エホバの証人レッスン

信仰の枠を超えた真理の探究

タグ: ノアの洪水 (1ページ / 2ページ)

✅ノアの箱舟-要点まとめ

ここでは創世記が示す地球規模の洪水の話が真実であるのか、検証するポイントになる点をQ&Aのかたちで簡潔にまとめます。このページは随時更新する予定です。

地球規模の洪水を否定する証拠にについて

南極やグリーンランドの氷床には洪水の跡がありますか?

いいえ。全くありません。数万年前までさかのぼってもありません。氷床は整然としたかたちで残っており、ノアの洪水の跡として解釈できる余地はありません。参照:地球規模の洪水はなかった-氷床は語る
ノアの時代に気象の激変はなかった

ノアの時代の氷床の年代は正確なのですか?

はい。2000年以上前の火山噴火の跡と照合することができるほど正確なものです。さらに氷の中に含まれる酸素の安定同位体( 18O)の比率を調べることにより8000年前までの年代を客観的にカウントすることもできています。参照:(1)氷床の年代は正確 – 火山噴火の跡と一致(2)氷床の年代は正確 – 酸素同位体による年代カウント

氷床コアの研究をインチキだとするクリスチャンがいるのですが

正確な情報で氷床コアの研究を否定しているクリスチャンは一人もいません。ものみの塔は氷床の研究に関して具体的な言及を避けています。参照:(1)氷床コアはインチキではない(2)地球規模の洪水はなかった-氷床は語る(後半部分)

オーストラリアのコアラは洪水後に中東から移動して住み着いたのですか?

いいえ、それはあり得ません。カンガルーもコアラも他の場所に化石や痕跡を残していません。ものみの塔は「陸橋」をわたってオーストラリアに移ったと述べていますが、全く根拠がありません。コアラはユーカリの葉が大量にないと生きていけませんが、ユーカリ自体が中東にはありませんし、オーストラリア以外には生育していませんでした。創世記は洪水によって最大で1年もの間、大地が海水に浸かっていたことを描写しています。他の生物も含め食物となるタンパク源が根絶した中で今は存在しない陸橋を渡ってオーストラリアにたどり着いたというのはあまりにも無理があります。参照:創世記の筆者はオーストラリア大陸の存在を知らなかった

日本にノアの洪水の水が流れてきましたか?

いいえ。それはあり得ません。その根拠の一つは福井県にある水月湖(すいげつこ)の年縞です。水月湖の底に数千年、数万年の間にたまった堆積物からできる薄い層があり、それを円柱状に掘削すると綺麗な年縞模様が残っており、それによって特定の年代の堆積物を確認することができます。水月湖は多くの条件が整っているため過去7万年にさかのぼって層を確認することができています。何が明確になっているでしょうか?それは過去に何度か地域的な洪水や火山噴火、地震に見舞われた跡があるものの紀元前2370年に世界的な大洪水が起きた跡は何もありません。この点ではドイツのアイフェル地方やベネズエラのカリアコ海盆、イタリアのモンティッキオ、中国の龍湾などで見つかる年縞についても同じです。

参考サイト

水月湖 年縞についての解説
「水月湖 年縞」ハンドブック

 

地球規模の洪水を証明する証拠について

エホバの証人は世界的な洪水を示す考古学者の発掘があると言ってましたが

恐らくその人は「見よ!」の冊子の不正引用にもとづく説明を信じてしまっているからです。古代オリエントでは洪水の物語が神話となって残っています。それはそれらの地域がメソポタミア川の氾濫による洪水を幾度となく経験しているからです。考古学者が発掘したとされる「洪水の跡」は世界的な洪水とは無関係のユーフラテス川氾濫の洪水の跡です。参照:考古学者の「証拠」は不正引用だった

グランドキャニオンはノアの洪水の証拠ですか?

グランドキャニオンは先カンブリア時代からペルム紀までの地層が重なる峡谷のことで、ノアの洪水とは全く関係がありません。現在のロッキー山脈の東側は古代において浅い海が広がっていたエリアで、そこでは海進と海退が繰り返されていました。独特な地理的条件からグランドキャニオン周辺の地層が形成されるに至っています。地層を形成する原因として”洪水”も大いに関係していますが、1200メートルを超える地層の重なりは一度の洪水ではできません。なおグランドキャニオンは17億年から2億4,500万年前までの地質年代を網羅しており、コロラド川の浸食によって峡谷が形成されるにはさらに300万年以上が経過していると考えられています。

エホバの証人はグランドキャニオンのような渓谷が「何日かのうちに生じ」「荒れ狂う激流は深い渓谷や大峡谷を掘った(ものみの塔1968年10月15日p613)」と主張します。

しかし以下の写真からわかるようにコロラド川は蛇行するラインをとっており、荒れ狂う激流で掘られたようなものではないことははっきりしています。

参考:(1)日本地質学会Q&A「Q31:グランドキャニオンとノアの大洪水は関係するの?(2)http://ja.scenic.com/visitor-information/grand-canyon/geology

参照:グランドキャニオンはノアの時代にできたものではない

地層や化石が「何億年もかけて」出来たはずがない、だからノアの洪水が正しい

この手の主張は実際に地質学の専門家が地層や化石の形成についてどのように説明しているのかを知らないために生じる主張です。

地層も化石も通常ではできません。地層は洪水を含め、火山噴火や土砂崩れ、津波など繰り返される災害によって形成されたものがほとんどです。一つの層が”数億年かけて”できたのではありません。1回の洪水や1回の噴火で出来た層もあります。地層の形成に関して”数億年かけて”という表現が使われる場合、グランドキャニオンにような幾層もの地層が”数億年かけて”形成されたと表現とされていたのでしょう。そのような幾層もの地層が出来る場所は氾濫原であった場所か、かつて浅い海であった場所です。化石は”洪水”による溺死体がもとになる場合も多くありますが、微生物のいない沼地や泥炭地で自然な形でできる場合もあります。

