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#1 Re: 総合フォーラム » 改名:騙されやすい「心」(「価値観の変遷について」からの改名です) » 2018年07月15日 08:33:49

おもしろい発想ですね。

Tak さんの発言:

自分で調べたわけではないですが、操り人形と人形浄瑠璃を見比べたときに、
どこからコントロールされているか(上からか、それとも下又は後ろからか)
という視点がその文化が持っているしつけや教育観と関連しているような気がします。

わたしが学んでいる「認知心理学」や「ひと学」・・・でも
進化の過程での「適応」は外せない、としながら
それぞれの「文化」(環境)による枝分かれ(変化)的な違いに関する予測・仮説・・・がよく出てきます。


動画についてです。
わたしは、あのお父さんの「優しさ」の陰に見え隠れしている「脅し」的な方法が気になりました。
JWは「サタン」の存在を匂わせて、それをカレブくんの回りの「小悪魔?」「モンスター?」で表現しているつもりだと思うのです。
わたしも子育ての時、確かに「喜ぶのは誰?サタンじゃない?」などと言って使いました。
ところがマインドコントロールが解けた今となっては、
それは単に親のエゴであり、子供への「脅し」の材料でしかなかったな・・・と気づいたわけです。
そういった親の主張の正当化の拠り所や発想が
確かに「JWの発想」に起因していたことが改めて確認できた気がしました。

そんなわけで、あのモンスターは
むしろ、お父さんの気持ちの中の「ずるさ」のように見えてしまいました。

自分の経験を踏まえて考えるとき
子供に正直に本当のことを言って欲しかったら
親自身が「自分を信頼して欲しい」こと、
「嘘をつかれているのは悲しい」こと・・・など
親の気持ちを率直に伝えるべきだったのだろうと感じました。
今さらですが・・・。

しかも、結果的に「親が子供に『嘘』を教えていた」という
何とも笑えないオチですからね。

#2 Re: 総合フォーラム » 改名:騙されやすい「心」(「価値観の変遷について」からの改名です) » 2018年07月14日 08:48:09

こんにちは。


人は段階的に心理的発達を遂げつつ成長していく・・・とされています。
もちろん個人差はありますが、ほぼ同じ月齢・年齢の頃には同じような発達を遂げているため、
集団での学校教育がある程度可能になっているわけです。

【実験1】
4歳以上の子供Aちゃんがいます。
Aちゃんに、BちゃんとCちゃんの行動について映像などを使って説明します。
「赤い箱と青い箱があります。Cちゃんが見ているところでBちゃんは、チョコレートを赤い箱に入れました。その後、Cちゃんは部屋を出ました。Cちゃんがいない間にBちゃんはチョコレートを青い箱に移し替えました。Cちゃんが部屋に戻ってきました。さて、Cちゃんは赤い箱・青い箱、どちらにチョコレートが入っていると思っているかな?」(誤信念課題)
4歳未満の幼い子供は、普通、Aちゃん自身が聞いたり見たりした通りに(青い箱に移し替えたのだから)、
「青い箱」と応えてしまいます。
ところが、自分ではなくCちゃんの側からものを考えることができるようになるので、
Cちゃんが思っている通りに「赤い箱に入っていると思っている」と正答することができるようになります。

さて、JWのサイトには以下のような動画があります。
お父さんがカレブくんに、「どんな小さな嘘」もついてはいけない・・・と諭している動画です。
https://www.jw.org/ja/%E8%81%96%E6%9B%B … %E3%82%8B/

ところが、実は「嘘」をつけるようになるということ、
しかも一貫して「嘘」をつけるようになることは人が「社会化」していく課程の重要なポイントのひとつなのです。
※常習的な「嘘つき」や「詐欺」を擁護する意図はありません。

9、10歳頃には自分とは異なる他者の心を、
それまでより複雑な仕方で推測できるようになるのが一般的なのです。
(例えば、「『〇〇さんが××だと思っている』と、△△さんは思っている」という風に)
また、自分の「語ったことの整合性」を直感的に捉え、
言い分に矛盾が生じないようにできる時期ともなります。(二次的信念の理解)

【実験2】
Dちゃんにある箱を見せます。そして「この中にはDちゃんが絶対気に入るオモチャが入っているのよ」と伝えます。その後「あ、電話みたいだからちょっと部屋を出るわね。でも、この箱の中は見ないでね。」と言い残して去ります。Dちゃんは、つい箱の中身を見てしまうとします。(カメラなどで確認)しばらくして部屋に戻ったときに「箱の中見た?」と聞くと、Dちゃんは「見てない」と応えます。次に「オモチャは何だった?」という質問をしてみると、二次的信念の理解が発達していない子供は、つい(見てしまった)オモチャについて話してしまいますが、発達している子供は「わからない」と答えるのです。

上手に嘘をつく、一貫して嘘をつく・・・これが拡大化して信頼できない大人になる場合は極少数です。
※これに相当する宗教家・政治家などもいますが

それでも、人は「嘘」をつきます。
それが大小様々な「群れ・社会」の中で問題を最小限に抑える場合さえあるでしょう。
「思いやり」や「気遣い」故の「嘘」も存在します。

ちょうど「第二次信念の理解」が身に着き始めただろう年頃のカレブくん、
お父さんは彼の「嘘」を察知して「それ」を否定的に捉えるべきなのでしょうか?
それとも、カレブくんの発達が順調なことを喜びつつ、
以後の彼の言動を注意深く「経過観察」した方が良いのでしょうか?

#3 Re: 総合フォーラム » ”進化論”の真偽と”進化の証拠”について考える(タイトル改) » 2018年07月14日 08:21:39

こんにちは。

さやかさん、お久しぶりです。

さやか さんの発言:

とんだサイコ野郎ですよ

同感です。

#4 Re: 総合フォーラム » とりあえず書き込み用 » 2018年07月14日 05:56:01

おはようございます。


以下のような統計を取り始めたのは、先進国でも戦後(第二次世界大戦後)のことです。

〇世界的な飢饉・疫病・犯罪の推移

ですので、世界的な推移を調べても、早くて1945年とか1946年以降の資料ばかりです。
後進国が徐々に統計に加わるようになったのは、もっとずっと後のことです。
資料を探しても「きちんとした資料」はなかったものが多いはずです。
国際協力体制も確立されておらず、各国がそれぞれの統計を取っていたわけでもありませんから
JWが1914年を境に「急増」した・・・と主張する根拠などどこにもないわけです

