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- 聖書についての質問
- 2026年08月07日 10:46:27
木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「次回のものみの塔は、“ほかの人が決めたことを尊重する”で、個人的な決定について、批判しないように、という内容です。」
「JWではお互い監視し、何か気に入らないことがあると悪口をいいふらし、長老に密告するわけだけど、個人的な決定については、そういうことは控えましょうということね。ただし何が個人的決定にあたるのかは統治体が決めるんだよね。」
「4節に要点が出ています。“でも,聖書の教えに反してはいなくて,ただ自分の意見とは違うというだけならどうしますか。この記事の主題聖句にある通り,「異なる意見の善しあしを決め付けてはなりません」。(ロマ 14:1)”とあります。」
「こういうことを学ばなくてはいけないほど、JWはお互い批判しあう、悪意に満ちた愛のない組織ということかな。」
「6から9節は“ほかの人が決めたことを批判したくなる場面”です。 6つの事例が出ています。6節には①“食事会で兄弟姉妹がお酒を飲んでいるのを見て驚き,「お酒を飲むのは良くないんじゃないんですか」と言います。”、②“自分に効果があった治療法を強く勧めます。特定の病院での治療や薬,食事療法や自然療法などです。”、③“仲間のクリスチャンが教会での葬式に出席したことを聞いてあぜんとします。”です。」
「酒、医療、他宗教の葬式の参加は個人的な決定なわけだ。それについて批判するなという指示ね。他の宗教の葬式に参加することは問題ないとは知らなかったね。」
「そこに注がありまして、“詳しくは,「ものみの塔」2002年5月15日号の「読者からの質問」の記事を見てください。”とあります。そこには、ただ出席するだけなら問題はないとありますが、“出席することで自分の良心や他の人の良心を傷つけることが懸念され,その害は出席して得られる益をしのぐように思える状況もあることでしょう。”とありまして、他のJWをつまづかせるならダメだという、極めてあいまいな基準がでていまして、事実上出席するなと言っています。」
「JWはすぐつまづくんだよね。すぐ良心が傷つく人たちなんだよね。でも、この記事ではそんなことを気にしなくてよい、批判する方がおかしいと変更したわけだ。」
「葬式を非常に重視する国や地域がありますからね。それに参加しないとJWの評判が非常に悪くなると統治体は判断したんですよ。JWの評判を保つうえで、参加した方がプラスなのでしょう。」
「JWのルールは組織の都合に合わせてよく変わる。JWのルールをまじめに守る必要なんかないことがわかるね。」
「7節には④ある兄弟が“「兄弟たちは顎ひげを生やすべきではない」,「姉妹たちは伝道や集会の時スカートを履くべきだ」と言い続けます。”、⑤ある長老が“会衆の若い兄弟が進学すると聞いて心配になり,その兄弟と親を説得して進学をやめさせようとします。”です。」
「これは最近変更になったルールだね。納得しない人が多いので、こうやって文句を言うな、と指示しているわけだ。」
「7節には、“ある兄弟は,男性が顎ひげを生やすことや,女性が公式の場でスラックスを履くことはふさわしくない,と考えられていた時代に育ちました。”とあるのですが、ヒゲなどのルールが変わったのは2年前ですよ。この書き方ですと大昔のような印象を与えます。」
「“考えられていた時代”というのも事実をゆがめている。信者が勝手にそう考えていたかのような表現だけど、実際はそう考えるように統治体から“指示”されていた時代でしょう。統治体の責任回避をするために歴史をゆがめている。」
「8節は⑥門限やゲーム、スマホについて、“子供から「友達の親は許してくれているのに,どうしてうちは厳しいの?」と言われてしまいます。”です。それも個人の決定だから友達の親を批判するな、という指示です。」
「でも誕生祝は個人の決定じゃないので、誕生祝をしたJWの親は皆でいじめてよいわけだ。」
「10、11節は“ほかの人の意見を尊重するのはなぜか”です。 2つの理由が出ています。10節には①“私たちにはほかの人を批判する権利はありません。(ヤコブ 4:12を読む。)”とあります。これは訳がヘンですよ。“批判する権利”ではなく“裁く権利”です。」
「引照聖句の訳もヘンだね。“法を定める方,裁く方はただひとりです。救うことも滅ぼすこともできる方です。それなのに隣人を批判するあなたは,いったい何者なのですか。”とあるけれど、“隣人を批判する”ではなく“隣人を裁く”だよ。JW訳は本当にいい加減。」
「6節にあった医療に関する例ですが、仲間のJWが他のJWにインチキ薬やインチキ治療法を勧めていたら批判すべきですよ。やめさせないと健康被害が生じます。」
「日本のJWではそれも禁止なんでしょう。ほかの人を批判する権利はないのだからね。悪徳商法をするならJWの会衆でどうぞ、ということかな。」
「10節に脚注があって、“長老たちは時折,重大な罪を犯した人に関して判断を下す必要があります。でも,自分の基準ではなくエホバの正しい基準に基づいてエホバのために判断を下す,ということを忘れないようにします。”とありますが、ウソでしょう。その会衆特有のローカルルールに従って裁くという事例はけっこうあります。」
「エホバの基準というのがインチキでしょう。それは単に統治体の基準にすぎない。自分を神と同等と思っている人間はキケンな人だから縁を切ろう。」
「11節は理由の②“エホバが私たちに望んでいるのは,心を一つにすることで,型にはまることではありません。”とあります。これはわかりにくいです。“心を一つ”とは何ですか?またJWの教育は信者を型にはめることを目的としていますよ。同じような服装をし、同じようなしゃべり方をし、同じようなことをしゃべるように信者を訓練していますよ。」
「“心を一つにする”とは英文では言っていない。それは日本人好みの情緒的な表現。英文ではJehovah requires unity among his worshippers, not uniformity.(エホバは自分の崇拝者に画一性ではなく一致を求めています。)とあり、ここで言う一致とは会衆の一致のこと。一人一人は違っても、会衆として一致していればよいということだね。」
「12から16節は“どうすればほかの人の意見を尊重できるか”です。 3つのことが出ています。これはJWには難しいですね。何でも単純に善か悪かに二分して、悪と判断した相手を裁くというのがJWの思考パターンですから。」
「ここでいう“ほかの人”とはJWのことでしょう。JWでない人の意見は尊重する必要はありません、とはっきり書かないと、JWでない人の意見を尊重するという重大な間違いをしてしまうJWが現われてしまうよ。」
「12節は①“ほかの人の決めたことが気になる時”で、“その人は『道を踏み外し』ているのだろうか,それとも自分と好みが違うだけだろうか」。もしその人が聖書の命令に反して道を踏み外している場合でも,こう考えてみましょう。「私はその人を正す資格があるだろうか。もっと適任な人がほかにいるだろうか。”とあります。」
「大学に進学したJWがヒゲを生やし、他の宗教の葬式に行って、乾杯して酒をがぶ飲みするのは個人の好みだから何も言うなということね。」
「13節は例えです。“友達とご飯を食べに出掛けた時,友達に自分と同じメニューを注文するように無理強いしたりするでしょうか。そんなことはしません。・・・友達が何を食べても,あなたにはほとんど影響がないはずです。”とあります。でも無理強いするのがJWです。」
「JWは子どもの誕生祝をするなと信者に押し付けている。よその子どもの誕生祝なんて、自分に何の影響もないのに。組織の言うことは恣意的で、何の一貫性もない。」
「14節は②“自分が何かを決める時”で、“でも何かを決める時,兄弟姉妹の気持ちも考えるようにしましょう。そうすれば,会衆は温かくて居心地の良い所になります。(コリント第一 8:12,13を読む。)”とあります。これはJWらしい論理です。他のJWのことを考えて、○○はするな、というわけですが、会衆中で一人でも嫌な気持ちになる人がいたら、それは禁止ですか?」
「嫌な気持ちになるのが、みんなから嫌われているJWや開拓者じゃない無力なシングルマザーなら無視する。有力な長老の妻が嫌な気持ちになったと騒いだら、すぐに禁止になる。単なる力関係だよ。他人より自分を優先すべきで、それを否定する宗教は危険なほど自己犠牲を要求するカルトなので、さっさと辞めよう。」
