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アノニマス
今日 06:34:24

二六わたしが父のみもとからあなたがたにつかわそうとしている助け主、すなわち、父のみもとから来る真理の御霊が下る時、それはわたしについてあかしをするであろう。ヨハネ15;26

一三けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。ヨハネ16;13

一六わたしが世のものでないように、彼らも世のものではありません。一七真理によって彼らを聖別して下さい。あなたの御言は真理であります。一八あなたがわたしを世につかわされたように、わたしも彼らを世につかわしました。一九また彼らが真理によって聖別されるように、彼らのためわたし自身を聖別いたします。ヨハネ17;16~19

一これらのことを語り終えると、イエスは天を見あげて言われた、「父よ、時がきました。あなたの子があなたの栄光をあらわすように、子の栄光をあらわして下さい。二あなたは、子に賜わったすべての者に、永遠の命を授けさせるため、万民を支配する権威を子にお与えになったのですから。三永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。四わたしは、わたしにさせるためにお授けになったわざをなし遂げて、地上であなたの栄光をあらわしました。五父よ、世が造られる前に、わたしがみそばで持っていた栄光で、今み前にわたしを輝かせて下さい。ヨハネ17;1~5

一テオピロよ、わたしは先に第一巻を著わして、イエスが行い、また教えはじめてから、二お選びになった使徒たちに、聖霊によって命じたのち、天に上げられた日までのことを、ことごとくしるした。三イエスは苦難を受けたのち、自分の生きていることを数々の確かな証拠によって示し、四十日にわたってたびたび彼らに現れて、神の国のことを語られた。四そして食事を共にしているとき、彼らにお命じになった、「エルサレムから離れないで、かねてわたしから聞いていた父の約束を待っているがよい。五すなわち、ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によって、バプテスマを授けられるであろう」。使徒1;1~5

アノニマス
2025年06月16日 07:10:22

四三それだから、あなたがたに言うが、神の国はあなたがたから取り上げられて、御国にふさわしい実を結ぶような異邦人に与えられるであろう。マタイ21;43

この神の国の律法が永遠の命、永遠の律法、神様の約束なのだと思います。

アノニマス
2025年06月16日 06:12:34

六それから、この譬を語られた、「ある人が自分のぶどう園にいちじくの木を植えて置いたので、実を捜しにきたが見つからなかった。七そこで園丁に言った、『わたしは三年間も実を求めて、このいちじくの木のところにきたのだが、いまだに見あたらない。その木を切り倒してしまえ。なんのために、土地をむだにふさがせて置くのか』。八すると園丁は答えて言った、『ご主人様、ことしも、そのままにして置いてください。そのまわりを掘って肥料をやって見ますから。九それで来年実がなりましたら結構です。もしそれでもだめでしたら、切り倒してください』」。ルカ13;6~9

一八朝はやく都に帰るとき、イエスは空腹をおぼえられた。一九そして、道のかたわらに一本のいちじくの木があるのを見て、そこに行かれたが、ただ葉のほかは何も見当らなかった。そこでその木にむかって、「今から後いつまでも、おまえには実がならないように」と言われた。すると、いちじくの木はたちまち枯れた。マタイ21;18~19

ぶどう園の主人は神様、園丁はイエス、いちじくの木はイスラエル、実は"霊の実"の良い行いのたとえと思います。葉は言葉で、口でいうだけで律法を守らないイスラエルを神様が見放すのだと思います。

アノニマス
2025年06月09日 05:33:13

三三さて、ピラトはまた官邸にはいり、イエスを呼び出して言った、「あなたは、ユダヤ人の王であるか」。三四イエスは答えられた、「あなたがそう言うのは、自分の考えからか。それともほかの人々が、わたしのことをあなたにそう言ったのか」。三五ピラトは答えた、「わたしはユダヤ人なのか。あなたの同族や祭司長たちが、あなたをわたしに引き渡したのだ。あなたは、いったい、何をしたのか」。三六イエスは答えられた、「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであれば、わたしに従っている者たちは、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったであろう。しかし事実、わたしの国はこの世のものではない」。三七そこでピラトはイエスに言った、「それでは、あなたは王なのだな」。イエスは答えられた、「あなたの言うとおり、わたしは王である。わたしは真理についてあかしをするために生れ、また、そのためにこの世にきたのである。だれでも真理につく者は、わたしの声に耳を傾ける」。三八ピラトはイエスに言った、「真理とは何か」。 ヨハネ18;33~38

