を届けた。しかしこの辺境の地では実施が遅れたであろうと思われるので、イエズスの誕生は、前六〜五年のことだった。
それで西暦には、実際のキリスト誕生と四、五年の差がある。これは、小ディオニシウスの計算間違いのためである。イエズスはヘロデの死(前四年)の前に生まれたのであるから、その誕生の年は前六年前後である。」


バルバロ訳聖書の新約部分のP86、87


ルカが2:2で記すクレニオの住民登録は、全世界(ローマの全領土)の規模ではなく一部の地域でしたので、イエスの生まれた時の住民登録はクレニオの西暦六年の住民登録ではなく、その前に行なわれた西暦前のアウグストゥスによる登録です。

住民登録は、数年から時には数十年かかったという記録があり、前9年か8年頃に開始され、終わるまでに長期間を要したと思われます。

#2722 2021年05月01日 21:23:33

仰天
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

ハム太郎 さんの発言:

長谷川さんは立教大学の教授です。テル・アヴィヴ大学院に行かれています。そういう方の本を簡単に「嘘」と断定するわけですから、相当自分に自信があるわけです。

まず、長谷川さんが経歴がすごくても、何も間違いがないわけでもないでしょう。
それは、自称専門家気取りのあなたが何度も嘘を書いている点からも分かる事です。あなたのデタラメな発言の数々を見ると、とても真実が知りたいとは思えません。
粗探しレベルです。

私は、長谷川さんのどの部分がおかしいのかを理由を挙げて述べてきており、他の研究者の見解を考慮して書いていますので何も私の独断ではありません。もちろん私の参考にしている保守的な学者の方でも優秀な経歴の人もいます。(しかし、この点でも特定の誰かの見解が全て正しいというわけではない事は誰でも分かる事でしょう。)


神学は神学部で学ぶ事もあれば、神学校で学ぶ場合、その他もあります。神学校を複数出る場合もありますね。

私がどのように学んだかは関係ない事です。ハム太郎さんは、「◯◯神学には興味がない」という事ですから神学や聖書学は学んでいないのに専門家を自称しますので偽り者ですね。デマを見過ごすわけにはいかないと言いながら、リベラルな学者の疑わしい見解でも何でも信じてしまうのですから、真実を提供するには程遠いと思います。
以前も私から不誠実だと言われ、偽善性を指摘されて根に持ち、今度は私を偽善者とか、「ナザレのイエスは神の子か?」の書籍に出ている学者を不誠実だと批判しますが、オウム返しなのです。




それにしても、私の過去の投稿を拾ってくるほど暇なご様子ですが、よっぽど暇なのでしょう。掲示板が生きがいとはあなた自身の事ではないでしょうか。定年して年金暮らしで時間に余裕があるのか、何かの『専門家』であられるそうですから経済的にも余裕のある老後を送っている自称、頭のいい人かもしれません。

私の推測では、あなたは、ちょっと一言さんではないかとも思いました。前は、管理人さんかとも少し思いましたがね。どちらも前にやりあった仲です。

根に持ち名前をハム太郎と変えて出てくる事もあり得ます。違っていてもこの掲示板では、別人を同一人物であるかのように発言する人も何人かいましたので問題ないでしょう。





ハム太郎 さんの発言:

仰天さんは「神が進化を通して人間を創造した可能性もあると思いますので、アブラハム以前の話を古代の物語と見る人がおられるわけで、それでも神が人類を愛してキリストを贖いとして遣わされたと信じるなら、(つまり、イスラエルのアブラハム以降の歴史は真実であると考える)なら救われると思う」と書いていましたが、どちらが本音なのでしょうか?

アブラハム以前は物語とみてもかまわないのですか?仰天さんの立場からすれば、間違いですよね?

仰天さんの立場からすれば、エデンの園の話もノアの大洪水もバベルの塔の話も単なる物語じゃなくて史実で、その真実性は考古学的に証明されているのですよね。

なぜアブラハム以前と以降で物語と真実に分かれるのですか?その根拠は?創世記というのは途中は単なるお話だったものが、急に真実の歴史に変わる、そんなものなんですか?

キリスト教信仰にも幅があり、進化論を信じる人等の見解も尊重して裁かないという立場です。

アブラハムから歴史と見る見解は、青野さん等が書いています。

無知ですね。



ハム太郎 さんの発言:

次は出エジプトに関する仰天さんの珍説に関するものです。

仰天 さんの発言:

  当時のファラオは特定できないという見解です。前1200年頃にカナンに入ったというのはあなたの推薦する山我さんの説でしょう。記憶で書くのは辞めるように言いながら自分は記憶で書いておられます。

違います。

仰天 さんの発言:

  鉄器時代Ⅰ期を最後にイスラエルではこのような像は出土しなくなるというのは前1200年頃だと言われています。その時はイスラエルがカナンに入って集落ができ始めた時であり、

仰天さんがイスラエル人は前1200年頃カナンに入ってきたと言っているのです。

仰天さんはあちらこちらでその場限りの思い付きを書き散らかすので、自分の書いたことも覚えていないようですね。

出エジプトが前1440年で、カナンに集落を作り始めるのが前1200年頃という仰天さんの説では、約200年間の空白がありますが、それはどうするのですかと尋ねているのです。

仰天さんのように神学を知らない無学(仰天さん認定済み)な私にはまったく理解できません。

これまた文章の読めない人のようです。

そこだけ読むと、前1200年頃にカナンに入ったようにも読めますが、他の箇所で私は、自由主義神学の人々が言うように、前1200年にイスラエルがカナンの地に入ったなら、その時から変化が見られるという事は、最初から一神教という事になりますと、後期説の矛盾を指摘しています。それも何の返答もない。

山地の集落とは別に青銅器時代後期からイスラエルが早い段階で入っているというのが前期説ですから、前期説だと思うと書いてますので、前1200年以前に入っているという見解なのは容易に分かる事です。その点での読解力がない。

山我さんらの矛盾点と、前回のロバート・M・プライスの珍説を指摘されたので今度は珍説という事にしたいようです。単純ですね。




ハム太郎 さんの発言:

次は#2548に出ている、ルカによる福音書に出ているイエスの両親の住民登録の話を取り上げましょう。

住民登録が本当かどうかは、仰天さん推薦の「ナザレのイエスは神の子か」の第5章:科学的証拠に出ています。

ルカによる福音書では、クレニオがシリア総督の時、住民登録のためにヨセフとマリアは祖先(ダビデ)の町ベツレヘムに行ったことになっていますが、この話は昔から福音書の中のバカバカしい話の代表でした。

住民登録はなぜするかというと、課税のためです。したがって、今住んでいるところで住民登録を行います。

なぜ1000年以上昔の先祖が住んでいた町へ行く必要があるのでしょうか?そんなことを国中で行えば大混乱になるだけです。

この問題に対して「ナザレのイエスは神の子か」の第5章で、考古学者のMcRayはどのように聖書を擁護するでしょうか?