JWは、主観で書かれた書き物でも何でも
自らの主張に合致するものを見つけては「証拠」のように扱っているに過ぎません。

#5 Re: 総合フォーラム » ”進化論”の真偽と”進化の証拠”について考える(タイトル改) » 2018年07月13日 09:49:42

おはようございます。

全く別分野なのですが、こんな情報にぶち当たったので紹介しておきます。
縫い針(当然、縫い糸も)の歴史です。

「日本の栃原岩陰遺跡から、約1万年前の鹿角製の縫い針が発見されました。日本では、縄文時代早期(約1万年前)には、針穴が空いた、骨針が大小さまざま作られていました。同じ頃、ヨーロッパを支配していたネアンデルタール人も、衣服を着ていたことがわかっていますが、おそらくは精巧さが違っていたのではないかと言われています。ホモ・サピエンスは衣服を整えるための「縫い針」を、4万年前には作り出していたのです。細い骨を削って鋭くとがらせ、石器で小さな穴を開け、縫い針にしました。動物の腱をなめして糸にしました。それらで獣の皮を縫い合わせて、体に沿った衣服をつくり上げました。それがあったから、ホモ・サピエンスは寒い中でも外に出て狩りができました。その究極の技は、いまでも極北の地に住むイヌイットが受け継いでいるそうです。

ホモ・サピエンスは、このように精巧な縫い針によって、活動範囲を拡げたのです。三谷氏は、こう言っています。『最初に針に穴を開けた天才は、どんな人だったのでしょう。女性でしょうか、男性でしょうか? 若者だったのでしょうか、年配者だったのでしょうか? もしかしたら、縫うためではなくて、ただの遊びだったのでしょうか?』」

引用終わり
http://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/arch … 87%9D.html

人類の歴史の中では、極々最近のことですが
シベリアなどで3~4万年前の縫い針(骨製)が多数見つかっているようです。
上記の日本での縫い針は角製のようです。
聖書によると最初の人間の服は「いちじくの葉を綴り合わせたもの」となっています。(創世記3:7)
何をどのように綴り合せたのでしょう?

細部について述べていないところが、いかにも「物語・おとぎ話的」です。

#6 Re: 総合フォーラム » ノア洪水を示す証拠はありますか? » 2018年07月08日 21:21:22

こんばんは。

シャバ蔵 さんの発言:

あー8年も前からあったのかこれ。
間抜けにも考えずにに投稿してしまいました。

あら~!
間抜けにもこんな良い資料と証拠があるなんて、全く知りませんでした。

JWに囚われていると、外部の新情報知らないことだらけです。
お花畑の中で白昼夢を楽しんでいたら・・・
いつの間にか林立する摩天楼のただ中だった・・・なんてね(笑)

UPしてくださってありがとうございます。

#7 Re: 総合フォーラム » 改名:騙されやすい「心」(「価値観の変遷について」からの改名です) » 2018年07月05日 13:27:59

こんにちは。
少しだけ続きです。


先に記したように
自然のこととして「愛着を抱く者」の死は耐え難い程の「喪失感」を生み出します。
本来「愛着対象の死」こそが基本的な問題を孕んでいると言えるでしょう。
時には、それは強い「怒り」として転化されることもあるくらいです。
通り魔的な事件や猟奇的な犯罪を犯す人の「行動要因」が
自分を唯一可愛がってくれた誰か(母か父、祖父や祖母、親友など)の死だったりすることが知られています。
※因みに、かつての「首狩り族」の一部も同族の死に遭遇した時に「悲しみ」が「怒り」となり、首狩りを行ったそうです。

そして、その苦しみや喪失感を和らげる手段のひとつ
葬式など「弔いの儀式」だったり、愛する死者を「位牌や記念碑的な墓など」に移し替えることなのだそうです。
幸い、悲しみは時間と共に「薄らぐ」ことが普通です。
それでも、それにはかなりの時間を要する場合があります。
その耐え難い期間、その儀式や位牌や祈祷や読経などが悲しみによる心の「崩壊」を防ぎ、「喪失感・無力感」を和らげる働きをしてきたわけです。
※もちろん、現代ではそういった儀式を簡素化し、次なる段階へと人生を勧めることができる人もいます。

そのようなわけで、世界の標準的な宗教の「死と弔いの儀式と手順」は概ね似通っています。
その詳細は記しませんが、JWはこの「死と弔いの儀式」に背を向けました。
「人々は下らない偽宗教に惑わされて意味のない『儀式』を執り行い、虚しい『祈祷』や『読経』を頼みにしつつ『偶像』にすがる」
「何と愚かで空しい習慣だろう」と教えられ、それを信じます。

では、「宗教的な弔いや儀式」を全否定するJWが「愛着を抱く者」の死に耐えるためにはどうしたら良いでしょう。
肥大化した「自己感」によって、必要以上に「わたしの死」を恐れる気持ちを静めるにはどうしたら良いでしょう。
これからもずっと「永遠の命」を肯定し続ける道しか残されていないのでしょうね。

#8 Re: 総合フォーラム » 改名:騙されやすい「心」(「価値観の変遷について」からの改名です) » 2018年07月04日 20:39:54

ご無沙汰しています。
「『おら東京さ行くだ』奉仕」のトピックでトオリスガリさんが「某巡回監督が巡回区内の長老に宛てて送ったメール」をUPしてくださいましたね。(#7)

トオリスガリ さんの発言:

「永遠の命のために整えらえた人」を徹底的に探すという趣旨を外さないことが検討され・・・

去年から学んでいる、所謂「ひと学」にこんな記述がありましたので紹介します。(「」内原文まま、・・・は割愛)著者:内堀基光

「ボルネオ島の焼畑民イバンの人々のあいだで暮らしていると、それほど自分の死というものを問題にしないように見える。けっこう楽に『死』のことを話している。『もうじき私は死ぬんだ』『年を取ったからもうじきあの世へ行くんだ』といったことを、平気で話題にしている。彼らがふつうに語るあの世はまったくこの世の延長である。もっともこの世よりはちょっとはよい。すばらしい極楽ではなくて・・・適度な理想郷なのだが、基本的にはこの世と同じものとしてイメージされている。あの世でも適当な時間が経てばもう一度死ぬ。・・・こういう平坦とも言うべき他界観というのが、おそらく人類史のかなり長いあいだの一般的なイメージだったのだろうと思えてくる。強い恐怖心を抱かせる地獄だとか、誘惑的な天国とか極楽というのは、人類史のなかではごくごく最近の、たかだか1万年もいかないような―ー歴史宗教の発生ということで言えばせいぜい3000年と言うべきかーー新しいイメージであり、死の問題が一種の終末論として語られるような状態になってからのものなのである。」

