ログインしていません。

返信

メッセージを書いて送信してください。
オプション

戻る

トピックレビュー(最新表示)

てつてつ
2020年04月17日 22:31:40

めぐママさん>てつてつさん    林檎の受粉には  アルプス乙女という 種類が良いそうです

今日以前から植えてあった王林とアルプス乙女が同時に咲きました 自分のブログに移動します

しろ
2020年02月28日 06:04:27

コロナでピリピリしている今 この漫画免疫機能を高めてくれそう。
笑えますね

めぐママ
2020年02月27日 22:04:37

西原さんの女の子の育て方 というのが面白いらしいです。
毎日かあさん というのは新聞連載していたと思います。

てつてつ
2020年02月27日 21:51:59

みなさんこんにちは 最近モトシモベさんが紹介してくれた どせいさんの再開したブログ読んでましたら 15年前に一度会ったきりの現役証人の弁護士さんからこのようなブログはかかないで長老に相談してくださいとメールがきたそうで どせいさんはやめないよと書いてました この部分だけもう削除されたみたいですけど

自分はこの弁護士さんは 最近ハマってるサイバラさんの漫画みたいに頭の中にオガクズがつまっているのかなと思いました cry 

サイバラさんのマンガ面白すぎて毎晩布団の中でおなかよじれてます kiss

めぐママ
2020年01月31日 22:24:28

たもさん の漫画を ネットで見つけて 読んでました。 第2部が出たのですね。

教祖様にはならない。 相談を受けても  それぞれが 自分で道を見つけて行かなければならない。  というのが とても良かったですね。

救世主 気取りは恐ろしいです。 津久井やまゆり園で 多くの人を傷付けた被告人は自分を 救世主だ  トランプ氏 と安倍を尊敬していると言っているようです。

てつてつ
2020年01月30日 10:44:37

たもさんの カルト宗教やめました 続編読んでみました もう証人ネタはダメだめだろうと思っていたのですがなかなかよかったです

サンプル

コミニュティで預言者ヤコブをやっつけるのが爆笑でした kiss

ラハム
2020年01月28日 16:46:18
てつてつ さんの発言:

ラハムさんありがとうございます ぜひ読んでみてください

中沢牧師さんも最初は現役証人さんに組織のここがこのように間違いなんですよ、と
説明できれば脱会させることができると思っていたが、
そうではなかったといってましたが 、
この例もそのようなパターンの一つかなと感じました

そのとおりだと思います。
わたしも三年以上大野教会で、家族や知り合いを
JWから脱塔させ、救出したいという方々とお会いしてきました。
それらの人たちがたいてい最初に行うことは、
組織の誤りや矛盾点を指摘してしまうことなのです。

組織について、真実を知りたいとか、脱出したいと考えている人には、
組織の誤りや矛盾点を指摘することは有効だと思います。
事実、わたしはその一人でした。

しかしながら、信じ切っている人や、組織のとどまり続けたい人は、
矛盾点や誤りを指摘されると、サタンや悪霊からの誘惑と解釈し、
いまは、邪悪な天使でしたね…、
組織が警戒するように警告しているとおりになったと、
思い込むことになるのだろうと思います。
事実、家庭聖書研究の最初からこうしたことが扱われていました。
だから、救出作戦はかえって混乱を招くことになってしまいます。
それに、わたしには信じがたいことですが、矛盾や誤りに満ちた組織にいて
幸福だと感じている人も少数ながらいるのです。
また、他のトピックで書き込んでおられるラッピーさんのように
家族の必要で組織にとどまらねばならないこともあります。

