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- 聖書についての質問
- 2026年07月17日 12:37:51
木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「次回のものみの塔は、“聖書の原則を使って良心を鍛えていく”で、良心を鍛えると称して、信者を組織の命令に従うようにするという内容です。」
「JWの良心は組織によってプログラムされた非人間的なもの。輸血拒否して子どもを死なせても、少しも良心が痛まないようになれば、JWとして完全な良心をもっているということになる。家族を背教者として家から追い出して、一切連絡を絶っても良心が痛まないようになれば、エホバも喜ぶというのがJWの教え。非人間的だね。」
「1節に、人間は“自分で考えて物事を決める能力を神から与えられています。それは本当に素晴らしいことです。”とありますが、JWは組織によってその能力を奪われています。本当に悲しいことです。」
「何をするか、どんな情報を手に入れるか、誰と付き合うか、何を喜び、何を悲しむか、まで自由に決められないのがJW。統治体がよいというまで、髭を生やすことも乾杯することもできなかった。自己決定能力のはく奪はカルトの特徴。」
「4節に“私たちは毎日いろんなことを決めないといけません。それはクリスチャン一人一人が負わなければいけない「荷」,つまり責任です。(ガラテア 6:5を読む。)”とあります。引照聖句には“人はそれぞれ,自分の荷を自分で負うのです。”とあるのですが、この“荷”は責任のことですか?限定しすぎですよ。」
「組織は信者にいろいろな仕事を無給でやらせたいわけだ。そう解釈すると、全てのJWは組織から与えられた責任という荷物を背負わなければ楽園に行けないと脅かすのに都合がよい。」
「この荷は行軍中の兵士が背負う水や食料や毛布、武器、防具などの装備品のことですよ。色々なものを背負っているわけで、一つだけじゃないです。」
「ガラテア6:2には“仲間同士,重荷を負い合いましょう。そうすればキリストの律法を実践していることになります。”とあるけれど、この“重荷”と6:5の“荷”はギリシャ語の単語も違うし、意味も違うので混同しないようにね。6:2の重荷のほうがJWの言う責任のことでしょう。責任、苦労、不安など心身に重くのしかかり、時には押しつぶされそうになるものを仲間同士で分かち合え、それがキリストの律法だと言っている。」
「それを受けて、6:5で、それでも自分の荷は自分で運ばなければならないというわけですね。」
「兄弟愛に甘えてはいけない、助け合うからと言って、個人の責任や義務を果たさなくてよいということではないというわけだ。」
「5,6節は“良心とは何か”です。 5節で“良心とは私たちの内面にある善悪の感覚のことです。”と説明しています。6節で“私たちは完璧ではないので,良心も完璧ではありません。”とあります。」
「6節の引照聖句にテモテ一4:2があって、“その偽善者たちの良心は,焼き印を押された皮膚のようにまひしています。”とあるけれど、これって翻訳者の解釈入れすぎ。JW英語訳ではseared as with a branding iron(焼き印で焼かれた)とあるだけ。麻痺しているなんて書いていないよ。」
「7から14節は“きちんと働くように良心を鍛えるには”です。 7節には“聖書を毎日読んで,エホバから見て何が正しくて何が間違っているのかを学ぶようにしましょう。”とあります。聖書がすべての問題のカギです。」
「ここに書いていないけれど、聖書と言ってもおかしな訳だらけのJW訳の聖書限定なんだよね。」
「8節に“聖書は具体的な方向を教えてくれる地図のようです。・・・エホバに喜んでもらうという目的地にたどり着けます。”とあるのですが、英文をかなり変えています。」
「Our destination in life is to please Jehovah. The Bible is like a map that gives us specific direction.(人生の目的はエホバを喜ばせることです。聖書は具体的な方向を支持してくれる地図のようなものです。)だけど、人生の目的がエホバを喜ばせることと断言するのは、あまりにもカルト的でついていけなかったのだろう。」
「人生は複雑なものですよ。一つの目的のためだけにあるとするのは、あまりにもカルト的ですね。」
「エホバを喜ばすと言っても、実際は統治体の言いなりになって、統治体を喜ばすということにすぎない。組織の言葉の裏側にある真実がわかる人はとっくの昔にJWをやめている。」
「10節から良心を鍛える具体的な方法が5つ出てきます。10節は①“聖なる力を下さいと祈る。”です。11節は②“何がエホバに喜ばれるかをいつも考える。”です。11節には“私たちは,どうすべきか聖書にはっきり書かれていないいろんな分野について,判断を下していかなければいけません。例えば,どんな仕事に就くか,どんな教育を受けるか,どんな人と友達になるか,気分転換に何をするかといったことです。”とあります。エホバって信者が選ぶ仕事、教育、友人、娯楽にいちいち喜んだり怒ったりするようです。そんなことよりも祈りをかなえるという仕事をして欲しいですね。」
「ここで言うエホバというのは統治体あるいは組織のことでしょう。仕事、教育、友人、娯楽について組織の定めた方針に文句を言わず従え、ということ。悲しいことにJWは自分の人生を決める権利はない。」
「12節は③“聖書を読んで深く考える。”で、13節は④“決める時,正しい順番を守る。とにかくまず決めて,それからその決断に合うような原則を探すというのは良くありません。”とあります。これってJWのことですよ。」
「預言の解釈がそうだよね。ダニエル書とか啓示は現代のことを予言しているとまず決めて、無理やり現代の出来事を聖句と結びつける。そしてこれは国連を指しているとか、英米二重強国のようなJW以外誰も言わないような珍妙なことを言い出して失笑をかう。聖書は古代に書かれて、古代のことを言っているという常識的な理解は認めないね。」
「13節に“紀元前607年にエルサレムが滅びた後,ユダに残っていたイスラエル人がそうでした。”と、さりげなく607という誤った数字を出しています。これに固執しているのはJWだけです。」
「以前は607という数字を正当化するため都合のよい証拠探しをしていたけれど、それはあきらめたようだね。信者に607という数字を繰り返し示し、これが全世界で認められていると思わせる作戦に変えたのだろう。」
「14節は⑤“聖書の原則に沿って判断する。”で、そうすると“エホバから聖なる力をもらい続けることができます。”とあります。さらに、自分勝手に決めると、“聖なる力を「悲しませ」ることになります。(エフェ 4: 30。イザ 63:10。使徒 7:51)”と書いています。」
「英文では聖霊で聖なる力ではない。聖なる力としているのは日本のJWの特徴。でも聖なる力が悲しむなんて変だと思わないのかな?それは電気の力を悲しませる、なんて言わないでしょう。悲しんだりするのは単なる力ではないよ。」
「15から19節が“どうやって聖書の原則を見つけるか”です。 JWの指定したJWのツールを使えと指示しています。15節は“調査ツールを活用する。”で、“「エホバの証人のためのリサーチガイド」が役立ちます。”とあります。18節では“「クリスチャンのための聖句ガイド」というツールもあります。”と紹介しています。」
「このツールを使えば、組織の考えにそった模範的な判断ができるようになって、とてもメデタイわけだね。」
「具体例として、15節では“例えば,レッスン生が,たばこがどうしていけないのか納得できていないとします。その人は「聖書にたばこが悪いなんて書かれていないじゃないか。どうして間違っていると言えるんだ」と考えています。”というのが出ています。まだ思考力がありますね。そんなときには“エホバの証人のためのリサーチガイド”を使って、レッスン生に説明するようです。」
「なぜタバコはいけないの?健康によくないのはわかるけれど、排斥の対象にまですべきものなのかな?」
「16節では“(1)命を危険にさらすようなものに支配されてはいけない。(ロマ 6:16)(2)体に悪いものを避ける。(コリ二 7:1)(3)エホバは私たちに自分の全てを尽くして仕えてほしいと願っている。(マタ 22:37)(4)ほかの人の健康に悪影響を与えるようなことはしない。(マタ 22:39。コリ一 10:24)(5)エホバは正しいことをするための力をくれる。”と5つの原則を挙げています。そして“聖書にはたばこについて何も書かれていませんが,こういう原則からエホバがたばこのことをどう思っているかが読み取れます。”と断言していますが、そんなことはないでしょう。」
「これはタバコ禁止という結論がまずあって、それから理由をさがしたという順番でしょう。組織が喫煙者はバプテスマを受けられなくしたのは1973年から。その当時アメリカで禁煙が普及していて、それに合わせただけでしょう。聖書の原則を調べたからではないよ。」
「原則(2)に出てくるコリント二7:1には“体と精神のあらゆる汚れを除き去って自分を清め”とありますが、たばこのことを言っているわけではないですよ。こじつけです。」
「2020年にイスラエルにあるテル・アラド遺跡の祭壇(紀元前8世紀ごろ)に残っている物質を分析した結果、大麻の成分が発見された。動物由来のものと見られる脂肪酸も検出されており、これは哺乳類のふん便がそこにあったことを意味する。大麻と哺乳類のふん便を混ぜて同時に燃やすと、炎はゆっくりと低温で燃える。これは集団で大麻の煙の吸入のためと推測されている。」
「古代中東においては大麻の煙を吸うことは行われていたわけですね。でもそれを禁止する聖句はない。特に問題視していなかったと推測できますよ。」
「麻薬の原料となるケシは1世紀のローマ帝国ではクスリとして使われていた。それについても聖書は何も言っていない。信者を排斥させるほど重要なことなら、エホバは聖書に書いたと推測できるよ。」
「要するに、JWの言っていることも推測の推測に過ぎないということですね。」
「それを聖書の原則と言って、信者に強制し、信者の人生を左右するのはやめて欲しい。」
「先ほどの5原則ですが、砂糖にも適用できますよ。糖分は依存性がありますし、取りすぎれば体に悪いですし、肥満を引き起こします。肥満するとエホバに全力で仕えられません。“聖書には砂糖について何も書かれていませんが,こういう原則からエホバが砂糖のことをどう思っているかが読み取れます。”と断言できますよ。砂糖を禁止して、肥満した統治体の人は排斥にすべきですよ。」
「JWの規則は、アメリカ社会の価値観から影響を受けた、恣意的なものにすぎないということ。」
「17節は結婚式の例で、19節は祝い事参加の例が出ています。」
「そんなことも自分では決められず、JWの指定するツールを使って、JWに合わせた決断をしなくてはいけないとは悲しいね。」
「最期の20節は“きちんと働く良心を持つ”です。 簡単にいうとJWの指定するツールの使い方を覚えて、それに従っていればいいということですね。」
「そうしていれば“きちんと働く良心”をもっていると、エホバが喜ぶというのがJWという宗教の教えだ。聖書なんか本当はどうでもいいことがわかるね。」
- ゆずポン
- 2026年07月17日 09:08:46
たまたまQuora Digestから記事が送られてきましたが、「正当化するロジックを考えつく能力が高い」ことを示す例として興味深かったので、共有してみたいと思います。
質問はこのようなものでした(機械翻訳しています)。
YouTuberの「EXJW Analyzer」が「ものみの塔がすべてのエホバの証人に署名させた契約」という動画で示唆しているように、エホバの証人は輸血の禁止を解除したばかりなのでしょうか?