まず、McRayは住民登録のため先祖が住んでいた町へ行くことはあったという証拠に104年に出されたエジプトの総督の命令を引用します。

しかし、これは自分の家、つまり公式の住所のあるところで登録せよという命令で、福音書にある1000年前の祖先の町で登録するという事とは全く関係ありません。

住民登録を命令したクレニオがシリア総督になったのは西暦6年で、イエスの生まれたとされる年と大きなずれがある問題について、McRayは突飛な解決策を言います。

もう一人クレニオとがいたというのです。聖書を擁護するためには突飛な空想もやむを得ないということですね。

その根拠はクレニオの名前が非常に細かい文字(micrographic letters)で刻まれたコインです。これはクレニオという人物が西暦前11年頃から役職についていたことを意味しているとMcRayは主張します。

しかし、古代の技術でそんなに細かい文字をコインに刻むことはできたのでしょうか?できません。

顕微鏡と先端にダイヤモンドが装着された道具が必要なのです。つまりMcRayの挙げたコインの文字は現代人が刻んだものです。捏造されたものです。



バカバカしい話だと現代人の感覚で決めつけるなら何も真実は見えてこないでしょう。ユダヤ人にとっては、自分の祖先が誰かという事はまだまだ重要な事柄でした。
通常、調査というものは搾取のために行なわれますので、それを察知した人々は反抗した記録があります。


使徒言行録/ 05章 37節
「その後、住民登録の時、ガリラヤのユダが立ち上がり、民衆を率いて反乱を起こしたが、彼も滅び、従っていた者も皆、ちりぢりにさせられた。 」

これが、ローマ直轄の属国になった時のクレニオの住民登録です。ルカの記録は正確です。

そして、ローマによる住民登録はユダヤではヘロデ時代にも行なわれていますから、通常、「クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録」と訳されている箇所は、「クレニオが総督だった時に行なった調査の前の事だった」

と見るのが適切だという見解があります。

バルバロ訳はそのように訳しています。







ハム太郎 さんの発言:

しかも、仮にもう一人のクレニオがいたとしても、問題は解決しないのです。

イエスが生まれたとき、パレスティナはヘロデ大王が支配していました。つまりローマの支配下ではありません。ローマ帝国の総督が自分の支配していない土地の住民登録をすることはしませんし、できません。

ヘロデ大王の死後、パレスティナはローマの支配下になったのです。

福音書の著者はその点を理解していたので、ヘロデ大王の死後のクレニオという総督の時代に行われた住民登録にイエスの両親の話を組み入れたのです。

その際年代的なずれには目をつぶったのでしょう。

McRayは考古学者なので、法制的な面は知らないうようです。

この程度の話で、なぜか「ナザレのイエスは神の子か」の著者ストロベルはイエスの誕生の時、住民登録は行われたと確信します。

これは最初から結論ありきの本だということがわかります。

ヘロデの死後にパレスチナが「直轄の」統治になったという事です。
パレスチナ王国が古代ローマの支配に下ったのは、ポンペイウスがエルサレムを攻略した紀元前63年です。
ハスモン朝の頃からローマの属州だったのです。ヘロデ大王のヘロデ朝もそうです。ですから、あなたの理解は半分正解、半分不正解。


ローマによってヘロデは紀元前40年に「ユダヤ王」に任命されていますので、事実上その時には既にユダヤはローマの属州なのです。

従属する国王を通しての間接的な統治か、その後のローマの直接統治かの違いだけです。

つまり、ヘロデ大王の時代も属州でしたから、ローマで住民登録がなされたならば、ユダヤでも行われる事はないとは言えません。むしろ、あったでしょう。

また、ヘロデの時はまだユダヤ人式の家系を重視した出生地での登録方法だったと考えられます。

クレニオが後に行ったものはローマ式のもので出生地に戻る必要はなかったのです。



ストロベルは、クレニオが二人いたという説明だけで納得していません。またもやあなた特有のガセネタです。

ストロベルは、マックレーのクレニオが2人いたという説は思いつきに過ぎないのではないかと思い、後日自分で調べた結果、オックスフォードとケンブリッジで考古学を教えていたラムジー卿が、同じような理論を展開しており、クレニオは1人だが、2回統治していたという見解を出している事と、もう一つ、クレニオがシリアを治める前の住民登録という意味に理解している研究者もいるので、自分で調べて、その段階で説得力があると結論したのです。

そのように複数の説を考慮した事に触れないのは公平ではありません。

ですから、結論ありきの本であるとは言えません。





ハム太郎 さんの発言:

ついでに、「ナザレのイエスは神の子か」の第5章ではナザレは存在したかという問題が取り上げられていますので、それについても触れましょう。

福音書には「ナザレという町」でイエスは育ったことになっています。しかし。イエスが生きていた時代にナザレという町はおろか小規模な村も存在したという証拠はない、という主張があるのです。

ナザレは旧約聖書に出てきません。パウロの手紙にも出てきませんし、1世紀のユダヤ人歴史家ヨセフスの本にも出てきません。

4世紀以前にはいかなる文書にも出てこないのです。ユダヤ人の文献でナザレが出てくるのは7世紀からです。

文献上、福音書以外に1世紀にナザレという町あるいは村が存在したという証拠はありません。

そこで「ナザレのイエスは神の子か」の著者ストロベルは考古学者のMcRayに1世紀にナザレが存在した考古学的証拠はあるのか質問します。

McRayは、ローマ軍による西暦70年のエルサレムの破壊後、多くの司祭がエルサレムから地方に移動したが、アラム語の祭司の移動リストが発見され、一人の祭司がナザレに移動していたことが書かれている、つまりナザレは存在したと主張します。