JWはなることのほうがやさしくても、
清く去ることの不可能な宗教だと思います。

ですから、現在のわたしは、誰か聞いてくる人がいれば、
必要に応じて情報を提供できるようにしておこうという方針です。

掲示板ですが、ときどき大炎上になることもありますが、
カルト宗教について正確に知りたいという人にはとても有効な手段だと思います。

カレブさんに感謝しています…。

てつてつ
2020年01月28日 16:26:10

逮捕された後

二度目の接見の時は、青山弁護士は今度は紙に書くのではなく、口頭ではっきりと言いました。「完全黙秘を続けて下さい」それに対して、私は次のように言いました。「いろいろなオウムの悪事が露見して、皆が色々と喋り出しているではないですか。ですから事実を言うべきなのではないですか」すると、青山弁護士は、「事件について警察に一言でも喋ることはグル(尊師)を裏切ることになります。一言でも漏らすことは大悪業になります。無間地獄(八熱地獄の最下底の地獄)に落ちることになります」その時、私は、私が逮捕される直前のファックスのことを思い出しました。そのファックスは、麻原教祖の三女アーチャリーよりのメッセージという体裁をとっていましたが、本当は麻原教祖のものであることは明白でした。なぜこのような体裁をとっていたかというと、麻原教祖が発信したとなると、教祖の居場所が警察に分かってしまうからです。「もし君たちが逮捕されても、一言も喋ってはいけません。完全黙秘を続けて下さい。これは無言の行に当たるのです。ですから完全黙秘は修行なのです。そして、この無言の行に徹すれば君たちのステージが上がります」このような意味のファックスを受け取って、私たちはそれを読み終えると、すぐに破って捨てました。これは秘密のメッセージだったからです。その時、私は、ステージが上がるものなら、早く逮捕されて無言の行に挑戦してみたいと思ったくらいなのです。青山弁護士に、「完全黙秘を続けて下さい。もし一言でも喋れば大悪業を犯すことになり、無間地獄に落ちることになります」と言われた時、私はそのメッセージを思い出していたのです。前回の接見の後は、一日は完全黙秘に徹しました。しかし翌日、私は警察の取調官に事実を喋り出していました。そこで青山弁護士に尋ねたのです「警察は正義のためだから喋りなさいと言っています」すると青山弁護士はこのように言いました。「正義には二つあります。一つは警察の正義であり、もう一つはオウムの正義です。警察の正義というのは、警察がデッチあげ、作り上げた正義です。それに対してオウムの正義には真理が伴っているのです」そこで私は再度、青山弁護士に尋ねました。「それでは、逃亡しているサマナたちは、なぜ出頭しないのですか。堂々と出てきて正義と真理を主張すればいいのではないですか。なぜ隠れているのですか」これに対して青山弁護士はこう答えました。「彼らは修行中なのです。逃亡していることが、修行なのです」この言葉を言う時、さすがに青山弁護士も庇理屈だと分かり、自分でも苦笑いしていました。私はその時、この人に哀れみを感じてしまいました。「この人には、もはや自分の意思というものがない。ただ麻原教祖の言いなりになっているだけだ。麻原教祖の奴隷になってしまっている」このように私は感じて、青山弁護士に何とも言えない哀れみの気持ちを抱いたのです。しかし、青山弁護士が三回目の接見に訪れることはありませんでした。彼自身が、接見に来たところを逮捕されてしまったからです。そして奇妙な縁とでも言うのでしょうか。青山弁護士は私のすぐ隣の独房に入れられたのです。その独房からは、以前のような威風堂々たるものはなく、蚊の鳴くようなか細い声で、看守と喋っている青山弁護士の声が聞こえてきました。あのエリート大幹部の実態はこんなものだったのかと、つくづくがっかりさせられました。


青山弁護士は自ら志願して取調室に出向くことはありませんでした。「弁護士だったら、もう少し正義感というものがあって然るべきだろう。もう少し知っていることを喋るべきだろう!」と腹立たしく思うこともありました。彼は取調官から催促されれば喋るものの、自らが志願して語ろうとはしなかったのです。はがゆい限りでした。青山弁護士の初公判(十月十八日)での発言を聞いていても、何かしら中途半端なものを感じます 彼は、一方ではオウム教団が犯した数々の犯罪を知っており、それを反省しているのだと思います。しかし他方では、麻原教祖への絶対帰依という宗教心を反省できないでいるのです。彼はこの二つの方向に分裂し、苦悩しているのです。彼がこの苦悩から救われるためには、麻原教祖を否定することが必要なのです。しかし今のままでは、彼は麻原教祖を否定する方法を持っていないのです。麻原教祖を否定するためには、私たちがいるこのリハビリセンター(駆け込み寺)と交流を図る以外にはあり得ないと思います。


