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#1 Re: 親睦・相談 » 元・エホバの証人同窓会~酸いも甘きもわたしのJW人生~ » 2018年07月14日 17:38:01

ラハムさん、みなさま、こんにちは。

その昔、進路に悩んで修道院のお聖堂に籠っていたとき、シスターから「神さまにも先のことはわからない」と言われたことがあります。
そりゃそうでしょうが、そんなホントのことはっきり言っちゃいます?と思ったのを覚えています。

悩んで悩んで、自分なりに「これでよし」と腹が決まったときが、信者にとっての「神からの答え」だと思います。自分自身が心から納得できることが大切で、まわりからどう見られるかは二の次ですよね。自分の人生ですから。

#2 Re: 総合フォーラム » 改名:騙されやすい「心」(「価値観の変遷について」からの改名です) » 2018年07月05日 19:13:26

ささらほーさらさん、みなさま、こんにちは。

ささらほーさら さんの発言:

そのようなわけで、世界の標準的な宗教の「死と弔いの儀式と手順」は概ね似通っています。
その詳細は記しませんが、JWはこの「死と弔いの儀式」に背を向けました。

どんな宗教でも、その核となるべきものは、人間に自然に備わっている、そのような素朴な宗教心です。
そのような素朴な宗教心を殺して核を失った宗教が非人間的になるのは、無理もないことと感じられます。

#3 Re: 総合フォーラム » 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか » 2018年06月29日 18:49:17

ジョエルさんこんにちは。

国語の読解問題に作品を採用された著者が、自分の作品についての問題を解けなかったとか聞いたことあります。
著者の表現力に問題があったのか、出題者の読解力に問題があったのか、はたまた読解問題などというくだらない問題が存在すること自体が問題なのか、どうなんでしょう?

小説や詩歌などは読者に解釈を委ねる部分も多く、幅広い解釈ができるということが表現の豊かさともつながるでしょうね。
聖書の文書も歴史物語や詩歌や黙示文学など、ある程度自由な解釈が可能なジャンルが多いですから(さらにオリジナルではないので)、「正しい解釈」が存在するとしてもかなり幅は出るでしょう。

論説文の場合は、著者の意図ははっきり書いてあるのが普通じゃないかと思います。著者の意見と自分の意見とをしっかり区別して読む必要がありますが、自分の意見を投影しながら読むと、反対意見の文章でも自分と同じ意見にしか読めません。確証バイアスがかかりますからね。

日高氏は生物学に明るい人しか読めないような不親切な書き方をして、読者が混乱するのを楽しんでいたのでしょうか…

#4 Re: 総合フォーラム » 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか » 2018年06月27日 23:28:57

三太郎さんこんばんは。コメントありがとうございます。

私は以前も述べたとおり、社会の状況に合わせて聖典の解釈を修正する必要があるということは、文書として聖典を持つ宗教の宿命だと思っています。仏教では社会の変化に応じてたくさんのお経(新解釈)がつくられ、宗派によって重視するお経が違いますが、キリスト教ではあらゆる文書のなかで聖書だけが特別の地位を占めており、書き換えも禁じられています。文書そのものを書き換えることができないのなら、その解釈を変えるしかありません。そして、適切な解釈を示すことこそが、宗教指導者の役割であると思います。

「正しい聖書の読み方」がわかりにくいのは、信仰のあり方によって聖書の読み方が異なるためでしょう。信仰抜きなら、よほど単純になりますね。

#5 Re: 総合フォーラム » 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか » 2018年06月26日 23:38:07

ラハムさん、みなさま、こんばんは。
親睦・相談のフォーラムで議論はしにくいので、こちらでちょっと感想など。

ラハム さんの発言:

それから、果たして聖書の正しい読み方はあるのか、という大きな疑問も追求したいところです。

わたしはきっとあるだろうと思うのです。
その理由はわたしはできるだけ日記を書くようにしているのですが、ある人がそれを読んで、この文章の正しい意味は何ですかとわたしに問い合わせてきたなら、これこれですと、わたしは説明することができるからです。
書き記した人物が正しい意味を説明するのですから、おそらく絶対正しいということになるでしょう。
ほかの人の説明に頼る必要はありません。