人類は地上で身を守り・生き残り、遺伝子(子孫)を残すために、
家族のような小さな集団から同族という集団、そして社会とも呼ばれる大集団を形成してきたわけです。
(そうでもしなきゃ生き残れなかったですよね。「弱い」ですもの人間は。)
基本的には、チンパンジーや群れる動物と同じです。
ところが、知能が発達し感情が豊かになると、次第にある対象に特別の「愛着」を抱くようになりました。
子供、親、配偶者、友・・・ですね。
(※犬や猫でも絆の強い仲間の「死」によって、悲しみ(?)を抱いているような様子が観察されることがあります。)
それで、ず~~~と昔人類は「自分(わたし)の死」ではなく、愛着を抱く対象を失う・・・という「他人の死」を恐れていたのだと言います。
そりゃそうですよね。自分が死んでも、死後何の感情も沸きませんが、愛する者の死は苦痛です。
ところが、宗教の出現によってヒトは「罪」とか「自分の死」とかを恐れるように誘導されたというのです。
そして、「わたしの死」を意識するということは「自己肥大」つまり「わたしが世界を持っている」という幻想であり「ある種の尊大さ」ですが、
その勘違いがそうさせているのではないかと書かれていました。
それは「持っているはずの世界を失う」という感覚・恐怖です。
元々持っていなければ、失う心配や恐怖はありません。
ところが、「わたしは世界を持っている」という感覚があるために
「わたしのいないこの世界の未来」「諸可能性を秘めた世界」・・・
「その世界にはもう『わたしの想像が及ばない』ということのもつ恐ろしさ」を抱くのです。

「要するに、わたしがこの世をもっているのにそれを無くしてしまうという倒錯した喪失の恐怖が、ここで言う『わたしの死』なのである。したがって、これは死の問題よりも、おそらく世界の所有の問題、世界を失うことの問題であり・・・。」とも書かれていました。

その通りかどうか・・・?
わたしは聖書の記述やJWの教えよりは真実に近いのだろうという気がします。
言い換えれば「永遠の命」に固執する教えや人は、ミーイズムの極みと言えるのかも知れません。

#9 Re: 総合フォーラム » 改名:騙されやすい「心」(「価値観の変遷について」からの改名です) » 2018年06月07日 08:39:23

てつてつさん、流石ですね(*^^)v。

通りすがりさんもありがとうございます。



シェパード錯視は「視覚の錯覚」のひとつですが、驚くような錯視はもっともっとたくさんあります。
興味のある方はいろいろ調べてみると面白いと思います。


視覚に限らず
わたしたちには「記憶」「認知」「推論」「思考」・・・する場合にも
自分では「間違いない!」「明確!」「自分にはわかる!」としか思えないのに
そうではない場合がとても多いということなのです。

それでも、そのような多くの「錯覚」「歪み」・・・は、ときにとても役立つのです。
例えば「自己認知」の場合のポジティブな「歪み」です。

一般に「自己評価」と呼ばれたりしますが
ご存じのように「自己評価」が低いと
心理的な問題が生じやすく、時に犯罪に走るほどのストレスとも成り得ます。

実験の結果では、やはり日本人は
誠実さ、優しさ、調和性、まじめさ・・・などの自己評価は高めであるのに対し
容姿・容貌、社交性、経済力・・・などに関する自己評価は低めだそうです。
では、ポジティブイリュージョン(幻想)が世界的に低いのかというと
その表出の仕方に不器用さ、控えめさ・・・があるという指摘もあるそうです。


詳細を説明することは省きますが、何が言いたいかというと
ほどほどに「自己評価が高く」「自分の将来にはそうそう災いは起こらない」「ある程度、回りの出来事も自分でコントロール可能」
というポジティブな「自己認知」の歪みがある人は
難しさや問題のある場合にも対処しやすく楽観的でいられる確率は高まるそうです。
それは「やる気」や行動の「動機付け」となり
多少の困難にも粘り強く取り組むことが可能になります。

一方「自己評価が低く」「将来の出来事に不安が多く」「回りの出来事を自分ではコントロール不能」
というネガティブな「自己認知」の歪みを持っていると
(セリグマンの「学習性無力感理論」)によれば
自己の無力感が学習されてしまい、それが抑うつ症状を引き起こす原因になってしまうようです。
結果的に「どうせ、無駄。無理」の思いが強まり、益々何もできなくなるのです。

わたしたちは、様々な情報から、既にそういった傾向については知っています。
でも、自己の「認知的歪み」の傾向に気づくことができません。
言い換えれば、いつも正しく自己評価ができている人などいないことになります。
(だって、誰にでも「バイアス」がかかるのですから)
では、どうせ歪んだ「自己認知」をしてしまうなら、ちょっと自分を高めに評価してみてはいかがですか
落ち込みやすい方、JWとの関わりで多くの時間やチャンスを失った方・・・
「悔やむ思い」が必要以上に高過ぎはしないか(ネガティブな歪み)どうか吟味してみましょう。

簡単ではありませんけど・・・。

#10 Re: 総合フォーラム » 改名:騙されやすい「心」(「価値観の変遷について」からの改名です) » 2018年06月06日 17:12:14

Takさん、こんにちは。

Tak さんの発言:

最初の訪問で研究を勧める→断られる→雑誌を勧める
最初の訪問で集会を勧める→断られる→雑誌を勧める

こういった提案もフット・イン・ザ・フェイスに含まれるのでしょうね。

正にそれですよね(´∀`*)。

#11 Re: 総合フォーラム » 改名:騙されやすい「心」(「価値観の変遷について」からの改名です) » 2018年06月06日 17:04:18

こんにちは。


人が何かを「認知」するときには
様々な認知の「歪み」「ひずみ」が生じ
時には致命的な「思い込み」による「誤った判断」に繋がってしまうことを
ほんの少しの例からですが書いてきました。

カルト的宗教に「確信」を抱いてしまう、その「道のり」の中には
さまざまな認知的「バイアス」が生じることがご理解いただけたと思います。
もちろん、その時々の個々人の置かれた立場心理的状況も関係していることも大きな要因でしょう。

また、カルトの問題の中では、1世と2、3世とを同じように括って考えることはできません。
ですので、ここで少し触った程度の心理的要因だけで
カルトやマインドコントロールの問題を語ることもまた十分ではないでしょう。


ただ、今回の(誰も避けることのできない)「心にかかるバイアス(認知の歪み)」の存在を知ることは
自分の置かれている状況や問題と「対峙」する上で助けになるはずです。
「わたしは大丈夫」とか、「もう二度とJWのような組織の餌食になることはない!」と言い切れる人はいません。

下の画像を見てください。
1528270474_table.jpg

このテーブルのサイズと形が「同じ」ように見える人はいるでしょうか?
※面倒でなければプリントアウトして切り取り、重ね合わせてみましょう。

これはシェパード錯視と呼ばれる錯視の一種です。
本当はどちらも同じサイズの四角形ですが
わたしたちの「脳」はそのようには「認知」できません。
でもそれは、生活の中で無意識に習得してきた情報の集積の結果であり
「脳」が、より「効率的」に、より「省コスト」で物事を判別し、決定し、対処するように働く結果でもあるそうです。


そういった「避けられない」バイアスの連続の中で
どうやったら「騙されずに」生活ができるのでしょう。
ある意味、それは「振り込め詐欺」などの「詐欺」から身を守る方法と同じなのかも知れません。