参考:「地質学に対する創造論者のよくある攻撃方法」(英文)

ある場所では地層をまたぐ垂直の木の化石が見つかっているそうですが

カナダのジョギンズ化石断崖でそのような化石が見つかっています。その一帯はかつて河口に近い氾濫原であったと考えられています。石炭紀と呼ばれる時代には巨大なシダ植物が生息しており、今では熱帯雨林でしか生息していないような植物や動物の生態系がひろがっていました(古生代の大陸の位置は現在とは大きく異なります)。そのような場所では曲がりくねった川が幾本も流れており洪水でせき止められた水は幾度もルートを変え、結果幾層もの土砂による層を作り上げます。そこで見られる木の化石は石炭紀(3億6700万年前~2億8900万年前)のものでノアの洪水とは関係がありません。

参考:http://jp-keepexploring.canada.travel/things-to-do/exp/joggins-fossil-cliffs-unesco-world-heritage-site#/?galleryItemId=300000028

冷凍マンモスはノアの洪水の証拠だと聞きましたが

シベリアの永久凍土で見つかるマンモスはノアの洪水の話とは無関係です。もし地球規模の洪水で溺死した死体なら一律にその地方の動物が凍って出てくるはずですが、実際にはそうではありません。シベリアは表面に草が生えていても地中が常に凍り付いた状態の地帯が多く、シャーベット状の川辺のぬかるみや氷のような表土のクレバスに落ちるとそのまま凍結して保存されます。マンモス以外にもツンドラ地帯には多くの哺乳類が生存していましたが、ノアの洪水で一律に溺死して急速冷凍された様子はありません。

参照:凍結したマンモスはノアの物語とは無関係

漢字の「船」はノアの箱舟から来ている聞きましたが

ものみの塔出版物にまことしやかに記載されていますが、それは誤りです。実際には「『(エン)』yànは、川が低い所へ流れる様子を表す漢字」であり、「「船」は「沿」と同系で、流れに沿って下るふね」を表しています。そもそも漢字の「八」は他の数字を表す漢字と同じく”数字”を表すための象形ではありません。

船はノアの家族8人の物語から来ているなどと初めて流したのはユダヤ教徒かクリスチャンであると思いますが、単なる願望から出たデマ情報です。

参照:漢字の「船」の語源はノアの物語ではない

その他

今後掲載予定

漢字の「船」の語源はノアの物語ではない

エホバの証人(ものみの塔聖書冊子協会)は「船という漢字が,「舟の中の8人」という考えに由来している」と述べ、ノアの箱舟物語が本当であることの証拠であるとしています。

*** 洞‐1 328ページ ノアの日の洪水 ***
船という漢字が,「舟の中の8人」という考えに由来しているのは興味深いことです。これは,箱船の中で大洪水を生き残ったノアとその家族の8人に関する聖書の記述と非常によく似ています(ペテ一 3:20)
舟  +  八  +  口(つまり人)    船

しかしこれはデマであり、事実とは異なります。

実際には「『㕣(エン)』yànは、川が低い所へ流れる様子を表す漢字(*1)」であり、「「船」は「沿」と同系で、流れに沿って下るふね(*2)」を表しています。そもそも漢字の「八」は他の数字を表す漢字と同じく”数字”を表すための象形ではありません。他にも四、五、六、七、九といった漢字が他の漢字の部に使われる場合は多々あるものの、それが文字通りに4,5,6,7,9という数字を表すわけではありません。

例えば「切」という漢字には「七」が使われていますが、別に数字の7を表すのではありません。これは四、五、六、七、八、九が漢字の部位に使われる場合も同じです。船の㕣をノアの家族の「8人」を表すなどと主張するのは論外です。

記事の終わり

(*1) http://gogen-allguide.com/hu/fune.html

(*2) http://huusennarare.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-5351.html

(*3) http://huusennarare.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-b4dc.html

凍結したマンモスはノアの物語とは無関係

エホバの証人(ものみの塔聖書冊子協会)はシベリアのツンドラで見つかる凍結したマンモスをノアの洪水で溺れたものだとしています。ものみの塔協会の主張は温暖だった地球がノアの洪水がきっかけで急速に寒冷化し、「特に極地地方で,凍りつくような風が伴い」、大洪水で溺れたマンモスが急速に凍結されたというものです。(創 第17章 203ページ 10節)

以下はその説明の中で掲載されている写真です。

上記のマンモスはベレゾフカ マンモス(Beresovka Mammoth)と呼ばれ北シベリアで1901年に発掘されたものです。実際にはこれは頭部を含めかなりの部分が博物館のディスプレイのために復元されたものです(以下のカラー写真参照)。

このようなマンモスは本当にノアの時代の地球規模の洪水で溺れて凍結したものなのでしょうか?答えは「いいえ」です。その理由を以下にあげます。

溺死と急速冷凍では説明がつかない

まず第一に凍結されたマンモスで体の全体が残っているのはごくわずかで、他のケースでは体の一部だけが残り他は部分は腐肉食動物によってすでに食べられているなど、一様ではありません。これは突然の異変で溺死してマンモスの群れ全体が凍結したというストーリーとは違うものを描いています。