「引照聖句では“兄弟の弱い良心を傷つけるなら,皆さんはキリストに対して罪を犯していることになります。”とありますが、そこには“食物によって私の兄弟に過ちを犯させることになってしまうなら,私はもう決して肉を食べません。”とありまして、偶像にささげられた肉を食べてよいかという問題を扱った部分です。それがコリント会衆で大きな問題になっていたので、パウロは見解を述べたわけですが、JWはそれをすべての問題に当てはめようとしていますね。」
「JWは信者を管理統制するのに役立ちそうな聖句は全て拡大解釈する。その方が組織に都合が良いからだね。」
「15節は③“長老たちはほかの人が決めたことを尊重する。”で、“一人一人が決めてよいことについて,ルールを作ったり,聖書に「書かれている事柄を越え」たりしないようにします。(コリント第一 4:6を読む。)”とあります。勝手にルールを作って、書かれている事柄を超えているのは統治体です。統治体がそうだから、下の者がまねをするわけですよ。」
「統治体は神と同等だからそれが許されるけれど、長老ごときが同じことをするのは許せないということかな。」
「JWにはおかしなローカルルールがたくさんありますからね。服装に関してのルールが会衆ごとに違ったり、娯楽やスポーツのルールも会衆ごとに違います。他の王国会館では冷蔵庫と電子レンジがあるのに、ある王国会館では飲み食い禁止とか。すべて愚かな長老のせいです。」
「巡回監督もけっこうおかしなルールを作るよ。でもそのルールは巡回監督が代われば無効になるからまだ耐えやすいかも。」
「国が違えば、ルールも大きく変わりますよね。」
「組織の言うことをまじめに聞く国とまじめに聞かない国がある。男女交際のルールは国によってかなり違うし、すぐ離婚が認められる国もあれば、暴力亭主によってあざだらけでも離婚はダメだと言われる国もある。世界的な一致なんてウソだよ。」
「16節は長老に向けての指示です。“長老は,長老団で決定したことを尊重するようにもします。”とあります。おかしな決定と思っても、多数派には従えということですね。それから“長老たちは与えられている指示を深読みし過ぎないようにします。例えば,自分の意見が正しいことを示そうとして,出版物の一文を文脈から切り離して持ち出すようなことはしません。”とあります。これも統治体がやっていることですよ。だから下の者がまねをします。」
「英文ではnot to read more into theocratic direction than is really there(神権的な指示を実際よりも拡大解釈しない)とある。拡大解釈はJWが普通にやっていること。それをやめろと言われても、やめられないでしょう。特に長老は上からの指示を拡大解釈して、ヒラの信者にあれこれ命令する。」
「最後の17節はまとめです。“兄弟姉妹が自分で決めたことを尊重しましょう。そうすれば,会衆はお互いが強い絆で結ばれた温かい所になるでしょう。”とあります。それが実現すればいいですが、まあ、無理ですね。」
「この記事はJWは信者の生活を高度に管理統制して、信者には何の自由もないという批判に対して、アリバイとなるよう書かれたものでしょう。そういう批判に対して、この記事を見てください、私たちは他人の決定に口出ししません、信者は一人一人尊重されます、と答えるわけだね。組織防衛のための記事で、その通り実行されるかどうかなんか気にしていないよ。」
- 匿名
- 2026年08月02日 11:53:05
全てのことを確かめなさいと聖書にあるのに 自分たちに都合の悪いものはシャットダウン もしくはサタンからのものとする姑息さ
- 匿名
- 2026年08月02日 11:49:54
エホバの証人も病気の時に助けていただいている医師は必死に勉強した高学歴
エホバの証人が訴訟で頼る弁護士も必死で勉強した高学歴
- 聖書についての質問
- 2026年07月31日 14:50:34
木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「次回のものみの塔は、“進学した後もエホバとの絆を守る”で、進学してもJWを続けろ、でもなるべく進学するな、という内容です。」
「進学は、JWを辞めるいいチャンス。子どもの時からカルトの一員として十分苦労してきたのだから、これからは自分が本当にしたいことをすればいいと、愛ある神なら言ってくれるよ。」
「1節に“大事なのは,進学してからもその「同じ道をきちんと歩んで」いくこと,つまりエホバに心を込めて仕えていくことです。(フィリピ 3:16を読む。)”とあります。これがこの記事の要点ですが、聖句の訳がヘンですよ。」
「JW訳は“いずれにしても,私たちはこれまで進歩してきたのですから,この同じ道をきちんと歩んでいきましょう。”だけど、協会共同訳では“いずれにせよ、私たちは到達したところに基づいて進みましょう。”で、“同じ道をきちんと歩んで”という語句はないね。」
「フィリピ3:15では“もし皆さんが何かの点で異なる考え方をしているとしても,神は正しい考え方を教えてくださいます。”とあり、フィリッピ会衆では考えの不一致があったことがわかります。それを受けての3:16ですから、同じ道を歩め、はおかしいです。」
「3:16は、不一致はあるとしてもそれぞれが現在理解したことに基づいてすすみなさい。いずれ神が正してくれるのだから、という意味。JW訳の同じ道を進めというのは信者の管理統制に都合がよいからだろう。」
「3から6節は“クリスチャンとしての習慣を崩さない”です。 3節は“リスク”で、“集会や伝道を休みがちになったり, 聖書を学ぶ時間や祈る時間が取れなくなったりするかもしれません。”とあります。これらはJWにとっては重大なリスクなんですね。」
「集会や伝道にやる気がないのはJWにとって普通のこと。そんなことを気にする必要はないよ。」
「4節には“コリント第一 15:58を読む。自転車は動いている間は倒れません。同じように,私たちもエホバへの奉仕を「いつも活発に行って」動き続けていれば,クリスチャンとして安定していられます。”とあります。これも聖句の訳がヘンですね。それから古代には自転車はありません。自転車を想定した聖句なわけがありません。」
「JW英語訳はalways having plenty to do(常になすべきことをいっぱい持つ)で、“いつも活発に行って”とは違う。翻訳者が勝手に変えた。動くものは安定するなどという物理学的な発想はパウロにはない。後知恵的な解釈」
「4節にサマンサ姉妹の言葉が出ています。“学校に通っているせいで,エホバにベストを尽くして仕えるのが難しくなるぐらいなら,学校をやめようと決めていました。”とあります。ウソでしょう。JW活動はいつでもできますが、学校に行くのはそういう訳には行きませんよ。」
「親が洗脳されたJWで、表向きはそう言わざるを得ないのかもよ。本心は違うでしょう。終末論カルトのJWでも、終りが来ないことを前提に人生設計すべきで、そうなるといつでも誰でもできるJW活動よりは学校を優先したほうがいい。JW活動は70歳になったら始めればいい。」
「5節は“進学する前にできる対策”で、“進学した後も集会や伝道にきちんと参加し,自分でも聖書を学ぶ時間を取るために,どんな計画を立てているだろう。”と自問せよ、とあります。」
「洗脳されたJWの親向けに、進学先の近くにある○○会衆に行こうと思います、と言えるくらいはあらかじめ考えておけ、ということだね。進学してからは、体調が悪く集会を休みます、とか○○会衆は通いづらいので、別の会衆に変えようと思いますとか言って、JWと縁を切っていけばいい。」
「つまり、進学した後、集会や伝道を少しずつ減らして、最後はJWをやめるために、どんな計画を立てているだろう、と自問して、自分なりに答えを見つければいいわけですね。」
「JWから離れるにつれて、時間にも精神にも余裕ができ、気分がどんどん晴れやかになるのが実感できるよ。」
「7から10節は“思考力を守る”です。 7節は“リスク”で“例えば,無神論や進化論などです。(コロ 2:8)また,自分の人生は自分で切り開く,という精神にさらされることにもなります。”とあります。自分の人生は組織の命令に従うだけの奴隷の人生だ、というのが正しいJWの考え方なわけです。」
「無神論や進化論を科目として教える学校なんてあまりないよ。宗教や生物学なんてJWはどうせ勉強しないでしょう。」
