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サーティ
2017年03月23日 12:33:53

このakameなる人物の問題点は
自分は気にくわない相手(聖書、キリスト教)を好き放題に攻撃するくせに

自分の思想は肝心なところを隠して攻撃させないことである
これはまったく自由な意見交換でも公正でもない

こっちが一方的にサンドバック状態にされるだけなので
見てて不愉快にしかならない

客観的に言えばどんな宗教もインチキだっつーのw

そんなのは現代人にとって常識である

読者
2017年03月23日 12:08:14

ここの人って、論文とか科学的って言葉に弱いみたいです。

サーティ
2017年03月23日 11:55:05

で、このakameなる人物
自説に関して何の根拠も示してないのである

凄い霊能力者がいるとか、予言が当たったとか言うだけで
自説に関して、まったくこれっぽっちも根拠を示していない

そして突っ込まれると、何か自分が高尚なことを言っているようにして、「これは語るべきことではない」とか言い出すのである


ちっとも客観的でも合理的でも科学的でもない、なんだか意味不明の人物としか言いようがない
きちんと科学的合理的根拠を示して言うならまだわかるが(それも宗教的にはしばしば無意味だが)
何も示していないのである

私には、この人物の言うことが、聖書同様、何の根拠もないヨタ話にしか思えない

私の神論、救済論は聖書とは違うと言いつつ、それをきちんと体系づけて人が納得いくように示すこともしない(少なくても読んでる範囲内ではしていない)

この人物も、単なる自分の信仰を表明しているのに過ぎないのだと思う

信頼する霊能者が聖書の神を否定したというが
見事なまでに何の根拠にもなっていない

聖書が神の言葉でないというのなら、その霊能者の言葉だって神の言葉ではないし

仏典だろうが、どのような経典だろうが、神話だろうが、客観的に見れば全部フィクションである

宗教というものはすべて客観的に言えば全部フィクションにすぎないのに

自分が正しく、聖書が間違っていると主張されてもねえ

それは単に、あなたがエホバから霊能者に乗り換えただけでしょうとしか

自分が正しく、自分が気にくわない相手は間違っている
という主張そのものが

あるカルトから別のカルトに乗り換えただけで何も違いはないと思う

サーティ
2017年03月23日 11:36:31

それでドーキンスの神は妄想であるって穴だらけなんだよね

彼によると無神論者に悪いやつはおらず正しい人々ばかりということになるが
おいおい共産主義を忘れてるぜw
としか言いようがない

一方が正しい陣営であり、一方が間違った陣営であるという考えそのものが
私はエホバの証人的な考えだと思うよ

ドーキンスやここにいるある種の人とキリスト教原理主義、エホバの証人はあんまり思考法について違いはないんだと思うよ

何かこの世に、正しい陣営がある、正しい人たちがいる、理性的な人たちがいるという考え自体が私は幻想だと思うよ
この世にいるのは、善も悪も行う、ただの人間

科学者が正しいって?
冗談じゃない!
科学者など欲も見栄もあるただの人間だって

STAP細胞の騒動を忘れた訳じゃないだろ?
そうでなくても科学者によるねつ造と保身なんてこの世の中に腐るほどあるよ

繰り返すが、この世に正しい陣営がある、とか、正しい人たちがいる、などという考え自体が
宗教であり、ただの幻想だと思うね

で、科学が人類を結び合わせる人類普遍の価値観になることもあり得ない
共産主義がそう唱えたが幻想だったろ
利用できるから利用するさ、たが人類を結び合わせる思想にはならない

それこそ原爆だって作ったのが科学だしね

私は平和をもたらす人類普遍の価値観などいうものが幻想だと思う

人は一人一人違っているものだし、違う考えを持つものだし
だからこそ、争いもすれば、戦争もするんだと思う

それはそれで非常に大切なことだと思うよ

私は別に、戦争が好きなわけではないが、絶対的に反対もしない

戦争が一切ない世界にはたぶん、誰も住めない

サーティ
2017年03月23日 11:07:16

論証したように聖書の神に限らず 神というものは気まぐれで残酷である

それはこの世界が非常で残酷な世界だからだろう
だからこの世界の神とは? というので類推して世界の神話の神は
残酷で身勝手なのである

それはそれでよいのだ(現実に適合しているから)

さきほども書いたが、もし何の理不尽さも残酷さも持たない神を想像したとしても
馬鹿馬鹿しさのあまり、すぐに信仰するのをやめてしまうだろう

神が残酷であることは、大人であれば誰でも理解できることだからである

だから聖書の神も残酷なのだろうし

繰り返すが残酷な面を持たない神は、現実に適合しないのですぐに捨てられてしまうだろう

おおよそ神たるものが残酷なのは限界でもなんでもなく、単なる事実である

また神が残酷であることは神の絶対性を何ら損なわないのである(むしろ際立たせる)