JWや他のカルト的組織も、たぶん「騙す」ことを意図して布教方法を練ってきたわけではないのです。
人を「招き入れる」方法を次々に一生懸命考慮してきた結果
「詐欺」と見紛う方法が「人の性質」に上手く働きかけることを見出してきたのだろうと想像します。
それですから、オ〇ム〇理教のような多数の犠牲者を生み出した宗教でさえ、未だに入信者が絶えないのでしょう。


そういった組織を変えることなどわたしたちにはできないのですから
わたしたち自身が

まずは自分自身の傾向や、己れが陥り易い「バイアス」を知り

その上で

論理的、合理的な思考の仕方を身に着け

自分の推論プロセスを意識的に吟味・内省するように心がけ

(思い込んでしまう前に)複数の視点の可能性を考慮し

客観的な証拠(とりわけ、自分が直観的に「そうに違いない」と思いたい理論の「反論」となる証拠)に目を向ける

ように心がけるしかないのかも知れません。


※ まだまだ人の「心」を騙す、そして判断の「歪み」を生じさせる現象はあるのですが、詳細はもっと学んでからにさせていただきます。
是非、てつてつさんのように、たくさんの資料から学んでくださいね。
「クリティカルシンキング」などの単語から情報を検索したり、書籍などを探して読んでみるのは助けになると思います。

#12 Re: 総合フォーラム » 改名:騙されやすい「心」(「価値観の変遷について」からの改名です) » 2018年06月04日 15:24:12

こんにちは。


今日はフット・イン・ザ・ドアについてです。

「フット・イン・ザ・ドア」と聞いて
「ははぁ~、家の人が玄関のドアを閉めようとした時、ドアに足を挟み込んでそれを阻む手口だな?」
と思われた方も多いことでしょう。
語源としては、正にその通りで
何かを売り込もうとするときに、相手の拒否を一旦阻むようにすることと無関係ではありません。
日本語では、「段階的要請法」と呼ばれることもあります。

いくら熱心なJWでも、上記のような行儀の悪い方法を用いる人はそうはいないでしょう。
むしろ、最初は「ビラだけ」。
短い再訪問で慣れてきたら「ガーデニングがお好きと聞いたので、参考になると思いました」とか言って雑誌を渡す。
更に慣れてきたら「記念式」の時だけ集会に誘ってみる・・・・などなど
段階を踏むことを勧められるのではありませんか?

そう、それが訪問販売や接客販売などで使われる「フット・イン・ザ・ドア(段階的要請法)」という方法です。

人は、一度簡単な要求を受け入れてしまうと
次なるもう少し高度な要求を受け入れやすくなるようです。
何故段階的になら「受け入れ」易くなるのでしょう。
一般に、人には「一貫性の法則」があります。
最初の要求を承諾しておきながら次の要求を断ってしまうことは
自分でとった行動を否定することになります。
自分の行動を否定したくないために次の要求も承諾してしまうのです。

一度簡単な要求を受け入れてしまうと、次は断りにくくなる・・・これって、日常的にもけっこうありますよね?
スーパーで試食をする・・・だけならいいけど、ついつい説明まで聞いてしまうと。
通信販売で「今回限り半額」・・・その後電話でアンケートに答えたり、3個セットのお買い得を進められると。
訪問販売で「1週間は無料で使い放題」の掃除機なんかを使ったあと引き取りに来られると。
などなど、段階を経るごとに、そして時間が経過する度に「断り」にくくなって行きます。

どこかで「線引き」をしようと思っていても、
簡単な要求を受け入れてしまうとそう簡単には拒否できない・・・
それがフット・イン・ザ・ドアの罠なのです。

ですから、常日頃から
・初めの小さな要求を受け入れない。
・自分の中にはじめから「線引き」をしておいて、大きいな要求はしっかり拒む。

こういったはっきりした姿勢・態度
を持つことは大切です。
JWばかりではなく別の罠にも掛かる可能性がありますし
せっかくJWから解放されても同じような「組織」に囚われてしまうかも知れませんね。


※逆の方法として、大きな要求(どうせ通らないという前提で)を仕掛け
断られると次に小さな要求をしてそれを受け入れさせる「フット・イン・ザ・フェイス」という方法もあります。

#13 Re: 総合フォーラム » 改名:騙されやすい「心」(「価値観の変遷について」からの改名です) » 2018年06月03日 16:23:25

irisさん、こんにちは。

情報ありがとうございます。

iris さんの発言:

また、超緊急の場合には、司祭でなくても、信者でさえなくても、洗礼を授けることができます。
洗礼を受けていない人が、洗礼を授ける…びっくりぽん!

本当に「びっくりぽん!」ですね。
知りませんでした。

#14 Re: 総合フォーラム » 改名:騙されやすい「心」(「価値観の変遷について」からの改名です) » 2018年06月03日 09:19:54

こんにちは。

先日、ちょっと一言さんに

ささらほーさら さんの発言:

「入会儀礼効果」や「フット・イン・ザ・テクニック」についても説明していただけると更にありがたいです。

とお願いしたのですが、その後コメントがありませんので
少しだけ解説いたします。


JWを抜け出すことは結構大変です。
しかし、そのメンバーに加わることもそれなりに大変ではありませんか?
ここでは、以前「ゆみさん」がその苦労を語っておられましたが
カトリックのようには簡単に入会ができません。
※ 数年前に亡くなった従兄は、亡くなる少し前に
「カトリック信者として(以前からカトリックの)妻と同じ『墓』に入りたい」と希望し
即カトリックに入信したことがあります。
同様の理由で友人家族3人も(活動してないけど)入信しています。

まずは「家庭聖書研究」と称したお勉強会を潜り抜け、集会を一つ一つクリアする必要があります。
それから(現在は良く知らないのですが)、神権宣教学校なる学校の生徒になります。
そこでは、伝道活動の練習を型通り行い
いよいよ司会者や親と共に、野外での伝道活動に参加しなければなりません。
その間にJW独特の「規準」を満たし(例えば異性と『同棲』しているなら、解消するか『入籍』する必要があります)。
同性と同棲(性的な相手として)していた場合は、当然、そういったマイノリティを克服するべきであることを教え込まれます。
他にも人によっては、喫煙・深酒・清潔さ・・・・などなどに関して、ある程度のチェックを受けます。
家族の反対などがあれば、それはそれはシンドイ試練に耐える必要もあります。
それから、バプテスマを受けるための「討議」なるものの許可や準備を行わなければなりません。
漸く状況が整い、認められると・・・長老の検閲を潜り抜けて→バプテスマ=入信となるわけです。

これだけの山を越えて入信した場合、そこ(JW組織)に「不義」や「不正」「欺瞞」「改竄」「インチキ」・・・などが存在していてはならないのです。
たとえ、本当は欺瞞に満ちた「組織」であることがわかっても、
その時、
人の「心」は、そう(インチキだった!)感じることを拒否してしまうようです。

その原因のひとつが「入会儀礼効果」と呼ばれる現象なのです。
JWのように、その対象と関わるために厳しい経験を経た者が
その対象を高く(ゆがめて)評価したり愛着を抱いてしまう現象です。