「個々の科目の影響というよりは、大学進学すれば、相当頭の鈍いJWでも学ぶということはこういうことかとある程度理解できるようになります。すると、組織の聖書研究と称するものが、カルトのたわごとにすぎないと理解できて、集会のバカバカしさに耐えられなくなるのです。」
「高等教育では、あることを調べるためには様々な資料を用い、その資料の信頼性を評価することが求められる。そういうことを経験することで、JWのように組織が与えた情報だけが真実と根拠もなく信じ、他の情報は背教者の陰謀とかフェイクニュースとか言って拒絶するのが、いかにカルト的か理解できるようになり、組織への信頼がなくなるわけだ。」
「8節には“格言 5:1,2を読む。聖書には「思考力を守る」ようにとあります。どうして守らないといけないんでしょうか。世の中の考え方にさらされているからです。”とあります。これも聖句の訳がヘンです。そこには“わが子よ,私の知恵に注意を払え。私が識別力について教えることをよく聞きなさい。これは思考力を守るため,あなたの唇が知識からそれないためである。”ですが、“思考力を守る”なんて普通の日本語じゃないです。」
「協会共同訳では“それは慎みを守り/あなたの唇に知識を保つため。”で、“思考力を守る”ではなく“慎みを守り”となっている。神の知恵は思考力を増すようなものではなく、どう生きるかに関わるもの。聖書を何回読んでも思考力はアップしないよ。」
「8節では“世の中では賢いとされている考えは,賢いどころか,「神にとっては愚かなもの」だからです。(コリ一 3:18-20)”と、自分たちこそが真理を知っているかのような尊大なことを言っています。これだからJWは嫌われる。」
「カルトとはそういうもの。謙虚さゼロ。そして周囲の人を憎む。だから有害なの。」
「9節は“進学する前にできる対策”で、“神がいるって信じているのはどうしてだろう。聖書がただの本ではなく,神からのメッセージが書かれていると信じているのはどうしてなんだろう。周りの人からいろいろ言われても,聖書に書かれていることが自分のためになるって信じているのはどうしてだろう。”と自問せよ、とあります。組織にだまされていますね。JWは聖書とは関係のない教義でいっぱいです。JWは聖書に書かれていることを超えたことを平気で信者に押し付けています。」
「誕生日は祝うなとか、学校の行事に参加するなとか、この音楽はダメだとか、恣意的な規則で信者を管理統制しているだけで、聖書とは関係ない。そこで、“組織が言うことを信じているのはどうしてだろう。本当に聖書に基づいているのだろうか。それとも不完全な人間が言っているだけではないだろうか。”と自問して欲しいね。」
「9節ではさらに“進化論の授業を受けた時,信仰が少しぐらついてしまっただろうか。クラスメートがやっていることが悪いと分かっていても,いいなと思ってしまっただろうか。”と自問せよと言っています。進化論を目の敵にしていますね。JWだって、進化はウソだ、とは言っていませんよ。ただ生命は神が造ったと主張しているだけです。」
「ほとんどのJWはJWでないクラスメートをうらやましく思っているよ。JWでない家庭に生まれたかったというのはほとんどのJWの子どもが思うこと。そこで“JWの講演や記事がつまらないと思っても信仰をぐらつかせずにいられるだろうか。JWが数々の犯罪や悪い行いをしていると分かっても、JWはいいなと思うだろうか。”と自問して欲しいね。」
「11から14節は“時間を上手に使う”です。 11節は“リスク”で“もっと教育を受けることになると,かなり忙しくなります。”とありますが、就職しても忙しくなるのは変わりません。」
「この記事は教育を受けることにケチをつけるというのが趣旨だからね。学校に行くより、就職したほうが責任も重く、忙しくなりますとは、それが本当でも言わない。」
「12節には“エフェソス 5:15,16を読む。「時間を有効に使」うために欠かせないのは,バランスを意識することです。”とありますが、ここも聖句の訳がヘンです。現代の会社員向けに書かれた文書みたいな訳です。」
「そこには“時間を有効に使ってください。今は悪い時代だからです。”とあるけれど、元のギリシャ語を直訳すると、“時を買い戻しなさい。”で、意味は、良いチャンスが訪れた時はそれを逃さず、うまく活かしなさい、なぜなら今は悪い時代だから、というようなものでしょう。JWなら、進学のチャンスがあったら、それを逃すなということ。」
「13節は“進学する前にできる対策”で、“進学した後に備えて,無理のないスケジュールを前もって立てておきましょう。”とあります。それはいいことですが、予想していた生活と実際は違っていて、前もって立てていた計画がうまくいかない、ということが多いですよ。」
「病気になったりすると、前もって立てていたスケジュール通りにはいかなくなるね。健康に気を付けましょうというアドバイスをなぜしないのかな?」
「15から18節は“「賢い人たちと共に歩」んでいく”です。 15節は“リスク”で、周囲の人間に影響されるなと言いたいようです。“同じ教室で学んでいるとしても,学校の友達とあなたは,何を一番大切にしたいかが違っているということです。友達と時間を過ごせば過ごすほど,知らず知らずのうちに影響を受けていくものです。”と警告しています。」
「JWは周囲とは溶け込まず、孤立を選べということかな?かわいそうなJW。でもJWらしい髪形や服装をし、JWらしい話し方をしていれば、周囲の人は不気味がって近づいてこないよ。」
「16節は“格言 13:20を読む。聖書は,一緒に時間を過ごす友達から,良くも悪くも大きな影響を受けると言っています。”とあります。そこには“賢い人たちと共に歩むと賢くなり,愚かな人たちと関わり合うと苦しい目に遭う。”とあるのですが、JWはどちらかというと賢い人たちではないです。この聖句は使わない方がいいです。」
「“苦しい目に遭う”と訳しているけれど、原文は“壊される、滅ぼされる。”という意味。愚かだからと言って滅ぼされることはまずないから、意味を弱めた訳にしているのだろう。」
「17節は“進学する前にできる対策”で、“学校の友達とどういう付き合い方をするか,前もって決めておきましょう。”とあります。要するに、あまり親しくするな、カルト信者らしい変人の嫌われ者のJWで居ろ、ということです。」
「JWらしくしていたら、誰も近づいてこないから、心配しなくていいよ。」
「18節では“チャンスがあれば,思い切ってクラスメートに聖書について話してみてください。”と、無理な要求をしています。自分がカルトの一員であることを明らかにしても、いいことは一つもないです。」
「変人の嫌われ者として一生過ごしたくないなら、聖書の話などやめた方がいいね。聖書の話と言ったって、本当はJWのくだらない話で、誰も興味ないしね。」
「19,20節は“よく準備する”です。 まとめです。20節には“これから先,何が待ち受けているとしても,エホバとの絆を一番大事にしていきましょう。そうすれば,エホバもずっとあなたのそばにいて,最高の人生を送れるようにしてくれます。(格 3:5,6)”とあります。最後はいつものように、楽園でパンダと遊ぶのを楽しみにしてください、と言った楽園幻想を振りまくのかと思ったら、それはしませんでした。楽園はあきらめたようで、そのかわりが“最高の人生”です。こっちの方がもっとウソ臭いです。」
「元の英文ではそんなことは言っていない。翻訳者の創作だよ。翻訳者に騙されないように!!!」
- ジョエル
- 2026年07月27日 09:24:58
かつて、弁護士や医師関連等の大卒必須の資格をもつ人間の個人情報を送れ、のときも「組織がそのような教育を受けた人を探している」とは絶対に言わないよう、また現時点で持っていない人に推奨することもしないように、の裏指示つきでした。
以前に、放蕩息子の譬えは公平さに欠ける酷い話だという書き込みがありましたが、組織の言われるがまま高卒で開拓しても、放蕩息子の兄のように一生無給の宗教労働者でコキ使われるだけです。
いったん離れて大学に行った後に「やっぱりエホバに仕える人生が最高です」とか言って戻ってくると、そういう話は重宝されますし、大卒資格も重宝されるので、ベテルに呼ばれて幹部になるのはそういう人材です。
- 1,000時間奉仕者
- 2026年07月25日 12:46:47
30年前、塔1992/11/1の研究記事は、衝撃でした。ダニエルと三人の仲間たちが、