McRayは実に不誠実です。そのリストは西暦3世紀の終わりごろから4世紀の初めごろのものと推測されています。

1世紀のものではないのです。それについては全く触れません。

祭司のナザレへの移動は2あるいは3世紀と推測されています。

またナザレと読まれた文字ですが、一部が欠けていてナザレという読みも推測なのです。

McRayはこれらのことには一切触れません。

次にMcRayがナザレが存在していたとする証拠として挙げたのが、1世紀のものと推測される墓の存在です。

ここでもMcRayは実に不誠実です。発見された墓はKokhと呼ばれるタイプで、がラリアでは西暦50年以降に採用されたものだということには触れません。イエスの生きていた時代ではありません。

McRayはIan Wilsonの言葉を引用するのですが、ナザレはイエスの時代に存在していたかもしれないといっているだけです(Nazareth may have existed in Jesus’s time)。あやふやなものです。

Ian Wilsonはナザレは非常に小さな取るに足らない場所として、町の存在は否定しています。「ナザレという町」と書いてある聖書を否定しています。

もちろん、ストロベルは存在しなかったという立場の学者の意見は聞きません。

しかし、この本の結論は、ナザレは存在していた、なのです。

聖書擁護派の学者の言うことは、仰天さんのように神学を学ばないと理解できないようですね。

仰天さん推薦の本はこんなものです。


これもまたおかしな主張です。

文献で認められないならなかった事になるそうです。ヒッタイトやその他の事も、聖書でしか言及がなかったものも後に発見された例もいくつもあるのですから、聖書にしか記述がないから信用できないというのは全く受け付けられません。

この本では、疑われていたルサニヤについて、実際にアビレネの国王だった事、「役人」を表すポリタルケースという語がルカしか用いておらず他の文献にはなかったので疑われていたものの、碑文で確認された事も書いてあります。
さらに、三十二ヶ国、五十四都市、九島をまたがるルカの記述の中に間違いはなかった事も述べられています。
ただただ聖書の信憑性を落としたいハム太郎さんは、
そうしたルカや聖書の信憑性の高い点には触れない。そして、




祭司がナザレに移動したという事は、ナザレはあったという事です。
3世紀にナザレという場所に言及されているのなら、それ以前から存在していたでしょう。急に何もないところに移動もしないでしょう。

ナザレはイエスの時代はユダヤ人の村だったものの、後に多くのキリスト教徒が住むようになりました。

ナザレという町という表現をしているのはマタイです。
現代でも町より人口の多い村も存在していますから、町だと表現したからといって、そんなものは粗探し程度のものでしょう。

取るに足らない村だったので知られていなかった、文献にも出ていなかったという事に過ぎません。


聖書の記述もそれを裏付けています。


ヨハネによる福音書/ 01章 46節

「ナザレから何の良いものが出ようか」




発見された2つの墓の中には、1世紀の文書も見つかっています。

墓が1世紀からその場所にあり、新しく作り直されたなら説明がつきます。

墓に1世紀の文書が入っていた事は書籍に書かれていますが、その事に全く触れないあなたは不誠実だと言えます。

ルカによる他の多くの記述が正確なものであるなら、住民登録についてもナザレについての記述も正確で信頼できるものであると言えるのです。

あなたは、一般の歴史についても知らない、聖書の教理も知らない。また、私を精神病であるかのように2度も書いていましたが、匿名でも公然と精神病扱いするなら侮辱罪が認められる場合もある事すら知りません。法的にも無知です。

ですから、出てくるたびに恥を晒すのですから出て来ないほうがいいと忠告したのです。

ルカによる記述や他の聖書の多くの正確な箇所は取り上げずに単に聖書の信頼性を落としたいだけの粗探しレベルのハム太郎さんは、ナザレのイエスは神の子か?の書籍の粗を探すわけですが、自分が推薦したプライスの属していたジーザスセミナーの怪しさと問題点には触れません。


聖書の記録は多くの点で確かめられていますが、プライスやジーザスセミナーの珍説は何も確かめられてもいないものです。

そのようなものを推薦する人は信用できないのです。

#2723 2021年05月01日 21:31:20

仰天
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

ハム太郎 さんの発言:

4月19日に書き込んで以来、久しぶりにこの掲示板をのぞいてみました。

書き込み多数で、恐悦至極です。

しかし、私に対する仰天さんの悪口だらけの書き込みが見当たりません。見落としたのかと心配になります。

かわりに、仰天さんは住民登録について、聖書に間違いはないと信じている誰かのブログにリンクを貼っています。

ブログを読むのが大好きなんですね。そのブログにはこんなことが書いていました。

以上のことを考慮すると、BC12年からヘロデが病死するまでのBC4年の間に、すなわち、クレニオがシリアの軍事顧問をしていた期間に、ユダヤにおいて「最初の住民登録」が行われた可能性は十分に考えられます。そういうわけで、今回の疑問も聖書の矛盾にはなりません。

このブログの作者は、仰天さんと違って神学校で学んだことがないようで、間抜けなことを書いていますね。

ヘロデ大王が生きていた時代はパレスチナはローマの支配下にありません。したがってローマ当局がパレスチナで住民登録を命令することはないし、そんなことをしたという記録もないということがわからないようです。

神学校で恐らく優秀な成績だった仰天さんもそうですが、このブログの作者も「可能性は十分に考えられます。そういうわけで、」という論理展開をよく行います。

可能性があることを示すだけでは、それが起きたということにはなりません。さらなる証拠が必要なのです。この簡単な論理は神学校では教えてくれないのですね。

犯人の可能性があるだけで、犯人と決めつけ逮捕してしまうことはできません。逮捕するには、さらなる証拠が必要です。

精神病扱い等から悪口はあなたのほうであるのは明白です。何を他人事のように言っておられるのでしょうか。

すでに指摘したように、ヘロデ王はローマによって任命されており、ユダヤは、ヘロデの時代から間接統治によるローマの属州です。
本当に無知ですね。

可能性があるだけで決められないのなら、イスラエルが初めは多神教だったとか、ウガリットのエルを拝んでいたとか、単にエル繋がりの点だけこじつけてイスラエルは多神教と断定するあなたは間違いで、何の証拠もない裏付けのない発言です。