私は公判に臨んだ時に、このように発言しました。「麻原教祖を死刑にして下さい!」私がこのような発言をした理由は以下の通りです。その当時までに松本サリン事件や地下鉄サリン事件など多くの凶悪犯罪がオウムの手によって実行され、その結果、多くの犠牲者が発生したのです。その犠牲者の遺族の方々の「深い悲しみと怒り」に思いを馳せると、どうしても麻原教祖を許し難く思われ、それであのような発言をしたのです。でも、今私が、「麻原教祖を死刑にして下さい」と発言している理由はそれだけにとどまりません。私の今の気持ちの中では、その遺族の人たちの無念の気持ちへの思いと同時に、サマナたちのこともあるのです。マインドコントロールされて、いまだに目の覚めないサマナたちを覚醒させるためにも、「麻原教祖を一日も早く死刑にして下さい」と言いたいのです。こうしたサマナたちは、「麻原教祖は七年後には獄中から出てオウムに帰ってくる」という麻原教祖の予言をまだ固く信じているからです。サマナたちの麻原教祖によるマインドコントロールを解くためには、麻原教祖が死刑になってその予言が外れることが一番効果的だと思います。ですから、私は麻原教祖が一日も早く死刑になることを切に望んでいるのです。

てつてつ
2020年01月28日 16:17:42

サマナの前にほとんど現れなかった麻原教祖

サマナたちが何よりも欲しいものは、豊かな食べ物や美しい衣類やきれいな部屋ではなく、麻原教祖の説法でした。麻原教祖と直に会って、導いてもらうことだったのです。しかし、麻原教祖はそんなサマナの願望など全く意に介さず、サマナたちの前に姿を現すことはほとんどありません。サマナたちに説法を施すことなどほとんどなかったのです。オウムのことを知らない人々からすれば、麻原教祖はサマナたちと寝食を共にし、毎日のようにサマナたちに説法を施し、サマナたちをマインドコントロールしていたと考えるでしょう。しかしそうではなかったのです。サマナが麻原教祖に説法を求めると、麻原教祖はいつもこんなふうに返事をしていました。「私はたくさんの法を知っている。しかし今君たちに話をしても理解できないだろう。君たちはステージが低い。君たちと話をしていると、君たちのカルマが私の中に入ってきて、私が苦しくなる。だから、もう少し修行をして、ステージを高めなさい。そうすればその時に説法してあげよう」このような麻原教祖の言葉に対して、サマナは誰一人として疑問を抱かないのです。疑問を抱くどころか、かえってこう反省するのです。
「私たちのステージが低いばかりに、私たちのカルマを背負って尊師は苦しんでおられるのだ。だから、私たちはもっと修行に励まなければならない。修行してステージを上げれば、尊師は私たちの前に現れて、私たちに説法してくれるだろう」こうして、麻原教祖がなぜサマナたちの前に現れないのかという疑問は消えてなくなるのです。サマナたちはそうした疑問を捨てて、ひたすら修行に励むのです。そしてその修行の一環として、ワークに専念するのです。印刷物を作ったり、ラーメンを作ったりするワークが修行であると麻原教祖が言うものですから、サマナたちはワークを修行だと思い込んで、ワークに打ち込んでいくのです。さらに、サマナたちは、前に述べたように、修行の決意文を読み上げさせられます。決意文は約十五分かかつて読み上げるのですが、千回読み上げると、記憶できたかどうかのテストを受けるのです。もし記憶できなければ、サマナたちはさらに何千回もその決意文を読み上げるのです。サマナたちは麻原教祖からこう教えられています。「君たちがこの決意文を記憶していれば、死んだ後、来世にどこに行くのかを決められる時、その記憶に基づいて上級の世界に導かれることになる。この決意文を記憶していなければ、君たちは三悪趣(地獄、餓鬼、畜生)に落ちるだろう。しかし、この決意文を記憶していれば、君たちは上級の世界に行くだろう」