「カルデア人の読み書きと国語」を習得するための3年にわたる特別な訓練課程を受講させられ、さらにそれらの若者には,「王の美食の中から,また自分が飲むぶどう酒の中から日ごとのあてがい分」が与えられました……(しかし)彼らはバビロニア人の強制的な高等教育に3年間ひたされましたが,エホバの力により,そこから無傷で出ることができました
=だから大学で高等教育や悪い交わりに晒されても “生き残りようはある”のです! という結論づけ方。聖書中の実例は読んだ人の解釈でいかようにでもなるのだ、と思い知らされました。
今の要求時間(60時間/月)って昔の補助開拓者並みですよね。追加教育を受けるのは、単価の高い職を得て短い時間で稼いで、全時間奉仕のための時間を多く確保するため、という方針に変化はありませんが、「楽しめそうな仕事はどうか? 職場環境はどうか? 労災のリスクは高くないか?」も考慮に入れましょう(p.18)というエゴには唖然としました。
小学生の時、「ごみ収集は夜中の短時間だからいい仕事かな、みんながなりたがらない仕事だし?」とJW母に尋ねたことがあります(私の故郷は夜間収集の市町村)。答えは「臭いがつくから野外奉仕するには向かないんじゃないの」という利己的なものでした。内心、「自分だって出しているごみを集めて人の嫌がる仕事してるんだから尊い職業じゃん?」と思いましたが、その時はそれきりでした。
いまの長老たちに相談したら、どんな答えが返ってくるでしょうね。
- 聖書についての質問
- 2026年07月24日 12:07:08
木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「次回のものみの塔は、“将来につながる教育の選び方”で、JWの高等教育についての見解、つまり、なるべく進学をするな、をまわりくどく述べたという内容です。」
「一番下にある脚注に結論が出ている。“これまでエホバの証人が出した記事の中では,基礎的な教育以上の教育を受けることは勧められてきませんでした。・・・さらに教育を受けるかどうかは,それぞれが決めるべきことです。一人一人のクリスチャンが,子どもの場合は親が,よく祈って,聖書の原則や関係する要素を考えた上で判断します。誰も人の判断をとやかく言うべきではありません。長老であってもです。(ヤコ 4:12)”とある。」
「やっとJWも少しはまともになったということですね。でも本音は義務教育を終えたら、組織の奴隷としてタダで働き続けろ、でしょう。」
「いよいよ終末論を放棄したね。子どもには学校を卒業する前に終わりが来る、今伝道に行かないとハルマゲドンで滅ぼされる、と言っていた時代もあったのに。終りが来ないとなると、老後に至るまでの長い人生設計が必要になる。カルト宗教に時間を使っている場合じゃないよ。」
「高等教育という言葉は使っていませんね。英文ではadditional education(追加教育)という奇妙な言葉が使われています。」
「高等教育反対なので、高等教育という言葉のかわりに、そういう奇妙な用語を使っているのだろう。カルトは特殊な用語を好むからね。大学ではなく1年くらいで何か資格を取れるような学校がお勧めということでしょう。」
「3から6節は“もっと教育を受けた方がいいか”です。 教育について長々と述べていますが、誰もが知っていることばかりです。」
「どいういう進路を選ぶかについて、宗教がいちいち口出しするのは異常だ。JWでは、エホバは親友ですとか優しいお父さんですとか言っていれば十分なんじゃないの?信者の人生に過度に介入するのは、信者を高度に管理統制する宗教ならではだね。JWの親を持った子供は本当に不自由で不幸だね。」
「7から9節は“どうして教育を受けたいのか考える”です。 7節には“お金のことばかり考えたり,今の世の中での安定を求めたりするのは危ないことです。(格 23:4,5。テモ一 6:8-10。ヨハ一 2:17)お金持ちになりたいとか,みんなから一目置かれたいという気持ちでさらに教育を受けるとしても,本当の幸せはつかめません。”と、高等教育を受けようとする人間があたかも邪悪な動機を持っているかのような印象操作です。」
「安定した生活を求めるのは普通のことなのにそれまで危険視するとは、異常な価値観。大学進学率が上がれば、大学に行くのが普通になるので、特に理由がなくても大学に行きたいと思うようになるわけで、特別な野心があるからとか、幸福になりたいから大学に行くと考える人は少ないでしょう。」
「ごく少数しかいない攻撃しやすい人を取り上げて、それがあたかも大勢かのように言っているだけです。」
「JWがよく使う詭弁のテクニックだね。高等教育を受ければ、JWの詭弁にすぐ気づくようになる。」
「8節では“私たちにとって一番大切なのはエホバに仕えることであって,教育を受けることではありません。・・・教育はエホバへの 奉仕をするための手段にすぎません。(マタイ 6:33を読む。)”と、あります。これでは過激な宗教と言われても仕方がありませんね。」
「引照聖句には“ですから,王国と神から見て正しいこととをいつも第一にしなさい。そうすれば,こうしたほかのもの全ても,あなたたちに与えられます。”とあるけれど、この聖句を信者に押し付ける宗教団体はキケンだから避けよう。これは信者の人生を過度に管理統制しようという意図がある。」
「まともな宗教なら、こちらよりも、次のマタイ6:34の“だから、明日のことを思い煩ってはならない。明日のことは明日自らが思い煩う。その日の苦労は、その日だけで十分である。”を強調します。」
「イエスが対象にしていたのは古代イスラエルの最底辺の人々。これらはほんのわずかの賃金でその日暮らしをしている人に向けられたメッセージ。そういう歴史的背景を無視して、現代人に当てはめるのは問題だ。」
「9節は、組織から見て好ましいと思われる実例が3つ出てきます。ホセフィーナ姉妹は“エホバにベストを尽くして仕える上でプラスになると思って,進学することにしました。教育は目標を達成するための手段にすぎません。”といっています。進学するJWはこのセリフを暗記すればいいわけです。」
「法学部に行きたい人は、将来長老が児童性的虐待で訴えられたとき、役に立ちたいので進学することにしましたと言えばいいのかな?もちろん被害者のためだけど、それは言わない。」
「美容師の学校に1年間行ったモーリン姉妹は“伝道者がもっと必要な所で奉仕したいと思って,その学校に通いました。卒業した後,美容師として働いて引っ越すためのお金をためました。技術があったので,引っ越した先でも仕事を見つけやすかったです。”と言っています。1年程度で実技を学ぶ学校を推奨しているということですね。」
「美容師などの実技系の学校に進学する人はこういえばいいというお手本かな?働けるようになったら、さっさと引っ越してJWと縁を切ればいいわけだ。」
「歯科関連の学校に行ったイーリス姉妹は“もっと教育を受けることにはそれなりにメリットがあるかもしれませんが,そこからは本物の満足感は得られません。本当の幸せを味わうのに必要なことはとてもシンプルです。エホバを中心にした生き方をすることです。”と組織の宣伝をしています。実際はエホバを中心とした人生は最悪です。」
「このメッセージは歯科医ではなく、歯科技工士や歯科衛生士を目指しなさい、ということ。教育期間は2から3年だからね。」
「英文ではIf Jehovah is the center of your life, satisfaction and success are guaranteed.(もしエホバを人生の中心におけば、満足感と成功は保証されます)とあるのに、“本当の幸せを味わうのに必要なことはとてもシンプルです。エホバを中心にした生き方をすることです。”と変えています。」
「エホバ中心の生き方をすると、満足感と成功を保証されるなんて、とんでもないデタラメと翻訳者は思ったのだろう。いくら組織の宣伝でもそこまでウソをつくのは聖書によって訓練された良心が許さなかったんじゃないの?洗脳度がまだ足りないね。」
「10から17節は“メリットとデメリットを考える”です。 実際はデメリットを強調していて、進学させたくないというのがよくわかります。10節には“昔と違って,今はオンラインでも勉強できます。そもそも,さらに教育を受けなくても十分生活していけるかもしれません。”とあります。」
「昔に比べれば、それ程デメリットは強調していないよ。以前は、大学に行けば、悪い考えに染まり、酒や麻薬に溺れ、毎日乱交パーティをするようになるとか言ってなかった?少しはまともになったようだ。」