疑わしきは罰せずと言うではないですか。ならば聖書を間違いだとするのは賢明な判断ではない。



考古学的には、バビロンやエジプトの宗教を研究して、ヘブライ人の宗教が唯一の独特のものである事が確認されています。イスラエルは初めから多神教の周辺世界とは異なる一神教だったのです。

ヴェルハウゼンの本には、宗教の進歩が元来の精霊崇拝と動物崇拝から律法宗教に移っていったと書いてあるけれども、それは史実の裏付けがあるわけではないのです。その事と、モーセ五書の真正性については、バルバロ訳聖書の序文及び、徹底検証キリスト教シリーズをお読み下さい。



ハム太郎 さんの発言:

住民登録の話に戻すと、そんな証拠はないので、可能性があるから、住民登録も行われたはずだ。聖書に矛盾はないと、仲間の信者の間だけで自己満足するしかないわけです。


これもまた、おかしな発言です。仲間内の間だけで満足しているのは懐疑論者や自由主義神学の者でしょう。

ルカによる他の多くの記述が正確ですから、住民登録に関しても正確だと、聖書や神を信じる者は考えるという事です。証拠は、長年疑われてきたルカの記述の多くが正しかったと確認されたという事が、間接的な証拠となります。

あなたの場合は、聖書の正確な部分は無視して疑わしいと思われる点だけに注目して、聖書は信用できないとする極端な考えに走っているのです。




ハム太郎 さんの発言:

ところが、仰天さんは#2601でこんなことを言います。

仰天 さんの発言:

  てつてつさん、住民登録は創作ではないです。ルカによる福音書は他の多くの箇所で正確です。
アーマン解釈は的外れなものです。それを分析もせずに信奉するてつてつさんの態度はいかがなものかと。

住民登録について、誰が書いたかわからないブログにリンクを貼っただけの仰天さんですが、「住民登録は創作ではないです。」と断定しています。

神学校でそう習ったのでしょうか?それともそう確信する根拠があるのでしょうか?

根拠はなくても断言だけはする仰天さんがてつてつさんに説教を垂れるというのは滑稽ですね。神学校でそういう傲慢な態度を学んだのでしょうか?


根拠は示していますね。
それを調べもせず、無知なままで的外れな批判だけやっているのがあなたなのです。そういう態度が不誠実であり、真実を知りたい、デマを正すと言いながら自らが多くのデマを垂れ流しているのであなたこそが偽善者だと正確に指摘しているのです。読解能力も相変わらず最初から最後まで欠如していますね。



ハム太郎 さんの発言:

てつてつさんは#2582でこう書いています。

てつてつ さんの発言:

多分イエスに成就したという予言は福音書筆者が旧約をめちゃくちゃ探し回ってそれらしいところを筆者が個人的にそう解釈しただけだと思います

全くその通りだと思います。

その実例をマタイの1と2章から4つあげましょう。

1)マタイ1:23(イザヤ7:14)
「処女が妊娠して男の子を産み,その子はインマヌエルと名付けられる」。この名は訳せば,「私たちと共に神がいる」という意味である。
(乙女が妊娠して男の子を産み,インマヌエルと名付けます)

マタイ以外にイザヤ7:14の予言が成就したと思った人はいないようですね。

イエスはインマヌエルという名前じゃありません。

イザヤ7:15,16は“その子は,善悪を判断できるようになるまでに,バターと蜂蜜を食べます。 その男の子が善悪を判断できるようになる前に,あなたが恐れている2人の王の土地は完全に捨てられます。”と続きます。イエスとは違います。

マタイはイザヤ7:14だけを読んで、これはイエスの事だとこじつけたのでしょう。

バターと蜂蜜などと新世界訳を引きずっているのが滑稽です。

インマヌエル(神は私たちと共におられる)という点では、イエスは神として礼拝され、共におられた神ですから成就しています。

マタイによる福音書/ 28章 20節
あなたがたに命じたことをすべて守るように教えなさい。私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」


マタイによる福音書の最後でも、イエスはいつも共にいる事を述べておられます。インマヌエルです。

マタイの教える教団だけでなく、他の多くのキリスト者の間でもインマヌエル預言はイエスを指すというのが共通認識です。マタイ以外に成就したと思った者がいないなんてのはあなたの明らかな間違いです。

そもそも、聖書の預言というものは、エルサレムの滅びの預言でも他のものでも、二重の意味があるものです。

イザヤの預言も、イザヤと同時代の事と、未来の事が扱われているのです。

凝乳と蜜を食べるというのは、裕福な状態ではない事を示します。

おとめ、或いは処女がみごもっているというのは、すぐに起こる事と未来に起こる事とを表しています。
すぐに起こる事は、イザヤの時代に結婚する前まで処女だった花嫁を指します。その息子が善悪をわきまえる年になる前に、アラムとイスラエルの王たちは滅ぼされるという事です。(イザヤ7:16)

未来に起きる事は、イエス・キリストの処女降誕によって実現しました。


イザヤ7:14は、同時代のものであり、未来のものです。
7:1〜 9:7は、7章2節と13節において「ダビデの家」への言及があり、南ユダへの預言です。
それに対して9:8〜11:16は、エフライム、つまり北イスラエルへの預言なのです。

それには並行関係が見られます。
1、神の怒りが降される事への警告
2、アッシリアの侵略
3、民の敵の破壊と残りの者の救い
4、ダビデ王国の回復と栄光

そうだとすると7:14だけを取り出して解釈するべきではないでしょう。


すると、インマヌエルの約束をもたらす方(7:14)は、約束の地全体を治める方であり(8:8)、敵はその方に立ち向かう事はできず(8:10)、その方は、異邦人のガリラヤに現れ(9:1)、闇の中に光をもたらし(9:2)、「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれ(9:6)、その支配は代々限りなく続く(9:7)わけです。
ここで言われている方はダビデ家に生まれるメシアです。
参考資料『マタイの福音書註解』上 中澤啓介P124

つまり、イザヤ書は明らかなメシア預言を含んでいるのですから、7:15の凝乳と蜜(ハム太郎さんに言わせればバターと蜂蜜)を食べる点だけを読んでイエスの事ではないなどと結論するのは明らかな間違いです。