さらに体全体が残っているマンモスに関しても永久凍土の雪渓のクレバスに何らかの理由で落ちるなどして凍結したと考えるほうが自然です。実際上記のベレゾフカ マンモスも上腕骨と骨盤が砕けていました。川辺付近の絶壁で凍土の割れ目に落ちて死んだと考えるほうが合理的である状態です。その様子は溺死して急速冷凍したというものではありません(*1)。

さらにシベリアの永久凍土が広がるツンドラにはマンモス以外にもケブカサイ、バイソン、オオツノジカやネコ科の捕食動物など幾つも生息していたにも関わらず、凍結した状態で見つかるものがマンモスばかりであることにも注目できます。マンモスの生態は現存するゾウから判断するなら足を踏み外して体勢が崩れると立て直すのが難しく、他の動物よりシャーベット状の凍土に足を踏み外したり、クレバスに落ちる可能性が高いと考えられます。それに対してより身軽なシカやネコ科の動物は簡単にクレバスに落ちることはありません。これはマンモス以外の身軽な哺乳類が凍結した状態で見つかることがほとんどない事実と一致しています(*3)。もし動物たちが洪水で一斉に溺死したのであればこのようなバラツキが存在することは考えられません。

怪しい情報

”冷凍マンモス”の情報に関しては注意が必要です。それはノアの洪水を証明することに関心があるクリスチャンによって冷凍マンモスに関して確かではない情報が流されている場合があるという点です。例えばかつてはベレゾフカのマンモスに関連して、冒険隊によってマンモスの解凍肉で宴会が開かれたとか、マンモスの口の中に亜熱帯の植物が残っていたとか、いかにも温暖な気候にいたマンモスがノアの洪水によって急激に冷凍されたことを物語るような話が語られていたそうです。しかしこの問題を調査したWilliam R. Farrand (1961)はそれらの話がデマであることを明らかにしました。Farrandはマンモスの胃の中にあった植物を列挙し、それがすべて北極圏に生息する植物であることを示しています(*4)。ですからこの種の話を教会で聞いたりネット上で発見する場合、その出所をきちんと調査することも大切です。

(*1)https://palaeopathologyfiles.wordpress.com/2015/06/28/what-killed-the-berezovka-mammoth/

(*2) https://ncse.com/book/export/html/2842

(*3) 例外としては2015年に発見された絶滅したホラアナライオンの子どものケースがあります。この場合、巣穴が崩れて土に埋もれて死んだものと考えられています。http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/b/102900047/ 他にもケブカサイ(絶滅種)の例があります。

(*4) https://ncse.com/cej/1/2/common-creationist-attacks-geology

創世記の筆者はオーストラリア大陸の存在を知らなかった

聖書に書かれている物語を文字通りの真実と考えると様々な問題に直面します。その一つにオーストラリア大陸とそこに生息する特有の生物の存在があります。

聖書によると今から4400年ほど前に世界的な大洪水が神によって引き起こされ、その際に箱舟の中に集められた動物以外のすべての動物が滅び去ったということになっています。

(創世記 7:19‐23) …水は地に大いにみなぎって、全天下の高い山々がことごとく覆われるようになった。…そのため、地の上を動くすべての肉なるものは、飛ぶ生き物も、家畜も、野獣も、地の上に群れなすすべての群れも、そして人もみな息絶えた。…ただノア、および彼と共に箱船の中にいたものだけがそのまま生き残った。

このノアの洪水物語を真実とみなすのであれば、今から4400年ほど前に中東のどこかに集められた雄雌二匹ずつの動物(あるいは清い動物は七匹)以外の動物が絶滅し、箱舟の扉が開けられてそこから出てきた動物によって現在の世界の生態系が出来上がったということになります。

つまり、現在オーストラリア大陸に生息する大陸特有の生物たちも今から4400年前に箱舟から出てきてオーストラリア大陸に渡って増え広がったということになります。

これにはどんな問題があるでしょうか?生物学者のリチャード・ドーキンスは次のように語ります。

進化の存在証明 – リチャード・ドーキンス 387頁

これらの動物がすべてノアの箱舟から分散していったのなら、動物の地理的な分布はどのようになっていなければならないかを、考えてみてほしい。中心地-ひょっとしたらアララト山-から遠ざかるにつれて、種の多様性が減少していく何らかの法則性が存在するべきではないだろうか。それが私たちの目にしているものではないことは、あえて言う必要もないだろう。
なぜ、これら有袋類のすべて - 小さなフクロマウスからコアラやミミナガバンディクートを経て巨大なカンガルーやディプロトドンに至る幅をもつ - が、有胎盤類はまったくこないのに、アララト山からオーストラリアへ大挙して移住してきたのか?彼らはどのようなルートでやってきたのか?

ノアの時代にカンガルーやコアラが中東に生息していたのでしょうか?あるいは箱舟に乗るためにはるばるオーストラリア大陸から旅をしてきたのでしょうか?そのどちらも可能性は非常に低いと言えます。なぜならカンガルーは他の大陸に渡った形跡はなく、カンガルーの化石もオーストラリア大陸でしか発見されません。オーストラリアでは現在のカンガルーとは姿が異なる3メートルのカンガルーの化石が見つかっています。その他にもオーストラリア固有の生物の化石が幾つもあります。これはオーストラリア大陸が他の大陸から地理的に独立し、長い時間をかけて独特の進化や絶滅を経験し大陸の中で多様な種を生みだしてきたという推論と一致しています。その期間は4000年では足りないのです。

オーストラリアにはコアラやカンガルー以外にも特有の有袋類が生息しています。この写真にあるフクロモグラもその一つです。このモグラはオーストラリア大陸にしか存在しません。フクロモグラがアララト山からオーストラリアに移動する姿を想像してみてください。しかもフクロモグラは目がないようなもので一日の大半を地中で活動します。大陸が分離する前にどれだけのスピードで彼らはオーストラリアを目指して進んだのでしょうか?何か月も海水に浸かった台地で餌になる幼虫や蟻も絶滅した道をオスとメスのつがいが食物のないままオーストラリアにどのようにたどり着いたのでしょうか?