長い行列のある店に、さんざん並んだ挙句にやっとありついた食事。
美味しいですよね?
それもほぼ同じような効果があるようです。

アロンソンとミルズという2人の研究者が実験を行っています。
単純作業をして報酬1ドルと20ドル・・・あの実験と性質的には似ていますが
今回は、報酬ではなく、実験に際して被験者に(条件なし)(軽い条件)(厳しい条件)が課されます。
興味のある方はネット検索して調べてみてください。



フット・イン・ザ・ドア・テクニックについては次回に

#15 Re: 総合フォーラム » 改名:騙されやすい「心」(「価値観の変遷について」からの改名です) » 2018年06月01日 08:54:20

みなさん、こんにちは。

まずはTakさん、コメントありがとうございました。
irisさん、めぐママさんもお気遣いありがとう!
取り急ぎで書き込みだけして去ってしまい、すみませんでした。


ちょっと一言さん、少しわたしの質問の意図と違ったみたいなのですが返信感謝いたします。
わたしの疑問はもしかするとリテラシーの問題なのかも知れません。
明日、心理臨床の先生と会うことになっていますので確認してみます。


ウェイソンの実験については学びました。
ただ、わたしが学んだところによると
所謂「反証主義」

ちょっと一言 さんの発言:

仮説の反証例を探すというものなのに、多くの人はそのことがわからず、自分の考えた仮説の確証例ばかりを探す・・・。

については、哲学者のポパーが提唱者である・・・と書かれていました。
どちらも同じような主張はしていますけど・・・。

その後、この主義は諸々に再考されているようですね。
※ 確証テストについては他にもあるのですが、複雑になるだけなので省きます。



みまさまに感謝しつつ、少しでもどなたかの参考になればうれしいです。

#16 Re: 総合フォーラム » 改名:騙されやすい「心」(「価値観の変遷について」からの改名です) » 2018年05月27日 15:45:30

ちょっと一言さん、返信ありがとうございます。
その他Takさんやirisさん、PMで連絡くださった方もありがとうございます。

実は、数日前の母の胃腸炎(ロタらしい)の後始末や看病やらをしていたら感染してしまったようです。
#41を書いていたときも悪寒がしていたのですが
今日は、まだ暗いうちから・・・(*´Д`)。

やっと嘔吐は落ち着いたようなのですが・・・
すみません。回復したら必ず返信します。

#17 Re: 総合フォーラム » 改名:騙されやすい「心」(「価値観の変遷について」からの改名です) » 2018年05月26日 17:43:36

ちょっと一言さん、投稿ありがとうございます。
感謝いたします。


ちょっと一言 さんの発言:

せっかく、ささらほーさらさんの誤りを指摘してあげたのに、余計なお世話といわんばかりのご返答でした。

そんなことはありません。
あ~、ちょっとあるかも・・・。指摘だけして去るのはアウェイですよね。
初めから「補足・訂正」してくだされば良いではありませんか?


ちょっと一言 さんの発言:

確証バイアスは、ある主張が正しいかどうかを判断する際の、情報の探索の仕方に関するバイアス(偏り)をいいます。その場合、自分の考えを確証する証拠ばかりを探してしまい、反証情報に注目しないあるいは無視する傾向が強いのです。これを確証バイアスと呼びます。

これについては少し質問です。
以前にわたしは確証バイアスについて

ささらほーさら さんの発言:

人は「XをしたらYが起きた」という何かを経験すると、
その事実が「確証バイアス」(確実にこうだと思い込む判断の歪み)を生じさせ
その信念・理論・仮説を支持し、益々確証となる情報を求めるようになるそうです。

と説明し、その認知の歪み・偏りのことであると考えていました。

手元の資料(大学の教科書)には
「確証バイアスは、自分の期待から特定のデータや事例のみに注意を向けさせ、その結果
トップダウン的に錯誤相関を強化する働き」と説明されています。
別の資料には
「信念を検証する際にそれを支持する情報ばかりを集め、反証する情報を無視または集めようとしない傾向のこと」と書かれています。

では、確証バイアスとは認知の歪み・偏りのこと(心理的な「確信した」段階)なのでしょうか?
それとも、その結果の探索傾向のことなのでしょうか?
それとも、両方がセットとなった状態を指すのでしょうか?

教えていただけたら助かります。


※いずれにしてもこういった話題に加わってくださるのはありがたいです。
「入会儀礼効果」や「フット・イン・ザ・テクニック」についても説明していただけると更にありがたいです。

#19 Re: 総合フォーラム » 改名:騙されやすい「心」(「価値観の変遷について」からの改名です) » 2018年05月26日 06:35:26

ちょっと一言 さんの発言:

ささらほーさらさん、#41は力作ですね。すごいですね。

しかし、いくつか間違いがありますよ。

確証バイアスについて、

*****
自分が驚嘆するような、そして印象深いいくつかの事実に遭遇すると、
「Aが起こるとBという結論になる」と思い込む(判断の歪みの一形態)ことですが、
*****

と、ありますが、違うでしょう。

*****
社会学者のフェスティンガーとカールスミスが
*****

とありますが、正しくは社会心理学者です。

*****
この現象は「認知的不協和理論」と呼ばれています。
*****

とありますが、現象のことを○○理論とは呼びませんね。現象は現象です。

まじめに書くと長くなるので省略しますが、フェスティンガーの実験の解説もあまり正確じゃありません。「予言がはずれるとき」はもちろん持っていますし、読んでいます。面白い本です。

心理学についての解説は専門家に任せるべきでしょう。


おはようございます。

ご指摘ありがとうございます。

しかしながら、ここでの発言の目的をご承知おきください
これは学術論文ではありませんし、専門的な知識の伝授ではありません。
細かい単語や表現のご指摘はご容赦願います。
極簡単に「わかりやすく」取りまとめています。


フェスティンガーについては確かに「心理学」という記述が抜けていました。
また、現在ではその理論に対しても反論・諸論あることは存じ挙げております。


ちょっと一言 さんの発言:

確証バイアスについて、

*****
自分が驚嘆するような、そして印象深いいくつかの事実に遭遇すると、
「Aが起こるとBという結論になる」と思い込む(判断の歪みの一形態)ことですが、
*****

と、ありますが、違うでしょう。

確証バイアスについても、詳しい説明はかなり省いています
本来は複雑な情報を効率的に処理するために欠かせない適応的なバイアスの一種です。
ところが、共生起事例により関連性が強化されたとき
「Aが起こるとBという結論になる」(これは以前に挙げた事例に基づいたのでこういう言い方になりました)という思いが
確固たるものとなってしまうということもまた事実です。


ちょっと一言 さんの発言:

心理学についての解説は専門家に任せるべきでしょう。

どなたかが悩めるJW・元JW・その関連者のために「ここで」解説してくださるのですか?
生活に支障のある症状の出ている方は、直接カウンセラーの援助を受けるべきです。
ところが、ここはそういう「場」ではありません。

