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#126 Re: 親睦・相談 » 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~ » 2017年01月27日 17:51:57

土の器のかけら さんの発言:

このように制限された自由意思、拘束された自由意思が存在します。

「制限された自由意志」「拘束された自由意志」はどちらとも矛盾した語句です。

そもそも自由の定義は
<《名・ダナ》他からの束縛を受けず、自分の思うままにふるまえること。goo辞書より>
であり、対義語は束縛ですから、束縛された自由というものはなりたたないのです。
制限されたり拘束されつつ発現している意識は、「拘束された自由意志」という単語ではなく、単に「拘束された意思」としか言いようがありません。

土の器のかけら さんの発言:

自律神経を自発的にコントロールするのは難しいことですが、トレーニングによって自分でコントロールできなくもないようです。

自立神経を自分でコントロールできた所で、相対的自由というものが存在するという証拠にはなりません。もちろん自由意志の存在の証拠にもなりません。

前に書いた、手を開こうという意識が発生する前にはすでに脳が手を開く準備をしているのと同様に、
「今からコントロールを行う」という意識が発生する直前に、すでに脳が自律神経をコントロールするための準備をしているためです。

土の器のかけら さんの発言:

リッチさんが定義している「他から強制・拘束・妨害などを受けないで、行動や選択を自発的に決定しうる意志」は、現在の地球上において存在しません

と、あなたも認めていますが、現在の科学的見解では自由意志は存在していません。

JWの説明では原罪の発生の説明には「自由意志」という言葉は用いられますが、「拘束された自由意志」と修飾語のついた言葉は用いられていないので、
「『アダムは拘束された自由意志を持っている』なら通るよ」という主張は検証する命題がすり替えられているのです。

検証すべきものは
「アダムは自由意志を持っている」という命題であり「アダムは拘束された自由意志をもっている」ではないのです。

あなたも認めていますが、自由意志は科学的事実から現実に存在していません。
ですから、「アダムは自由意志を持っていた」という事は現実においては間違った事だという事です。
ただ、アダムが自由意志を持っていてもおかしくないような考え方があります。
それは、「聖書はフィクションである」という考えです。
フィクションは、内容に宇宙人やタイムマシンや妖怪や魔法使いなどが出てきても、これは虚構であるという前提があるので、どのような内容もなりたちます。
簡単にいえば、嘘、の一文字ですね。

#127 Re: 親睦・相談 » 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~ » 2017年01月27日 07:59:36

イザ 45:9 さんの発言:

神から与えられた限界内における制限された自由だからです。

イザ 45:9さん さんの発言:

「自分の意思とは無関係に行われる代謝や、空気の乾燥などにより、体から水分が失われた結果発生した、いわば環境に拘束された意思」というのも相対的自由です。

定義通りの自由意志の有無について訊いているので、自由意志の定義に当てはまらない相対的自由というものががあるという主張されても、的外れです。

イザ 45:9 さんの発言:

科学的証拠として一例をあげると、人間の身体能力などはいかがですか。人間の身体能力はかなりの制限を受けていますが、同時に自由意思を行使することもできます。

身体を動かす事が自由意志の存在の科学的証拠になりません。
脳科学の分野の話になりますが、たとえば「手を開こう」という意思が内観で発生したと同時に手を開くとします。
主観的には意思の発生と全く同時期に手を開いたように感じますが、実際はそうではなく、手を開くため筋肉を動かすべく準備電位が脳内で発生した時間と、意思の発生した時間にはタイムラグがあるのです。
イザさんはおそらく、意思の発生の直後に手を開いたと思われるでしょうが、現実では身体が動き始めた後に意思が発生しているのです。
意思と同時に体が動いたというのは錯覚にすぎず、それは脳が同時期に行っているように感じるよう編集を行っているからです。
統合失調症などになると、この意思と身体の同期機能が失われる事があり、そうなると、そう行動しようと全く意思していないのに気がついたら行動していた、という事が多発し、重度になると、意思と身体の動きが噛み合わず、歩行困難になったりします。
統合失調症までもなくとも、軽度な「気がついたらやっていた」という事は誰にでも起こっています。
気がついたら鼻を触っていた。気がついたらリモコンでチャンネルを変えていた、気がついたら掻いていた……など、無意識的な行動をした事がない人はいないでしょう。

自分の体が先に行動しているというのに、その行動を自由意思で操作しているという事はできません。

#128 Re: 総合フォーラム » 根元的疑問諸々 » 2017年01月27日 00:25:52

イザ 45:9 さんの発言:

私が説明しているのは「完全」ではなく「完全性」についてです。「完全性」で辞書を調べてみてください。相対的な完全性とは、人間の領域に限定された条件下において、全て揃っていて欠損や不整合がなく、要求される性質を備えているという意味になります。

私が疑問をていしたのは「完全性」ではなく「完全」についてです。

そして、あなたが答えておられないのでもう一度訊きますが、自由意志が実在する客観的証拠はありますか?