ハム太郎 さんの発言:

2)マタイ2:15 (ホセア11:1)
ヘロデの死までとどまった。こうして,エホバが預言者を通して「私はわが子をエジプトから呼び出した」と語ったことが実現した。
(私は,少年だった時のイスラエルを愛していた。わが子をエジプトから呼び出した)

イエスの家族がエジプトに逃げたことを言っていますが、これもこじつけです。

ホセアの「わが子」はイスラエル全体を指していて、イエスの事を指しているなんてことはありません。


申命記/ 32章 08節
「いと高き神が国々に嗣業の土地を分け/人の子らを割りふられたとき/神の子らの数に従い/国々の境を設けられた。 」


ホセアでもそうですが、旧約では、天使を指して用いられている箇所を除いて通常、「神の子」はイスラエルを指します。

以前のあなたの、ヤハウェは多くの神々の中の最高神、つまり多神教というこじつけ解釈と矛盾しています。

つまり、申命記の神の子はイスラエルという事です。

ホセアはイスラエルの民がその歴史の初期においてエジプトを脱出し、国家を形成した事を述べています。イスラエルは神から「わたしの子」と呼ばれています。マタイは、イスラエルの民に付けられたタイトルをイエスに当てはめ、イエスこそ真のイスラエルであり、イスラエルの代表者に他ならない、と解き明かしているのです。
それはなぜか、ユダヤ人はメシアを期待しており、しかもそのメシアは、本当のイスラエル人でなければならないと信じていたからです。(ヨハネ1:47)

イエスは神の子であり、父なる神に向かって、「わたしの父」と呼びかけています。

そのような神学的な意味があるのです。さすが、神学も聖書学にも無知なハム太郎さんです。


3)マタイ2:16-18 (エレミヤ31:15)

に関しては、てつてつさんへの返信で書いたので省略します。





ハム太郎 さんの発言:

4)マタイ2:23
ナザレという町に来て住んだ。「彼はナザレ人と呼ばれる」という預言者たちの言葉が実現するためである。

予言の成就おめでとうと言いたいところですが、「彼はナザレ人と呼ばれる」なんてことは旧約聖書のどこにも書いていません。

書かれていない予言まで実現しちゃうマタイの福音書ってすごいな。

まだまだこのような例はあります。

イエスが予言を成就したというのは、福音書の作者のこじつけがないと難しいのではないかと、無学(仰天さんによる認定済み)な私などは思いますね。


この、ナザレの人と呼ばれるという箇所には、ネツァールというイザヤ書の若枝と結び付ける解釈もあります。リンク先で述べられているようにネツァールがナザレの語源かは不明だと思いますがね。


https://shinjuku-shalom.com/archives/13582


他にもナザレ人をナジル人と関連付ける研究もあります。

それとは別にナザレ人とは蔑んだ呼び方で、人々からイエスが蔑まれ罵られる事が成就したという意味でナザレ人と呼ばれた事を蔑まれる預言の成就とマタイは見たという見解もあるのです。



まだまだこのような例はありますと言って、他にも何か出すかもしれないですが、大抵の場合はハム太郎さんや批判的な人たちの理解不足、読解力不足ですから、今後新しく何か他の点でも難癖を付けてきても全部に答える必要もない事で、あなたの言うような批判にもならない主張は、特に気にする事もない取るに足りない意見なのです。さらに深く調べてから言うべきでしょう。

#2724 2021年05月01日 21:43:44

仰天
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

ハム太郎 さんの発言:

仰天さんとタニタクミさんの心温まる交流に水を差して申し訳ありません。

タニタクミさんの書き込みがこれから増えそうです。

仰天さんの責任で、しっかり返信して下さいね。

仰天さんは私に対する悪口を少し書いているだけですね。

#2622にこうあります。

仰天 さんの発言:

  確かにハム太郎さんの認識とか聖書理解は笑えます。
本人さんは真面目に書いてるみたいで悪いのですけれどね^_^

仰天さんは、今頃、神学校時代のノートなどをめくりながらキリスト教のお勉強にいそしんでいるのでしょうか?


仰天さんによりますとイエスの復活は事実です。それについて扱いましょう。

#1945の仰天さんの書き込みです。

仰天 さんの発言:

  主イエスの復活は次の事実によって確認されています。
(1)空の墓。 反対者たちは出来る限りの事をしてイエスのよみがえりを阻止し、よみがえりのメッセージをごまかそうとしていました(マタ27:62-66、28:11-15)
もし敵対する勢力が主イエスの体を持ち去っていたなら、主イエスは復活しなかったと言ってその体を証拠として提示できたはずです。
もし、弟子たちが主イエスの体を持ち去っていたのなら、よみがえりは嘘と知っているのですから、その嘘の為に命や財産を犠牲にする事はなかったはずです。墓が空である事は、主イエスが本当に死からよみがえられた事、そして本当に神の御子である事を明らかにしています。

(2)初代教会の人々の存在、力、喜び、献身。
(3)新約聖書の著作。
(4)聖霊のバプテスマと教会の中で働く御霊の賜物(教会を建て上げ人々の祝福になるために神が個人に与えられた能力)。
(5)キリストによって変えられ刷新されたいのち。

(2)から(5)は根拠とは呼べないので省略しています。

仰天さんにとって、(1)「空の墓」がイエス復活が事実であることを明らかにしていることのようです。神学校時代のノートにそう書いてあるのでしょう。

でも、そんなことを言っているのは、聖書は神の言葉で間違いはないと固く信じている人だけです。

まず、もっとも古いイエスの復活についての証言を見てみましょう。コリント一15:3-8のパウロの証言です。

「私が皆さんに伝えた最も大切な点の中に,私自身も学んだ事柄があります。それは,聖書にある通りキリストが私たちの罪のために死んでくださり,そして葬られ,聖書にある通り3日目に生き返らされ, ケファの前に現れ,それから12人の前に現れたことです。 その後,キリストは一度に500人以上の兄弟の前に現れました。その中には死の眠りに就いた人がいるものの,ほとんどは今も生きています。 その後,キリストはヤコブの前に,それから全ての使徒たちの前に現れました。 そして最後に,私の前にも現れてくださいました。」

