ここでは創世記が示す地球規模の洪水の話が真実であるのか、検証するポイントになる点をQ&Aのかたちで簡潔にまとめます。このページは随時更新する予定です。
地球規模の洪水を否定する証拠にについて
いいえ。全くありません。数万年前までさかのぼってもありません。氷床は整然としたかたちで残っており、ノアの洪水の跡として解釈できる余地はありません。参照:地球規模の洪水はなかった-氷床は語る、
ノアの時代に気象の激変はなかった
はい。2000年以上前の火山噴火の跡と照合することができるほど正確なものです。さらに氷の中に含まれる酸素の安定同位体( 18O)の比率を調べることにより8000年前までの年代を客観的にカウントすることもできています。参照:(1)氷床の年代は正確 – 火山噴火の跡と一致(2)氷床の年代は正確 – 酸素同位体による年代カウント
正確な情報で氷床コアの研究を否定しているクリスチャンは一人もいません。ものみの塔は氷床の研究に関して具体的な言及を避けています。参照:(1)氷床コアはインチキではない(2)地球規模の洪水はなかった-氷床は語る(後半部分)
いいえ、それはあり得ません。カンガルーもコアラも他の場所に化石や痕跡を残していません。ものみの塔は「陸橋」をわたってオーストラリアに移ったと述べていますが、全く根拠がありません。コアラはユーカリの葉が大量にないと生きていけませんが、ユーカリ自体が中東にはありませんし、オーストラリア以外には生育していませんでした。創世記は洪水によって最大で1年もの間、大地が海水に浸かっていたことを描写しています。他の生物も含め食物となるタンパク源が根絶した中で今は存在しない陸橋を渡ってオーストラリアにたどり着いたというのはあまりにも無理があります。参照:創世記の筆者はオーストラリア大陸の存在を知らなかった
いいえ。それはあり得ません。その根拠の一つは福井県にある水月湖(すいげつこ)の年縞です。水月湖の底に数千年、数万年の間にたまった堆積物からできる薄い層があり、それを円柱状に掘削すると綺麗な年縞模様が残っており、それによって特定の年代の堆積物を確認することができます。水月湖は多くの条件が整っているため過去7万年にさかのぼって層を確認することができています。何が明確になっているでしょうか?それは過去に何度か地域的な洪水や火山噴火、地震に見舞われた跡があるものの紀元前2370年に世界的な大洪水が起きた跡は何もありません。この点ではドイツのアイフェル地方やベネズエラのカリアコ海盆、イタリアのモンティッキオ、中国の龍湾などで見つかる年縞についても同じです。
参考サイト |
地球規模の洪水を証明する証拠について
恐らくその人は「見よ!」の冊子の不正引用にもとづく説明を信じてしまっているからです。古代オリエントでは洪水の物語が神話となって残っています。それはそれらの地域がメソポタミア川の氾濫による洪水を幾度となく経験しているからです。考古学者が発掘したとされる「洪水の跡」は世界的な洪水とは無関係のユーフラテス川氾濫の洪水の跡です。参照:考古学者の「証拠」は不正引用だった
グランドキャニオンは先カンブリア時代からペルム紀までの地層が重なる峡谷のことで、ノアの洪水とは全く関係がありません。現在のロッキー山脈の東側は古代において浅い海が広がっていたエリアで、そこでは海進と海退が繰り返されていました。独特な地理的条件からグランドキャニオン周辺の地層が形成されるに至っています。地層を形成する原因として”洪水”も大いに関係していますが、1200メートルを超える地層の重なりは一度の洪水ではできません。なおグランドキャニオンは17億年から2億4,500万年前までの地質年代を網羅しており、コロラド川の浸食によって峡谷が形成されるにはさらに300万年以上が経過していると考えられています。
エホバの証人はグランドキャニオンのような渓谷が「何日かのうちに生じ」「荒れ狂う激流は深い渓谷や大峡谷を掘った(ものみの塔1968年10月15日p613)」と主張します。