「11節からは考慮すべき5つのことが出てきます。11節は①“時間”で、“どれくらいの時間が取られるでしょうか。そういう予定をこなしながら,クリスチャンとしての活動や家のことをきちんとできるでしょうか。”とあります。」
「あの無意味なJWの活動を休んだら何か不都合なことがあるの?集会なんて同じことの繰り返し。1年間集会に参加したら、ものみの塔コースを卒業できるという制度にしても何の問題もないよ。集会や伝道は信者を管理統制するのが目的だよ。」
「インドのジェロズ兄弟は、“勉強とクリスチャンの活動を両立させるのはかなり大変で,集会を休んでしまうこともありました。今思うと,勉強にあそこまで時間と体力をつぎ込む価値はありませんでした。”と言っていますが、JWの活動こそ“あそこまで時間と体力をつぎ込む価値はありません”よ。価値観がおかしいです。」
「本当はそう言ったんじゃないの?それを記事にするときに組織に都合のよいように変えたんだよ。」
「12節は②“期間”で、短ければ短いほど良いみたいです。“例えば,職業訓練学校や専門学校なら,大学よりも短い期間で,しかも費用を抑えて役立つ技術を身に付けられます。”と言っています。」
「間もなく終わりが来るので、4年もかかる大学に行っても卒業することはありません、という終末カルトらしい清々しい文章を期待したけれどなかったね。残念。」
「費用は国によってかなり違います。大学は無料という国もあります。」
「この記事が対象にしているのは教育水準の低いアフリカやアジアの国々の若いJWのようで、先進国のJWではないね。日本のJWは参考にしないようね。」
「13節は③“場所”で、“家族と離れて暮らすと,エホバとの絆が危険にさらされるかもしれません。エホバを信じていない人と一緒に暮らす場合はなおさらです。”とあり、自宅から通えるところに行け、ということのようです。また寮生活について警告しています。」
「寮生活すると麻薬や乱交パーティの危険がありますと言うかと思ったけれど、出ていないね。残念。せっかく進学するなら、JWの親からできるだけ離れた場所にある学校に行って、JWともお別れしよう。」
「14節は④“費用”で、“どれぐらいの費用がかかるだろうか。きちんと支払えるだろうか。そのせいで家族にかなりの負担がかからないだろうか。費用を抑えられるオプションはないだろうか。”また“借金をするとしたら,返済にどれぐらいかかるだろう。将来働いて自活しながら返済していけるだろうか。” と自問せよと言っています。要するにお金がかかるから進学するな、それより開拓奉仕をしなさいということです。」
「お金のことを持ち出して、若いJWの進学する気持ちを削ごうという意図だね。いやらしい心理操作だ。間もなく終わりが来るので借金しても返済などしなくて済むから、どんどん借金をしようというのが終末論カルトの教えでしょう。それなのに、借金の返済を心配するとは・・・。それでも終末論カルトと言えるのか、と言いたい。」
「15節は⑤“仕事の見つけやすさ”で、仕事に結びつかない教育はダメだということです。16節にJWお勧めの教育が出ています。“インドのタビサ姉妹は,裁縫を学ぶ6カ月のコースを受講しました。こう言っています。「洋服を作る仕事をしながら開拓奉仕ができると思ってそのコースを選びました。だいたいいつも仕事があって,自由が利いて,初期費用もそんなにかからないからです」。”とあります。」
「裁縫でいくら稼げるのか教えて欲しいね。インドも所得水準が上がってくれば、こういう仕事はなくなる。その時はどうするのかな?また6か月で学べる仕事を探すの?」
「最後の18節には“この記事で考えた通り,もっと教育を受けることにはメリットとデメリットがあります。それで祈ってよく考えるようにしましょう。”とあります。メリットなんか触れられていました?進学すれば、長期間時間を取られるとか、費用が掛かるとか否定的な話ばかりでしたよ。」
「JWに関わっているより、進学した方がよいのは当たり前のことだから、わざわざメリットを言う必要もないということでしょう。組織は弁護士、医師、看護師、インターネットやコンピューター関連の技術者など大卒以上の教育を受けた人を絶えず募集し、優遇している。組織の幹部はやはり有名大卒で固めたいというのが本音でしょう。」
「この記事は組織の偽善がよくわかるもものでした。」
「統治体の言うことなど無視して、大学に行ったJWがベテルなどで必要とされ、エリート扱いされ、一方、統治体の言うことを聞いた高卒の開拓者は一生下積み。統治体が何を言おうとも正しい選択をした方がいいということだね。」
- ゆずポン
- 2026年07月23日 09:22:28
神の行動について人間にすぎないものが僭越に言及する
これを表すおもしろい記事があります。
目83 1/8 p. 10-11には、「自然界すべてが調和するとき」という記事の中で次のように書かれています。
神が人間と動物をこの地上に生きるように造られた時,そうした人間や動物がほかのものを殺すことを意図されませんでした。動物も人間も互いに平和な関係を持つよう造られました。ですから,事態は今日の状況とは全く異なっていました。記録はこう述べています。「神は自分の造ったすべてのものをご覧になったが,見よ,それは非常に良かった」― 創世記 1:31。・・・動物や人間の間に食物をめぐる暴力行為や殺りくが起きないようにお造りになりました。
神にとって「非常に良い」とは、動物が他の動物を殺さないこと、つまり肉食動物など最初はいなかったということです。
聖書にはっきり書かれていないことについて推測し、「神の意図はこうに違いない」と断定しています。
しかし、肉食動物がいることも含め、生態系として完璧に機能し、調和が取れている状態が「神にとって非常に良い」ということだったのではないでしょうか。もちろん、これは私の推測ですから断定はしません。
大抵の人は、動物が他の動物を殺す光景を目にすると、「かわいそう」や「残酷だ」という感情が湧き上がります。
そして確かに聖書には「草と葉の茂った植物とを食物として与えた」(創1:30)と書かれています。
しかしだからといって、これが当初から肉食動物がいなかった証拠にはなりません。
人間が不法へと向かうにしたがって,地上の被造物の間にもやはり混とんとした状態が生じるようになりました。人間は愛のある仕方で動物を支配することができなくなりました。人間が自分たちの間の平和を保つことができないのですから,動物が同じような状態に陥ったとしても何ら驚くことはありません。
人間が最初菜食だったように,エデンでは草食だった動物も,別の動物を食べて生きるようになり,できる時には人間を食べる動物まで現われました。
なかなかおもしろい考察ですが、人が罪の結果平和を保てなくなったので、動物界もカオスになったのだそうです。そして草食動物が肉食動物に変貌したと。
この主張通りなら、アダムが罪を犯してからわずか数百からせいぜい数千年の間に、草食動物が肉食動物になったことになります。
彼らが全否定している進化論でさえ、少なくとも数万年のスパンで語られているのに、骨格、内臓、DNA、本能のすべてが書き換わるレベルの、それこそ進化として説明するしかないほどの変化が、このわずかな期間に生じたと主張していることになります。しかも「種」として生き残っていくためには、これらの変化が「同時多発的」に生じなければなりません。
彼らは気づいていないようですが、つまりは「人間が不完全になったから動物が肉食になった」という主張を通そうとすると、皮肉にも進化論者が驚くほどの「超高速大進化」を認めざるを得なくなるのです。ダーウィンもあんぐりでしょう。
エホバの証人は神の意図についてあれこれ言う前に、次の聖句を念頭に置くべきでしょう。
しかし,こうしたことも神の行いのほんの一部。
神についてかすかなささやき声を聞いたにすぎない!
では,誰が神の強力な雷を理解できるというのだろう」。(ヨブ26:14)
しかし神は、本当に肉食動物を創造しなかったのでしょうか?
若いライオンは獲物を探してほえ,神からの食物を求める。…エホバ,あなたの偉業は何と多いのだろう。あなたは知恵によって全てを造った。地球はあなたが造ったもので満ちている。(詩104:21,24)
あなたはライオンのために獲物を狩ることができるか。
若いライオンの食欲を満たせるか。
ライオンがすみかに身を潜め,
隠れ場で横になって待ち伏せする時に。(ヨブ38:39,40)
狩りの仕組みの創始者は、神ご自身ではありませんか?