ものみの塔の答え、そして文献の不正な引用

ものみの塔協会はオーストラリアにノアの洪水後にどのようにコアラが「どのように移動して」行ったのか、その答えは「陸橋によってです」と答えています。

ものみの塔1962年p127「読者からの質問」

ものみの塔はスウェーデンの地理雑誌「イメル」でレニー・マイレス博士が「大西洋を横断する陸橋」があったと発表しているので自分たちの主張が正しいと述べています。しかし引用されているニューヨーク・タイムス1956年9月23日にはヨーロッパからグリーンランドまでが湾のようになっていた時代があると主張されているだけで、オーストラリアに陸の橋が渡されていたことをほのめかすような主張は一つも見当たりません。しかもグリーンランドとのつながりも1万年以上前の話とされておりノアの洪水の話とリンクさせられるようなものでもありません。(資料:「ものみの塔協会との手紙のやりとり」英文)

New York Times 1956

答えなくてはならない疑問

コアラはオーストラリア原産のユーカリの葉だけを食するように進化してきました。あるいは「進化」したのではなく、コアラはユーカリだけを食するように神が創造されたと仮定してみましょう。いずれの場合もコアラの極端な食性には変わりはありません。ユーカリの葉はカロリー効率が悪く他の動物は食用にしません。コアラにとってはライバルがいない有利な条件ではあるものの、食物消化とカロリー消費のバランスを合わせるため1日のうち20時間は寝て過ごします。コアラがユーカリの木が茂っていない場所を長距離旅行をすることは考えられません。

ノアはコアラの存在と食性を知っており、1年分のユーカリとオーストラリアまでの移動のためのユーカリを箱舟に集めたのでしょうか?箱舟を出た後、海水に浸かった大地をコアラはどのように大量のユーカリを運びながら移動したのでしょうか?

創世記のノアの箱舟の話を擁護するためにあれこれ答えを探したとしても、屁理屈のようなものしか出てきません。むしろ中東に住んでいた創世記の作者は中東と近隣に生息する動物のことしか念頭になく、コアラやカンガルーの存在を知ることなく箱舟の物語を書いていたと考えるほうが自然です。

記事の終わり

グランドキャニオンはノアの時代にできたものではない

エホバの証人の主張

エホバの証人は紀元前2370年に全地を水で覆う大洪水が起き、ノアの家族と箱舟に入った全種類の動物のつがい以外はすべての動物が滅んだと信じています。そしてグランドキャニオンのような大峡谷も数日のうちに出来たと述べています。彼らがグランドキャニオンの地層全てを含めてすべてがノアの洪水で出来たと信じているかどうかは言及がありませんが、引用されている書籍が「若い地球創造論者」の出版物であることを考えると、大よそ他のプロテスタントの「若い創造論者」と同じことをグランドキャニオンに関しても主張していると考えられます。一例として1968年のものみの塔の説明を見てみましょう。

ものみの塔1968年10月15日p613

「何日かのうちに・・荒れ狂う激流は深い渓谷や大峡谷を掘りました。」

 

事実はどうか

すでに「ノアの時代に気象の激変はなかった」の中でも指摘している通り、グランドキャニオンのような1200メートルもある地層と渓谷が「何日かのうちに生じ」、世界中を「巨大な激浪が荒れ狂い」ながら、グリーンランドや南極の氷床に何の痕跡も残さないでいられることはあり得ません。

グランドキャニオンは先カンブリア時代からペルム紀までの地層が重なる峡谷であり、ノアの洪水とは全く関係がありません。現在のロッキー山脈の東側は古代において浅い海が広がっていたエリアで、そこでは海進と海退が繰り返されていました。

図:白亜紀後期のアメリカ 浅い海が広がっていた

参考:http://www2.mcdaniel.edu/Biology/wildamerica/WApinyonpine/ppstrata1.html

このような地理的条件がそろっていたためにグランドキャニオン周辺の独特な地層が形成されています。地層を形成する原因として”洪水”も大いに関係していますが、1200メートルを超える地層の重なりは一度の洪水ではできません。なおグランドキャニオンは17億年から2億4,500万年前までの地質年代を網羅しており、コロラド川の浸食によって峡谷が形成されるにはさらに300万年以上が経過していると考えられています。

エホバの証人はグランドキャニオンのような渓谷が「何日かのうちに生じ」「荒れ狂う激流は深い渓谷や大峡谷を掘った(ものみの塔1968年10月15日p613)」と主張します。

しかし以下の写真からわかるようにコロラド川は蛇行するラインをとっており、荒れ狂う激流で出来るような直線的な流れではありません。この情景はむしろ300万年以上の長い年月をかけて川の浸食によって形成されたという科学的な見解と一致しています。もし一度の洪水でグランドキャニオンの地層が出来たのであれば、あらゆる低地で同じような地層が出来上がっているはずです。

地質学では何が明らかになっているか

日本地質学会のQ&Aのコーナーでは以下のような質問と率直な答えが掲載されています。

Q31:グランドキャニオンとノアの大洪水は関係するの?