こうして決意文を十五分かけて読み上げ、しかもそれを一千回も繰り返すのですから、サマナたちはこの決意文以外のことは次第に考えることができなくなります。耳からは麻原教祖の声が聞こえ、教祖の声に合わせて発声を繰り返していくと、頭の中には決意文以外のことは何もなくなります。決意文の主旨は、「尊師に帰依するぞ。救済のためには手段を選ばないぞ」というもので、サマナたちは自然に麻原教祖の奴隷と化し、犯罪者予備軍として訓練されていったのです。サマナたちは決意文を読み上げることが修行であり、この修行をすればステージが高まり、そうすれば麻原教祖に会って説法が聞けると本気で思っていました。その修行で、本当はステージを高めるどころか、人間としての尊厳を失い、単なる奴隷となり、犯罪者になるための訓練を受けているということも知らずに、サマナたちは麻原教祖に会いたい一心で修行に没頭していくのですしかし当の麻原教祖にしてみれば、サマナたちは既に全財産をオウムに寄付してしまったので、もはや無一文で、無用の長物でしかなかったのです。麻原教祖からすれば、信徒が出家する時点ですべての財産をオウムに寄付させることが一番大事なことだったのです。魚は釣り上げる時が大事なのです。そして、釣った魚に餌はやらないとでもいうように、麻原教祖はサマナたちにほとんど会おうとはしません。時には、「体調が悪い。Q熱リケッチャに罹った」などと仮病を使って、サマナたちから遠ざかっていたのです。麻原教祖は第六サティアンで寝泊まりしていましたが、そこは一般のサマナからは隔離された居住空間でした。起床すると、妻の松本知子を第六サティアンに残したまま、麻原教祖は長女のドウルガーと三女のアーチャーリを連れて、第二サティアンか富士山総本部に移動しました。第二サティアンには三人の若い愛人がいましたし、富士山総本部には石井久子がいましたので、麻原教祖はこうした女性たちと一緒に楽しい時を過ごしていたのです。決してサマナたちには会おうとはしなかったのです。サマナたちに対しては、ただ録音テープと決意文を渡し、それを一千回、一万回、何十万回と読み上げさせていたのです。麻原教祖からすれば、お金を吸い取ってしまって、出し殻のようになったサマナは、もはや会うに値しない者たちだったのです。サマナたちが解脱したい、救われたいという宗教的願望を持っていることなどは、麻原教祖にとってはどうでもよいことだったのです。麻原教祖はサマナたちをアリンコのようにしか考えていなかったのです、サマナたちは麻原教祖に絶対的に服従すべき虫けらなのです。この虫けらたちが平気で人を殺すことができるように仕向けていたのです。麻原教祖の命令に絶対に従う兵隊を作ろうとしていたのです。
サマナたちは解脱したいと思い、麻原教祖に会いたいと思っているのです。それに対して麻原教祖はサマナを兵隊としてのアリンコにしたいと思っているのです。両者の思惑は全然異なっていたのです。ですから、麻原教祖がサマナに会うわけがないのです。.そこで麻原教祖が考え出したことは君たちが修行して、ステージを高めたら会ってあげよう」というものだったのです。しかし、その修行というものは、実際にはアリンコになることなのです。つまり、「アリンコになったら会ってあげよう」ということだったのです。アリンコとは、麻原教祖の命令に絶対的に従う兵隊のことです。その命令とは平気で人を殺すことなのです。サマナたちは、解脱を真剣に求め、修行をしているつもりなのに、実際には平気で人が殺せるようになる訓練を受けているのです。サマナの皆さん、一日も早くこのことに目覚め、アリンコとなることをやめて、人間の尊厳を取り戻して下さい。麻原教祖の私生活を見てきた私は、このことがはっきりと分かるのです。サマナに会うことをせず、毎日愛人に会ってばかりいた人が、何で教祖なのでしょうか。