これに対する現役のエホバの証人と思われる人からの返信は以下の通りです。
コメディアンの話を聞けば、おそらく冗談を聞かされることになるでしょう。
エホバの証人にはそのような「輸血の禁止」はありません。むしろ、聖書はクリスチャンが「血を…避けていなさい」(使徒 15:29)と明確に述べています。私たちは、他人の血を自分の静脈に輸血することがこの神の禁止事項に調和するとは信じていないため、輸血を受けないのです。
他の人は自分の好きなようにすればよいのです。私たちは、輸血に関する法律を変えるようロビー活動をするなどして、他人の自由や良心を侵害しようとはしません。全くその通りで、最終的には私たち全員が神の前に責任を負っているのですから、何を信じ、何を行うかについて、各自が自分で選択しなければならないのです。エホバの証人の間であっても、自分自身のためにどのような医療を求めるかは完全に個人の選択です。宗教の名の下に病院に押しかけ、あなたの治療に干渉するような人は絶対にいません、それは確かです。神に従うことを選ぶかどうかは、私たちと神との間の問題なのです。
最終的に、血に関する禁止事項は、神のすべての掟と同様に、私たちの利益のためのものです(イザヤ 48:17)。神は良いものを禁じたりはしません(ヤコブ 1:17)。性的道徳などに関する神の基準は私たちを保護するためのものであり、神が何らかの興ざめな存在だからというわけではありません。無輸血医療は、患者の予後がはるかに良く、回復までの時間も短く、拒絶反応の可能性もありません。輸血はロボトミー手術や瀉血(しゃけつ)のような過去の遺物です。ドードー鳥と一緒に絶滅しているべきだったのです。
私は「EXJW Analyzer(元エホバの証人アナライザー)」が誰なのか全く知りませんが、そのような名前であること、さらに言うまでもなく2つの明らかな虚偽(禁止事項などなく、誰かに署名させた契約なども絶対にありません、笑)が含まれていることからして、そのような人物からの情報が偏見のない正確なものである可能性はゼロです。ゼロです。神よりも自分の罪を愛したために会衆から追放されて憤慨している人々や、「自分から離れた」と主張しながら、未練を断ち切ったはずの同じ組織に執着し、中傷し、愚痴をこぼすことにすべての時間を費やしているような人々は、決して信頼できる情報源にはなり得ません。そのような人々に時間を無駄にしないのが賢明ですし、彼らのたわごとを事実として受け取らないのが絶対に良いでしょう。
例を挙げて説明しましょう。もし私がかつてGoogleで働いていて、会社から盗みを働き、競合他社に企業データを売り渡し、その不快な態度のために現在も働いているすべての人々の敵となり、不名誉な形で解雇されたとします。さらに、私が会社に多大な損害を与えたため、敷地から追い出され、その後Googleに関わる一切のことから遠ざけられるような接近禁止命令を受けたとします。そしてその時点で、私は世界最高のプログラマーであり、Googleの全員が間違っていて自分が正しい、Googleのウェブサービスはひどいもので、自分の検索エンジンなどの方がはるかに優れている、私がいなければ会社は成り立たず、明らかな反証があるにもかかわらずすぐに崩壊するだろうと主張し、Googleに対する明らかにエゴに突き動かされたヘイトキャンペーンに乗り出したとしたら、私はその後、Googleについて、あるいはその他のことについても、良い情報源とみなされるでしょうか?
これら背教者たちもそれと同じです。自分の振る舞いによって追放された組織ではなく、自分自身に問題があるという現実に対処できない、エゴイスティックなナルシストなのです。彼らは決して正確で信頼できる情報源ではなく、誰かに対して良いことや前向きなことを言ったり、提供したりすることもありません。
最近のエホバの証人は、「輸血が排斥の根拠になってきた」ということを知らないのでしょうか?
「ふれ告げる人々」の本の184ページには、「1961年以来,神のご要求を無視して輸血を受け,悔い改めない態度を示す人はみなエホバの証人の会衆から排斥されました」とはっきり書かれています。
この人の主張は「エホバの証人的」にはまっとうに聞こえますが、自分がよく知らないとはっきり述べている特定の人の主張を一方的に「そのような人の情報は正確ではない」とか「たわごとである」とか決めつけています。
ですが、大切なのはどちらの主張が「証拠」に基づく正確なものなのかであり、単なる印象や主観で語るべきものではありません。
これは典型的な論点のすり替えであり、相手の主張(動画で指摘されている契約や文書の存在)の真偽を検証するのではなく、「背教者だから」「エゴイストだから」と相手の人格を攻撃することで、最初から議論を封殺しようとしています。
そしてこれは統治体が自ら「模範」として行っていることです。児童に対する性的虐待が全世界で大きな問題となっている事実を無視し、「それらは背教者のウソだ!」とJW向けの講話で繰り返しています。
エホバの証人は「愛の組織」を標榜していますが、調べてみるとこのような個人攻撃をたびたび行ってきました。パウル・バルツェライト氏や明石順三氏らについて言及している文書は典型的な例ですが、いずれも誤った情報に基づいた見解であり、しかも自分たちが間違っていたとしても「決して謝りません」。
結局JWの「賢い」成員は、統治体の手本に倣って、事実と主観を巧妙にすり替えるレトリックを繰り返しているだけなのです。
- 背教者です
- 2026年07月14日 16:16:29
引っ越ししたのに10年以上前の伝道者カードが回って来たとかで最近よく訪問を受けるので今日長老夫妻と話し合いました。あちらは1匹の羊がどうとか聖句を読んでましたが白けました。
今まで抱いていた違和感と決定的な犯罪を告げて はいははいを、いいえはいいえを意味する行動取るように言いました。あなたの組織は邪悪であるとはっきり告げました。
ベネディクト・アンダーソンの著の「想像の共同体」これを読んでナショナリズムの成立する過程について考えて それでも戦争が終わって楽園になると言える理由があるならば、それについてならこの次聞きますよ。と答えておきました。
「それは信仰を築き上げる本ですか?とそばで妻の方が聞いてきたので 変わってないな と思いました。血の問題、二世が離れると口も効かなくという非人道的な取り決めは 今も有効なのにそれは昔のことです。今は違うと言う詭弁を用いていたのでこれはダメだなと思った次第です。
頭いい人には思えなかったけど、必死で言い訳してコーヒーをこぼしてました。
- ジョエル
- 2026年07月14日 13:29:18
頭のいい人は、むしろバカバカしいと思える教えほど、それを自己弁護(正当化)するかのようなロジックを考えつく能力も高い、はその通りだと思います。
キリスト教でも、普通の日本人が読めば短絡的でありきたりな古代神話に思えてしまう内容に、頭のいい神学者が「神学的意味」を付してしまうことがあります。
その他大勢の信者たちは純粋に信じている一方で、彼らを確信犯的に教化・感化してきた頭のいい神学者や哲学者たちは「矛盾ゆえにわれ信ず」の頃から、そのギャップ萌えになっている人が多いように思います(個人の感想です)。
- Venturi
- 2026年07月13日 22:34:33
ゆずポンさん、心理学的な側面からのご見解を即座に言語化してくださり感謝いたします。おかげでより解像度の高いイメージを持てた気がします。
知性があるゆえに、矛盾を正当化できてしまうというのは自然な反応によるものとはいえ厄介ですね。防衛機制のうちの「知性化」に属するのでしょうか?「大多数のバカに向けてこういう言い方をしてるけど、本質は⋯」と安全な位置に身を置きながら、いやむしろそのために自分を納得させる説明を試みるというのは、あまりにも常習的で意識さえしていませんでしたが身に覚えがあります。
メタ的に見れば、今まさにこうして心理学的な説明を聞いてなんとなくわかった気になっているのも、眼前の不条理に対して「知性化」を試みる防衛機制の働きと言えるのかもしれません。
「組織、教義」かそれ以外か、というコンパートメント化は今にして思えば会衆の内と外の使い分けにとどまらず、信者同士の間でさえ十分見ることができたと思います。触れてはいけない聖域があって、その外では自由闊達な振る舞いを装いつつ、「些末」と見切ったことがらについては活発に議論を交わす。そうしながら聖域には触れないよう間合いをはかるわけですが、その聖域は信仰告白でも福音でもなく広汎にわたる組織の指示ですから、早晩行き詰まりが生じるはずなのに、順応する人々がいるのです。
ある長老に、自分が組織のある教えについて良心上賛同しかねる旨を可能な限り遠回しに伝えました。するとその人は笑顔で「エホバに祈って、答えが与えられるといいですね」と答えるだけなのです。
彼らは組織の教えを文書からそのまま伝えれば、それ以上自分が弁証する必要も責任も感じていないように思えます。
「エホバの組織」とそれに従う自分は正しい、という高所にさえとどまっていれば、確かに護教論を展開する理由は無くなります。
この掲示板を通して仄聞する、近頃の「霊的食物」の拙劣化は相当なもののようです。かつてのような「聖書研究」のそれらしさはとうに失われて、マルチ商法のビデオセミナーのようなプログラムが多くを占めているとも聞きます。
とはいえ、そのような凋落は本当に今に始まった話なのでしょうか?ものみの塔創刊の時代に遡ってみても、ラッセルによる再臨の年代を特定しようとする疑似科学的な試みは(1914年という年号を除いて)もはや顧みられていませんし、何の普遍的価値も残しませんでした。
組織の存在理由そのものが終末論と強く結びついているわけですが、その破綻から皆で目を背けている。肝心の救済論はおざなりのまま。
要するに、はじめから聖書研究と称する「それらしさ」以外のものはこの組織になかったのではありませんか?知的、霊的欲求を組織が満たしてくれているというのは錯覚で、喫煙者がニコチンパッチを貼って気を紛らわしていたようなもの、と評せる程度のものではないかと近頃感じています。
ゆずポンさんがご家族との問題で疲弊し切ってしまわれないようお祈りします。貴殿を偽兄弟のもとから救い出された主の御名がほめたたえられますように。ご家族の目が開かれ、聞く耳が与えられますように。
- ゆずポン
- 2026年07月12日 23:51:21
Venturiさん、お久しぶりです!