信仰を前提とする場合と、信仰を前提としない場合とで、「聖書の正しい読み方」は違うものになると思います。

信仰を前提とせずに、一般の文献と同じように聖書を研究すれば、聖書の実際の著者たち自身がそれぞれ正直に執筆の意図を解説しているような「正しい」解釈に近づくことができるでしょう。
この場合には「正しい解釈」は最終的には一つに決まるはずです。けれども、聖書全体を細部まで調和させることはできなくなるでしょう。
聖書に含まれているひとつひとつの文書は、それぞれの時代のそれぞれの社会の要請に従って書かれたものであり、それぞれの著者の意図はバラバラであるからです。

信仰を前提に、つまり聖書をキリスト教の信仰のための書として読もうとする場合には、聖書全体を統一されたものとして扱うのが普通です。ものみの塔の出版物にもよく引用されるとおり、テモテへの第二の手紙3章16節に「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ」とあるからです。
本来はバラバラの文書を統一されたものとして扱うには、それぞれの著者の意図とは別に、何らかの意図をもって解釈する必要があります。
この場合には「正しい解釈」を一つに決めることはできないでしょう。信仰の重心をどこに置くかによって、聖書の解釈も違って当然だからです。

例えば、中澤先生は2009年の著書「ものみの塔の源流を訪ねて」の中で、ラッセルたちの聖書研究の方法自体は正しかったと述べています。
その方法とは、ある問題に関する聖句すべてを分析し、ある聖句と別の聖句が矛盾するように思える場合、2つの聖句の調和を図るように努め、得られた結論を記録するという方法です。
この方法が「聖書によって聖書を解釈する(聖書のみ)」というプロテスタントの伝統的な読み方だと思いますが、この方法で聖書を解釈するための前提としてどうしても必要なのは、「聖書全体は細部まで調和しているはずだ(聖書全体は神の霊感を受けているから、すなわち神こそが聖書全体の著者であるから)」という信仰です。
この信仰が正しいと考える人にとっては、この方法で得られた聖書解釈が正しいということになります。

また、ラハムさんが(中澤先生が紹介されているのを)紹介してくださっているN.T.ライトの神学では、ライトは自分が読み取った「正しい聖書の世界観」を前提として聖書を解釈しています。
ライトの世界観(信仰)が正しいと考える人にとっては、ライトの聖書解釈が正しいということになります。

信仰の立場から読むならば、聖書にはいくつもの「正しい読み方」があるといえるでしょう。

世界中の何十億通りかの考えの一例として、私の考えを御紹介しました。
ただ、私がもし修道女になっていて、教会や修道院に来る人たちと話す立場であったなら、このようなぶっちゃけた話はできないでしょう。
教会は人々の信仰のためにあるもので、聖書も信仰を前提として教えるのが当然だからです。

#6 Re: 総合フォーラム » アブラハムの神の限界 » 2018年06月23日 20:24:10

「キリストはヒューマノイドヤハウェ」とは言い得て妙ですね!
ついでにヤハウェのイメージがガラリと変わってしまいましたけれどね

#7 Re: 総合フォーラム » アブラハムの神の限界 » 2018年06月20日 22:56:21

そこへいくと日本のお地蔵さまは最先端を行きましたね

何しろ6体そろって「じょいやさ、じょいやさ」と掛け声をかけ、橇を引いて歩くのですから!

それがありがたいのも普段は何もしないからこそ。旧約の神は人間を救わない神ですから、偶像と張り合っていたのでしょうか…

#8 Re: 総合フォーラム » アブラハムの神の限界 » 2018年06月19日 19:16:12

ものみの塔に引用されているコリント第二3章から

神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。文字は殺しますが、霊は生かします。
(コリントの信徒への手紙二/3章6節)

霊よりも文字に仕え続けている人々が、世界中にどれほどたくさんの悲劇をもたらしてきたことでしょう…

正統に固執せず、多様な解釈を認めてきた仏教の圧勝です cry

#9 Re: 総合フォーラム » アブラハムの神の限界 » 2018年06月19日 09:24:36

聖書についての質問 さんの発言:

「そもそも新約聖書にエホバなんて出てこないよ。kyrios(主)をエホバと恣意的に訳しているのは新世界訳だけだよ。聖書の改ざんだ。パウロはエホバなんて関心はなくキリストについて論じているというのが、パウロの手紙を理解する上での大前提だから、それを否定してしまうと解釈は滅茶苦茶になる。」
「JWはキリスト教ではなくエホバ教という新種の宗教ですから。」