てつてつ
2020年01月28日 16:01:11

ポアとは、来世に幸福な世界へ魂が導かれることです。ですから、私たちサマナはいつポアされてもいいと思っていたのです。いつ麻原教祖にポアされても、それはむしろ望ましいことだと考えていたのです。ある幹部はこんなふうに言っていました。「飛び降りたら死ぬと分かっている高い所で、麻原教祖からここから飛び降りろと言われれば、私は飛び降ります。私は尊師の命令であれば喜んで死にます」私たちサマナはポアされることを恐れるどころか、いつポアされてもいいと思っていたのです。こんな現世よりも来世のほうがいいと思っていたのですから、早くポアされることに何の不安もなかったのです。それにどうせ現世はあと三年も経てばなくなると私たちは信じていたのです。ハルマゲドン(世界最終戦争)が必ず起きて、すべての人は死ぬのです。現世に執着しても、あと三年ですべては終わりだと信じていたのです。ですから、ホームレスたちの悪業ぶりを見ていると、「ポアされたほうがいい」と自然に考えたりしたのです。この人たちも、麻原教祖によってポアされれば、地獄に落ちることはあるまいと考えたのです。今のままではきっと地獄に落ちるだろうから、ボアされればそれがこのホームレスたちの救いになると思ったのです。自分も含めて、あらゆる人がポアされることは良いことだと信じていたのです。来世のことを信じない一般の人々からすれば、こうした考えは全く理解できないことだと思います。しかし、すべてのサマナたちは来世の存在を信じているのです。来世には地獄もあれば大涅槃界もあると信じているのです。そして、麻原教祖によってポアされれば、その魂は地獄に落ちることはなく、より上の世界に行くことができると信じているのです。地下鉄サリン事件が起きた時、最初はそれがオウムが起こした事件だとは考えませんでしたしかし、たとえそれがオウムが起こしたとしても、「死んだ人々の魂は、麻原教祖によってポアされたのだからよかった」と、その時は思ったのです。大半のサマナはそう考えているし、今でもそう思っているのです。でも、私は今、麻原教祖にこう言いたいのです。「麻原教祖、あなたは法廷で、堂々と自分の行ったことを言うべきです。『自分は地下鉄サリン事件や松本サリン事件などの一連の事件で、多くの魂をポアしました。ポアしたことは正しいのだ』。このように言うべきです。考えがあってやったことなのでしょうから、その考えを述べて頂きたいのです」実際、この麻原教祖の言葉を大半のサマナは待っているのです。そうすれば、多くのサマナはこう考えるでしょう。「一連の殺人事件は警察のデッチ上げだと言われてきたけれど、やはり本当はポアだったのだ」そして、事実を知ることにより、麻原教祖の隠された野望に気づくようになると思います。「麻原教祖は宗教を利用して、この日本を支配しようとしたのだ。自分と家族を敬まわせて高慢にも日本人をすべて奴隷にしようとしたのだ」こうして多くのサマナは脱会するでしょう。しかし、麻原教祖はこんなことを堂々と法廷で述べるはずもありません。自分のことしか考えない人ですから。サマナの皆さんの気持ちなどどうでもいいと考えているのです。サマナの皆さん。君たちが麻原教祖を捨てなくても、教祖の側から君たちを捨てることになるでしょうサマナの皆さん、君たちがオウムを離れたくない理由は痛いほど私には分かるのです。私にとっても、オウムでの生活は悪しきにせよ、日々の体験や知り合った友人たちとの思い出は、貴重なものになっているのです。今でもこうした思い出は私にとっては大切なものです。でも、オウムという教団を離れたって、このような生活ができるのです。私は今は慈照寺のリハビリセンターで同じような楽しい生活をしているのです。ですから、君たちもオウムを離れて、こうした所を探せば必ず見つかるはずです。

てつてつ
2020年01月28日 15:52:54

その頃、私は軍事訓練に疑問を持ち、「なんで出家者がこんな訓練をしなくちゃならないのですか」と質問したのです。すると幹部は、「麻原教祖は私たちを試しているんだ。色々なことをさせて、私たちが本当に帰依しているかどうかを試しているんだ。これはマハー・ムドラーなんだ。尊師の指示で軍事訓練をしているのだから、私たちはこれは修行なんだと思わなくちゃならないんだ。それに、この軍事訓練は選ばれた者だけに許された修行なんだから、尊師に選ばれたことを喜ばなくちゃならないんだ」こんな幹部との会話を思い出しながら、私は軍事訓練を修行なんだと自分に思い込ませたのです。私たちは道に迷って、どこを歩いているのか分からなくなったけれど、この幹部の発言で、誰もが活を入れられ、とにかく雪の中を歩いたのです。夕方の六時に出発した私たち一行は、朝方の四時まで歩き続けたのです。本当ならば、ちゃんと出発した位置に戻れるはずだったのですが、道に迷った私たちはそれを断念し、山の下のほうに見える街の明かりを頼りに下山し、ようやく元の位置に戻ったのです。下山の途中で一般道路に出ることになった私たちは、自衛隊員のような迷彩服を着用していましたから、誰が見ても異様な光景だったので、銃は雪の中に隠して下山したのです。後で車でそこに向かい、銃を持ち帰ったのです。今にして思えば恐ろしい限りです。あの時は、最初は疑問を持っても、次第にその疑問のことは忘れ、軍事訓練が楽しくなっていったのです。そして、さまざまな悪事に没頭していったのです。今の私には明確に分かります。軍事訓練は麻原教祖の計画した日本の武力制圧のために、私たちを兵隊とするためのものだったのです。私たちが平気で人に銃弾をあびせることができるようにする武闘訓練だったのです。私たちをテロリストにしようと企んでいたのです。私はあの頃は、別に人殺しをしたわけじゃないのだから、サバイバル訓練は悪い事じゃない、かえって自慢してもいいものだと考えていたのです。しかし今は、「その考えはとんでもない間違いだ。あれは人殺しの練習じゃないか」と考えています。本当に練習だけで終わってよかったと思っています。かえすがえすも悔やまれることばかりです。