A:まったく関係はありません。

ノアの洪水というのは、キリスト教の聖書に出てくる概念で、実際におこった現象ではありません。グランドキャニオンの形成とノアの洪水はまったく関係はありません。

(瀬戸口烈司 京都大学名誉教授)

日本地質学会Q&A「Q31:グランドキャニオンとノアの大洪水は関係するの?」

参考:http://ja.scenic.com/visitor-information/grand-canyon/geology

 

記事の終わり

 

「見よ!」のブロシュアーの引用は不正

ものみの塔協会はしばしば”学者”の言葉を不正な仕方で引用します。それはあからさまな「嘘」を伴う場合があります。例えば考古学上の発見で「世界的な大洪水があった」ことが証明されていると読者に信じさせるために「見よ! わたしはすべてのものを新しくする」と題するブロシュアーの中で 以下のような説明を行っています。

*** 見よ! 7–8ページ 11節 ***
彼らはまた,世界的な大洪水があったことを示す数多くの証拠を発掘しました。聖書によるとその大洪水はいまから4,000年以上の昔,つまりノアの時代に起きました。このことについて,考古学者として広く知られている三笠宮は,「はたして大洪水はほんとうにあったのでしょうか。……近年考古学者の発掘の結果,洪水がじっさいにあったことが,りっぱに証明されました」と述べています。

では考古学者の三笠宮氏は本当に考古学者の発掘によって世界的な大洪水が証明されたと述べていたのでしょうか? 以下は実際の三笠宮氏の著書「帝王と墓と民衆 ― オリエントのあけぼの」からのページのコピーです。

黄色いマーカーの部分が協会が引用している部分です。ピンクのマーカーの部分は前の文章に繋がっており、本来は省いてはならない部分です。しかし協会は意図的に文章を切っています。文章は以下のように続いています。

「すなわち、エウフラテス川の川口に近いウルという町や、シュルッパクという町や、それからキシュという町を地下深く掘ったところ、洪水のために上流から運ばれてきた土砂の層がはっきりと現われたのです。」

明らかに著者はノアの洪水伝説が局所的なユーフラテス川の氾濫に基づいていることを指摘しています。発掘されたのはユーフラテス川の「上流から運ばれてきた土砂」です。さらに文の途中には「(地図Ⅰ参照)」と記載されています。参照されている巻末の地図は局所的な洪水が起きやすいユーフラテス川周辺のメソポタミアの地図です。三笠宮氏はノアの洪水の物語がメソポタミア地方特有の洪水、つまり川の氾濫の話をもとにしていたことを伝えていたのです。

このように 著者の意図や文脈を無視して意図的に不公正な情報を伝える  ものみの塔協会の行為は読者を裏切るものであると言えます。

「見よ!」のブロシュアーについて

この冊子は日本人を伝道の対象として作成されたもので、1970年から20年以上日本における伝道で用いられていた。

多くの日本のエホバの証人がこの冊子に書かれていることを信じて信者となっている。

 

記事の終わり

ノアの時代に気象の激変はなかった

ノアの洪水の前は地球が巨大な天蓋に覆われ地球全体が温暖だったという話

「ものみの塔 1968年10月15日号」はアダムの創造からノアの洪水まで地球全体が温暖であったと教えています。その「温室内の効果」によって雨が千年以上降らなくても世界中の植物が生きていけたと述べています。

ものみの塔1968年10月15日p611

確かにそのとおりです!」という表現に意気込みを感じる。原理主義的なクリスチャンはとんでもない主張でも気合で乗り切ることが多い。

では「ものみの塔」が述べている過去の気象変動の話は本当なのでしょうか?以下に示す客観的な証拠からすると全くの誤りであることが理解できます。

δ18Oの値で明らかになった過去の気温

18Oとは酸素の安定同位体と呼ばれるものの一つです。この18Oの比率(δ18O)は雪が降る地域周辺の気温と連動することが知られています。。「氷床の年代は正確 – 酸素同位体による年代カウント」の中で説明した通り、δ18Oの値を利用してグリーンランドでは冬季に降る雪とそれ以外の雪の違いを識別して年周期を割り出すことができています。この原則は長期にわたる過去の気温にも当てはまります。グリーンランドでは過去に積もった雪の安定同位体の比率(δ18o)はそのままの状態で保存されているため、氷床から切り出したコアを解析することで、古代の気温の変動を再現することができます。まずは以下のグラフをご覧ください。(*1)

 

 

氷床のデータが示している通り、4300年前(ノアの洪水)、6000年前(アダムの創造)の付近を見ても全くδ18Oの値に大きな変動が見られません。これは当時大きな気象変動が何もなかったことを示しています。エホバの証人はノアの洪水以前は地球は温暖であったと唱えていますが、上記オレンジ色のラインが示している通り、約1万年より前の年代にはむしろ今より寒冷な時代があったことを示しています。

 

記事の終わり

 

*1 データは米国 NOAAサイトの gicc05-holocene-20yr.txt を利用

 

 

氷床の年代は正確 – 酸素同位体による年代カウント

客観的なカウント方法  δ18Oの値

別の記事「地球規模の洪水はなかった-氷床は語る」の中で数十年の調査の結果、地球規模のノアの大洪水は完全に否定されてしまったという点を指摘しました。ここではそれらのデータがどのくらい客観的なものなのかを示したいと思います。

前の記事では氷床の年代は歴史に記録されている火山噴火の痕跡と照合することができるという点を紹介しました。しかし単独でも客観的で正確な年代のカウントを行うことができています。その一つの方法は氷床の中の酸素同位体の比率を使ったカウントです。酸素同位体には18Oと呼ばれるものがあり、周辺海域や陸地の気温が低いときは18Oは多く失われ、降り積もる雪の18O同位体の比率(δ18O)の値は少なくなります。逆に夏の時期に降る雪の中では18Oが多く含まれるようになります。下のグラフでは谷になっている部分の紫の帯の縦の破線の部分が冬を表しています。この1年周期のシグナルを確認することで掘り出した氷床の年代を正確にカウントすることができます