初めはキリスト教だったのが、いつの間にか変異して新種エホバ教になりましたね。それでも環境に適応して生き延びているのですから立派なものです。

#10 Re: 総合フォーラム » 神権用語 » 2018年06月19日 08:39:55

1,000時間奉仕者 さんの発言:

「12人の怒れる男」という陪審員モノの映画の中で、意見を求められた一人が「ちょっとパスしていい?」と意見を保留した時、
議長が「That's your privilege.」
「ご自由に(字義的には、パスはあなたの特権です)」
と言ってたのが印象的でした。

これは「パスしても処罰されることはありませんからご心配なく」という意味ではないでしょうか。
けっこう重い意味に感じます。

#11 Re: 総合フォーラム » 神権用語 » 2018年06月17日 19:45:28

春日 さんの発言:

信者側が加害者である場合、その人は真の意味でエホバの証人ではなく、会衆に居座っているだけの犯罪者だと思います
(中略)
また、信者側が被害者である場合、み使いの保護も聖霊の導きもなく、信者自らが犯罪者に遭遇する選択をしたのだと思います。

とても「エホバの証人」らしいコメントだと思います。
ここに集う方々の多くは、今はもうそのような考え方はなさらないと思いますが。

#12 Re: 総合フォーラム » 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか » 2018年06月16日 12:41:06

みなさまこんにちは。
三太郎さんコメントありがとうございます。

日本ではいろいろな神仏が共存していますね。
神話に出てくる神々、万物に宿る神々、仏教から生まれた(広義の)仏たち…
このような多様な神仏に囲まれているのは、ほんとうに幸せなことだと思います。

神話に登場する神さまたちは、とても人間くさくて親しみが感じられます。三太郎さんのおっしゃるとおり、いい加減な神さまもたくさん。

国産み神産み、岩戸隠れ、八俣遠呂智、因幡の白兎、海幸山幸…
日本の神話を知らない方がいらしたら、ぜひ読んでみてくださいね。ユダヤの神話より面白いかも。

#13 Re: 総合フォーラム » 輸血拒否に関する議論 » 2018年06月12日 18:20:42

先月、あるサイトに輸血拒否に関する裁判官の解説が載ったので、皆さんにshareします。
「エホバの証人事件」(最高裁平成12年2月29日判決)をもとに、最高裁判所の判断や実地での対応について解説されています。

「輸血を拒否している人に、輸血の可能性のある手術を予定する場合、きちんと説明をして、その病院で手術を受ける(必要なら輸血を受ける)か、別の病院に移るかを選んでもらう。
別の病院に移らずに手術を受けることを選んだ人には、輸血をしても問題にならない。」

18年前の判決ですが、裁判官の間では今もこれが判断基準となっているようです。
そして医療には「絶対に万が一のことが起こらない」ということはありませんので、輸血を絶対にしないと確約してくれる病院を見つけるのはかなり大変でしょう。

では、今すぐに輸血をしなければ、死亡または重大な後遺症につながってしまう、押し問答をしてる暇がないような緊急時はどうかというと?

「このような場合についての最高裁判所の判決はないが、緊急時に輸血を拒否するというのは正常な判断能力を有する意思決定とは考えにくく、公序良俗に違反すると考えられるため、救命のために輸血を含む治療をすることは違法ではない」

最高裁の判例はないので、別の判断をする裁判官もいるかもしれませんが、法律の専門家はこんなお考えのようですよ。御参考まで。

#14 Re: 総合フォーラム » 宗教なんていらない ~「真の宗教」は存在するのか » 2018年06月12日 12:59:07

親睦・相談のフォーラムの書き込みですが、こちらでちょっと感想など。

三太郎 さんの発言:

多くの宗教において最高位の神は、「父なる神」としての父性を持っています。
(中略)
父親は優しくて頼れる存在ですが、時には怒るし厳しい一面もある。旧約聖書の荒ぶる神は、それを発展させた人間の稚拙な神表現だと思います。

古代の教会で聖母マリア崇敬が生まれ、現代のカトリック教会にまで受け継がれてきているのは、怖すぎるお父さんと付き合うには優しいお母さんが必要だったからかもしれません。