別のところで書いていますが、わたしは心理学初心者です。
只今大学で履修中です。
ですので「鵜呑みにせずにご確認ください」と書き添えています。


むしろ「ちょっと一言」さん、お詳しいならどうぞ読者さんたちのために、より詳しい情報をお伝えください。
「そこ違うよ~」などと指摘するのは簡単なことです。
ところが、学術的に学んだことを、いろいろな立場と背景のある方に、噛み砕いてわかりやすく説明するのはけっこう難しいと感じています。

是非よろしくお願いいたします。


すみません。
今日も講義があるので、ここで失礼いたします。

#20 Re: 総合フォーラム » 改名:騙されやすい「心」(「価値観の変遷について」からの改名です) » 2018年05月25日 17:53:27

因みに、フェスティンガー(他)は
カルトに入信して調査した結果を
「予言がはずれるときーこの世の破滅を予知した現代のある集団を解明する」(Keiso communication) 
という著書で報告しているようです。

中古でも5000円弱するので、わたしは読んでいません。

#21 Re: 総合フォーラム » 改名:騙されやすい「心」(「価値観の変遷について」からの改名です) » 2018年05月25日 14:59:43

こんにちは。
すみません。直ぐに書こうと思っていたのですが、ちょっと母が体調を崩しまして・・・。


「マインドコントロール」と聞くと、
何か「意図的に」人の心を操作して思いのままに動かす・・・という印象を受けます。
しかし、今までにもこのトピックで書いてきたように、
人の「脳」と「心」は大変複雑でしかも同時にたくさんの情報処理を行っているために、
毎日毎時相当の仕事量をこなし続けています。

例えば「見て行動する」・・・というひとつの事象を取り上げてみましょう。
◇筋肉を調節して目を開ける
◇対象を光によって捉える
◇網膜に映し出す
◇それを立体として認知する
(網膜は写真と同じで平面にしか投影できないため、動物は回りのものを「立体」として認知するためには幼い頃からの「学習」に依る必要があります。)
◇色や香り、形、距離、危険度を計算する
◇危険を認知した場合は体を反応させる・・・
これはほんの一例ですが、
それを瞬時に、しかも目が覚めている間はほぼずっと行っているのです。

そして、人は一日中そんなことばかりをやっているわけではなく、
そういった作業・動作は、
他の諸々の行動を取りながら常に行っているのです。
こうしてみると「脳」がどれほど大きな「負担」を抱えて生活しているかがわかるのではないでしょうか?
そのため、実際にはわたしたちは誰もが、多くの場合は無自覚で
いろいろな物事を洞察し、識別し、そして判断をくだしているということができます。

そういった過重負担の掛かる「脳」ですから
(そして、「進化」のところで書きましたが「進化」は絶えず続いていて、完成するということがありません。
言わば、ずっと「調整・調節」を強いられているのです。人間も「残念な動物たち」の一部なのです。)
そんなわけで、
瞬間・瞬間重労働に耐えなければならない「脳」は、可能な限り「負担」を減らそうと試みます

前の投稿で書いた「確証バイアス」もその一つでしょう。
自分が驚嘆するような、そして印象深いいくつかの事実に遭遇すると、
「Aが起こるとBという結論になる」と思い込む(判断の歪みの一形態)ことですが、
必ず「Aが起こるとBという結論になる」かどうかの頻度をいちいち調査したり、
その数値を統計の公式に当てはめてみたり・・・など馬鹿らしくてやってられません。
日常生活の中で、ひとつひとつの事象にそんな面倒で負担のかかる作業など誰もしないわけです。
それですから、日々どうしても「直観」や「思い込み」に頼らざるを得なくなるのです。
そして、その「『脳』の負担を減らそう」とする、言わば「本能的な」策を取らざるを得ない「脳」に「それ」はほぼ「無自覚」で入り込むのです。
では、「それ」とは何のことでしょう。
「それ」こそが、判断の「誤り」「勘違い」「偏見」「個々人の傾向」「思考上のさまざまなバイアス」・・・
言い換えれば「認知の誤りや錯覚」であり、知らぬ間にマインドコントロールされてしまう「『脳』の誤認」なのです。


社会学者のフェスティンガーとカールスミスが以下のような実験を行ったそうです。
参加した大学生たちに60分間「退屈でつまらない単純作業」をしてもらいます。
そして「面白い作業だと思って欲しいので、その旨を次の被験者(実はサクラ)に伝えて欲しい」と頼み、
ウソをつく報酬として
①    あるグループには1ドル
②    あるグループには20ドルを与えました。そして
③    もう1グループには「説明は不要」・・・としました。
後刻、それぞれに【実際に行った作業の意義や面白み】についての質問をしました。
さて、どういう結果になったと思われますか?

何と、低報酬のグループほど
「実験は面白かった。再実験の際には参加したい。科学的にも重要なもののような気がする」と答えたのです。
※これは有名な実験ですので、ネットで確認することができます。

この現象は「認知的不協和理論」と呼ばれています。

一般に人は、わかっていながら「ウソ」をつくことには抵抗があります。
言い換えれば「脳」にとっても「心」にとっても「ストレス」となるわけです。
ところが、そこに報酬が与えられたわけですが、
あるグループの人たちはその「ウソ」に対してわずか1ドルしか受け取れませんでした。
それでは「ウソ」をついたという「不快さ・ストレス」を解消することができなかったのです。
それで、「この実験は面白いのだ。しかも有意義で価値のあることをしたのだ。」と思うことによって、
その「不快さ・ストレス」を解消しようと(無意識・無自覚的に)「脳」は認知してしまうのだそうです。

一方、高額の報酬を受け取った者たちは、その高報酬によって「ウソ」をついたという「不快さ・ストレス」を相殺することができたので、
「脳」は本来の「つまらない作業」を「つまらなかった」と認知できたのです。
「脳」は不協和が嫌いなのですね。
「不協和」(不快・ストレス)な出来事に遭遇すると、何とか「協和」を試みようと(負担を軽く)するようです。

自分の「快い・協和」と感じること、「直観」や「確証」を維持したいという方向に「認知」が偏ることは、
「タバコと肺がん」「過食と健康維持」などの場合にも明らかに現れます。
タバコを止めることのできない人は、「肺がんリスクが増す」と言われても、
「排ガスの方が危険だ」とか「愛煙家でも長生きした人はいる」とか述べて、何とか「正当化」を果たそうとします。
喫煙家にとって「禁煙」は「不協和」です。
「喫煙しても大丈夫」的な理由づけを試みることによって「不協和=禁煙」を取り除こうとします。


さて、先の実験を考え出したフェスティンガーは、
実は「カルト教団」の不思議な現象に気づきました。
JWと同じように「終末」を信じ、「いつ、どのように終末が来るか」を教え、
「信者以外は滅びる」と確信してきた宗教団体は定期的に社会に現れ・・・やがて関心が薄れ、また現れる・・・を繰り返してきました。
その社会現象については別にして、
今回は「その度に予言は外れてきたのに、何故信仰が尽きないのか」という点について彼は調査しました。