- ジョエル
- 2026年07月21日 18:34:16
自分のJ1親も頭のいい人間ではなく洗脳教化されている側なので、エルサレム滅亡がいつとかまともに理解できるはずもなく、かつて自分が求めたのは「嘘を教えたこと」に対する回答です。
当時の教材の1つの文だけをピックアップして、これは正しいの?間違っているの?と聞いてみましたが、何かの強迫観念でブロックされているかのように「それは以前の理解だから~」を繰り返すばかりで、まともに答えることができませんでした。
この簡単な問いに「はい」と答えられなければ、結果的にであれ子どもに嘘を教えたことになりますがそれでよろしいのですか、と確認すると、普段は健常な親がパニック障害の発作でも起こしたかのように「わたしは真理を教えたのよ!」と支離滅裂な絶叫を始めたのでやめました。
歴史でも科学でも教科書の内容が変わる、それをもって「嘘を教えた」はどうかと思いますが、JWは誠実に信じていようが他宗教の信条を神についての嘘偽りである、としています。
自分が指摘したのも「神は○○までにこのようにする」という単純な文章なので、神の行動について人間にすぎないものが僭越に言及することで子どもの人生をコントロールする傲慢で悪質な「神に関する嘘」になります。
彼らのものみの塔は「許す」ばかりで「謝る」ことはほぼ教えません。いつも自分は正しくて「間違っている相手を許す」しか頭になく、さらに自分の信仰信条が関わる問題はむしろ謝るべきではないと教えられています。
そういう教えに洗脳されると、勧誘目当てに表向きは人あたりよさげに羊の皮を被ってはいても、その実は「容易に合意しない」「自然の情愛を持たない」「良心を焼き印で焼かれた」人間へと作り変えられてしまうのでしょう。
- 聖書についての質問
- 2026年07月17日 12:37:51
木曜の夕方に近所のJW少年がやってきた。
「次回のものみの塔は、“聖書の原則を使って良心を鍛えていく”で、良心を鍛えると称して、信者を組織の命令に従うようにするという内容です。」
「JWの良心は組織によってプログラムされた非人間的なもの。輸血拒否して子どもを死なせても、少しも良心が痛まないようになれば、JWとして完全な良心をもっているということになる。家族を背教者として家から追い出して、一切連絡を絶っても良心が痛まないようになれば、エホバも喜ぶというのがJWの教え。非人間的だね。」
「1節に、人間は“自分で考えて物事を決める能力を神から与えられています。それは本当に素晴らしいことです。”とありますが、JWは組織によってその能力を奪われています。本当に悲しいことです。」
「何をするか、どんな情報を手に入れるか、誰と付き合うか、何を喜び、何を悲しむか、まで自由に決められないのがJW。統治体がよいというまで、髭を生やすことも乾杯することもできなかった。自己決定能力のはく奪はカルトの特徴。」
「4節に“私たちは毎日いろんなことを決めないといけません。それはクリスチャン一人一人が負わなければいけない「荷」,つまり責任です。(ガラテア 6:5を読む。)”とあります。引照聖句には“人はそれぞれ,自分の荷を自分で負うのです。”とあるのですが、この“荷”は責任のことですか?限定しすぎですよ。」
「組織は信者にいろいろな仕事を無給でやらせたいわけだ。そう解釈すると、全てのJWは組織から与えられた責任という荷物を背負わなければ楽園に行けないと脅かすのに都合がよい。」
「この荷は行軍中の兵士が背負う水や食料や毛布、武器、防具などの装備品のことですよ。色々なものを背負っているわけで、一つだけじゃないです。」
「ガラテア6:2には“仲間同士,重荷を負い合いましょう。そうすればキリストの律法を実践していることになります。”とあるけれど、この“重荷”と6:5の“荷”はギリシャ語の単語も違うし、意味も違うので混同しないようにね。6:2の重荷のほうがJWの言う責任のことでしょう。責任、苦労、不安など心身に重くのしかかり、時には押しつぶされそうになるものを仲間同士で分かち合え、それがキリストの律法だと言っている。」
「それを受けて、6:5で、それでも自分の荷は自分で運ばなければならないというわけですね。」
「兄弟愛に甘えてはいけない、助け合うからと言って、個人の責任や義務を果たさなくてよいということではないというわけだ。」
「5,6節は“良心とは何か”です。 5節で“良心とは私たちの内面にある善悪の感覚のことです。”と説明しています。6節で“私たちは完璧ではないので,良心も完璧ではありません。”とあります。」
「6節の引照聖句にテモテ一4:2があって、“その偽善者たちの良心は,焼き印を押された皮膚のようにまひしています。”とあるけれど、これって翻訳者の解釈入れすぎ。JW英語訳ではseared as with a branding iron(焼き印で焼かれた)とあるだけ。麻痺しているなんて書いていないよ。」
「7から14節は“きちんと働くように良心を鍛えるには”です。 7節には“聖書を毎日読んで,エホバから見て何が正しくて何が間違っているのかを学ぶようにしましょう。”とあります。聖書がすべての問題のカギです。」
「ここに書いていないけれど、聖書と言ってもおかしな訳だらけのJW訳の聖書限定なんだよね。」
「8節に“聖書は具体的な方向を教えてくれる地図のようです。・・・エホバに喜んでもらうという目的地にたどり着けます。”とあるのですが、英文をかなり変えています。」
「Our destination in life is to please Jehovah. The Bible is like a map that gives us specific direction.(人生の目的はエホバを喜ばせることです。聖書は具体的な方向を支持してくれる地図のようなものです。)だけど、人生の目的がエホバを喜ばせることと断言するのは、あまりにもカルト的でついていけなかったのだろう。」
「人生は複雑なものですよ。一つの目的のためだけにあるとするのは、あまりにもカルト的ですね。」
「エホバを喜ばすと言っても、実際は統治体の言いなりになって、統治体を喜ばすということにすぎない。組織の言葉の裏側にある真実がわかる人はとっくの昔にJWをやめている。」
「10節から良心を鍛える具体的な方法が5つ出てきます。10節は①“聖なる力を下さいと祈る。”です。11節は②“何がエホバに喜ばれるかをいつも考える。”です。11節には“私たちは,どうすべきか聖書にはっきり書かれていないいろんな分野について,判断を下していかなければいけません。例えば,どんな仕事に就くか,どんな教育を受けるか,どんな人と友達になるか,気分転換に何をするかといったことです。”とあります。エホバって信者が選ぶ仕事、教育、友人、娯楽にいちいち喜んだり怒ったりするようです。そんなことよりも祈りをかなえるという仕事をして欲しいですね。」
「ここで言うエホバというのは統治体あるいは組織のことでしょう。仕事、教育、友人、娯楽について組織の定めた方針に文句を言わず従え、ということ。悲しいことにJWは自分の人生を決める権利はない。」
「12節は③“聖書を読んで深く考える。”で、13節は④“決める時,正しい順番を守る。とにかくまず決めて,それからその決断に合うような原則を探すというのは良くありません。”とあります。これってJWのことですよ。」
「預言の解釈がそうだよね。ダニエル書とか啓示は現代のことを予言しているとまず決めて、無理やり現代の出来事を聖句と結びつける。そしてこれは国連を指しているとか、英米二重強国のようなJW以外誰も言わないような珍妙なことを言い出して失笑をかう。聖書は古代に書かれて、古代のことを言っているという常識的な理解は認めないね。」
「13節に“紀元前607年にエルサレムが滅びた後,ユダに残っていたイスラエル人がそうでした。”と、さりげなく607という誤った数字を出しています。これに固執しているのはJWだけです。」
「以前は607という数字を正当化するため都合のよい証拠探しをしていたけれど、それはあきらめたようだね。信者に607という数字を繰り返し示し、これが全世界で認められていると思わせる作戦に変えたのだろう。」
「14節は⑤“聖書の原則に沿って判断する。”で、そうすると“エホバから聖なる力をもらい続けることができます。”とあります。さらに、自分勝手に決めると、“聖なる力を「悲しませ」ることになります。(エフェ 4: 30。イザ 63:10。使徒 7:51)”と書いています。」
「英文では聖霊で聖なる力ではない。聖なる力としているのは日本のJWの特徴。でも聖なる力が悲しむなんて変だと思わないのかな?それは電気の力を悲しませる、なんて言わないでしょう。悲しんだりするのは単なる力ではないよ。」
