聖書は人類の出産の苦しみが大きい理由を最初の女性エバが罪を犯したためであるとしています。創世記3章の以下の部分がエバに責任を負わせている部分です。
(創世記 3:13,16) そこでエホバ神は女に言われた,「あなたがしたこの事はどういうことなのか」。…わたしはあなたの妊娠の苦痛を大いに増す。あなたは産みの苦しみをもって子を産む。…
女性が担う産みの苦しみが非常に大きいものであることは疑う余地はありません。古代においては難産で死ぬことも珍しくはありませんでした(創世記 35:16‐18)。WHOによると現代でも毎日830人の女性が妊娠や出産を原因とした合併症で亡くなっています。その死亡の99%は発展途上国で起きています。サルや類人猿では2時間ほどで終わる出産が人間では平均してほぼ9時間にもおよびます。
これは聖書が述べている通り最初の人間女性エバが罪を犯したからなのでしょうか? 解剖学的な証拠からするとそれは間違いです。
ヒトの出産を困難にしている主な要因は母体側の骨盤や産道の構造的な問題、そして胎児側の頭部の大きさ問題の2点です。この2点は主に人類が直立二足歩行をしていることと、大きな頭蓋骨と巨大な脳を持つようになっていることに起因しています。これは道徳とは無関係です。罪に対する罰として人類の脳が大きくなったとするにしてもそれはあまりにも不自然な罰です。
図:人体六〇〇万年史 上: 科学が明かす進化・健康・疾病 著者: ダニエル E リーバーマン
仮に最初の女性のエバは実はチンパンジーやゴリラ並みの比率の脳しかなかった、そして原罪を負ったゆえに他の霊長類よりも3倍以上の脳(図を参照)を持つようになった、その結果「人は善悪を知る点でわたしたち(神々)のひとりのようになった」と仮定するなら、「妊娠の苦しみを大いに増す」という言葉とも合います。
しかし逆にその程度の脳しかもたない最初の人間に対してその後の人類すべてに死と苦しみをもたらす結果になる罪を神が負わせたことになるため、その理屈自体に矛盾が生じます。
エバのせいであなたの妊娠と出産の苦しみが増したというのは本当なのでしょうか? 創世記が書かれた時代、それは難問のように思えました。しかし現代の医学・解剖学・生物学の理解からすると答えを出すのはそれほど難しくはありません。それには複合的な要因があるものの(*1)主な原因は物理的なものです。それは苦しみを与えるために与えられた罰ではありません。
記事の終わり
*1 例えば農耕が栄えた結果、胎児は大きく成長するのに対して、女性の骨格は狩猟民族に比べて小さくなるという現象が指摘されています。(参考資料:BBC)
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caleb
"オオカミの子供が永久凍土から発見されて、その胃の中から14,000年前頃に絶滅したケブカサイの皮が見つかっています。 https://www.sciencealert.com/puppy-preserved-in-the-permafrost-ate-a-chunk-of-one-of-earth-s-last-woolly-rhinos 他にも人類の出現前には絶滅した恐竜の化石の中には胃の中にあるトカゲが一緒に化石になって発見されてもいます。 客観的な証拠は聖書が示す人間の歴史よりもずっと昔から肉食動物は獲物を探して生きていたことを示しています。 古代の動物が「何を食べていたか知りたい」とのことですが、肉食動物は古代から肉食動物であったことを示す 証拠は多くあります。 それらの証拠はなぜ受け入れないのでしょうか? 数千年前のノアの洪水の前に、すべての動物が草食であったという話は、何の根拠もない空想の話にすぎません。 "
山猫
"ノアの大洪水の可能性は、ゼロだと言い切るのは無理があると思います。逆にそこまで否定するのには、何かあるのかな、と思ってしまいます。洞穴ライオンの発見から既に7年、8年経ちますが、研究結果を報告しません。胃の中の物を調べれば何を食べていたか分かる、と研究者は言っていました。なのに全然音沙汰が無い、何を食べていたか知りたいのです、世の中に公表出来ないのでは?と思ってしまいます。 "
あるぱか
"僕が見た子供向けの絵本にも「船という漢字の中にノアの大洪水の歴史が記録されているんだよ」的なことが書いてあって、なんで日本の漢字に全く関係ないイスラム?ローマ?のことが入ってんだよwって思ったけどほんとに合ってて草。他にも無菌状態で培養液入れても生物は発生しなかった=進化論は否定されたとか言う謎理論も噛ましててビックバンとか諸々はどうしたw(適当に言ってるだけだから間違えてるかも())とか、こういう本は間違い探ししてる分には楽しいですねwただ子供とかこう言うので刷り込まれそう。昔言ってた教会でもしれっとこんな本渡されてたんで宗教って怖いなって思いましたまる(皆がこんなガバガバ理論だとは思ってないですけどこの本の作者さんはあとがき見る限り上に上げた理論?を本気で信じてそうで怖いなって思ったのでコメしました。超長文失礼しました "
caleb
"質問の要点部分にお答えいたします。 >calebさんの生き方の中に、真の喜びと希望と平安は有るのでしょうか? 普通程度にあります。 誰かと比べてどうかという話ではないですが、 わたしが見てきた範囲では クリスチャンとノンクリスチャンにおいて 喜び、希望、平安の度合いにおいて差はほとんどないと思っています。 クリスチャンが優位になる場合は、人が病気で死に直面している場合、 あるいは他の絶望的な境遇に直面している場合など、幾つか考えられます。 しかし生まれてから死ぬまでの日本人の平均的な人生を総合的に見ると、 死後の命の教理(そして死後の裁きの教理がもれなくついてくる) への信仰が人に対して 喜び、希望、平安を持たせる面で 大きな役割を果たしてきているとは思えません。 最後に 科学に対して「過信をする事も禁物です」という点ですが それは全くその通りで、クリスチャンが聖書や神の存在に対して 同じ程度に冷静になれれば、聖書の中の間違いを認めるのも ずっと容易になるかと思います。 "
鈴木 志
"今日は、私はエホバの証人でも無く、どのような宗教団体にも属さない一人のクリスチャンです。 殆どの記事を読ませていただきました。大変の詳しいのにびっくりしました。私の見解と異なるものが多くあるものの、それに対して反論の術のないものもいくつかあります。私もいろいろと調べましたが、結局のところ科学と言うものには限界が有り、全ての事象を正確に説明する事は出来ないと言う事です。 科学をまじめにやっている方ほど、「科学はOOは正しい、とは断定してくれません。科学的に正しい、科学的に証明されていると言うフレーズを使うのは、科学の事を良く解っていない人か詐欺師かのどちらかでしょう。」とまで言っています。例えば京都大学理学・研究科・理学部でも、「科学的に正しいは、絶対的真実と言う事ではありません。」とコメントしています。科学は決して軽んじてはなりませんが、100パーセントの正しさを保障してくれるものでもありまんので、過信をする事も禁物です。 質問をしたいのです。calebさんにとって自分の人生とは一体何ですか?自分とは何ですか?人間の命の尊厳はどこから来るのですか?死に対して真っ正面から向き合えますか?死に対して勝利の叫びを持って望めますか?死の先に希望は有りますか?calebさんの生き方の中に、真の喜びと希望と平安は有るのでしょうか。「主イエス・キリストを信じる私には有ります。」 "