キリスト教における神とは絶対者である

愛であるとか善であるとか義であるとかいう以前に、絶対者なのである

サーティ
2017年03月23日 10:55:41

それでクリスチャンがインディアンを虐殺したとかなんとか言っているが
これも意味不明である

まず古代の大陸では、異民族は滅ぼして征服するのがわりと主流だった
これは大陸は大きいわりには農地にできる土地も水場も限られていたためで(分け合えば皆死ぬ)
そして異民族を滅ぼせば、当然、自分たちにとっても都合がよいからである

いわゆる聖絶であるがそんなの大昔の大陸ではふつうにやられていた

もっと大きな意味でいえば、強い民族が弱い民族を征服して滅ぼすことなんて、世界のどこでもふつうにあったことであり
別段一神教特有の問題でもなんでもない

たとえば日本人はアイヌを迫害、虐殺してほとんど滅亡させた

弱い民族が淘汰されるのは当然であり
これを残酷というのなら、世界のどんな文明も成り立たないだろう

http://bewithgods.com/hope/etc/etc-11_2.html

無神論であり科学を奉じる共産主義も民族浄化をふつうに行っている

ソ連などの民族浄化は検索すればいくらでもでてくる
ユダヤ人を虐殺し(無神論なので別に宗教的理由はない)
さらに自分の国の国民の七割を強制収容所に送ったのが
ソ連の無神論、科学信奉共産主義だ

その他無神論者が行った虐殺は、たった100年かそこらなのに
キリスト教に迫るものがある

生け贄のところで多神教こそそういう意味では危険であることは指摘したところだが

共産主義の歴史を調べれば、無神論、科学こそが近代における大虐殺のチャンピオンであることは誰でもわかる

当たり前だが、人の命の価値とは相対的なものであり
これほど価値が変動するものは珍しい

人類の歴史上虐殺や民族浄化など一神教とは無縁にいくらでも行われてきたし
今後も行われていくだろう

人の命になにか本当に価値があると思っている人は歴史を知らなさすぎる

http://www2.sozo.ac.jp/pdf/kiyou13/07shimizu.pdf

戦争や虐殺なんてキリスト教以前からいくらでもある
一神教とまったく関係ないところでふつうに起きている

http://www.geocities.co.jp/Technopolis- … ution.html

ここを見ればわかるように自然界の法則とか弱肉強食で適者生存である

弱ければ死に、強ければ生きる

インディアンは別に正しかったわけでもなんでもなく
単に弱いから殺されたのにすぎないし

人類の歴史の中ではそんなことは飽きるほど繰り返されてきたことなのである

個人の良心を、戦争や歴史にあてはめようとすることじたいが
幼稚で筋違いな見解

それこそ客観的でもなければ理性的でもなければ科学的でもない
単なる感情論である

もう一度言うが戦争に個人の倫理や良心を持ち込むのはまったく筋違いである

一神教とは何の関係もない古代中国で行われてきたこと

http://rocketnews24.com/2014/10/28/503525/

十分残酷だ

これはたった数十年前に日本が天皇の名のもとに行ってきたこと

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F … C%E4%BA%8C

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7 … B%E4%BB%B6

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B … B%E4%BB%B6

どこが多神教が平和的なんだ?w
国家神道、日本国と神道が行ってきたことだぞ?

巫女が戦争において呪詛をする
http://docs.miko.org/index.php/%E6%97%A … 0%E7%AF%80

神の名において相手を呪い殺す
ちっとも平和的じゃないねw

ちゃんと調べればぼろぼろ出てくるよ、そんな事例

古代や中世は現代とは全然価値観が違っており
現代人からみればぞっとするがそれがどうした?