てつてつ
2020年01月28日 15:41:51

警備に就いた私たちは、第一章に述べてきた通り、麻原教祖と共にしばしばファミリーレストランに行きました。ファミリーレストランでは、麻原教祖が食べる物を注文し、それをレストランから車に運び、幹部に手渡すのです。すると幹部が車の中にいる麻原教祖にドアを開けて手渡します。私たちは車の外から食べる様子をうかがっているのですが、食べ終わると、幹部がドアを開けて皿を受け取り、レストランまで返しに行きます。時折、その皿が私に手渡されて、私がレストランまで返しに行くこともありました。警備の者の中には、麻原教祖の使った割り箸を大切そうにポケットに入れて持って帰る者もいました。ある日、私は幹部から手渡された皿を見て、「ああ、これは尊師がいま使ったばかりの皿なのだ」と考え、それに触れることができただけで歓喜の思いに包まれていました。尊師の温もりが伝わり、エネルギーが伝わる思いだったのです。その時、皿の上に残っている米粒を見て、「これはイニシエーションだ!」と、思わず心の中で叫んだのです。私は誰にも見られないようにして、その皿の上に残っている米粒を指ですくい上げて食べたのです。その時、私は思念していたのです。「尊師のエネルギーが入っているこの米粒を食べることによって、私は解脱したい。尊師、どうか私を解脱させて下さい」さらに私は、誰にも分からないようにして、麻原教祖の使った割り箸やスプーンをペロペロとなめ回しました。それにまとわりついている麻原教祖のエネルギーを頂くために、私はスプーンがピカピカになるほど、ペロペロとしゃぶったのです。その時の私は、誰にも勝る優越感にひたり、恍惚としていました。本当の歓喜の絶頂に入っていたのです。しかし今にしてみれば、私は自己暗示をかけたにすぎなかったのです。スプーンをあんなになめ回したのに、何の効果もなかったからです。今では、あの時のことを思い出すと吐き気がします。そして、「何であんなことをしてしまったのだろう」と激しく後悔しているのです。

てつてつ
2020年01月28日 15:26:50

70ページあたり 安い混合ウイスキーを飲ませてイニシェーションという

麻原教祖の傍らでは、三女のアーチャリーがサットヴァ・レモンの粉やグレープフルーツの粉をポリタンクに入った水に溶かしていました。水は石油用のポリタンクに入れられていましたので、このポリタンクにサットヴァ・レモンやグレープフルーツの粉を入れて、かき混ぜていたのです それから、傍に置いてあったジャンボ・ボトルのウイスキーをそのポリタンクに注ぎ込みました。それはサントリーのトリスとオーシャン・ウイスキーでした。
私は酒問屋に勤めていたことがあるので、酒のことは少々分かるのですが、なぜこんな安い酒を使うのだろうと不思議に思いました。なぜもう少し高級なウイスキーを用いないのだろう。なぜこんな一番安いウイスキーを使うのだろうと変に思ったのです。アーチャリーはこうして混合ウイスキーを完成させると、次に麻原教祖がこのポリタンクの蓋を取って、そこから息を中に吹きかけ、修法を完了させました。すると幹部たちがこのポリタンクから数十のワイングラスに混合ウイスキーを注ぎ込みました。