その節は、大変見識の高い論考をお寄せくださり、ありがとうございました。
一定のリテラシーを有しているJWが組織にとどまり続ける理由については、それぞれに事情や考えがあるのかもしれませんので、一概にこうだという答えは持ち合わせておりません。
ただ心理学的に言うなら、「認知的不協和の解消」をしているのかもしれません。
知性が高いからといって、洗脳やマインドコントロールから免れるわけではありません。むしろ、知性がある人ほど「矛盾を正当化する能力」も高いという厄介な心理メカニズム(認知的不協和の解消)が働きます。
彼らは、組織の文章の稚拙さや論理の飛躍に無意識下では気づいていると思われます。しかし、自分の人生を捧げている宗教が間違っているという「致命的な恐怖」に直面するのを避けるため、持ち前の読解力や語彙力を駆使して、組織の教えを「より高度で霊的なもの」へと脳内で補完・変換してしまうのです。自らの知性を、教理の解体ではなく、教理の防衛と修復のためにフル稼働させている状態です。
また、一定のリテラシーを持つ人は、仕事や日常のプロジェクトにおいては、非常に論理的で批判的な思考を持っています。しかし、宗教や組織のこととなると、その「批判的思考のスイッチ」を完全にオフにしてしまいます。
心理学で「コンパートメンタライゼーション(心の区分け)」と呼ばれるこの防衛機制により、彼らは「現実世界の論理」と「組織内の論理」を頭の中で完全に切り離して生きています。そのため、普段は賢明な人が、集会では驚くほど非論理的な教理を真顔で受け入れ、語ることができるということなのかもしれません。
あるいは、Venturiさんのご想像の通りなのかもしれません。
教義の矛盾にはとうの昔に気づいており、組織の自己正当化にも辟易している。しかし、組織を離れれば「排斥」や「断絶」となり、親、配偶者、子供、長年の友人との関係が完全に断たれてしまう。このあまりにも巨大な代償を前に、「信じているふり」を続けることを選ぶ。
彼らにとって、集会での模範的なコメントや伝道活動は、もはや信仰の発露ではなく、大切な家族や居心地の良いコミュニティを失わないための「税金」や「参加費」に過ぎないのかもしれません。
私もこれまで家族には様々な証拠や聖書的な根拠を示して、エホバの証人の矛盾について訴えてきましたが、反応がないところを見るとおそらく「防衛反応」が働いているのだと思っています。
組織とは異なる教えを「背教者」とレッテル貼りし、一切耳を傾けないという時点で、彼ら自身の定義する「証拠に基づく信仰」からは大きく離れてしまっていることになぜ気づけないのか。
教えが本当に「真理」なら、どれほど徹底的に調べ、外部の視点から検証したとしても、決して崩れ去ることはないはずだという事実に、なぜ目を向けられないのか。
打撃がひたすら空を打っているようで、徒労感を覚える毎日です。
- Venturi
- 2026年07月12日 23:09:34
結局、エホバの証人とは神でもキリストでもなく組織を崇拝している人々⋯という結論に帰着してしまいますね。
ゆずポンさん、1年半ほど前に「罪と死、永遠の命」についてやり取りさせて頂いたVenturiと申します。
あの時は未熟な見解を一方的にまくし立ててしまいさぞご迷惑されたことと思い反省しております。
久しぶりに掲示板を覗いたところ懐かしいお名前を見つけ、また過去の自分の文章に恥じ入りつつもご挨拶したくカキコいたします。
同じ板でのマヨラーさんへのご返信もお見かけしました。ゆずポンさんのキリストの贖いに対する当事者性をもった確固としたご認識について、アーメンを申し上げます。
またそのことに動かされてご家族を救出するための働きかけを続けておられることに畏敬の念を覚えます。
ところでJWにに今なおとどまる人々は必ずしも世間で言う「バカ」ばかりではなく、一定のリテラシーを備えた人がいるのも確かです。そういう人がこれらの人を馬鹿にしたような「霊的食物」を読んでなぜ耐えられるんだろう?というのは私にとって悩ましい問題です。
ザッと目を通して美辞麗句の山の中から組織の自己正当化と遠回しな信者への指示を汲み取り、それがいかに聖書に基づく見解であるかを自らの言葉で示す⋯⋯この営みには限界が来ないのでしょうか?私には来ました。
これは知的誠実性の問題なのでしょうか?あるいは、居心地の良いコミュニティとしての価値をJWに見出している人々にとっては、教義の話など別にどうでもよく「聖書研究」「伝道」をしているという体裁に従うことがコミュニティに居続ける条件というだけの話なのでしょうか。
- ゆずポン
- 2026年07月10日 15:51:55
この記事には、以下のような「美しい」表現があります。
ルールは変わることがありますが,原則は不変です
聖書を通して,ルールの根底にある原則,つまりエホバの考えを理解できるようにも助けてくれています
エホバは私たちの主体性を重んじて,自分で考えて決められるようにしてくれています
エホバは私たちを子供扱いするのではなく,一人前の大人として扱ってくれます
しかし現実には、信者が自らの良心と「不変の聖書の原則」に基づいて下した決定が、組織の現在の「変化するルール(解釈)」と異なっていれば、どうなるでしょうか。審理委員会にかけられ、家族や長年の友人との関係を完全に断たれる「排斥」という極めて重いペナルティーが待っています。
「自分で考えて決める大人として扱う」と言いながら、組織のルールから外れた決断をすれば罰せられるのであれば、それは実質的に「子供扱い」であり、主体性が重んじられているとは言えません。組織はいつ「神」になったのでしょうか。
組織の枠組みの中では、「原則を学ぶ」というのは「原則に基づいて自由に自分のルールを作る」ことではなく、「組織が定めたルールの背後にある考えを内面化し、心から同意して従うこと」を意味しています。
つまり、ルールだから嫌々従うのではなく、組織の決定事項(それが将来変わる可能性があるものだとしても)を「エホバの考え」と同一視し、喜んで受け入れるように信者の思考を訓練する、というのがこの記事の実際の機能です。
人が定めるルールは変わる可能性があるからこそ、聖書の原則は各個人が吟味し、各個人が定めたルールに従えばよいのではありませんか?
記事が引用しているローマ 12章1節(「理性を働かせて神聖な奉仕をする」)や、ガラテア 5章13節(自由についての記述)の本来の文脈を読めば、それこそが聖書のメッセージそのものでしょう。私たちには「良心の自由」が与えられているからです。
- 聖書についての質問
- 2026年07月10日 12:54:06
木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「次回のものみの塔は、“聖書の原則が大切なのはどうしてか”で、聖書の原則をJWの生活に適用しなくてはいけないと称して、信者の生活を管理統制しようという内容です。」
「この記事で山上の垂訓が取り上げられるけれど、その適用例として出ているのは、SNSで悪口を言うな、ポルノを避けろという話。結局、何度も繰り返されるいつもの話題になるわけだ。もっと重要なことはないのかな?」
「1節に“聖書はとても古い本です。3500年ほど前に書き始められ,2000年ほど前に書き終えられました。”とありますが、違うでしょう。」
「JWは創世記などはモーセが書いたとしているので、聖書は3500年ほど前に書き始められたとしている。モーセは実在の人物ではないし、創世記の1章などは相当後の時代に書かれたもの。」
「4,5節は“聖書の原則とは何か”です。 4節に“聖書の原則とは,エホバが決めたルールの根底にあるもので, そこからエホバの考えが読み取れます。”、また“ルールは変わることがありますが,原則は不変です。”とあります。組織が言いたいのは後者のことですね。」
「最近JWはルールを変えているからね。奉仕時間の報告の廃止、ヒゲ、女性の服装、乾杯、高等教育や排斥の変更、自己血輸血の解禁など。それについて疑問に思っていたり、怒っているJWがいる。それに対するダメージコントロールだ。」
「5節はたとえを使ってルールは変わるけれど、原則は変わらないことを説明しています。子どもに与えるルールはこんろに触るなで、その原則は熱いものに触るなだそうです。“子供は大きくなると,こんろを使って料理するようになります。とはいえ,やはり火の扱いには注意しなければいけません。ルールは変わりますが,その根底にある原則は変わらないということです。”とあります。」
「ルールは変わるけれど、気にするな、というメッセージだね。組織は最近のJWのルール変更をかなり気にしているね。今までのJWのルールが非聖書的でバカバカしいものと認めたようなものだからね。」
「JWのルールの根底にある原則は聖書とは無関係で、信者の人生や生活を細部に至るまで組織が管理統制するという原則です。また信者は不合理で奇妙なルールでも服従しなくてはいけないという原則です。要するにカルトの原則です。」
「組織としては、自分たちの原則が聖書に基づくものだと信者に誤認させたいわけだ。それによってJWは聖書に基づく宗教という幻想を維持できる。」
「6から9節は“聖書の原則が大切なのはどうしてか”です。 6節では“そういう原則のおかげで,はっきりしたルールがない分野でも,正しいことをしたいという気持ちに沿っていい判断ができます。”とあります。組織は細かなルールを減らして、ルールにないことは自分で決めろ、という方針に変えるつもりでしょうか?」
「JWの細かいルールが人権無視とか非聖書的とかカルト的とか色々非難されている。そういう非難を気にしているのでしょう。」
「7節はまたたとえ話です。この記事の執筆者はたとえ話が好きなようです。道路標識についてで、“道路標識の中には,制限速度や一時停止など,明確なルールを示すものがあります。無視すると罰則が科されます。一方で,危険を警告する標識もあります。路面が滑りやすいとか,動物に注意,といった標識です。”とあります。聖書の原則は“危険を警告する標識”らしいです。“危険を察知して上手に対応するには,原則,つまりエホバの考えをつかんでいることが大切です。”とあります。」
「要するに危険なものがいっぱいなので、聖書の原則を知って避けなさいということだね。高等教育なんかも危険なものとして避けなさいといってきたけれど、この場合危険というのは組織にとって不都合ということにすぎない。また聖書とは何の関係もない。」
「8節は聖書の読み方のアドバイスです。“聖書を読む時は,こんなふうに考えるようにしましょう。「ここから何が学べるだろう。エホバはどうしてこれを聖書に書かせたんだろう。このことをどんなふうに役立てられるだろうか」。”とあります。」