これは西暦55年前後に書かれたものと推定されています。イエスの死から20年以上たっています。

ここに書かれたことは、パウロは「学んだ事柄」といっていますので、伝聞です。

この最も古いパウロの証言には、イエスの「空の墓」は出てきません。そんな話は知らないようです。

イエスが多くの人の前に現れたと言っていますが、福音書で重要な役割を果たす女性たちについては全く触れません。天使もアリマタヤのヨセフも出てきません。そんな話は知らないようです。


ガラテヤの信徒への手紙/ 01章 18節
それから三年後に、エルサレムに上ってケファを訪ね、彼のところに十五日間滞在しました。


使徒言行録/ 09章 17節
そこで、アナニアは出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。「兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、私をお遣わしになったのです。」



使徒言行録/ 09章 19節
食事をして元気を取り戻した。
◆サウロ、ダマスコで福音を告げ知らせる
サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちと一緒にいて、


パウロはペテロを訪ねて二週間滞在しています。

他にもアナニアや他の弟子たちともヤコブとも会っています。


パウロの言葉にも、「葬られ、生き返った」とあるので墓への言及も含まれているのです。

イエスの死が紀元30年より前だとすると、パウロの改宗は32年頃になり、すぐにダマスコへと案内され、アナニアや他の弟子たちと会っています。

彼が使徒たちと会ったのは、35年頃と考えられており、この3年間のどこかで、初代教会が信じ、まとめ上げていた第一コリント15章の信条がパウロに伝えられたのです。

これは、パウロの改宗から2ー3年後の事で、イエスの公的活動が終了してから5年ほどしか経っていないのです。

ですから、第一コリントが文書になる前から、既に基本信条は早い段階から宣べ伝えられており、55年頃に書かれたから時が経っているというのは的外れな指摘なのです。

そもそも復活後のイエスと出会ったパウロですから、生前のイエスに関しては他の弟子たちから聞くのは当然の事なのです。

歴史的に重要な人物あるいは英雄に対して人が関心を示す事は、誇張するまでもなく古今東西を問わず一般的に知られた傾向です。したがって、キリストに対する信仰を表明した者たちが、イエスの生前の生き方と教えに関心を示さないとは到底考えられません。

パウロのケファ(ペテロ)訪問において、2人の会話が生前のイエスの活動に全くあるいはほとんど触れないなどとは想像しがたいのです。


つまり、女性やアリマタヤのヨセフに触れないからといって、それらを知らないと判断するのもまた理解不足で、的外れなのです。

パウロが生前のイエスに関心がなかったというのは、19世紀の自由主義神学の者の言っていた古い見解に過ぎません。

パウロが改宗した時にはイエスの死から2年ほどしか経過しておらず、その前から使徒や弟子たちの間ではイエスの死と復活の基本信条が既に宣べ伝えられていたのですから創作が入る時間などないのです。
それを、いや、創作が入る時間はあったんだと言っても通用しないのです。

なぜならエルサレムでのイエスの処刑とその後の出来事を多くの人が知っているので創作はできないのです。そして多くの人が信じました。
新約聖書がイエスの死後数十年後に書かれたから信用できないというあなたの主張は覆りました。それ以前から伝えられていたからです。創作だと言うのであれば他の根拠が必要です。





ハム太郎 さんの発言:

その他にも、奇妙な点がありまして、「聖書にある通り」が2回でてきますが、そのようなことをはっきりと書いてある聖句は存在しません。


コリントの信徒への手紙一/ 15章 03節
最も大切なこととして私があなたがたに伝えたのは、私も受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおり私たちの罪のために死んだこと、







人類の罪のために死なれた事はイザヤにあります。



イザヤ書/ 53章 05節
彼は私たちの背きのために刺し貫かれ/私たちの過ちのために打ち砕かれた。/彼が受けた懲らしめによって/私たちに平安が与えられ/彼が受けた打ち傷によって私たちは癒やされた。




コリントの信徒への手紙一/ 15章 04節
葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、



3日で蘇る事はイエスの言われた事ですが、復活については詩編で預言されています。


詩編/ 016編 010節
あなたは私の魂を陰府に捨て置かず/あなたに忠実な者に滅びの穴を見せず




3日目の復活がはっきり書いていないからといっても、その他のイエスによって成就した預言は300以上あると言われています。否定できない事実です。

詳しくは『徹底検証キリスト教』第2巻をご覧下さい。



ハム太郎 さんの発言:

また「12人」が出てきますが、イスカリオテのユダは死んだことになっていますので、12人はあり得ません。

これが最も古いイエスの復活に関するパウロの証言です。非常に問題のある証言です。

確かにユダの代わりに使徒が選ばれるのは後の事ですので、その時は11人ですが、12使徒として選ばれた者に現れたという意味でしょうから、些細な点でしょう。粗探しレベルです。

問題はほとんど、どこにも見られません。




ハム太郎 さんの発言:

「空の墓」が最初に出てくるのはマルコの福音書です。これはパウロの手紙から15年ほど後に書かれたものです。

これもまたおかしな指摘です。

マルコに限らず他の福音書も、既に存在していて初代教会が早くから伝えていた信条を後に、イエスを直接知る人々が少なくなるといけないので、記録として記したのであり、書かれる相当前から空の墓もイエスの復活も伝えていたのです。

そこもあなたの理解不足。




ハム太郎 さんの発言:

マルコ15:43によると「ユダヤ人の最高法廷の評判の良い一員であるアリマタヤのヨセフがやって来て,勇気を出してピラトの前に行き,イエスの体を頂きたいと願い出た。」とあり、「ヨセフは上等の亜麻布を買い,イエスを下ろしてその布に包み,岩をくりぬいた墓に葬った。そして,墓の入り口に石を転がしておいた。」のです。

パウロの知らない話が突然出てきます。この話は、信用できるでしょうか?