教会が理不尽なことを言わなくなってきて、信徒がマリアさまを慕う気持ちにも微妙に変化が現れていきそうな気がします。

#15 Re: 総合フォーラム » とりあえず書き込み用 » 2018年06月12日 12:53:10

what-towerさんのブログを拝読しました。

子どもの心身の成長と発達について何も解っていない組織が親たちを囲いこみ、外部の支援を受けさせず不適切極まりない子育てを推奨していることは、この上なく腹立たしいことです。

無知な組織の垂れ流す害毒は、「ムチ」が下火になった今でも本質的には変わっていません。
いくら出版物に「世の」子育て情報を載せてみても、根本的な価値観が変わらない限りは意味がないですね。

#16 Re: 総合フォーラム » 改名:騙されやすい「心」(「価値観の変遷について」からの改名です) » 2018年06月03日 14:39:49

ささらほーさらさん、みなさま、こんにちは。

ささらほーさら さんの発言:

数年前に亡くなった従兄は、亡くなる少し前に「カトリック信者として(以前からカトリックの)妻と同じ『墓』に入りたい」と希望し即カトリックに入信したことがあります。
同様の理由で友人家族3人も(活動してないけど)入信しています。

カトリックにも、入信のための入信準備制度があります。洗礼の希望を伝えてから実際に洗礼を受けるまでには1~2年かかるのが普通です。
その間に、入門講座に参加して聖書や教会の教えを学んだり、信徒と同じように御ミサや行事に参加してカトリックの生活を体験したりして、理解を深めていきます。

ただ、正式な準備をするための時間的余裕がない場合は、この限りではありません。ささらほーさらさんの従兄さんは、奥様と生活を共にするなかで洗礼を希望されていますので、カトリックについてよく理解されているものと判断されたのだと思います。

また、超緊急の場合には、司祭でなくても、信者でさえなくても、洗礼を授けることができます。
洗礼を受けていない人が、洗礼を授ける…びっくりぽん!

#18 Re: 総合フォーラム » 改名:騙されやすい「心」(「価値観の変遷について」からの改名です) » 2018年05月27日 04:38:50

ちょっと一言さん

たいへんわかりやすく整理された解説をありがとうございます。

確証バイアスは(輸血拒否に限らず)確立された標準的な医療を拒む人たちにもよく見られると思います。誰にでもあるバイアスなのだと思いますが、生命や生活の質に影響する問題に関しては取り返しのつかない結果になることもあるため、注意が必要ですね。

#19 Re: 総合フォーラム » アブラハムの神の限界 » 2018年05月15日 12:48:36

使徒言行録16章 29~33節(新共同訳)
看守は、明かりを持って来させて牢の中に飛び込み、パウロとシラスの前に震えながらひれ伏し、二人を外へ連れ出して言った。「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。」
二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」
そして、看守とその家の人たち全部に主の言葉を語った。まだ真夜中であったが、看守は二人を連れて行って打ち傷を洗ってやり、自分も家族の者も皆すぐに洗礼を受けた。

看守と家族は「主(イエス)のことば」を聞いて洗礼を受けていますね。聖書ではないです。

今も昔もキリスト教徒にとって大切なのはイエスのことばであって、ものみの塔のトンデモ教義ではありません。

#20 Re: 総合フォーラム » ”進化論”の真偽と”進化の証拠”について考える(タイトル改) » 2018年05月13日 12:54:00

みなさまこんにちは。

先月からNHKスペシャルで「人類誕生」が放送されています。あまり詳しい説明はありませんが、概略を知るにはよいと思います。

第1回では私たちヒトに至るまでの「幸運と偶然に満ちたドラマ」が描かれました。これまでに約20種の人類が現れ、半分が絶滅しているそうです。2回目と3回目も楽しみです。

#21 Re: 総合フォーラム » アブラハムの神の限界 » 2018年04月26日 01:38:50

ラハムさん、こんにちは。

ラハム さんの発言:

その一方、新約聖書のほうではダビデを信仰の人として、好ましい扱われ方をしているように読めるだろうと思います。
ダビデの行動についてどのように解釈するのかは、聖書に対するそれぞれの人のスタンスによるのだということが、よく理解できました。