王は支配者、律法も国民を支配します。

一二これを聞いて、ピラトはイエスを許そうと努めた。しかしユダヤ人たちが叫んで言った、「もしこの人を許したなら、あなたはカイザルの味方ではありません。自分を王とするものはすべて、カイザルにそむく者です」。一三ピラトはこれらの言葉を聞いて、イエスを外へ引き出して行き、敷石(ヘブル語ではガバタ)という場所で裁判の席についた。一四その日は過越の準備の日であって、時は昼の十二時ころであった。ピラトはユダヤ人らに言った、「見よ、これがあなたがたの王だ」。一五すると彼らは叫んだ、「殺せ、殺せ、彼を十字架につけよ」。ピラトは彼らに言った、「あなたがたの王を、わたしが十字架につけるのか」。祭司長たちは答えた、「わたしたちには、カイザル以外に王はありません」。 ヨハネ19;12~15

神の言葉=命=光=律法であるイエスを、律法を司どる祭司長たちが否定しローマの法に従うと言っています。ユダヤ人たちは神様との約束、契約を破ったのです。

アノニマス
2025年06月06日 07:29:13

"永遠の命"を持っている人は終わりの日によみがえらされる。

天から下ってきた生きたパン=イエス様の肉=神の言葉

六このイエス・キリストは、水と血とをとおってこられたかたである。水によるだけではなく、水と血とによってこられたのである。そのあかしをするものは、御霊である。御霊は真理だからである。七あかしをするものが、三つある。八御霊と水と血とである。そして、この三つのものは一致する。

血、水、御霊=真理


"神の言葉"を"食べ"、"真理"を"飲んだ"者は永遠の命を持つ人だと思います。


四この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。


命=光=律法でありますから永遠の命とは"永遠の律法"なのだと私は思うのです。

アノニマス
2025年06月06日 06:48:15

二四よくよくあなたがたに言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをつかわされたかたを信じる者は、永遠の命を受け、またさばかれることがなく、死から命に移っているのである。ヨハネ5;24

三八また、神がつかわされた者を信じないから、神の御言はあなたがたのうちにとどまっていない。三九あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。四〇しかも、あなたがたは、命を得るためにわたしのもとにこようともしない。ヨハネ5;38~40

ヨハネの福音書6章

四七よくよくあなたがたに言っておく。信じる者には永遠の命がある。四八わたしは命のパンである。四九あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死んでしまった。五〇しかし、天から下ってきたパンを食べる人は、決して死ぬことはない。五一わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは、世の命のために与えるわたしの肉である」。ヨハネ6;47~51

五三イエスは彼らに言われた、「よくよく言っておく。人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない。五四わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、永遠の命があり、わたしはその人を終りの日によみがえらせるであろう。ヨハネ6;53~54

アノニマス
2025年05月30日 07:40:49

第五章 一すべてイエスのキリストであることを信じる者は、神から生れた者である。すべて生んで下さったかたを愛する者は、そのかたから生れた者をも愛するのである。二神を愛してその戒めを行えば、それによってわたしたちは、神の子たちを愛していることを知るのである。三神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。そして、その戒めはむずかしいものではない。四なぜなら、すべて神から生れた者は、世に勝つからである。そして、わたしたちの信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である。五世に勝つ者はだれか。イエスを神の子と信じる者ではないか。六このイエス・キリストは、水と血とをとおってこられたかたである。水によるだけではなく、水と血とによってこられたのである。そのあかしをするものは、御霊である。御霊は真理だからである。七あかしをするものが、三つある。八御霊と水と血とである。そして、この三つのものは一致する。九わたしたちは人間のあかしを受けいれるが、しかし、神のあかしはさらにまさっている。神のあかしというのは、すなわち、御子について立てられたあかしである。一〇神の子を信じる者は、自分のうちにこのあかしを持っている。神を信じない者は、神を偽り者とする。神が御子についてあかしせられたそのあかしを、信じていないからである。一一そのあかしとは、神が永遠のいのちをわたしたちに賜わり、かつ、そのいのちが御子のうちにあるということである。一二御子を持つ者はいのちを持ち、神の御子を持たない者はいのちを持っていない。 一三これらのことをあなたがたに書きおくったのは、神の子の御名を信じるあなたがたに、永遠のいのちを持っていることを、悟らせるためである。ヨハネ第一 五章