下のグラフ:10メートルの間に19の年縞(ねんこう)を確認できる。

このグラフはグリーンランドのCrêteの氷床のδ18Oの変動の一部をグラフ化したものです。Crêteの場合は404メートル掘り進められ、およそ15世紀分、西暦534年までの氷床のサンプルがとられています。Crêteは表面は1年分の雪が70㎝ほど降り積もり、100メートルほど進むと1年分の雪は20㎝ほどに圧縮されています。このように十分な積雪量を記録している場所ではδ18Oの値測定によって正確に毎年のレイヤーを識別することができます。

DYE-3 過去8000年前まで正確にさかのぼる

例えばグリーンランドのDYE-3という場所では表面では1メートルほどの雪が積もるため、δ18Oの値で年代をカウントする十分な条件が揃っています。実際、DYE-3 では8000年分の深さまで安定同位体のデータによってレイヤーが識別できています(*1)。以下のグラフはグリーンランドのDYE-3(先ほど8000年分までほぼ正確に年代をたどれると指摘した場所)の1年毎の氷床の厚さをグラフにしたものです。(*2)

エトナ火山噴火からノアの大洪水までさかのぼると氷床の厚さは規則性をもって圧縮されていきます。表面近くは1メートルほど積もっている雪は100メートルの深さになると半分の50㎝になります。そしてBC425年は深さ924メートルになり1年分の厚みは27㎝です。さらにBC2370年は深さ1367メートルになり15㎝の厚みになります。アダムが創造されたとされているBC4026年(ものみの塔による)は深さ1558メートルの地点になります。しかしどこにも大洪水を示す跡はありません

神が証拠を隠蔽したのか?

このようにグリーンランドや南極での氷床の研究はノアの時代の大洪水を明確に否定しています。地球規模の洪水が起きながらグリーンランドや南極の氷床に洪水の跡を何も残さないということはあり得ません。

洪水の規模と破壊的な影響について、ものみの塔がどのように描写しているか見てみましょう。彼らは以下の記述にあるように世界中に「巨大な激浪が荒れ狂い」、グランドキャニオンのような大峡谷が「何日かのうちに」できたと述べているのです。

ものみの塔1968年10月15日p613

グランドキャニオンのような1200メートルもある地層と渓谷が「何日かのうちに生じ」、世界中を「巨大な激浪が荒れ狂い」ながら、グリーンランド、そして南極だけに証拠が残らないように隠ぺいしたと本当に信じられますか?

記事の終わり

*1 Centre for Ice and Climate – コペンハーゲン大学 – 「安定同位体データによる氷床コアの年代確定について」

*2(データは米国 NOAAサイトの gicc05-holocene-20yr.txt を利用)

 

氷床の年代は正確 – 火山噴火の跡と一致

氷床コアの研究によって数千年あるいは数十万年前までさかのぼっても、世界的な大洪水が起きた形跡がないことが明らかになっています(「地球規模の洪水はなかった – 氷床は語る」を参照)。それでも恐らく反論として”氷床コアの中に洪水の跡がないのは確かかもしれないが、その記録は正確な年代ではないかもしれない”という主張が出てくることでしょう。しかし氷床コアは数十万年までさかのぼる調査結果が出ているため、上記のような反論を有効にするためには、年代の桁を間違えるような誤差が存在していなければならないことになります。

火山噴火と氷床コアの一致

大規模な火山噴火が起きると大量の火山性物質が大気中にばら撒かれます。大きな灰は火山の周辺地域に降ることになりますが、微粒子は大気中を浮遊して火山から遠い場所でも観測することができるようになります。もし氷床コアの年代計算が正確なものであるなら、氷床の中に含まれる火山性物質の体積が各地で起きた大規模火山の年代と一致するはずです。

南極での調査

以下に示すのは南極のボストーク基地で掘り出された氷床コアに含まれている火山性硫酸塩含有量を示すグラフです。グラフの中の点線のラインを超えて上に突出している部分が大規模な噴火を示す火山性硫酸塩の層を含んでいる部分です。

図1:南極氷床コアの火山噴火活動を示す微粒子含有量のグラフ(過去900年分)

vostok

資料:http://www.the-cryosphere.net/8/843/2014/tc-8-843-2014.pdf

では氷床コアの中の火山活動の痕跡は実際の火山噴火の記録と一致しているでしょうか? 答えは「はい、確かに多くの既知の大噴火と一致してる」となります。以下はグラフの中の山の部分(V1~V24)の対応する歴史上の噴火を示す一覧です。

記号 該当する火山活動 場所
V1 ピナツボ火山(1991年) フィリピン
V2 アグング火山(1963年) インドネシア
V3 クラカタウ火山(1883年) インドネシア
V6 タンボラ火山(1815年) インドネシア
V11 不明
V15 パーカー火山+デセプション島(1641年) フィリピン、南極(確定はできない)
V16 ワイナプチナ火山(1600年) ペルー
V17 海底火山クワエ(1452年) バヌアツ
V19 不明
V20 不明
V22 エルチチョンあるいはサマラス火山(1257年頃) 記録なし
V24 不明

 

グリーンランドでの調査

南極と同様にグリーンランドでも氷床コアに含まれる火山性物質の調査が行われています。結果は南極と同じく過去に起きた大規模噴火の跡が表れています。南極との違いは図2で表れている通り北半球で起きたLaki(ラキ火山 アイスランド)とKatmai(カトマイ火山 アラスカ)の噴火で数値が大きく出ている点です。