私は、新約聖書がダビデを信仰の人として好ましく扱っているという印象は持っていません。

ダビデの名は新約聖書のあちこちに出てきますが、単に「イエスはダビデの子孫である」と言っているだけのところがほとんどです。イエスを指して「ダビデの子」と繰り返し書かれているのは、キリスト教の物語では、メシアはダビデの子孫から出るという預言がイエスに成就したことになっているからです。

ヨハネによる福音書 7章40~42節
この言葉を聞いて、群衆の中には、「この人は、本当にあの預言者だ」と言う者や、「この人はメシアだ」と言う者がいたが、このように言う者もいた。「メシアはガリラヤから出るだろうか。メシアはダビデの子孫で、ダビデのいた村ベツレヘムから出ると、聖書に書いてあるではないか。」

使徒言行録ではダビデ自身について言及されていますが、この部分も、イエスが(旧約)聖書に預言されているメシアであると主張するために、旧約の歴史(物語)を簡単におさらいしているだけです。ダビデが信仰の人であったかどうかは、新約聖書ではほとんど問題になっていないと思います。

ものみの塔はダビデについて「この名前はクリスチャン・ギリシャ語聖書の中に59回出て来ます。ヘブライ語聖書に登場する人物の中で,クリスチャンの聖書筆者がダビデよりも頻繁に言及しているのはモーセとアブラハムだけです」「ダビデは,戦場では苦難のもとで忍耐を示す闘士であり,勇猛果敢な指導者また司令官でありながら,自分の間違いを認めて由々しい罪を悔い改める謙遜な人,優しい同情や憐れみを示すことのできる人,真理と義を愛する人,そして何よりも自分の神エホバに全幅の信頼と確信を寄せる人でした」などと持ち上げていますが、新約聖書そのものはダビデをそのようには扱っていないと思います。

#22 Re: 総合フォーラム » ネブカドネザルの見た像と4匹の獣についてお聞きしたいです。 » 2018年04月15日 16:38:26

聖書についていちばん重要な正しい知識は、「聖書は科学的真理や歴史的事実の教科書じゃない」ということではないかと私は思っています。

アメリカは、聖書に書いてあることが「事実」であると信じている人が大統領になるような国ですからね。素朴というかなんというか…何をしでかすかわからない怖さがあります。

#23 Re: 総合フォーラム » ネブカドネザルの見た像と4匹の獣についてお聞きしたいです。 » 2018年04月15日 10:50:01

てつてつさんありがとうございます。

JWのみなさんはクリスマスはインチキと思っているので、聖書にあるイエスの誕生譚にはあんまり興味がなくて、史実かどうか気にしたこともないんじゃないかなと思ったんですけど。

そもそもイエスに興味がない気がします。

#24 Re: 総合フォーラム » ネブカドネザルの見た像と4匹の獣についてお聞きしたいです。 » 2018年04月15日 08:40:19

おはようございます。

イエスの誕生譚も史実ではなく、物語としてキリスト教会に受け継がれてきたものであるわけですが。

キリスト教会ではクリスマスを大切にしていますので、子どもたちがイエスの誕生譚を劇にして演じたりするのはよくあることです。ほとんどの人がその物語を知っています。

ものみの塔ではクリスマスは祝いませんし、イエスの誕生譚にもあまり興味がないように感じますが、皆さまの印象ではいかがでしょうか?

#25 Re: 親睦・相談 » 遅すぎることはないとの覚悟を持って » 2018年04月05日 02:13:24

Jayさん、お返事ありがとうございます。
専門家に相談することになさったようで安心しました。必要があれば医師に相談することもためらわないでください。

精神科でもらう薬というだけで不安に感じる人はたくさんいます。自分の薬について知ることは大切なことです。よいお友達がいらしてよかったですね。薬をやめるときも、きちんと主治医に相談してやめたのはたいへん賢明なやり方でした。一口に「鬱症状を抑える薬」と言っても、本物の抗うつ薬もあればそうでないものもあり、上手に使えば副作用や依存性も避けられます。

現時点で重要なのは診断名ではなく、Jayさんの心身の状態を改善することです。仮にうつ病という診断がついたとしても、とりあえずは治療のための方便とお考えになるとよいでしょう。何かしらの病名をつけないと、保険診療はできないのです。

Jayさんが少しでも元気になられますように願っております。

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