「エリシャに“はげ頭,上っていけ! はげ頭,上っていけ!”と言った少年42人が2頭の熊に殺されたところを読んだときも、“ここから何が学べるだろう。エホバはどうしてこれを聖書に書かせたんだろう。このことをどんなふうに役立てられるだろうか。”と考えるわけだ。」
「そうです。8節には“こうやってよく考えながら聖書を読めば,「理性」を働かせていることになり,「神の善い意志,喜ばしい完全な意志」を見極められるようになります。”とあります。」
「問題は“神の善い意志,喜ばしい完全な意志”が示されている聖書の箇所はほとんどないこと。聖書には残虐な話や不条理な話が多い。神の邪悪な意志はよくわかるけどね。」
「9節には“エホバは私たちを子供扱いするのではなく,一人前の大人として扱ってくれます。私たちがエホバの願いに沿って賢い判断ができると信じています。”とありますが、組織はそうではないです。信者を幼児扱いし、細々としたルールを作り、黙って従えばいいというのが組織の基本的な態度です。」
「JWの幼児化が進みすぎて、日常のどうでもいいことまで長老にいちいちお伺いを立てる信者が増えてきたんだよ。それで今までの路線を少しは変えようと思っているんだろう。」
「10から17節は“どんなふうに原則を探し出せるか”です。 10節は聖書の読み方です。“聖書を読む時,次の2つのことを考えるようにしましょう。学べることと,特定の規則やルールの背後にある理由です。”とあります。そうすれば“判断力が磨かれていき,エホバの考えに沿った決定ができるようになります。”とあります。」
「例えば、ノアの大洪水を読むときに、乳幼児や動物までも溺れ死にさせたことから何を学べるだろうか、この大虐殺の背後にはどんな理由があるのだろうかと考えればいいわけだ。中途半端に殺さないで皆殺しこそがエホバの好むところと理解すればいいのかな?」
「創世記25:5、6には“アブラハムはやがて全財産をイサクに与えた。そばめたちとの間にできた子たちには,贈り物を与えた。”とあります。“そばめたち”と複数形なのでアブラハムはそばめが2人以上いたことがわかります。ヤコブは4人の女性に子どもを産ませています。ダビデは少なくとも9人の妻がいました。ソロモンは700人の妻と300人のそばめがいました。これから何を学べばいいのですか?」
「一夫一婦制はエホバの考えじゃないということでしょう。一夫多妻こそが聖書の原則なんだろうね。JWの中にはその原則に従った生き方をしている人もいるかも?」
「12節から山上の垂訓の話です。“マタイ 5:21,22を読む。「殺人をしてはならない」というこの律法の根底には,どんな原則があるでしょうか。エホバは人を憎まないでほしいと思っているということです。言葉や行動で憎しみを表すことはもちろん,心の中でも憎しみを持たないでほしいと思っています。”とありますが、相当ズレています。この部分はルールとその原則を述べたものではないです。」
「マタイ5章には、“○○が命じられています。しかし私は言います。・・・・”というような形式で6つのことが出ている。○○には旧約聖書の律法が来て、その拡大解釈をイエスがするというもの。旧約はルールだったけれど、私は原則を示すなんてことはイエスは言っていない。」
「マタイ5:17では“私が律法や預言者の言葉を取り消すために来た,と考えてはなりません。取り消すためではなく,実現するために来ました。”とあり、5:19では“ですから,小さなおきての1つを破り,そうするよう教える人は,天の王国にふさわしくない者と呼ばれます。しかし,そうしたおきてを守り,教える人は,天の王国にふさわしい者と呼ばれます。”とあり、徹底した律法順守主義者がマタイのイエスです。」
「新約聖書では旧約の律法に対する態度はあいまいなんだよね。パウロでも律法から解放されたと言っているかと思えば、ローマ7:12に“律法自体は聖なるものであり,おきては聖なるもので正しく,良いものです。”と言ったりする。それに対して、マタイは厳格な律法主義者で、イエスを律法を完成する存在として理解し、その理解に沿って福音書が書かれている。マタイのイエスは過激な倫理主義者。」
「13節は“マタイ 5章21,22節の原則をどんなふうに応用できるか。”で、“イエスがこの原則を教えた当時,インターネットもブログもSNSもメッセージングアプリもありませんでした。でも,この原則を応用すれば,そういうテクノロジーの使い方についてもいい判断ができます。そういうものを使って人を悪く言ったり,傷つけたりするようなことは絶対にしたくありません。”とあります。これはイエスもびっくりしているかも。原則と言えばなんにでも無制限に適用可能になるかのようです。」
「JWでもSNSに自分の写真や文章を投稿したりする人はいて、不特定多数の人が見ることを考えないで、それに対して批判的なコメントをする人もいる。それがJWの評判を下げることを組織は心配しているのだろう。組織は外部からの評判を気にしているからね。」
「14節には“マタイ 5:27,28を読む。「姦淫をしてはならない」というこの律法の根底には,どんな原則があるでしょうか。エホバは,性的不道徳だけではなく,それにつながる考えも憎んでいるということです。イエスは,既婚の男性が妻以外の女性を不純な動機で見続けるとしたら,もう罪を犯したも同然だ,と言いました。”とあります。これもルールとその原則について言っているものではありません。律法を拡大解釈をしただけです。」
「JWの解釈では、これは“既婚の男性”限定なわけだ。でもイエスはそんなことを言っていない。」
「イエスは“女性を見続けて情欲を抱く人は皆,すでに心の中で姦淫をしたのです。”と言っていますが、どういう意味ですか?」
「男女の性の問題を法的問題として、これは罰するとか、これは罰しないというように決めていくとひどくグロテスクなことになるよ、と警告したのがイエスの発言の本来の主旨だと思うよ。でも不肖の弟子のマタイはひどく誤解して、律法で取り締まる対象をもっと拡大すべきと理解した。」
「JWの長老マニュアルにはポルネイアや甚だしい汚れ、貪欲な汚れについて事例付きで説明して、それに該当すると審理委員会で審議するようになっていましたが、これがイエスがいっていたであろうグロテスクな事態ですね。」
「長老マニュアルには、夫婦関係でない人が“情欲をかきたてるヘビーペッティングや乳房の愛撫が多数回行われた。”場合、審理処置が必要となるかもしれないとあったよ。その場合、長老が何回触りましたかとか服の上からですかなどと質問し、答えによっては排斥するわけだ。JWのやっていることはバカバカしいし、グロテスクでイエスの教えに反している。こんな宗教はさっさとやめよう。」
「15節は“マタイ 5章27,28節の原則をどんなふうに応用できるか。”で、“どんな形のポルノもきっぱり避けます。”、“セクスティングやオンラインセックスもエホバは嫌っています。”とあります。セクスティングと言われて、なにかわかる人は日本のJWにはほとんどいないと思いますけど。性の問題を取り上げるのが大好きなのがJWです。」
「エホバは人間が面白いと思うことはたいてい嫌っていることがわかるね。子どもにオンラインセックスってなんなの?と聞かれたらどう答えるのか知りたいね。子どもに何も配慮しないJW。子どもを集会に連れて行くのは禁止しよう。」
「16節には“マタイ 5:43,44を読む。「隣人を愛[さ]なければならない」というこの律法の根底には,どんな原則があるでしょうか。エホバは,全ての人を隣人と見て愛してほしいと思っている ということです。”とあります。」
「愛こそ、全ての律法の根底にある原則なんじゃないの?でもJWはそれをほとんど強調せず、ポルノをしつこく取り上げる。それでJWは宗教ではなく宗教を装った企業といわれる。従業員がポルノに時間を取られると売り上げが落ちるからね。」
「17節は“マタイ 5章43,44節の原則をどんなふうに応用できるか。”で、生活に困っている人を助けますというようなことはなくて、“戦争や紛争に関わりません。”が最初に来ます。その他に“人種,国籍,宗教が違う人にも親切に接します。・・・さらに,自分や自分の大切な人を傷つけた人のことも気持ちよく許すようにします。”とあります。」
「JWにとって愛とは相手にあまり深く関わらないという意味のようだ。会社員が顧客に仕事で接するような態度を推奨しているということだね。」
「最後の18節は“根底にある原則をいつも意識する”です。 “何かを決める時は「いつでも,エホバが何を望んでいるかを見極めましょう」。(エフェ 5:17)”とあります。JWの場合は、何かを決める場合、統治体の老人が何を望んでいるかを見極めるわけですね。」
「今回の記事を輸血に当てはめると、輸血禁止というルールはない。信者が勝手に聖書の原則を当てはめて、勝手に輸血拒否して、勝手に死んだだけ、と組織は言いたいということかな。末端のJWは、統治体は、何よりも自分たちが責任を追及されたり、訴えられたりしないことを望んでいると見極めて行動しなさいという指示だね。」
- ジョエル
- 2026年07月06日 19:05:04
暗に、結婚は控えましょうて言っているようにも読めてしまいますが
ただでさえ、事細かな条件を相手に事前要求しておいて、さらに結婚してからどっちかが醒めたりしたらおそろしいことになるような
この内容通りに完全に洗脳されちゃったら誰も選べなくなるんじゃないでしょうか
パウロも表向きは結婚を禁止しないまでも、暗に独身を推奨する思想を広めて回り、そのパウロに心酔して「自分は生きるも死ぬもキリストのものになった」と婚約破棄したり、夫との関係を拒否したりする女性が続出して家族が怒り狂う凄まじい家庭破壊力が描かれている新約外伝があります
でもJWはエホバ教だから1位はエホバですか
その優先順位とやらにキリストは圏外なのですね
- 聖書についての質問
- 2026年07月03日 12:28:39
木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「次回のものみの塔は、“夫婦がずっと親友でいるには”で、JWの結婚に関するルールを再確認する、という内容です。」
「夫婦は親友だなんて、聖書のどこにも書いていない。聖書の結婚観は古代の家父長制を前提とし、女性差別的で、現代に当てはめるとひどいことになるよ。」
「独身の人には関係ない記事です。JWは独身率が高いですよ。」
「独身で女性経験ゼロの長老が結婚歴30年の夫婦に良い結婚について助言するのがJWという奇妙な世界。独身でも関係あるんだよ。」