#129 Re: 総合フォーラム » 根元的疑問諸々 » 2017年01月26日 19:05:21

イザ 45:9 さんの発言:

「パズルのピースが一つ欠けている」「劣る所がある」というのは不完全ではなくて欠損がある状態です。

「完全」の定義は辞書によれば
<《名・ダナ》欠けるところや、足りないところのないこと。>
とあります。
なので、あなたの主張している「欠損しているが不完全ではない」というのは矛盾していて成り立ちません。

イザ 45:9 さんの発言:

もしかして、リッチさんは神の絶対的な完全性からすれば「劣る所がある」から、「人間は相対的でも完全と称する事はできない」、人間はもともと不完全であるという問いかけをされているのでしょうか。

聖書の記述を見れば聖書内の人間は不完全だとおもいますし、人間どころか
イザさんの主張している、神が愛により人間に対して全知を行使しなかったという主張をとれば、その神自体も不完全だと思います。

神が人間の行動を予知できいないということは、神には人間の未来の知識が欠損しているという事になるため、不完全であるという事です。

#130 Re: 総合フォーラム » 根元的疑問諸々 » 2017年01月26日 17:20:44

イザ 45:9 さんの発言:

人間の完全性は、人間の領域に限定された相対的な完全性です。

「相対的な完全性」という文は矛盾しています。
人間の比較対象が完全ならば、人間は相対的でも完全と称する事はできないからです。
完全な対象よりも、劣る所があればそれは「相対的完全」といった矛盾した呼び名のものではなく、単に不完全だという事です。
イザさんが言っている「相対的な完全性」とは
「パズルのピースが一つ欠けているが、完全にそろったパズルだ」や
「北上しながら南下している」
という文と同列になります。

#131 Re: 総合フォーラム » 根元的疑問諸々 » 2017年01月26日 17:01:43

イザ 45:9 さんの発言:

リッチさんのいう「自由意志」が全てを自分で決める自由という意味でしたら、それはありません。

そういう意味ではありませんね。似て否なるものです。

私の言っている自由意志とは、辞書通りの定義で、

「他から強制・拘束・妨害などを受けないで、行動や選択を自発的に決定しうる意志。」 goo国語辞典から引用
です。

イザ 45:9 さんの発言:

リッチさん、人間が持つ自由は制限された相対的なものですから、神のような絶対的な無制限の自由ではありません

と書いていますが、その相対的自由が存在する科学的証拠はありますか?

たとえば、「喉が乾いたから水を飲もう」という意思ですら、自分の意思とは無関係に行われる代謝や、空気の乾燥などにより、体から水分が失われた結果発生した、いわば環境に拘束された意思です。

自由意志を原罪の発生の根拠にするならば、まず因果関係から完全分離された自由意志の存在を証明しなければなりません。

#132 Re: 総合フォーラム » 根元的疑問諸々 » 2017年01月26日 01:12:32

しかし、被造物のすべては与えられた範囲内で行動し、エホバの法に服さなければなりません。(イザ 45:9; ロマ 9:20,21)それゆえ、人間が持つ自由は相対的な自由です。

そうなると、結局聖書の神は自由意志を許していない事になります。そしてどうせ意思を縛るのであれば、最初から善悪の知識の木に近づけないようにしておけばいいだけの話なのです。

そもそも、自由意志が現実に実在するという証拠はあるのですか?

#133 Re: 総合フォーラム » 根元的疑問諸々 » 2017年01月25日 21:27:59

愛により敢えて全知を行使しなかった、との
jw説明も吟味できました。

そのJWの説明だと、神には予知能力があるだけで、すべてを知っているわけではないという事になるため、全知ではないという事になりますね。
「神はすべてを知っているけれど、すべてを知らない」という矛盾した事に。

そして前書いた通り、神が全知全能であろうとなかろうと、そして神が存在してるだろうと不在だろうと、
人間はすでに環境によってどのように意思決定するか縛られているため自由意志が存在せず、どちらにしろ「自由意志によって」という説明はなりたたないのです。

#134 Re: 総合フォーラム » 根元的疑問諸々 » 2017年01月25日 20:45:18

「自由意志」に結びつけると、悪も選択できる存在こそ真の完全さを有していたと言える、とのJW的説明になりますが、それにはどのように反証されますか?

エホバの証人が言う、「神は全知全能」という前提と「自由意志が存在する」という前提は並べると矛盾が発生します。

神が全知全能だとするなら当然人間を作る前から、人間を作成すればその人間がどのように行動するか知っているはずであり、どのような環境を作成しても、それは神の意図が100%反映された世界になるのです。
言い換えれば、全知の神はどのようになるかわからない世界を作る事が不可能であるという事です。(これは全能という前提とも矛盾しますね)

なので、「このように世界を作ると人間が必ず禁断の実を食べる」という事を知りながら世界を作るという事は、同時に人間の意思は完全に神によって操作されているという事になるのです。

自由意志の定義は辞書によれば
「他から強制・拘束・妨害などを受けないで、行動や選択を自発的に決定しうる意志。」
とあります。
全知全能の神の100%の意思により完全制御された意思は、自由意志の定義と反します。

そして、自由意志が存在する場合、神は人間がどう行動するか知らないということになるため、全知ではない事になります。

そもそも、自由意志自体、全能の存在関係無しに存在が科学的に確認されていないものです。
物理学と論理学的に、自由意志は存在しません。
人は常に環境に多大な影響を受けて意思決定を行っています。
体感した出来事により意思が変化したり、食べ物の成分の影響で意思が変化したり、病気により意思が変化したりします。環境にしばられて変化する意思は自由とはいえません。

#135 Re: 総合フォーラム » 根元的疑問諸々 » 2017年01月25日 15:32:38

アダムらは、完全な被造物であるという設定なのに、
禁断の実を食べるというルール違反を犯すというのが、まず矛盾ですね。

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