実は非常に不自然な点がいくつかあるのです。

アリマタヤのヨセフは最高法廷の一員ですが、マルコ14:64では「皆さんは冒瀆の言葉を聞きました。どうしますか」。皆,イエスを死に値する者と断罪した。」と最高法廷での様子を書いています。

つまり、アリマタヤのヨセフもイエスの死刑に賛成したのです。それがイエスの死後一転して、「勇気を出して」イエスのために尽くすわけです。不自然ですね。

ルカによる福音書/ 23章 50、51節
「さて、ヨセフと言う議員がいたが、善良な正しい人で、
同僚たちの決議や行動には同意しなかった。ユダヤ人の町アリマタヤの出身で、神の国を待ち望んでいたのである。」

まず、決議というものがどういうものかをあなたは理解していない。

過半数とか、多くの者が賛成したら決定されるのです。アリマタヤのヨセフは同意していません。あなたの理解不足のガセネタです。

そしてまた、パウロが知らない話だと断言していますが、もちろんパウロが知らないという根拠は一切ありません。根拠を示しましょう。







ハム太郎 さんの発言:

さらに不自然な点はイエスの死体が丁重に埋葬されたこと自体なのです。

当時の習慣では、処刑された死体は、見せしめのためそのまま放置された、あるいは共同の死体捨て場の穴に投げ捨てられたからです。

犯罪者の遺体を遺族が引き取ることはありましたが、それはローマ当局に有力なコネのある特権階級に限られていました。

アリマタヤのヨセフが仮にそのような人だとしても、家族ではないイエスの遺体を引き取ることは認められないでしょう。

また、ローマ皇帝の誕生日には特別に遺体の引き取りが認められることがありましたが、イエスの死んだ日はそうではありません。

当時のローマ総督ピラトはユダヤ人嫌いの冷酷な支配者で、イエスのためにそのような配慮をすることも考えにくいのです。

という訳でイエスが墓に葬られたという可能性は極めて低いのです。イエスの墓がそもそもなければ、「空の墓」もありえないことになります。

仮に「空の墓」が事実だとしましょう。それがイエスの復活を意味するのでしょうか?

それは最も考えにくいシナリオです。イエスの遺体が何者かによって盗まれたというほうがまだましなシナリオです。

ローマの習慣ではそうでしょうが、またまた一側面しか見ていない意見です。
ユダヤ人の習慣ではローマとは異なり、磔刑にされた者の死体はその日のうちに取り除かねばならなかったのです。その点でも無知です。

申命記/ 21章 23節
あなたはその死体を夜通し、木に残しておいてはならない。必ずその日のうちに葬らなければならない。木に掛けられた者は、神に呪われた者だからである。あなたは、あなたの神、主があなたに相続地として与える土地を汚してはならない。


つまり、アリマタヤのヨセフはユダヤ人であり、次の日は安息日ですから、律法に従って遺体を引き取るように願い出たのです。
それに、ピラトはイエスに罪は見出せないとして処刑には反対しており、釈放しようとしていた事が読み取れます。それでアリマタヤのヨセフの願いを聞き入れた恩赦は他のユダヤ人たちに対する抵抗だったと思われます。何の不思議もありません。墓に埋葬された事は明らかに記録されており、文書になる以前から伝えられていますので、記録通りに墓に葬られた可能性のほうが高いでしょう。あなたの分析が甘いのです。


「イエスの遺体が何者かによって盗まれたというほうがまだましなシナリオです。」
という見解も全く有り得ないシナリオです。

3日目に蘇る事を聞いていた反対者たちは、遺体が盗まれてそのような事を弟子たちが言い出すといけないと思い、墓に封印までして番兵を付けて見張らせたのです。墓に埋葬されてなければそのような事はしません。

そして、見張りの途中で寝てしまうというのは死刑に当たる失態です。見張っていた兵士が全員眠っていたとは考えられず、寝ていたならなぜイエスの弟子たちが遺体を盗んだと分かったのかという問題です。「寝ていて盗まれたのに気付かなかった」というのは、昔からある成り立たないおかしな主張です。

なぜ寝ていたのにイエスの弟子たちだと分かったのか。途中で目を覚まして見たならば武装した強力なローマ兵士が取り逃がすでしょうか。
イエスを見捨てて隠れていた臆病な弟子たちが危険をおかして墓に遺体を盗みに来るなんて有り得ない話です。

ローマの封印を許可なく解くのも重罪です。墓がなければ番兵も付けませんし、封印する事もないのです。
そんな状況でイエスの遺体が消えたのですから、予告通りに実際に復活が起こったと見るのが道理にかなった見方なのです。

職務中に居眠りしていて罰せられないなどという点も不自然です。






ハム太郎 さんの発言:

一方、マルコの福音書では「空の墓」の話が出てくるのですが、パウロがしつこく言っていたイエスが現れたという話は出てきません。

マルコの最後は「女性たちは外に出ると,墓から逃げるようにして走った。震えていて,胸がいっぱいだった。誰にも何も話さなかった。恐れていたのである。」ですが、これはマルコの福音書を読んだ同じ時代の人が、空の墓の話なんて聞いたことないよ、創作だろうと、批判することをあらかじめ想定していたからと考えられます。

そういう人には、この話はごく内輪の人しか知らない話なんです、と説明するわけですね。

イエスの復活に関するもっとも古い証言であるパウロとマルコの話は大きく異なりますし、不自然な点が多いのです。何が真実か全くわかりません。


マルコ福音書成立以前からイエスの死と復活は伝えられていますし、イエスが現れた事も伝えられています。他の福音書でも記録されており、もちろんその記録以前から他の弟子たちは復活後のイエスも伝えていますから創作なんて事は有り得ないのです。

神話化するには時間がかかりますが、イエスの死のすぐ後から確かな事実として伝えられています。

また、マルコ福音書が最古の福音書だという説とは別にマタイによる福音書が最古だという説もあります。

いずれにせよ福音書がまとめられる以前からイエスの復活は伝えられていますから、マルコによる福音書がたとえ8節での驚きで終わっていても、その前にイエスは蘇ったと教えられていますので、イエスは復活しているのです。マルコ福音書の巻末部分が欠損したか、女性たちが驚いた所で終わる形式で書いたのかは不明ですが、イエスの復活は語られておりパウロの証言と大きく食い違う点もありません。

パウロは単に女性のイエスの目撃の話は割愛しただけでしょう。大げさ過ぎる反応です。





ハム太郎 さんの発言:

#1769で仰天さんはこう書いています。

仰天 さんの発言:

  聖書を信じられる要素として、男尊女卑の当時のユダヤ社会において女性の発言は取るに足りないものとされていましたが、最初にイエスの復活を目撃した証人は女性でした。作り話であるなら目撃証人に女性などは書かなかったはずです。

これも聖書に誤りはないという人たちの昔からある推論です。

なぜ女性がでてくるのか?それは簡単です。遺体を処置するのは女性の役割だったからです。話の展開上、女性が「空の墓」を発見するのは極めて自然なことなのです。

さらに、男性の弟子たちは逃亡したことになっています。

どこへ逃げたかというと故郷のガリラヤでしょう。歩いていくと1週間はかかります。突然、男性の弟子たちが墓の前に登場する方が不自然なのです。

また、マルコの福音書では弟子たちはイエスの言葉を理解しないダメな弟子と描かれていて、復活の場面でも女性たちに先を越されるダメな弟子と描かれる方が、一貫性の点で自然なのです。

仰天さんによればイエスの復活は事実だそうですが、通常は、この程度の根拠で「復活」というおよそあり得ないことが事実と認定されることはありません。

女性が遺体の処置をする事もありましたが、アリマタヤのヨセフとサンヘドリンの議員だったニコデモはイエスの遺体の処置を行なっています。

ヨハネによる福音書/ 19章 40節
彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。


遺体の処置は女性だけとはどこ情報でしょう。彼女たちは、既に遺体は処置されていたものの、イエスを慕うあまり、更に香料を塗ろうと出向いただけです。
また、男の弟子たちは、まだガリラヤには行っておらず、エルサレムの部屋に集まっていた所にイエスが現れたのです。

ですから、エルサレムにいた男の弟子が先にイエスの墓に行ったとしても不自然ではありません。


ペテロも女性たちからイエスの復活を聞いて墓に行っています。男性が先にイエスの復活を目撃した、イエスの愛する重要な男の弟子が先に目撃したとするのが一番いい話の展開でしょう。

しかしながらそうはなっていないのです。当時、重視されていなかった女性の証言が記録されているのですから、実際の出来事だと言えるという事です。

それに、弟子たちや使徒たちはイエスの復活など信じてもおらず隠れていたのです。創作ならイエスの復活を信じて待っていた失敗のない優秀な弟子として書くでしょう。あなたの考えとは違って創作とは言えない要素があまりにも多いのです。

全体的にあなたの読解力不足です。新約聖書の記録を真実でないとする根拠は不足しているのです。

#2725 2021年05月01日 22:10:40

タニタクミン
ゲストユーザー

Re: Chimera元証人自作自演スレッド(レッドカードのお知らせ)

ハム太郎 さんの発言:

書き込み多数で、恐悦至極です。

しかし、私に対する仰天さんの悪口だらけの書き込みが見当たりません。見落としたのかと心配になります。

かわりに、仰天さんは住民登録について、聖書に間違いはないと信じている誰かのブログにリンクを貼っています。

ブログを読むのが大好きなんですね。そのブログにはこんなことが書いていました。

 


[quote=仰天さん]


あなたの場合は、聖書の正確な部分は無視して疑わしいと思われる点だけに注目して、聖書は信用できないとする極端な考えに走っているのです。

[/quote」


同感です。信じたいから仰天さんに質問しているのではなく大袈裟に言わせてもらえば仰天さんの持つ信仰を奪おうとしていると感じます。そして、仰天さんを支持する人を「仰天教」と言うのもあたかも仰天さんが自分を教祖のように表現し、独りよがりに洗脳させようとしているという風に印象操作を私のような単細胞に植え付けようとしていると感じていました。だから金閣炎上でこのトピックに書きこんだ中で私は「聖書を好きなのか嫌いになりたいのか逡巡する」と書き込みました。

私は仰天さんがそのように謗られていることがとてもつらかったです。


仰天 さんの発言:

 

インマヌエル(神は私たちと共におられる)という点では、イエスは神として礼拝され、共におられた神ですから成就しています。

マタイによる福音書/ 28章 20節
あなたがたに命じたことをすべて守るように教えなさい。私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」


マタイによる福音書の最後でも、イエスはいつも共にいる事を述べておられます。インマヌエルです。

マタイの教える教団だけでなく、他の多くのキリスト者の間でもインマヌエル預言はイエスを指すというのが共通認識です。マタイ以外に成就したと思った者がいないなんてのはあなたの明らかな間違いです。

そもそも、聖書の預言というものは、エルサレムの滅びの預言でも他のものでも、二重の意味があるものです。

イザヤの預言も、イザヤと同時代の事と、未来の事が扱われているのです。


おとめ、或いは処女がみごもっているというのは、すぐに起こる事と未来に起こる事とを表しています。





すると、インマヌエルの約束をもたらす方(7:14)は、約束の地全体を治める方であり(8:8)、敵はその方に立ち向かう事はできず(8:10)、その方は、異邦人のガリラヤに現れ(9:1)、闇の中に光をもたらし(9:2)、「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれ(9:6)、その支配は代々限りなく続く(9:7)わけです。
ここで言われている方はダビデ家に生まれるメシアです。
参考資料『マタイの福音書註解』上 中澤啓介P124



イエスは神の子であり、父なる神に向かって、「わたしの父」と呼びかけています。[/quote]

イエスの復活と共に処女懐胎を信じるのはキリスト教に於いてとても大事な信仰をはぐくむプロセスだと私的には考えていました。それを仰天さんは親切に教えてくださいました。ゆりさんではありませんが私も仰天さんをそういう意味で恩人だと思います。


[quote]
まだまだこのような例はありますと言って、他にも何か出すかもしれないですが、大抵の場合はハム太郎さんや批判的な人たちの理解不足、読解力不足ですから、今後新しく何か他の点でも難癖を付けてきても全部に答える必要もない事で、あなたの言うような批判にもならない主張は、特に気にする事もない取るに足りない意見なのです。さらに深く調べてから言うべきでしょう。


神は仰天さんといつも共におられると私には感じています。
仰天さんがもしもご自身のされていることにふと、虚しさや徒労感を感じる時には私やゆりさんの言葉を思い出していただければと思います。ハム太郎さんをシュウイチサンのように皆で罵ることイエス様が悲しむと思いますので。

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