「2節に“夫と妻が最高の友達になることは大切です。”とありますが、全く聖書的ではありません。現代のアメリカの思想です。アメリカの文化の押し付けです。」
「夫婦関係は友達関係とは異質のものだ、一緒に生活し、一緒に子育てし、相手の死をみとるという友達以上の関係というのが世界では多い考え方でしょう。特定の文化の非聖書的夫婦観を押し付けているね。」
「現代アメリカでは、夫婦は一緒の楽しみを持ち、一緒に行動する親友であるべきだという思想が人気となり、夫婦が別々に行動していると非難されることさえあるわけです。これはJWに合うわけですね。」
「夫婦中心の家族観は欧米で始まった。親や子どもと一緒に暮らす家族が多い地域ではなじみがないもの。JWはそんなアメリカ的結婚観をアフリカやアジアなど異質の価値観や思想を持つ地域のJWに広めようとしているわけだ。JWは意図していないけれど、多くの国で結果的にアメリカ的価値観の普及に努めている。」
「3から9節は“一生の友達の選び方”です。 つまり結婚相手の選び方です。5節に“結婚したいと思っているなら,同じようにエホバとの友情を大切にしている人を選ぶようにしましょう。”とあります。友情が大好きですね。」
「エホバとの友情を大切にしている人はどんな人かというと、日本語版にはないけれど、英文ではWhen we get baptized, we become friends of God.(バプテスマを受けると、神の友になります。)とある。JWのバプテスマが結婚相手の条件ということね。これでは結婚相手はなかなか見つからず、独身率が高くなる。」
「5節には“クリスチャンではない人と付き合いたくなったら,どんな結果になるかを考えてください。エホバの証人の中にはいい相手がいないとか,相手がいずれ聖書を学んでくれるかもしれないなどと考えないようにしましょう。”とあります。JWの中にいい相手がいないのは事実でしょう。男女の比率が偏っているのですから。」
「結婚はJWとだけというなら、組織はJW用のマッチングアプリを作るべきだよ。色々と条件を付けて結婚をしにくくさせているのだから、結婚しやすくする工夫が必要なのにないもしない。ひとの人生に干渉するだけの宗教だ。」
「組織は信者の幸福には無関心ということです。」
「組織のために無給で働いてくれれば、あとはどうでもいいという感じだね。」
「6節はふさわしい結婚相手の条件です。“この人は家族にどんな接し方をしているだろう。人への思いやりや敬意があるだろうか。どんな人と仲良くしているだろうか。誰かと意見が合わない時はどうしているだろうか。自分の思い通りにしようとするだろうか。それとも聖書の教えに関係していないなら進んで折れるだろうか。金銭感覚はどうだろうか。”です。対人関係の在り方が主な評価項目のようです。あとは金銭にかんするものですね。」
「これにひとつでも“いいえ”だったらダメということなのか?それとも点数制で一つにつき10点満点で合計点が6割以上なら合格という仕組みなのか?もっと具体的に示して欲しいね。」
「ふつうは結婚相手の経済力をもっと重視しますよね。友達と夫婦の違いは生計を共にするかしないかです。」
「経済力という評価基準を入れると、JWの男性のほとんどが結婚相手にふさわしくないということになるので、それは無視する。」
「7節もふさわしい結婚相手の条件です。“この人はエホバを心から愛しているだろうか。『新しい人格』を身に着けようと努力しているだろうか。(コロ 3:9,10)ベストを尽くしてエホバに仕えていくのを助けてくれる人だろうか。同じ目標に向かって進んでいける人だろうか。ただの友達ではなく,親友になれそうだろうか。この兄弟はいい友達というだけでなく,家族をしっかり引っ張っていってくれるだろうか。(コリ一 11:3)この姉妹は完璧ではない自分にも敬意を込めて付いてきてくれるだろうか。”です。JW活動に対する熱意が主な評価項目ですね。」
「人当たりがよくて、JW活動に熱心だったら、結婚相手として合格ということ?男性なら最低でも援助奉仕者、女性なら開拓者でなくてはいけないという条件もあったような気がしたけれど。」
「翻訳に問題がありますよ。“この姉妹は完璧ではない自分にも敬意を込めて付いてきてくれるだろうか。”とありますが、英文ではwill the sister you are dating be willing to accept your authority as a head despite your imperfections?(デートしている姉妹は,不完全であっても,頭としての権威を進んで受け入れるだろうか。)です。」
「頭としての権威を認めてくれるか、くれないかが重要な条件なわけだけど、それはカルト的な時代錯誤と翻訳者は思って、あいまいな表現にしたんだよ。」
「こんなことを言うから、勘違いしたJW亭主による家庭内暴力がはびこるのですよ。」
「JWは暴力に寛容で、家庭内暴力は聖書的な離婚理由にならないという立場。夫の暴力に耐える妻を称賛するだけで、離婚しろとは勧めない。女性にとっては最悪の宗教。」
「宗教を最優先するような人は結婚相手として好ましくないですよ。宗教と結婚生活は別です。宗教は家庭の外でやってくれとたいていの人は思います。」
「宗教熱心より、一緒にいて楽しいとか、落ち着けるかが大事でしょう。でもJWにはそんな常識は通用しない。」
「結婚相手の条件に年齢が含まれていないのが、JWらしいです。年の離れた夫婦が結構いるようですからね。楽園では年齢差は関係ないという理屈です。」
「小児性愛者に寛容な宗教なので、40代の男が10代の女の子と結婚しようとしても問題視されない。不気味な宗教だ。」
「8節は“周りの人があなたの友人をどう見ているかを調べてみましょう。相手の評判や資質について尋ねてみるのも良いでしょう。”と、周囲の評判を調べろといっています。評判が悪かったら、ダメということですか?」
「JWは狭い世界だから、過去の悪行を知るには周囲の人に聞くのがいいよ。そこであまりいい話が出てこないなら、やめた方がいいということなんでしょう。」
「10から13節は“一緒に時間を過ごして友情を育む”です。 JWは忙しくてすれ違いが多いということですか?一緒に過ごす時間を作れというアドバイスですが、13節で“何よりも,一緒に霊的な活動に時間を費やしましょう。”とあります。ミリアムは“私たちは聖書を読んで一日を始め,気に入った点や生活に応用できることを分かち合います。・・・一緒に祈って,夫のエホバへの深い愛を聞くのも大好きです。”と言っています。ケイティ―は“一緒に過ごす時間の中で一番好きなのは宣教です。”と言っています。JWの理想のカップルですね。」
「まじめなJW夫婦だと、二人をつなぐものは宗教しかないことが多い。どちらかがJWに疑問を持ったり、燃え尽きてしまってJW活動をしなくなると、夫婦を結び付けるものがなくなり、離婚ということになる。」
「13節の下に、“夫婦にとってお互いはどれぐらい大切な存在か”という囲み記事があります。1位はエホバ、2位は配偶者、3位はほかの人や,いろいろな奉仕。となっています。子どもの優先順位は低いのですね。」
「大切な存在の序列をつけるのがカルト的だね。宗教を何よりも優先するのがJWで、そのためには家族は犠牲にするということだね。家族を破壊するJW。」
「14から16節は“困難に直面しても協力する”です。 問題があってもすぐに離婚するなという指示です。JWの離婚率の高さを気にしているのでしょう。」
「簡単に離婚するのもアメリカ文化でしょう。そう簡単に離婚できない地域もたくさんある。」
「夫婦は友達なら、何か問題が生じたら、関係を断てばいいと思いますよ。友達とはそんなものですよ。」
「夫婦=友達なんて浅はかなことを言うから、誰だってそう思うよ。」
「16節では“問題にぶつかると,もう一緒に暮らすのは無理だとか,終わりにした方が楽だと思うかもしれません。でも,そういう選択肢ではなく,どうすればまた相手と心を通わせられるかを考えるようにしましょう。”とあります。友達なのになぜそこまで執着しなくてはならないのか理解できません。別の友達を見つけましょうと言えば一貫性があるのに。」
「JWの場合、結婚までの交際は期間が短く、しかも監視付きのこともある。お互いをよく知ることなく結婚するわけで、結婚後に相手に失望するケースは多いでしょう。そんな場合はさっさと離婚して、ついでにJWもやめて、やり直した方がいい。人生は長いからね。関係を修復するよう努力するなんて無駄なエネルギーと時間を浪費するだけ。」
「最後の17節では“今結婚を考えているなら,一生の友達を慎重に選ぶようにしましょう。結婚しているなら,夫婦の友情を深めるように努力しましょう。”とまとめています。夫婦=友達という思想の普及に取り組んでいます。“そんなふうにしていれば,最愛の人と一緒に「人生を楽し」むことができます。”とあり、終末論カルトのくせに、人生を楽しむことを勧めているとは驚きです。JWも自信を失い弱気になっていますね。」
「終わりが近いので結婚は控えましょう、子どもはつくるな、とこの記事で力説していたら、終末論カルトとしてそれなりに筋を通しているなと感心したけれど、なかった。サタンの世の風潮に染まっているよ。終末論カルトらしく行動しよう、JW。」
- 聖書についての質問
- 2026年06月26日 11:48:53
木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「次回のものみの塔は、“「あらゆる慰めの神」に見習う”で、JWの慰め方を学ぶ、という内容です。」
「慰めるのが兄弟姉妹限定なのがJWらしくていいよね。同じ集団に属している人以外には無関心というのがカルトの特徴。JWもJW以外は無関心。」
「2,3節は“聖書でいう「慰める」とはどういうことか”です。 2節では言葉の説明です。“聖書で「慰める」と訳されているギリシャ語”は“字義的には,「自分のそばに呼び寄せること」を指しています。”とあります。これは正しいですね。」
「この節は何か高尚なことを学んでいるという雰囲気作りだね。辞書を見れば書いてあること。元のギリシャ語はparakaleóで、paraとkaleoからできた単語。paraとkaleoで“近くに呼ぶ”という意味がある。」
「3節はヨセフことバルナバの話です。“使徒たちからバルナバ,つまり「慰めの子」と呼ばれていました。(使徒 4:36)”とあります。引照聖句には“バルナバ(「慰めの子」という意味)”とありますが、間違いですよね。バルナバはヘブライ語ですが、使徒の作者はヘブライ語を知らないようですね。」