「15から19節が“どうやって聖書の原則を見つけるか”です。 JWの指定したJWのツールを使えと指示しています。15節は“調査ツールを活用する。”で、“「エホバの証人のためのリサーチガイド」が役立ちます。”とあります。18節では“「クリスチャンのための聖句ガイド」というツールもあります。”と紹介しています。」
「このツールを使えば、組織の考えにそった模範的な判断ができるようになって、とてもメデタイわけだね。」
「具体例として、15節では“例えば,レッスン生が,たばこがどうしていけないのか納得できていないとします。その人は「聖書にたばこが悪いなんて書かれていないじゃないか。どうして間違っていると言えるんだ」と考えています。”というのが出ています。まだ思考力がありますね。そんなときには“エホバの証人のためのリサーチガイド”を使って、レッスン生に説明するようです。」
「なぜタバコはいけないの?健康によくないのはわかるけれど、排斥の対象にまですべきものなのかな?」
「16節では“(1)命を危険にさらすようなものに支配されてはいけない。(ロマ 6:16)(2)体に悪いものを避ける。(コリ二 7:1)(3)エホバは私たちに自分の全てを尽くして仕えてほしいと願っている。(マタ 22:37)(4)ほかの人の健康に悪影響を与えるようなことはしない。(マタ 22:39。コリ一 10:24)(5)エホバは正しいことをするための力をくれる。”と5つの原則を挙げています。そして“聖書にはたばこについて何も書かれていませんが,こういう原則からエホバがたばこのことをどう思っているかが読み取れます。”と断言していますが、そんなことはないでしょう。」
「これはタバコ禁止という結論がまずあって、それから理由をさがしたという順番でしょう。組織が喫煙者はバプテスマを受けられなくしたのは1973年から。その当時アメリカで禁煙が普及していて、それに合わせただけでしょう。聖書の原則を調べたからではないよ。」
「原則(2)に出てくるコリント二7:1には“体と精神のあらゆる汚れを除き去って自分を清め”とありますが、たばこのことを言っているわけではないですよ。こじつけです。」
「2020年にイスラエルにあるテル・アラド遺跡の祭壇(紀元前8世紀ごろ)に残っている物質を分析した結果、大麻の成分が発見された。動物由来のものと見られる脂肪酸も検出されており、これは哺乳類のふん便がそこにあったことを意味する。大麻と哺乳類のふん便を混ぜて同時に燃やすと、炎はゆっくりと低温で燃える。これは集団で大麻の煙の吸入のためと推測されている。」
「古代中東においては大麻の煙を吸うことは行われていたわけですね。でもそれを禁止する聖句はない。特に問題視していなかったと推測できますよ。」
「麻薬の原料となるケシは1世紀のローマ帝国ではクスリとして使われていた。それについても聖書は何も言っていない。信者を排斥させるほど重要なことなら、エホバは聖書に書いたと推測できるよ。」
「要するに、JWの言っていることも推測の推測に過ぎないということですね。」
「それを聖書の原則と言って、信者に強制し、信者の人生を左右するのはやめて欲しい。」
「先ほどの5原則ですが、砂糖にも適用できますよ。糖分は依存性がありますし、取りすぎれば体に悪いですし、肥満を引き起こします。肥満するとエホバに全力で仕えられません。“聖書には砂糖について何も書かれていませんが,こういう原則からエホバが砂糖のことをどう思っているかが読み取れます。”と断言できますよ。砂糖を禁止して、肥満した統治体の人は排斥にすべきですよ。」
「JWの規則は、アメリカ社会の価値観から影響を受けた、恣意的なものにすぎないということ。」
「17節は結婚式の例で、19節は祝い事参加の例が出ています。」
「そんなことも自分では決められず、JWの指定するツールを使って、JWに合わせた決断をしなくてはいけないとは悲しいね。」
「最期の20節は“きちんと働く良心を持つ”です。 簡単にいうとJWの指定するツールの使い方を覚えて、それに従っていればいいということですね。」
「そうしていれば“きちんと働く良心”をもっていると、エホバが喜ぶというのがJWという宗教の教えだ。聖書なんか本当はどうでもいいことがわかるね。」
- ゆずポン
- 2026年07月17日 09:08:46
たまたまQuora Digestから記事が送られてきましたが、「正当化するロジックを考えつく能力が高い」ことを示す例として興味深かったので、共有してみたいと思います。
質問はこのようなものでした(機械翻訳しています)。
YouTuberの「EXJW Analyzer」が「ものみの塔がすべてのエホバの証人に署名させた契約」という動画で示唆しているように、エホバの証人は輸血の禁止を解除したばかりなのでしょうか?
これに対する現役のエホバの証人と思われる人からの返信は以下の通りです。
コメディアンの話を聞けば、おそらく冗談を聞かされることになるでしょう。
エホバの証人にはそのような「輸血の禁止」はありません。むしろ、聖書はクリスチャンが「血を…避けていなさい」(使徒 15:29)と明確に述べています。私たちは、他人の血を自分の静脈に輸血することがこの神の禁止事項に調和するとは信じていないため、輸血を受けないのです。
他の人は自分の好きなようにすればよいのです。私たちは、輸血に関する法律を変えるようロビー活動をするなどして、他人の自由や良心を侵害しようとはしません。全くその通りで、最終的には私たち全員が神の前に責任を負っているのですから、何を信じ、何を行うかについて、各自が自分で選択しなければならないのです。エホバの証人の間であっても、自分自身のためにどのような医療を求めるかは完全に個人の選択です。宗教の名の下に病院に押しかけ、あなたの治療に干渉するような人は絶対にいません、それは確かです。神に従うことを選ぶかどうかは、私たちと神との間の問題なのです。
最終的に、血に関する禁止事項は、神のすべての掟と同様に、私たちの利益のためのものです(イザヤ 48:17)。神は良いものを禁じたりはしません(ヤコブ 1:17)。性的道徳などに関する神の基準は私たちを保護するためのものであり、神が何らかの興ざめな存在だからというわけではありません。無輸血医療は、患者の予後がはるかに良く、回復までの時間も短く、拒絶反応の可能性もありません。輸血はロボトミー手術や瀉血(しゃけつ)のような過去の遺物です。ドードー鳥と一緒に絶滅しているべきだったのです。
私は「EXJW Analyzer(元エホバの証人アナライザー)」が誰なのか全く知りませんが、そのような名前であること、さらに言うまでもなく2つの明らかな虚偽(禁止事項などなく、誰かに署名させた契約なども絶対にありません、笑)が含まれていることからして、そのような人物からの情報が偏見のない正確なものである可能性はゼロです。ゼロです。神よりも自分の罪を愛したために会衆から追放されて憤慨している人々や、「自分から離れた」と主張しながら、未練を断ち切ったはずの同じ組織に執着し、中傷し、愚痴をこぼすことにすべての時間を費やしているような人々は、決して信頼できる情報源にはなり得ません。そのような人々に時間を無駄にしないのが賢明ですし、彼らのたわごとを事実として受け取らないのが絶対に良いでしょう。
例を挙げて説明しましょう。もし私がかつてGoogleで働いていて、会社から盗みを働き、競合他社に企業データを売り渡し、その不快な態度のために現在も働いているすべての人々の敵となり、不名誉な形で解雇されたとします。さらに、私が会社に多大な損害を与えたため、敷地から追い出され、その後Googleに関わる一切のことから遠ざけられるような接近禁止命令を受けたとします。そしてその時点で、私は世界最高のプログラマーであり、Googleの全員が間違っていて自分が正しい、Googleのウェブサービスはひどいもので、自分の検索エンジンなどの方がはるかに優れている、私がいなければ会社は成り立たず、明らかな反証があるにもかかわらずすぐに崩壊するだろうと主張し、Googleに対する明らかにエゴに突き動かされたヘイトキャンペーンに乗り出したとしたら、私はその後、Googleについて、あるいはその他のことについても、良い情報源とみなされるでしょうか?
これら背教者たちもそれと同じです。自分の振る舞いによって追放された組織ではなく、自分自身に問題があるという現実に対処できない、エゴイスティックなナルシストなのです。彼らは決して正確で信頼できる情報源ではなく、誰かに対して良いことや前向きなことを言ったり、提供したりすることもありません。
最近のエホバの証人は、「輸血が排斥の根拠になってきた」ということを知らないのでしょうか?