終末予言が外れても、大抵その組織(あるいは教祖)はそう簡単には廃れません。
その理由を調べるためにフェスティンガーと数人は、信者として教団に入り込んで調査したそうです。
その結果
何と、予言が外れると「かえって信者たちの求心力」は高まるのだそうです。
アメリカのそのカルト教団(JWではない)も、大洪水による終末の日について教えられていました。
そのため、信者たちはその日が近づくにつれ、身辺整理をし、人間関係にも終止符を打ちました。
ところが、その終末は当然ながら来なかったわけです。
すると、主要メンバーはそれまでの「秘密主義」とは一変し、
かえって布教活動が一気に高揚したそうです。
脱落者はほとんどいなかったということです。

実は、これも先に記した「認知的不協和」を是正しようとする「脳」の働きによる反応のようです。
あれほど信じていた、そして期待していた「予言」「救い」が実現しなかった・・・という事実は、
非常に強い「不協和」を引き起こします。
ところが、解消した友人関係・親類関係、身辺整理(多くの信者は土地・家などを処分して寄付したりしていましたから)済みという事実もまた取り消せないわけです。
そうすると、
信者たちはその不協和を解消しようと試み(もちろん無意識のうちに)、
「予言の再解釈」や「熱心な布教活動による同意者の獲得」という方法を取ったのです
。(JWも全く同じですね。)

そのようにして、
人は「脳」に起こった「不協和」を解消する方向にバイアスがかかってしまうので、
回りから見たら「何故?」と思うのに、むしろ「信仰」を強化してしまったりします。

では、そもそも信者になるまで・・・はどうですか?
わたしたちは(誰も可能性はある)同じように、
「脳」の中で、小さな「確証バイアス」「認知的不協和」の影響を受け、それを積み重ねて「信じ込んで」しまうと考えられます。

例えば、これは別の実験なのですが、
子供に5つの「オモチャ」で遊ばせます。
その後、子供が2番目に魅力的だとしたオモチャで遊ぶことを禁じて部屋を出ます。
その場合、「厳罰条件」と「緩い禁止条件」を出すのですが、子供はどちらの条件でも禁じられたオモチャでは遊びませんでした。
実験者が戻って、再度どのオモチャが魅力的かを尋ねると、

厳罰条件を課されたとき、子供は、その禁じられたオモチャの魅力度が上がっていました。
緩い禁止条件を課された場合は、むしろ魅力度が下がっていたのです。

どういうことかというと、「緩い禁止条件」の場合はたいした理由もないのに遊べないため「不協和」が生じ、
その対象に対する魅力は低まったと考えられるわけです。
(どうせこれはつまらないオモチャなのだ・・・と「脳」が認知する)
そして、反対に元々魅力を感じていたオモチャが厳罰によって禁止されると、それはより魅力的に感じられたのです。

こういった人間の傾向から考えると
他の人々とは違う価値観や行動
多くの禁止事項
無料での奉仕活動
家族や友人からの反対・・・
そういった状態を生み出す宗教に、
絶大な「魅力」(思い込みだけど)を感じてしまうのですね。
出るも入るも自由で規則も個人任せ、
必要な時には頼るけど、こちらが必要を感じなければ無視できる
そのような宗教であるならば、確かにそこには「固持」するだけの魅力は感じないのかも知れません。

一方、他にはない規律や罰があるものには「これは特別」という魅力を感じ
そこに身を投じる価値があると「脳」が認知してしまうのかも知れません。

わたしたちの「脳」は日々過重労働を強いられています。
そのため、時としてコストパフォーマンス優先の認知をしてしまうのです。
「わたしは大丈夫」という人はいません。
その思いこそが、実は「認知の歪み」なのです。


他の要素とか、騙されないための「注意点」については次回書きますね。

※少し加筆・編集しなおしました。

#22 Re: 総合フォーラム » 改名:騙されやすい「心」(「価値観の変遷について」からの改名です) » 2018年05月22日 14:35:20

「価値観の変遷について」を「騙されやすい『心』」に改名いたしました。
内容がタイトル名と離れてきたことが気になっていました。

数日内に「マインドコントロール」されてしまう仕組みについて書きます。

#23 Re: 総合フォーラム » 改名:騙されやすい「心」(「価値観の変遷について」からの改名です) » 2018年04月29日 15:14:20

こんにちは。


あまり余暇もないし、こちらへの投稿も暫くはお休みするつもりでしたが
あるいは参考にする方がいないとも限りませんので
最近学んだ「記憶」や「錯覚」について少しだけ書いておきます。

まず、人の「記憶」についてですが
その仕組みは今でも完全には解明しきれていません。
それでも、コンピューターというものが登場してからは
それまでのような「手探り」からはかなり脱却し
人体の働きの解明と相まって、かなりの部分についてわかってきたそうです。

まだ初心者ですので、鵜呑みにせずに是非個々にお調べくださいね


人はまず感覚器官(視覚・聴覚・嗅覚・触覚など)から情報が入ると
それを符号化(記銘)して脳に貯蔵(保持)します。
そして、それを検索(想起)して思い出したり、語ったりするわけです。

ところが、最近の研究によると
ただそれを繰り返すのみならず、
検索して想起し、再びそれを符号化するときには
以前と全く同じ符号化ではなく「符号化し直す」・・・という作業が行われるそうです。
極端な言い方をすれば
同じ出来事を思い出したり、語ったり、書いたり・・・する度に
「記憶」は少しずつ塗り替えられていく可能性があるわけです。

以前にも少し説明しましたが、
一方で人はそれぞれに培った「スキーマ」という「思考の型」があります。
(しかもスキーマは文化・経験・・・などで、時間と共に変わり得る)
そのため、再符号化の時に、ほぼ最初に何かを「記憶」した時と同じ「記憶」になる可能性の方が少ない・・・とも言えるのです。
そのように、スキーマによっても「記憶の変容」が生じるということです。

こんな実験が報告されています。
米国のあるお兄さんが14歳の弟に、5歳の頃にショッピングセンターで迷子になったことを思い出すように言いました。
最初は全く覚えていませんでしたが、弟は数週間後には、当時の出来事を鮮明かつ詳細に思い出すことができました。
ところが、本当はそんな事実はなかったのです。(1994年10/5:news week誌「『偽りの記憶』のメカニズム」:ワシントン大学での実験)

人には、本当はなかったことを「あったこと」のように「記憶を植えつける」ことができるということです。
そんなわけで現在では、事件や事故において、裁判の時に以前より「目撃証言」を重視することはなくなっています。
自分が何回か語っているうちに、あるいは刑事さんの質問の仕方ひとつで・・・記憶は捻じ曲げられてしまうからです。