「バルナバという名前は2つの単語からなり、一つは子で、もう一つは預言者。この語は正確には「預言の子」を意味する。またネボの子という意味のバルネボスのギリシャ風表記がバルナバという説もある。バルナバのあだ名は“慰めの子”だったのだろうけれど、それはバルナバという名前に由来すると使徒の作者が誤解したのだろう。」
「4から13節は“どんなふうに人を慰められるか”です。 8つのことが出ています。4節は①“会いに行く。”です。これが最初に来るわけで、JWは戸別訪問を重視しているのがよくわかります。会えない人には“電話したり,手紙やカードを書いたり,メッセージを送ったりすれば気遣いが伝わります。”とあります。」
「本当に慰めるためなら良いけれど、実は別の目的があるのがJWの訪問じゃないの?信者を監視し、密告しあうのがJW。」
「5節では“終わりが近づくにつれて,慰めるために兄弟姉妹に会いに行くのは難しくなっていくかもしれません。”と危機感をあおり、ロシアの例を持ち出します。“ロシアのエホバの証人も,迫害されている仲間のために勇敢に行動しています。兄弟姉妹が法廷に立つ時には,その場に駆け付けて応援します。そのせいで自分たちも捕まる恐れがあるのにそうします。”とあります。」
「終わりの日は自分の生きている間には来ないと思っているJWが多いでしょう。ロシアの例は例外的で、多くの国ではJWゆえに迫害されて、会いに行けないなんてことは起きていない。今では老人がのんびりダラダラJW活動をしているだけだから、迫害する理由もあまりないね。」
「6節は②“よく聞く。”です。人の話を聞かず、一方的にJWの決まり文句を繰り返すだけのJWが多いということですね。」
「引照聖句のヤコブ1:19は“皆が,人の言うことに進んで耳を傾けるべきです。すぐに話したり,すぐに怒ったりしてはなりません。”だけど、JW英語訳は“Everyone must be quick to listen, slow to speak, slow to anger”(すべての人は、聞くことに速く、語ることに遅く、怒ることに遅くなければなりません)で、格言風の簡潔な言い方。それを小学生の先生が小学生にお話しするように訳したのが日本語訳だね。日本人JWの知的水準は小学4年生程度ということかな。」
「7節は③“一人一人に合わせて何ができるかを探る。”で、人それぞれ違うのでJWの決まり文句を言えば済むと思うな、と言いたいようです。」
「JWは基本的に無給の宗教拡張員だから、仲間を慰めるなんて興味もないし、苦手なんだよ。それで決まり文句を繰り返すだけの慰め方になるわけだ。」
「8節はイエスがラザロの死後マルタとマリアをどのように慰めたかについて解説しています。ヨハネ11章の話です。イエスはマルタには復活について話をしたけれど、マリアには復活には触れず、共に泣いたとあります。“このことから何が学べるでしょうか。一人一人に合わせて何ができるかを考える大切さです。みんなに当てはまる万能の慰め方はないからです。”とあります。でもここでイエスは慰めているのですか?復活について説明しているだけのように思えます。」
「ヨハネの福音書はイエスがいかなる存在かについて福音書の形式を使って論じているもの。11章ではイエスは“私は復活であり,命です。”とあり、これがこの章の要点。慰め方について論じた章ではないね。」
「マルタとマリアに対する慰め方が違うといっていますが、それは二人の反応が違うからです。マルタは冷静に話をしていますが、マリアは泣き出したわけです。」
「冷静なマルタには復活の話ができたけれど、泣いているマリアにはそんな話をしてもどうせ聞いていないよ。」
「9節は④“聖書を使う。”で、“心が温かくなる聖書の言葉をリストアップしておきましょう。「クリスチャンのための聖句ガイド」の「慰める」とか「心の支え」の項目にある聖句も使えます。”とあります。そうなると、結局JWはみんな同じ聖句を使って、同じことしか言わないことになりますよ。」
「JWにとって、聖書は聖句を集めた辞書に過ぎない。これからはAIを使って、子どもの輸血拒否をして子どもを死なせたJWを慰めるのにぴったりの聖句を教えてくださいと質問すると、瞬時に10個くらいリストアップしてくれて、その時のセリフも教えてくれるようになるかもね。」
「10節は⑤“優しく話す。”で、“時には慰めている相手の考えを正さなければいけないこともあります。”という場合は、優しく話しましょうということです。具体的には“集会で話を担当したりコメントしたりする時も,兄弟姉妹が元気になれるような話し方を心掛けます。”とあります。集会では特定の誰かに向けた当てこすりのようなコメントや話が結構あるわけですね。そういう場合でももっと優しい言い方にしなさいという指示です。」
「周りのJWに対する日ごろの不満やうっぷんを、質問に対するコメントの形で言うのは、JWの集会ではよくあることでしょう。他人を裁くのが大好きなのがJWだ。」
「11節は⑥“その人のためになることをしてあげる。”で、口でいうだけでなく何か実際にしてあげなさいということです。ここでやっと体験談が出てきます。“洪水で家が被害に遭ったポーランドのガブリエラ”は“近くの会衆の兄弟たちが,たった1日でかなりの仕事をしてくれました。”と言っています。1日しか援助してくれなかったようです。」
「ほかに援助しなくてはいけない家がたくさんあったのでしょう。もっとインパクトのある体験談が必要だね。」
「12節は⑦“自分が大変な時もエホバに仕え続ける。”で、“大変な時も,エホバに支えられながらエホバに仕え続けていれば,その姿を通して周りの人を慰めることができます。”とあります。大変な時でも駅前でカートの横にボーと立っていると、その姿に慰められる人がいるということですか?」
「誰かを慰めるということはJW活動を休む理由にはならないと言いたいんだよ。洪水で家が壊れたJWを助けるために集会を休むなんて絶対ダメだということ。JW活動が最優先。伝道して、集会に行って、その後に洪水で家が壊れたJWの所に行きなさいということ。」
「13節が⑧“諦めずに支え続ける。”で、1回だけであきらめず、継続しろということです。」
「しつこいのはJWの特徴でしょう。相手が嫌がっても、繰り返し慰めに行くわけだ。」
「14から16節が“慰めてもらうために何ができるか”です。 慰めが必要な時にすべきことが3つ出ています。いつもと同じ話です。14節は①“エホバに祈る。”です。祈りは何でも効果がありますからね。15節は②“仲間に相談する。”です。“頼りになる友達や長老に気持ちを聞いてもらいましょう。”とありますが、そんな頼りになる人がいなのがJWです。まともな人はとっくの昔にやめていますよ。」
「英文ではa trusted elder(信頼できる長老)とあるけれど、“信頼できる”は意図的に省略したね。“信頼できる長老”とすると、中には信頼できない長老もいることを認めてしまうことになり、これは問題と思ったのかも。」
「16節は③“広い心を持つ。”で、“慰めるどころか,傷つくようなことを言ったりしたりしてしまうこともあります。そんな時も,広い心で受け止めるようにしましょう。”とあります。これはおかしいです。慰めが必要な人にさらに傷つけていいわけがありません。そういう可能性のあるアブナイ人は引っ込んでいればいいだけです。」
「JWの頼りになる友達や長老は、人を慰めるために必要な何の教育も訓練も受けていないド素人。慰めると称して、とんでもないことを言う人がけっこういて、苦情が本部に寄せられているんだよ。その場合、広い心で許しましょうと言ってごまかすわけだね。」
「被害者には寄り添わず、被害者に加害者を許せと要求するというのはJWの一貫した方針です。」
「被害者が泣き寝入りしていれば問題はない、というのが組織の考え。でも。時々訴える被害者が出てきて、組織も困っている。素人に任せられることと任せられないことの区別をしないとダメでしょう。」
「最後の17節は終末論カルトらしく終わります。“今は終わりの時代で,エホバの敵たちはますます激しく私たちを攻撃してきます。そういう時代なので,これからも励まし合い,慰め合うことを大切にしていきましょう。”とあります。危機意識をあおって、信者を引き締めようというわけですね。」
「大多数の世の中の人はJWなんて知らないので、攻撃しようもないよ。攻撃されたければ、もっと熱心に伝道や宣伝をしなくてはダメだよ。TikTokだけじゃなくて、YouTubeも始めた方がいいよ。」
- 聖書についての質問
- 2026年06月19日 12:25:03
木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「次回のものみの塔は、“つらい目に遭う時,どんな考え方をするといいか”で、つらいJW人生をさらにつらいものにしないためのハウツーを学ぶという内容です。」
「つらいなら、JWをやめるのが一番いいけれど、そうは書けないよね。そうなるとより一層JW活動に打ち込めとか祈ればいいとか、役に立たないアドバイスしかないから、読む価値はいつも以上にないね。」
「3から8節は“どんな考え方をするといいか”です。 6つの考え方が出ています。3節は①“今の世の中でつらい状況は避けられない。”です。それは“私たちはみんな完全ではなく,サタンがこの世界を支配しているからです。”と説明しています。」
「地震や台風といった自然災害はどうなの?サタンのせいなの?違うでしょう。」
「それもサタンのせいなんですよ。サタンは地球の奥深くに潜り込み、地面を上下に揺らすのです。それが地震です。あるいはサタンは海に向かって強く息を吐くのです。すると台風が生じるのです。自然災害も全てサタンのせいとJWは信じていますよ。複雑な理屈などJWには理解できません。」
「JWは古代人と同じレベルの知性しか持っていないということね。」
「3節には“もしエホバがそうした問題全てを今なくしてしまうとしたら,サタンの支配を助けているようなものです。”とあります。エホバはサタンを助けていると思われるのが嫌なので、地震や台風で大勢の人間が死んでも助けないようです。普通の人なら、周りの人にどう思われるかを気にして、助けられる人を見殺しにはしません。」
「JWの考えるエホバという神は古代の野蛮な神で、普通の人間の倫理観も持っていないということ。」
「4節は②“クリスチャンだからこそぶつかる問題がある。”です。JWがぶつかる問題はクリスチャンではなくエホバ教という排他的で独善的なカルト信者だからですよ。」
「ここでもサタンが出てくる。“サタンは,人間がエホバに仕えているのは自分の得になるからだと主張しています。そのことを証明するために,エホバに仕える人たちを激しく攻撃しています。(ヨブ 1:9-11)”だって。サタンは本当に便利なキャラクターだ。よくないことは全てサタンのせいで片付ける。JWは古代人並みの知性しかない。」
