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トピックレビュー(最新表示)

ガッツだぜpart2
2020年09月30日 14:15:47

もうすぐユーフラテス川が干上がる。

ガッツだぜpart2
2020年09月30日 13:59:09

wikisource黙示録より引用
”12:1
また、大いなるしるしが天に現れた。ひとりの女が太陽を着て、足の下に月を踏み、その頭に十二の星の冠をかぶっていた。

12:2
この女は子を宿しており、産みの苦しみと悩みとのために、泣き叫んでいた。

12:3
また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、大きな、赤い龍がいた。それに七つの頭と十の角とがあり、その頭に七つの冠をかぶっていた。

2017年9月、おとめ座の配置が黙示録12:1の配置
2018年、火星大接近
2020、7つの惑星直列

ガッツだぜpart2
2020年09月30日 13:41:46

ナショナルジオグラフィック
古代エジプト、人骨が語る過酷な暮らし
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/7701/

奴隷はいなかったと言われていますが、最近の調査で、少なくとも、この遺跡では
子どもが碌に栄養も摂れず、過酷な労働で早死にしていた事が解りました。

アノニマス
2020年09月15日 05:50:18

共にいたとすると、男は女が実を取ろうとするのを止めなかったばかりか、女が食べても死なないのを見てから自分も食べたように思えます。

アノニマス
2020年09月14日 21:31:44

そこで女は見て、その木が食物として良く、目に慕わしいものであるのを知った。たしかに、その木は眺めて好ましいものであった。それで彼女はその実を取って食べはじめた。その後、共にいたときに夫にも与え、彼もそれを食べはじめた。jw創世記3:6
六女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。口語訳

女が実を取った時、男はそばにいたのかいなかったのか?

アノニマス
2020年09月12日 05:01:23

https://m.youtube.com/watch?v=w_NAeLFLnsY

私はこの学説がノアの洪水のあとに雲と虹が出来た事を説明できると思います。

ガッツだぜpart2
2020年09月07日 11:19:33

ざっくり言うと、神の造った公理が法となる世界(神からみて良い=完全に調和していて美しい)
では全て神の法に従っている。人間は神に似せて作られたので、公理の外に出ることができる。
それは神は公理の外におられる存在だから。
したがって、人間が神に逆らう事も計算の内であり、神のように公理の外に出た事によって
神が自分たちに似せて作った事を証明する事になった。
イエスは慈悲の神なので、人間が完全に神に似せて作られているなら、イエスに習い愛を示すはず。
人間が自分の意思でイエスに従う事によって、イエスが完全な御業を行ったことが証明される。

という論理です。聖書は非常に論理的に構成されていますね。

ガッツだぜpart2
2020年09月07日 04:33:57

サタンと神の闘いとはものみの塔の教義ですが、こうも考えられます。

人はサタンに唆されて神を疑うという罪を犯したが、自らの意思で神に立ち返るなら
イエスの全き仕事を証明する事になる。誰かの言いなりになるのではロボットですが
神に似せて作ったのなら意思があるはず。
サタンの挑戦は、人は霊的な存在よりもしょせん劣った存在であり、簡単に操れる存在であり
損得で動く虫や鳥と大して変わらないというものと考えられます。

だから、人間がイエスに全き信仰を示す事で、そうではない、確かに人間は損得だけではない
自分の意思で動くのだと確かに神に似せて作られたのだ。イエスは完全な仕事をした
証明される事になります。

ここまで書いてちょっと疲れました。幸い休みで良かったです。
こう思えるまでに、全身寒くなったり、吐き気がしたり、きつかったですが
やっと楽になりました。(熱も咳も味覚障害もないです)

ちょっと解りかけたのですが、脳がオーバーヒートして忘れました。

ガッツだぜpart2
2020年09月07日 04:08:48

体調が悪いのですが、書けるうちに書いておきます。

ただの妄想みたいなものだと思います。
雑ネタと思ってください。

失楽園の理由
数学の証明で言える事だが、ある方程式の正しさを立証しようとして、たとえそれが10万桁まで正しい解を出しても、10万1桁目に正しくなければその証明は間違いなのだ。

神の仕事は無限に正しく、美しい。ところが、そこにあり得ないエラーがあった。だから人間は神が造る完璧なワールドに住めなくなったのだ。無限に正しく美しくなければならない公理の中で、公理に合っていなければそこには存在できない。

しかし、イエスは完全だったのだ。神は公理の外にいられる存在だ。創世記にあるように神は自分たちに似せて人間を造った。だから、人間は一度公理の外に出る時が必ず来た。
そして神はそれを知っていた。だから自分たちのような存在になれるか、長い時を人間に与えた。
そして救済措置も全て神の計画通りだった。

私のこのトピは元々、聖書を全否定しないためのものです。途中、おかしな事を書いてすみません。
強い洗脳状態にありました。

ガッツだぜpart2
2020年09月03日 20:33:57

聖書への疑問、答えは聖書にありますね。

アノニマス
2020年09月03日 19:50:27

ヨハネ10章です。イエスが「わたし」と言ったところに神の言葉、聖書と入れて読んでみてください。

アノニマス
2020年09月03日 19:43:07

一よくよくあなたがたに言っておく。羊の囲いにはいるのに、門からでなく、ほかの所からのりこえて来る者は、盗人であり、強盗である。二門からはいる者は、羊の羊飼である。三門番は彼のために門を開き、羊は彼の声を聞く。そして彼は自分の羊の名をよんで連れ出す。四自分の羊をみな出してしまうと、彼は羊の先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、彼について行くのである。五ほかの人には、ついて行かないで逃げ去る。その人の声を知らないからである」。六イエスは彼らにこの比喩を話されたが、彼らは自分たちにお話しになっているのが何のことだか、わからなかった。 七そこで、イエスはまた言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。わたしは羊の門である。八わたしよりも前にきた人は、みな盗人であり、強盗である。羊は彼らに聞き従わなかった。九わたしは門である。わたしをとおってはいる者は救われ、また出入りし、牧草にありつくであろう。一〇盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。一一わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。一二羊飼ではなく、羊が自分のものでもない雇人は、おおかみが来るのを見ると、羊をすてて逃げ去る。そして、おおかみは羊を奪い、また追い散らす。一三彼は雇人であって、羊のことを心にかけていないからである。一四わたしはよい羊飼であって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている。一五それはちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。そして、わたしは羊のために命を捨てるのである。一六わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼となるであろう。一七父は、わたしが自分の命を捨てるから、わたしを愛して下さるのである。命を捨てるのは、それを再び得るためである。一八だれかが、わたしからそれを取り去るのではない。わたしが、自分からそれを捨てるのである。わたしには、それを捨てる力があり、またそれを受ける力もある。これはわたしの父から授かった定めである」。

ガッツだぜpart2
2020年08月31日 22:58:23

これは・・・全く意味が違ってきますね。イスラエル紀行、百聞は一見に如かず。
嬉しくなりました。

アノニマス
2020年08月31日 21:54:42

そこで、イエスはまた言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。わたしは羊の門である。口語訳ヨハネ10;7

それゆえイエスは再び言われた、私は羊の戸口です。jw訳

ガッツだぜpart2
2020年08月31日 21:22:22

ありがとうございます。今拝読しています。

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