ヨハネの時代にすでに"永遠のいのち"を持っている人々がいたのでしょう。


六このイエス・キリストは、水と血とをとおってこられたかたである。水によるだけではなく、水と血とによってこられたのである。そのあかしをするものは、御霊である。御霊は真理だからである。七あかしをするものが、三つある。八御霊と水と血とである。そして、この三つのものは一致する。

アノニマス
2025年05月30日 07:09:47

二三御子を否定する者は父を持たず、御子を告白する者は、また父をも持つのである。二四初めから聞いたことが、あなたがたのうちに、とどまるようにしなさい。初めから聞いたことが、あなたがたのうちにとどまっておれば、あなたがたも御子と父とのうちに、とどまることになる。二五これが、彼自らわたしたちに約束された約束であって、すなわち、永遠のいのちである。ヨハネ第一2;23~25

一九すなわち、ひとりの人の不従順によって、多くの人が罪人とされたと同じように、ひとりの従順によって、多くの人が義人とされるのである。二〇律法がはいり込んできたのは、罪過の増し加わるためである。しかし、罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた。二一それは、罪が死によって支配するに至ったように、恵みもまた義によって支配し、わたしたちの主イエス・キリストにより、永遠のいのちを得させるためである。ローマ5;19~21

アノニマス
2025年05月30日 06:47:09

一初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。

この永遠のいのちは、父と共にいましたが、今やわたしたちに現れたものである─


"言"と"永遠のいのち"は同一のお方です。天においてのイエス様です。地に遣わされた人の子イエスをヨハネは聞いて、見て、さわったのです。

アノニマス
2025年05月26日 07:09:04

一初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。二この言は初めに神と共にあった。三すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。四この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。五光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。 ヨハネ1;1~5


一初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て手でさわったもの、すなわち、いのちの言について──二このいのちが現れたので、この永遠のいのちをわたしたちは見て、そのあかしをし、かつ、あなたがたに告げ知らせるのである。この永遠のいのちは、父と共にいましたが、今やわたしたちに現れたものである── ヨハネ第一の手紙1;1~2

一わたしの子たちよ。これらのことを書きおくるのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためである。もし、罪を犯す者があれば、父のみもとには、わたしたちのために助け主、すなわち、義なるイエス・キリストがおられる。二彼は、わたしたちの罪のための、あがないの供え物である。ただ、わたしたちの罪のためばかりではなく、全世界の罪のためである。三もし、わたしたちが彼の戒めを守るならば、それによって彼を知っていることを悟るのである。ヨハネ第一の手紙2;1~3

アノニマス
2025年05月23日 14:17:20

助け手とは助け起こす者なのだと思います。

アノニマス
2025年05月23日 06:05:12

一八また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。創世記2;18

九ふたりはひとりにまさる。彼らはその労苦によって良い報いを得るからである。一〇すなわち彼らが倒れる時には、そのひとりがその友を助け起す。しかしひとりであって、その倒れる時、これを助け起す者のない者はわざわいである。一一またふたりが一緒に寝れば暖かである。ひとりだけで、どうして暖かになり得ようか。一二人がもし、そのひとりを攻め撃ったなら、ふたりで、それに当るであろう。三つよりの綱はたやすくは切れない。伝道の書4;9~12

アノニマス
2025年05月16日 07:43:02

三七わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。マタイ10;37

愛する家族よりイエス様を愛するとはどういう事でしょう。

一初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。二この言は初めに神と共にあった。三すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。四この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。五光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。ヨハネ1;1~5

イエス様は神の言葉であり光=律法です。律法は正しい事を教えます。愛する者があやまちを犯す時、イエス様=神の言葉=光=律法にしたがってあやまちから助け出さねばならないのです。

アノニマス
2025年05月12日 08:06:04

アダムは神様以上に女を愛したため神様より女にしたがってしまったと思います。知恵と富を神様から与えられたソロモンも神様より妻たちを愛したためにほかの神々にしたがってしまったのです。

アノニマス
2025年05月02日 07:04:12

一四またアダムは惑わされなかったが、女は惑わされて、あやまちを犯した。テモテ1 2;14

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