「5節は③“エホバはつらいことが起きるのを止めないことがある。”です。“伝道の書 7:13,14を読む。”とあり、そこには“良い日には,善良さを示しなさい。逆境の日には,どんな日も神がつくったことを考えなさい。神は,人が未来に何が起きるかを見通せないようにしたのだ。”とあるのですが、その意味を“聖書では,エホバが起きるのを止めなかったことが,エホバが行ったことのように書かれていることがよくあります。”と解説しています。逆境の日は神がつくったものではない、神はただ傍観しているだけと言いたいようです。神を弁護していますが、その根拠は示されていません。」
「逆境の日を神がつくったというのはJWにとって不都合だからね。JWの教義では神は親切な人類のお友達。」
「聖書の翻訳がヘンですよ。」
「協会共同訳では“幸せな日には幸せであれ。/不幸な日にはこう考えよ。/人が後に起こることを見極められないように/神は両者を造られたのだ、と。”で、良い日には、“善良さを示せ”という倫理的な要求ではなく単に“喜べ”。“逆境の日”ではなく“悪い日”。良い日も悪い日も神が造ったようだよ。」
「神は人間に悪をなすのかという問題ですね。JWはそんなことはないと思っていますが、ヨブは“知ってほしい。神が私を惑わし,ご自分の狩猟用の網で私を捕らえたことを。(ヨブ19:6)”といって、神が自分に悪をなしていると主張しています。」
「伝道の書の作者はヨブのこの主張に賛成なんだ。人間の住む世界は不条理で、無意味で、ねじ曲がっているというのが伝道の書の基本的な世界観。JWとは違う。そんな世界でどう生きるかというと、良い日は喜び、悪い日は人生がよい日ばかりではない不確実なものだということを思い起こせ、と言っている。」
「6節は④“エホバは私たちに,エホバに頼ることを学んでほしいと思っている。”です。“大変なことが起きると,私たちは自分の弱さに気付いて,エホバに助けてもらいながら内面を磨くことができます。(ヘブライ 12:7,11を読む。)”とつらいことのプラス面を言っています。これってどうですか?」
「全知全能で愛情深い神がいるのなら人類はなぜ苦しむのか?という問いの昔からある答えのひとつ。苦しみによって人間は内面的に成長するのだ、だから神は人間の苦しみを許しておられるという。この考えでは戦争も自然災害も病気も人間の内面的成長に必要なようだね。」
「実際は逆ですよ。子どもの頃から虐待された人は精神的に深い傷を負い、人間として成長が妨げられます。」
「そう言う訳で、苦しみは神が与えた試練だと安易に言う宗教は信用すべきではない。人間の苦しみを過小評価しすぎ。苦しみに教育的効果なんてないよ。体罰もダメだね。」
「“ヘブライ 12:7,11を読む。”とありますが、聖句の誤用です。そこには“皆さんは矯正の一環として忍耐する必要があります。”が“矯正”はおかしいです。“鍛錬”ですよ。」
「ヘブライ12:4-13ではクリスチャンとして迫害にあうことを論じていて、苦しみ一般について論じているのではない。そういう迫害にあったらそれは自分の信仰を鍛えるものとして忍耐しましょうと呼びかけている。苦しみは内面を磨けるものだなどという一般的な主張をしているわけではない。それから“矯正”ならクリスチャンとして何か間違ったことをしていてそれを正すという意味になるので不適切。」
「7節は⑤“迫害されている間も幸せでいられる。”です。“迫害されてもエホバに従う人のことをエホバは喜んでいます。(マタ 5:10-12)”とありますが、JWの苦しみは宗教的な迫害とあまり関係ありませんよ。」
「JWという宗教は世界のほとんどで迫害されていないでしょう。それでロシアのことをしつこく取り上げるわけだ。それ以外の国ではあまり話題がないからね。JWの主な苦しみは、家族の分裂、貧困、老化、病気、会衆内のいじめ、過剰な宗教からの要求などなどでしょう。」
「8節は⑥“つらいこともいつか必ず終わる。”です。楽園幻想のことです。“あなたは今,問題だらけだと感じていますか。そういう時には,「残りの人生」について想像しましょう。エホバが約束している,永遠に続く素晴らしい日々が待っています。”とあります。」
「最近は、つらいことがあれば楽園を想像しないさい、と言うことが増えたね。お腹がすいていればご馳走のことを想像し、病気ならば健康になったことを想像するというわけ?何の役にも立たない。もっとましなことを教えてくれませんか、と言いたくなるよ。」
「楽園を想像するというのは、要するに何もせず、奇跡を待つということです。これでは人生を無駄にするだけです。」
「楽園を想像せよというより、すべての人間は死にます、死んだらどんなつらいことも終わります、死ぬぐらいどってことはないです、そういう気持ちが日々行きましょう、と言ってくれた方がまだましだね。」
「9から12節は“考え方がずれるとどうなるか”です。 苦しみに対する正しい考え方からずれると有害な結果になるようです。9節では“つらい目に遭った時に考え方がずれてしまうと,余計つらい思いをすることになります。”とあります。“例えば,苦しい思いをするのはエホバのせいだ,という考え違いをするかもしれません。”とあります。この宇宙に生じることの究極的な責任者はエホバではないですか?」
「JWではそうではないようだね。エホバは宇宙の創造者であり主権者だけど、基本的には傍観者にすぎず、することと言えば人類大虐殺というのがJWのエホバという神に対する考え方。JWによれば、人類がつらい思いをするのは主にサタンのせいで、サタンは事実上の神の地位にいる。」
「10節では、考え方がずれると“エホバは自分の苦しい気持ちを理解してくれているんだろうかと思うかもしれません。そうなると,がっかりして気持ちが落ちてしまいます。(格 24:10)”とあります。11節では“現代の私たちも,クリスチャンがみんな迫害に遭うと聖書に書かれていることを,よく考えておくことが大切です。”と迫害から逃れられると思うなと信者の気を引き締めています。」
「結局、統治体にいいなりのJWは苦しい人生を送るんだよ。それを迫害と言い換えて、信者に耐えさせて、JW離れを防ごうということでしょう。」
「12節で“考え方がずれていると,自分の状況を悪い方に悪い方に考えてしまうかもしれません。”とあり、“自分がしたい奉仕ができなくて,もやもやする人がいます。”とあります。これはベテル奉仕のことですか?」
「統治体のケン・クックが“統治体はベテル奉仕に対する考え方を調整することを決定しました。今後、ベテル奉仕は生涯にわたる奉仕とはみなされなくなります。”と発表したね。ベテルで生涯働くつもりだったのに、年を取ってから一文無しで追い出された人が大量にいるらしい。組織からそういうひどい目に会っても楽園のことを考えて耐えてね、というメッセージだ。愛ある宗教だね。」
「13から16節は“どうすれば正しい考え方ができるか”です。 正しい考え方ができない人の矯正法です。3つのことが出ています。いつもの決まり文句の繰り返しです。14節は①“エホバに祈って助けてもらう。”です。祈りはなんにでも効く魔法です。」
「14節に“エホバがあふれるほどに与えてくれる聖なる力があれば,つらい目に遭っても必ず立ち向かっていけます。(フィリピ 4:13を読む。)”とある。引照聖句は“力を与えてくださる方のおかげで,私は強くなり,どんなことも乗り越えられます。”だけど、これはキリストのことを指していて、エホバじゃないよ。何でもエホバと解釈するJWにはキリストは何もしてくれないね。」
「その翻訳もヘンですよ。“どんなことも乗り越えられます。”とはJW英語訳にないですよ。誇張表現です。」
「For all things I have the strength through the one who gives me power.(私に力を与えてくださる方のおかげで、私はすべてのことに対して強くなっています。)だね。翻訳者はエホバのおかげでどんなことでも乗り越えられるのだろう。それで変えたんじゃないの?」
「15節は②“エホバとの絆を強める日課を欠かさない。”で、“毎日聖書を読んで学んだことを心に落とし込みます。伝道にできるだけ参加します。集会に行ってコメントします。”とあります。聖書・伝道・集会の3点セットは、祈り同様どんなことにも効果のある魔法です。」
「英文ではコメントしなさいとは言っていない。日本人だけはコメントしないとエホバから罰せられるのかも。そもそもそんなことをしなさいと聖書のどこにも書いていないけどね。」
「15節の下に入院している人がZoomで集会に参加しているという写真がでていますが、入院しても集会を休むなというメッセージです。恐ろしいです。早死にしますよ。」
「JWでは病気はJW活動を休む言い訳にならないんだよ。病人や障害のある人には過酷な宗教だ。病気を理由にJW活動に参加しない人はエホバに滅ぼされるんだよ。健康には気を付けよう。」
「16節が③“疑う気持ちをそのままにしない。”で、“疑う気持ちが湧いてきたら,聖書や出版物から「神の知識」を取り入れるようにしましょう。”とあります。自分で調べなさいということですが、情報源としてはJWの出版物も聖書と同格のようです。」
「JWの出版物の方が上だよ。そこに書いてあることに合わせて聖書の翻訳をしている。組織の教えに疑問を持ったら、組織の出版物を調べて、疑問を解消してください、それ以外の出版物を調べる人は背教者だから排斥だ、ということ。」
「16節に“過去の過ちをエホバは本当に許してくれているんだろうか,と思うことがありますか。そんな時は,エホバがどれほど気持ちよく許してくれるかが分かる聖句をリストアップしてみるのはどうでしょうか。”とあります。これがJWの聖書活用法です。都合のいい聖句を抜き出すだけ。」
「エホバが罪もない人を無慈悲に殺した例もたくさんあるでしょう。ダビデとバテシバの赤ちゃんとか、ダビデが人口調査したおかげで殺された7万人とか、色々あるよ。それもリストアップして、エホバに対するバランスの取れた見方を養って欲しいね。」
「最後の17節は次週の予告があります。“では,兄弟姉妹がつらい思いをしている時,どんなふうに助けてあげられるでしょうか。次の記事で考えます。”とあります。」
「それが、祈るとか聖書を読むとか一緒に伝道に行くとか、楽園を想像するとかだったら笑えるね。」
- さすらいカケス
- 2026年06月13日 06:58:59
JWは元が大嘘つきだから
その信者その親の強制からの2世も
聖書が唱える「正直さ」とはかけ離れた
爆嘘つきになる訳だね、納得!!