さて、そのように記憶が絶えず変容していまうという特質を持った「人間の直観」について少し書きたいと思います。
少し前に「夢枕」について語られていました。
全く同じものかどうかはわからないのですが、今回「予知夢」の信憑性について書いてみます。
人をはじめ犬やねずみ、鳩などを使った実験で、動物が「学習」することが知られています。
食べ物を見ると、食べ物の匂いを嗅ぐと・・・はもちろんのこと
食べ物をいつも運んでくる人の足音を聞いても・・・ワンコは唾液を分泌するのです。
それは「Aが生じるとBが起きる」ということを学習したわけです。
これを「共変性」とか「随伴性」と言います。

さて、もう少し複雑な事例を考えてみましょう。
XをするとYという結果・・・例えば
古いケーキを食べる(X)と腹をこわす(Y)という事例です。

丸子さんはケーキが大好きです。
ところが、ある時古いケーキにかぶりついてしまい、食中毒で苦しみました。
では、古いケーキは必ず食中毒を引き起こすのでしょうか?
2日目くらいなら大丈夫ですか?
3日目ではどうですか?
1週間後でも大丈夫かも知れませんか?
逆に、新しいケーキなら汚染された調理台で作ったものでも安全ですか?

そう・・・本当のところはわからないのです。
新鮮なお野菜でも、現在ではある種の大腸菌やO157に汚染されているなら死に至ることも知られています。

少し余談が過ぎましたが、ここで丸子さんの心理状態はどういったものでしょう。
彼女は実際に「古いケーキを食べて→苦しんだ」という事実から、強い印象を受けています。
絶対に「古いケーキは食中毒を起こす」という思いかも知れません。
こういった考え方は「前後因果の誤謬」と呼ばれるそうです。


さて、では「予知夢」という現象が、「夢」→「現実に起きる」ということはあるのでしょうか?
実は、先ほどのケーキのお話しと同様、それも「前後因果の誤謬」でしかないのです。
上記の丸子さんは、確かに「古いケーキを食べた」ら「腹をこわし」ました。
それは事実なのです。
人は「XをしたらYが起きた」という何かを経験すると、
その事実が「確証バイアス」(確実にこうだと思い込む判断の歪み)を生じさせ
その信念・理論・仮説を支持し、益々確証となる情報を求めるようになるそうです。
そういった傾向は「疑似科学」へ傾いて行く人々にも強固に働いてしまうのです。

では、それが確実に「共変性」「随伴性」のある出来事なのかどうかはどのように確認することができるのでしょう。
そのためには、夢が当たった・・・という事例だけで満足することなく
(例えば100日間に、ここではイヤな夢を例に取りますが)
夢を見たけど当たらなかった回数や
夢を見なかった回数なども調べる必要があるのです。

①イヤな夢を見た→その通りのイヤなことが起きた(A回)
②イヤな夢を見た→その通りのイヤなことは起きなかった(B回)
③イヤな夢を見なかった→イヤなことが起きた(C回)
④イヤな夢を見なかった→イヤなことは起きなかった(D回)

このように4通りのケースを全部数え上げる必要があるわけです。
そして、数を下の式に当てはめてΔPの値を出します。

ΔP=A/A+B-C/C+D

この式を計算した結果
ΔP=0  共変なし
ΔP=0.2 多少共変
ΔP=1  完全な共変
という具合に判断することができます。

何か心理的に病んだりストレス下にない限り、そうそうイヤな夢など見ないものです。
仮に、①2回 ②10回 ③11回 ④77回だとしても
ΔPの値は0.04となり、因果関係は(限りなく)無い・・・ということになります。

心理学の統計の基本中の基本だそうです。

何もかもを科学や統計で出すことを善しとするわけではありませんが
・人が自分の記憶を知らず知らずのうちに変容させていること
・何か特異な経験があると、その「事実」が「確証バイアス」として働き思い込みを強めてしまうこと
・自分の説を強く持ってしまうと、その説の肯定説にばかり目が行っていまい、反対の例や説には思いが向かなくなること
人はそのような作りであることを知っておくことは助けになると考えます。

宗教全般への信仰、流行、迷信、偏見・・・などは、それらの心の働きの結果だからです。
でも、勘違いしないでくださいね。
その心や心理的錯覚・作りは、何らかの「生存への助け」かも知れませんし
宗教や流行などを全否定するべきだと言っているわけではありません。
ただ、ものごとは多角的に見た方が楽しいし、いろいろな可能性が開けると思うのです。

では、引き続き連休をお楽しみください。

#24 Re: 親睦・相談 » 遅すぎることはないとの覚悟を持って » 2018年04月03日 21:46:37

Jayさん、わたしには返信なしでも構いませんよ。
うんと先々、気が向いたらいつでもどうぞ(#^.^#)。

#25 Re: 親睦・相談 » 遅すぎることはないとの覚悟を持って » 2018年04月03日 21:38:24

Jayさん、お疲れでしょうに・・・コメントありがとうございます。


わたしは直感・直観の鋭い人は否定しません。
ですので、Jayさんご自身も、Jayさんが持たれた直感もそれはそれで「然り」です。

Jay さんの発言:

家内を説得して辞めさせようとは思っていません。他人の価値観を他人が変えるのは??と思うのです。私が持っている価値観を他の人が根拠を並べて「それは違う。変えろ。」と言われても無理なのと同じです。

その通りだと思います。
人は自らが変化(しかも極限状態の経験の後に)しない限り変化はしません。
わたしも、それは辛い結婚生活から学びました。

但しですね、ただ「気持ち」を伝えて奥さまの判断に任せる・・・聞こえはいいですけど

Jay さんの発言:

本人が考えて変わるしかないと思います。なので家内には私の考えと思いを伝えた上で、彼女自身の判断に任せます。そうしたくはないけどそこは尊重しなければならないと・・・・。

それでJayさんは彼女の如何なる判断も受け留めることができるのでしょうか?
おできになるなら、それに越したことはありませんが
彼女の判断によっては「ストレス」が増すことが必至だから悩まれているのでは?
逆に(厳しいことを)言うならば、奥さまがご自分の思惑通りの判断を下してくれることをただ(受身的に)願っているだけなのでは?

Jay さんの発言:

決して中途半端な直感論に頼っているというわけではないです。初めて接する対象にであれば直感論も成立するでしょうが、JWに関しては直感論に終始しているわけではないです。なので過去のコメントで信仰心や輸血等々の考察を書いたわけです。とはいえ、「変だ。異常だ。おかしい!」と思っていること自体はその通りです。
で、グルグルカオスからどう抜け出すか。簡単でもあり難しくもあり、シンプルでもあり複雑でもあり・・・グルグルですね、すみません。

わたしに謝る必要などありません(笑)。
いつもグルグルと思考のループにはまり込む方をたくさん知っています。
それでも、予想だにしない時にそのループから這い出して来る方もいます。

いずれにしても「ものの見方」「考え方」は、実は無限にあります。
「もがく」こともまた、人生の一齣・・・生きることの楽しみのひとつですよ。

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