図2:グリーンランドの氷床に表れている噴火の跡

volcanic_rel_icecore

https://www.projects.science.uu.nl/iceclimate/karthaus/archive/lecturenotes/2009/fischer/HubertusFischer.pdf

調査結果は客観的に検証されている

これらの証拠を科学者のねつ造であることはあり得ません。なぜなら、これらの結果は再現性があり、いくらでも検証が可能であるからです。実際下の図3が示す通り日本の共同研究チームが新たな基地のデータを加えて再び検証したときにも、細かな誤差を除けば過去の調査と同じ結果がでています。

図3:理化学研究所と国立極地研究所の精度を高めた調査結果(http://www.riken.jp/pr/press/2014/20140722_2/

volcanic_japan

 

さらに過去までさかのぼる

ここまでのところで過去900年間のデータを紹介しました。しかし追跡可能な年代は900年分だけではありません。以下のグラフで示されている通り、現在から2500年前にさかのぼるまでの氷床の中の火山性硫酸塩含有量が調査されています。

図:グリーンランド(上段)および南極(下段)の火山性微粒子、そして木の年輪の成長率(中段)の比較

https://www.researchgate.net/figure/280714137_fig1_Figure-1-New-ice-core-timescale-of-Greenland-ice-core-NEEM-NS1-topand-Antarctica-ice

このグラフを見ると紀元前425年頃(グラフの左端の”-425″)にすべての折れ線に大きく影響を与えているポイントを確認できます。

ギリシャの歴史家トゥキディデスはイタリア南部シチリア島のエトナ火山噴火によってカターニア地方に大規模な災害があったことを記録しています( Thucydides 3.116)。ヒエロニムスのエウセビオス年代記(jerome-eusebii_chronici_canones_fotheringham_1923.pdf)はこの噴火をオリンピアード第88期の第3年の出来事として記録しています。これは紀元前426/425年を意味しており、グリーンランド氷床の大規模噴火の跡と一致しています。

図:エウセビオス年代記。オリンピアード第88期第3年「エトナ火山の噴火」

これによって少なくとも紀元前425年までは大きな誤差が認められないことがはっきりします。これより先は歴史書の中に大規模な火山噴火の明確な年代が記録されていないため照合させることはできません。しかしさらに下のほうの氷床の紀元前2370年(ものみの塔がノアの洪水の年としている年代)付近を見ても大洪水の跡は全く存在しません。火山灰の微粒子でさえとらえることができるのに、地球を覆いつくしていた大洪水の跡が何もないということはあり得ないことです。しかも聖書によると洪水の水は1年近くも地上を覆っていたと主張されているのです。

 

 

記事の終わり

 

補足:氷床コアはインチキではない

はじめに

氷床コアの研究とは南極やグリーンランドなど過去に降り積もった雪が氷床となって積み重なっているポイントで下に向かって掘削し、氷床を円柱状(コア)にくり抜き、その中に含まれる大気成分や水の分子を分析する研究のことです。氷床コアからは過去の大気成分をそのまま取り出すことができるため、長い年月における気象変動を調査する上で重要な役割を果たしています。

氷床コアプロジェクトによる調査から高い精度の結果が出されています。そして気象変動のデータは優に数万年を超えるところまで確認することができるため、聖書が示しているとされる紀元前2370年(ものみの塔による年代)において世界が水に覆われるような大洪水が本当に起きたのかどうかは容易に確かめることができるようになっています。しかも「全天下の高い山々がことごとく覆われる(創世記 7:19)」状態になった大洪水から水がはけるまで1年ほどかかっているので、南極やグリーンランドの氷床に明確な事象を示す証拠を残さないで済むことは不可能「南極の氷床は地球規模の大洪水を否定する」をご覧ください。)です。わたしたちは客観的な調査に基づく氷床コアの研究結果を認めるなら聖書のノアの時代に世界的な大洪水は起きていなかったという事実を受け入れざるを得なくなっています。

科学者が示す氷床コアの研究は”インチキ”?

氷床コアのデータは一つの国の一つの調査に基づくものではなく、世界各国の科学者によって行われている調査と研究に基づいています。グリーンランドや南極では複数の基地があり、日本も南極の調査に参加しています。通常考えるとそのような各国の調査をすべて「インチキ」として捨て去るのはかなり大胆なことと言えます。

しかしクリスチャンの創造論者の中には世界中の科学者たちが行ってきた「氷床コア」の調査は「インチキ」であるとする人もいます。そのような主張をする人は多くはありませんが、日本語では以下のページから主張の要旨を見ることができます。

聖書の教え – 氷床コア (ice cores) 2016/11/22
http://bible9.blogspot.jp/2016/11/ice-cores.html

上記のページによると、氷床コアの研究は”無神論の世の担い手フリーメイソン作のインチキ進化論で洗脳されたインチキの伝道者となっている科学者たち”によって行われたもので、「P-38, “Glacier Girl”」の発見がそのインチキを論破したとされています。

このような主張がナンセンスなものであることを証拠から示す前に、一つの点を言及しておく必要があります。それはグリーンランドの雪に埋もれた「P-38, “Glacier Girl”」を救出することに関わった人々が上記ページにあるような主張をしているわけではなく、ごく一部のクリスチャン(主に若い地球創造論者)が48年前の軍用機が「263フィート(78.9m)」から発見されたという文章に注目して主張を始めたにすぎないという点です。ですから「P-38, “Glacier Girl”」の関係者はこの主張をしている人々とは異なります。