そのあと信者たちに新しい信者を何人連れてこれるか一人ずつ決意表明させて

「うん、期待しているぞ」と言い、これでお開きということになります。
そうするうちにワイングラスが一人一人に配られ、教祖は、「これはイニシエーションである。乾杯!」と音頭をとり、それを一気に飲み干します。私たちも、乾杯と言って、一気に飲み干しました。こうしてブロック長のイニシエーションは終わりました。各ブロック長はそれぞれ帰路についたのですが、誰もが普段は酒を断った生活をしていましたので、わずかなウイスキーでも皆フラフラになってしまいました。ある者は真っ赤な顔になり、「おお、エネルギーが上がってきたぞ」と叫びました。またある者は、「体が温まってきた。さすがに尊師のエネルギーはすごい」と叫びました。皆、それぞれに酔っぱらって、千烏足になって帰途についたのです。そしてブロックに帰ると、各ブロック長はこう説法したのです。「私たちブロック長は、尊師によって特別のイニシエーションを受けた。それはとてもとても気持ちのいいイニシエーションだった」この説法を聞いた多くの信徒たちは、もっと修行をして、早くステージを高め、ブロック長になって特別のイニシエーションを受けたいと思うようになったのです。このように一昨年はウイスキーによるイニシエーションだったのですが、第二章で詳しく述べるように、昨年頃からはLSDなどの幻覚剤を使ったイニシエーションに代わっていきました。今にしてみれば、ウイスキーにせよLSDにせよ、酒や薬によるイニシエーションは真の宗教体験ではないのですが、その当時は自分の意思というものがなくなるように仕向けられていたので、こんなばかげたイニシエーションを真剣に受け止めてしまっていたのです。



今思うと、あのブロック長制度が廃止された時、幹部の誰一人としてその廃止に反対する人はいなかったのです。すべてのサマナが麻原教祖の意のままに操られる人形でしかなかったからで「尊師がお決めになったことですから、従いましょう」と言うばかりだったのです。いくら下の信徒が、「この制度は良いから続けましょう」と言っても、通じる教団ではないのです。この教団では、上に行けば行くほど、自分の意思というものがなくなり、腋抜けになっていくのです。ステージが上がれば上がるほど、麻原教祖の奴隷になっていくのです。

てつてつ
2020年01月28日 15:05:09

全国各地で行われたオウムのコンサートの最終回が千葉の浦安で行われた後のことです。打ち上げパーティーとして、特定の幹部とコンサートに出演した愛人の三人娘たちを集めて、秘密の食事会が開かれたのです。
その時に参加した女性サマナの中には加藤智子(上祐史浩広報部長の美人ドライバー)も含まれていました。麻原教祖は大勢の女性サマナや幹部たちに囲まれて、食事会を楽しんでいました。部屋の外で警護している私の耳にも麻原教祖の楽しそうな声が聞こえてきました。「この次はフランス料理を食べさせてあげよう」この食事会の前後にも、毎週のように、都内のアジトでは秘密の食事会が開かれていました。それは麻原教祖に特別に寵愛されていた三人の娘のための食事会だったのです。この三人は歌を歌ったり、導き(勧誘)をしたりしているクマーラの会。つまり新しい信徒を獲得するための会の三人チームでした。しかし、この三人娘の本当の姿は、麻原教祖の最も新しい愛人だったのです。三人とも十九歳から二十代前半の若くて美しい女性でした。彼女らは第二サティアンを住居とし、麻原教祖に特別に溺愛されていたのです。一般のサマナたちはこの三人の愛人がどこに住んでいるか知りません。第六サティアンかどこかで皆と一緒にゴロ寝していると思っていたのです。しかし、これは秘密にされていたのですが、この三人の愛人は第二サティアンの三階の麻原教祖の自宅に住んでいたのです。もともと、第二サティアンは麻原教祖の本居地でしたが、そのすぐ近くでサリンなどの毒ガスの製造を始めたので、毒ガスを恐れて第六サティアンに本居地を移しました。しかし、第六サティアンに移った後も、第二サティアンの三階は麻原教祖の自宅とされていました。その第二サティアンの三階の麻原教祖の自宅にこの三人の愛人は宿泊していました。三人はいつも清潔な服装をして、一般の現世の環境と変わらない生活をしていたのです。


今にして思えば、麻原教祖が自分の可愛がる愛人や最高幹部にだけは魚や肉を食べ放題に食べさせて、恩を売っていたものと思います。「他のサマナとは違い、お前たちを特別に可愛がっているのだ」そんな意識を植え込み、それと同時に自分自身の食欲を満足させていたのです。魚や肉を食べたいという食欲の煩悩にどうしても打ち勝つことができなかったのだと思います。
サマナや信徒の皆さん、これが麻原教祖の実態なのです。