しかし以下の写真からわかるようにコロラド川は蛇行するラインをとっており、荒れ狂う激流で掘られたようなものではないことははっきりしています。
参考:(1)日本地質学会Q&A「Q31:グランドキャニオンとノアの大洪水は関係するの?」(2)http://ja.scenic.com/visitor-information/grand-canyon/geology
この手の主張は実際に地質学の専門家が地層や化石の形成についてどのように説明しているのかを知らないために生じる主張です。
地層も化石も通常ではできません。地層は洪水を含め、火山噴火や土砂崩れ、津波など繰り返される災害によって形成されたものがほとんどです。一つの層が”数億年かけて”できたのではありません。1回の洪水や1回の噴火で出来た層もあります。地層の形成に関して”数億年かけて”という表現が使われる場合、グランドキャニオンにような幾層もの地層が”数億年かけて”形成されたと表現とされていたのでしょう。そのような幾層もの地層が出来る場所は氾濫原であった場所か、かつて浅い海であった場所です。化石は”洪水”による溺死体がもとになる場合も多くありますが、微生物のいない沼地や泥炭地で自然な形でできる場合もあります。
参考:「地質学に対する創造論者のよくある攻撃方法」(英文)
カナダのジョギンズ化石断崖でそのような化石が見つかっています。その一帯はかつて河口に近い氾濫原であったと考えられています。石炭紀と呼ばれる時代には巨大なシダ植物が生息しており、今では熱帯雨林でしか生息していないような植物や動物の生態系がひろがっていました(古生代の大陸の位置は現在とは大きく異なります)。そのような場所では曲がりくねった川が幾本も流れており洪水でせき止められた水は幾度もルートを変え、結果幾層もの土砂による層を作り上げます。そこで見られる木の化石は石炭紀(3億6700万年前~2億8900万年前)のものでノアの洪水とは関係がありません。
シベリアの永久凍土で見つかるマンモスはノアの洪水の話とは無関係です。もし地球規模の洪水で溺死した死体なら一律にその地方の動物が凍って出てくるはずですが、実際にはそうではありません。シベリアは表面に草が生えていても地中が常に凍り付いた状態の地帯が多く、シャーベット状の川辺のぬかるみや氷のような表土のクレバスに落ちるとそのまま凍結して保存されます。マンモス以外にもツンドラ地帯には多くの哺乳類が生存していましたが、ノアの洪水で一律に溺死して急速冷凍された様子はありません。
ものみの塔出版物にまことしやかに記載されていますが、それは誤りです。実際には「『㕣(エン)』yànは、川が低い所へ流れる様子を表す漢字」であり、「「船」は「沿」と同系で、流れに沿って下るふね」を表しています。そもそも漢字の「八」は他の数字を表す漢字と同じく”数字”を表すための象形ではありません。
船はノアの家族8人の物語から来ているなどと初めて流したのはユダヤ教徒かクリスチャンであると思いますが、単なる願望から出たデマ情報です。
今後掲載予定
最新のコメント
caleb
"オオカミの子供が永久凍土から発見されて、その胃の中から14,000年前頃に絶滅したケブカサイの皮が見つかっています。 https://www.sciencealert.com/puppy-preserved-in-the-permafrost-ate-a-chunk-of-one-of-earth-s-last-woolly-rhinos 他にも人類の出現前には絶滅した恐竜の化石の中には胃の中にあるトカゲが一緒に化石になって発見されてもいます。 客観的な証拠は聖書が示す人間の歴史よりもずっと昔から肉食動物は獲物を探して生きていたことを示しています。 古代の動物が「何を食べていたか知りたい」とのことですが、肉食動物は古代から肉食動物であったことを示す 証拠は多くあります。 それらの証拠はなぜ受け入れないのでしょうか? 数千年前のノアの洪水の前に、すべての動物が草食であったという話は、何の根拠もない空想の話にすぎません。 "