この掲示板にもそんな親子いたような…
- 聖書についての質問
- 2026年06月12日 12:10:05
木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「次回のものみの塔は、“「真理の神エホバ」は必ず約束を守る”で、もうすぐJW以外の人間をぶち殺してくれるから、それを信じて組織の言いなりになりなさい、という内容です。」
「また同じ話。聞き飽きたでしょうね。偽りの宗教が滅びた後にハルマゲドンの戦いが来ると言っているけれど、偽りの宗教が滅びる兆候はないよ。少なくとも100年以上先の話だね。」
「JWもそれはわかっていますよ。偽りの宗教よりも自分たちの方が先に滅びるかもと心配しています。」
「若い人がほとんどいないからね。今いる若いJWも自分の親が死んだらJWをやめるでしょう。そうなるとJWから2つの世代が消えるね。」
「1節では、まず“サタンが支配する世界にはうそがあふれています。人を平気でだまし,裏切ります。”と、JW以外の人を滅茶苦茶悪く言います。その後“でも,「真理の神エホバ」はいつも信頼できます。(詩編 31:2-5を読む。)エホバは絶対にうそをつきません。何があっても約束を守ります。”と、力強く宣言します。でも、引照聖句はそんなことは言っていません。」
「詩編31は神の約束じゃなくて、前半は祈りで、後半は感謝の詩だね。“真理の神エホバ”と訳しているけれど、それもヘンで、真の神とか本当の神と訳すべき。その後に“私は,無価値な偶像を崇拝する人を憎む。私はエホバに頼る。”と続くわけで、この部分は真の神と偽物の神を対比しているということを理解して欲しい。」
「1節では、サタン=ウソつき、エホバ=真理の神と対比していますが、そんな対比は旧約には出てこないということですね。」
「旧約では悪魔サタンという思想がない。それは旧約以降の時代の思想。」
「3から5節が“エホバを信頼できる理由”です。 3つの理由が出ています。①全てのものを造ったから、②私たちを愛してくれているから、③言った事を必ずやり遂げるから、です。つまり、約束を果たすのに必要な能力と関心と意志を持っていると言いたいようです。」
「簡潔に言えばいいのに、だらだらと書き連ねて、字数を稼ぐのがJW流の作文術。」
「4節に“最初の人間には,地球をパラダイスに変えていくというやりがいのある仕事も任せました。(創 1:28; 2:15)”とありますが、引照聖句はそんなことは言っていません。」
「2つの聖句ともパラダイスという言葉は出てこないよ。2つの聖句に共通して出てくる言葉は“管理”だけど、おかしい。」
「創世1:28は“子を生み,増えて,地上全体に広がり,地球を管理しなさい。”とありますし、創世2:15は“エホバ神は人をエデンの園に住ませた。そこを耕させ,管理させるためだった。”とあります。1:28は、英文ではsubdueですから、地を耕しなさい、2:15はtake care ofですから、世話をする、でしょう。日本語訳がデタラメということですね。」
「創世2:15の協会共同訳は“そこを耕し、守るためであった。”となっていて、こちらが正しい。でも、“守る”となると何から守るのか?という問いが生まれてくる。害獣や害虫からエデンの園を守るという意味になるけど、それはJWの考える楽園ではなくなるので、世話をするとあいまいにしたのだろう。」
「5節の下に、“エホバが守ってきた約束”という囲み記事がありまして、3つのことが出ています。①モーセに,イスラエル人が非常に肥沃な土地に住むことを約束した。②メシアが人類を罪と死から解放しに来ることを約束した(イザ 53:11,12)。③終わりが来る前に世界規模の伝道が行われることを約束した。これってどうですか?」
「“非常に肥沃な土地”は英文では“乳と蜜の流れる土地“だけど、イスラエル人が住み着いた土地は乾燥し、雨が少ない土地で、農業に適した肥沃な土地ではない。自分たちの土地を美化して言っているだけ。モーセだったら、だまされた、エジプトの方が肥沃だ、と思ったよ。」
「イザヤ書には“メシアが人類を罪と死から解放しに来る”なんて言う約束はありません。」
「そういう思想は旧約にはない。イエスをメシアと考えるキリスト教が成立してから、そういう思想ができた。」
「6から8節は“エホバは約束を守る”です。 JWの教義の説明です。8節に“エホバは言った通り,サタンたちを必ず滅ぼします。”とあります。“1914年に王になったイエスは,サタンと邪悪な天使たちと戦い,彼らを天から地球の近くに投げ落としました。(啓 12:7-9)”とあります。1914年のインチキ教義はまだ捨てていないようです。」
「啓示12章は女が子を産む、竜の天からの追放、そして竜が女と子を攻撃するという3つのシーンからなっている。これは1世紀のイエスとその弟子たちのことを言っていると普通は解釈される。JWだけが1914年の出来事と思っている。」
「ルカ17:17、18で“70人が喜びながら帰ってきて,言った。「主よ,あなたの名を使うと,邪悪な天使も服従するのです」。イエスは言った。「サタンがすでに稲妻のように天から落ちたのが見えます。”とあります。サタンは1世紀の時点で天から追放されたのですよ。」
「ヨハネ12:31でイエスは“今,この世は裁かれています。もうこの世の支配者は追い出されます。”と言っている。この世の支配者というのはサタンのことでしょう。」
「8節では“怒り狂ったサタンのせいで,世界はどんどん悪くなっています。まもなくイエスは征服を完了します。”とありますが、世界がどんどん悪くなっている根拠は一つもありません。“まもなく”とありますが、JWの教義ではとっくの昔に起きているはずでした。」
「1914年以前の時代と今の時代のどちらに生まれたいかと聞けば、今の時代を選ぶ人がほとんどだよ。今の方が様々な権利を認められ、快適な生活をし、長生きできるよ。」
「9から12節は“エホバは真理を愛する人たちを集める”です。 伝道をもっとやれ、と言っています。9節には“エホバは今,「天のものと地のものをキリストの下に集め」ています。(エフェ 1:10)「天のもの」とは,天でキリストと共に統治するようエホバが選んだ人たちです。「地のもの」とは,楽園になる地球でいつまでも生きる人たちです。”とありますが、違うでしょう。まず聖書の訳がおかしいです。JWの教義にあるように訳を変えていますよ。」
「協会共同訳では“それは、天にあるものも地にあるものも、あらゆるものが、キリストのもとに一つにまとめられることです。”だね。“天のもの”ではなく“天にあるもの”。“天にあるもの”とは天使のことでしょう。天使も人間もと言っているだけ。」
「10節には“エホバは私たちを使って良い知らせを人に伝えていますが,天使たちも誠実な人たちがクリスチャン会衆に加われるように助けています。”とあります。でもJWの伝道を天使が助けていることを示す聖句はないです。」
「天使はどう助けてくれるのか具体的に示して欲しいね。それを示した体験談でも載せてくれるとよくわかるのに。」
「よくある天使ネタといえば、殺人犯の家にか弱い女性JWが行ったけれど、なにもされなかった。なぜならそのJWの後ろに長身の強そうな男が立っているのを殺人犯が見たからだ。でもそんな男はいなかった。というようなウソ話がよく知られています。」
「それはJWを守ったというだけで、伝道を助けているとは言えないね。殺人犯は女性に襲いかかったけれど不思議な力で跳ね飛ばされて、それをきっかけに真理に目覚め、刑務所の中で熱心に聖書を勉強しバプテスマを受けたという話がいいよ。その殺人犯は“自分は終身刑ですがまもなくハルマゲドンが来て解放されると思うと幸せな気持ちになれます。エホバのおかげです。”と笑顔で語るわけだね。」
「11節では“どんな生き方をしているか,伝道しているかを見れば,その人が真理の神を崇拝しているかどうかがはっきり分かります。”とあります。伝道していない人はハルマゲドンで滅ぼされるということですね。例の殺人犯は刑務所の中で伝道するわけですね。」
「ボックスにチェックしないと滅ぼされるようだから、とにかくチェックして、統計上伝道者になっておこう。」
「12節では“「王国の良い知らせ」を伝えることはとても大切です。イエスの命令に従っていることになり,預言の実現にもなるからです。(マタ 24:14; 28:18-20)”とあります。“王国の良い知らせは,全ての国の人々が聞けるように世界中で伝えられます。それから終わりが来ます。”と聖書に書かれていることがJWの伝道で実現すると思っているわけですね。」
「実際はJWの活動はキリスト教信者が多い国が中心で、キリスト教徒に聖書を学びませんかと接近し、JWの教義を教え、JWに改宗させるというもの。キリスト教信者がいない国でのJWの活動は低調で成果も乏しい。」
「13から15節が“エホバが約束している将来は信じられる”です。 まず信じられる将来がどんなものかが示されます。13節では“いずれ天の神の王国に行くことになっている人たちを特に狙って攻撃しています。その人たちが「神のおきてを守り,イエスについて証言する務めを与えられている」からです。(啓 12:17; 14:12)”とあります。この部分はもっと正確に訳して欲しいです。」
「英文では、サタンが攻撃するのはthe earthly representatives of God’s Kingdom(神の王国の地上の代表者たち)とある。統治体のこと。翻訳者はそれをはっきり書きたくないようだね。何のカリスマ性もない、あの滑稽な老人たちを” 神の王国の地上の代表者たち”と呼ぶには常識と知性がありすぎるのでしょう。」
「啓示12:17にある“彼女の子孫のうちの残っている人たち,すなわち,神のおきてを守り,イエスについて証言する務めを与えられている人たち”とは統治体のことだと、統治体の老人たちは思っているということですね。知らなかったです。勉強になりました。」
「このことはもっと堂々と宣伝して欲しい。そうすれば、JWの聖書理解がいかに自分たちの都合に合わせたバカバカしいものだということがよくわかる。」
「14節では“偽の宗教全体が滅びた後,エホバに仕える人たちはサタンの手下からの総攻撃に遭います。そしてハルマゲドンが始まります。(啓 16:13,14,16)”とあります。これもきちんと翻訳して欲しかったです。」
「英文では、滅びるのはBabylon the Great(大いなるバビロン)。翻訳者には大いなるバビロンは偽の宗教のことだ、珍解釈しているのはJWだけで、本当はそうではないということを知っていて、大いなるバビロンを避けたのかも。」
「統治体が攻撃されて、次にJW以外の宗教が滅びて、次に一般のJWが攻撃され、そしてハルマゲドンというのが、現在のJWが考える将来のシナリオなわけですね。ありそうもないですし、信じられませんね。」
「JWでも信じられないでしょう。」
「15節に“エホバは愛する人たちに幸せを味わわせ,エホバが望むことを行えるように助け続けます。”とありますが、これも訳がヘンですよ。エホバは“幸せを味わわせ”ていません。」
「blessing his people(彼の人々を祝福する)を“幸せを味わわせ”と訳している。祝福するというキリスト教用語の意味が分かっていないね。カートの横でぼ~と立っているJWはどう見ても幸せそうじゃないよ。」
「最後の16節ですが、“エホバの家族は勢いよく大きくなっています。”とウソを言っています。JWの増加率は人類の人口の増加率を下回っています。」
「時間がたてばたつほど、一人も滅ぼされない状態からますます離れて行くわけだ。」
「そして“エホバはどんな時も約束を守ります。もうすぐサタンを滅ぼし,うそにまみれた世界を終わらせます。”と終末論をブチかまします。一人も滅ぼされないことを望んでいるエホバはそんなことをしませんよ。」
「この記事では“もうすぐ”が2回しか使われなかった。意外と少ないのは、“もうすぐ”に自信がないからだろうね。」