彼らの主張

上記の”Glacier Girl”の発見に関係してなされる主張は簡単に述べると次のようなものです。

  • “Glacier Girl”は48年前に雪に埋もれ始めたにも関わらず80メートル近い深さまで雪と氷に覆われていた。
  • 48年で80メートルなら1年で1.65mも氷が堆積したことになる。
  • 「1.65m/1年」で計算すると3000メートルの深さでも1820年の期間しかないはずである。
  • 科学者が発表したデータの中には3000メートルの深さで10万年以上を示すものがあるが、上記の結論からしてインチキである。

大胆な主張、貧弱な調査

前述のクリスチャンの主張は”Glacier Girl”の発掘に関わった科学者や関係者から氷のデータやレポートから得たものではなく、単なる表面的な数字から計算されたものです。このような主張をしているサイトを見ても、詳細なデータが公開されていません。また”Glacier Girl”の関係者の誰かが氷床コアの研究を覆すような画期的な”発見”をしたと主張しているかと言うと、そのような情報も一つも見出すことができませんでした。では実際にこれらの数字は何を意味するのでしょうか?

以下の図はNSIDCのサイトに掲載されているグリーンランドの積雪量や氷床の厚さを示す図です。(http://nsidc.org/greenland-today/category/uncategorized/ )その中から積雪量を示す図だけを拡大させました。

グリーンランドの年間積雪量

zoom

この図に示されているように年間の積雪量は場所によって極端に異なっており、場所によっては10倍以上の差が出ることがわかります。3000メートル付近まで掘削を行う最近のプロジェクトは図でいうと黄色い色になっているエリアで行われています(名称:GRIP、NGRIP、GISP2)。南東の赤くなっている積雪量が非常に多いところでは通常は氷床コアの調査は行われません。特に沿岸部に近いところでは氷床のドリフトが起こり高く積まれた雪と氷は海側に落ちて最終的には海に消えてしまうためそのような場所は選ばれません。

では”Glacier Girl”はどのような場所に埋もれていたのでしょうか?Glacier Girl (P-38) の救出について伝えるニュース映像では以下のように伝えています。

不時着場所を示す地図(動画から)

crash_site

積雪量を示す図と比較してわかるのは、不時着した場所はかなりの積雪量を示す場所であり、沿岸からかなり近い場所であることがわかります。

さらに考えなくてはならない点はグリーンランドでの飛行機事故は”Glacier Girl”の件だけはないという点です。BOSTON.com の中には近年の他の飛行機の調査プロジェクトについて書かれています。

「第二次世界大戦から70年、グリーンランドの氷の中に救出飛行機が発見される」
Seven decades after fatal crash, WWII rescue plane found in ice of Greenland
http://archive.boston.com/metrodesk/2013/01/14/seven-decades-after-fatal-crash-wwii-rescue-plane-found-ice-greenland/FoqPHcnYyGf0UvY3OF6Z8J/story.html

この飛行機事故では生存者はおらず、場所を特定するためにレーダーと金属探査装置が用いられました。そして黒いケーブルと飛行機の残骸を見つけることができました。どのくらいの深度でしょうか?記事の中では地表から約12メートル(40 feet)のところで発見されました。今回の場合は70年で12メートルです。しかし破損したすべての機体とは書かれていませんので、鉄の重たい残骸部分はさらに深いところに沈んでいる可能性もあります。

発見された場所は”Glacier Girl”と同じく「南東部沿岸」ですが、場所や状況の少しの差によって飛行機の上に積もる雪の量は大きく異なっていることがわかります。

近い条件の場所と比較すべき

氷床コアの研究はグリーンランドだけではなく南極大陸でも行われています。各所で行われる調査結果は連動性を示すものの、1年分の氷の厚さの比率は同じではありません。また同じ場所のコアでも単に深さで年代を測定するのでもありません。

例えば以下の図は南極のロードーム(Law Dome)付近の3か所で氷の中の気体が完全に密封される深度を確認した際の調査個所を示すものです。

lawdome-mp

この中にDSS、DE08、DE08-2 と記載されている場所が出ていますが、それぞれの密封深度と年数は以下の通りです。(参照:http://cdiac.ornl.gov/trends/co2/lawdome.html

  • DE08 地表から72メートルで年数40年±1
  • DE08-2 地表から72メートルで年数40年
  • DSS 地表から66メートルで68年

ロードーム(Law Dome)は”Glacier Girl”(P-38)の不時着付近とよく似ており、積雪量が多い沿岸付近です。その地点では地表近くに柔らかい氷床がかなりの深度まで残っています。40年で72メートルですから”Glacier Girl”の数値とほぼ一致します。

もし”Glacier Girl”の例を比較するなら、このような同条件の場所と比較すべきです。

law_dome(図は sciencepoles.org から)赤い地点が Law Dome の場所、”Glacier Girl”の場所と条件が似ている。地表近くは柔らかく、深くなると氷の年縞は極端に狭くなる特性を持っている。

このように見ていくと”Glacier Girl”発見のニュースは事実を覆すような何も新しい情報を含んでいないことがわかります。むしろ創造論者が表面的な矛盾をさも大袈裟に取り上げ大胆な主張をする割に、貧弱な調査しかしていないとう事実を示しているにすぎません。

日本を含め各国の専門家が行う調査を無神論者の陰謀であるかのように”フリーメイソン科学者のインチキ”とするよりも、このような”Glacier Girl”にまつわる創造論者の大胆な主張のほうがよっぽど”陰謀”のように映ります。

 

記事の終わり

 

 

1 / 2ページ

エホバの証人レッスン