山猫
"ノアの大洪水の可能性は、ゼロだと言い切るのは無理があると思います。逆にそこまで否定するのには、何かあるのかな、と思ってしまいます。洞穴ライオンの発見から既に7年、8年経ちますが、研究結果を報告しません。胃の中の物を調べれば何を食べていたか分かる、と研究者は言っていました。なのに全然音沙汰が無い、何を食べていたか知りたいのです、世の中に公表出来ないのでは?と思ってしまいます。 "
あるぱか
"僕が見た子供向けの絵本にも「船という漢字の中にノアの大洪水の歴史が記録されているんだよ」的なことが書いてあって、なんで日本の漢字に全く関係ないイスラム?ローマ?のことが入ってんだよwって思ったけどほんとに合ってて草。他にも無菌状態で培養液入れても生物は発生しなかった=進化論は否定されたとか言う謎理論も噛ましててビックバンとか諸々はどうしたw(適当に言ってるだけだから間違えてるかも())とか、こういう本は間違い探ししてる分には楽しいですねwただ子供とかこう言うので刷り込まれそう。昔言ってた教会でもしれっとこんな本渡されてたんで宗教って怖いなって思いましたまる(皆がこんなガバガバ理論だとは思ってないですけどこの本の作者さんはあとがき見る限り上に上げた理論?を本気で信じてそうで怖いなって思ったのでコメしました。超長文失礼しました "
caleb
"質問の要点部分にお答えいたします。 >calebさんの生き方の中に、真の喜びと希望と平安は有るのでしょうか? 普通程度にあります。 誰かと比べてどうかという話ではないですが、 わたしが見てきた範囲では クリスチャンとノンクリスチャンにおいて 喜び、希望、平安の度合いにおいて差はほとんどないと思っています。 クリスチャンが優位になる場合は、人が病気で死に直面している場合、 あるいは他の絶望的な境遇に直面している場合など、幾つか考えられます。 しかし生まれてから死ぬまでの日本人の平均的な人生を総合的に見ると、 死後の命の教理(そして死後の裁きの教理がもれなくついてくる) への信仰が人に対して 喜び、希望、平安を持たせる面で 大きな役割を果たしてきているとは思えません。 最後に 科学に対して「過信をする事も禁物です」という点ですが それは全くその通りで、クリスチャンが聖書や神の存在に対して 同じ程度に冷静になれれば、聖書の中の間違いを認めるのも ずっと容易になるかと思います。 "
鈴木 志
"今日は、私はエホバの証人でも無く、どのような宗教団体にも属さない一人のクリスチャンです。 殆どの記事を読ませていただきました。大変の詳しいのにびっくりしました。私の見解と異なるものが多くあるものの、それに対して反論の術のないものもいくつかあります。私もいろいろと調べましたが、結局のところ科学と言うものには限界が有り、全ての事象を正確に説明する事は出来ないと言う事です。 科学をまじめにやっている方ほど、「科学はOOは正しい、とは断定してくれません。科学的に正しい、科学的に証明されていると言うフレーズを使うのは、科学の事を良く解っていない人か詐欺師かのどちらかでしょう。」とまで言っています。例えば京都大学理学・研究科・理学部でも、「科学的に正しいは、絶対的真実と言う事ではありません。」とコメントしています。科学は決して軽んじてはなりませんが、100パーセントの正しさを保障してくれるものでもありまんので、過信をする事も禁物です。 質問をしたいのです。calebさんにとって自分の人生とは一体何ですか?自分とは何ですか?人間の命の尊厳はどこから来るのですか?死に対して真っ正面から向き合えますか?死に対して勝利の叫びを持って望めますか?死の先に希望は有りますか?calebさんの生き方の中に、真の喜びと希望と平安は有るのでしょうか。「主イエス・キリストを信じる私には有ります。」 "