そんなもの現代人、現代の先進国の価値観の押しつけにしかすぎないのです

元々我々は進化論的にいえば虐殺者の子孫なのである

http://www.brh.co.jp/research/formerlab … 00003.html

アイヌをだまし討ちに

http://bushoojapan.com/tomorrow/2013/10/22/7952

もちろん、これは善悪の問題ではない
単に弱かったというだけのことである

戦争や虐殺を善悪でかたることほど愚かなことはない

サーティ
2017年03月23日 09:23:48

おそらくまた、消されるか、専門スレに移されちゃうと思いますが
ここに来ていくつか気づいた点を指摘させていただきます

まずアブラハムの神の限界を見て感じることは
けっきょく、自分の頭で神を定義しているだけだなということです
それではエホバの証人と変わりません

何か客観的に誰もが認める根拠をもってきているのかというと
霊能力とか千里眼とか明らかにいかがわしいことに根拠を持ってきている

人間の頭で考えて何が真の神かという定義が出来るのだったら
とっくに人類共通の神観念ができているでしょう

神について理性的に議論しても意味はありません
神について議論することには根拠がなく、また新たなカルトを生み出すだけだからです

繰り返しますが、アブラハムの神の限界では何の客観的根拠も提示できていません

人の頭で考えて、何が真の神かわかるのであるならば、誰も苦労しません
はっきりしている事は、神とは信ずべき存在なのであって
理性でどうこうすべき存在ではないという事です(そんな事をしても無意味です)

逆に言うと、旧約の神がなんで残酷なんだと思います?

おそらく、理想的な神像を抱く宗教があったとしたらきっと長続きしないでしょう

すぐ神に裏切られますから(人生神に祈ればうまくいくほど甘くありません)

言うまでもないがakameさんやラハブさんが言っていることは

キリスト教と同様、何の根拠もないことである

客観的、科学的根拠を持った理性的議論などではまったくない


>>霊の世界は玉石混淆、善悪は相対的です

じゃあそもそもそんな神は拝む価値はないだろう
霊の世界まで善悪が相対的であるのなら
それは人間の世界と変わらないからだ

>>有害で致命的とも言える台風や雷や山火事その他の天災が実際には地球生命維持を担っている現象であることが知られています。

じゃあ大絶滅は?w
生命の99パーセントくらいが死ぬんだけど

どんな意味があるわけ?
ばかばかしい、自然の営みに霊的な意味などそもそもあるわけもないだろう

元来完璧な調和を保っていた自然が、人の堕罪によって破壊されてしまったというキリスト教の見解の方がよっぽど正しいわ

一神教の神が戦争に利用されてきたって?

じゃあ戦前戦中の国家神道はなんだっていうんだw
多神教だってこれ以上ないくらい戦争に利用されてきただろうが

仏教だって護国仏教ってのがあるぞ



>>このアブラハムに生贄を求めた神の話を、信仰の手本、高尚な信仰話にしているのが、ユダヤ、キリスト、イスラム教徒であり、
>>それが彼らにとっての信仰と云われることの根幹の一部なのです。

ここも意味不明である
多神教の方こそが、昔は、日照りが続くとか、城を作るとかいうので
ふつうに人間の生け贄を捧げてきたのだがw

たとえば鹿島神宮は今はカエルを生け贄にしているが、昔は人間の子供を生け贄にしていたのだぞw
ちょっと検索すれば、神道が戦争の前などに巫女を生け贄にしてきた事実はする見つけることができる

宗教において人間の生け贄を捧げるなんてことは(中国も同じ、孔子だかなんだかがそれを止めたのは有名)
きわめてふつうのことであって別に異常なことでもなんでもない

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E6%9F%B1

ほらよ
日本では大正時代まで人柱を捧げていたことはわかっている

http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/articl … ?ST=m_news

多神教が捧げた生け贄の証拠

人間の生け贄なんて昔は世界のどこでもふつうにあったこと

現代の価値観で古代や中世をみてもまったく意味はない
それは完璧に幼稚な見方である

http://d.hatena.ne.jp/HIROMITI/20130226

ここの3などが詳しいし
検索すれば日本で昔、巫女、処女が生け贄に捧げられていた事実などいくらでもでてくる

そんなのは大昔ではふつうのことだった

調べればわかるが、古代の戦争では呪術がしんじられており

巫女を戦場に何人も連れて行き、呪いを相手にかけさせ
負けた側の巫女は皆殺しにされた

これも一種の人柱だろう

古代人が宗教において現代人と同じ倫理をもっていたなんてのは単なる幻想である

善悪が相対的どころか
そもそも人の命そのものが相対的なのである

はい
http://jiyodan.exblog.jp/7938750/

http://gabutomai.blog.fc2.com/blog-entry-192.html

日本では巫女を生け贄にしていたなんて事実はいくらでもでてくる

akameという人物は宗教の何を知っているのだろうか?

ちゃんと調べてほしいものである

人間の生け贄を要求し、それを賛美する宗教は
大昔においては基本的にすべての宗教であった

現代人の価値観を古代や中世に押しつけてどうする

以上のように日本こそが習慣的に人間を生け贄に捧げてきた文化の持ち主であり

別にそれは悪でもなんでもなかった

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