てつてつ
2020年01月28日 14:50:24

麻原教祖のあの太りようを見ていると、とても聖者のようには見えませんでした。あのぶくぶくしたお腹を見ていると、俗物の塊そのもののように思えたのです。それで、そのことを率直に上司のサマナに尋ねたのです。すると、そのサマナはこう答えたのです。「尊師があのように太っておられるのは、君たちの悪いカルマを一身に背負っておられるからだ。シャクティーパットのイニシエーションによって、君たちの眉間から悪いエネルギーを受け取り、君たちの体内に霊的エネルギーを注ぎ込んだ結果、君たちの体内の霊的エネルギーの通る管は太く丈夫になったけれども、そのかわりに尊師の体内には悪いエネルギーが充満してしまったのだ。それであのように太ってみえるのだよ。何百人、何千人の汚れを背負った表れなんだ。その証拠に尊師の顔はむくんでいるでしょう。それに尊師は気功の修行もしておられるんだ。丹田にぐっと力をいれると、仙人のようにお腹が膨むのです。この気で尊師のお腹は膨れておられるのだ。尊師の体には気がみなぎっておられるのだ」こうして私の疑いはことごとく圧殺されてしまいました
それでいつしか私もまた麻原教祖の言う如来の胃袋を信じるようになったのです。つまり、できるだけたくさん食べて、如来になれることを夢見るようになったのです。それで、麻原教祖と一緒にレストランに行き、「好きな物を好きなだけ食べなさい」と言われると、二、三人前を注文し、必死で食べたのです。食べることが苦しいと言うと、麻原教祖はこのように言うのです。「君たちが苦しむのは食欲の煩悩を断ち切るためなのだ。どんどん苦しめばもはや食べたいという煩悩はなくなる。煩悩を遮断するために、この苦しみを味わうべきだ。だから残さず食べなければだめだ。それに残すと餓鬼のカルマを積むことになるから、絶対に残しては駄目なのだ」私は麻原教祖の教えを信じ、たくさん食べることの苦しみは食欲の煩悩を消すための大切な修行なのだと思って、残さず食べるようにしたのです。確かにたくさん食べて、そして食べすぎると苦しくなり、「もう一生食べなくてもいいや」
と思って、食欲の煩悩を断ち切ったように思いました。しかし数時間経つと、また再び空腹になるので、何かしら変だとは思っていたのです。それにしても如来の胃袋などという教えが仏教の世界にあるのだろうかと、つくづく疑問に思います。今にして思えば、如来の胄袋の教えは、麻原教祖の食べ放題の食生活をただ正当化するためのものではなかったかと思います。自分一人がバカ食いをしていたのでは、サマナや信徒からいつかはバケの皮を剥がされてしまうことを恐れた麻原教祖は、むしろバカの大食いこそが解脱のステージの高い証拠だと主張し、如来の胃袋なる教えをデッチ上げたのではないかと思います。それに、私たち譽備の者や運転手だけに肉や魚などのご馳走を食べさせたことの裏には、いざという時に私たちを麻原教祖の思い通りに利用するためという意図が隠されていたと思います。そうすることによって私たちに恩を売り、私たちにペコペコさせ、私たちを絶対服従させようとしたのです。私たちを愛犬のような犬にしてしまおうと考えていたのだと思います。餌を与えて、私たちを麻原犬にしようとしたのだと思います。他のサマナには与えられない恩を受けている以上、その恩を感じない者はいないからです。麻原教祖に特別に可愛がられた私たちは麻原の番犬なのですあのままでは、私はきっとサリンの実行犯にされてしまっていたと思います。このことを思い出すと、今でも全身に身震いが走ります。麻原教祖や、麻原一家が、肉や魚をたらふく食べていることは、私たち警備の者や運転手など極く限られたサマナしか知らないことだったのです。私たちは麻原教祖や裏ワークについて、その知り得たことを他のサマナに言うことを固く禁じられていたからです。それぞれの部所に配属された者は、そこで知ったことを他のサマナに喋ってはならないと、麻原教祖によって厳禁されているからです。ですから、麻原教祖や一家の破戒の生活ぶりについては、多くのサマナや信徒たちには全く知らされていなかったのです。サマナ並びに信徒の皆さん、君たちが信じている麻原教祖は普段、肉も魚も食べていたのです。それも信じられないほどたくさん食べていたのです。サマナの親子の皆さん、麻原教祖の家族たちは煩悩に満たされた生活をしていた事実に、どうか目を向けて下さい。

Board footer