「ふれ告げる人々」の本の184ページには、「1961年以来,神のご要求を無視して輸血を受け,悔い改めない態度を示す人はみなエホバの証人の会衆から排斥されました」とはっきり書かれています。
この人の主張は「エホバの証人的」にはまっとうに聞こえますが、自分がよく知らないとはっきり述べている特定の人の主張を一方的に「そのような人の情報は正確ではない」とか「たわごとである」とか決めつけています。
ですが、大切なのはどちらの主張が「証拠」に基づく正確なものなのかであり、単なる印象や主観で語るべきものではありません。
これは典型的な論点のすり替えであり、相手の主張(動画で指摘されている契約や文書の存在)の真偽を検証するのではなく、「背教者だから」「エゴイストだから」と相手の人格を攻撃することで、最初から議論を封殺しようとしています。
そしてこれは統治体が自ら「模範」として行っていることです。児童に対する性的虐待が全世界で大きな問題となっている事実を無視し、「それらは背教者のウソだ!」とJW向けの講話で繰り返しています。
エホバの証人は「愛の組織」を標榜していますが、調べてみるとこのような個人攻撃をたびたび行ってきました。パウル・バルツェライト氏や明石順三氏らについて言及している文書は典型的な例ですが、いずれも誤った情報に基づいた見解であり、しかも自分たちが間違っていたとしても「決して謝りません」。
結局JWの「賢い」成員は、統治体の手本に倣って、事実と主観を巧妙にすり替えるレトリックを繰り返しているだけなのです。
- 背教者です
- 2026年07月14日 16:16:29
引っ越ししたのに10年以上前の伝道者カードが回って来たとかで最近よく訪問を受けるので今日長老夫妻と話し合いました。あちらは1匹の羊がどうとか聖句を読んでましたが白けました。
今まで抱いていた違和感と決定的な犯罪を告げて はいははいを、いいえはいいえを意味する行動取るように言いました。あなたの組織は邪悪であるとはっきり告げました。
ベネディクト・アンダーソンの著の「想像の共同体」これを読んでナショナリズムの成立する過程について考えて それでも戦争が終わって楽園になると言える理由があるならば、それについてならこの次聞きますよ。と答えておきました。
「それは信仰を築き上げる本ですか?とそばで妻の方が聞いてきたので 変わってないな と思いました。血の問題、二世が離れると口も効かなくという非人道的な取り決めは 今も有効なのにそれは昔のことです。今は違うと言う詭弁を用いていたのでこれはダメだなと思った次第です。
頭いい人には思えなかったけど、必死で言い訳してコーヒーをこぼしてました。
- ジョエル
- 2026年07月14日 13:29:18
頭のいい人は、むしろバカバカしいと思える教えほど、それを自己弁護(正当化)するかのようなロジックを考えつく能力も高い、はその通りだと思います。
キリスト教でも、普通の日本人が読めば短絡的でありきたりな古代神話に思えてしまう内容に、頭のいい神学者が「神学的意味」を付してしまうことがあります。
その他大勢の信者たちは純粋に信じている一方で、彼らを確信犯的に教化・感化してきた頭のいい神学者や哲学者たちは「矛盾ゆえにわれ信ず」の頃から、そのギャップ萌えになっている人が多いように思います(個人の感想です)。
- Venturi
- 2026年07月13日 22:34:33
ゆずポンさん、心理学的な側面からのご見解を即座に言語化してくださり感謝いたします。おかげでより解像度の高いイメージを持てた気がします。
知性があるゆえに、矛盾を正当化できてしまうというのは自然な反応によるものとはいえ厄介ですね。防衛機制のうちの「知性化」に属するのでしょうか?「大多数のバカに向けてこういう言い方をしてるけど、本質は⋯」と安全な位置に身を置きながら、いやむしろそのために自分を納得させる説明を試みるというのは、あまりにも常習的で意識さえしていませんでしたが身に覚えがあります。
メタ的に見れば、今まさにこうして心理学的な説明を聞いてなんとなくわかった気になっているのも、眼前の不条理に対して「知性化」を試みる防衛機制の働きと言えるのかもしれません。
「組織、教義」かそれ以外か、というコンパートメント化は今にして思えば会衆の内と外の使い分けにとどまらず、信者同士の間でさえ十分見ることができたと思います。触れてはいけない聖域があって、その外では自由闊達な振る舞いを装いつつ、「些末」と見切ったことがらについては活発に議論を交わす。そうしながら聖域には触れないよう間合いをはかるわけですが、その聖域は信仰告白でも福音でもなく広汎にわたる組織の指示ですから、早晩行き詰まりが生じるはずなのに、順応する人々がいるのです。
ある長老に、自分が組織のある教えについて良心上賛同しかねる旨を可能な限り遠回しに伝えました。するとその人は笑顔で「エホバに祈って、答えが与えられるといいですね」と答えるだけなのです。
彼らは組織の教えを文書からそのまま伝えれば、それ以上自分が弁証する必要も責任も感じていないように思えます。
「エホバの組織」とそれに従う自分は正しい、という高所にさえとどまっていれば、確かに護教論を展開する理由は無くなります。
この掲示板を通して仄聞する、近頃の「霊的食物」の拙劣化は相当なもののようです。かつてのような「聖書研究」のそれらしさはとうに失われて、マルチ商法のビデオセミナーのようなプログラムが多くを占めているとも聞きます。
とはいえ、そのような凋落は本当に今に始まった話なのでしょうか?ものみの塔創刊の時代に遡ってみても、ラッセルによる再臨の年代を特定しようとする疑似科学的な試みは(1914年という年号を除いて)もはや顧みられていませんし、何の普遍的価値も残しませんでした。
組織の存在理由そのものが終末論と強く結びついているわけですが、その破綻から皆で目を背けている。肝心の救済論はおざなりのまま。
要するに、はじめから聖書研究と称する「それらしさ」以外のものはこの組織になかったのではありませんか?知的、霊的欲求を組織が満たしてくれているというのは錯覚で、喫煙者がニコチンパッチを貼って気を紛らわしていたようなもの、と評せる程度のものではないかと近頃感じています。
ゆずポンさんがご家族との問題で疲弊し切ってしまわれないようお祈りします。貴殿を偽兄弟のもとから救い出された主の御名がほめたたえられますように。ご家族の目が開かれ、聞く耳が与えられますように。
- ゆずポン
- 2026年07月12日 23:51:21
Venturiさん、お久しぶりです!
その節は、大変見識の高い論考をお寄せくださり、ありがとうございました。
一定のリテラシーを有しているJWが組織にとどまり続ける理由については、それぞれに事情や考えがあるのかもしれませんので、一概にこうだという答えは持ち合わせておりません。
ただ心理学的に言うなら、「認知的不協和の解消」をしているのかもしれません。
知性が高いからといって、洗脳やマインドコントロールから免れるわけではありません。むしろ、知性がある人ほど「矛盾を正当化する能力」も高いという厄介な心理メカニズム(認知的不協和の解消)が働きます。
彼らは、組織の文章の稚拙さや論理の飛躍に無意識下では気づいていると思われます。しかし、自分の人生を捧げている宗教が間違っているという「致命的な恐怖」に直面するのを避けるため、持ち前の読解力や語彙力を駆使して、組織の教えを「より高度で霊的なもの」へと脳内で補完・変換してしまうのです。自らの知性を、教理の解体ではなく、教理の防衛と修復のためにフル稼働させている状態です。
また、一定のリテラシーを持つ人は、仕事や日常のプロジェクトにおいては、非常に論理的で批判的な思考を持っています。しかし、宗教や組織のこととなると、その「批判的思考のスイッチ」を完全にオフにしてしまいます。
心理学で「コンパートメンタライゼーション(心の区分け)」と呼ばれるこの防衛機制により、彼らは「現実世界の論理」と「組織内の論理」を頭の中で完全に切り離して生きています。そのため、普段は賢明な人が、集会では驚くほど非論理的な教理を真顔で受け入れ、語ることができるということなのかもしれません。
あるいは、Venturiさんのご想像の通りなのかもしれません。
教義の矛盾にはとうの昔に気づいており、組織の自己正当化にも辟易している。しかし、組織を離れれば「排斥」や「断絶」となり、親、配偶者、子供、長年の友人との関係が完全に断たれてしまう。このあまりにも巨大な代償を前に、「信じているふり」を続けることを選ぶ。
彼らにとって、集会での模範的なコメントや伝道活動は、もはや信仰の発露ではなく、大切な家族や居心地の良いコミュニティを失わないための「税金」や「参加費」に過ぎないのかもしれません。
私もこれまで家族には様々な証拠や聖書的な根拠を示して、エホバの証人の矛盾について訴えてきましたが、反応がないところを見るとおそらく「防衛反応」が働いているのだと思っています。
組織とは異なる教えを「背教者」とレッテル貼りし、一切耳を傾けないという時点で、彼ら自身の定義する「証拠に基づく信仰」からは大きく離れてしまっていることになぜ気づけないのか。
教えが本当に「真理」なら、どれほど徹底的に調べ、外部の視点から検証したとしても、決して崩れ去ることはないはずだという事実に、なぜ目を向けられないのか。
打撃がひたすら空を打っているようで、徒労感を覚える毎日です。